違和感だらけの世界
「全部で、2,380コインになります」
「……電子決済で」
「かしこまりました」
気づけば、ここで働き始めて、どれくらい経過したろうか。
レジのさばき方、客の癖など、だいたい分かるようになった。
たまに、渡したお釣りに毛が混じってるなんてクレームがあるけど。
仕方ないじゃない、私、リスなんだから。
……私はリス子。
自分出そう名乗ってて、誰も呼ばないから自分でそう呼んでいる。
仕事が終わり、レジを出て、休憩室へ。
タイムカードを押し、荷物を持って外に出る。
「お疲れさまでした。と」
誰も声をかけない。この店のシフト管理はすべて自動だ。他の店員との接触も禁止されている。だから他のたぬきや、亀など他の動物の人たちは、どんな人なのかわからない。自分たちに任されたフィールドだけ、仕事をこなせばいい。
そこにコミュニケーションなんてないし、してはいけない。
(……こんな、世界だったかな)
この世界に関する疑問を口にした瞬間、夕ごはんの量が減らされる。それだけは避けなくてはならないから、私は疑問を心の中でつぶやいた。
なにか、違和感がある。
けど、私はスーパーの店員のリスであることは間違いない。
リス以外の何物でもないはずだ。
駅にたどり着く。
自分のタグを駅の改札機へ。一定時間を超えた入場は、それでもペナルティだ。
今日も定刻通りにホームへ。
もうすぐ、列車が来る。
先頭車両に、息を上げた犬たちの声が聞こえる。
この列車は彼らが動かしている。それが彼らの仕事であるからだ。
大変そうだと思うが、彼らの給料は良いらしい。
12両編成の列車を彼らの力だけで進んでいるからだ。
(何も、変な光景じゃない)
けど、なにか違和感がある。
それは多分、私だけだろう。みんな死んだ顔をしながら列車へ乗り込んでいく。
私も真似していないと、連中に目をつけられる。
けど、こんな表情、やりなれているというか、妙に嫌な懐かしさを感じる。
嫌だったということは、忘れたいんだろう。
(何考えてるんだろ。私に昔はない。もともとここに生まれて。リスとして生きて。スーパーの店員じゃないか)
そう、自分に言い聞かせる。
この世界で禁止されていることはたくさんある。
なにか行動を起こす前に、自分の体に埋め込まれた首輪のボタンを押して、その行為について話す。
例えば、そう。
(……この列車を途中下車したい)
なんて思考しただけで。
(……列車の途中下車は禁止されています。破れば3日間の絶食の罰則となります)
と、私だけに丁寧に答えてくれる。
この世界で優しいのは、禁止行為を事前に確認できることだ。
この首輪をつけている限り。
けど逆に、この首輪に監視されているわけだけど。
ただ、悪いことをしなければ、何も咎められないし、仕事を頑張っていれば食事はどんどんおいしくなる。
昨日ついにくさしか食べられなかった私が、夕ごはんが木の実になったのだ。
帰る時、それが楽しみで仕方がなかった。
木の実、どんな味だろ。
列車から降りる。空は相変わらず暗い。何も見えない。
(……空に届くためにジャンプしたらどうなる)
(Z軸の移動は法律で禁止されています。破ればその場で処刑です)
急に刑罰が厳しくなる。
そう、この世界は横と縦にしか進めない。ようは上に飛べないのだ。
誰も、この世界でジャンプをしたことがない。
居住区へたどり着く。明日の朝7時になるまで、扉は施錠される。
体をナノマシンできれいにし、牢の壁面についたボタンを押す。
2度押しは厳禁だ。昼は職場の支給食品。朝と夕、この空間では1日2回しか押せない。
「おお~」
木の実。生まれて始めてみた。草よりも輝いて見える。
「いただきます」
むしゃむしゃと食べる。草と違って美味しい。味がある。
くさも味はあったけど、噛みごたえがある。これが木の実なんだ。
「口の中ぱさぱさする」
水が飲みたくなる。水のボタンを押す。
水も、非常時ではない限り、1日の摂取量が定められている。
「きょうもご飯が美味しい」
と、つぶやいただけなのに。
なんだか、無性に悲しくなって。
突如、涙がこぼれ落ちた。
「やば、止めないと」
(……感情の変化を確認。更生プログラムを起動します)
この世界は、感情の起伏をすることができない。
怒れば首輪から電気ショックが流れ、泣けばこのように強制的な更生プログラムの映像を1時間見せられる。何を見たのかは全く覚えていないけど。
やっぱり、この世界は、おかしい。
泣きたいときほど、涙を出せないなんて。
怒りたいときに、怒れないなんて。
次第に、私の表情は無表情になる。
ああ、今日も正常に戻った。
異常だ。
やはり、おかしい。
そもそも、私は、本当にリスだったのか。
リスのくせに、自分の体についているしっぽに驚くし、毛の量にも大変だし。
ずっと生きてきたはずなのに、私の体は私自身ではない気がする。
そんな違和感を抱いていた。
けれど、この世界では、そんな疑問を思うことすら、時間を与えてくれない。
もう、時間だ。
寝るしかない。
深夜。
本当は起きてはいけない時間帯。
私は、自然と目が冷めた。
いや、隣の部屋がうるさい。通常なら処刑されてもおかしくないくらい。騒音がする。
ツンツン。
ツンツンツン。
たぶん、この世界に嫌気が指して脱獄しようとしているんだろう。
なんて無駄なこと。
そんなことしても、自分の命が危ないだけなのに。
ほらみなさい、貴方の首輪から電気ショックが流れて。
「ぐあああああああああああああああああああああああああああああああああ」
叫び声とともに、隣の部屋の声はしなくなった。
なにもしないほうがこの世界では長く生きられる。
多分となりの子、ペンギンだったかな。
近いうちに、処罰されるだろう。
あくる日も、
あくる日も。
何度もペンギンの男の子の叫び声は鳴り止まない。
この子、諦めないのか。
そう思った私は、ついに声をかけてしまった。
「なんでそんなことしてるの」
「……」
ペンギンは返答しない。
(おい、なんでしゃべった。)
と、思ったら、急に頭の中で声がした。
(な、なに。私の頭の中に直接)
(ローカルネットだよ。この距離ならつながる)
(意味分かんないし)
(なんでそんなことしてるかって?決まってるだろ。この世界から抜け出したいからだ)
(貴方、そんなことしたら死ぬわよ)
(死ぬ? 洗脳されてるだけだろ。死にはしない。現に俺は生きている。)
(記憶とか消されなかったの?)
(あのキモい映像か。俺は介入者だから)
(意味分かんないし)
(けどこれ以上通信すると連中にバレる。じゃあな)
(ちょ、ちょっと!?)
久しぶりに、誰かと話した気がする。
いや、それ以前に、久しぶりってどういうことだろうか。
話すことを禁止された世界で、久しぶりって、まるで私が……。