第七話 冒険者ギルド
冒険者ギルド、と呼称される建物にドラガセスが行き着くまでの帝都は多種多様なものに溢れている。
多様な服飾、多種の人間。何よりも賑わいを呈する大通りの建物は、先程よりも色彩が豊かで、建築自体に大差はないが、違いを表現しようと見せ木の配置や窓枠が大変に凝っている。そのほとんどの一階が商店となっており、奥には食料品や武具、衣類や書物など生活必需品から嗜好品まで幅広く取り揃えられている。偶に建物同士を区切る通りの脇には細い路地が伸びており、新左衛門とイジシカ達の拠点を思わせるような住居が奥に立ち並んでいる。
そんな中でもドラガセスの目を最も惹いたのは大通りの突き当り、彼の眼前に立ち塞がる城壁だった。
積み上げられた石壁、高さは5メートル程度、しかしその曲線は手前側ではなく向こう側に向けて湾曲している、彼が察するにそれは帝都内に擁する宮殿への囲い。そのレモン色の壁には何列もの浮き彫り細工が施されている、それは神話か歴史といった国家の造成に関わる物を窺わせる。そんな宮殿の壁の周囲には通りよりも大きな石が敷かれ、道路を挟んだ向かいには造りを凝らした豪勢な建造物が聳え立つ。
目的地、冒険者ギルドはそれら建造物の一つ、ドワーフの語ったように大通りから城壁の手前を左だった。
(ここか)
その建物は石造、巨大な鉄扉を有するレモン色の壁に覆い被さるように赤褐色の切妻屋根が敷かれ、こちら側へと色を曝している。組織の証明として、扉の左右に交差する剣と盾を模した紋章が嵌められている。
日が高いので当然ではあるが、既に人々は扉を出で入り、その中にはやはり武装した者も多数存在する。
(しかし、何をすれば私は冒険者になれるのだ? ……受付に聞くしかないな)
ドラガセスは答えを探しに敷地へと足を踏み入れ、開かれている鉄扉の間を通り抜ける。
(何だここは)
そこでは響き渡る喧騒が耳を覆い、時刻に反しどこか薄暗く、何故か酒の匂いが漂っている。正面奥には受付と考えられる仕切りが存在する、その奥に腰掛ける受付嬢達は皆美目麗しく、彼女らを口説く男達の存在は世の道理なのかも知れない。左手奥では長弓を携えた男女が的に対して弓を射ており、極稀に観客から歓声や罵倒が上がる。右手奥に備え付けられた板には大量の紙が鋲で止められ、真剣な眼差しで人々が凝視している。そして建物内中に長机と長椅子が据え置かれ、そこに坐する者たちがジョッキを片手に、時に口論で時に笑いで大声を響かせている。
(……酒場と間違ったのか?)
一度外に出て紋章を再確認する、その紋章は冒険者ギルドに間違いない。予想よりも下卑た空間に嘆息しつつ、目的の為にも奥へと足を運んだ。
「聞いたかよ、聖国に現れた狼の軍団が倒されたらしいぜ」
「マジか! 誰がやったんだ?」
「それが篝火花の聖女と火煙の勇者らしいぞ」
「うひょーそりゃすげーわ」
「ま、帝国を脅かす魔王はこの破壊者ウィルバー様が倒してやんぜ!」
「ハハハ、その時は俺たちも英雄の仲間入りだな」
「いや、どうせ帝国騎士団かどっか名うてのクランがやるだろ」
「ま、そうだよなー」
「お前ら夢がねぇな~」
冒険者たちの世間話をドラガセスは耳にする、しかし時折発せられる固有名詞が理解を蝕む。更に内容を熟考する暇が与えられる程、扉と受付の距離は遠くない。
「すまぬ、入用であったか?」
ドラガセスはカウンターの向こう、併設された台の書類に精神を入れ込む犬耳の女性へと声を掛けた。
「いえ、構いませんよ。何かお困りでしょうか」
「冒険者、という職に就きたく此処に来た。我は如何な事を成せばよいのだ?」
「それでしたら冒険者登録の手続きをして頂くこととなります。失礼ですが、文字の読み書きは?」
「無論」
「あ、ならこちらの用紙にご記入お願いします」
カウンターの上に一枚の紙が置かれ、その横に羽根ペンが優しく添えられる。
ドラガセスはペンを右手に意気揚々と文字を刻もうとしたが、思考が一瞬停止する。何故なら紙に書かれていた文字はギリシャ語でもラテン語でも無く、彼が見聞した事すら無い文字であった。
(おかしい。言葉は通じるのに、文字は理解できない……ッ)
下手に言葉が通じた為に、彼は文字も通じるのが当然と高を括っていた。それどころか通じない可能性は頭の隅にさえ無かった。
しかし無知であることよりも、さも当然かのように豪語した物事が間違いであった場合の方が羞恥はより強固なものとなる。故にドラガセスが今すぐこの場から雲隠れしたくなるのも当然であった。
(くそ、何が無論だ……。やっちまったぁ……)
下を俯いたままその身体は動かない、小刻みに震える右手を除いて。
「あ、あの……どうかなさいましたか?」
受付は不自然に思い声を掛けるが、ドラガセスの頭は未だに葛藤に苛まれていた。しかし背は腹に代えられず、冒険者になる為には自身の失態を認める以外に道は無い。
「……ッ! も、申し訳ないっ! 代筆を希望するっ……」
「あっ、はい、承りました」
犬耳の受付は始めこそ固くなるが、心情を汲み取ってか普段通りに振る舞う。
「お名前は?」
「ど、ドラガセスだ」
渡した紙とペンを手元に質問する受付に対し、彼は目を合わせることすら出来ない。
「ドラガセス……名字でしょうか?」
「あぁ、だがドラガセスだけで構わない」
受付は情報を基に言葉を文字に起こしていく。本来なら不得手では無いはずの作業を他人に頼りきることには強い抵抗があるはずだが、今は彼女の小さな手に委ねるより他無い。
「種族は……まぁ人間ですよね」
「……おそらくな」
エルフや獣人、ドワーフを見た後だ、自身の種さえ定かでは無い。ドラガセスは曖昧な返答を返すが、受付嬢には流石に予想外の答えだったようだ。
「……え? あ、まぁ、人間って書いておきますねっ」
受付の表情が一瞬我を忘れたような呆けた顔になる、が普段そのような素振りを見せないのか、物恥じ、顔が用紙と水平になる。その姿に心なしかドラガセスの羞恥心は和らいだ。
「……その、魔術は使えますか?」
「無理である」
「特筆すべき特徴は何か御座いますか?」
「特徴……?」
「弓を使える、馬に乗れる、といった他の方よりも優れている技術の事です。登録して頂く事で、技能に応じた依頼が斡旋される事もありますよ」
「それであれば投槍と乗馬、弓……といった所だな」
「はい……少々お待ちください」
犬耳の受付は記入を終えたのか椅子から腰を上げ、そのまま奥の扉へとその身を移す。
(随分と記入事項は少ないんだな。これなら冒険者になるのは苦労しないな)
奥の扉が再び開かれた際、受付が手にしていたのは小さな一枚の羊皮紙。その大きさとしては手の平程であろうか、用途についてはドラガセスにも概ね見当がつく。
「こちらが証明書となります」
「斯様な物だけでよいのか?」
「まぁ、その、登録して頂いただけですと、あまり信用が高くはないので……」
受付は愛想笑いを浮かべ、少しばつが悪そうに言葉を濁す。ならば、と出来る限り気を使わせないようにドラガセスは言葉を紡いだ。
「正論だ。察するに実績を残せば認められるのであろう?」
「はい、等級が上がれば布帛という形で証明が発行されます」
「等級、とは?」
「冒険者へ与えられる位階のことです。下から紙、鉛、鉄、銅、銀、金、の順に位階が上がっていきます」
「ふむ、では早速任務をこなし鉛とやらに昇格したいところである」
「依頼でしたらあちらのクエストボードに掲載しておりますよ、受付で内容を仰って頂ければこちらで手続きはさせて頂きますので」
「子細にわたって教授させ、すまぬな」
「いえ、それと……初めての依頼でしたら他の冒険者の方とこなされた方が宜しいかと……」
「……善処する」
(私も出来れば誰かと共にこなしたいがな)
去り際、受付の耳と口元が僅かに下がったが、ドラガセスに届く事は無かった。