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第三話 二人目

 良い森じゃ。

 とその男は心から思う。

 薄茶の幹は淡い緑の苔が霧を吹きかけられたように繁茂し、地から顔を出す雑草は枯れ葉の帽子を被り木漏れ日を遮る。前に繰り出す男の足裏では土と小石が毎回異なる楽しみを恵んでくれ、風によってその髪が梳かれる。木々の優しげで蕩ける様な甘い香りをつんとした土の香りが引き立てる、風によってささめく葉の音と種々様々な野鳥の囀りの諧調はまるで雅楽のようだ。


(真に良き森じゃな。わしの心を洗い流してくれるわ)


 しかし自然の耽美さを味わう男は、調律を乱すかのような漆黒の具足姿。斯様に不釣り合いな者が何故この森にいるのか。


「あ、あのう……シンザエモンさん、何考えてたんですか?」


 男は右手側から細い女の声を掛けられる、シンザエモンと言う名で。その声の主が誰なのかを新左衛門は分かっている、彼の仲間だ。

 新左衛門が目線を落とす先、神殿の祭服に身を包んだ身の丈は彼の腰程度、亜麻色の髪の前は切りそろえられ、肩先まで伸びる髪は内側に巻いている。かんばせは幼く、更に背丈を合わせて子供にしか見えないだろう。

 しかし、それがプーミリアいう種族の特徴でもある。

 そしてそんな彼女の質問に答えるために新左衛門は口を開く。


「なん、と言われてもな……わしん心の洗濯ってとこじゃな」

「わ、わしん?」


 少女は首を傾げるが、その疑問を前を歩く男が解決してくれた。


「イジシカちゃん、そやつは、私の、っていっとるんじゃよ」


 その男の背丈は成人男性の胸程度、しかし胴は頑健、腹回りだけで大人二人分はありそうだ。茶褐色の髭が編まれ、頭にはターバン、種族としての名はドワーフ。

 体には小さな金属板を重ね合わせたラメラーアーマーを胴と肩につけ、首から盾を下げている。右手で槍を保持し、両腰に下げた双剣の装飾はかなり煌びやかだ。


「あ、そうなんですかマフムードさん。すいません、教えて頂いて」

「気にするな。シンザエモンの訛りが酷いだけじゃ」


 その二人の会話に注釈を挟むように背後から凛とした声が響く。


「そうだぞイジシカ、マフムード如きに気を使う必要はないぞ」


 そう言う背後の男の顔はとても端正である。百人がみれば百人が美しいと感じる、もはや美しさの観念に近い、それがエルフ。陶器のような肌のその白さや、金糸雀のように透き通る金色の長髪が彼の美しさを更に際立たせている。

 装備は身軽で、緑を基調とした服に、おそらく皮で出来ているであろう手袋やブーツで身を守っているに過ぎない。その手には弓、背には矢筒を抱え何を得手とするかは一目瞭然である。


「なんだとう! エーベルハルト、お前さんもイジシカちゃんのように優しくなれんのか!」

「私は誰にでも優しいさ、唯一、君を除けばね」

「この減らず口が! わしだってお前さん以外には優しいわい」

「まぁまぁ、二人とも落ち着いてくださいよ……」


 マフムードとエーベルハルトが口論を行いイジシカが宥める、新左衛門にとっては既にごまんと見てきた光景だ。故に彼の心を別段揺り動かすわけでは無い。


(森もたまには騒がしいぐらいがいいじゃろ。しかし、やけに今日のシャリファ殿は真面目じゃな)


 前方、4人から少し離れたところで気を張っている獣人の女性。まるで猫のように生えた耳と尾、作り物ではなく、今まさにそれらを動かし周囲を警戒している。

 短く切られた赤毛に、所々露出した軽装、短弓や短い刀剣は彼女が斥候職であることを伝えるには十分だ。


(まぁ組頭もろーじー殿もおらんし、気張っちょるだけか)


 そんな新左衛門の心配も尻目に横で行われている漫談が熱くなる。


「そんなに優しいなら魔物に一人で突っ込んでくれればいいのに」

「優しさを履き違えとるわい!」

「ふ、二人とも優しいですよ」


 気が付くと新左衛門は森の自然よりも仲間のことばかり考えていた、が―――

「待って皆、この先から声が聞こえる」

 その口が自然と綻ぶのも束の間、斥候をしていたシャリファから声が上がる。それに伴い先程までの喧騒が嘘のように全員の目つきが真剣なものへと切り替わり、身体が強張る。


「そんことは本当か?」


 新左衛門の耳に違和感は感じない、しかしそれは人間であるからに過ぎない。それ故に彼は目を細め、口をきつく結び、可能性を問いかけた。

 されどシャリファの言葉への信用の表れか、足は自然に進まず、全員が互いに互いを向き直る。


「確実、数は分からないけどこのまま前方やや左」


 そう語るたびにシャリファの耳は微細に振るわれる。


「例ん兵士じゃとすればここで仕留めちょきたいな」

「奴らは森を熟知している可能性がある、ならば感づかれる前に先手をうつべきだ。私とシャリファが先行しよう、3人は頑張って追いついてくれ」


 エーベルハルトが即座に案を出した、しかし確実な選択を選び取る為にも周りから疑問が湧き出る。


「5人で向かわないの?」

「何も起こらないうちに敵を把握しておきたい」

「敵に逃げられはせんか?」

「こちらが二人で弓使いなら近づいて殺そうとするだろう」

「あ、あの、それってお二人が危なくないですか?」

「いや私たちは近づかれれば後退しよう、その後3人が着き次第援護に回る」

「敵の数が少なくて追いかけずに逃げようとしたらどうするんじゃ?」

「そういった時こそ私たち二人だけのほうが追い易い」


 ……一瞬の沈黙、誰からも反論は出ない。間を置きエーベルハルトが周りを見渡したのに対し、全員が首肯する。


「よし、なら作戦実行だ。もしも、の際は頼むぞ二人とも」


 エーベルハルトが端正な顔を新左衛門とマフムードに向ける。


「応、わしらん出番の際はイジシカ殿んこと任せるぞ」

「ハハ、お前さんに目にもの見せてやるわい」


 委付と意気込みを受け、エーベルハルトの口角が少し上がる。

 しかし、そのままエーベルハルトはシャリファを伴い森の奥の方へと駆けた。


「よし、わしらも急いで向かうぞ」


 マフムードの声を皮切りに止められていた6脚の堰が放たれる。

 しかし、装備の軽い獣人のシャリファと森で生まれ育ったエルフのエーベルハルト、そんな二人に対して、具足姿の鎧武者と重装備のドワーフ、神殿出のプーミリアがそこまで速く走れるわけはない。

 故に走るたび重く息が吐き出され、新左衛門は先程まで感激していた少しの窪みや立ち並ぶ木々を鬱陶しく感じていた。そう感じるだけならまだしも森というものは想像以上に持久力を奪う、新左衛門の横を走るマフムードと後ろのイジシカは既に辛そうだ。


(わしはともかく、こん二人は森に慣れて無いからな)


 金具と金具が高い音を上げるが、二人の意識には吐息しか入って来ない。


「ふぉっ、だいぶ、ふっ、はしらされる、わいっ」


 そう呟くマフムードの息は切れ切れだ。


(喋らなければいいんじゃ……)


 新左衛門は危うく思考が口へと回りそうになる、しかしその言葉を発せばマフムードの次の言葉は呟きでは無くなり、その次が囁きになってしまうだろう。

 そんなことを考えている内に、こちらに向かって来るシャリファとエーベルハルトの姿が木々の隙間から目に入る。


「イジシカさん! あと一人、左! そっちに怪我人!」


 指を指すシャリファの言葉を聞き、マフムードが返答する。


「ふっ、わしが、いくっ」

「あっ、はいっ、はっ、わかりました」


 2人は左側へと進路を変えた。


「イジシカんこと、任せた」


 別れ際、新左衛門は手を挙げてそう声を出すが、返ってきたのはマフムードの親指とイジシカの会釈だけだった。

 おそらくそれ程疲れているのだろう、と新左衛門が思案する間にも弓を引く2人は彼の近くまで迫ってきていた。


「雑魚は仕留めた! シンザエモン、頼むぞ」


 そう言いつつも振り向きざまにエーベルハルトは矢を放つ、もう彼我は交代の距離だ。


(さて、気合い入れてくか。……南無八幡大菩薩!)


 新左衛門は心の中で祈り、気分を高め―――


「うおおおぉぉ!!!」


 大声を上げつつ腰に差した刀を抜いた。

 新左衛門の双眸は目標は既に捉えている、こちらに走ってくる翡翠色をした怪力無双の化け物、オーガ。

 その身体には二人が放ったであろう矢が何十本も打ち立てられている。

 しかし7尺近い身の丈にその隆々たる肉体、いくら手傷を負っているとはいえ、これに正面から挑むのためには技術や体格だけでなく、勇気も必要とするだろう。されども、新左衛門は全く恐れを抱かない、むしろ心が奮い立つ。

 地を削るたびに彼の瞳に映る敵の身体が大きくなっていく、仲間は既に後方だ。


「UGAAAA!!!」


 森を揺さぶるほどの声、化け物が咆哮し、両手で持った巨大な棍棒を、頭上に持ち上げた。それでも新左衛門の足は止まらない。


(いいじゃろう。当てれるもんなら、当ててみな!)


 後一歩、左足を出せば間合いの内。常人なら躊躇うだろうその一歩を、惜しげなく、踏み込む。

 当然、全力の一撃が新左衛門へと降り掛かる。

 棍棒が大気を掻き分け、その速度は凄まじい。いくら鎧を着込もうともその衝撃に人の身では耐えられないだろう。


「うおぉぉぉ!!」


 しかしオーガの振り下ろしに対し、飛び退くのでも受け止めるのでもなく、新左衛門は右足を前に踏み出した、正確には左前方へと。

 右足を前に出す力で体を引っ張る、成功すれば敵の間近へと入り込めるが、失敗すれば渾身の一撃を何の防御もなしに食らうことになる。

 数瞬、鼓膜を突き破るような轟音と共に棍棒が完全に振り下ろされる――地面へと。


「島津ん太刀に比べればまだまだじゃな」


 両手に力が籠もる、避けた際に刀は上段に構えていた、危険を冒した分全てが整う。そして次の行動の為、後ろに下がった左足の筋肉が強張る。


「覚悟ッ!!」


 新左衛門は左足を前に出しつつ身体を捻り、その勢いを活かし渾身の力で刀を振った。

 化け物の呆気にとられた顔、身体をチーズのように切り分ける刀、噴水かのような血飛沫、芸術家がみれば完璧と思えるかも知れない。


「UAA!! UGA!! UAAA!!」


 化け物が低い悲鳴を上げる、誰にでもわかる、痛みだ。

 オーガの右肩は大きく裂け、その裂け目は鳩尾まで開けれている。湧き出る紫の血、それはオーガを人外と再認識させるに相応しい。


「AAA! AA……」


 オーガの手から棍棒が滑り落ちる。そのまま膝は崩れ、左手で傷口を抑えながらその場にしゃがみ込んだ。


「終いじゃ」


 新左衛門は再び刀を上段へ、いや先程よりも更に高く掲げる。

 オーガから咆哮はもう上がらない、ただすすり泣くような低い呻きが地に向かって放たれるだけだ。

 すっ、と棍棒よりもずっと軽い音が、流れる。それと同時に低い呻きは途絶え、代わりに大きな果実が地に落果したような音が残った。

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