第十八話 依頼
「あまり遠出しない依頼が良いのう」
「あぁ、しかし我にはどれがどれだか分からなくてな」
ドラガセスと新左衛門は冒険者ギルドに備えられた依頼板へと目を凝らす。周囲の冒険者達も同様に、仲間達と論じ合いながら依頼を選び取り、奥の受付へと去って行く。
「ドラガセス殿は文盲なんか? かなりん知恵者じゃと思うが」
「恥ずかしながら、この国の字は読めぬな」
「他の国の文字は分かるんか?」
「ギリシャ語とラテン語なら」
示された二つの言語の存在を耳に、新左衛門は数瞬目を泳がせ思索する。しかしそれらが耳慣れないものであるのを理解し、言葉を紡ぐ。
「……すまぬが、知らんな」
「気にしないでくれ。……そういえばこの文字は何と呼ばれるのだ?」
「これは大陸東方文字じゃな。大陸東方語を使う国は総て……いや、粗方がこの文字じゃな」
「そうか」
(なら、まずはこの文字を覚えないとな)
「ドラガセス殿、これなんてどうじゃ」
話の区切りを見極めたのか、単純に好ましい依頼を見出したのか、新左衛門は依頼書の一つを指差す。その用紙に文字の他で描かれているのは、人間の絵と盾の絵。
「……要人の警護か?」
「そうじゃ。商会同士の取引で重要人を護衛する、ようじゃな。一人頭銅貨六枚、報酬も悪くない」
新左衛門は文字を、内容そのままに読み上げる。
「我等に打って付けだな」
筋骨隆々なオーガと真正面から渡り合う新左衛門に、動きを伴うゴブリンという的を正確に貫くドラガセス。それのみで判断しても、二人の武人としての実力は相当だ。
更に二人共背丈は並みより高く、その鍛えられた肉体と相まって、用心棒としての見た目も申し分無い。
「決まりじゃの! では受付に行くか。っと、すまんの」
新左衛門はちらと依頼を再確認し、左手の会釈で人混みを掻き分け、ドラガセスはその背後に張り付き、二人は受付へと向かう。
しかし、人の波を分け出た矢先に新左衛門は歩みを止め、驚きを漏らす。
「おっ、マフムード殿」
意表を突かれた新左衛門の目線は低く、予期せぬ出会いなのか声音は調子外れだ。
「おぉ、ここにおったかシンザエモン! 探したぞ」
新左衛門の眼前に立つ男はドワーフ。新左衛門の胸程度の背丈を、これでもかと言わんばかりの重厚な装備で身に纏い、頭には黄土色のターバン、更に茶褐色の髭を編み込んでおり、一目見ただけで忘れられないような濃い様相をしている。
「どうかしたんか?」
「魔王軍の砦を見つけたのじゃ」
「そうか。これで帝国軍が重い腰を上げるな」
「あぁ、それでお前さんが討伐に加わるかどうかを尋ねに来たんじゃが……そいつは、この前の奴か」
そう言い、マフムードは重厚な指をドラガセスへ向ける。
「この前の奴……?」
ドラガセスはその言葉が自身を指しているものだと悟り、帝都ジンクントンに来てからの記憶を漁るが、斯様な特徴を有したドワーフへの心覚えが見つからない。
(私が面識のあるドワーフなど道を尋ねた際の者、ただ一人だぞ)
「ドラガセス殿を助けた折に共にいた同じぱーてぃーの仲間じゃ。寝ておったから顔は分かるまい」
「そういうことか。その節は大変に感謝している」
ドラガセスは心からの感謝を言の葉に乗せ、腰を折り頭を下げる。
「いやいいんじゃ、気にするな」
マフムードは気取り、一見涼しい顔をしているが、ドラガセスから顔を逸らしたのは、率直な謝辞に気恥ずかしさを感じたからだろう。
「それで……わしが帝国軍と共に征伐に行くかどうか、という話じゃったな」
「そうじゃ。で、どうするんじゃ?」
「わしは行かぬ」
新左衛門はきっぱりと答える。
「ドラガセス殿とん約定が先じゃし、イジシカ殿も少々心配じゃからな」
(先程の仲間が傷を負った、というのはイジシカの事か)
「わかったわい。ウェインの奴には来ないと伝えておく」
「すまぬな」
「気にするなどうせあいつには会うんじゃ」
マフムードは新左衛門の上腕を軽く叩き、そのまま二人に背を向けた。
「伝えたかった事はそれだけじゃ、わしは土地税の納入があるからこの辺りで帰る、それじゃあな」
そしてその言葉を境に、彼の大きな背は彼等から遠ざかっていく。
「さらばだ、マフムード殿。ではドラガセス殿、依頼を受けようか」
「あぁ、そうしよう。……にしても我は未だ払っておらぬが、税は良いのか?」
人頭税や土地税、この世には種々様々な税が存在する。しかしそれは国家の運営において必要不可欠な物であり、免除という事はほぼ有り得ない。教会等に戸籍が無いとはいえ、人頭税程度は払わなけばならないはずだ。
「わしもよく分からんが、土地や建物を有しておらねば直に取られる事は無い、代わりに報酬が天引きされとるらしいしな」
「そうか、それは良かった」
シンザエモンの説明に溜飲が下がり、安心して受付へと爪先が向けられた。
そしてそんな彼等の視線の先、冒険者ギルド奥の受付では相も変わらず見目麗しき受付嬢達を口説く男が絶えず、依頼者よりも多いその現状は邪魔に他ならない。彼等の口説き文句より受付嬢達のいなし方がより洗練されているのはそのくどさを物語っているのか。
「……を倒したんだぜ、すごいだろ」
「はい、そうですね。では更に活躍を積めば布帛の色がその実績に付いてくると思いますよ」
双剣を下げた冒険者の自慢を、凛々しいエルフの受付は笑顔で受け答える。しかし、表情には出さないがその笑みの裏に鬱陶しさを隠匿しているであろう事は容易に見て取れる。
「そんな~。これからも頑張るけどさ、ほら、俺は将来有望株だろ。少しくらい、ご飯とか行っても損は無い……」
「すまぬが、今良いか?」
「ん? あぁ……あっ! え!? シンザエモンさん!? どうぞ、どうぞ」
新左衛門の介入に、高まる思いの丈をぶつけていた男性も冷え切り、何度も頭を下げその場を後にする。敬称や彼の扱い、それは新左衛門の名声や地位が為せる業だった。
「シンザエモンさんっ。え、えっと何か御用ですか?」
突然の登場に凛々しかった受付のエルフが狼狽える。
(シンザエモンは少々難儀な所はあるが、東方風の顔は整っているし、おそらく冒険者としての実績も申し分無いのだろう。これは……間違いなく、好かれているな)
「依頼を受けに来たのじゃ。明日、二十七日の三十九番を頼む」
「あっ、はいっ。わかりました、少し待ってくださいね」
エルフの受付嬢は慌てつつも、受付の奥にある扉へと向かう。
そして時間を待たずして戻って来た受付嬢は、普段の冷静さを取り戻し、仕事以上の笑顔を露わにしていた。
「こちらの依頼、他の冒険者の方達が二組程受けていらっしゃいますが、宜しいでしょうか?」
「わしは気にせぬが……」
新左衛門はドラガセスの方へと顔を向ける。
「右に同じく」
「はい、分かりました。等級も問題ありませんので、無事受託という事になります。明日の正午までに第二区画のクック商会前に集合してください」
「おう、わかった。ではな」
「はいっ。また、是非」
新左衛門は微笑を残し踵を返す。ドラガセスも受付へと軽い会釈をし、背を向けた。
普通なら新左衛門と受付のエルフとのやり取りは甘い恋模様の一端なのかも知れないが、場所が場所だ。身体に纏わりつく酒気が濁った香りを鼻に無理矢理襲い掛からせており、仄暗いとはいえ冒険者達の喧騒の内では雰囲気も何もあったものでは無い。
故に新左衛門は先程のエルフを気にも掛けていなかった。
「ドラガセス殿、昼餉はもう頂いたか?」
新左衛門はゆったりと歩きつつも顔をドラガセスに向ける。
「まだだな」
頃合いは昼過ぎ。夕餉には早いが、昼餉には遅い。しかしドラガセスには何時が最後で、何を食べたかの記憶は判然としない。されども空虚感を覚える胃が、食物の搬入を訴えていた。
「丁度良い。ならば、食べに行くか」
「銭の持ち合わせは無い。すまぬが我は……」
そもそも飲み逃げた要因は彼の財布の中身だろう。
「わしが払う、気にするな」
「我は既に貴殿より幾何か頂いている、これ以上は非常に申し訳無い」
「そんな事を言っても、金子は無いんじゃろ」
「うっ」
「借りは返せばよいのじゃ。甘んじなければならん時は甘んじておけ」
「……分かった」
巨大な鉄扉を抜け、門前の石畳を踏み締める。
それによって漂う酒の匂いは薄れ、陽が燦々と二人を照り付ける中、ドラガセスは彼にとっての太陽を見出していた。
◇◇◇
「ここで、良いか?」
新左衛門の足はとある一つの飲食店の目の前で止まった。
建築自体は周囲と変わらず、ベージュ色の漆喰に見せ木が走り、直線的で簡素な模様を表現しているが、その壁には橙や淡緑の薄布が垂らされ、店主の文化的な差異を示している。
「まぁ良いのだが……この匂いは何なのだ?」
鼻に付く強烈な香りにドラガセスは顔を顰める。
濃い泥臭さを無理に甘く爽やかにしようとし失敗した、そんな香り。それはドラガセスにとっては未知の匂いだった。
「香辛料を混ぜ合わせた香りじゃ。わしも初めはきつかったが、慣れればこん匂いだけで涎が出そうじゃ」
「……信じるぞ」
「おう、任せい」
一応の了承を得た新左衛門は扉を開き、敷居を跨ぐ。
扉の向こう、店の内部構造自体は通常通りだが内装は大変に凝られ、斑模様のカーテンや飾られた金色の彫像が木と漆喰のみで作られたはずの空間を豪華な物にしている。
「イラッシャイ」
机を拭く店員が二人の入店に気が付く。その店員の肌は色黒く、薄らと髭が生やしている。獣の耳や尾は無く人間ではあるが、この帝都においては明らかに異人だ。
「オ、シンザエモン、ヨクキタネ。アッチ、アイテル」
店員は開いた席を指差す。二人はそれに倣い指定された席へと腰掛けた。店員の右手の甲に黄色い印が刻まれているのがドラガセスには見えたが、彼はそれについて触れはしなかった。
「イシャン殿、かりーを二つ。わしには米と匙も頼む」
新左衛門は腰の袋から鉄貨の何枚かを机に置き、注文する。
「イチ、二……ワカッタネ、チョットマッテテ」
イシャンと呼ばれた店員は鉄貨を数えながら拾い上げ、爽やかな笑みと共に厨房へと向かった。
「あの店員は知人なのか?」
「わしがよく来るから仲良くなったんじゃ。あとイシャン殿は店長じゃぞ、店員はイシャン殿んおかみさんしかおらんが」
「あ、そうなのか。若々しいから店員かと思ってしまったな」
イシャン本人は傍目に見て、大変若々しい。髭を生やしているのは、既に妻帯しているにも関わらず若輩に見られる事への意趣返しだろう。
「そういえば、明日ん集合場所はわかっちょるか?」
「クック商会の館らしいが……実直に言って分からぬな」
「ならば第二区画ん宮殿前で集合しようか。刻は昼前で良いか?」
「あぁ構わぬ。此方としても有難い限りだ」
(にしても……取引の警護、か。重要な案件だからこそ護衛を雇うのだろうが、果たして冒険者のような信用の無い者に任せるか? もしくは、何か裏があるのだろうか?)
ドラガセスは髭を擦り軽く思案に耽る、が長くは続かず、一層濃い香りとイシャンの声によって頭を醒まされた。
「カリーフタツトコメネ。ゴユックリ」
「はー、旨そうじゃな!」
「あ、あぁ……」
(何とも言い難い見た目だな)
イシャンよって運ばれた料理は、薄く焼かれたパン生地のような物と独特の香りを放つドロッとしたスープ。その内、パン生地のような物は気にはならなかったが、スープの方はドラガセスに未知への恐怖を与えていた。
粘り気のある薄茶のスープは表面に赤い斑点を浮かび上がらせ、見受けられる具材には野菜や鶏肉が使われている。
「……ん、もぐもぐ。……もぐ」
躊躇するドラガセスを尻目に、新左衛門は匙を握り込み、米をスープに絡ませつつ口に運ぶ。
(美味しそうに食べているな。……私も食べてみるか)
ドラガセスは見よう見まねに薄いパンを手に取り、スープへと浸す。
そして恐る恐る口へと運んだ。
「ん……辛っ!! ちょ……ッ! 水っ!!」
舌を燻されたかのような痛みは口内に染み渡り、ドラガセスは顔を赤く染める。味覚よりも痛覚が先行し、緩和を要する故に多量に水を流し込んだ。
「ははは、辛いんは苦手か」
「ま、まぁな。……しかし、この色合いだからもう少し落ち着いた味と思ったのだ。それが、ここまで辛いとは」
その後一旦休憩を挟み、ドラガセスは再度カリーに手を付けた。当初は舌が頻りに脳へと警告を発していたが、辛さには慣れが訪れたのか、次第に深い味わいを楽しめるようになっていった。
刺激の強さの裏には玉葱や香辛料のじっくりとした甘さが隠れ、煮込まれる事によって濃く深い味わいが浸み込んだ具や汁は、薄いパンのしっとりとした食感によって食べやすくなっている。
鼻から突き抜けるような独特の辛みがきつくはあったが、味はドラガセスを満足し得る物であり、食後の彼の笑みは至極当然な物だった。
「美味かった、満足だ」
「あぁ、わしもじゃ」
「アリガト、マタキテネ」
扉を開き、外に出れば涼やかな空気が二人を包む。辛い物を食べ芯から温まった身体には、非常に心地よい。
「わしは日が落ちる前に帰る事にする、ではまた明日なドラガセス殿」
「あぁ今日は何から何まで世話になったな」
「気にするな。それと、今晩の酒は程々にな!」
新左衛門は愛嬌のある笑みを最後に浮かべ、その場を後にした。一つ結びにされ、揺れる彼の後ろ髪が人混みに紛れるまで、ドラガセスは茫然とその後姿を眺めていた。
「……私も、帰るか」