第十六話 森の魔王
「首尾、は、どう、だった?」
上座の者は片言に問う。
その肌は翡翠、人間にしては立派だがオーガにしては貧相な背丈に煌びやかな装飾を身に纏い、骨で装飾されし玉座に深々と腰掛けている。手足には小骨を組み合わせたブレスレッドを嵌めてはいるが、左腕には存在しない。それはこのオーガの左腕が肩より先に無い故であった。
「昨日は七組を襲いましたが、成功したのは六組だけです」
答える者は何故か人間。薄暗さの中、顔までは判然としない。しかし玉座を前に膝をつき頭を垂れる姿から、その立場は容易に見て取れる。
「そうか。今日、は?」
「こちらになります。ご査収下さい」
そう言うと、人間は腰から巻物を取り出し、開きつつオークの足元に献上する。そこには幾人かの人物の名、そして名の下には村や都市の名と共に街道名が書き込まれている。
玉座のオーガは足元の紙を睥睨し、人間に再度問う。
「……。準備、は、出来てる、か?」
「はい、滞りなく進行しております。本日、四の月二十六日にこの砦を帝国に伝える手筈です。既に帝国の戦争準備は大部分整っておりますので、おそらく二十九日には帝都を出陣してくるかと」
「数、は?」
「兵卒が二万、騎士が千、それに追従する冒険者、といった所です」
「その後、の、帝都、は?」
「兵卒三千程度に残った冒険者だけでしょう」
「わかった。下がれ」
「はっ」
人間は顔を下げたまま踵を返し、玉座から遠ざかっていく。
そして彼に入れ替わる形で、
「UGA。UGAU、UGA、UU」
四匹のゴブリンが玉座の前へ進み出る。二匹はその手に粗製の槍を把持し、一匹は輝かしい銀の皿を、そして最後の一匹は手に縄を持っている。
「っはひ! た、たす、助けて、助けてください!」
縄の先には人間の女性が繋がれ、眼に涙を浮かべ喚く。その白い頬は土で彩られ、清廉であるはずの純白の祭服は所々無理に引き裂かれている。端正さを覗かせるその顔立ちも、悲痛に彩られては凄惨さが際立つだけだ。
「お、お願い! お願いします! こ、こと、ころ、殺さないで!」
「HAHAHA!!!」
恐怖に支配された表情に嗜虐心をくすぐられたのか、玉座のオーガは大口を開けて哄笑する。心底楽しそうなその笑顔に神官の女性は恐怖を感じざるを得ない。
「……っ! あっ! お、おねがっ、いします!」
神官は膝をつき、喉から声を捻り出し嘆願する。しかし身体の震え故に上手く言葉が紡げない。
彼女の喉を這い上がる命乞い、それは武器も力も無い者の最後の望み。温情や同情に身の安全を保障して貰おうとするその行為は、裏を返せば自身ではどうする事も出来ず命の有無さえ相手に委ねなければならない、という事の証明でもある。
一言、たった一言で人の命さえ藻屑の様に儚く散り行く、そんな命の取捨選択権を握ったオーガは返答はせず、唯一の右腕を伸ばした。
「UGA、UGAU」
銀の皿を持つゴブリンは耳障りな発声と共に玉座へと更に歩み寄り、膝立ちに皿を掲げる。
オークはその内より赤黒い肉を摘まみ上げ口へ運ぶ。その肉は鮮血に血濡れ、瑞々しい新鮮さに溢れているが、何肉かは見て取れない。
「……安心、しろ。殺さない」
オークは音を立て咀嚼しつつ嫌らしく黄色い歯をこぼす。
「ほ、ほんと、ほんとう、ですか!?」
「本当。お前、で、楽しむ」
ゴブリンやオーク、オーガに雌個体がいない訳では無い。しかし知的生物には純然たる生殖以上の快楽が存在する。
人間の雌がオークにとってどれ程魅力的なのかは計り知れない。和蕃公主のように蛮族が先進地域の女性を欲するようなものか、はたまた単純な色欲からか。どちらにせよオークの口元の弛み具合が、人間の女性に対しての悦楽を顕著に現している。
「いや……! い、いや!」
神官とは言え、楽しむ、というその意味が分からない程無知ではない。だからこそ、これから始まる地獄に身の毛がよだつ。
「HAHAHA! 良い声、で、鳴いてくれ」
「創造神様……っ! どうか、わた、私に救いを」
神官は両手を握り合わせる。
しかしその願いが神に届くことは無いだろう。
祈りで救われる者なら、そもそもここにはいないはずだ。