第十四話 ガスパールの馬車
ガスパールは馬車の床に座り込んだまま、両手の平に置いた一枚の薄布へと意識を専心する。彼の瞼は閉じ切り、額には脂汗が滲んでいる、それ程気を遣っているのだ。徐々にその胸前の布は中央に淡い白光を帯び、その内に何かを形作ってゆく。
彼の瞳が開かれる頃には光は既に無く、ガスパールが精製していた物だけが布上に残った。
黒色に灰色の混ざる粉末、それが彼の作っていた物であった。
「綺麗な光の割には汚いですね、それ」
パオラはボネミンの胡坐の上でガスパールを貶す。
「……確かにな」
苦労して作り出した事さえ唾棄するようなパオラの台詞に、怒気が全くこみ上げなかった訳では無い。しかし美しくないのは事実であり、疲れた精神でパオラの相手をするのは彼にとっても七面倒であった。だからこそ適当な返答を紡ぎ、小刻みに揺れる床、それに細心の注意を払いつつ肩掛け革帯に並び付けられた大量の小さな容器へと粉を流し込む事に集中する。
「でもどんな魔術使ってるんですか?」
暇を持て余しているのか、パオラはガスパールへと素朴な疑問を投げ掛ける。
「人間の信仰対象には此の大地を司る極製神なる神がいると聞き及んでいる。その御力では無かろうか?」
移り行く外の場景を窓から眺望していたボネミンも輪に加わる。
馬車は通常の物とは異なり、全面を木材と金具で構成された明らかな一品物。他の高級馬車とは違い、ボネミンを気遣ってか椅子は据えられておらず空間を広く使用することを可能とする。
安上がりなの馬車のような薄布の天蓋では無く窓が備えられ、ボネミンはそこを通して外を見ていた。
「僕は極製神なんて信じてませんよ」
「それ信じてるのはアコス教徒だけですよボネミンさん」
「……申し訳無い。蜥蜴人故、人間の信仰には疎くてな」
二人の否定にボネミンは自身の浅学非才を恥じる。
「いやいいんですよ。極製神自体は信仰してないですけど、勿論神様は信じていますから」
ガスパールは手を離さず、顔だけを上げて目を見る。
「別にガスパールさんの宗教なんて聞いてないですよ。私はどんな魔術を使ってるか気になってるんですけど」
「あはは、そうだったな。でも俺はこの力は主……神様からの寵愛だと思っているよ」
「アコス教徒でも無いのに神への信仰に篤いって、ほんとなんでなんですかね……」
パオラは呆れ顔になる。彼女にとって理解出来ないもの、想定の範疇を超えたものが目の前にある為無理もない。
「神は絶対の一人だからだよ」
「はいはいわかりましたよ。私達は違うから気にしませんけど、帝国はアコス教徒ばっかりなんですから帝都でそんな事言わないでくださいよ」
「あぁわかってるよ」
軽薄な笑みを加え、再度ガスパールは適当に答える。
そんな駄弁を弄する彼らに、
「一度馬達を休ませてあげたいし、そろそろ休憩にしない?」
開け放たれた貨物車前方の窓を通しパメラの提案が響く。貨物車にいる三人に対して、パメラとあやは御者台に腰掛けていた。
「何時頃着くんだいパメラ」
パメラの声にガスパールは手を止め、優美に振る舞う。
パオラの顔が険しくなり厳しい視線が彼に降るが、ガスパールは一切気を遣らない。
「多分四の月の三十日くらいまでには着くわね。間に合うといいけど」
彼等が出立したのは今日の朝、四の月の二十五日。つまり帝都までは後六日。
「帝国軍が動くという噂かい? 皇帝は今マインブリッジの巡礼中だから流石に動かないんじゃないか」
「……だといいんだけど」
「結果だけが語るものだ、着けば万事が解決する。それより今は身体を憩うべきだ」
ボネミンはパメラの一抹の不安を、栓無いものへと変じる。
「私も賛成でーす。ちょっと疲れましたー」
パオラはボネミンの膝の上で、手を天へと向ける。それは明らかな賛成の意向だ。
「あやちゃんは?」
パメラは御者台で本の頁を捲るあやの肩に右手を置く。
「ん? 私もそう思いますよ」
あやは理解を示していないのか曖昧な返答を飛ばす。その様子にパメラは柔和な笑みを浮かべ、パオラは嫌味な薄ら笑いを浮かべる。
間の抜けた雰囲気の中、手綱を引き五人は一度馬車から降車した。