5 到着
馬車に乗って丸四日、ようやく学園のある王都に到着した。
家の領地からここまで、夜は村や町の宿屋に泊ったものの、それ以外は短い食事休憩や小休止以外、ほぼ馬車の中で座りっぱなしだったのだ。
こんな事はゲームの中ではいちいち語られていなかったから、予想以上のしんどさに少々辟易した。
ああ、降りた途端に地面が揺れているような気がして気持ちが悪い、尻が痛い、二つ以上に割れていたらどうしてくれるんだ、自分の尻がシックスパックになった所で何の萌えにもならないんだぞ。
転移や高速移動なんて高等な魔法、当然使えるワケもなし、御者さんや護衛さん達は私達よりもっと過酷なんだから、文句を言っても始まらないのだけれどね。
メイドのルミナは苦にした様子は微塵も見せず、いつも通りの笑顔のまま
「さぁお嬢様、これから新しい生活が始まりますね、張り切って参りましょう。」
と元気一杯だった。
今の私より年上の筈だけど、その若々しさを分けて欲しい ……前の世界の年齢を考えると実際は私の方が上だろうから間違いでは無いか。
まぁ、数日後にはクラス分けの為の魔法テストが開始されるし、試験の内容や結果が乙女ゲームの内容から予想が付くとはいえ、もうちょっと気を引き締めるか。
(いっその事、手を抜いて試験を受けて上下に分かれた下のクラスに行けば、ゲームと状況が変わって攻略対象との接点が減るかもしれないし、その分余計なフラグが立つ心配も少なくなんないかな?)
との考えも浮かんだのだが、両親がガッカリするだろうし、第一ルミナの目が怖い。
私が意に染まぬ行動を取った時のルミナは何だか凄い迫力がある。
別に声を荒げる訳でもお仕置きするでも無く顔もニコニコしているのだが、話しかけても碌に反応してくれなくなるし、何か得体の知れないドス黒いオーラを放ちながら目だけが笑っていないのだ、あれは大変怖かった。
それに攻略ルートを進めて行かないと、やがては修道院行きの運命が待っている。
しかし大丈夫、ここは現実だ。
攻略対象者達に対して、あくまで非常に仲が良いだけの「お友達」「親友」「心の友」ですませる方法もある筈だ。
どんな状態で私が修道院行きを決意する事になるのかは分からないが、もしも親友が急に俗世を捨てると言い始めたら、懸命に止めてくれるだろうし、思い留まる様に説得もしてくれるだろう。
そこに期待を賭けよう。
名付けて『仲良しエンド大作戦』(我ながらダサい)だ。
全員と仲良くするのはしんどいから、2~3人も居れば十分だろう、これから女の子の友達も沢山作るつもりだし。
王子辺りと仲良くなって、将来的には騎士団なんかに居そうな好みのマッチョを紹介して貰えたら最高なんだけどな。
ゲームとは言ってもここはリセットできない現実だ、慎重に行こう。
元の世界の妹がお気に入りだったキャラが誰か知っていれば、あの子の希望通りにその人と仲良くしても良かったんだけど、聞く直前に事故にあったから分かんないんだよね。
事務所で手続きをした後、案内役の先生に連れられて初めて入った寄宿舎は、確実にゲームの背景で見た覚えのある場所だった。
安心はできるけど新鮮味は薄れるなぁ、リデルの部屋はゲームでも一階の一番奥の角部屋だったんだよね。
キョロキョロしながら廊下の柱や飾ってある花瓶を手でペタペタと触っていると、案内役の先生が何故か笑いを堪えながら私に声をかけて来た。
「じゃあ、君の部屋はここだからね、何か困った事があったらすぐに言うんだよ、好奇心一杯の子猫ちゃん。」
「は?」
(此奴! 生徒に向かって「子猫ちゃん」とは何たる破廉恥な言い様! 教師とも思えぬその振る舞い、断じて許されるものではないぞ!)
大好きだった時代劇BL (ガチムチ)風に思考してみたが、今の呼び方はちょっと教師としての自覚が足りていないんじゃない?
セクハラの罪で懲戒免職まで追い込んじゃうぞこの野郎、筋肉以外には私は厳しいのだよ! ……って、この教師!
「あ。」
「ん、どうかした?」
コイツ! 良く見たらゲームの中に出て来た攻略対象の一人じゃん、パツ金ロン毛を後ろで緩くまとめたニヤけた垂れ目、その顔は忘れたいけど忘れぬぞ!
お前はゲームでも何となく、攻略対象者達の中で一番気に食わなかったのだ! 教師が在学生に手を出すなよ、いやらしい!
どうしてもお付き合いを始めたいのなら、合意を持って相手がちゃんと卒業した後からにしろ!
(教え導く立場の教師の職にありながら、生徒に向かって色目を使うとは不届き千万じゃ! 引っ立てい!)
「イイエ、ナンデモアリマセン、アリガトウゴザイマシタ。」
咄嗟にロボになりきり、暴走し始めた思考を停止させる事でちゃんとお礼が言えた。
「そう?じゃあ、これから頑張ってね。」
人の頭を勝手にポンポンと軽く叩くと、『エロ教師』は去って行った。
「気軽に触れるな汚らわしい。」
……あれ、心の声が口からはみ出たかな?
背後の不穏な気配に振り向くと、そこには目を見開き、ドス黒いオーラを立ち昇らせた我が家の可愛いメイドさんが立っていた。
目の色が薄い水色なので、瞳孔が開いているのがハッキリ分かる……怖い。
「ル……ルミナ……さん?」
「お嬢様、ああいった輩に無闇に近づいてはなりませんよ、汚染されてしまいますからね。」
取り出した綺麗なハンカチで、私の頭をゴシゴシと擦ると、ルミナはいつもの笑顔をニッコリとこちらに向けたのだった。
◇
「ああ、楽しかった。」
この学園の教員、ミュール・シグマはご機嫌だった。
面白そうな子が入学して来ると聞いて、わざわざ見に行った甲斐があった。
「どうかなさいましたか?」
若い女性教諭が声をかけると彼は答えた。
「今、ポルポンヌ男爵家の御令嬢をお部屋までご案内して来たんですよ、それがまた見事な立ち居振る舞いで。」
「ああ、ご両親から去年庭で転倒して以来奇行が見られるので、よく注意をしてあげて欲しいと要請が来た子ですね。」
「そうです、落ち着き無くあちこちをフラフラと歩き回り、興味深そうな顔をして辺りを見回し、色々な所を触って回っていましたよ。」
ミュールの言葉に女性教諭は顔を顰めた。
「やはり、入学許可は取り消した方が良かったのではないでしょうか、貴族の子女としてまともな行動ではありませんよ。」
「いや、案外良い生徒になるかも知れませんよ、いかにも貴族的な品行方正をお仕着せられた若者ばかりの中で、ああいう子は刺激になりますし。」
「彼女が虐められて傷ついてからでは遅いんですよ、面白いからと言って野放しにはできません。」
「まぁ大丈夫でしょう、あの優等生のリルト・ポルポンヌの妹君ですしクラス分け試験もこれからですから暫く様子を見ましょう。
……ところで今晩、一緒にお食事でもいかがです?いい店を見つけたんですよ。」
「あら…」
頬を赤く染めた女性教諭の肩に、ミュールはそっと手を置いた。