第8話
ココノはサッパリだった。
入院中はあまり汗もかかせられないから、ぬるめのお湯にしか浸かったことがない。こうして熱い風呂に入り、風呂上がりに体が火照って仕方がないという体験は初めてで、それは今まで感じたことのない快感であった。
脱衣場には水のみ場がある。ココノは服を着るより先にコップ一杯を飲み干すと、プハーと息を吐いてから、もう一杯を飲み干した。
入院中は夕食は6時と決まっていたから、この時間なら食堂には沢山の人がいるかもと思ったのだが、アテは外れた。
学院内は集団行動が基本であるが、寮は全く個人主義のようである。自炊する者もいるし、5時から9時までの営業時間内ならいつ食べるのも自由だ。6時に一斉に食べるなどということはなかった。
寮が個人主義だからこそ、学院ではお嬢様の手前ココノと口を聞いてくれなかったクラスメイトも、気安くココノと接してくれるかもと思ったのだが、見覚えのある顔も見当たらないし、もし見当たったとしても、こちらから声を掛けるのは躊躇われた。
結局、一人で食事を終え、自室に戻る。机に向かって今日の出来事を思い返している間もなく、ドアをノックする音が聞こえた。
誰だろう。寮でココノを訪ねてくる人は限られる。寮監かフウである可能性が最も高く、さもなくば他のレセプター仲間かであろうと思う。
再度ノックの音がした。
「ココノさん、いらっしゃるかしら」
聞き覚えのある声に、ココノは一瞬ドキリとしたが、大きく返事をしてドアを開けに立ち上がった。
ドアを開けるとお嬢様が立っていた。
「ココノさん、今朝がたはごめんない。少しお話しをしたいのだけれど、お時間宜しいかしら」
「ええ、お時間は宜しいんですけれど、あなた、どなたでしたかしら」
元より悪かったお嬢様の顔色が余計に青くなる。
「まだお名前を聞いていないと思うのですけれど。お名前、教えてくださりますか」
「あ、私ったら名乗りもしないで。失礼。私はトモコと言います。あなたとはお友だちになりたくて、その…」
ココノには、完全に敵対したと思ったトモコの心変わりが突然過ぎて、その理由がサッパリ分からなかったが、向こうから友だちになりたいと言ってくれるものを拒む理由も無かった。
「私こそごめんなさい。私、昨日お風呂に入らなかったから臭かったと思うの。それで皆私のこと避けてたんでしょ。失礼なのは私のほうよね。トモコさん、いいお名前ね。どうぞ歓迎するわ。とにかく入って」
トモコの顔色は青から赤に変わり、そうして部屋の中に進む。信号機とは逆である。
さて、文字数の関係で、二人の会話の内容はナレーションベースでお送りする。
トモコは東京生まれで、学院に入るまで東京で暮らした。
東京は50年前、京都から遷都された科学の都だ。
ドラコン由来の化石燃料である魔油から魔素を取りだし、知性の低い魔物を使って、電気や電磁の力を利用するのが魔術であるのに対し、魔素によらず石炭や石油、火薬などから得られる火力を動力として発展しているのが科学だ。
日本は京都を中心に、魔術を基盤として発展してきたが、維新と称して西洋思想、とりわけ科学を最先端技術として取り入れ出した。魔術を廃止すべく都も出雲や京都から遠い東京へ移した。
近年、京都を中心とする魔術サイドと東京を中心とする科学サイドの対立が表面化しているらしい。
東京では、皇国火武機団と言う、蒸気機関で動く甲冑を着こんだ部隊が、邪悪な魔物を退治する物語が人気だそうだ。男性のみが演じる伝統的な歌舞伎に対抗し、女性のみで演じるお芝居の演目にもなっている。
トモコはそんな環境で育ったから、魔物や魔術に敵対心があったが、両親からまずは敵を知ることが大事だと言われて、この出雲女子学院に来たのであった。
ただし、出雲は魔術サイドでは決してない。科学と魔術の対立は地域で言えば関東と関西である。山陰である出雲は魔術の大本と言える立場ではあるが対立には関与していない。
トモコが敵情視察をしたくても京都に乗り込むことは危険が高いから、比較的安全に魔術のことも学べる出雲に来たのである。
トモコは、半分スパイとして潜入している気でいるから、自分の情報はできるだけ隠し、相手の情報は可能な限り入手するべしと思っている。それゆえの今朝の態度となったらしい。
しかし、彼女は体操選手としてのフウの大ファンであったから、ココノがフウの妹分だと知らされて、これは絶対お友だちになりたい。敵対するなら自分の情報は隠すことが望ましい。その反対、友好関係を築きたければ、自分の情報はさらけ出すのが望ましい。そう考えての今夜の訪問なのである。
ココノは魔術と科学の対立という話には憤慨と悲哀を感じる。
ココノたちは、本来混じりあうはずのない、ドラコンと魔物を繋げる役目をしている。魔術と科学も水と油のようなもので、石鹸のような第3者が仲を取り持てば、一緒にやれるはずと思うのだ。
二者択一、どちらが正しいかとか、どちらが強いかとかを競うより、三者で助け合うことが望ましいと本能的に思うのだ。
だからこそ、敵対したと思ったトモコと、フウという第3者を介して友好関係を持てたことは、ココノにとって素晴らしくうれしいことであった。
世情のことより今は目の前の友だちのことが大切だ。熱い風呂から上がったあと以上のサッパリとした気分で、トモコを送り出すココノであった。
次話予告
ココノ始動編最終話
なお、この小説は四コマ漫画を並べて1つのストーリーを作る漫画作品のように、1話2500文字以内の小話を9話並べて1つの章を構成するという形になっています。