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第八三話 元・《魔王》様、軍勢相手に無双する


 おおよその事柄が、このアード・メテオールの思惑通りに進んでいった。

 休息を取った後、我が友軍は目的地である丘陵地帯へと進軍。

 丸二日をかけて目的地に到達後、陣地を設営した。

 要所を全て押さえ、万全の備えであることをアピールするような様相である。


 そして今。


 燦々と降り注ぐ陽光を浴びながら、俺はデコボコした地形の中でも比較的なだらかな場所に腰を下ろし、遠望の魔法を用いた。

 顕現した法陣が瞬く間に大鏡へと変わる。

 我が眼前に召喚したそれは、次の瞬間、敵方の軍勢を映し出した。


「ふむ。数は八〇〇〇あたりか。消耗しきった我が方を潰すには十分過ぎる数だな」


 俺は敵軍を観察し、その詳細を把握していく。


「人種はヒューマンが中心か。やはりこの軍勢は囮とみるべきだな」


 とはいえ、練度は高かろう。あわよくば本命よりも先に砦を占拠してやる、と、そういった気概を感じる。


「さて。彼等がここへ到達するまであとしばらく。その間、将官の会話でも盗み聞いて、無聊の慰めとしようか」


 遠望の魔法が拾った、指揮官と思しき男とその配下による会話を耳にする。


「それにしても、やはり大隊長殿の戦術眼は異常ですな」

「はは。そんなことはないさ。ただ相手方の頭が悪かった。そして運も悪かった。それだけのことだよ」


 周囲の面々が、野盗と見まがうほど荒々しい風貌であるのに対して、指揮官の男はこざっぱりとした容姿であった。

 俺はそんな彼と部下達の会話に、耳を傾ける。


「それにしてもまさか、なんの工夫もなしに、こちらの思惑通りに動くだなんてね」

「はは。大隊長殿がそのように仕組んだのでしょう?」

「それはそうだけどね。でも……かの大英雄を呼び出さないだなんて、それはちょっと予想外だったよ」


 大隊長と呼ばれる男が述べた通り、俺やイリーナの親達は、此度の一戦に参加していない。それが彼にとっては、不満だったようだ。


「はぁ。せっかく、大手柄を立てられると思ってたんだけどな。今の我々なら、かの大英雄の首だって取れるのに」


 ほう? それはちょっと、予想外の考えだな。

 相手方とて、我々の親が参戦することは想定に入れていただろうと、そう思ってはいた。

 だが、勝利の確信を抱いているというのは、あまりにも意外である。

 俺はてっきり、彼等は囮としての役割を全うすることだけを考えているものと、そう思っていた。

 即ち、大英雄を消耗させ、後の砦奪還戦において命を落とすような状態へ追い込む、と。

 自分達はあくまでも捨て石である、と。

 だがこの大隊長とやらは、復活した《邪神》を葬った英雄を相手に、勝つつもりでいたらしい。

 その根拠は――


「陛下が与えてくださった、この武具。これさえあれば、我々は何者にも負けることはない」


 彼等が身に付けている、武具。

 ……なるほど、確かに強力な魔装具ではある。

 まるでこちらの手を読んだかのように、転移の魔法を封じる力を有しているようだ。

 こうなってくると、別の場所に軍勢を強制転移させるといった、あっけない瞬殺劇を演ずることは不可能になる。

 また、彼等が装備している鎧にはそれだけでなく、高い魔法防御力も備わっているようだ。剣や槍、弓などについても、威力を向上させる仕掛が盛りだくさんとなっている。


 それらは古代の武具を知る俺からしてみれば、さして大したことのないものだったが……しかし、妙ではある。

 確かに、古代のそれに比べればたいしたものじゃない。だが、現代の水準と比較したなら、あまりにも異常な性能であった。


 あんなもの、いったい誰が製作したのだ?


 陛下が与えてくださったと大隊長は述べたが、まさかまさか、あのドレッド・ベン・ハーが作ったものではあるまい。奴はどう考えても技術者という性質の人間ではなかった。

 ……心当たりがあるとしたなら、ヴェーダであろうか。

 奴ならば、あの程度の魔装具は難なく作るだろう。

 だが、奴の手製にしては遊び心がなさ過ぎる。無駄に凝ったデザイン性だとか、馬鹿みたいな隠し機能だとか、そんなものが付いてない時点で、奴が作ったものとは思えない。


 となると……おそらく、《ラーズ・アル・グール》が絡んでいるのだろうな。

 ライザー、《魔族》、そしてアサイラス。この三者が手を組んでいる可能性が、これでより濃厚となったわけだ。

 そして……敵軍の戦略が、俺の想定通りであるということも。


「大英雄がいないとなると……手の込んだ策を実行する意味もなかったな」

「まぁ、いいんじゃないですか? 別働隊の連中よりも、きっとオレ等の方が早く砦に辿り着くだろうし」

「そうそう。手柄は全部俺等のもんだぜ」

「……その手柄も、ちょっと物足りないんだよなぁ」

「はは。さすが大隊長殿。見た目に似合わず、欲張りだぜ」

「公爵の首と複数の砦。そして国土侵略の一番槍。これでもまだ不足ってんだからなぁ」

「別に欲張りじゃないさ。今回はいつになく頭を使ったからね。その割には、得るものが少ないと言わざるを得ないよ」


 盛大なため息を吐く大隊長。


「密偵のコントロールに、相手方の心理掌握。そして、最後の仕上げとなる分担作戦。知略の粋を極めた戦を展開した理由は、全て、大英雄達を打ち負かすためだった。それが参戦しないとなると……気持ちが萎えるよ、まったく」


 もはや大隊長は、勝利を確信しているようだった。

 どのようなことがあろうとも勝てる。そんな顔だ。

 しかし――


「現実は、そのようにはならん。此度の戦で相手方が得るものなど何もない」


 そして。


「大英雄との戦はさせてやれんが……その分、息子の妙技をとくと味わっていただこう」


 やがて、その瞬間が訪れた。

 此方に接近する軍勢。

 もはや目と鼻の先という状況であることを確認すると、俺は遠望の魔法を消し去り、腰を上げた。

 それから数千もの敵軍に向かって、スタスタと歩く。

 相手方もこちらの姿を認識したようで、先頭を行く大隊長が緊張感のない顔で声をかけてきた。


「おい、そこの君。ここは今から戦場になる。早く別の場所に避難しなさい」


 民間人に慈悲の心をかける分、この男はアサイラスに在って、善良な方だろう。

 しかし――


「お気遣いは無用にございます。何せ私は、貴方達の敵なのですから」

「……敵? 敵だって?」


 意味がわからないといった顔で、大隊長は首を傾げた。


「あぁ~、こりゃアレですぜ。停戦交渉とか、そういうことなんじゃねぇですかい?」


 部下の一人が口にした内容を聞いて、大隊長は得心したような顔となるが、


「いいえ、違います。停戦交渉などいたしません。此度の戦における勝者は、我が方となるのですから。勝つ側が負ける側に停戦交渉など、行う理由がありません」

「……ふぅん。随分な自信だね。さすがは勇猛で鳴らしたスペンサーってところか」


 悠然とした表情で、大隊長はこんなことを口にした。


「君の主人に伝えるといい。分不相応な自信は、ただ身を滅ぼすだけだってね」


 この言葉に、俺は口端を吊り上げた。


「えぇ、伝えましょう。ただ、それは戦が終わった後になりますね。何せ……ここには伝えるべき相手が、どこにもおりませんので」

「伝える相手が、いない? どういうことだ?」

「そのままの意味ですよ。ここには私一人しかおりません」

「……は?」


 大隊長のみならず、周囲を固める配下達、そして大勢の兵士もまた、俺の言葉が理解出来なかったらしい。

 だから俺は、もう一度、はっきりとわかりやすく、言ってやった。


「貴方達は、このアード・メテオールが単騎にて撃滅する」


 微笑と共に、そう口にしてからすぐ。

 俺は小手調べの魔法を発動した。

 刹那。

 目前の軍勢、その足下が盛大に爆ぜ飛び、無数の兵達が宙を舞った。

 大地の爆裂。

 一般的な軍隊ならば、この一撃で終わっていたのだが。


「やはり頑強ですね、その鎧は」


 宙を舞い、地面に衝突した兵士達。だが、その身に刻まれたダメージは、ちょっとした掠り傷と打撲程度。

 さりとて、メンタルにはけっこうな傷を与えたらしい。


「な、なんだ!? なにをした!?」


 大隊長は特に動揺した様子であった。

 そんな彼へ微笑を向けながら、俺は口を開く。


「どうやら、私流の挨拶は気に入ってくださったようですね。では皆様――どこからでもかかって来なさい」


 悠々と言葉を紡ぎ、誘うように両手を広げてみせる。

 そうした挑発的な動きに、大隊長が吼えた。


「単騎で何が出来るッ! 総員、攻撃開始ッ!」


 号令一下、兵士達が見事な躍動を見せる。

 横一列に広がり、ある者は剣を構え、ある者は槍を構え、そしてある者は弓を構えた。

 そして――


「一斉放射ッッ!」


 手にした得物、即ち魔装具に秘められた力を解放する。

 彼等の武装には、魔力を消耗して発動する、必殺の魔法攻撃が設定されていた。

 剣や槍ならば光波。弓であれば強力な魔力の矢。

 煌めく必殺の群れが、こちらへと殺到する。

 美しい光景に俺は目を細めるのみで、恐怖の類いなど微塵も抱いてはいない。

 一般の人間からしてみれば必殺。


 しかし……

 俺《(魔王)》からしてみれば、これはただ、綺麗な光の集積に過ぎない。


 そして直撃。

 膨大なエネルギーの群れが我が身を捉え、大地を抉る。

 広大なクレーターを生み出すほどの、圧倒的な攻撃。

 周囲にモクモクと土煙が立ちこめる中、大隊長は嘲笑と共に言葉を放った。


「アード・メテオール。確か、大魔道士の息子がそんな名前だったな。どうやら彼も、自信過剰だったようだね。手柄となってくれてありが――」

「いいえ? 手柄になるのは貴方の方ですよ、大隊長殿」


 土煙の中、俺がそのように述べた瞬間。

 大隊長が、息を呑んだ。


「……ありえない。どうなってるんだ」


 やがて煙が晴れ、こちらの健在ぶりを目にすると、大隊長は大量の脂汗を浮かべた。


「なにをどうすれば、さっきの攻撃を浴びて無事でいられる……!? なにか、トリックがあるはずだ……!」


 その的外れな言葉に、俺は笑みを零した。


「理解不能なものに相対したとき、知恵者は常に、自分なりの解釈を見つけようとする。その賢しさが、むしろ真実から自分を遠ざけているとも知らずに。しかしその一方で……貴方の部下とその軍勢は頭が悪い分、真実へ到達するのが早いようですね」


 誰もが皆、こちらに同じ一念を向けていた。

 即ち、畏怖である。

 数千の兵士達が、ただ一人の少年に怯えきった目を向けているのだ。

 頭の中に脳ではなく筋肉が詰まった者達は、彼我の力量差を本能的に感じ取ることが出来る。

 それゆえに。


「だ、大隊長殿! こ、ここは退きやしょう!」

「か、勝てねぇ! あいつには、絶対に勝てねぇ!」


 騒ぎ立てる部下達を、大隊長は怒鳴りつけた。


「馬鹿なことを言うなッ! 相手は単独だぞッ! 一人で何が出来るッ!? 戦術も戦略も構築出来ないだろうッ!」


 知将らしいものいいだな。

 戦は優れた頭脳の持ち主が、兵士達を手足のように動かすことで成り立つ、集団によるゲームだと。彼はそのように信じているようだ。

 それは別に、間違いじゃない。

 ただ……

 それはあくまでも、現代の常識に過ぎない。

 俺は彼に古代の常識(、、、、、)を伝えるべく、微笑と共に口を開いた。


「個人による圧倒的な暴力は、いかなる道理をも超越し、破壊する。本日はそうした状況を知っていただいたうえで、丁重にお帰り願いましょうか」


   ◇◆◇


「……あたし、山には慣れてるんだけど、それでもキツいわね、ここは」

「起伏がメッチャ激しいのだわ。それに下生えも多くて、注意しないと転――ぶはっ!?」


 山中にて。

 ジニーは友人であるイリーナとシルフィー、そして多くの兵士達と共に、厳しい環境の中を進んでいた。

 うっそうと生い茂った緑を見つめながら、ジニーは思う。


(ミス・イリーナや、ミス・シルフィーと一緒に戦えるのは、心強い)

(でも……よりによって、なぜ……)

(なぜ、エラルド様の部隊に配属したんですか、アード君……!)


 そう、ジニーの傍には二人の友人だけでなく、この世でもっとも苦手とする存在がいる。

 エラルド。

 かつて自分をイジメ倒し、卑屈な人格を形成させた元凶。

 アードに成敗されて以降、けっこうな変わり身を見せたようだが……

 それでもなお、ジニーにとっては不愉快な過去を象徴とする人間だった。

 そんな相手が傍にいるので、ジニーは口を開くことが出来なかった。

 いつものように、友人達へ接したいのに。しかし、エラルドが傍に居るせいで心が乱され、会話どころではなかった。


(本当に、どうして……)

(アード君が、私の心を見抜いていないわけがないのに……!)

(どうして、こんな嫌がらせみたいなことを……!)


 エラルドが率いる部隊にジニーを配属したのは、アードだった。

 もっとも、彼がどうこう言わずとも、ジニーはエラルド隊に所属していただろう。

 彼女の家は代々、スペンサーの肉盾として扱われている。

 こうした重要な任務の際は、盾として主人を守らねばならない。

 だから、エラルドと同じ部隊になることは覚悟していた。


 けれど、その結果が愛する少年によってもたらされたものとなると、受け止め方が大きく違ってくる。



 ジニーはアードが何を考えてこのようなことをしたのか、まったく理解出来なかった。

 暗い顔で俯きつつ、キツい傾斜を登っていく。

 そんなジニーの横で、イリーナとシルフィーが緊張感のない会話を続けていた。


「こうやって山の中を行軍してると、昔のことを思い出すのだわ。今回みたく、伏兵として山に篭もってたんだけど、野宿してるときに虫が口の中に入ってきちゃって……」

「うっわぁ……想像もしたくないわね……」


 これから命がけの戦いをしようというのに、二人には怯えた様子がまったくなかった。

 そんな彼女等へ、汗だくになったエラルドが呟く。


「これもアイツの影響かねぇ。きっと感覚が狂ってんだろうな」


 そして、チラリとこちらを見て……すぐに視線を外す。

 どこか気まずそうな様子に、ジニーはため息を吐いた。

 彼もまた、自分なんかと一緒に居たくないだろう。立場上の役割だけをこなし、それ以外は不干渉を貫くというのが、お互いにとって幸せだと思う。

 と、そうした考えを胸に抱いた頃。

 エラルドに伝令がやってきた。


「ジェラルド様より伝達。ここらが潜み時とのこと」

「……そうだな。いい感じに茂みも多く、身を隠しやすい。了解したと伝えてくれ」


 それから、エラルドは率いた兵全てに停止させ、隠行を命じた。


「あら? イリーナ姐さん、隠れ慣れてるって感じだわね? 泥のメイクや草花の迷彩まで作ってるあたり、プロっぽさが半端ないのだわ」

「ふっふん。幼い頃は山の中でアード相手に鬼ごっこや隠れんぼしてたのよ。訓練の一環としてね。そのとき身に付けたの」


 ものの見事に自然と一体化し、完全に隠れきったイリーナ。

 そこに彼女が居るとわかっていても、ちょっと目を離せば、どこに身を置いているのかわからなくなってしまう。そんな見事すぎる隠行ぶりであった。


(……私も、負けてられないわ)


 ジニーとて、幼い頃から軍事訓練を受けている。隠れ身はお手の物だった。


「よし。全員、いい感じに隠れたな。あとは敵が来るのを待つだけだ」

「こっからがキツいのだわ。下手すると何日間もこの状態だもの」


 過去を思い出したか、シルフィーがうんざりした様子で呟いた。

 だが……幸運というべきか、彼女が危惧したような事態にはならなかった。

 スペンサーの現当主、ジェラルドを総大将とした一軍が身を隠してより、二時間近くが経過した頃。

 周辺に、足音らしきものが響き始めた。下生えを刈り取り取りながら、慎重に地面を踏み続けている。そんな音が次第に近づいてきて……

 そして、ジニーを含む全ての兵士達が、敵方の姿を確認した。


「あぁ、クソッ! ま~たヒルが食いついてやがった!」

「この山ぁ、ずいぶんとヒルが多いよなぁ。ったく、食いつくのは女だけで十分だぜ」

「はは。違ぇねぇ」


 屈強なオークのみで構成された一団。

 数は二〇〇〇かそこら。こちらよりも一〇〇〇人ほど少ない。だが、オーク種はとかく壮健である。一〇〇〇やそこらの数的有利など、覆されてもおかしくはない。

 そうしたリスクに、ジニーは畏れを覚えた。そんなとき。


「……心配すんな。オメーのことは、オレがアードのぶんまでキッチリ守る」


 エラルドの言葉に、目を丸くした、次の瞬間。


「全軍ッ! 攻撃開始ッッ!」


 山中全域に轟いたのではないかと思うほどの大音声が、耳朶を叩く。

 総指揮官、ジェラルドの号令を受けて、兵士達が素早く動作した。

 武器術を得手とする者は、剣や槍を携えて吶喊する。

 魔法を得手とする者は、口早に詠唱を唱え、攻撃の準備を行う。奇襲を仕掛けられた形となった敵軍は、当初こそメンタルをやられ、総崩れになりかかったのだが。


「恐れるこたぁねぇッ! 俺達にゃあ、戦の神が付いてんだッ!」


 指揮官と思しき、一際大きなオークが叫ぶ。

 それと同時に、敵軍は戦意を取り戻したらしい。

 殺し殺されの、血みどろな戦が始まった。

 生い茂った緑の中に、紅い血飛沫が飛び交う。

 足場が悪く、視界も酷い。まともな動作など望めぬ地形、ではあるのだが。

 しかしそんな中であっても、《激動の勇者(シルフィー)》は桁外れの動きを見せた。


「一つッ! 二つッ! 三つッ! はい、これで四つ目ッ!」


 俊敏な豹を連想させる、しなやかな動作で以て、彼女は次々と敵兵を斬り伏せていった。


「おいおい……! マジでなにもんだよ、あいつ……!」


 シルフィーに関する詳細をまったく知らぬエラルドと、周辺の兵士達は、彼女の働きぶりに畏敬の念を覚えたらしい。

 冷や汗を流しながら、その獰猛かつ流麗な戦いぶりに、目を瞠っていた。


「ふふっ、さすがシルフィーね! でも、あたしだって負けてないんだからっ!」


 幼少期における、アードとの訓練の賜か。シルフィーほどではないにせよ、イリーナの動作も実に機敏であった。ともすれば足を取られてしまうような酷い環境下において、抜群の体重移動を見せながら、ひらりひらりと敵方の攻撃を躱す。

 そして無詠唱の魔法による反撃で、瞬く間に敵兵を打ちのめしていく。

 そうしながら、彼女はジニーに不敵な笑みを見せた。


「あんたはそこで指咥えて見てればいいわっ! 全部あたしとシルフィーで片付けてやるんだからっ!」


 この挑発的な文句に、ジニーはカッとなった。

 ライバル的な存在にこんなことを言われたなら、黙っていられるわけもない。


「ちょっと山での戦いが得意だからって! 調子に乗らないでくださいまし!」


 ジニーもまた、戦働きを見せる。

 友人の挑発が原因か、命のやり取りに対する恐怖はなかった。

 勇猛果敢にオーク兵達を打ちのめしていくジニー。

 だが……畏怖をなくしてくれたのが友人の言葉であるとしたなら。

 彼女を危機に陥れたのもまた、友人の言葉が原因であった。

 イリーナよりも上の働きを。

 そんな考えが焦燥を生み、ジニーの視野を瞬く間に奪っていく。

 そして――


「うぉらぁッ!」


 すぐ真横から、怒声が飛んできた。

 殺気漲るそれが、自分にどのような未来をもたらすのか。

 風斬り音が到来すると共に、ジニーは凄まじい恐怖を覚えた。


 ――死ぬ。

 そんな確信が、彼女の脳裏に浮かんだ瞬間。


「させっかよッ!」


 全身に、衝撃が走る。

 何者かによって突き飛ばされたと、そう認識すると同時に。

 ジニーは目前の光景を見つめながら、唇を震わせた。


「エ、エラルド、様っ……!?」


 彼女を突き飛ばし、庇ったのは、あのエラルドであった。彼は首から下を頑強な甲冑で守ってはいたが……山中にて視野を広くするため、あえてヘルムは脱ぎ捨てていた。

 ゆえに、不幸にも、敵方の戦斧はエラルドの首筋を深々と捉え、傷口から血飛沫が飛ぶ。

 だがそれでも、彼は怯むことなく、敵兵へ返礼の一撃を叩き込んだ。


「ぐぅ、おッ!」


 火属性の攻撃魔法、《メガ・フレア》のゼロ距離発射。

 巨大な炎球が敵方のオークを吹き飛ばし、再起不能へと追い込む。

 それからエラルドは、首筋を押さえながら片膝をついて、


「チッ……! ここまで、か……!」


 身体能力強化の魔法による頑強性の向上があったがために、エラルドはまだ絶命には至っていない。だが、それはもはや時間の問題であると、確信しているようだった。

 そんな彼を見つめながら、ジニーは――


「な、なん、で? い、いや、そんなことより、治療、を。で、でも、どうやって」


 完全に、パニック状態だった。

 処理すべき情報が巨大過ぎる。

 迫り来る死を回避出来た。それだけでも重厚な情報だというのに、そこに対して、複雑な関係にある相手に命を救われたという内容まで加わったのだ。

 わけもわからず、当惑してしまうのも無理はない。

 エラルドもまた、そう思っているのか。

 顔を真っ青にして、死にゆく者特有の死相を見せながらも。

 彼はジニーに、こう言った。


「気にすんな。オレは、やりたいようにやっただけだから」


 自らの行動に、なんの悔いもない。そんな意思を思わせる、安らかな表情であった。

 そして、彼は運命を受け入れ、瞼を――

 瞑った、その瞬間。

 エラルドの足下に、魔法陣が顕現する。

 まるで、宿命など知ったことかといわんばかりに。

 そして深緑色の煌めきがエラルドの全身を包み……

 首に刻まれた深い裂傷が、瞬時に回復した。


「こ、これは」


 エラルドも、ジニーも、目を大きく見開いた。

 いや、二人だけじゃない。周囲の兵士達も、驚愕の声を放っていた。


「お、俺の足がッ!?」

「き、斬られた場所が、元通りになったッ!?」


 周りに目をやると、負傷者の足下に順次、魔法陣が顕現し、彼等の傷を癒やしていく。

 いったい何が起きているのか、まったく理解出来ない。

 敵味方問わず、兵士達はそんな様子であったが、


「やっぱアードは凄いわね。どんなに離れてても、私達のことを見守ってるのよ」


 イリーナやシルフィーは、この現象が何者によるものか、理解していた。

 そして、ジニーやエラルドもまた――


「っとに。デタラメにも程があんだろ」


 苦笑しながら頭を掻くエラルド。

 その様子を見つめながら、今なお、当惑を隠しきれないジニー。

 なんにせよ――

 国境での戦は、ラーヴィルが制した。

 それは後に、大英雄の初陣として語り継がれることとなる。

 

 この時代では、大魔導士の息子として知られるアード・メテオール。

 彼が歴史に名を残すきっかけとなった、勝ち戦であった。


   ◇◆◇


 山中での奇襲戦を終えて。

 ジェラルドを総指揮とする軍勢は、砦への帰路に就いていた。


 アード・メテオールの活躍により、死傷者はゼロ。

 そうした状況に、ジェラルドは渋面を作っている。


 そんな彼から、大きく離れた場所にて。

 ジニーは俯きながら、歩き続けていた。


 その隣には、エラルドが並んでいる。

 ……不意に、彼女は口を開いた。


「なぜ、庇ったのですか?」

「えっ」


 まさか自分から声をかけてくるとは思わなかったのだろう。

 エラルドが目を丸く見開いた。

 それから彼は、しばし逡巡した後。


「……罪滅ぼしの、一環だよ」


 その顔は苦々しい色で満ちている。

 嫌なことから逃げてしまいたいと、そんな意思もあった。

 だが、エラルドはそうした弱音をねじ伏せたらしい。

 ジニーの顔を見ながら、ゆっくりと、懺悔するように言葉を紡いでいく。


「オレは、親父が怖かった。それに加えて、時期当主としてのプレッシャーも、強いストレスになった。……だから、オメーのことを捌け口として利用してたんだ」


 頭をボリボリと掻きむしりながら、エラルドは語り続けた。


「本当に、申し訳ねぇことをしたと、思ってる。……いや、申し訳ないじゃ済まねぇってことは、わかってんだ。誰かの心にトラウマを作ったわけだから。どう詫びようとも、それが変わることはねぇ。でも……それでも一言、謝らせてくれ」


 エラルドが立ち止まった。それに合わせて、ジニーも足を止める。

 そんな彼女の目前で、エラルドは深々と頭を下げながら、


「オレの弱さのせいで、オメーの人生が破綻するところだった。心の底から、謝罪する」


 ジニーにとってそれは、信じがたい光景だった。

 あのエラルドが。

 おそろしいイジメっ子が。

 自分に頭を下げて、謝っている。


 ……それは、今すぐ受け止められるようなものではない。

 しかし、意図だけは伝わった。


 エラルドの謝意の念。

 そして……アードの思惑。


 彼は自分とエラルドの和解を願っているのだろう。

 だから、自分とエラルドを同じ部隊にしたのだ。


 ……正直言って、難しい道のりだとは思う。

 だが。

 不思議と、マイナスな感情はなかった。


 アードと出会って以降、エラルドという存在が彼女の中で、ちっぽけなものとなったからかもしれない。あるいは彼女自身、どこかでエラルドという過去に決着を付けたがっていたのかもしれない。


(アード君)

(貴方が、それを望むなら)


 今はまだ、思い人の願いゆえに歩み寄るといった、そんな考えでしかない。

 けれどいつか、自分の意思で、エラルドに向き合うようになる、かもしれない。

 そんな予感を、ジニーは抱くのだった。


   ◇◆◇


「ふむ。とりあえずは及第点といったところか」


 遠望の魔法によって召喚された、大鏡。

 目前に浮かぶそれが映し出す、ジニーとエラルドの様相に、俺は一人頷いた。


「まだまだ課題は残っているようだが、しかし、一歩は踏み出せた。今回はそれでよしとするか」


 呟いてから、俺は周りを見回し、


「さて。俺も砦へ、帰るとしよう」


 こちらの戦は、ジニー達のそれが始まるよりもだいぶ前に決着がついていた。

 我が魔法の行使により、丘陵地帯は今や、なだらかな平野へと姿を変えている。

 戦で地形が変わるといったことは、古代世界であれば常識的なものだが……

 現代人にとっては、非常識かもしれない。

 俺とて好きこのんで地形を変えたわけではないのだがな。

 相手方の命を奪わず、鎧だけを破壊し、魔法効果を消し去るという過程で、どうしてもこのようなことになってしまった。


 まぁ、とにかく。

 鎧を剥がされたことで、敵方の転移魔法防止効果は消失。

 古代流の戦を十分味わってもらった後。

 俺は彼等を別の国へと転送した。

 今頃すっぽんぽんの軍団が、警邏隊によって一斉逮捕されていることだろう。


「ふぅ。これにて一件落着……とはいかんだろうな」


 まだまだ、謎が多く残っている。

 きっと今回の一件は、単なる布石でしかあるまい。

 本番はこれからだ。

 敵方との本格的な戦いは、これより始まるのだ。


「……せいぜい、気張るといい。今の俺は、かつてなく強いぞ」


 この時代に転生してより十数年。

 俺は前世での価値観を引きずって生きてきた。

 即ち……強者とは孤独である、と。己が力量を示せば、自分は孤独になってしまう、と。

 それゆえに俺は、力を振るうことを良しとしてこなかった。

 緊急事態であっても、無意識のうちに力をセーブしていた。


 だが、今は違う。

 必要であれば、自らが《魔王》であることを明かしてもいい。


 イリーナ、ジニー、シルフィー、オリヴィア。両親や学園の皆々。そして、エラルド。

 彼等と共に迎える、希望と幸福に満ちた明日を守るためなら、なんだってする。

 そんな覚悟を胸に抱きつつ、俺は青空を見上げた。

 気持ちのいい晴天。

 それが明るい未来を暗示するものであることを祈りながら。

 

 俺は、息を唸らせた――




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