第八〇話 元・《魔王》様と、捕らわれた友
ラーヴィル魔導帝国とアサイラス連邦の国境付近の地域は、ディフェンダー・ラインという別名で知られている。
この一帯は公爵家たるスペンサーと、その従属貴族たる子爵家、サルヴァンが治める土地であり、国家防衛の最前線であった。
よって当然ながら、国境沿いには多くの砦が設けられ、そこにほど近い街も立派な城郭都市となっている。
ゆえに攻略するのは容易でない……はずだった。
およそ国家が総力を尽くし、鉄壁に仕上げたであろう防衛線。それは易々と突破され、そのうえ――
頑強であるはずの城郭都市さえも、今や地獄のような景観を晒している。
国境にほど近い街、サミュエル。
複数の地下ダンジョンを有するこの街は、冒険者の巣と呼ばれ、彼等の熱意と活気に満ちていた。
しかし現在、そんな街に広がっているのは、火災と怒号。そして戦場特有の、饐えた匂いであった。
「転移して早々、刺激的な景観ですね」
「なんというか。帰ってきたって感じだわね。……できることならこんな感覚、二度と味わいたくなかったのだわ」
俺もシルフィーも、戦慣れしている。
ゆえに街の惨状を目にしたところで、特にどうとも思わない。
夜の闇を火災の炎が煌々と照らし、道端に死体が点在するといった、非日常。
どこかで爆音が轟き、敵味方入り交じった怒号が断続的に響く、この状況。
何もかもが懐かしい。
慣れ親しんだ戦場の空気感であった。
しかし……
イリーナにとっては、初体験の地獄であろう。
彼女は肝が据わった人間であるが、それでもやはり、緊張と動揺が隠せていない。
転移して以降、イリーナは一言も発することが出来ていなかった。
「ご気分が優れなくなったなら、すぐにおっしゃってください。気休め程度ではありますが、魔法にて回復させていただきます」
「……うん、ありがとう」
脂汗を流しながら、散見される死体達を眺めるイリーナ。
その一方で、シルフィーは冷静な面持ちで周りを見回しながら、
「民間人の死体が見当たらないのだわ。転がってるのは軍人めいた死体と……冒険者の死体、かしらね? 民間人の避難が完了した結果なのか、あるいは、民間人が人質に取られてるのか。後者だった場合ちょっとやりにくいのだわ」
目の付け所がやはり、戦士のそれである。
俺はそんな彼女へ、自身の推測を口にした。
「おそらくは前者かと。国境沿いの砦には私も足を運んだことがあります。その際にちょっとした工夫を与えておりまして。そう簡単には突破出来ないようになっておりました」
「そっか。なら、民間人への避難勧告と実動までの時間は稼げたと、そう見るべきだわね」
普段は馬鹿だが、シルフィーはこう見えても歴戦である。
幼少期、捨て子であった彼女はリディアに拾われ、戦士としての教育を受けた。
初陣は実に早く、七歳の時点で首級を挙げている。
まさに戦場を故郷として生き抜いてきた彼女は、こういったとき、普段の馬鹿さ加減が抜けて聡明な一面を見せてくれる。
「民間人の人質はおらず、交戦しているのは義憤をもとに立ち上がった冒険者達と、領主達によって派遣された騎士団のみ。……それなら、遠慮なく暴れることが出来そうだわね」
シルフィーは聖剣・デミス=アルギスを担ぎながら、俺の顔を見て言った。
「けれど……最優先すべきなのは、ジニーよね」
「えぇ。この魔力の感覚は、彼女のものに違いありません」
しかし、彼女がどこで戦っているのかはわからない。
というかそもそも……感知出来る魔力反応が、残滓であるという可能性もある。
いずれにせよ、ここは散開して彼女を探すというのが効率的であろう。
とはいえ、イリーナはこちらの手元に置いておく。
戦慣れしていない少女に戦場を一人で歩けというのは、あまりにも忍びないことだ。
「ではシルフィーさん。ジニーさんの発見、ないしは集合の合図を決めておきましょうか」
「光弾の魔法を空に打ち上げればいいのだわ。アタシ達は第三勢力みたいなもんだし、敵方に意図が漏れるような心配もない」
「えぇ。おっしゃるとおり」
取り決めなどを終えてからすぐ。
「じゃ、アタシは西方を巡ってみるのだわ。アード達は東の方をお願い」
そのように言い置いて、シルフィーは疾風のように街中を駆けていった。
「では、私達も参りましょうか、イリーナさん」
「う、うん……」
破壊音と怒号が響き、死の匂いが蔓延する夜の街を、俺は散歩気分で歩く。
その隣で、イリーナは顔を青くしていた。
無理もない。死体を見慣れていない者が、多様な死に姿を目撃しているわけだからな。気分も悪くなるというものだ。
しかし、彼女は気丈な態度を崩さなかった。顔は青いけれど、その瞳にはジニー救助の意思が失われていない。
友のためならば、どのようなおぞましさにも耐える、と。そんな覚悟が宿っている。
……とはいえ、戦場の地獄ぶりは確実に、イリーナの心をすり減らしていた。
「死ねッ! 死ねッ! 死ねぇええええええええええええッ!」
若い騎士が、既に死体となった敵のオークに対し、執拗に剣を突き刺す姿。
「や、やめてくれっ! お、俺には妻と子供が――」
命乞いをする相手へ、容赦なく槍を突き刺す老兵。
道すがら、我々はそういった、戦場の風物詩を目撃した。
……もし、これが古代の戦場であったなら、俺はどうとも思わなかっただろう。
だが、この現代においては。
新たな仲間達を得た、この時代においては。
悲劇を演ずる者達と、友人達の姿が、どうしてもダブってしまう。
それはイリーナも同じだったらしい。
「戦争が長引いたら……学園の皆も、戦場に駆り出される、のよね……」
「……えぇ。子供とはいえ、魔導士は優秀な兵士となりうる。学徒動員は必然でしょう」
「そうなったら……皆、あんな顔をするようになるのかな……」
殺される者が浮かべる恐怖。
殺す者が浮かべる昏い快感。
我が友人達もまた、戦場に出れば、どこかが狂ってしまうだろう。
そうなれば……明るい明日など、待ってはいまい。
「それを防ぐためにも、この戦、我々が早急に止めねばなりません。しかしまずは、ジニーさんやエラルドさんの救助。これを果たしましょう」
イリーナは無言で、力強く頷いた。
互いに強固な決意を胸に抱きながら、地獄巡りを行う最中。
俺達は、聞き覚えのある声を耳にする。
「死んでたまるかよぉおおおおおおおおおおおおおおおッッ!」
周囲に響き渡った、必死な叫び。
俺とイリーナは顔を見合わせ、
「い、今の声って」
「現場へ向かいましょう。彼(、)が危うい」
俺とイリーナは足を躍動させ、声が飛んできた方角へと急行した。
そして、彼の姿を見る。
公爵家長男、エラルドの姿を、見る。
全身を守る銀色の甲冑は半壊状態で、防具としての役割を果たせていない。
露出した肌やオレンジ色の髪は、鮮血の紅に染まり、実に痛々しい姿であった。
そんな彼を、大量の敵兵が取り囲んでおり――
「この野郎、死に損ないの分際で暴れやがって」
「公爵家の捕虜は、こいつの弟で十分だよなぁ?」
「腕を焼いてくれたお礼に、嬲り殺してやるぜ」
敵方は一様に、殺意を漲らせていた。
それを前に、エラルドは闘志を瞳に宿している。
絶望的な状況であっても、生き延びることを諦めてはいない。
……実際のところ、彼がここで死ぬことはないだろう。
なぜか? この俺が、死なせないからだ。
「《ロック・インパクト》」
土属性の下級攻撃魔法を、相手方の人数分発動する。
天上に顕現した魔法陣から、次の瞬間、固い土塊が敵兵へと降り注いだ。
その一撃により、ある者は昏倒し、ある者は手足などを折って地面へ転がる。
敵方が瞬く間に一掃された後。
エラルドが目を丸くしながら、こちらを見た。
「ア、アード……!? それに、イリーナ……!? な、なんで、お前等がここに……!?」
「さる御方から、貴方とジニーさんの危機を知らされましてね。ゆえに参上いたしました」
言うと同時に、俺はエラルドへ回復魔法をかけた。
痛々しい姿が、瞬時に平常のものへと変わる。
「それで、エラルドさん。この戦場に参加しているのは、貴方だけですか?」
「……いや。オレの直属として、ジニーも参加してる」
「ならば、彼女はどちらへ?」
問いかけに対し、エラルドが歯噛みする。
……おい、なんだその反応は。まさか、最悪な事態となっているのではなかろうな?
友の現状に不安を覚えながら、俺はエラルドの言葉を待った。
そして。
「捕虜として、攫われたッ……! オレの、目の前でッ……!」
苦悶を吐き出すように、エラルドは言葉を紡いだ。
「最初は、なんてことはなかった……! どうとでもなる仕事だと、そう思ってた……! だが、奴が来やがった瞬間、何もかもがひっくり返ったんだ……!」
拳を握り締め、わなわなと全身を震わせるエラルド。
そんな彼へ、俺は眉根を寄せながら問いを投げた。
「奴、とは?」
「……《竜人》だ。《竜人》の男が、敵軍についてやがった」
この答えに、俺は少しだけ驚いた。
《竜人》と言えば、超が付くほどの希少人種である。また、彼等は他人種を見下しており、決して人の世に交わることはない。そうだからこそ、《竜人》種と遭遇するようなことは、どれだけ長生きしてもまずありえないことだと言われている。
俺でさえ、彼等と顔を合わせた回数は二度か三度しかない。
その際の印象としては、皆徹底的な人間嫌いといったもので……
そうだからこそ、驚いている。なぜ《竜人》種が、アサイラス連邦に付いているのか。
……まさに大いなる謎だが、しかし、それは当人に直接聞けばいい。
「ジニーさんはご無事、なのですね?」
「あぁ。おそらく、な。……けど、アサイラスの連中はケダモノみてぇな連中だ。早く助けてやらねぇと、どんな扱いを受けるか……!」
かつての贖罪か。エラルドの目には、ジニー救助への思いが宿っていた。
しかし、彼を連れて行くわけにはいかない。おそらく、エラルドはこの戦場における総指揮を務める人間。それが一時でも行方知れずとなれば、軍全体の士気に関わる。
ゆえに、俺はエラルドへこう述べた。
「よろしいか、エラルドさん。貴方はここへ残り、これから私が行うことを、自らの手柄として自軍内に広めるのです。そうして味方を鼓舞なさい。ジニーさんの救助は、我々が行います」
一方的な言い方になってしまったが、エラルドは愚かな男ではない。
俺の提言がもっとも効率的であると理解し、受け入れていた。
「……わかった。オメーに全部任せる」
そう述べてから、エラルドは首を傾げつつ、
「ところで。これからすることってなんだ? オレの手柄にするとか言ったけど……なにするつもりだよ?」
「大したことではありません。この状況において、至極まっとうな行い、即ち――」
薄く微笑みながら、俺は答えを口にした。
「これより、敵兵を撃滅いたします」
宣言と共に、相手の反応を待つことなく、俺は飛行魔法を発動した。
そして闇色の天蓋へと昇り、城郭都市の様相を見下ろす。
「……この街は我が友、ジニーの一族が治めし土地の一部。これ以上の狼藉は許さぬぞ」
独りごちてからすぐ、俺は魔法を発動した。
その直後、街全域に無数の魔法陣が顕現する。城郭都市を埋め尽くすようなそれは、次の瞬間、多様な属性魔法を射出し、敵軍を一瞬にして壊滅させた。
もっとも、死者は一人も出してはいない。
狼藉者とはいえ、無価値な命を奪うのは我が美学に反する。
よって手足のいずれかを奪う程度に留めておいた。
そうして戦闘不能となった敵兵達のうち、位が高そうな者を選別し、捕虜用に残す。
それ以外の連中については、街中に留めておいても害悪になりかねんので、転送魔法にて別の場所……海洋の真っ只中へと送る。
連中のほとんどは屈強なオークだ。生命力も実に高い。
運が良ければ生き延びるだろう。
……一仕事終えてから、俺はエラルドとイリーナのもとへ降り立った。
二人はこちらを見つめながら、
「あいっかわらず、メチャクチャだな……」
「でも、それでこそアードだわ」
呆れたように笑うエラルドと、憧憬の眼差しを向けるイリーナ。
彼等に微笑んだ後、俺はシルフィーに招集をかけるべく、魔法の光弾を天へと飛ばす。
それからしばらくして、彼女がこちらへとやってきた。
シルフィーに事情を説明し、今後の行動内容を固めた後。
俺は改めてエラルドの方を見て、
「ともあれ、貴方が無事で良かった」
「……オレのことなんかはいい。早く、ジニーを助けてやってくれ。こっちはオメーが言った通り、いい感じにやっておくからよ」
彼の意思に応えるつもりで、俺は大きく頷いた。
そして。
イリーナ、シルフィーを連れて、国境沿いの砦へと転移する。
おそらく、敵方はそこを拠点として利用しているだろう。
待っていろ、ジニー。
すぐに助けるからな。
友の安全を祈りながら、俺は目的地へと瞬間移動するのだった。