第七九話 元・《魔王》様と、森林での対決 後編
「ア、アード……! これって、まさか……!?」
「えぇ。ライザー様の能力によって強化された、野生の皆様ですね」
数えるのが馬鹿馬鹿しいほどの物量に、我々は完全に包囲されていた。
「森に誘導された時点で予想は付いておりましたが。どうやらライザー様は、よほど我々の進行を妨げたいようですね」
森林は生物の宝庫である。即ち、ライザーのホームグラウンドそのものだ。
奴の《固有魔法》は、他者の精神を支配し、その力量を桁外れに高めるというもの。
その力を以てすれば、アリとて竜を殺すようになる。
それが決して、おおげさな例えでないということを、野生の者共が証明し始めた。
「キキィイイイイイイイイッ!」
「グルゥアアアアアアアアアッ!」
「キリリリリリリリリリッ!」
猿が。狼が。甲虫が。森に棲まう者達の全てが、一斉に襲いかかってくる。
およそ、一般の人間であれば一生目にすることのない光景であろう。狼達が木々の間を縫うように疾走し、猿共が樹上より飛来し、甲虫の群れが夜闇を斬り裂く。
その様相は圧巻の一言。
しかし。
「これしきの攻勢で、私の防壁を貫通出来るとお思いか」
イリーナを守護する防壁を、六重層へと強化。
俺自身の周囲にも、《メガ・ウォール》を展開する。
そして、野生の軍勢が猛攻を開始した。
我々を守る防壁に対し、狼の群れが飛びつき、猿達が拳を叩き付け、甲虫の大群が全身をぶつけてくる。
通常の生き物が相手であれば、防壁に傷一つ付くことはなかったろう。
だが、目前の連中はライザーの力によって強化されている。
その一撃は総じて、現代のあらゆる攻撃魔法を凌ぐ威力を秘めていた。
「ア、アードっ! 防壁にヒビがっ!」
イリーナの言う通り、六重層のうち一枚目に、早くもヒビが入った。
先ほど交戦した《魔族》の男が扱った魔法よりも、野獣共の突撃の方が高威力だな。
ライザーの能力を反則と称えるべきか、《魔族》の男を哀れむべきか。
「こ、このままじゃ、いつか破壊されちゃうわっ! こっちも攻撃しないとっ!」
焦燥感に満ちた声を放つイリーナ。
攻撃。攻撃、か。
「闇雲に敵方の頭数を減らしても、ほとんと意味がありません。減らした分だけ、すぐさま補充されるでしょう。何せここは森の中。強化兵の素材には事欠きません」
下手に敵方の数を減らすことに専念したなら、足下を掬われかねん。
しかしながら、手をこまねいていては敵方の思惑通りになってしまう。
ライザーは常々、戦は数であると述べていたが、まさにその通りだな。
圧倒的な物量差を前にしたなら、おおよそ、どのような者も押し潰されてしまうだろう。
とはいえ――何事にも、例外というものがある。
このアード・メテオールもまた、そのうちの一人だ。
「物量の違いが勝敗を分ける絶対条件でないことを、教えて差し上げましょう」
冷然と断言してからすぐ。
俺は、最強最善の手札を切った。
「《《その道に在りしは絶望》》《《それは哀れな男の生き様》》」
我が最強の能力、《固有魔法》の発動詠唱を実行する。
そうはさせじと、野生の者共が攻勢を強めた。
一枚、防壁が粉砕される。
それを前にしつつも、俺は冷静な心持ちを維持しながら、
「《《その者は独り》》《《背を追う者は居ても》》《《覇道を共に進む者はなし》》」
詠唱を続行しつつ、周囲に目を配った。
……術者たるライザーの姿は、どこにも見当たらない。
しかし、この場に存在しないということはなかろう。
奴の《固有魔法》は、対象と一定の距離を保たねば効力が薄れてしまう。
ゆえに間違いなく、隠形の魔法を用いて身を隠し、近くに潜んでいるはずだ。
「《《誰にも理解されることはなく》》《《皆、彼のもとから離れていく》》」
ここまで詠唱する中、二枚目の防壁が破壊された。
イリーナは冷や汗を掻きながらも、その瞳には俺への信頼感を宿している。
同時に、自分の無力さに苛立ってもいるようだが……
なんにせよ、期待に応えねばなるまい。
「《《唯一の友にも捨てられて》》《《彼は狂気と孤独の海へと沈んでいく》》」
詠唱完了まで、あと少し。
野獣共の攻勢が、一層激しさを増した。
秒を刻む毎に、その力強さが高まっているように思えてならない。
これで合計、三枚目の防壁が破壊される。
だが――
「《《その死に際に安らぎはなく》》《《悲嘆を絶望を抱いて溺れ死ぬ》》《《きっと、それが――》》」
こちらの準備も、万端整った。
さぁ、反撃を始めよう。
「《《孤独なりし王の物語》》ッ!」
五枚目の防壁が粉砕されたと同時に、我が最強の切り札が発動した。
夜闇よりもなお色濃い漆黒のオーラが顕現し、こちらの片腕を覆う。
そして現れたのは、長い鎖と……それに繋がれた、黒き大剣。
勇魔合身、フェイズ:Ⅰ。
莫大な力の漲りを感じながら、俺は背後に立つイリーナへ、肩越しに微笑みかけた。
「すぐに片付けます。少々お待ちを」
この言葉に頷くイリーナ。
そしてまず、彼女の防壁を張り直してから――
俺は、向かい来る野獣達へと踏み込んだ。
目前の光景は、やはり常人であれば一生目にすることのないものであろう。
まるで、時間が止まった世界。
先刻まで獰猛に暴れ狂っていた野生動物の群れが、完全に静止している。
それら全てを、俺は切り伏せていった。
森全域を焼き尽くしてしまうというのが一番手っ取り早い方法ではあるが、それはいささかやりすぎであろう。
罪なき命を無駄に奪うつもりはない。
そうせずとも、勝利出来るという確信がある。
そして、あらかた掃除が終わった後。
俺は、西方へと目をやった。
なんの変哲もない樹木。その真横、虚空を睨みながら、言葉を紡ぐ。
「この俺の目を、欺けるとでも思ったか」
地面を蹴り、一瞬にして接近。
俺は虚空へと、黒剣を振るった。
闇色の刀身は、果たして、硬質な手応えを寄越してくる。
瞬間、金属同士が衝突したような、甲高い音が周囲に轟いた。
前後して、厳かな声が耳に届く。
「……さすがと、言うべきであるな」
目前の虚空には、一見すると何者の存在も認知出来ない。
姿形は当然のこと、気配や匂いといったものまで、何一つない。
だが間違いなく、奴は目前にいる。
「相も変わらず、見事な隠形だ。しかし、俺には通じない」
もはや身を隠す意味を失ったからか。
奴は隠形の魔法を解除したらしい。
薄ぼんやりとした輪郭が露わとなり、それから次第に、実体が明らかとなっていく。
顔に無数の年輪を刻んだ、屈強な老将。
ライザー・ベルフェニックスが、姿を現した。
その風貌は以前のそれと変わりない。
だが、身に纏うそれは純白の教皇服ではなく、漆黒の甲冑であった。
これは古代にて、ライザーが愛用していた魔装具である。
絶大な防御能力を付与したもので、この鎧に傷を付けた者はほとんどいない。
また……
先刻の我が一撃を防ぎ、今なお鍔迫り合う巨大なメイスは、奴が《固有魔法》を用いた際に顕現するものだ。
「事前に切り札を発動しての奇襲戦術だけでなく、かつての愛装まで引っ張り出すとは、随分な力の入れようではないか。……貴様、何を企んでいる?」
黒剣とメイスが鍔迫り合う中、俺は目前の老将を睨む。
「《魔族》と手を組んで、何をしようというのだ? 此度の戦に、いかような意図がある? 先のメガトリウムでの一件以降、大陸が緊張状態であることは貴様とて理解していよう。こうした状況下で戦など起こせば、どれほどの大惨事となるか、わからぬわけもあるまい」
ライザーは、何も答えなかった。
それを批難する形で、俺はさらに言葉を放つ。
「貴様がアサイラス連邦をそそのかし、ラーヴィルを襲わせたことで、五大国による大戦が勃発しかねん状況となってしまった。今後の展開次第では、大陸内に無数の悲劇が生まれるだろう。大人だけでなく、貴様が愛する子供達までもが、一様に苦しむこととなるのだぞ。わかっているのか、ライザー・ベルフェニックス……!」
我が言葉の連なりを耳にして、ここで奴はようやっと口を開いた。
「この時代で得たものを失うのが、それほどに怖いか」
無機質で、淡々とした問いかけに、俺は顔を顰めさせた。
「怖いさ。怖いに決まっている。だからこそ、戦を起こした貴様が憎らしい」
前世を含めれば千年にも渡る我が人生。その大半は戦の記憶である。
だからこそ、俺は戦というものを嫌うのだ。
争いはいつだって、大切なものを奪うから。
「大義。信念。意地。そうした情が生み出した古代の戦にて、俺は多くの仲間を失った。それは貴様とて知っていよう。そしてそれが、いかに俺の心を苛んだかも」
此度の戦もまた、捨て置けば再び、俺から仲間達を奪うだろう。
ジニーやエラルドは当然のこと、学園の皆々にしても、軍から招集をかけられれば、戦場に出るほかはない。
「転生したことで、ようやっと得られた仲間達。それを、貴様等の企みごとの犠牲にはさせぬ……! 断じてさせぬ……!」
強い意志が力となって、我が黒剣へと伝達する。
鍔迫り合いの趨勢がこちらへと傾く中、ライザーは瞳を細めながら、息を吐いた。
「人の世は、奪い、奪われの世界。自らの夢を成就させるには、何者かの夢や理想、希望といったものを奪わねばならぬ」
ライザーの、メイスに込められた力が、次第に高まっていく。
それに合わせて、全身から放たれる威圧感もまた、大きく膨らんでいき――
「子供達の輝かしい明日を創る。そのために、我輩は其処許の希望を奪う。仲間達と過ごす幸福な未来。そうした夢や希望といったものを、根こそぎ奪わせてもらう」
宣言と共に、ライザーの肉体から、莫大な力が発露した。
「ぬぅ、おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
雄叫びと共に、メイスから伝わる膂力が増大した。
そして……
奴の目が紅い煌めきを放ち、甲冑の胸元に同色の刻印が刻まれる。
「なるほど……! 以前、貴様がメガトリムで見せた《固有魔法》の進化。どうやらアレだけではなかったようだな……!」
俺が知る限り、ライザーの《固有魔法》は、メイスで打ち据えた対象を支配し、その能力を強化するというものだった。
そこに加えて、支配された者の攻撃を浴びた対象もまた、ライザーの支配下に置かれてしまうという効果もある。
俺が認知している内容は、それだけだった。
しかし。
数千年の時を経て、この男の切り札には、俺も知らぬ未知の領域が生まれたらしい。
「ぬんッッ!」
気迫と共に、ライザーのメイスが鍔迫り合いの均衡を破った。
奴は今、こちらの膂力を大きく上回っている。
その絶大なパワーで以て、俺の全身は派手に宙を舞い、木々を薙ぎ倒しながら、森林の只中を進んで行く。
「やはり、フェイズ:Ⅰで御しきれる相手ではない、か」
それならば。
「リディア。勇魔合身、フェイズ:Ⅱ」
【了解。フェイズ:Ⅱ、スタンバイ】
淡々とした声が脳内に響いてからすぐ。
我が身が闇に覆われ、その姿を変えていく。
黒き鎧が総身を覆い、髪色が純白へと染まる。
第二の形態へと進化した瞬間、俺は地面へと足を着け――
「ライザー・ベルフェニックス。貴様がこの数千年の間に思念を積み重ね、成長したように。この俺もまた、情の力によって進歩したということを教えてやる」
迫り来る敵方へ気迫を放ちながら、俺は全力で踏み込んだ。
圧倒的な脚力で以て、瞬時に間合いを詰める。
そして再びぶつかり合う、黒剣とメイス。
激烈な轟音と衝撃波が周囲に広がる中、ライザーの口から、小さな苦悶が吐き出された。
「ぬぅッ……!」
奴が執る巨大なメイスが、こちらの大剣によって吹き飛ぶ。
体勢を崩し隙を見せたライザーへ、俺は容赦ない斬撃を繰り出した。
「るぅあッ!」
「ちぃッ!」
間一髪というタイミングで、ライザーは後方へと跳躍。袈裟懸けの一撃を回避した。
だが、我が黒剣の刀身は僅かに甲冑の一部を掠め……
傷を付けた者がほとんどいないというライザーの愛装に、爪痕を残した。
「……我輩の記憶が確かなら、その姿の其処許に、これほどの力はなかったはず」
鎧の切断痕を指でなぞりながら、ライザーは小さな声で呟く。
「思いの力が、友情に対する強い執着が、其処許を強くしたか。しかし……それがどうしたというのだ」
奴の双眸に、畏怖の念など皆無。
むしろ秒を刻む毎に、闘志が膨らんでいく。
ゆえに、奴は。
「ハッ!」
我が黒剣の脅威を恐れることなく、勇猛果敢に踏み込んできた。
一撃でも浴びれば、霊体ごと消去されてしまう。
そうした状況であろうとも、この男は決して、前に進むことを恐れない。
激烈な信念が、ライザー・ベルフェニックスという老将を支えているのだ。
しかし、それはこちらとて同じこと。
俺もまた奴と同様に、譲れぬものがある。
仲間達と過ごす幸せな未来。
それを守るためにも。
「敗者となるのは貴様だ、ライザー・ベルフェニックスッ!」
「否ッ! 苦渋を舐めるのは其処許であるッ!」
互いに意地を吐き合い、獲物をぶつけ合う。
しばらくは互角の勝負が展開された。
しかし徐々に、バランスが崩れていく。
優勢となりつつあるのは……
この、アード・メテオールであった。
「ぬぅッ!」
新たな切断痕を鎧に刻まれたライザーが、顔を歪ませた。
あと僅か。一歩踏みこみが足りていたなら、相手方の肉体を両断出来る。
そのような状況へと、俺はことを進めていた。
敵方が何もせぬのなら、あと一四手でこちらが勝つ。
しかし――
この男が、こうした状況で何もせぬわけがない。
実際、ライザーは策を用いてきた。
それが発動した瞬間。
「ひっ!?」
遠方より、小さな悲鳴が上がる。
イリーナの声だ。
……当然ながら、絶対防衛対象であるイリーナについては、ライザーとの戦闘中も常に、魔法を用いて監視を行っていた。
右目はライザーを映し、左目はイリーナの姿を映している。
今、彼女の目前にて、捕縛していた《魔族》の男が拘束を弾き飛ばし、目を紅く煌めかせながら迫っている。
これもまた、ライザーの《固有魔法》によるもの。
メイスで打ち据えた相手を、任意のタイミングで強化兵へと変える。
それはメガトリウムでの一件でも見せた、奴が有する《固有魔法》の一面であった。
「ここまでの展開全てが、貴様の読み通りというわけか。あの《魔族》は捨て駒でありつつも、策の要だったというわけだ。相も変わらず、権謀術数に長けた男だな、貴様は」
俺が敵方と睨み合う中、イリーナは怯えながらも、果敢に相手へと挑んだ。
「こ、のぉッ!」
上級魔法、《ギガ・フレア》。
竜巻のように渦巻く豪炎が、《魔族》の男を飲み込んだ。
猛然と吹き荒ぶ、灼熱の風。
それは周囲の木々や草花を焼き尽くし、消し炭さえも残さなかった。
しかし……
《魔族》の男には、通用しなかったようだ。
直撃を浴びてなお、敵方は無傷である。
「そ、そんな……!?」
本気の一撃だったのだろう。
それがこのような結果となったことで、イリーナは愕然としている。
そんな彼女のもとへ、一歩、また一歩と、男が接近し、
「う、あ、あ」
不気味な唸り声を上げる。
そのさまはまさに、悪鬼のごとし。
女子供ならば泣き喚いて当然といった、恐ろしい姿であったが……
しかし、イリーナは決して、俺に助けを求めることはしなかった。
あくまでも、自分の力で困難を乗り越えようとしている。
その負けん気に称賛の念を送りたい。だが、そうかといって、捨て置くわけにもいかん。
彼女では、あの男には勝てぬ。
俺が介入せねばなるまい。
例えイリーナのプライドを傷付ける結果になったとしても、彼女が犠牲になるよりかはマシだ。
……とはいえ。
「こうした状況において、俺がイリーナを救助することは貴様とて読めていよう。おそらくはそれも、策の一環なのだろうな。しかし……」
俺はライザーを見据えながら、宣言した。
「いかなる策を弄そうとも、この俺に刃が届くことはない。それを証明してやる」
俺とライザ-、仕掛けるタイミングは同じであろう。
即ち、イリーナに危機が及ぶ、その瞬間である。
俺もライザーも、同じ光景を目にしているに違いない。
右目は敵を映し、左目はイリーナを映す。そうした状況で睨み合いながら……
「こ、来ないでよッ!」
イリーナに危機が迫った、そのとき。
あまりにも意外な展開が、やってきた。
「だわっしゃああああああああああああああああああッ!」
聞き慣れた可憐な声が、森の只中に響き渡る。
まさに唐突。まさに突然。
なんの脈絡もなく現れた少女は、紅蓮の如き紅髪をなびかせながら猛進し……
その手に握る聖剣で以て、《魔族》の男を一刀のもとに斬り伏せた。
「姐さんに近づくんじゃないのだわっ! この変質者っ!」
突如現れた、意外性の塊。
その名は――
「シ、シルフィー!?」
そう。我等が友人の一人、シルフィー・メルヘヴンである。
彼女の乱入は、さしものライザーも想定外であったらしく。
「……状況をむちゃくちゃに掻き回す。そういった忌々しいところは、相も変わらずか」
渋面を作りながら、老将はボソリと呟いた。
その声が遠方の彼女へと届いたのだろうか。
遠見の魔法により、我が右目に映るシルフィーが、叫びを放った。
「この魔力の感じ……! ライザーッ! アンタ、どっかに居るんでしょッ! ブン殴ってやるから出てくるのだわッ!」
……シルフィーにとっては、このライザーとて仲間の一人だった。
そうだからこそ、奴が我々に敵対しているという状況が許せないのだろう。
せっかく再会出来た仲間に、裏切られたような気持ちなのだろう。
ライザーとて、シルフィーの感情は理解していよう。だが、奴はそのうえで、彼女の前に姿を現すことを拒絶する。
「用意した策のおおよそが台無しである。もはや、奴めの力を信じる他あるまい」
言うや否や、ライザーの全身が薄らぼんやりと、消え始めた。
俺が知らぬ魔法、あるいは魔道具によるもの、か。
これは解析が完了する前に、相手を取り逃がすだろうな。
さすがはライザー・ベルフェニックス。俺から逃げるための準備も万端か。
「計画が遂行されたなら、これが今生の別れとなろう。そうなることを祈るのみである」
意味深な言葉を残して、老将は音もなく消え失せたのだった。
「ふう……出来ることなら、この場で決着をつけたかったが。さすがに易々とはいかんな」
俺は自らの《固有魔法》を解除し、元の姿へと戻った。
そして、イリーナ、シルフィーのもとへ足を運ぶ。
と、すぐにシルフィーがムスッとした顔になり、
「ライザーのやつ、ま~た逃げたのだわねっ! メガトリウムのときといい、今回のときといい、臆病者だわっ!」
ぷんすかと怒る彼女に苦笑しつつ、俺はイリーナへと目をやった。
「イリーナさん。ご無事ですか?」
「……えぇ。シルフィーのおかげで、ね」
助かったことへの安堵、シルフィーへの感謝、そして……
無力であった自分への複雑な思い。
そんな情が混ぜこぜとなった顔をするイリーナ。
ここで下手に慰めようものなら、むしろ彼女は余計に落ち込むだろう。
だから俺は、あえてイリーナから目を逸らし、シルフィーへと問いを投げた。
「ところで、なぜ貴女がここに? 何かよからぬ者の気配でも感じ取ったとか?」
「ん~ん。完全なる偶然なのだわ。美味しい魔物が棲んでる危険地帯を調べてたら、ここに辿り着いたの。さっきまで変な姿したイノシシ食べてたんだけど、アード達も食べるのだわ?」
「いえ、遠慮しておきます」
というか、美味しい魔物ってなんだ。
お前は武者修行してたんじゃなかったのか。
……まったく、どこまでも行動が読めぬ妹分だ。
しかし、今回はその意外性に助けられたな。
ライザーの言葉が事実であったなら、ある程度の危機に陥っていたかもしれない。
ここは素直に、シルフィーへ感謝しておこう。
「ところで。なんで二人がここにいるのだわ? 故郷に帰ったんじゃないの?」
「えぇ。村でゆっくりと、休暇を楽しむつもりだったのですが――」
俺は、今に至るまでの事情を説明した。
すると、シルフィーは目をまん丸に見開いて、
「ジ、ジニーの領土に、別の国が攻め込んできたっ!? た、大変じゃないのっ!」
やはり初耳か。
「こうしちゃいられないのだわっ! ジニーを助けにいかなきゃっ!」
「えぇ。これより、侵略行為を受けている街へと転移いたします。……イリーナさん、心の準備はよろしいですか?」
「うん、大丈夫。もう、足を引っ張るようなことはしないわ」
力強く、決意に満ちた目で頷くイリーナ。
少々、気負い過ぎにも見えるが……まぁ、何かあればサポートすればいい。
とにかく。
俺とイリーナは、シルフィーという頼もしい友人を仲間に加えて、目的地へと転移するのだった――