第七五話 元・《魔王》様と、終わり行く日常
遠征の完了とは、故郷へ帰還した際に初めて確定するものである。
これは古くより伝わる戦の格言で、例え勝利したとしても気を抜くな、という意味を持つ。我々が行ったことは別に、遠征というわけではないが……まぁ、結果として似たようなことになってしまった。
そういうわけで、故郷へ帰るまで、俺は一切気を抜くことなく、周囲の警戒を続けたのである。幸運にも、これ以上の面倒ごとは起こらず、我々はヴェーダが開発したという、小型転移装置なる魔道具を用いて、ラーヴィル魔導帝国へと帰還した。
……装置が故障して未来世界へ飛ばされる、といったトラブルがなくて、まっこと僥倖であった。
◇◆◇
さて。
宗教国家・メガトリウムでの一件だが、俺とイリーナの精神的問題は解決したと言っても良いだろう。
だがしかし、その他の問題に関しては、何一つとして終わってはいない。
中でもとりわけ重大な問題に関する顛末を、ここに記しておこう。
まず、大陸内における平和条約について。
そもそも、俺達がメガトリウムへ向かったのは、これがきっかけであった。
けれどもそれは、ライザーが俺を誘き寄せるための口実でしかなかったのだろう。
奴の計画内容を思えば、条約締結など最初から期待してはいなかったのではなかろうか。
なんにせよ。
メガトリウムで発生したゴタゴタが原因で、平和条約は破棄されてしまった。
民は大いに嘆いているようで、ある意味、その原因となった俺としては少々心が痛い。
続いて、ラーヴィル魔導帝国が置かれた環境について語らせていただく。
前述の通り、解決したのは俺とイリーナの精神的問題だけであって、お国の機密が世間に出回ったことに関しては、なんの解決も見せてはいなかった。
《英雄男爵》の異名をとるヴァイスと、その娘であるイリーナ。二人が《邪神》の末裔であること、王室がそれを知りつつも黙秘し続けてきたことなど、今回の一件によって、かなり不味い内容が大陸全土に広まってしまった。
ヴァイスとイリーナが真の王族である、という内容が漏洩しなかっただけ、まだマシかもしれないが……それでもやはり、女王ローザは苦しい状況に陥ったと言える。
メガトリウムの一件後、反ローザ派が大きく台頭し、近いうちに内乱が勃発するのでは、といった空気が流れ始めた頃のこと。
この一件もまた俺が遠因であるため、責任をとるべく行動しようとしたのだが。
それよりも前に、オリヴィアが動いた。
王室やイリーナ達に対する擁護論を世間に発表し、彼女自らが国家のご意見番となることにより、反ローザ派と世論をどうにか抑え込んだのである。
結果、今後ラーヴィルは王室とオリヴィア、両者によって運営されることになった。
オリヴィアは今でこそ学園講師としてひっそり暮らしてはいるが、それでも伝説の使徒様である。その社会的信用度は絶大で、彼女が動いてくれたことにより、国内情勢はどうにか沈静化したのだった。
最後に、大陸内情勢に関する状況を説明し、この日誌を締めくくろうと思う。
ラーヴィルが国内における動乱を沈静すべく躍起となっていた一方で、大陸内においても、大きな問題が生まれていた。
宗教国家・メガトリウムが、反ラーヴィル連合の呼びかけを各国へ行ったのである。
盟主にして主催となった者はライザーとのことだが……おそらく、本人ではあるまい。仮面の某が用意した代理人といったところだろう。
この連合が成ったなら、ラーヴィルは国家存亡の危機に陥ることとなる。
連合結成と同時に、メガトリウムはラーヴィルに対して宣戦を布告し、問答無用で襲いかかってくるのではないかと思われた。
この呼びかけに対し、多くの小国は賛同の意を示した。あわよくばラーヴィルの土地と資源を一部占有出来るチャンスゆえ、これを逃す手はないと考えたのだろう。
一方で、ラーヴィルを除いた四つの大国だが……
まず真っ先に反応を示したのが、ヴィハイム皇国であった。
その歴史的風土からして、《邪神》と《魔族》をもっとも忌み嫌うこの皇国からしてみると、ラーヴィルは断じて許せぬ存在に映ったのだろう。
続いてゴルディナ共和国が一時、同調を匂わせるような声明を発表。
かの国はラーヴィルの隣国であり、国家間の仲は冷え込んでいる。
けれども国家主席たるバッファは極めて慎重な人間だ。ゆえに情勢を睨みつつ、どのような立ち位置にもなれるよう動いていた。
そんなときである。
前述した、オリヴィアによる擁護論が世間に発表されたのは。
ラーヴィルが王室だけでなく、オリヴィアとの共同運営へ変わったことにより、サフィリア合衆国大総統・ゼロスは、ラーヴィルに対する友好条約を持ちかけてきた。
正確には、ラーヴィルではなく、オリヴィアへ、だが。
ゼロスは彼女の親戚筋の子孫とされており、オリヴィア崇拝たる黒狼教の信徒である。
当然のこと、この条約は締結の運びとなった。
ラーヴィルが肯定の意を示してすぐ、ゼロスはこちらへ足を運び、オリヴィアと面会したのだが……その際のやり取りがどうにも、気になってしょうがなかった。
顔を合わせるなり、オリヴィアの目前にて跪、涙を流すゼロス。
それを複雑げな顔で見下ろすオリヴィア。
……この友好条約が何か、大きな問題を生み出すような気がしてならない。
ともあれ、サフィリア合衆国がラーヴィルに寄り添ったことで、ゴルディナ共和国もまた親ラーヴィルの意を示すようになった。
共和国の主席代表……バッファからすると、難しい局面であったことだろう。
かの合衆国と共和国は同盟を結んでおり、極めて密な関係にある。
両国は互いの資源を輸出入し合い、繁栄を築き上げてきた。
そうした両国だが、パワーバランスとしては、ややサフィリア合衆国の方が強い。
かの合衆国が有する特産、資源の一部は、共和国の必需品として輸出されている。
一方で、共和国の特産、資源の多くは合衆国にとって需要のあるものである反面、他国からすると、それほどでもない。
そんな共和国が、もし反ラーヴィル連合に参加して、合衆国と決別しようものなら、いったいどれだけの損失を被るか。
無論、共和国内でも意見は分かれただろう。連合に参加し、ラーヴィル魔導帝国とサフィリア合衆国、両方を攻め滅ぼし、国土を獲得出来たなら、今以上の繁栄が見込めるだろう、と。そうした主張もあったはずだ。
リスクとリターン。二つを天秤にかけた末に、バッファは親ラーヴィル派として静観を決め込むことにしたのだろう。
そしてあの蛮王が治めしアサイラス連邦だが……こちらは不気味な沈黙を保っている。
連合に同調するわけでもなく、ラーヴィルに付くわけでもなく。
何を考えているのやら、まるで読めぬ。
まさに目の上のたんこぶといったところか。
……いずれにせよ、大陸内情勢はオリヴィアの行動によって決したといえよう。
彼女がラーヴィルを運営する者の一人となったことにより、サフィリア合衆国とゴルディナ共和国はこちらについた。
アサイラス連邦は信用ならず、ゆえに反ラーヴィル連合はメガトリウムとサフィリア皇国、そして有象無象たる小国だけが参加するものとなった。
戦力的にはこちらにまるで及んでおらず、そのため、連合はしばらく大人しくしているのではないかと思われる。
とはいえ……いずれは、静寂を破るだろう。
賽は投げられたのだ。
我々がメガトリウムへ赴く前、大陸内は確かに、一つへ纏まろうとしていた。
しかし今、大陸はラーヴィル派と反ラーヴィルに別れ、睨み合っている。
それを俯瞰するような形で、アサイラス連邦が虎視眈々と機を狙う。
……この大陸と、そこに住まう我々は、動乱の時代を迎えつつあった。
これにて、本日は筆を置かせていただく。
夏終の月、一四日。
筆者、アード・メテオール。
◇◆◇
「……ふぅ」
夜更けのことであった。
ランプの薄明かりが手元を照らす中、俺は倦怠感を味わいつつ、息を唸らせる。
「この一文で…………うむ、終わりだ」
ここ最近、俺は日誌を書くようにしている。これもメガトリウムにて、なにがしかの意識変化が起こった結果であろう。
自室にて机に向き合い、羽ペンを走らせ……今、本日分が書き終わった。
「う~ん……」
伸びをしながら、小さく声を漏らす。
そうしてから俺は、室内中央にある大型ベッドへと目をやった。
「むにゃむにゃ……アァ~ドォ~……」
「すぅ~……すぅ~……うふ、うふふふ…………すぅ~」
「ぐごぉおおおおおおお……ぐごぉおおおおおおおお…………さすがリディー姐さん、《魔王》が投げたボールが真っ二つだわっ! ……ぐごぉおおおおおおおおおお」
ベッドの上で眠る、麗しい三人の少女。
皆、良き夢を見ているようで何よりある。
「……ここ最近、同時に寝ることが少なくなったな」
それもこれも、我が凝り性が原因であった。
日誌というのは中々、面白いものである。文章を厳選し、思い悩み、その末に納得いく文章が生まれたときは、極めて気持ちがいい。
ジニーは普段、小説の執筆を趣味としているようだが、なるほど、彼女がハマるのも納得である。
俺はすっかりと物書きの魅力にハマり、文章構成を凝りまくるようになった結果……
ここ最近、寝不足気味であった。
「ふぁ……どうにも、よくないな……昔から俺は、物事にハマると見境がなくなる……」
前世のように人生の恥部を量産せぬよう、気を付けたいところである。
「さて、と。もうそろそろ、俺も眠ろうか」
机を照らすランプの光を消すと、室内は完全なる暗闇に支配された。
広々とした部屋の中を歩き、ベッドへと赴くと、俺は静かに寝転がる。
目前にあるのは、イリーナの寝顔。
彼女もまた、穏やかな顔で眠っている。
……ライザーとの一件後、世界は変わった。それに伴い、俺達の生活も少し、様変わりしたと言える。
やはり学内にはイリーナを認めぬ者もいて、たびたび人間関係のこじれが発生することもあるが……おおむね、平穏だ。
この穏やかな生活は、姉貴分たるオリヴィアからの贈り物だと、俺はそう捉えている。
彼女にはいくら感謝しても足りない。
だが……
いくらオリヴィアでも、平穏を長く維持することは出来まい。
どうあっても、この穏やかな生活はいつか、終わりを迎えるだろう。
そのときは――
俺が、責任をとろう。
全ては俺が原因で起きていることなのだ。
ゆえに、そのときがやって来たなら、もはや躊躇うことはない。
ライザーとの一件で俺は、大いに救われた。
皆に、救ってもらった。
だから今度は、俺が守る番だ。
そのためなら俺は――
ただの村人としての生活を、捨ててもいい。
……アード・メテオールとしての人生は、もうじき終わりを迎えるだろう。
そう確信しながら、俺は目を瞑り、意識を手放すのだった。
本日8月20日、最新刊である第五巻が発売いたします。
また、今月9日にはコミックスの第一巻も発売しておりまして、こちらも併せてお願いいたします……!