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第七四話 元・《魔王》様と、人間の煌めき 後編


 蒼穹の只中を、一人の男が下方へ向かって突き進む。

 風を浴びて法衣をはためかせ、真っ直ぐに。

 その瞳は、こちらの姿だけを捉えている。

 俺の瞳もまた、奴だけを捉えている。


 ライザー・ベルフェニックス。

 歴戦の猛者。

 文武両道の老将。

 軍随一の知恵者。

 かつて、この俺を支えた最強の戦士が一人……

《四天王》の一角を担いし男が、激烈なプレッシャーを放ちながらやってくる。

 我が命運を、手中へと収めるために。


「ライザーッ……!」


 こちらへ真っ直ぐに落下してくる敵方を睨みながら、俺は一瞬にして、魔法術式を構築。

 上級防御魔法、《ギガ・ウォール》の七重層である。

 最初の一合は、攻撃魔法による迎撃でなく、防御一辺倒を選択した。

 平常であれば、敵方の攻撃などなんの脅威にもならぬ。ゆえに相打ち覚悟の迎撃をすることもある。だが……


固有魔法(オリジナル)》を発動したライザーを相手取る場合、決して、攻撃をもらってはならない。

 奴が手にしている、あの巨大なメイス。

固有魔法(オリジナル)》発動と同時に顕現するあの武装に、ちょっぴりばかりでも触れたなら、その時点で全てが終わる。


「ぬんッッ!」


 互いの距離が限りなくゼロへと縮まった瞬間、ライザーの口から裂帛の気合が放たれた。

 巨大なメイスを、左手一本で振るってくる。

 我が頭上を狙っての一撃は、しかし、先刻展開した防壁によって阻害される。黄金色の防壁がメイスの重い打撃を確と受け止め、両者の激突が、猛烈な音と衝撃波を生んだ。

 刹那。

 展開した防壁が、ピシリと音を立てる。

 流石はライザー・ベルフェニックスといったところか。

 たった一撃で、我が防御魔法は粉砕寸前となった。

 修復――させてくれるほど、奴は甘くない。


「打ッッ!」


 再び気迫を放ちながら、ライザーはメイスを横薙ぎに振るう。

 第二撃を耐えるほどの余力はない。

 そう判断した俺はあえて防壁を消去し、全力で地面を蹴って、攻撃を回避する。

 メイスが空転し、大気が悲鳴を上げると共に、俺は後方へと跳んだ。


 離脱。

 高い位置にある処刑場の舞台から、中空へと身を躍らせた。

 我が膂力はこの身を矢の如く飛ばし、イリーナ、ローザ、ヴァルドルの三名から大きく離れていく。

 地上にて、民衆がこちらを見上げる中。

 ライザーもまた踏み込んで、直線的に飛翔する。

 互いに大気を引き裂きながら移動し……街の路地裏へと着地。


 人気は一切なく、立つ者は我等のみ。

 メイスを担ぎ、こちらを睥睨するライザー。

 空間が歪むほどの戦闘意思を見せる老将を油断なく見据えながら、俺はボソリと呟いた。


「現状は、貴方にとって想定の範疇、といったところでしょうか?」

「……否。完全に、想定からは外れておる」


 口にした内容とは裏腹に、奴の顔には悔恨の情など少しもなかった。


「ずいぶんと、落ち着いておられますね」

「やるべきことに、変わりなきゆえ」


 互いに睨み合いながら、言葉を交わす。

 ひりつくような緊張感の中、ライザーが再び口を開く。


「我輩の思惑通りになっていたなら、其処許は既にアード・メテオールの仮面を脱ぎ捨てている。自暴自棄に陥った末に、友を救うべく……《魔王》として、この世界に再臨する。そうなるよう仕向けたのである」

「……やはり、我が正体を見抜いたうえでの謀だったか」


 もはや、こいつの前で仮面を被り続ける必要もない。

 俺はアード・メテオールではなく、ヴァルヴァトスとして、目前の男と向き合った。


「相も変わらず、知恵がよく回る男だ、お前だ。もう少しでお前の思惑通り、道を踏み外すところだった」


 最初から今に至るまで、俺は奴の策に嵌まっていたのだろう。

 俺の自分勝手な選択によって、全てを失った友……イリーナを救うべく、《魔王》として再臨。そして。


「イリーナのためだけに、常識や倫理を塗り替える。いかなる手段を使っても。……そこから先は、あえて考えなかった。きっと、俺にとっては辛い現実が待っているであろうと、そう思ったからな。居場所を失い、自害を選ぶか、はたまた……」

「古代末期の如く民を洗脳し、己にとって都合の良いものへ変えるか。……我輩としては、そちらを選んでくれると、無駄な手間が省けて助かったのだが」


 そうすることは決してないと、奴は確信しているのだろう。

 実際、それを選択することはなかったと思う。


「前世の末期にて、俺はそれを選択し……もう十分に懲りた。自由意志を奪い、無理やり俺に友愛の情を向けさせても……それはさながら、哀しき一人遊びだ」


 それを十全に理解しているがために。


「……ライザー。あえて言わせてもらうぞ。お前が目指す理想的社会は、ある意味で正しい。だが、人々の心を力で支配し、無理やり創り出した理想郷など――」

「左様。今し方、其処許が述べられた通りの、虚しき一人遊びである。けれども……そうすることでしか、理想郷は創れない。そしてこのライザー・ベルフェニックスは、理想を実現するためだけに存在する」

「……そうした信念以外の全ては、お前にとって空虚かつ無価値、か」

「然り。世界を一つにまとめ上げ、差別をなくし、子供達が笑顔で過ごせる世を創る。人類も《魔族》も関係なく、幼き者達が幸福を享受出来る世界。この身はただ、それを実現するための道具に過ぎぬ」


 断言してみせる姿は、どこか。

 過去の自分を連想させるようなものだった。


「……かつての俺も、似たような考えでいた。古代の末期は、特に。リディアを失った後、俺は彼女との約束を守るためだけに生きた」

「存じておる。リディア殿が目指した理想郷……差別、格差、戦争、それらことごとくを無くし、老若男女の違いだけでなく、人類も《魔族》も関係なく、笑って生きていられる世界。我輩の理想にも極めて近いそれを、其処許は完璧に創り上げた」

「あぁ。民を洗脳し、それが通じぬ者は排除して……世界から自由を奪い尽くしたうえでの、実現だ」


 古代にて、俺は人間の尊厳と自由を取り戻すために戦い続けた。

 そんな俺が、最後の最後で、人々の自由を奪ったのだ。


「皮肉なものだな。生涯の敵として認知していた存在……《邪神》を討ち滅ぼした結果、最終的に自分自身が、彼等に成り代わってしまうとは」


 多くの臣下は、変わり果てた俺の姿に失望し、我がもとを去って行った。

 そればかりか、中には反旗を翻す者もいて。

 ……そんな者達を、俺はこの手で殺し尽くしたのだ。

 俺を信じ、ずっと付いてきてくれた配下達を。

 亡き親友との約束を守るために、殺して殺して、殺し尽くした。


「古代末期において、俺は常々思っていたよ。敗北が知りたい、と。さすればきっと……全て、終わるだろうから。畏怖され続ける人生も。約束に縛られた生き方も。何もかもが」


 俺は、誰かに止めてほしかったのだ。

 間違いを犯している自分を、止めてほしかった。

 けれども終ぞ、その瞬間は訪れず……

 仮初めの理想郷が完成して、すぐ。

 俺の心は、完全に折れてしまった。


「……全ては自業自得。そう理解しながらも、俺は孤独の苦しみに耐えられなかった」

「ゆえに其処許は理想郷の維持を放棄し、この現代へと転生した。……其処許が下した、自分本位な選択が招いた結末は、以前、博物館で我輩が語ってみせた通りである」


 ライザーの鋭い眼光は、こちらを明確に批難するものだった。


「現世は乱れに乱れている。国も人もバラバラに別れ、毎日のように戦が起こり、子供達が尊き命を散らしていく。それはまさに、民意によるもの。人々が生み出す、民意と言う名の濁流は、我輩を以てしても止められぬ。だからこそ――其処許が必要なのだ」


 ここでライザーは、担いでいた巨大なメイスを、こちらに向けてきた。


「我が力で以て《魔王》を手駒とする。さすれば、現世に再び理想郷が誕生するであろう」

「……俺は、あんな世界を理想郷とは思わない。あれはさながら、操り人形の王国だ」

「それでよい。ヒトは何者かが操ってやらねば、常に間違った道を歩く。其処許とてそれは承知しておろう。このメガトリウムにて、再認識も出来たはず」


 暗に、ボルドーのことを言っているのだろう。

 確かに、彼の死は、俺に再認識を促すものだった。


「ヒトはただ醜く、おぞましいだけの生き物。お前が仕組んだ通り、俺はそうした考えを再認識した。だが…………今は、違う」


 毅然とした態度で以て、俺はライザーに反論を叩き付けた。


「ボルドーの不幸は、真の友愛を築けなかったことが原因だ。彼は聖者と呼ばれ、人々を救い続けてきた。だが……それによって形成されたものは上下関係であって、友好関係ではない」


 誰もが彼を、聖者と呼んで崇めた。まるで現人神のように。

 その姿は、かつての俺と民衆の関係によく似ている。

 古代にて、民衆は俺を《魔王》と呼び、畏怖しながらも、救世主として崇め奉っていた。

 即ち――強大な力を頼りにするだけで、俺個人の人格などは誰も見ていない。

 そんな関係性しか、ボルドーは作れなかったのだ。


「真の友愛とは、互いが同じ目線に立っていなければ生まれない。ボルドーはそのことについて、およそ死の間際まで気付けなかったのだろう。もし気付けていたなら、自害に似た結末など選ばなかった。そうしたなら……」


 俺やイリーナとの間に、真の友愛を育むことも出来ただろう。

 それを足がかりに、多くの仲間に囲まれた生活も、出来たのではないか。

 そう、我等が学友たる《魔族》の少女、カーミラ嬢のように。


「……結局のところ、其処許は何が言いたいのだ?」


 どこか苛立ったような声音で、尋ねてくる。


「ボルドーの死が俺の誤った考えを刺激し……そのせいで、道を踏み外すところだった。ついさっきまで俺は……ライザー、お前の言葉になんの反論も出来なかった。ヒトは醜く、おぞましい。それだけの生き物だと、俺もそう考えていたのだ。しかし」

「……しかし?」


 瞳を眇めた対面の老将に、俺は胸を張って断言した。


「今は、自信を持って言おう。ヒトは醜いだけの生き物ではない。醜さの中に、ちっぽけではあるが、確かな煌めきを持っている。それはまさに、人間の可能性だ。俺はそれを信じる。ゆえに――ライザー・ベルフェニックス。俺が、お前の理想に加担することはない」


 ついさっきまで、俺とライザーは同じだった。

 けれども今、二人は完全に袂を別ったといえよう。

 ヒトは異物を恐れる。

 ヒトは決して、異物を受け入れることはない。

 ……そんなものは、嘘っぱちだ。

 仲間達が、それを証明してくれた。

 この現世にて出会ってきた者達が、それを証明してくれたのだ。


「……其処許が、仲間と錯覚する者達の中に見た煌めきなど、ただのまやかしに過ぎぬ」


 ライザーは俺の思いを否定し、そして、


「先刻述べた通り、我輩がすべきことに変わりはない。状況が想定から外れようと。其処許が誤った認識をしようと。何も、関係はない。我輩は自らの力で以て其処許を手駒とし……子供達の、明るき未来を創る」


 桁外れの戦闘意思が、奴の全身から迸った。

 もはや言葉は不要。

 ここからはただ、武力を以て、己が信念を貫くのみである。

 そして――


「《《その道に在りしは絶望》》《《それは哀れな男の生き様》》」


 俺は、切り札の発動準備を開始した。

 まさかまさか、あのライザーを相手に、出し惜しみなどありえない。


「《《その者は独り》》《《背を追う者は居ても》》《《覇道を共に進む者はなし》》」

「《固有魔法(オリジナル)》の発動など、させるものかッ……!」


 鋭い呼気を放ちながら、ライザーは己が得物を躍動させた。

 巨大なメイスが振るわれるは、この俺……ではない。

 先程から道の隅っこで我々の会話を聞いていた、二匹の野良犬である。

 それらの背中を、ライザーは容赦なく叩いた。


「「ぎゃんっ!?」」


 野良犬達の悲鳴が重なる。

 背を打たれた二匹の犬は、一瞬、地面へとうずくまったが――

 次の瞬間。


「「ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオンッッ!」」


 弾かれたように起き上がり、雄叫びを放つ。

 双眸は紅く爛々と煌めき、胸元には瞳と同色の紅い模様が浮かび上がっている。

固有魔法(オリジナル)》発動時のライザーが他の生命体をメイスで叩くと、こうした状態になるのだ。

 その効力は――


「グルゥアッ!」


 まさしく、桁外れ。

 二匹の野良犬が牙を剥き、襲いかかってくる。

 疾走速度たるや、音速のそれだ。

 つい今し方までただの野良犬だったそいつらが、今や驚異的な戦力を持ち、主人の命を遂行せんと迫る。


「《《誰にも理解されることはなく》》《《皆、彼のもとから離れていく》》」


 詠唱を続行しつつ、俺は二匹の猛攻を回避し続けた。

固有魔法(オリジナル)》は詠唱を行わねば発動出来ず、また、詠唱中は他の魔法が一切使えない。

 ゆえに通常、《固有魔法(オリジナル)》は事前に詠唱をほとんど済ませたうえでの、不意打ちとして発動することがほとんど。それこそ、ライザーが俺にやってみせたように。


「ぬんッッ!」


 犬二匹にばかり気をやっていると、すぐ横からライザーがメイスを薙いでくる。

 大きく跳躍してそれを回避し、間合いを取った。

 ……奴の《固有魔法(オリジナル)》は、メイスで打った相手の力量をべらぼうに底上げするだけのものではない。対象を、操り人形にすることも出来る。

 また、さらに。

 極めつけに厄介なのが……感染能力(、、、、)である。

「《《唯一の友にも捨てられて》》《《彼は狂気と孤独の海へと沈んでいく》》」


 詠唱の最中、死角から犬が一匹、こちらへ飛びかかってきた。

 紙一重のタイミングで回避。

 牙の一撃を避けられた犬は、着地と同時に別の野良犬を睨み、そして。

 怯えたように震えるそいつへと踏み込んで、首筋を噛んだ。


「ぎぃっ!?」


 小さな悲鳴が、犬の口から漏れた。

 次の瞬間。


「グルゥアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 喉を噛まれた野良犬が、天を見上げながら叫んだ。

 その目は紅く煌めいて、胸元に同色の模様が浮かぶ。

 ……これがおそらく、ライザーの《固有魔法(オリジナル)》が有する最大の強みであろう。

 既に操り人形と化した存在に接触した場合、その効果が伝染する。


 つまるところ。


 メイスで打たれれば終了。

 打たれた者に触れられても終了。

 この力を有するがために、ライザーは軍勢同士のぶつかり合いにおいて敗北を喫したことがない。何せ相手の兵を全て、我が物に出来るのだから。

 ……状況はまさしく、多勢に無勢。

 いつ決着がついてもおかしくないほど、俺は劣勢に追い込まれている。

 だが。


「《《その死に際に安らぎはなく》》《《悲嘆を絶望を抱いて溺れ死ぬ》》」


 それも、ここまでだ。


「《《きっとそれが》》」


 詠唱の完了は、即ち。


「《《孤独なりし王の物語プライベート・キングダム》》――ッッ!」


 逆転劇の始まりを、意味する。


 闇色のオーラが我が右腕に絡まり、それが鎖へと変わっていく。

 さらに、闇は巨大な黒剣を形成し……

 その柄を、俺は右手で握り締めた。


「「「グルゥアッ!」」」


 迫る三匹の野良犬。

 その命に罪はない。

 けれども。


「斬らせてもらうぞ」


 一斉に飛びかかってくる三匹の犬。

 だが、その動作は今の俺にとって、致命的なまでに遅い。

 この目には、奴等が空中で静止したも同然に見える。

 ゆえに。

 ほんの一呼吸で、俺は三匹の犬の胴を両断した。

 断末魔を上げることも出来ず、地面へと落下する死骸達。

 それらの鮮血と臓物がベチャリと音を立てた頃には。

 既に、俺はライザーへと肉迫していた。


「返礼だ。受け取るがいい」


 先刻までの憂さを晴らすべく、俺は黒剣を振るう。

 首筋へ向かって猛然と進むそれを、ライザーはメイスで受け止めるのだが。

 こちらの膂力を、殺しきることは叶わない。


「くッ……!」


 ここに至り、ようやっと、ライザーの無表情に苦悶が刻まれた。

 前後して、奴の全身が大きく横へ吹き飛ぶ。

 こちらの薙ぎ一閃を防いだものの、膂力は流し切れず、ライザーは建造物を貫通しながら彼方へと突き進んだ。

 今はまさしく我が攻勢であり、また、優勢である。

 そう確信しながら、奴が穿った建物の穴達を通過し、追撃を仕掛けるべくその姿を探す。


 と――

 同時に、俺は一抹の不安を抱えるに至った。


 我が攻勢は。我が優勢は。

 よもや、ライザーの謀略の一部であろうか?

 ……ライザーが吹き飛んだ先は、大通りであった。

 その長く、広い道には、今。


「きょ、教皇様ッ!? いかがなされたッ!?」


 多数の聖堂騎士と、


「えっ!? ア、アード様っ!?」

「なんで戻って来てんだ!? イリーナちゃんはどこだよ!?」


 我が、学友達の姿がある。


「……ふむ。天祐というべきか」


 どこもまでも冷静に。どこまでも冷徹に。あまりにも、冷ややかな声音で紡がれた言葉。

 不味い。

 そう思った瞬間には、ライザーのメイスが動いていた。

 奴のすぐ傍にいた、男子生徒の頭上へと。


「やめろ、ライザーッッ!」


 暴挙を止めるべく、踏み込もうとする。

 だが、その前に。

 一陣の風が吹き荒び、大気が唸り声を上げる。

 そして疾風の如くやってきた彼女は、腰に挿した刀剣を抜き放ち、


「わたしの生徒に、手出しは許さんッ……!」


 我が姉貴分、オリヴィアの剣が、ライザーのメイスを受け止めた。

 金属同士の衝突音がけたたましく鳴り響き、大輪の火花が飛び散る。

 男子の容態は……無事であった。


「オ、オオ、オリヴィア様ぁ……!」

「逃げろッ! 皆、この場から離脱するのだッ!」

「いいや、そうはさせぬ。者共、一人たりとも逃がすでないぞ」


 つばぜり合いながら、互いに命令を出し合う。

 騎士達が素早く動き、逃げ道を塞いだ。

 そうした行動にオリヴィアは舌打ちを漏らし、対面の元・同胞を睨み据えて、


「貴様ッ……! 同じ釜の飯を食った者同士、これまでは黙っていたが……! 我が教え子を巻き込むというのなら、もはや容赦せんぞッ……!」

「容赦せぬなら、どうだと言うのだ。オリヴィア・ヴェル・ヴァイン。信念なき其処許に、このライザー・ベルフェニックスが敗れると思うてか」


 両者が放つ気迫と殺気が、大気を震撼させる。

 果たして、つばぜり合いに打ち勝ったのは、


「輩よ。かつて肩を並べ、戦っていた頃の其処許ならばまだしも……戦う意義を見失った其処許の剣は、あまりにも軽い」

「ぬ、うッ……!」


 老将が圧をかけ、そして、


「ぬんッ!」


 剛腕が、オリヴィアの身体を刀剣ごと吹っ飛ばした。

 両者の間合いが大きく開いてからすぐ、ライザーは近場にいた騎士数名に対し、メイスを無造作に打ち込んで、


「オリヴィア・ヴェル・ヴァイン。今の其処許は、我輩が手ずから葬らねばならぬほどの存在ではない」


 言い終わるや否や、強化された騎士達が、ライザーの意図を体現する。


「「「ぐぅおぁああああああああああああああああああああッッ!」」」


 奇声を放ちながら、オリヴィアへと突貫する強化騎士。

 彼女の相手は、配下だけで十分だと、ライザーはそう言いたいのだろう。

 実際のところ、奴の力で強化された騎士達は手強く……


「チィッ……! アード・メテオール! 生徒達は貴様が守れ!」


 三人の敵を引きつけながら、次第に、この場から離れていくオリヴィア。

 彼女の意思を継いで、俺は生徒達の前へ出る。


「皆さん、ご安心ください。誰にも、指一本触れさせはしません」


 生徒達の反応はさまざまだった。

 安堵を示す者。自らの力量を侮るなと、憤る者。そもそも状況が飲み込めぬ者。

 なんにせよ、ここからは苦しい戦いになるだろう。皆を守りつつ、あのライザーを倒さねばならない。さて、どうしたものだろうか。

 知恵を振り絞り、策を練っていく。

 その、最中のことだった。


「あぁ。其処許の言う通り、我輩とその配下達は、もはや誰に対しても指一本触れることはない。その必要が今、なくなったのである」


 どこか勝ち誇ったような表情を見せるライザー。

 どういうことだ。

 奴の意図が、掴めない。

 と――困惑した、次の瞬間。


「う……あ……!」


 背後にて、小さな声が飛ぶ。

 音の高さからして、女子のそれ。

 どこか緊迫した調子の音色に、俺は悪寒を覚えた。

 何かヤバい。

 第六感が発した危険信号を受けて、俺は無意識のうちに後ろを振り向いた。

 そして。


「なん、だと」


 目前に立つ、一人の女子生徒。

 彼女の目は爛々と紅く煌めいて、胸元には同色の模様が浮かぶ。

 その指先は――

 今、俺の首元に、触れていた。


「ぬぅっ……!」


 ライザーの《固有魔法(オリジナル)》によって強化された者は、奴の操り人形となる。

 さらに。

 人形化した者が触れた対象もまた、自我を失い、ライザーの支配下に置かれてしまう。

 それは、この俺であっても例外ではない。


「くっ……! なぜ、このような……!」


 視界が揺れ動き、次第に、映像が紅へと染まり出す。

 胸元には小さな模様が浮かび上がり、それが徐々に大きくなっていく。

 俺は今、己の精神が他者に支配される過程を、味わっているのだ。


「……つい先刻、其処許と語り合った際、我輩は一つ、嘘をついたのである」


 淡々とした口調で、ライザーが何やら語り始めた。


「現状は想定外。この発言は実のところ、偽りであった。我輩はこうなることも見越して、策を弄していたのである。とはいえ、成るか否かは危ういものだったが」


 天を見上げながら、ライザーはどこか清々しい顔で、言った。


「我輩は其処許の学友一人に対し、事前に仕込みを行っていた。そこな女学生がそれである。秘密裏に接触し、我が《固有魔法(オリジナル)》によって手勢とした。其処許は知らぬだろうが、我輩の《固有魔法(オリジナル)》はこの数千年を経て、新たな力を得たのである。それは――効力の任意発動。今の我輩はメイスで打った対象への効力付与を、任意のタイミングで実行出来る」


 だから、現状が引き起こされたと、いうわけか。

 つい先刻まで、件の女学生は自己意思で動いていた。怪しいところなど、どこにもなかった。しかし、内部事情は違ったのだろう。

 当人さえも与り知らぬところで……女学生は、ライザーの手駒となっていたのだ。


「今し方述べた通り、危うい賭けのような策であった。元来であれば、其処許が《固有魔法(オリジナル)》を発動した後、自然な形でここへ誘導しようと考えていたのである。けれども……其処許は極めて聡明ゆえ、我輩の意図に気付く可能性は大いにあった。しかし……どうやら我輩は、何か大いなる意思のようなものに守られているらしい」


 奴の言葉通り、もし誘導などしようものなら、俺は相手の策に勘付いていただろう。

 だが……


「この場に導いたのは、我輩ではない。其処許だ。其処許自身が、無意識のうちに墓穴を掘ったのである」


 だから俺は、奴の策略に気付けなかった。


「まさに天祐。大いなる意思は我輩を選んだのだ。数千年にわたる悲劇も、この瞬間を以て終幕となる。其処許を手駒とし、我輩は新世界の扉を開く」

「ぬ、うッ……!」


 鮮血のような紅が、視界を侵す。

 胸元に浮かぶ模様が、広がっていく。


「かつての主に対するせめてものたむけとして、其処許の友に救済を与えよう。ゆえに安心して、自己意思をこちらに引き渡すがよい」


 完全なる勝利宣言に対し――

 俺は脂汗を流しながら、笑い飛ばしてみせた。


「まだだ。まだ、終わってはいないぞ、ライザー」

「いいや。ひとたびそうなってしまったなら、打つ手などもう何処にもない」

「それは、どうかな……? 俺が有する異能は、お前とて知っていよう……!」


 解析と、支配。

 それを発展させた、《固有魔法(オリジナル)》。

 この力を以てすれば――


「ありえぬ。其処許は以前、語っていたではないか。自身の異能は、他者の異能と《固有魔法(オリジナル)》に対してのみ、効力を発揮しないと。それらだけは、解析も支配も出来ぬと」


 ここで僅かに、ライザーの表情が曇った。

 勝利の確信に不安の色が混ざる。そうした様子を見て、俺は微笑を浮かべながら言った。


「お前が俺に嘘をついたように……こちらもまた、真実を語らなかったのだ……!」


 広がりゆく胸元の模様を、右手で触れながら、


「まだまだ、勝ち誇るには早いぞ、ライザー・ベルフェニックスッ……!」


 そして俺は、生涯初の挑戦に臨む。

固有魔法(オリジナル)》に対しての、解析と支配。

 ……先刻述べた通り、かつてライザーに語った内容は正確なものじゃない。

 おそらく理論上、我が異能はいかなる概念をも解析し、支配出来るだろう。

 それは《固有魔法(オリジナル)》とて例外ではない。

 ただ……《固有魔法(オリジナル)》が有する情報量はあまりにも膨大で、解析しようとした瞬間、脳が追い込まれてしまうのだ。


 それこそ、発狂寸前といった状態まで。


 ゆえに実質、解析と支配は不可能だと、そう考えていた。

 けれども。

 その不可能を可能にしなければ、未来はない。

 ならば、成し遂げてみせようではないか。

 意を決して、俺は《固有魔法(オリジナル)》の解析をスタートした。

 ――瞬間。


「ぐ、が、あッ……! ああああああああああああああッ!」


 途方もない情報の渦が、我が精神を侵してくる。

 だが一方で。

 視界に映る紅の割合が僅かに減少し、胸元の模様もまた、萎むように縮小する。


「なんだとッ……!?」


 悲鳴のような声が、ライザーの口から漏れ出た。

 今、あの男は瞠目しているのだろうか。

 それならば、してやったりとほくそ笑んでやりたいところだが……

 そんな余裕さえ、俺にはなかった。


「ぐ、ぬ、ぬ……!」


 脳の血管が、ブチブチと音を立てて千切れていくような感覚。

 長い生涯において、俺はさまざまな苦痛を味わってきたが……これは類を見ないものだ。

 無意識のうちに魔力が体外へと解き放たれ、衝撃波となって世界に影響を及ぼす。

 それは生徒や騎士の体を打ち、衣服や顔面の肉などを震わせた。


「ま、だ……処理、能力、が……足りぬ、か……!」


 解析力の底上げが必要である。

 ゆえに。


「フェイス:Ⅱ……!」

【了解。勇魔合身、第二形態へ移行します】


 脳内に、リディアの無機質な声が響き渡った。

 それから間髪入れず、我が身に変化が生ずる。

 毛髪が純白に染まり、後方へと流れ……闇色のオーラが、首から下、全てを覆う。

 やがてオーラは、漆黒の鎧を形成した。


「ぬぅ、お、おおおおお……!」


 形態を重ねるごとに、我が《固有魔法(オリジナル)》は効力を高める。

 その証として、情報処理能力は何倍にも高まり……

 ライザーの手による支配率が、次第に下がっていく。

 視界に映る紅は、残すところあと僅か。

 胸元も模様も、ごく矮小なものへと縮む。


「そんな、馬鹿なッ……!」


 処理能力が高まったことで、ある程度の余裕が出来た。

 ゆえに、俺はライザーの動揺ぶりを見て、笑う。


「この俺《(魔王)》に、不可能など、ないッ……!」


 気力の充実を感じながら、解析作業を進めていく。

 ……その最中。

 形態を重ね、処理能力が高まった反面、我が身から無意識のうちに放たれる圧力と衝撃の波もまた強くなったらしく。

 世界に対する影響も、大きなものになっていた。

 衝撃波が建物の窓を割り、地面を砕き、そして。

 人間の心身を、叩く。


「くぅっ!?」

「な、なんだ、こいつはッ……!?」


 騎士達が、悲鳴に似た声を漏らす。

 ある者は尻餅をつき、ある者は衝撃波に吹き飛ばされ……またある者は、踏ん張りながら全身を震わせていた。

 皆総じて、こちらに畏怖の情を向けている。

 その一方で。

 生徒達は、沈黙を保っていた。

 皆の表情は背後に在るゆえ、目視出来ない。

 だが、彼等はきっと――


「いや、恐れ入った。其処許の力はまさに規格外。我輩の物差しで測れるようなものではなかった。さすが、歴史上最高にして……最恐のバケモノであるな、其処許は」


 両腕を広げながら、早口でまくし立ててくる。

 奴の意図は読めていた。

 こちらの精神を揺さぶり、解析作業を失敗に追い込もうとしているのだ。

 実際のところ、不安材料はある。

 ライザーはそれを、切り札の如く扱った。


「周囲を見よ。皆、其処許に怯えておるわ。我が配下も、そして……其処許の学友達もまた、その圧倒的な力に怯えておる」

「………………」

「其処許はこう語っていたな。ヒトは醜いだけではない、と。その根拠たる者達は今、其処許を異物として扱っている! 其処許に、畏怖を覚えている!」


 ライザーの語調が、強いものへと変化した。


「これが、民意であるッ! ヒトは自分と違うものを恐れ、憎み、排除しようと躍起になるッ! 其処許はあらゆる存在を超越しているがゆえにッ! 森羅万象が! 其処許を拒絶するだろうッ! この場を切り抜けたとしても! 其処許に待つ未来は――」


 声高らかに叫ぶライザー。

 だが、その途中で。


「す、すっごい……!」


 一人の女子生徒が、声を上げる。

 それから堰を切ったように。

 生徒達が、一斉に騒ぎ始めた。


「私達のアード様は、やっぱり最高だわっ!」

「我々に見せてきた力など、奴にとっては序の口だったか……!」

「はんっ! だからどうしたってんだよっ! アードがどんだけ強かろうが、イリーナちゃんが俺の嫁だってことに変わりはねぇ~しっ!」

「は? オレの嫁だろ、ふざけんなよてめぇ」

「アード様結婚してぇえええええええっ! もうとにかく結婚してぇええええええっ!」


 俺を畏怖する者など、どこにもいはしない。

 女子は相変わらず、こちらに引くほどの好意を寄せ……

 男子もまた相変わらず、俺のことを嫌っている。

 力を解放してみせても、俺達の関係は、なんの変わりもない。

 それはまさに。

 俺が求めてきた救いに、他ならなかった。


「どうだ……! ライザー・ベルフェニックスッ……! 俺が、今世で積み重ねてきたものは……決してッ……! この、アード・メテオールを裏切ることはないッ……!」


 絶句するライザーに、俺は力一杯、笑ってみせた。


「この世は、ライザー、俺達が思っているよりも、ずっと単純に出来ている……! 確かにヒトは、異物を恐れるだろうが、しかし……! どんな秘密を抱えていようともッ……! 友達を拒絶するような人間など、この世のどこにも存在せぬわッ……!」


 こんなにも簡単なことに、今までずっと、気付けなかった。

 こんなにも当たり前なことを、今までずっと、信じることが出来なかった。

 けれどもう、疑うことはない。間違えることも、ない。

 それを証明し、此度の一件に完全なる決着を付けるべく。

 俺は、さらなる力を解放する。


「フェイス:Ⅲ……!」

【了解。勇魔合身、第三形態(、、、、)へ移行します】


 リディアの声が脳内に広がった直後。

 我が全身を、闇色の膜が覆う。

 その姿はまるで、繭のように見えるだろう。

 そして数瞬の間を置いて。

 俺は羽化するかの如く、膜を破った。


「えっ……!?」

「ア、アード、様……!?」


 吃驚の声が、生徒達の口から放たれる。

 無理もない。

 黒き膜の中で、我が肉体は大きな変化を遂げ……その姿は、別人も同然であろう。

 身に纏うそれは鎧でなく、さながら闇を凝縮した羽衣のようだった。

 純白に染まった髪は腰元まで伸び、陽光を浴びて燦然と煌めいている。

 そして、その容姿は。

 神話に名を刻んだ、《魔王》・ヴァルヴァトスのそれであった。

 即ち。


「ア、アード様っ……! な、なんて、お美し…………あれ? なんか、意識が……」

「し、死んじゃう……! アード様が美し過ぎて……! 美死ぬっ……!」


 我が顔面を直視した瞬間、少女達はバタバタと卒倒する。


「う、嘘だろ……!? イリーナちゃんマジ天使教の狂信者たる、この俺が……!」

「な、なんだ、この胸の高鳴りは……!?」

「もうあそこまで綺麗だったら男でもいいわ。うん。余裕でイケる」


 男子達はかつての我が配下達の如く、ヤバい方向性に進みつつあった。

 正直、勘弁してほしい。

 ……そうした学友達の声を浴びながら、俺は。


「解析、完了だ」


 前世と同じ姿、同じ声で言葉を紡ぐ。

 それと同時に、視界にあった紅と、胸元の模様は完全に消失する。

固有魔法(オリジナル)》の解析と支配。生涯初の挑戦は見事、成功したのだった。


「そん、な……! 馬鹿なッ……!」


 瞠目し、冷や汗を流すライザーへ。

 俺は、黒剣を構えた。


「……決着を、付けようか」


 静かに、穏やかな心持ちで宣言すると。

 それを実行すべく、俺は踏み込んだ。


「――――ッ!」


 さすがは《四天王》。第三形態となったこちらの動作に、反応してみせるか。

 だが。


「反応出来たとしても、意味はない」


 相手を刃圏に捉え、無造作に黒剣を振るう。

 こちらが放った斬撃を、ライザーはメイスで受け止めたのだが、


「ぬぅあッ!?」


 我が膂力は、戦闘開始直後の比ではない。

 黒剣とメイスが激突した瞬間、ド外れた衝撃がライザーの肉体に伝わり……

 それが奴の骨をことごとく粉砕し、臓腑をズタズタに引き裂いた。


「ぐはッ!」


 吐血した後、その老体は放たれた矢の如く、街の只中を飛び進む。

 つい少し前と同様、建物に風穴を開けながら移動するライザー。

 俺はほんの一蹴りで、奴のもとへ追いつくと、


「胴を斬るぞ。構えよ、ライザー」


 未だ宙を舞う老将の胴へ、刃を走らせた。


「くぅッ!」


 此度もギリギリのタイミングで反応してみせるライザー。

 メイスを動かし、胴を守る。

 そして、我等の得物が再び衝突。

 こちらが真下へ力をかけたがため、ライザーの全身は地面へと叩き付けられ、石畳を粉々に砕いた。


「がぁっ!」


 またもや血反吐を撒き散らし、蓄えた白髭を紅く染める。

 戦力差は絶望的。それでもなお。

 ライザーの目には、諦観の情など、微塵もなかった。


「う、お、あッ!」


 信念が、その肉体を動かしているのだろう。

 全身の骨を砕かれ、臓腑が破れようとも。

 ライザーは巨大なメイスを、果敢に振るってくる。

 しかし。


「無駄だ」


 あまりにも遅い、その一撃を、俺は悠々回避して。

 敵の右腕へ。メイスを握る、その腕へ。黒剣を、走らせた。

 果たして、我が刃は狙い過つことなく、ライザーの右腕を両断した。


「がっ!?」


 断たれた腕が地面へ落下し、その手から、メイスが零れ落ちる。

 そして。


「終いだ」


 短い宣告を口にした直後。

 俺は、拘束の魔法を発動する。

 ライザーを取り囲むように、魔法陣が顕現。

 一拍の間を置いた後、そこから闇色の鎖が放たれ、老将の体を縛り上げていく。

 最後に鎖の端が地面へと突き刺さり、それに伴って、ライザーはこちらへと強制的に跪くことになった。

 俺はそんな元・配下を見下ろしつつ、黒剣を構え、


「袂を別ったとはいえ……お前もまた、かつて俺を支えてくれた臣下の一人。ゆえに、霊体ごと消し去るような真似はせぬ」


 粛々と、言葉を連ねていく。

 ライザーの処断は、もはや決定事項であった。

 生かしておくにはあまりにも、この男は危険過ぎる。


「最後に何か、言い残すことはあるか?」


 ライザーは額から脂汗を流し、老いた面貌に苦悶を浮かべながら、言った。


「我が命運……! ここで終わる宿命(さだめ)では、ないッ……!」


 その目にはまだ、信念を貫かんとする強烈な意思が宿っている。

 今際の際を迎えてなお、弱さを見せぬ老将に、俺は称賛の念を抱きながら、


「歴戦の猛者よ、さらばだ」


 黒剣を、ライザーの頭頂部目掛けて振り下ろす。

 老将の命運は、ここに決した。

 ほんの一瞬にして、我が剣は奴の肉体を真っ二つに切断するだろう。

 その瞬間が、今――


「いやいや。それは筋書き違いというものだよ」


 前触れなく。あまりにも、唐突に。

 聞き覚えのある声が、耳に入ると同時。


 目前の光景が、変化する。


 気付けば、我が黒剣が消失しており……

 目前に跪いていたライザーもまた、その姿を失っていた。

 自身の様相を確認してみると、《固有魔法(オリジナル)》が解除されていることに気付く。

 無論、こちらにそうした意思は微塵もなかった。


 何が起きたのか、まるで理解が追いつかない。

 ただ一つ、ハッキリしていることは。


 眼前にて佇立している彼の者が、現状を創り出した張本人であろうということ。

 そして、その姿には、見覚えがあった。


 スラリとした長身に燕尾服を纏い、その顔を奇妙な仮面で隠している。

 名も知れぬ、仮面の某。

 それはかつて学祭のおり、この俺が手ずから葬ったはずの存在。だが……

 飄然とした佇まいを前にして、俺は自然と、こう呟いていた。


「やはり、生きていたか」


 油断なく構え、戦闘意思を発露するこちらに、仮面の某はくつくつと笑う。


「そうだ。そうだとも。嗚々、その通りだよ、アード・メテオール。我が身は今、道化のそれ。そして道化というものは絶対不変であり、完全不滅の存在なのだよ」


 どこか芝居じみた口調で語る、仮面の某。

 その言葉を受け流して、俺は問いを投げた。


「……ライザーを、どこへやった?」

「無論、安全な場所へ。怖い怖い《魔王》様のお傍に置いては、いずれ取って食われてしまう。ゆえに、今後はしばらく代理を立てようと思う。ライザー殿はまだ、吾の計画に必要な御仁であるゆえ。死なせるわけにはいかんのだよ」

「計画、だと? ……《ラーズ・アル・グール》は、何を企んでいる?」


 この仮面の某は、かの組織の幹部である可能性が高い。

 そう考えたうえでの問いかけだったのだが。


「ふぅむ。吾の計画を、組織ぐるみのそれを言ってよいものだろうか? 別段、皆を騙しているつもりはないのだが。道化というのは時として不快感をもたらすもの。笑いと怒りは紙一重ゆえ、これが実に難しい」


 まったく、なんの答えにもなっていない。

 そんな発言を終えると、仮面の某は優雅に一礼し、


「それではまた、近いうちに会おう。さらばだ、我が愛しの《魔王》陛下」


 一瞬にして、その姿が消え失せた。


「……奴めはいったい、何者なのか」


 相手が失せた後も、俺はただ一点を睨み続けた。

 奴が立っていた場所を、睨み続けていた。


「姿も。雰囲気も。声も。何もかもが、覚えのあるもののように感じる。まるで、旧知の仲であるような。……しかしその一方で、初対面のようにも感じられる」


 いったい、何者なのか。

 いったい、何を企んでいるのか。

 ……是非もなし。どう足掻いたところで、いずれ奴とも相まみえることになろう。

 その結果、世界は未曾有の危機に陥るやもしれぬが……

 しかし。


「あっ! お~い、アァ~ドォ~!」

「派手に暴れよったのう」

「早めにずらかるのだわっ!」

「弁償額はいかほどになるのでしょうね……」


 俺には、仲間がいる。


「パパ~」

「疲れた~」

「早く帰って、ベッドに転がりたいわぁ。ねぇ、カーミラ?」

「う、うん。そう、だね」


 心から信じ、愛することの出来る仲間が、俺にはいるのだ。


「アード様のお姿がっ! 元に戻ってらっしゃるわっ!」

「やっぱ今ぐらいのお姿が一番親しみやすいわね」

「あ、よかった。俺まともだわ、今のアードにはなんの反応もしないもの」

「やっぱイリーナちゃんだな。うん。イリーナちゃんだわ」

「つ~か、エラルドとオリヴィア様どこいった?」

「エラルドなんかどうでもいいわ。オリヴィア様は? ねぇ、オリヴィア様は?」

「あ~、エラルドの引きこもり癖を治してやるとか言って、追い回してなかったか?」

「どうしてそうなった?」


 ……皆が居てくれる限り、俺はどのような難局も乗り越えてみせる。

 そして。


「なんだかんだあったけど! 今回もアードのおかげでまるっと解決ねっ!」


 この親友の笑顔を、最後の最後まで守ってみせる。


「さ! お家に帰りましょ! アードっ!」


 イリーナが差し出してきた手を握りながら。


「えぇ、帰りましょう。私達の居場所へ」


 俺は、心の底から。


 幸せを、噛みしめるのだった――




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