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第七三話 元・《魔王》様と、人間の煌めき 中編


 通常、一国の主や王室などを裁き、極刑を執行するというのは困難なものである。

 国家が掲げし政治理念が絶対王政であれば当然のこと、民主主義や共産主義といった民衆寄りのものであったとしても、まず裁判を開くことさえ難しい。

 ゆえに絶対王政の国家であれば、王が首を落とされる瞬間は常に、革命が成功した場合のみであり……

 民主主義国家における王室であれば、極めて長い起訴猶予の中で、民が必死に罪の証を探し求め、起訴へと導き、王室弾劾裁判にて有罪を勝ち取らねばならない。

 いずれにせよ、貴い者を社会的に排除するには、多大な労力と時間が必要だ。


 しかし……

 ただ一つ、教皇による異端審問だけは、そうした常道から大きく外れている。


 統一教信徒の頂点に君臨せし教皇猊下は、存在そのものが法であり、教義のもと、世界中の秩序を守護する役目を担う。

 よって、ライザー・ベルフェニックスはまさに、ヒトという生物の主席であり、善悪の全ては彼が定めるものだと認識されている。

 彼がひとたび異端審問を開いたならば、その結果がいかなるものであろうとも、ヒトはすべからく受け入れねばならない。

 相手が奴隷であろうが、一国の王であろうが。

 教皇猊下が極刑を言い渡したなら、それは問答無用で遂行される。

 それが、この世界における絶対的なルールだった。



 ゆえに。

 ラーヴィル魔導帝国宰相、ヴァルドルは今、人生最大の苦痛を味わっている。



 早朝。

 空は雲一つなく、青ざめた天蓋に浮かぶ太陽が、地表を明るく照らしている。

 気温は暑くもなく、寒くもない。

 まさしく清々しい朝であった。

 そんな中――ラーヴィル魔導帝国女王、ローザの公開処刑が、実行されようとしている。

 大通りにて、聖堂騎士達に連行される形で、ローザがゆっくりと道を歩む。


 その姿はまさに罪人のそれ。一国の主に相応しき装束は剥ぎ取られ、囚人に着せるようなボロを纏わされている。

 腰まで伸びた黄金色の髪はどこか薄汚れていて、金糸の如き美しさは消え失せていた。

 彼女が歩む道の端には、無数の民衆が待機しており……

 皆一様に、ローザを糾弾する。


「悪魔の手先めッ!」

「地獄で焼かれ続けろッ!」

「《魔王》様の敵を匿うだなんてッ! 恥を知れッ!」


 彼等がぶつけるのは、嫌悪に満ちた視線や言葉だけではない。中には石を投げつけ、せせら笑う者もいる。

 手足や頭に尖ったそれをぶつけられ、血を流しながらも、ローザは堂々と胸を張って、前を見つめ続けた。

 依然として覇気に満ちた瞳の先には、中央広場に設けられし、最期の舞台がある。

 台形型の巨大建築と、その頂上に続く長い階段。

 それは前日、平和条約締結の式典が行われていた、大舞台であった。


「ふふ。平和の到来を喜ぶために造られたそれが、今や見せしめの舞台とは。なんとも笑える状況じゃのう」


 民衆の罵声を笑い飛ばしながら、ローザは階段を登っていく。



 そうした様子を、宰相ヴァルドルは凄まじい形相で見つめ続けていた。

 表向きは社会的正義に同調し、罪人たる少女を憎む者として。

 だが、内心……老いた忠臣は、血涙を流していた。


(なぜ。なぜ、あの御方が、このような目にッ……!)


 ボロ布を着せられ。

 石を投げつけられ。

 青痣と、流れる鮮血を晒しながら、こちらへとやってくる姿に。

 ヴァルドルは、己の舌を噛み切りたくなった。

 あるいは……主をこのような姿にした者達を、総じて八つ裂きにしてやりたいと思う。

 ヴァルドルからしてみれば、もう十分に生き地獄。

 だが。

 老臣に課せられた過酷な使命は、まだ序盤さえ終わってはいなかった。


 主が処刑場へと足を踏み入れる。

 通常であれば、教皇がここで罪状を読み上げ、咎人を糾弾するのだが。

 この場に、教皇はいない。

 代理人たる大司教が立つのみであった。


 なにゆえかは知らぬ。知りたいとも思わぬ。

 ただハッキリしていることは……ここからが、真の地獄であるということ。


 通常は教皇が担いし全ての過程を、今回はヴァルドルが行わねばならなかった。

 ローザがかような立ち位置にある以上、今はヴァルドルが国家主席である。ゆえに彼は国を守らねばならない。

 あらゆる罪をローザへ押し付けたうえで、民の悪意を全て彼女に背負わせ、処断する。

 そうすることでしか、国を守ることは出来ないのだ。


「さぁ、ヴァルドル殿。こちらを」


 大司教から、一枚の羊皮紙を手渡される。

 主を糾弾する内容が記されたそれを手にして、ヴァルドルはローザの前に立った。


「……迷うな。そなたのすべきことをせよ」


 小さな声で紡がれた言葉に、ヴァルドルは唇を噛んだが、それも一瞬のこと。

 羊皮紙を両手に持ち、掲げながら、読み上げる。


「汝、ローザ・フォン・ヴォルグ・ド・ラーヴィルはッ! 《魔王》陛下の信徒でありながら彼を裏切りッ! 口にするもおぞましき罪を犯したッ! その罰はもはや、極刑以外にないッ! 汝の魂は死後、地の底へと堕とされ、聖なる炎によって永遠の責め苦を受けるだろうッッ!」


 吐き気が、止まらなかった。

 今すぐにでも、このような馬鹿げた文面を批難し、破り捨ててやりたい。

 強烈な衝動を必死に抑え込み、脂汗を流しながら、ヴァルドルはローザを跪かせた。


「……上手くやれよ? 痛いのは嫌いじゃ」


 微笑を浮かべながら、ローザが首を差し出してくる。

 そして。


「宰相殿。刑具にござる」


 すぐ傍に控えていた騎士の一人が、両刃剣を手渡してきた。

 異端審問における極刑は、この黒剣によって実行される。かつて《魔王》が用いたとされるそれを模して造られた刑具。その黒き刃で以て首を落とされた者は死後、《邪神》や《魔族》を拷問する地の獄へと導かれ、彼等と共に永遠の責めを受けるという。

 統一教の信徒にとってこの極刑は、最大の忌避であった。


「さぁ、宰相殿。穢らわしき咎人に正義の鉄槌を」


 大司教に促され、ヴァルドルは荒い呼吸を繰り返しながら、黒剣を大上段に構えた。


「はぁ……! はぁ……!」


 晴天のもと、大量の脂汗を流しながら、ローザを見下ろす。

 柄を握る手は、痙攣したかのように震えていた。


「く……! うぅ……!」


 呻き声が、勝手に漏れ出てくる。

 ヴァルドルにとって現状は、ローザの死に際であると共に、自分の死に際でもあった。

 そうした認識ゆえか、脳裏に過去の映像が走馬燈の如く流れてくる。


 赤子の頃から、その成長を見守ってきた。

 時には政務の師として。時には、父に等しき者として。

 先王崩御の後に行われた王位継承の義の様相は、今なお克明に焼き付いている。

 その堂々たる立ち振る舞いは、影武者のそれにあらず。

 その聡明さたるや、他の追随を許さず。

 心身共に清く、正しく、美しい。史上最高の王が生まれたと、心の底から確信した。

 ゆえに先日、地下牢にて語った言葉に、嘘偽りはない。

 ヴァルドルにとって真の王は、このローザただ一人。


 ……それを、自らの手で斬り捨てろというのか。


「ぐっ……! ぐぐぐっ……!」


 出来ない。

 出来るわけが、ない。


「……宰相殿。よもや、逆心なされたのではあるまいな?」


 逆心?

 逆心だと?

 ヴァルドルは思わず、「カッ」と荒々しい息を吐いた。

 逆心とは、主への翻意を指す言葉だ。

 そしてヴァルドルにとって主とは、ローザのみを指すもの。断じて、教皇などではない。


「儂、はッ……!」


 胸中にて二つの情が対立し、衝突する。

 主への忠誠心と、愛。

 国家に対する忠誠と、愛。

 両者共に本物でたるがために、ヴァルドルは苦悩し、決断を下せずにいる。


(国家のために、この御方を斬らねばならぬッ……!)

(そのように、一晩かけ……覚悟を、決めたのではなかったかッ……!)


 老いた忠臣、ヴァルドル。

 人生の酸いも甘いも噛み分けた男が今、まるで幼子のように涙を流していた。


(誰かッ……!)

(誰かッ……!)


 ヴァルドルの目から流れ落ちる涙が、ローザの首筋を濡らす。


(助けてくれッ……!)

(誰か、この御方をッ……!)

(助けて、くれッ……!)


 祈りを捧げるなど、いつ以来だろう。

 この世のあらゆる苦難は、己が力で以てしか解決出来ぬと、そう考える自分が。

 無力な幼児の如く、神頼みをしている。

 誰でもいいから、助けてくれと。心から懇願している。

 と――

 そのときだった。


 彼方より爆裂音が轟き、黒煙が立ち上る。


 突然の事態に、場は騒然となった。


「何事だッ!?」

「い、今、確認を……!」


 処刑台の上では、大司教と騎士達が慌てふためき。


「うわっ!? ま、またデカい音がっ……!?」

「《魔王》様よっ! きっと《魔王》様が、咎人に怒っておられるのだわっ!」


 処刑台の下では、民衆が畏怖の念を露わにする。

 そうした最中も、破壊音は続き……

 それは確実に、こちらへと近づいていた。


「はぁ。まったく。やはり、こうなったか」


 遙か彼方を眺めながら、呆れたように嘆息するローザ。


「完全なる選択ミスじゃ。わらわなど無視せよと、そう言い聞かせたのに。あやつ等ときたら。まったく。なんにもわかっとらん」


 口にする言葉は険しいものだったが、その顔はどこか、嬉しそうに見えた。

 彼女が今、脳裏に浮かべているであろう、あやつ等。

 その姿は、宰相ヴァルドルの頭の中にも浮き上がり……

 そして、老臣はそのうちの一人に、着目した。

 実に。

 実に実に、気に食わない。

 あんな者が、我が主と釣り合うわけもない。

 だから決して、認めてはやらぬ。

 だが……

 もはや彼以外に、頼れる人間はいなかった。

 ゆえにヴァルドルは己を曲げ、恥を忍び、懇願するかの如く、かの者の名を叫ぶ。


「アード……メテオールッ……!」


   ◇◆◇


 処刑が始まる前。

 その準備が行われる最中のこと。

《女王の影》の構成員たる少女に一つ、調べ物をしてもらった。

 聖堂騎士の配置である。

 どうやら彼等は中央広場に設けられた処刑場を中心として、螺旋状に置かれているらしい。その布陣はまさに鉄壁で、蟻一つ通る隙間もないとのこと。

 だから少女は、こう断言した。


「隠密行動は、通用しない」


 彼女の中で、女王を救うプランはただ一つしかなかったのだろう。

 隠れ忍んで処刑台へ接近し、どうにか騎士を潜り抜け、女王の身柄を奪還。

 そのまま地下ルートを進んで脱出、と。こんなところか。

 それが叶わぬなら、もう手立てはない。少女はそう考えているがために、こんな問いを投げてきた。


「いったい、どうするの?」


 民家から外へと足を踏み出し、イリーナと共に出撃する直前。

 俺は、こう答えた。


「どうもしません。真正面から、陛下をお迎えにあがるのみ」


 そして今。

 ローザの処刑が実行されゆくこの瞬間。

 俺はイリーナを伴って、大通りのド真ん中を堂々と歩く。

 民衆は処刑場の周辺に集っているがため、今や街は無人も同然であった。

 この場を立ち歩くは、この俺とイリーナ、そして――


「むッ……! そこの二人、止まれッ!」


 街を警邏せし、無数の聖堂騎士。

 そのうちの一隊が、我々の存在に気付き、鋭い声を飛ばしてくる。


「こいつらッ……!」

「捕縛対象だッ!」

「こんな、堂々と出歩きやがって……! 気でも狂ったか……!?」


 ざわざわと騒ぎ立てる騎士隊の面々。

 うち一人が、隊長と思しき者へ問いかけた。


「他の部隊を呼びますかッ!?」

「……いいや、必要ない。我々だけで十分だろう」


 言うや否や、彼は腰に提げた剣を抜き放った。

 それに倣い、他の面々も一斉に得物を抜く。


「何を血迷ったか知らんが、魔法が使えぬ身でよくもまぁ出歩けたものだ」


 こちらを嘲る隊長格。

 そして彼の突撃に合わせ、騎士隊が地面を蹴った。


「最悪、殺してもかまわぬとのお達しだッ! 皆、容赦するなッッ!」

「教皇猊下のためにッ!」

「うぉおおおおおおおおおおッ!」


 迫り来る男達を眺めながら、俺は口を開いた。


「確かに。反魔法術式が展開されている以上、魔法は使用不可。それはまさしく絶対的なルール、なのでしょうが――」


 淡々と述べながら、口端を、吊り上げる。


(魔王)にとってルールとは、常に、破るためにある」


 言い終えてすぐ、右掌を相手方へと突き出した。

 騎士達からすれば、意図不明の行いであったろう。


「手など出してッ! どうするつもりだぁッ!」

「こうするつもりです」


 瞬間。

 我が右掌の先に、紅き幾何学模様が顕現した。

 そう――魔法陣である。


「なぁッ!?」


 騎士の面々にとっては、断じてありえぬ状況が、現実のものとなった。


「皆総じて、吹き飛んで行くがよろしい。《ウインド・スラッシュ》」


 宣言と共に、我が目前にて突風が吹き荒れた。

 轟然と唸る風が、騎士達を遠方へと飛ばす。

 宙を舞う連中は総じて、吃驚(きっきょう)の念を放っている。

 なんでこんなことが。

 魔法は、使えないはずなのに。

 そう言わんばかりの彼等に、俺は微笑を浮かべてみせた。


「先刻述べました通り、ルールとは私にとって、破るためにあるもの。あるいは――」

「このアード・メテオールこそがっ! この世界の絶対的ルールよっ!」


 こちらの言葉を受け継ぎ、得意げに胸を張るイリーナ。

 彼女に笑みを向けつつ、口を開く。


「さぁ、道を拓きましょうか」

「うんっ!」


 力強く頷いたイリーナに、こちらも首肯を返すと――

 二人並んで、地面を蹴った。

 そして、大通りの只中を疾風の如く疾走する。

 当然、騎士隊が我等に気付かぬわけもないが……


「ぐぁああああああああああっ!?」

「お、応援をッ! 応援を呼べぇえええええええええッ!」


 先ほど片付けた連中と、同じ末路を迎えていただく。

 進み、見つかり、撃滅して、さらに前へ。


「な、なぜだッ!? なぜ、奴等は魔法を使えるのだッ!?」

「くそぉッ! 特選隊を呼べッ! 奴等なら魔法など――ぐはぁっ!?」


 次々に撃沈する騎士隊の面々。

 彼等は口を揃えて言う。なぜ魔法が使えるのか、と。

 そのカラクリは、実に簡単なものだ。


 使えないなら、使えるようにしてやればいい。


 反魔法術式とは即ち、一定の面積を対象として、その空間内における全ての魔法行使を封じるものであり……

 これもまた、一つの魔法である。

 ならば。

 我が異能たる解析と支配によって、対処が可能というわけだ。

 反魔法術式を解析し、支配することにより、俺とイリーナのみが魔法を行使できるよう展開術式を書き換えてやった。


 昨晩の徹夜作業とは、術式の解析だったのである。

 ……並の術者が展開したものなら、ほんの数秒で終わる作業だったが。

 さすがは四天王といったところか。

 ライザーが展開した反魔法術式は、相も変わらず難解なアレンジを加えまくっており、この俺を以てしても解析に一晩かかった。


 ……まぁ、それはいい。結果として、問題なく完了したのだからな。

 ゆえに今、危惧すべきは。


「ははっ! 来るなら来なさいっ! 聖堂騎士なんか、ぜんっぜん怖くないんだからっ!」


 我が親友、イリーナの精神状態である。

 好戦的な笑みを浮かべ、騎士達を蹴散らすそのさまは……実に、彼女らしくなかった。

 自らの正義を信じつつも、どこか相手に手心を加える。それがイリーナという少女だ。

 けれど今、彼女の心には、優しさが微塵もなかった。


「このっ! このっ! このぉっ!」


 容赦なく魔法を放ち、対象を叩きのめす。

 そうやって争いに集中していなければ、心が押し潰されてしまうのだろう。

 イリーナは間違いなく、やけっぱちになっている。

 何もかもを失ったことで、自暴自棄を起こしている。


 ……けれども今、彼女にかけるべき言葉はない。

 このままでいい。

 このまま、突き進むのだ。

 邪魔者を排除し、そして。

 自己を犠牲に、イリーナを救うのだ。


「はんっ! もう終わりっ!? てんでたいしたことないわねっ!」

「……油断は禁物ですよ。増援がやってくる速度が、かなり速くなってきました。それは私達が、目的の場に近づいた証拠。ここからは敵も、死に物狂いでやってくるでしょう」

「どうってことはないわっ! どいつもこいつも、ブッ飛ばしてやるんだからっ!」


 イリーナは、自らの発言を証明し続けた。

 躊躇うことなく魔法を叩き込み、相手がどれだけのダメージを負っても、まるで気にしない。けれど、その瞳は涙で濡れ始め、白い歯を剥き出しにして食いしばる。

 もう、処刑場は目と鼻の先であった。

 しかし、そんなとき。


「来たッ! 特選隊だッ! 特選隊が来たぞッ!」

「おぉッ!」


 騎士が沸き立つ。


「……ふむ。特選隊、ですか」


 古代にて、ライザーが率いた軍勢の姿が、脳裏によぎる。

 果たして。

 我等の眼前に現れた連中は、今し方、俺が思い返したそれと同じ存在であった。


「……っ!? なによ、あいつら……! 気味が悪いわねっ……!」


 眉間に皺を寄せ、険しい言葉を放つイリーナ。

 こちらへ到着した新手、特選隊とやらは、なるほど、他の騎士隊とは一線を画する存在のようだ。

 まず、備えが違う。

 纏う鎧は、一般的な聖堂騎士のそれよりも重厚。

 携えた剣は黄金色の刀身を持ち、性能は見るからに高そうだ。

 しかし、何よりの違いは――


「煌めく蒼い眼光と、胸に刻まれた刻印。特選隊とはやはり、強化兵団のことだったか」


 目前に迫るそいつらの目は、蒼い煌めきに覆われていて、人間味を感じさせない。

 胸元には独特の刻印が浮かび、煌々と輝いている。

 これは、ライザーの異能によるものだ。

 奴が有する異質な力。それに名を付けるとしたなら、他力超越といったところか。


「ぎぃいいいいいいあああああああああああああああッッ!」


 突出した特選騎士が、抜き放った大剣を大上段から振り下ろしてくる。

 狙いはイリーナ。だが、大振りのそれを食らうほど、彼女は鈍くない。

 易々と躱し、返礼の魔法を浴びせかける。


「《メガ・フレア》ッ!」


 豪火球が敵方を襲う。

 灼熱は鎧を焼くのみだが、しかしそれでも、内部の肉体に耐えがたき苦痛を与えるだろう。どれほど強い精神を持っていようとも、戦闘の続行は不可能となる。

 ……はずなのだが。


「ぎぎゃあああああああああああああああああッッ!」

「っ!?」


 敵方は戦意喪失するどころか、絶叫と共に大剣を振り回してきた。


「ど、どうなってんのよ、こいつ……!」

「異常なのは、彼だけではありませんよ」


 迫り来る他の特選騎士達へ、俺は適当な攻撃魔法を放った。

 ある者には火を。ある者には風刃を。ある者には土塊を叩き込む。

 一般的な人間であれば、戦闘続行は不可能となるダメージ。

 だが、しかし。


「ぎげっ! ぎげげげげげっ!」

「ががっ! がっ! ががががががががっ!」


 奴等は平然と立ち歩き、戦うことをやめようとしない。

 ……これぞ、ライザーが有する異能。他力超越の効果だ。

 あの男が強化(バフ)の魔法を他者にかけた際、通常では見られぬ現象が発生する。

 その一つが――発狂。

 効果持続中は精神が崩壊し、ライザーの命令だけをこなす人形となるのだ。

 ゆえにいかなるダメージを負おうとも、決して止まることはない。

 戦い、勝利しろと命じられたなら、例え首だけになっても、相手の喉元を食い千切ろうとする。

 かつてライザーは、そうした強化兵団を率いて戦場を駆け抜け……

 自己の力だけでなく、他者の力を併せ、神殺しを成し遂げた。


「やれやれ、厄介なものを仕向けてきましたね」


 強化兵団の凄まじさは、十全に認知している。

 こいつらを相手取るならば、もはや――

 もはや、出し惜しみなど出来るわけがない。


「……考えていたよりも、早かったな」


 予想では、もう少しだけ後だった。

 後で、あってほしかった。

 ほんの少しでも長く、イリーナの友でいたかった。

 しかし、もう、時間切れだ。


「手をこまねいていては、ローザの首が落ちかねん。もはや、ここまでだ」


 己に言い聞かせながら、イリーナの様子を見る。

 敵方への恐怖を顔に浮かべながらも、堂々と戦う。

 ……出来れば、最後に明るい顔が見たかったが、仕方あるまい。

 予定通り、俺は力を尽くそう。

 アード・メテオールの仮面を、投げ捨てて。


「《《その道に在りしは絶望》》」


 我が切り札たる、《固有魔法(オリジナル)》の詠唱を開始する。

 今回は、加減をしない。

 全ての力を完全に解き放つ。

 そして――


《魔王》の再臨を、世界に伝えるのだ。


 それ以外に、手立てはない

 全てを失ったイリーナに救いを与え……代わりに俺が、何もかもを失う。

 提示された選択肢は、それだけだ。

 俺が選ぶべき道は、それだけだ。


「……さようなら、イリーナさん」


 詠唱の途中、誰にも聞こえぬよう、小さな声で別れを告げる。

 そして俺は、迷いを断ち切りながら、詠唱を続行――


「だわっしゃああああああああああああああああああッッ!」


 続行、しようとした、その直前。

 天空より、聞き慣れた声が響き渡り、そして。

 目前に一人の少女が飛来した。

 紅蓮の如き紅髪をなびかせながら降り立つと同時に、特選騎士目掛け、構えた剣を大上段から振り下ろす。


「ぐぎっ!?」


 ヘルムを割断され、小さな悲鳴をあげながら、特選騎士の一人が倒れ伏せた。


「ふふんっ! 安心するのだわっ! 峰打ちだからっ!」


 にっと笑い、八重歯をキラリ光らせる彼女は。


「シル、フィー……!?」


 瞠目するイリーナ。

 そのすぐ後ろで。


「いや、峰打ちって。貴女のそれ両刃剣じゃないですか。峰がないんだから峰打ちもなにもないでしょ、ミス・シルフィー」

「細かいことは気にしないのだわっ! こういうのはノリよ、ノリっ!」


 ブンブンと剣を振り回すシルフィーに、呆れた様子の少女。

 それは間違いなく。


「ジニー、さん……?」


 俺もまた、イリーナと同じように目を丸くした。

 ……ありえない。

 この場に彼女等がいるなんて、決してありえないことだ。

 ここメガトリウムへ来るまで、どれだけ急いでも数日はかかる。ゆえに彼女等がここへ駆けつけようとしても、到着した頃には全てが終わっているはずだ。

 ……そうした考えを、ジニーは察したのだろうか。


「ついさっき、ヴェーダ様が私達のもとを訪問されまして。お二人の状況をお話されましたの。そのうえで、彼女はこうおっしゃられました。駆けつけたいなら転送装置を貸してあげるよ、と」

「それ使ってカッ飛んできたのだわっ!」


 ……そういう事情なら、彼女等が間に合ってもおかしくはない。

 だが、それ以前に。時間的問題以前に。

 なぜ。

 なぜ、彼女等が駆けつけたのか。

 イリーナの真実は知れ渡っていよう。にもかかわらず、なぜ?

 ……そうした疑問に対する思いは、俺なんぞよりイリーナの方がよほど強かったろう。


「な、なんで。なんであんた達は……!?」

「ん~? なんでっ、て。どういうことだわ?」

「あ、あたしは……あたしは、《邪神》の末裔なのよ……? シルフィー……あ、あんたからすれば、憎むべき敵の、子孫じゃないの……」


 そんな奴のもとへ、なんで駆けつけたのか。

 怯えたような視線でそう告げるイリーナに、シルフィーは小首を傾げた。

 なに言ってんだコイツ? と言わんばかりの顔で。


「それはそれ、これはこれでしょ。《邪神》の末裔だからどうだこうだとか、そんなもん関係ないのだわ。大事なのは――」


 剣を担ぎながら、シルフィーが喋る最中。


「ぎぎぎぎぎっ! ぎぃやぁあああああああああああああああっ!」


 こちらを警戒していた特選騎士達が、一斉に襲いかかってきた。


「あぁもうっ! 今アタシが喋ってる途中でしょうがっ!」

「援護しますわ、ミス・シルフィー!」


 苛立った様子で剣を振り回すシルフィーと、高速で立ち回りつつ、槍を突き出すジニー。

 シルフィーが構えしその得物は、聖剣・デミス=アルギス。この伝説たる宝具は反魔法術式の影響を受けない。

 また、ジニーの備えも同様であった。その身に纏った革鎧と、携えし槍は、かつて古代に飛ばされた際、俺が彼女に貸し与えた魔装具である。

 武装に宿りし力は、反魔法術式が展開されている空間内においても、関係なく作用するのだ。

 ゆえに二人は、さながら一騎当千の戦働きを見せる。

 そうしながら、シルフィーが叫んだ。


「さっきの続きだけどっ! 《邪神》の末裔がどうだこうだは関係ないのだわっ! 大事なのは――アタシがっ! イリーナ姐さんの傍にいてっ! 安心出来るかどうかっ! それだけよっ!」


 一人、二人と斬り伏せながら、シルフィーは叫び続ける。


「アタシはっ! イリーナ姐さんと一緒にいるとっ! ものすごく安心するのだわっ! 姐さんの隣は、アタシの居場所っ! この時代で唯一の、居場所なのだわっ! だから守るっ! 誰にも手出しなんかさせないんだからっ!」


 熱を帯びた叫声を受け、イリーナは唇を震わせた。


「シル、フィー……!」


 瞳が涙で濡れ始める。

 そんなときだった。


「吹っ飛べ~」

「吹っ飛べ~」


 ゆるやかな二つの声が、一つに重なって響き渡ったかと思えば、次の瞬間。

 暴風が吹き荒れ、特選騎士の半数近くが宙を舞った。

 魔法によるもの、ではない。

 これは、超古代の力だ。

 そして、この能力を有するのは。


「ルミさん、ラミさん……!」


 元精霊の双子であった。

 少し離れた場所にある建築物の屋上にてこちらを見下ろしながら、彼女等はニコニコと笑い、手を振ってくる。


「パパ~」

「助けに来たよ~」


 その声が耳に入ると同時に、


「わ、わたしもいる、よっ……!」


 聞き覚えのある声が、新たに飛んできた。

 刹那、紫電が蜘蛛の巣状に伸びて虚空を走り、多数の特選騎士を貫く。

 魔法、ではあるが、ルーン言語によるものではない。

 反魔法術式に影響を受けずに発動されたそれは……《魔族》の言語で構築された魔法だ。

 その使い手は。


「カーミラさん……!」


 青白い肌と、純白色の髪が特徴的な、《魔族》の娘。


「なぜ、貴女達が……」


 無意識のうちに漏れ出た疑問に対し、カーミラが再び魔法を繰り出しながら、吼えた。


「と、友達を助けに行くのは……! あ、当たり前っ! でしょっ!」


 友達。

 真実を知ってなお、そう断言するのか。


「ま、そういうことですわ。あ、でもミス・イリーナ。勘違いしないでくださいませね? 私はあくまでアード君のお手伝いに参上しただけですから。貴女のことなんてぜ~んぜん興味ありません。《邪神》の末裔云々とか、知ったことじゃありませんわ。貴女がどのような秘密を抱えていようとも――」

「ジニー……」

「どんな秘密を抱えていようとも。これ以上嫌いになるようなことはありませんわ~。貴女への好感度なんて、最初っからドン底ですもの~。うふふふふ~」


 ニヤニヤと、底意地の悪そうな笑みを浮かべてみせる彼女に。

 イリーナは、全身を震わせながら怒鳴った。


「ふんっ! あたしだって! あんたのことなんか大嫌いよっ!」


 棘のある言葉とは裏腹に。

 イリーナは、心の底から嬉しそうに笑っていた。

 大きな瞳から、ポロポロと涙を零して、笑っていた。


「そもそもね! あんたの手伝いなんかいらないっつ~の! アードはあたしさえいれば無敵なんだからっ! あんたなんかお呼びじゃないわっ!」


 刺々しくも、どこか愛を感じる声音に、ジニーはクスクスと笑う。


「ふふっ。いつもの調子が出てきましたわね~。それでこそミス・イリーナですわ。貴女に悲劇のヒロイン(ヅラ)なんて似合いません。今みたく、キーキー鳴いてるお猿さんのような姿こそが一番お似合いですわよ」

「誰が猿よっ! 誰がっ!」

「あ~、はいはい。いいからさっさと先へ行きなさいな。女王陛下を助けるんでしょう? せいぜい、アード君の足を引っ張らないよう、気を付けることですわね」

「あんたに言われなくたってそうするわよっ! このおバカっ!」


 いつものような掛け合いを演じると、イリーナは俺の手を掴んで、駆け出した。

 彼女に引っ張られる形で、こちらもまた走り出す。


「気張るのだわ、二人ともっ!」

「ま、アード君さえいればなんの問題もないでしょうけどね」

「行ってらっしゃい、パパ~」

「ここは任せてね~」

「わ、わたしだって、役に立てるんだからっ……!」


 背に声を受けて、俺は――

 温かな感情を、胸に抱いた。

 気付けばもう、《固有魔法(オリジナル)》の詠唱など頭にはない。


「ねぇ、アード」


 俺の手を握って、駆け続けながら、イリーナは穏やかに微笑んで、


「あたしね、皆のことを、信じてなかったの。秘密を知ったら誰もが、あたしを拒絶するって、心の底から思ってた。……ホント、馬鹿だったわ」


 目尻に浮かんだ涙を拭いながら、イリーナは言う。


「あたしは何も、失ってなんかいなかった……! 皆のことを信じられなかった自分に、とんでもなく腹が立つわ……!」


 彼女の顔は、とても晴れやかで。

 昨夜見せた悲しみと、つい先刻まで晒していた暴走など、まるで嘘のだったかのように。

 希望と、活力と、勇気に満ちあふれていた。


「皆の、ことを」


 イリーナの言葉が、強烈に突き刺さった。

 あぁ、そうか。

 俺は――


「ぐぅおぉおおおおおおおおおおおおおおッ!」


 思考の最中。

 雄叫びが轟くと共に、肌を刺すような殺意を感じる。

 俺はイリーナの細身を抱え、咄嗟に横へ跳んだ。

 数瞬後、さっきまで我々が立っていた空間の地面に、鋭い氷柱が突き刺さった。

 ……どうやら、反魔法術式を解除したようだな。

 攻撃が飛来した方を見ると、多数の特選騎士がこちらを睨んでいた。

 猛獣のようにいきり立つ連中を前に、俺は眉根を寄せる。


「……ここからは、かなり厳しい展開になりそうですね」


 特選騎士の異常な耐久性能と膂力。これに魔法が加わるとなれば……

 奴等はまさに、最強の歩兵と呼ぶに相応しかろう。

 だが、それを前にして。

 イリーナは猛然と吼えた。


「はんっ! たいしたことないわ、あんな奴等っ!」


 つい先刻までの、やけっぱちな感情はどこにもない。

 彼女の顔には、清純なる勇気だけが漲っていた。


「来るなら来なさいっ! 今のあたしは! 負ける気がしないんだからっ!」


 イリーナの全身から、何かオーラのようなものが放たれた。

 強烈な精神が、まるでエネルギーに変換されたかのように。

 そんな姿に応ずるかの如く。


「ぎぎゃあああああああああああああああっ!」

「ごばぁあああああああああああああああっ!」


 特選騎士の群れが、雄叫びをあげながらやってくる。

 そして戦闘開始――という、直前。


「立ち止まるんじゃあない」


 建物の影より、一人の獣人が現れ、俺達の目前に立つと。

 彼女は腰に挿していた刀剣の柄に手を置いて――


「疾ッ!」


 裂帛の気合いを吐きながら、刀身を抜き放つ。

 それはまさに、神速の居合であった。

 ほんの一瞬にして、千を超える斬撃を繰り出す。

 煌めく剣閃が虚空を埋め尽くし、特選騎士の鎧を両断していく。


「……安心しろ、峰打ちだ」


 ちょっと前の馬鹿とは違って、今回は本物の峰打ちである。

 特選騎士の目から蒼き光が消え失せ、バタバタと次々に倒れ込んでいく。

 ほんの一瞬にして、規格外の仕事をやってのけた、この女は。


「オ、オリヴィア様っ……!」


 イリーナの言う通り、我が姉貴分、オリヴィア・ヴェル・ヴァインその人である。

 彼女は「ふぅ」と一息吐いて刀剣を鞘に収めると、こちらを振り向き、言った。


「……ふん。やはり思った通りか」


 眉間に縦皺を刻みながら、オリヴィアは俺を睨む。


「馬鹿な考えを胸に抱き、阿呆のような顔をして事に臨む。……今の貴様は見るに耐えんな、アード・メテオール」


 彼女の瞳はまるで、こちらの心情の全てを、見通しているようだった。

 ……実際、彼女は何もかもを把握したうえで、ここへやって来たのだろう。

 馬鹿な弟分(、、)の暴走を、止めるために。


「自己を犠牲にして親友を救う。……そんなことを考えていたのだろう? フン、貴様は何度間違えれば気が済むのだ。相も変わらず(、、、、、、)、そういうところの学習能力がない」


 呆れたように肩を竦めながら、オリヴィアはため息を吐いた。


「やけっぱちの自己犠牲で救われる者など何処にもおらんわ、この大馬鹿者が。というかそもそも、貴様が救うべき対象など最初(ハナ)から存在せん。強いて言うなら……アード・メテオール。救われるべき対象は、貴様だけだ」


 イリーナには、彼女の言葉の意味がわらかなかったのだろう。先程から、小首を傾げるのみだった。

 無理もない。

 今のオリヴィアは、イリーナの親友に語りかけているのではないのだから。

 今のオリヴィアは――

 きっと、出来の悪い弟分に、説教を食らわせているのだ。


「大方、ライザーの言葉に同調し、惑わされたのだろう。まったく、間抜けな奴だ貴様は。悪い意味で賢しく、馬鹿になることが出来ん。時にはシルフィーの如き大馬鹿になった方が、世の中ずっと生きやすい。……かつての友に、そう言われたことを忘れたか」


 その言葉は。

 前世にて、いつか、リディアが口にした内容だった。


「世の中はな、貴様が思うよりもずっと単純に出来ている。それは――()が、証明してくれるだろう」


 どこか意味深に呟いてからすぐ。


「捕縛対象を発見ッ!」

「ま、待て……! あれは、オリヴィア様では……!?」

「我々に協力してくださるのか……!?」


 新手の騎士達が、大挙として押し寄せてきた。

 皆、オリヴィアの姿を見て当惑している。

 そうした騎士達に、彼女はぶっきらぼうな態度で言葉を返した。


「勘違いをするな。わたしは馬鹿な生徒を指導しに来ただけだ。貴様等の都合など知らん」


 堂々と断言してみせた彼女に、騎士達は当惑の色を一層強くする。


「こいつらを捕縛したいなら勝手にすればいい。もっとも――皆が、許さんだろうがな」


 オリヴィアの口から再びため息が漏れ出た、その直後。

 まったく予期せぬ、闖入者の群れが現れた。

 それは――


「うぉおおおおおおおおおおおッ!」

「イリーナちゃんを守れぇええええええええええええッ!」

「訓練の成果を見せるときだッ! イリーナちゃん親衛隊、突撃ぃいいいいいいいいッ!」


 我がクラスの、男子達と。


「アード様ぁああああああああああああッ!」

「ジニー隊長に代わって、ここはわたし達がッ! 道を拓きますわよぉおおおおおおッ!」

「アード君ハーレム隊の威信にかけてッ!」


 女子の群れ。

 その中に混ざって、


「食らいなさいなっ! 《ライトニング・ショット》っ!」


 黄金色の髪をたなびかせ、雷撃を放つ少女。

 我がクラスの公爵令嬢、ヴェロニカであった。


「ふふんっ! 一番槍いただきっ!」


 騎士の一人に雷撃を叩き込んで、ガッツポーズを見せるヴェロニカ。

 それが、決戦開始の合図だった。


「ヴェロニカに続けぇえええええええええええッ!」

「聖堂騎士がなんぼのもんじゃああああああいッ!」

「アード様結婚してぇえええええええええええッ!」


 激しい魔法の打ち合いとなる。

 猛烈な戦場と化した大通りの中、騎士達の怒号が飛んだ。


「貴様等ぁッ! 自分が何をしているのか、わかっているのかぁッ!」

「統一教の信徒でありながら、《邪神》の末裔に与するとはッ!」

「子供だからとて、容赦はせぬぞッ!」


 騎士達が放つ憤怒の情に対し、生徒達は微塵も気後れすることなく、怒鳴り返した。


「うっせぇんだよ、バァアアアアアアアアアアアアアアカッ!」

「なぁ~~~~にが統一教じゃ、クソボケェッ! こちとらイリーナちゃんマジ天使教の狂信者だぜッ!」

「見たことも接したこともねぇ《魔王》様なんぞ、知ったこっちゃねぇんだよッ!」

「目の前に在る美少女こそ、人生の全てじゃろがいッ!」

「イリーナちゃんの存在は俺の救いッ! イリーナちゃん万歳ッ! イリーナちゃん、マジ天使ぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッ!」


 ……野郎共の野太い絶叫に、俺もイリーナもドン引きではあったが。


「ふ、ふふっ……!」


 気張りまくる男子達の姿に、やがてイリーナは、大声で笑い出した。


「あはははははははっ! オリヴィア様の言った通りね! 救うべき人間なんて、どこにもいなかったのよ! あたしは! ほんっとうに! 幸せだものっ!」


 イリーナの満面に、華が咲いたような笑みが宿る。


「おぉおおおおおッ! 我等がイリーナちゃんが、笑っておられるぞぉおおおおおッ!」

「アード様ッ! アード様も笑ってぇえええええええええええッ!」

「まだ働きが足りないのよッ! だからアード様は仏頂面を維持なさっているんだわッ!」

「いやでも、必死に頑張ってるこっちを、無感動な仏頂面で見てもらうっていうのも……なんか、それはそれでアリかもっ……!」


 男子も、女子も、己が変態性を爆発させながら騎士達を押していく。

 ……よく見れば、戦いに加わっているのは、我がクラスの学友達だけではなかった。

 隣のクラスの者も、そのまた隣のクラスの者も。

 驚きなのは、かつて学園祭で敵対したクラスの者達まで、参加していたこと。

 なぜ、彼等まで。

 そう疑問に思っていると。


「アード・メテオォオオオオオオオルッ! どうだ貴様ッ! 見下していた人間に助けられる気持ちはぁあああああああああああッ!?」

「俺達ゃあ、お前なんぞに負けちゃいないぜッ!」

「まぐれで一度勝ったぐらいで、調子に乗ってんじゃねぇぞッ!」


 彼等の言葉が、胸に、ぐさぐさと突き刺さる。

 かつて敵対していた者達。

 俺を、嫌っているだろう者達。

 俺の力を知って、心折れたはずの者達。

 それが今、俺を助けようと動いている。

 極めつけは――


「ちんたらやってんじゃねぇ~おっ! ブチかますぜ、《ギガ・フレア》ッッ!」


 刹那、騎士隊のド真ん中にて、巨大な炎柱が吹き上がる。

 ただ一撃で以て、敵方の半数以上を仕留めてみせたその少年は、こちらへ顔を向け、


「ま、オメーが前に見せた本物(、、)とは程遠いけど……勘弁しろお」


 どこかバツが悪そうに頭を掻く。そんな彼の名は。


「エ、エラルドっ!?」


 目をまん丸にしたイリーナ。

 そう、エラルドだ。あの小太りの少年が、多くの生徒達に混ざっていた。


「なぜ、貴方まで……?」

「あ~、なんちゅ~か。オメー等には貸しがあんだろ? ほら、初対面のときにひっでぇ態度とっちまったし。確かアードには、学祭のときに謝ったっけ? つ~わけで……イリーナ、あんときゃマジですまんかったお」

「えっ? い、いや、別に、その。もう、気にしてないっていうか」


 激変したエラルドと接するのは、イリーナにとって初のことだった。

 ゆえにその当惑ぶりも無理からぬことだろう。俺とて学祭で再会したときは驚いた。

 ……そんなエラルドは、さらなる驚きを、こちらに与えてくる。


「で、よぉ。なんちゅ~か、その。オレもあれから色々あって……アード、オメーについて無駄に考えてた。……別に恋してるとか、そういう意味じゃねぇよ? まぁ、その、なんだ。オメーはどっか、オレと似てるとこがあっから、もしかすっと友達になれたりなれなかったりするような気が、しないでもねぇ~っつぅか……」


 目を泳がせまくりながら、脂汗を流し、それから「あぁもうっ!」と叫んで頭髪を掻きむしると、


「まぁ! とにかく! このオレ様が来たからには、豪華客船にでも乗ったつもりでいろってことだおッ! はい、これで話はお終いッ! 戦闘続行ッ!」


 無理やり会話を打ち切って、戦いの渦に飛び込んでいく。


「な、なんか、メチャクチャびっくりって感じ。たぶん、人生の驚きランキングトップ・スリーに入るわね、これ」

「……えぇ、本当に」


 驚くと共に、俺は、自分の間違いを知った。

 かつて俺はエラルドと決闘し、勝利を収めた際、心からこう思ったのだ。

 こいつとはもう、どうやっても友達にはなれないだろう、と。

 エラルドは、俺の力を知った。そのうえで、心を折った。


 あのときの、エラルドの俺を見る目は……まさに、異物に対するそれ。

 恐ろしいバケモノと相対した人間が見せる、怯えた様子。

 だから俺は、エラルドとは友達になれぬと、そう考えたのだ。


 そう、決めつけたのだ。


 ヒトは異物を恐れるがゆえに。決して、異物を受け入れぬがゆえに。

 俺の力を理解した者は、誰もが俺を拒絶するのだと。

 勝手に、決めつけていた。


 しかし……違ったのだな。

 一時、心折れて、異物と捉えても。

 いつかヒトは心癒えて、相手のことを見つめ直す。

 その末に……異物を、受け入れることもあるのだ。


「フン。理解したようだな」

「オリヴィア、様……」


 不意に我が眼前へ立つと、オリヴィアは腕を組み、こちらの顔を覗き込んでくる。


「ヒトは醜い。ハッキリ言って、汚らしいところばかりが目立つ。だがな……それだけの生き物ではないのだ。今の貴様には、それがわかるだろう?」

「……はい」


 俺は、間違っていた。間違った道を、ひたすら進んでいた。

 そんな俺が、正しい選択など出来るわけもない。 

 だが……

 今なら。

 皆のおかげで、正しい道筋が見えた、今の俺なら。


「いい加減、馬鹿になれ。シルフィーや……リディアのように。馬鹿になって、ヒトを信じろ。アード・メテオール。貴様が今世(、、)にて積み重ねたそれは、決して、貴様を裏切ることはない」


 強く。強く強く、頷くと。


「理解したならば、さっさと行け。やるべきことをこなして来い」


 姉貴分の言葉に従って、俺はイリーナと共に、駆け出した。


「……やけっぱちで正体を晒したうえでの再会(、、)など、誰も望んでおらんわ、馬鹿者が」


 むくれたような声を、俺はあえて聞かなかったことにした。

 ただ……姉貴分への感謝だけを胸に抱いて、大通りを疾走する。

 その末に。

 俺とイリーナは、中央広場へと到着した。


「ひぃっ!?」

「悪魔じゃあ! 悪魔の手先じゃあ!」

「騎士様は何をしてるのっ!? は、早くあのバケモノを殺しなさいよっ!」


 民衆の罵声も、今はなんら気にならない。

 イリーナとて、それは同じだった。

 俺達はもう、ある意味で別人なのだ。

 俺達は、ヒトの醜さを知っている。そのおぞましさを、身勝手さを、嫌というほど知っている。

 だが、今の俺達は。

 ヒトがただおぞましいだけの存在だとは、思っていない。


「行きますよ、イリーナさん」

「うんっ! 待ってて、ローちゃんっ!」


 暴言を受けながら。

 投げつけられる悪意を受けながら。

 しかし俺達は、真っ白な心の持ちようを維持したまま、突っ走る。

 長き階段へ。

 迫る騎士達を、蹴散らしながら。

 俺とイリーナは、ついに。


「女王陛下。お迎えに参上いたしました」

「もう安心よ、ローちゃんっ! あたし達が来たんだからっ!」


 目的の場所へと、辿り着いた。


「はぁ。まったく、思った通りに行かんのう。わらわのいいカッコしぃが台無しじゃ。……けれど、まぁ、逆にそれがよかったのかものう。今のそなた等を見ると、そう思うわ」


 跪き、処刑される寸前といった様子のローザが、どこか嬉しそうに微笑んだ。

 ……次の瞬間。


「アード・メテオール! 並びに、イリーナ・リッツ・ド・オールハイド! 我が国始まって以来、最悪の逆賊共め! この宰相ヴァルドルが、正義の鉄槌を下してくれるわ!」


 老臣が血走った眼をこちらに向け、怒声を放つ。

 ……それら全てが芝居であると見抜けぬほど、この目は節穴ではない。


「うぉおおおおおおおおおおおッ!」


 黒剣を構えながら、突っ込んでくる。

 全ては、国を守るための芝居。

 当然……俺も、付き合わせてもらう。


「貴方ごときの正義が邪悪を断つなど、笑止千万」

「我が剣の錆びとなれぇええええええええええッ!」


 気迫こそ立派なものだが、その太刀筋は、あからさまに手を抜いたものだった。

 大上段から振り下ろされたそれは実にウスノロで。

 当然のように回避し、踏み込む。

 そうして俺は、ヴァルドルの鳩尾へと拳を突き入れた。


「ぐはぁッ!? む、無念……! 大司教殿……ど、どうか、後は……」


 芝居を続けながら、倒れ込むヴァルドル。

 だがそうしつつ、彼は俺の耳元で。


「女王陛下を、よろしく頼む……!」


 偽りなき本音の声に、俺は心の中で応答した。

 お任せあれ、と。


「ぐ、ぐぐっ……! こ、この、逆賊共がぁ!」


 大司教と呼ばれた壮年の男が、魔法を放つべく、詠唱を始めた。

 わざわざ完了を待ってやる義理もない。


「《ライトニング・ショット》」

「ぴぎぃっ!?」


 俺が放った電撃に上半身を貫かれ、白目を剥いて卒倒する。

 これにて、邪魔者は全ていなくなった。


「一件落着っ! さぁローちゃん、国に帰るわよっ! 皆と一緒にっ!」

「うむ。……おいヴァルドル。そなた、起きとるんじゃろ? おい。運んでなんかやらんぞ。おい。寝たふりしても無駄なんじゃからな」


 倒れた宰相の横腹を、ゲシゲシと蹴りまくる女王。

 心なしか、ヴァルドルは気持ち良さげであった。


「ふぅ。ともあれ、イリーナさんがおっしゃった通り。これにて――」


 一件落着。

 ……と、行くわけもない。


「《《我が心に巣くうは、白き闇》》」


 唐突に。なんの前触れもなく。

 声が、響き渡った。


「《《忌避と共に産まれ》》《《虚無と共に生きる》》《《世の全ては無価値と断じ》》《《それを疑うこともなく》》」


 厳かな重低音は、奴のそれで間違いない。

 そして、紡がれし詠唱は……

 奴の、《固有魔法(オリジナル)》発動を示すもの。


「《《だがやがて》》《《白き闇は晴れ渡り》》《《我が心は灼熱する》》」


 俺も、イリーナも、ローザも。

 皆が周囲を見回し、敵の姿を探す。

 だが、一向にそれを掴めぬまま、


「《《我は盾》》《《我は砦》》《《我は礎》》《《価値ある光を守りし者》》」


 俺は、イリーナ達から大きく離れ……

 そして。


「《《そう》》《《我こそは》》――――」

「っ! 上か!」


 天を見上げると同時に、あの男が、やってくる。

 凄烈な信念を胸に抱いて、やってくる。


「《《空白埋めし殉職者クローバー・フィールド》》」


 ――ライザー・ベルフェニックスが、やってくる。




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