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第七〇話 元・《魔王》様と、会議前の日常


 一人の善良な男が、悲劇的な最期を遂げたとしても。

 それはこの世界にとって、なんら特別なことではないのだろう。


 俺達がどれだけ悲嘆に暮れようとも、太陽は昇る。

 そして――


 朝は、確実にやってくるのだ。



 鳥がさえずり、陽光が燦々と街を照らす。

 そんな爽やかな朝の景観が、窓の外に広がっている。


 きっと道行く人々の顔は、本日も活気に溢れているのだろう。

 だがそうした人々の中に、彼の姿はもはやない。


 ……あの夜から、二日が過ぎた。


 今、俺は屋敷の食堂にいて、ローザと共に朝餉を摂っている。

 この場にイリーナの姿はない。

 あれから彼女はふさぎ込み、屋敷へ帰ってくるなり、自室に閉じこもってしまった。


 長い付き合いだが、イリーナのあんな姿は見たことがない。

 それはローザもまた同じだったようで、親友の落ち込んだ様子に、最初はショックを受けていたが……

 すぐに毅然とした態度となり、彼女の身に何があったのか、問い詰めてきた。

 俺が全ての事情を話し終えると、ローザは一言。


「……そうか」


 これだけだった。

 きっと、これ以外に言いようがなかったのだろう。

 俺もローザも、イリーナに一人の時間を与えることにした。

 出来ることならば、自らの力で立ち上がってくれることを信じて。


「…………のう、アード」


 カチャリカチャリと、銀食器が擦れ合う音が響く食堂にて。

 ローザの声が、その中に混ざり込んだ。


「会議はもう、明日に控えておる。しかし……イリーナは、欠席させるべきじゃろうか」


 俺は食事の手を止め、相手の顔を見やりながら、受け答えた。


「もし彼女を欠席とする場合、私もまた護衛の任から外れることになりましょう。理由は言わずとも、ご理解いただけますね?」


 ローザは神妙な面持ちで頷いた。

 もし、イリーナがただの学生でしかなかったなら、俺はローザの護衛として会議に参加していただろう。


 だが、イリーナの立場は一般的なそれではない。

 そうだからこそ、俺は彼女のもとから離れることが出来なかった。


 イリーナは《邪神》の末裔である。ゆえに《魔族》達……いや、反社会的組織ラーズ・アル・グールに属する者達は、彼女の身柄を絶えず狙っているのだ。

 イリーナの魂を生け贄として、儀式を行えば、《邪神》復活は成る。奴等はそう信じて疑わない。そうした事情もあって、イリーナには常に護衛が必要となる。

 その役を担っているのが、この俺だ。


「メガトリウムに潜んでおった連中は、殲滅したとのことじゃが……油断は出来ぬな」

「えぇ。姿を隠し、虎視眈々と機を窺っているやもしれん」


 会議に乗じてテロ活動を行うために。

 あるいは……

 それを囮として、イリーナの誘拐を成功させるために。


「《魔族》の目的は常に二つあると、私は想定しています。一つはテロ活動。もう一つは、イリーナさんの誘拐。私は出来るだけ、両方を防げるよう努力いたしますが……もし一つしか対処出来ない局面がやって来たなら、迷わずイリーナさんを選びます」

「そう、じゃな。うむ。明日までにイリーナの精神状態が回復しなかった場合、護衛役は代理の者を立てることにしよう。そなたはイリーナの傍にいてやってくれ」


 ローザの判断に首肯を返した、その直後のことだった。

 食堂のドアが開き、一人の使用人が慌てた様子で入ってくる。


「お、お客様が、いらっしゃいました」


 既視感のある光景に、俺とローザは顔を見合わせる。

 そして――数日前の出来事を再現するかのように、あの男が姿を現した。


「此度も朝方の訪問となってしまい、申し訳なく思う。やはり時間がないものでな。どうか勘弁願いたいのである」


 ライザー・ベルフェニックス。老いた教皇猊下が、食堂の中へと入ってきた。

 そうしながら奴は、ローザに目をやって。


「……すまぬが、席を外していただきたいのである」

「了承した。ごゆるりとお寛ぎを、教皇猊下」


 スッと立ち上がると、ローザは言われた通り、食堂から出て行った。

 彼女の退室を確認してから、ライザーは適当な椅子に腰を落ち着け、息を唸らせる。


「ふぅ。老体に、教皇の激務は堪えるのである」

「……そうした仕事をこなした先にこそ、貴方の理想とする世界があるのでは?」

「左様。ゆえに我輩は止まることが出来ぬし、妥協することも出来ぬ」


 声音は互いに、穏やかだった。

 しかし、交わす視線は鋭い。

 皺に塗れた元・配下の顔を見据えながら、俺は問いを投げる。


「今回のご用向きはやはり、例の件に関するもの、ですか」

「うむ。本当なら、解決の直後に訪問したかったのだが……なにぶん、多忙であった」

「それはそれは。忙殺の中、貴重な時間を作っていただき、恐縮の限り」

「いや、よいのだ。其処許との対話は、それだけの価値がある」


 再び、俺達は睨み合うように、視線を交錯させた。

 沈黙の帳が降りる。

 場の空気が、張り詰めていく。

 肌をひりつかせるような緊張が室内に広がる中、ライザーが沈黙を破った。


「事件の顛末については、配下から聞かされたのである。とりあえず、ご苦労だったと言っておこうか」

「ありがたきお言葉。恐悦至極に存じます」

「うむ。……ゆえに此度の訪問は、事件概要を聞くためのものではない。其処許に一つ、問いかけをしに参ったのである」

「……問いかけ」


 眉をひそめるこちらの様子をジッと眺めながら、ライザーは厳かに口を開いた。


「此度の一件を経て、其処許の考えに何か、変化はあったかね?」


 この質問が、奴の口から放たれたことで。

 俺は、確信へと至った。

 全ては、この男が仕組んだものだったのだと。

 再会から今に至るまで、俺は、奴の掌の上にいたのだと。


「……その問いを投げかけたいがために、貴方は、ボルドーさんを利用したのですか」

「質問に質問を返すのは、マナー違反というものである」

「そもそも、ボルドーさんの存在を知った当初から、私は違和感を覚えていた。彼ほど目立つ存在を、貴方が視察しないわけもない。そしてひとたび彼を見たなら、貴方がその正体に気付かぬわけもない。……貴方はボルドーさんを、あえて放置した。いつか捨て駒として利用するために。それが今回の一件だったと、そういうわけだ」


 ライザーは何も答えない。

 ただただ俺の顔を見て、己が言葉を一方的に叩き付けるだけだった。


「メガトリウムに住まう者達の民度は、世界でも一、二を争うほど高いものだと、我輩は自負している。そのようになるよう徹底して法を整備し、また、教育にもぬかりはない。……それでも、結果は其処許が体験した通りである」


 ライザーの瞳に、鋭いものが宿った。その剣呑な煌めきが、奴の内情を物語っている。

 即ち――


「我輩も、少しは期待していたのである。予想が外れることを。民衆が、正しい選択をしてくれることを。だが、彼等の選択はあれだ」

「………………」

「ボルドーという男はメガトリウムの民にとって、まさしく聖者そのものであった。いかなる病であろうともたちどころに治し、それでいて、金銭を要求しない。彼の心は博愛と慈愛に満ちており、まさしく人々の規範と言える存在だった」

「………………」

「人々は誰もが、ボルドーに尊敬と愛情を向けていた。それは裏社会の連中でさえ例外ではない。罪を犯してなお平然としている者でさえ、ボルドーには一定の敬意を払うほどだった。……そうした環境は、アード・メテオール、そしてイリーナ・リッツ・ド・オールハイド。其処許等の現在と、まさに瓜二つである。そうだからこそ」

「………………」

「そうだからこそ、断言出来る。いずれ其処許等も同じ運命を辿るだろう、と。人間はただただおぞましく、醜いだけの生き物である。ついさっきまで愛情を抱いていた相手であっても、もし自分にとって異物だと知ったなら、その瞬間に態度を変える」

「………………」

「受けた恩。育んできた絆。胸に抱いた慈愛。そうしたプラスの情よりも、差別感情というマイナスを優先する。ヒトとはそういうものである。異物を恐れ、憎み、排除したいと願う。それがヒトの本質である。そうだからこそ、この世界から悲劇がなくなることはない。ただし、救世主(、、、)が現れたなら――」

「ご高説、どうも、ありがとうございました」


 もはや、奴の言葉など、聞く気にはならなかった。

 ライザー・ベルフェニックス……再会した当初は、どこか変わったかと思っていたが。

 それは間違いだった。

 こいつは何も、変わっちゃいない。古代から現在に至るまで、ずっと同じだ。

 信念を貫くためならば、いかなる非道も平然と行う男。

 その本質が不変であるというなら……この男と話すことなど、もう何もない。

 こちらの情を察したか、ライザーは一つ嘆息を漏らすと、静かに席を立つ。


「……此度の一件を受けて、其処許の内に生じた思い。ゆめ、忘れるでないぞ」


 そう言い残して、去ろうとするライザー。

 その背中に。

 俺は、冷然とした声を放った。


「なるほど。確かに、ヒトは醜く、おぞましい。されど……もっとも忌むべきは、その身勝手さであると、私は考えます。己のためだけに他者を利用し、人生を狂わせる。そんな身勝手な者こそ、もっとも弾劾されるべき存在だ」

「然り。我輩も同意見である。だが……その言葉、其処許にも返ってくるものと心得よ」


 重い言葉を吐き捨てて、今度こそ、ライザーはこの場から退散した。


   ◇◆◇


 会話の末、皿に盛られた食事は、我が心と同じように冷め切ってしまった。

 己が内に生じた苛立ちを紛らわすべく、目前の料理を口に運ぶ。


「……あぁ、冷たい。実に、冷たいな」


 そして食事を終えた後、俺は食堂を出て、イリーナの部屋へと足を運んだ。

 なぜかどうしようもなく、彼女と話をしたかった。

 彼女の顔が、見たかった。


「……イリーナさん」


 部屋の前に立ち、ドアをノックする。


「アードです。少しだけでもいいので、お話、しませんか?」


 応答は、ない。やはり彼女はまだ、立ち直れていないのだろう。


 ……無理もないか。

 閉ざされたドアを前にして、俺はあの夜のことを思い出した。


 燃え盛る診療所の前から、一人、二人と消えていく。

 そうこうしているうちに、複数の聖堂騎士がやって来て、鎮火作業へと移った。


 彼の生きた証が、崩れていく。


 火消しのため、診療所が取り壊されていくさまを、俺達はただジッと見つめることしか出来なかった。


 そのときのイリーナの顔を、俺は、永遠に忘れない。

 ヒトという種に絶望しきったあの顔は……俺の中で、いつまでもいつまでも、暗黒の記憶として残り続けるだろう。


「……イリーナさん。せめて水だけでも、飲んでください。どうかご自愛を」


 そう言って、自室に戻ろうとする。

 その直前だった。


「入って……」


 ドアの向こうから、弱々しくも、確かに、イリーナの声が飛んできた。

 瞬間、俺は足を止めて、再び彼女の部屋の前へと移動する。

 ドアノブを掴み、回し……開く。


「失礼します」


 入室しながら挨拶を口にして、イリーナの様子を見た。

 少し、やつれているな。けれども、不健康という状態ではない。

 ……危ういのは体でなく、心か。

 ベッドに座り込んだ彼女は、枕を抱いて、床を見つめ続けている。

 泣き腫らした目は、こちらを一瞥さえしない。

 そんな彼女は依然として、床を見つめながら言葉を紡いだ。


「ねぇ、アード。本当のことを言って」

「……はい」

「ボルドーさんは、死んじゃったんだよね?」

「……えぇ。その通りです」


 イリーナの、枕を抱きしめる力が、一際強くなった。

 そうしながら彼女は、新たな問いを投げてくる。


「でもさ。まだ、死んでから三日三晩、経ってないよね?」

「……えぇ」

「だったら、さ。ボルドーさんを、蘇生出来るんでしょ」


 首肯を返すと、ここで初めて、イリーナがこちらを見た。

 虚ろな瞳に、僅かな希望を宿しながら。


「ねぇ、アード。ボルドーさんを――」

「無駄かと、存じます」


 彼女の言葉を遮って、俺は容赦なく斬り捨てる。

 心苦しい。本音を言えば……イリーナの甘い妄想を、なんとか現実にしてやりたい。

 だが、それは不可能だ。


「イリーナさん。貴女はこう考えてらっしゃるのでしょう? ボルドーさんを蘇らせ、元気づけて、自分達が支えになる、と。そして民衆を説得し、なんとか和解に持ち込んで、彼の幸福な人生を、取り戻してやりたい、と」

「……アードになら、出来ることでしょ? 何もかも、上手く、出来るでしょ?」

「えぇ。ただし……あくまでも表面を取り繕っただけの、嘘に塗り固められた幸福劇。私が創造出来るのは、それだけです」


 心を痛めながらも、俺はイリーナに真実を告げた。

 もはや俺達は、辛い現実から、逃げられないのだと。


「貴女がおっしゃった通り、ボルドーさんはまだ蘇生出来ます。しかし……彼がそれを望むでしょうか? 最後に見せた彼の顔は、絶望しながらも、どこか慣れた様子だった。……今思えば、彼はあの時点で、心が折れていたのでしょう」

「………………」

「これまでずっとヒトを愛し、救い……しかし、最後は裏切られてきた。正体を知った瞬間、ヒトは皆、彼を恐れ、迫害し、追い出してきた。それでもなお彼は信じたかったのでしょう。ヒトはいつか、自分を受け入れてくれる、と」

「………………」

「しかしヒトに裏切られ続けたことで、彼の心は摩耗し……あの瞬間、音を立ててへし折れた。もはや彼の心には絶望しかなく、ヒトに対する愛など……残されてはいない」


 こちらを見つめるイリーナの瞳が、涙で濡れ始める。

 桃色の唇は小刻みに震え……しかし、何事も発せられることはない。

 そんな様子に俺は心痛を覚えながらも、辛い言葉を語り続けた。


「ボルドーさんに和解の意思はなく……それどころか、生きる意思さえ失われているでしょう。その一方で、民衆の心はどうか。彼等は今、異物を排除した喜びを噛みしめている。当然ながら、和解の意思も、共存の意思も、一切ない。……この両者を結びつける方法は一つだけ。洗脳の魔法を用いて、こちらの意のままに操る。それだけです」

「……そん、なの」

「えぇ。間違っています。しかしイリーナさん。貴女が求める現実は、そうすることでしか実現出来ません。ボルドーさんとメガトリウムの民衆を、魔法で操って和解させ、幸せな生活を営むさまを創る。……それはさながら、幼子がやるような人形遊びとなんら変わりがない。……私は。イリーナさん。私はね、それだけは決して、やりたくないのですよ」


 前世にて、俺は死の間際まで、ずっとそれを続けていた。

 理想的社会の形成。だがその実態は、おぞましき人形遊び。

 あんな行いはもう、二度と嫌だ。絶対に嫌だ。


「……じゃあ、どうすればいいのよ」


 口元を震わせながら、呻くように声を絞り出すイリーナ。

 彼女の濡れた瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。


「あたしも、本当は、理解してる。全部無駄だって。どうしようもないって。でも……でも! そんなのって、あんまりだわ! あの人の居場所は、この世界のどこにもないだなんて! そんなの! そんなの……! おかしいじゃ、ないの……!」


 枕に顔を埋め、全身をわなわなと震わせる。

 ……もし今回の一件が、我々となんら共通点のない、そんな男の悲劇だったなら。

 最低なことかもしれないが、俺もイリーナも、ここまで落ち込んではいなかった。

 そりゃあ、最初はショッキングかもしれないが、しかしすぐに忘れただろう。

 こんなことはどこにでもある、悲劇の一つなのだと。そのように受け入れ、そして、二日もすれば忘れていただろう。


 だが……ボルドーはあまりにも、俺達に似過ぎていた。


 俺達も、彼と同じ異物で。

 俺達も、彼と同じように愛されていた。

 置かれた環境の全てが、ほとんど同じなのだ。


 だからこそ、自分を重ねてしまう。


 ボルドーの不幸は、いずれ自分が体験する未来なのではないかと、そう思ってしまう。


 純粋な善意や義憤に加え、これ以上ない共感性が、俺達の心を蝕んでいるのだ。

 しかし……

 辛く、苦しい状況だが、俺達はこれを乗り越えねばならない。


 どれだけ悲嘆に暮れようとも。

 どれだけ人間の残酷さを憎もうとも。


 この世界は、時を刻み続けているのだ。

 そんな世界の中で、俺達は生き続けなければならないのだ。


「……イリーナさん。彼が最後に残した言葉を、覚えていますか」


 枕に顔を埋めたまま、彼女は小さく頷いた。


「我等の学友にして、《魔族》でもある少女……カーミラさんへの伝言。決して、ヒトに対する愛情を忘れてはならない、と。ヒトのことを、信じ続けろ、と。……しかしそれは、カーミラさんにあてたものであると同時に、我々へのメッセージでもあったのではないかと、私は、そう思えてならないのです」


 黙して動かないイリーナの姿を、静かに見つめながら、俺は語り続けた。


「ヒトを愛し、そして、信じる。……私達に出来ることは、彼の意思を引き継いで精一杯生きることだと、そう思います」


 果たして、この言葉はイリーナの心に届いたのか、否か。

 どうであれ、時間は過ぎる。

 朝はやがて昼となり、暗い夜がやって来て……

 また再び、朝がやってくる。

 彼女の心もそうであってほしいと願いながら。


 俺は、五大国会議開催の朝を、迎えたのだった――




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