表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

83/155

第六九話 元・《魔王》様と、人間の闇 後編


「この事件は、本日中に解決いたします。必ず」


 第一の目的地たる図書館への道中、俺は虚空を睨みながら、宣言した。


 誰に向けての宣言か。


 イリーナではない。

 強いて言うならば……運命という概念に対する、宣言であった。


 足早に図書館へと赴いた我々は、まず連続殺人の被害者達を特定。

 彼等の名前や身元を知ってすぐ、その関係者へ接触した。


 そして……一通りの調査を終えた頃。

 ゴウンゴウン、と鐘の音が街中に鳴り響く。


 夜の到来を告げるその音を耳にしながら、俺はイリーナの顔を見て、言った。


「さぁ、大詰めと参りましょうか」

「うん……!」


 頷き合い、それから、隣並んで歩き出す。

 向かった先は――

 裕福層が住まう、高級住宅街の一角であった。

 そこに居を構えた豪邸の主こそが、我々の目的たる人物である。

 まず俺達は、巨大な門前へと向かい、番兵に声をかけた。


「こちらのお屋敷のご主人は、ラズベリー商会の長、コールド・ラズベリー様で間違いないでしょうか?」

「いかにも、その通りだが……主人に何用か?」

「さる国の、やんごとなき方の側仕えが、商談の話に参ったと。そうお伝え願いたい」


 平常時であれば、一笑に付すような言葉であろう。

 けれども、数日後に五大国会議が行われるという現状において、俺が発した内容には一定レベルの現実味がある。


「……しばし待たれよ」


 門の向こうへと番兵が消えてから、およそ一〇分後のことだった。


「面会の許可が下り申した。しかし中へ入られる前に、持ち物を検めさせてもらう」


 全身を隅々までチェックされ、問題なしと判断された我々は、遠慮なく門を潜る。

 それからすぐ、案内役と思しき男の出迎えを受けた。

 彼の指図に従って中庭を進み、屋敷へと入る。

 豪邸の内観は、想像した通りのものだった。無駄に煌びやかで、高価な壺だの絵画だのが、これみよがしに置かれている。

 家の内装を見れば主人の性格がわかると言うが……なるほど、まさしくである。


「こちらの部屋にて、主がお待ちになっております。僅かでも脈なしと察せられましたなら、即座に手を引かれることをお勧めいたします」


 事務的に、淡々と述べてから、男は俺達の前から去って行った。


「……では、ご対面といきましょうか」


 ノブを掴み、ゆっくりとドアを開ける。

 室内もやはり無駄に広く、過度な豪奢さが目立つものだった。

 そんな部屋のド真ん中に置かれた、高級ソファーに座る中年男性……彼が件の人物、コールド・ラズベリーである。

 人生の成功者が醸し出す独特なオーラを纏う、その男は、我々を見ると同時に華やかな笑みを浮かべ、


「やぁ、お客人。聞いた通り、随分と若いね」


 気さくな調子で、声をかけてくる。


「まぁ、とりあえず座ってくれよ。何か、飲み物でも用意――」

「いいえ、どちらも結構。お話はすぐに済みますので」


 ぴしゃりと言い放ってから、俺は間髪入れることなく、言葉を紡ぎ続けた。


「まず、謝罪させていただきましょう。我々は貴方に嘘をついた。我々はこの場に、商談を持ちかけに来たわけではありません。我々は……貴方を、断罪(、、)しに参ったのです」


 こちらの発言があまりにも意外だったのか、コールドは目を丸くして、ぽかんと口を開けた。


「は? 断罪?」

「左様にございます。ここ最近、市井を騒がしている連続殺人については、ご存じですね?」

「そりゃあもちろん。わたしの身内も一人やられているからねぇ」

「えぇ、そのようで。……結果、貴方の立場は盤石となった。我が身を脅かす優秀な身内が、この世から消え去ったことによって、ね」


 つらつらと淀みなく、言葉を並べ立てていく。

 そうする中、相手方の表情が次第に、悠然としたものへと変わっていった。


「なるほどね。わたしが事件の犯人だと、そう言いたいわけか。……そんな君達は、さて、何者かな? 門番に告げた内容は全て、嘘なんだろう?」

「ある方に事件解決を任された者、とだけ言っておきましょう」

「ある方、ね。……まぁいい。それで、なぜわたしが犯人だと?」


 依然として余裕の笑みを浮かべながら、問い尋ねてくる。

 そんな相手に、俺は持論を述べた。


「当初、私はこの事件を《魔族》による犯行だと考えておりました。現場近くの住民から得られた証言、現場検証によって得られた情報、それらを加味すると、犯人は《魔族》で間違いないと、そう判断したのです。しかし――」

「なんやかんやあって、この事件っ! 《魔族》でなくても実行出来るってことがわかったっ! そうよね、アード!?」


 割り込んできたイリーナに、俺は小さく頷いた。


「あるレストランに入り、そして、このメガトリウムの法や統治システムを知ったことで、私の脳内にある仮説が浮かびました。それは――」

「この事件はっ! 《魔族》の犯行に見せかけた、人間の仕業じゃないかって! そう思ったのよね、アードっ!?」


 美味しいところを全部持って行くイリーナだが、そういうところも可愛らしく思えた。


「そう。私はこの事件、人間が起こしたものではないかと考えたのです。その後、我々は被害者達について徹底的に調べ上げました。それこそ……表の顔から裏の顔に至るまで、隅々まで、ね」

「……ふぅん」

「調査の結果、被害者は表向き一般的かつ善良な市民のようでしたが……その実、裏では麻薬の売買を生業とする、ギャング組織の一員でした」

「そいつらが死んで得するのは、あんたよっ! ラズベリー商会のボス、コールド・ラズベリー!」

「あるいは……麻薬王殿と、お呼びすべきでしょうか?」


 そう告げた瞬間、奴の顔に変化が現れる。

 貼り付けられた笑みの中に、黒いものが充満し始めた。


「貴方には表と裏、二つの顔がある。表向きではまっとうな商会の代表。しかし……裏ではギャング組織のボスとして君臨している。そして今回の連続殺人によって死亡した者達は皆、貴方に敵対する組織の幹部ばかりだった」

「皆が死んで一番得するのは誰か! そう、あんたよっ! あんたは邪魔者を殺して、その罪を全部ボルドーさんになすりつけようとしたっ! お婆さんの頭に植木鉢が落ちてきたのも、あんたの仕業でしょっ! あの手この手でボルドーさんの正体を世間に晒して、事件の犯人に仕立て上げようとしたっ! アードには全部、お見通しなんだからっ!」


 ここで一度、イリーナは言葉を区切り、相手の出方を窺った。

 ……どうやら、奴は白を切るつもりらしい。


「面白い妄想だな。このわたしがギャングのボスで、連続殺人の首謀者だと。ふん、なんとも馬鹿馬鹿しい話だ。わたしはカネにならないことと、リスクが高すぎる商売はしない主義でね。……えぇっと。アード君、でいいのかな? 君はついさっき、この国の法や統治システムを知ったと、そう言ったね?」


 首肯を返すと、奴はこちらを嘲笑うように、鼻を鳴らしてみせた。


「ならば理解できるだろう? この宗教国家・メガトリウムにて、ギャング組織を営み、利益を上げるという行為が、いかにリスクの高い行いであるか。このメガトリウムでは、国民一人一人の収入は当然のこと、買い物の履歴まで徹底的に把握されている。そんな国家において、例えば麻薬で利益を上げたとしよう。これは――」

「まっとうな商売で得たものではないがために、隠し通さねばならないカネとなる。もしそれを使おうものなら、出本不明のカネを使ったとして、すぐさま逮捕されてしまう、と」

「そうだとも。メガトリムのような徹底的に過ぎる管理社会において、ギャングというのはハイリスク・ノーリターンな商売なのだよ。何せいくら売り上げても、使うことが出来ないのだから」


 肩を竦めながら、コールドは言葉を積み重ねていく。


「ひとたび使えば、即座にお縄を頂戴する。そんなカネをいくら稼いだところで、無駄もいいところではないかね? 国外にそれを持ち出せるのなら、まだやる価値はあるかもしれんが。残念なことに、そうしたことが出来ぬ仕組みとなっているのだよ。このメガトリウムはギャング組織にとって、地獄もいいところ――」

「というのは、裏社会の創意工夫を知らぬ、無知な人間の考えだと、私はそう思いますが」


 沈黙するコールドの目を見据えながら、俺は続きの言葉を口にした。


「確かに、メガトリウムでは出本不明なカネを使うことが出来ない。外へ持ち出すことも不可。しかしながら……使用出来ぬ汚いカネも、綺麗さっぱり洗ってやれば、使用可能なものへと変化する。これ即ち」

「マネー! マネー…………そうっ! マネーロンダリングっ!」

「左様にございます、イリーナさん。さすが、素晴らしい記憶力ですね」

「ふふんっ!」


 得意げに胸を張る姿が、森羅万象、全てをブッチギリで超越して可愛らしい。

 そんなイリーナちゃんに、俺の頬が自然と緩む――――反面。

 コールドの表情が、やや険しいものになった。

 笑みが萎み、目つきが僅かに鋭くなる。

 そうした反応に微笑を送りながら、俺はさらに語り続けた。


「あるレストランに訪れた際、ギャング風の男達を見ましてね。そこでピンと来たのですよ。このレストランは、資金洗浄に使われているものではないか、と。そこから考えを飛躍させていき……結果、貴方に辿り着いたというわけです」


 この宗教国家・メガトリウムは、俺が古代末期にて形成した社会を、ライザーなりに再現したものである。

 ゆえに、メガトリウムにて裏の連中が働いている狼藉は、古代末期における同類共がやっていたことと、まったく同じなのだ。


 ……もっとも、古代末期の統治者たるこの俺は、反社会的組織がのさばることを良しとせず、ギャングの類いは最終的に撲滅されたわけだが。


 しかし、この国の統治者たるライザーは、ギャング組織に無関心だ。


 子供にさえ麻薬を売らなければ、どうでもいい。

 子供を脅してカネを取らなければ、どうでもいい。

 整備された法の数々が、ライザーの歪んだ性根を表している。

 それゆえに。


「子供にさえ手を出さぬよう気をつけていれば、この国はギャングにとって、まさに楽園のような場所でしょうね。貴方もそう思うでしょう? 麻薬王殿?」


 そして俺は、目前の男……メガトリウムにおける、最大のギャング組織のボスを指差しながら、断言した。


「今回の連続殺人は、《魔族》の仕業に見せかけた人間の仕業だった。それを配下に指図したのは……コールド・ラズベリー、貴方だ」


 相手方はしばし無言を貫いたが、やがて口元を緩め、くつくつと笑い始めた。

 そのうえで、パチパチと拍手までしてみせる。


「いや、お見事。君の言う通りだとも。全てはわたしの指図によるものだ」


 あっさりと犯行を認めたコールドだが、その目に諦観の色はない。

 むしろ……邪魔者を排除せんという、強烈な悪意が宿っている。


「それにしても。やれやれ、かの御方(、、、、)もたいした悪党だな。利益にしかならぬ取引だのと言っておいて、飼い犬を差し向けてくるとは。もっとも……こんなこともあろうかと、準備は済ませておいたわけだが」


 言い終えるや否や、コールドは床を二回、踏み鳴らした。

 ゴン、ゴン、と硬質な音が鳴り響いてからすぐ。

 ドアが静かに開かれ、ぞろぞろと多くの人間がなだれ込んでくる。


「皆、裏仕事を専門とする魔導士だ。特に殺人の技量に関しては、表のプロ連中よりもずっと上だと断言しよう。中には某国の主力魔導士を暗殺した者もいる。……さて、この状況がどういったものか、君達にわかるかね?」

「ふむ。イリーナさん、どう思われます?」

「ふっふん! そんなの決まってんじゃないのっ!」


 余裕綽々といった様子で鼻息を鳴らし、そして、俺の顔をジッと見つめてくる。

 親友の麗しい瞳には、確かな期待が込められていた。


「やっちゃえ、アードっ!」

「了解いたしました」


 我が友の思いに応えるべく、俺は微笑を浮かべ――ぱちりと、指を鳴らす。

 刹那。

 我々を取り囲んでいた全ての魔導士が、バタバタと倒れ込む。

 まるで糸が切れた操り人形のような有様であった。


「………………は?」


 ついさっきまで浮かべていた笑みは、いったいどこへいったのか。

 コールドは唖然とした様子で、あんぐりと口を開くのみだった。


「な、なんだ、これは……!? いったい、なにが、どうなって……!?」

「それほど驚くようなことはしておりませんよ。ただ指を鳴らし、その音響を何千倍にも高め、彼等の脳に直接送り込んだだけのこと」

「……は?」

「まぁ、取るに足らぬ手品のようなものです。……もっとも、貴方にとっては世紀のイリュージョンに感じられるやもしれませんがね」


 依然として、何が起きたのか、何が起きているのか、まったく理解出来ていない様子のコールド。その一方で、我等がイリーナちゃんは得意満面に胸を張って、


「ふふんっ! これがあたしのアードよっ! なにしたのか正直さっぱりわかんないけど、とにかくすごいっ! 世界一すごいっ! あたしの親友、超絶すっごいっ!」


 まるで我がことのように誇示する彼女の様相は、まさしくマジ可愛いの塊であった。

 この可愛らしさに比べれば、俺の戦闘能力などカスも同然。

 真の世界一はイリーナちゃんである。


「き、貴様、何者…………はっ!? そ、そういえば、アード・メテオールという名には聞き覚えが……! ラーヴィル魔導帝国を騒がす神童と、同じ名前……! き、貴様があの、アード・メテオールか……!」

「ふふふんのふんっ! さっすがアードねっ! 国外にも名前が轟いてるだなんてっ!」


 ここ最近、色々とやらかしまくったせいか、どうやら望まぬ名声が大陸中に広がりつつあるらしい。この場にオリヴィアがいなくてよかったと、心の底から思う。

 やれやれと肩を竦めつつ、俺はコールドに問いを投げた。


「さて麻薬王殿。貴方に一つ質問があります。…………黒幕は、誰ですか?」

「く、黒幕?」

「えぇ。此度の一件、その真相は《魔族》の犯行に見せかけた人間の仕業であったわけですが……貴方が一から一〇まで差配したわけではない。そうでしょう?」


 コールドは脂汗を流すのみで、何も答えなかった。

 彼を追及すべく、俺はさらに言葉を重ねていく。


「貴方は随分と優秀な人材を抱えてらっしゃる。ゆえにおおよそのことは出来ましょう。けれど一点、今回の事件において、貴方にも不可能なことがある。それは……被害者を霊体ごと抹殺するという行為。これだけは決して、貴方には出来ないことだ」


 我々の周囲に転がっている、コールドお抱えの精鋭部隊。

 その力量は、現代生まれからしてみれば驚異的の一言であろう。しかしそれでも、人間を霊体ごと消し去るような力は、誰も有していないと見た。


「それとも、まだ切り札となる用心棒を隠しておいでか? ……いいや、それはないでしょうね。もしそうであったなら、とっくに呼んでいるはずだ」


 鋭い視線を送ると、その途端、コールドは怯えたように取り乱し始めた。


「し、知らないッ! こ、この一件は、わたしが一人で――」

「おや。ご自分の発言をお忘れですか? つい先程、貴方はこうおっしゃいましたね? かの御方もたいした悪党だな、と。……さて、かの御方とは何者か。是非とも教えていただきたいのですが」

「そ、それ、は……!」


 脂汗を大量に流し、目をこれでもかと泳がせまくるコールド。

 ……まぁ、おおよその見当は付いている。

 けれども、確証がなかった。

 それをこの男の口から得ようと、そう考えていたのだが。


「うっ……!? ぐぐ、ぐぐぐぐぐ……!?」


 なんの前触れもなく、コールドが胸を抑え、苦しみ始めた。


「ア、アード……!? これって……!?」

「あぁ、やはり、対策されていたようですね」


 可能であれば、苦しむこの男を治癒し、なんとしてでも情報を吐かせるのだが……

 どうやら、無理そうだな。


 コールドを裏で操っていた何者かは、完璧な口封じの手段を用いていた。

 特定の状況になったとき、対象を霊体ごと抹殺する。

 誓約(ギアス)の魔法に、そういったものがある。


 並大抵の使い手によるものならば、効果発動中に術式を解析し、無力化出来るのだが……どうやら思った通り、相手は強大な力量を持っているらしい。構築された術式は極めて難解なもので、これを制限時間内に解析するのは、この俺を以てしても難しい。


 ゆえに。コールドにかけられた魔法は、その役目を十全に果たした。


「し、死んじゃった、の?」

「えぇ。残念ながら」


 奴の口から確証を得たかったが、まぁ、仕方あるまい。

 黒幕に関しては、おおよその当たりがついている。

 また、相手方も、すぐさまこちらをどうこうしようというわけではあるまい。

 そちらについては、今のところ静観してもよかろう。


「なんにせよ、事件はこれにて終了。教皇様から授かった任務も、完了ということになりましょう。……もはやこの場に用はありません。退出させていただきましょう」

「う、うん。それはいいんだけど……死体とか、どうしよう?」

「問題はありません。後始末などは教皇猊下が行ってくださるでしょう」


 きっと今も、見ている(、、、、)だろうしな。


「我々が考えるべきは一つ。ボルドーさんをどうしたものか。現時点ではそれだけです」

「そう、ね。とりあえず、事件の解決を報告しに行きましょ」


 彼女の意見に頷いてから、探知魔法でボルドーの居場所を探る。

 ……どうやら彼は、診療所にいるらしい。

 身を隠せという忠告は、やはり聞き入れなかったか。

 一つため息を漏らしてから、俺はイリーナを伴って部屋を出た。

 使用人などはまだ、家主の状態を知らないようだ。わざわざ教える必要もないので、俺達は無言のまま通路を歩き、中庭を経由して、門を抜ける。


「……ところでイリーナさん。このメガトリウムに住まう国民のほとんどは、鐘の音に従って行動しますよね?」

「え? うん、そうね。敬虔な統一教の信徒が多いからね」


 教会が鳴らす鐘は、この国の民にとって行動方針であり、絶対的な命令である。

 例えば昼の鐘が鳴ったなら、ほとんどの人間が休憩して昼食を摂るなど、このメガトリウムの民は、生活のほとんどを教会の指示通りに行っているのだ。


「それがどうかしたの?」

「……少々、不審な点がありましてね」


 無意識のうちに、歩調が早くなる。そうしながら、俺は胸騒ぎの原因を口にした。


「既に夜の到来を告げる鐘は鳴り響き……それに従って、民の多くは自宅へ戻っています。にもかかわらず、ボルドーさんの診療所の近くにはなぜか、未だ多くの人間で溢れている」

「えっ? ど、どういうこと?」

「わかりません。探知の魔法では、状況の把握までは出来ませんからね。診療時間を延長しているだけなのか、それとも……」


 なんらかの問題が起きているのか。

 そう考えた、矢先のことだった。


「――ッ! ア、アード!」


 俺の肩を叩きながら、イリーナが遠方の空を指差す。

 彼女の震える指が指し示す先には……灰色の煙が、もうもうと立ち上っていた。


「あの方角って、ボルドーさんの……!」


 最悪。

 そんな単語が脳裏に浮かぶと同時に、俺は転移の魔法を発動した。

 普段ならば、決して使うことはない。この魔法は現代において規格外のものゆえ。


 しかし、今は緊急事態だ。


 発動の瞬間、視界が暗転する。

 前後して、瞳に映る景観が変化した。

 大通りのそれから、ボルドーの診療所前の様子へ。

 その結果――

 俺とイリーナは、まったく同じタイミングで、目を見開いた。


「うそ、でしょ?」


 自分の目に映るそれが、幻覚であってほしいと、心の底から思う。

 だが、我々の目前にある光景は、両者共同じものだろう。

 即ち――

 燃え盛る、ボルドーの診療所。

 それを見て、快哉を叫ぶ民衆達。


「ざまぁみろ、バケモノめッ!」

「よくもこれまで、俺達を騙してくれたな!」

「地獄へ落ちろ、汚らわしい《魔族》がッ!」


 いったい、どこから漏れたのか。

 ボルドーの正体を知った者は、総じて記憶を改竄したはず。

 ……いや、今はそんなことよりも。


「ね、ねぇ、アード。ボルドーさんは? ボルドーさんは、無事よね?」

「…………」

「だって、ほら、《魔族》だもの。人間よりもずっと強いんだから。火にかけられようが、そんなのへっちゃらよね?」

「…………」

「ねぇ。アード」

「…………」

「ねぇ。なんとか、言ってよ」


 彼がどういう状態にあるのか、イリーナもまた、なんとなしに勘付いているのだろう。

 だが、確証があるわけではない。

 俺の口からそれが、出されるまでは。

 イリーナの中ではまだ、都合の良い妄想が、真実となっている。

 だから。


「……えぇ、何も問題はありませんよ。ボルドーさんはどうやら、こうなることを見越していたようですね。あえて診療所で待機し、民衆に火を放たせ、自らの死を偽装する。これは、そう、新たな土地へ移り住むための前準備といったところでしょうか」

「うん、そうよね。《魔族》だってバレちゃったんだもの。経歴をなんとかして、抹消しなきゃいけないものね。自分をここで死んだことにして、これから心機一転、また新しい場所で、頑張ろうって。きっと、そういうことよね」

「……おっしゃる通りかと」


 彼女もうすうす、気付いてはいるのだろう。

 その瞳が、涙で濡れている。


 ……そうだ。俺が語った内容は、何もかも虚言だ。

 確かに、《魔族》の肉体は頑強である。防御魔法を用いずとも、この程度の火で焼け死ぬようなことはない。


 だがそれは、半人半獣の姿になった場合の話。

 平常時の、ヒューマンの姿を維持して、防御魔法も使わなかった場合……


 その耐久力は、一般的な人間と何も変わらない。


「ボルドーさんは今、傷心されているでしょうから。しばらく放っておいてあげましょう」

「そうよね。一人になりたいよね、きっと。でも……いつか、また……」


 その先を、イリーナが紡ぐことはなかった。


 焼け落ちる診療所。

 その様相を見て笑う者達。

 人間の闇が凝縮されたような、おぞましい光景を前にして――


 俺はただただ、拳を握ることしか出来なかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ