第六八話 元・《魔王》様と、人間の闇 前編
街灯の煌めきが、メガトリウムの街並みを明るく照らす。
されど我が問いかけを受けたボルドーの姿は、夜の闇に溶け込んでいて、いかな反応を見せているのか認識することが出来ない。
けれども察することは可能である。
これまで隠し通してきた秘密が、唐突に明かされてしまった。
そんな男の顔は今、驚愕と動揺に歪んでいることだろう。
「……中で、話さないか?」
震える声が、彼の内面を物語っている。
こちらに怯えきっているような態度のボルドーだが……全て芝居やもしれぬ。
そう考えているのは、俺だけではない。イリーナもまた同じことを思ったようで、だからこそ、こちらをジッと見つめてきた。
視線が彼女の思考を伝えてくる。
“どうしよう?”
無言の問いかけ。それに対する答えは。
「よろしい。診療所の中で詳しい話を聞かせていただきましょうか」
俺は、相手の誘いに乗ることを決めた。
イリーナも予感していることだろうが……診療所に入った瞬間、不意をつかれる可能性がある。この状況下において、相手が口封じを選択する可能性は極めて高い。
しかし、それならばそれで問題はないと判断した。
いかな不意打ちであろうとも、完璧に対応できるという自負があるからだ。
「……よかった。さぁ、入ってくれ」
どこか安堵したような声を出しながら、ボルドーは出入り口のドアを開け、我々を中へと誘う。
俺は脱力した状態で。イリーナは警戒心を露わにしながら。診療所へと足を踏み入れた。
不意打ちは、来ない。
ボルドーはドアを閉めてすぐ、部屋の奥へと移動し、椅子を三つ引っ張ってきた。
「座ってくれ。よければ、お茶を煎れようか」
「いえ、結構です。これからどうなるにしても……我々は、長居いたしませんので」
俺の言葉にある種の重圧を感じたか、照明具に照らされたボルドーの顔に一筋の汗が流れた。
こちらを完全に畏怖しきっている。そうした様子のボルドーに、イリーナは眉をひそめながら口を開いた。
「あんた、ホントに《魔族》なの?」
「……こんなにも情けない《魔族》は、初めて見たって顔だね」
イリーナを始め、現代生まれの人間からしてみれば、《魔族》は恐怖の象徴である。
圧倒的な戦闘能力を誇り、常日頃社会を脅かしている、絶対悪。《魔族》にはそうしたイメージが付きまとう。
それに当てはめてみると、目前の男はあまりにも《魔族》らしくなかった。
ただ人が良いだけの、人間にしか見えなかった。
ボルドー自身、そのような存在として振る舞っていたのだろう。だからこそ、己の正体がなぜ露見したのか、気になって仕方がないといった様子だった。
「なぜ、僕が《魔族》だと?」
「いくつかありますが、決め手となったのは……魔力の性質」
「魔力の、性質?」
「そう。人のそれと《魔族》のそれは、性質が微妙に異なるのです」
「……そう、か。今まで何度も正体を暴かれてきたけど、このパターンは初めてだな」
右手で顔を覆い、大きなため息を吐く。
その表情には絶望感が宿っていたが……どこか、奇妙な落ち着きも感じさせる。
まるで、こうした状況に慣れているかのようだった。
「何度も正体を暴かれてきたって……どういうことよ?」
「そのままの意味さ。僕はずっと、自分の正体を隠して生きてきた。人の世に混ざり、人として生きてきたんだ。けれど……人間というのは、異物に敏感なんだろうね。なぜだかいつも正体がバレて……その度、僕は居場所を失い続けた」
彼の目尻に、涙が浮かぶ。
「失敗から学び、完全に人として振る舞い続けられるようになったと、そう思ってた。でも、結果はこれだ。やっぱり《魔族》は、人と共存出来ないよう創られた存在なのかな」
共存。
その言葉に、イリーナが目を見開いた。
「……共存、って。本気で言ってるの?」
「君達からすれば、信じられない考えだろうね。でも、本当だよ。僕はどこぞの組織に属しているわけじゃないし……そもそも、彼等がやっていることに賛同出来ない」
「ゆえに、共存を目指した、と」
「うん。だって僕は……人間という種を、愛してるから」
真摯な表情に、嘘偽りの気配はない。
無論、見せかけに過ぎぬという判断も出来ようが……
「ねぇ、アード。この人は、放っておいても大丈夫なんじゃない?」
イリーナは、ボルドーを信じたがっている様子だった。
そんな彼女の反応が意外だったのか、
「君は、僕を排除しようとは思わないのかい?」
「……うん。《魔族》には酷い目に遭わされたこともあるけど、あたしは《魔族》が悪い奴ばかりじゃないって、知ってるから」
「そうですね。我々の学友にも《魔族》の血を引いている方がいらっしゃいますが、なんの問題も起こしてはおりませんし、皆と仲良くやっておりますからね」
我々の言葉に、ボルドーは目を瞠った。
信じられない。彼の表情は、そうした意思を物語っている。
だがそれと同時に、信じたい、という思いもあるようだ。
「そう、か。……その子が、羨ましいな」
「貴方とて共存は不可能ではないでしょう。無論、人の世の掟を守り続ける意思があるのなら、ですが」
ここで一呼吸の間を置いてから、俺は本題を切り出した。
「さて、ボルドーさん。ここ最近、都市内部で殺人事件が続いていることはご存じでしょうか?」
「……あぁ、知ってるよ。付け加えるなら、かの組織の連中が、教皇様お抱えの騎士達に処理されているということもね」
「無礼を承知で言わせていただきますが。我々はついさっきまで、貴方が事件の犯人ではないかと考えていました。此度の連続殺人、下手人は《魔族》の可能性が高いと踏んでおりますので」
ここまで言い切ると、俺はジッとボルドーの瞳を見つめながら、返事を待った。
「……僕はやってない。本当だ。信じてくれ」
額に汗を浮かべながら、彼は縋り付くように言葉を紡ぐ。
「僕は、人間社会の中で、居場所を見つけたいんだ。《魔族》の在り方は、僕からすれば間違ってる。他の種を差別したり、虐げたりするなんて、馬鹿馬鹿しいと思ってる。僕達が持ってる強大な力は、虐げるためのものではなく……救うためのものだと、そう考えてる。だからこそ僕は……救うべき人々のために、診療所を開いてるんだ」
そんな自分が人殺しなどあり得ない。
ボルドーはそう言いたいのだろう。
「よろしい。貴方の言葉を信じましょう」
「ほ、本当かい……!?」
「えぇ。夜分に失礼いたしました。我々はここらでお暇させていただきます。……さぁ、屋敷に帰りますよ、イリーナさん」
スッと立ち上がり、そのまま振り返ることなく、診療所から出て行く。
ボルドーからしてみれば、拍子抜けするほどアッサリした対応であったことだろう。
そしてそれは、イリーナからしても同じだったようだ。
夜道を歩きつつ、彼女はおずおずと口を開いた。
「ねぇ、アード。ボルドーさんのこと、信用するの?」
「貴女は、彼を信じるのですか?」
「うん……信じる、っていうか……信じたいっていうのが、本音かな」
胸元で、ぎゅっと両手を組むイリーナ。その思いは、十分に理解出来る。
彼女はきっと、ボルドーと自分を重ねているのだろう。
異物としての正体をひた隠し、人間社会の中に自分の居場所を見つけようとしている。
それはまさに、イリーナの生き方と同じであり――
そして、俺の生き方もまた、そういうものだった。
だから、信じたいという気持ちは痛いほどわかる。
しかし……
「確証もなしに信用することは出来ません。とりあえず明日一日、彼を監視しましょう。答えを出すのはそれからです」
「……うん。そうよね」
どこか沈んだ様子で、顔を俯けるイリーナ。
俺がボルドーに対して出した判断が、そんなにも気に入らなかったのだろうか?
彼女とて、似たような考えだと思うのだが。
イリーナの内心が理解出来ず、首を傾げると……
次の瞬間、彼女自身の口から、疑問の答えが漏れ出た。
「なんていうか、自己嫌悪しちゃうわね」
「自己嫌悪、ですか?」
「うん。メガトリウムに到着するまでに、さ。ヴァルドルさんが言ってたでしょ? 人は異物を恐れるって。だから……正体を知られたら、皆、掌を返すって」
「……えぇ」
「あたしね、内心、そんなことないって、そう思ってたの。そう、思いたかったの。でも」
イリーナの唇が、小さく震え始めた。
「違うんだなって。今は、そう思う。だって……あたし達がそれを、証明してるもの」
……あぁ、そうか。だからイリーナは、落ち込んでいるのか。
人は異物を恐れる。たとえ昨日まで愛していた隣人でさえ、その正体が異物であると知ったなら、人は掌を返し、排除しようと動く。
この考えを否定したいと願う一方で。
イリーナは今回、ボルドーという名の異物に対して、疑惑と恐れを抱いたのだ。
彼は《魔族》である。まさしく、人にとっての異物である。
だからこそ彼女は、ボルドーが事件の犯人ではないかと、必要以上に疑っていたのだろう。だが、彼の心情に触れたことで、信用してもいいのではと思い……
結果、自己嫌悪に陥ったのだ。
「あたしは誰のことも差別しない。どんな異物だろうと受け入れる。そう、考えてたけど……もしかしたら、違うのかもしれない。《魔族》に対する差別感情や偏見が、どうしても消えないの。……あたしも、あいつらとなんら変わりない、バケモノだっていうのにね」
落ち込んだ様子の彼女に、何か言ってやりたかった。
けれど……それは難しい。
俺とて、ボルドーをどこか、異物として扱っているのだ。
平和を脅かす何かだと、そういった捉え方をしている自分が、心のどこかにいる。
……イリーナの言う通り、自分もまた彼と同じ、異物であるというのに。
「ねぇ、アード。教皇様の言う通り……人間は、醜いだけの生き物、なのかな」
暗く、沈んだ調子で紡がれた言葉に。
俺は終ぞ、なんの反応も、出来なかった。
◇◆◇
屋敷へと戻り、夕餉と入浴を済ませ、就寝する。
そして朝。
教会が鳴らす鐘の音が、目覚ましとなった。
軽い朝食を摂った後、俺はイリーナを自室に招き、昨夜述べた通り、ボルドーの監視を始めた。
この作業について、女王ローザは興味を抱いたのだが……
彼女は書類確認といった政務があるとのことで、泣く泣く不参加となった。
さて。
姿見の魔法を発動してすぐ、俺とイリーナの前に大鏡が顕現する。
やがてそれが、診療室の様子を映し出した。
ボルドーは既に仕事を始めていたらしい。
「本日は、どうされました?」
相手を落ち着かせるために、穏やかな表情を崩さない。
そうして彼は粛々と、誠心誠意、職務に取り組み続けた。
軽い病であれば、薬物治療ないし、整体治療を施す。
重病であれば、持ち前の魔法技術によってそれを癒やす。
「お、おぉっ!? 消えた! 消えたぞ! ずっと横に居たあいつが消えたぁっ!」
「また何か、体の不調があればいらしてください。どのようなものであれ、必ず治してみせますよ」
己の仕事に誇りを抱く、男の顔であった。
人々の病を癒やし、救うことに、彼は心の底から喜びを感じているように見える。
「なんだか、本当にいいお医者さんって感じね」
「えぇ。現段階においては、なんら疑うところがありません」
その後も、我々はボルドーの仕事を観察し、彼への理解を深めていった。
聖者様と呼ばれてもおかしくはないと、今はそう思う。
彼はまさに、聖人君子そのものだった。
富める者も貧しき者も分け隔てなく接し、例外なく癒やす。
しかしこれほどの仕事をしておきながら、対価は「お気持ちだけいただく」と言って、相手が金銭を一切支払わなかったとしても、嫌悪の表情など微塵も見せない。
聖職者よりも、よほど聖職者らしい。
ボルドーはそういう男だと心から思えた。
「本日は、どうされました?」
「お、俺ぁなんも問題ねぇんですが……兄貴分が、怪我をしまして……!」
「こちらに来れないほどの怪我、ですか?」
「え、えぇ。聖者様にご足労願うのは、とんだ無礼かもしれやせんが……」
「いえ、問題はありませんよ。列に並んでくださっている方々を少々お待たせすることになりますが……皆さん、きっと理解してくださるdしょう」
「おぉ……! ありがてぇ……! それじゃあ、早速!」
チンピラ風の男に連れられ、ボルドーは診療室の外へと出て行った。
「……ねぇ、アード。もう監視の必要はないんじゃないかしら」
「えぇ。そうですね」
目視確認だけでなく、あらゆる魔法による検査を行ったが、このボルドーという男に怪しい点はまったく見られない。
彼は心の底から人間との共存を望む、善良な《魔族》であった。
「彼は、シロとみて間違いないかと」
「……なんだか、応援したくなっちゃったわね」
神妙な顔つきのイリーナに、俺は小さく頷いた。
ボルドーと俺達は、ある意味で同じ存在なのだ。
人々を慈しみ、笑顔に囲まれ、幸福な日常を楽しんでいる。
けれどもその一方で、心の中には強い不安と恐怖が充満しており……
いつか居場所を失うのではないかと、常に怯えている。
同じ異物同士、相手の感情が十全に理解出来た。
だからこそ、俺もイリーナと同じ気持ちを抱く。
彼の秘密が永遠に明かされることなく――その幸福が、一生続きますように、と。
……監視を終えた後、我々はすぐさま街へと繰り出した。
ボルドーがシロだった以上、連続殺人事件の調査は振り出しに戻ったことになる。
なんとか新たな手がかりを掴むべく、俺とイリーナは奔走したのだが。
「ちょっと、お手上げって感じ?」
「そうですね。わかっていることは、《魔族》による犯行という一点のみで、それ以外の全てが、謎のまま。……正直、ここまで手こずるとは思いませんでしたよ」
やれやれと嘆息してすぐ、ゴウンゴウンと、鐘の音が周囲に鳴り響いた。
これは、昼の到来を示すものだ。
ゴウン、ゴウン。何度も繰り返される、鐘の音。
その中に……ぐぅ~、という音が混ざった。
発生源は、イリーナの腹である。
「え、えへへへへ。な、なんか食べに行かない?」
「そうですね。腹が減ってはなんとやら。ちょうど目の前にレストランがありますし、あちらに行きましょうか」
大通りの中、通行人に混ざって、目的地へと赴く。
こじゃれた外観の、小さなレストラン。入り口にはメニューを記したものと思しき看板が置いてあり、それを確認してから、俺達は中へと入った。
さすがに昼時なだけあって、客足はなかなかのもの。隅々まで清掃が行き届いた、清潔感ある店内にはテーブル席とカウンター席が多く並んでいるが……ほとんど満席だ。
しかし運良く、テーブル席に座っていた一組の男女が食事を済ませて出て行くところだった。俺達はそこへ案内され、椅子に腰を落ち着けると、店員に料理を注文する。
「なんだかいい感じのお店ねっ!」
「えぇ。内装のセンスが実に素晴らしい」
事件のことを一時忘れ、俺達は落ち着いた時間を過ごしていた。
が――
「あぁん!? てめぇ、オレ達からカネを取るってか!?」
前触れなく店内に響いた怒声が、穏やかな空気をブチ壊す。
僅かに不快感を覚えつつ、俺はそちらに目をやった。
ガラの悪いオーク族の男が目に入る。その近くには連れと思しき、獣人族の男が立っており……やれやれと、肩を竦めた。
「おい。騒ぐんじゃねぇよ」
「けど兄貴! この野郎、オレ達からカネを――」
「黙れ。モグリをあえて雇ってるってことがわかんねぇのか、てめぇは」
どうやら、獣人族の男の方が、強い立場を有しているらしい。
「なぁ、君。連れが騒いで本当に申し訳なかったね。食事代と……ほら、迷惑料だ」
「えっ!? こ、こんなにも……!?」
「気にしなくていい。その代わり、俺達のことは忘れてくれると助かる」
こんなやり取りをしてから、二人は店をあとにした。
「なによ、あいつら! クレーマーってやつ? 感じ悪いわねっ!」
ぷりぷりと怒るイリーナ。
他の客達も似たような思いだったようだが……別の言い方をするなら、その程度の考えしか抱かなかった、とも言える。
イリーナを含めた客のほとんどが、やがて二人の男を忘れ、平穏を満喫し始めた。
しかし、その一方で。
「どうしたの、アード? なんか難しい顔してるけど」
「……先ほどの彼等が、どうにも気になりましてね」
普段なら、取るに足らぬ日常風景として処理するところだが……
第六感が、俺の心に怪訝を呼び込んでいる。
「……ふぅむ。ともすれば」
顎に手を当て、考え込む中。
我が脳内に、ある仮説が急浮上した。
「ね、ねぇアード? なんか様子が変だけど……どうかしたの?」
「そうですね……まだ、なんとも言えない状態ですが……」
腕を組みながら、俺はボソリと呟いた。
「事件の犯人が、特定出来るかもしれません」
「えぇっ!?」
イリーナの大声に、周りの客がビクリと体を震わせた。
けれども、彼女はおかまいなしといった調子で、身を乗り出してくる。
「で!? 犯人は誰なの!?」
「いや、まだ確証はありません。そのための材料が欲しいのですが……イリーナさん、貴女はこのメガトリウムについて、どこまでご存じですか?」
「どこまで、って。大抵のことは知ってると思うけど。パパが昔、メガトリムはあたしにとっても重大な場所だから色々と勉強しておきなさいって、そう言ってたからさ。最新情報を色々と頭に入れてるのよね」
「ほう。では……メガトリウムの政治体制や法に関しても、造詣が深いと?」
「まぁ、そこらへんは当たり前の分野よね」
いいぞイリーナちゃん。頼りがいがあるじゃないか。
「では、いくつか質問させていただきます。まずは、そうですね……メガトリウムは他国に比べ、法的に厳格と言えるでしょうか?」
「うん。間違いなく厳しいわね。細かいところまでビッチリと法が並んでるって感じ。パパはこのメガトリウムのこと、法治国家って呼んでたわ」
「なるほど。では、民の管理システムはどうです? 我々が住まうラーヴィルなどと比べ、優れていると言えますか?」
「う~ん。間違いなく、優れてると思うんだけど……個人的には、やり過ぎというか」
「やり過ぎ、とは?」
「どんな方法かは知らないんだけどさ、国民の情報を全部管理しきってるのよね、メガトリウムって。国民一人一人の生まれから死別は当然のこと、収入金額だとか、購入物の履歴だとか、ありとあらゆる情報を管理してるんだってさ」
「ほう」
「小さな都市国家だから出来ることだとは思うんだけどね。でも……ラーヴィルで再現出来るとしても、あたしは反対かな。あんまりにも監視の目が行き届いてて……これじゃあまるで、広々とした牢獄だわ」
「まぁ、その点については同意しますよ。……話を元に戻しますが、それほど高レベルな統治システムが敷かれているのであれば、犯罪発生率も少ないと考えてよろしいか?」
「いや、それがそうでもないのよね」
「と言いますと?」
「やっぱり人間ってさ、抑圧されると反発しやすいみたいで……殺人だとか、かなり多いみたいよ。ただ、ちょっと歪んでるというか……」
「歪んでる、とは?」
「うん。犯罪を犯したり、その犠牲になったりしている人は、大人がほとんどなの。子供はそういうことにほとんど巻き込まれてないみたい。付け加えるなら……法関係もね、子供を優遇するものが大多数で、大人については無関心っていうか」
なるほどな。おおよそ、この国の政治理念が把握出来た。
やはり奴は、かつて俺が形成した社会を再現しようとしているのだ。
もっとも、完全再現ではなく、ライザーのエゴを最優先した形に歪めてはいるようだが。
「犯罪件数について、ですが。……違法薬物の取り締まり件数は、いかほどで?」
「えぇっと、確か、そう……めちゃくちゃ多かったと思う。この国では、子供に麻薬を売ったら問答無用で処刑されるんだけど、大人に対しては軽い罪に問われるだけ、みたいだから。結構、薬物が出回ってるみたいね」
そういえば、と、イリーナが天井を見上げながら呟いた。
「朝、ボルドーさんの診療所にも、薬物中毒っぽい人が来てたわね」
「ふむ。確かに。……この都市国家はどうやら、極めて歪んでいるようだ」
最先端の統治システムを誇る、法治国家でありながら。
その実態は、子供だけが幸福であればそれでよいという、ライザーの歪んだ考えが根付く場所。
ゆえに……裏社会の面々からすると、よき稼ぎ場となろう。
ただし、ちょっとした工夫は必要であろうが。
俺は改めて店内を見回しつつ、ボソリと呟いた。
「この店はまるで、メガトリウムそのものを表しているかのようですね」
イリーナには、なんのことやらわからなかっただろう。
彼女が小首を傾げると共に、料理が運ばれてくる。
「本来ならば、ゆっくりと楽しみたいところですが。もはやそういうわけにもいきません。早急に腹を満たしますよ、イリーナさん」
「う、うん! なんだかわかんないけど、頑張るっ!」
食事のマナーなどかなぐり捨て、我々は速さのみを優先した。
皿に盛られたそれが、瞬く間に胃の中へと押し込まれていく。
「ふぅ……ごちそうさまでした」
代金を支払い、店を出る。
「うっぷ……そ、それで。ここからどうするの? また現場検証?」
「いいえ。もはや現場検証は必要ありません。また、聞き込みも不要です。我々がまず調査すべきだったのは、現場の状態や犯人の居所などではなかった」
「じゃあ、何を調べるの?」
「被害者です。連続殺人の被害者達を、徹底的に調べましょう。私の推測が正しければ、そうすることで、必然的に真実へと辿り着くでしょう」
まずは被害者の名を知るところから行わねばなるまい。事件内容や犯人像の特定にばかり気を取られていて、そこについては着目していなかった。現時点では殺害された者達の名前さえわからない。それを知らぬことには、何も始まらん。
「まずは図書館へ向かいましょう。事件に関するゴシップペーパーなどが、まだ保管されているはず。それを読めば、とりあえず被害者名は特定出来るかと」
イリーナに行き先を告げながら、大通りを早足で歩く。
その、道中のことだった。
「む……」
道行く人々の中に、ボルドーの姿を発見する。
「あ、ボルドーさんだ。出先でのお仕事を済ませた後って感じ――――あれ? アード? どこ行くの?」
「彼のもとへ。彼には忠告をする必要があります」
「忠告って、どういうこと?」
「ボルドーさんは、我々が追う事件に関与している可能性があります」
「えっ!? で、でも、ボルドーさんは犯人じゃ……!?」
「えぇ。犯人ではありません。しかし……私の推測が正しかった場合、彼の立場は極めて危うい。詳細は後ほど話します。今は早急に、彼のもとへ」
歩調をさらに早め、ボルドーの背中へ接近する。
そして、彼に声をかけようとした、その直前のことだった。
「――――ッ!?」
ボルドーの喉から、引きつったような音が放たれた。
彼の目が向く先には、一件の集合住宅街があり……その壁の傍に、年老いた女性がいる。
それを、こちらが視認した、次の瞬間。
集合住宅の三階窓、開け放たれたそれの、縁に置いてあった植木鉢が、外部へと落下する。落ちる先にはあの老婆が立っていて……
危険を感じ取った頃には、ボルドーが既に動いていた。
尋常ならぬ速度で以て、老婆との距離を詰めるボルドー。
そして彼は、老婆を守るように覆い被さった。
数瞬後、植木鉢が彼の背中を直撃する。
「ぐっ……!」
苦悶が漏れ出たが、頑強な肉体を持つ彼にとっては、たいしたダメージではあるまい。
けれども、もし老婆に直撃していたなら、当たり所によっては死んでいたかもしれない。
そうした危機をボルドーは防いだのだ。その行動は称賛して然るべきものである。
しかし……周囲の、道行く者達は、なんの声も上げなかった。
ただただ、ボルドーの姿を凝視して、息を飲むばかり。
なぜか?
……ボルドーの肉体の一部が、獣のそれへと変化していたからだ。
《魔族》は平常時こそ人と同じ姿をしているが、真の力を発揮する際は半人半獣の姿へと変わる。変わってしまう。
老婆を救うために人外の力を引き出したことで、ボルドーは無意識のうちに、《魔族》としての姿を晒してしまったのだ。
「お、おい、こいつ」
「ま、まさか」
一人、二人と、現状を理解した者が出てくる。
不味い。
このままでは一瞬にして、民衆にパニックが伝播するだろう。
「これは、致し方ありませんね……!」
最悪の事態を防ぐため、俺は魔法を発動した。
ボルドーの周囲に立つ、多くの民間人。その頭部を覆うように、幾何学模様が顕現する。
数瞬後、それは煌めく粒子となって霧散。
魔法の対象となった者達は天を見上げながら、目をパチパチさせて、
「あ、あれ?」
「なんか、ヤバいものを見たような?」
効果は覿面だった。
「な、なにをしたの、アード?」
「忘却の魔法です。……精神や記憶に干渉する魔法は悪趣味ゆえ、普段は滅多に使わないのですが……今回ばかりは、仕方ありません」
返答を寄越す間も、民衆は当惑した様子で空を見つめるのみだった。
そうした中、ボルドーが人の姿へと瞬時に戻る。
彼もまた、何が起きたのか、わかっていない様子であった。
「……ギリギリでしたね。間に合って本当によかった」
安堵の息を漏らしながら呟くと、俺はイリーナを伴って、ボルドーのもとへ向かう。
我々の姿を見たことで、彼は全てを察したらしい。
「……どうやら、助けてもらったようだね」
「お気になさらず。そんなことよりも……裏道へ行きましょうか。少々、人に聞かれては不味いことを話しますので」
ボルドーは硬い表情で頷き、こちらの指示に従った。
狭い路地裏へ移動し、人気が一切ないことを確認すると、俺は一息吐いて、
「単刀直入に行きましょう。ボルドーさん、貴方は狙われている。よってしばらく、身を隠してください」
これに驚いたのは、イリーナのみ(、、)であった。
当の本人は、どこか落ち着いた様子で、ボソリと声を漏らす。
「あぁ、やっぱり、そうだったのか」
「えっ? やっぱりって……ど、どういうことよ?」
俺とボルドーの顔を、交互に見やるイリーナ。
事態が飲み込めていないのだろう。それも無理からぬことだ。
俺は彼女へ目をやりつつ、現状を簡単に説明する。
「ボルドーさんは、スケープゴートとして利用される立場にあるのですよ」
「ス、スケープゴート?」
「えぇ。あるいは、隠れ蓑という表現の方が、適当やもしれませんね」
「い、いったい、誰がそんなことを……!?」
この問いに対し、ボルドーが俺に先んじて、返答を出した。
「ここ最近の、連続殺人事件。その犯人、だろう?」
「……気付いておられましたか。では、犯人の心当たりも?」
「確証はないし、特定してもいない。でも、なんとなしに勘付いてはいたよ。……もっとも、僕が彼等の計画に組み込まれていることに気付いたのは、ついさっきのことだけどね」
そう述べた彼の表情は、やはりどこか、不自然なほど落ち着いていた。
……この顔つきには、見覚えがある。
前世にて、よく見たものだ。
己が人生に、絶望しきった男の顔。
かつて、俺が常に貼り付けていた表情と、まったく同じだった。
「……なんというか、潮時ってやつかな、これは」
「潮時、とは?」
「もうそろそろ、店じまいをすべきだと、そういうことだよ」
「……諦めるのですか? 人の世に居場所を見つけるという目的を、放棄する、と?」
「あぁ。どうやら僕は、そういう星のもとに生まれたらしい。どれだけ頑張ってみても、結末は同じだ。人々に恐れられ、憎まれ、排除される。そういうふうに、創造主が定めているんだよ」
「そ、そんなことないわっ! 少なくとも、あたし達はボルドーさんのことを嫌ったりしないものっ! ねぇ、アード!?」
「えぇ、イリーナさんのおっしゃる通りです。早まってはなりませんよ、ボルドーさん。まだまだ、人生はどう転ぶかわかりません」
彼は、一言も返さなかった。
ただただ、不自然なまでに穏やかな表情で、こちらを見つめるのみ。
「ボ、ボルドーさんはずっと、皆に寄り添ってきたじゃないのっ! 数え切れないぐらい、大勢の人を治して! 皆から愛されてる! きっと皆、ボルドーさんに感謝してるわっ! その思いが覆ることなんて、絶対にない! 人間は…………人間は! そんなことをするような、お馬鹿な生き物じゃないわっ!」
あくまでも、ヒトの美しさを信じたい。
イリーナの真摯な瞳が、そんな彼女の心情を物語っていた。
けれども……ボルドーの表情は変わらない。
何もかもを悟り、絶望しきった男の顔には、なんの変化も見られなかった。
「……いいですか。私達を信じてください。よきようにいたしますので。とにかく先ほど申し上げた通り、身を隠してください。よろしいですね?」
「あぁ」
虚ろな瞳には、なんの気力も宿ってはいなかった。
……少々不安だが、今は捨て置くほかあるまい。こちらにも、やるべきことがある。
早急に事件を解決し、それから、ボルドーを保護するのだ。
話は、それからだ。
「……行きますよ、イリーナさん」
「う、うん」
踵を返し、ボルドーに背を向ける。
と――
「なぁ、アード君。君は昨夜、自分の学友に《魔族》がいると、そう言っていたね?」
「……えぇ。それが何か?」
「その子の名前は、なんていうのかな」
「……カーミラという、女子生徒ですが」
「そうか。カーミラ、か。その子は幸せだな、君達のような友人が居るのだから。……彼女に伝えてくれないか。これからどんなことがあっても、人間への愛情を忘れてはいけない、と」
彼の言葉に、どのような意図が隠されているのか。
察することは容易い。しかし、解決することは、もう……。
「えぇ。伝えます」
「うん。ありがとう」
淡々とした会話を交わしてから、俺はイリーナを伴って、今度こそ、彼のもとを離れた。
……背後にて漏れた、か細い声を、あえて無視しながら。
「僕はもう、疲れたよ」