第六四話 元・《魔王》様と、宗教国家
話が決まってからすぐ、俺とイリーナは学園寮へと帰宅し、荷物をまとめた。
寮を出る際、ジニーやシルフィーは同行したそうな顔でこちらを見ていたが……
残念ながら、彼女等を連れて行くことは出来ない。
こういった護衛任務というのは、極めて少数で行うべきだ。
単純に考えれば、護衛役は多い方が安心出来るように思えるが、実際は違う。関わる人数が多くなればなるほど敵方に護衛対象の位置を特定されやすくなる。
大人数で誰かを囲んでいたなら、それはもう、護衛対象がここにいますよ、とアピールするようなものだ。
ジニーもシルフィーも、それがわからぬような人間ではない。
「旅の安全を祈りますわ。もっとも、アード君には必要ないでしょうが」
「お土産に期待してるのだわ!」
二人に別れの挨拶をしてから、俺とイリーナは首都に点在する馬車乗り場へと移動。
そこで平民に変装した女王ローザ、宰相ヴァルドルと落ち合い、用意されていた特別性の馬車に乗り込む。
特別性、といっても、外見が豪奢という意味ではない。むしろその逆である。
この旅は、女王の威光を示すためのパレードではない。
そのため、馬車の外見は平民が乗る、一般的な馬車と同じだ。
しかし内部構造は最新鋭の技術が用いられており、乗り心地は平民用のそれとは一線を画している。
また、素材にはいくつかの付与魔法が施されていて、見た目からは信じられぬほどの頑強性を誇る、とのこと。
「ねぇローちゃん。到着までどれくらいかかるの?」
「いくつかの都市を経由するゆえ、そうじゃな……およそ一週間といったところかの」
「あ~、やっぱり。結構な長旅になりそうね」
手狭な車体の中で、イリーナは鞄をまさぐり始めた。
「道中はかなり暇だろうから、カードゲームでもしましょっ!」
「おぉ、それはよいのう。カードゲームなどいつ以来か」
ローザは乗り気だったが、その横に座るヴァルドルはというと、
「……もう少し、緊張感をもたれてはいかがか。我々はいつ襲撃されるかわからぬ身の上なのですぞ」
ため息交じりに苦言を呈するが、ローザもイリーナもどこ吹く風であった。
「緊張しようがしまいが、結果は変わるまい」
「そもそも緊張する要素が見つからないわっ! ね、アードっ!」
俺がいれば、なんの問題もない。そう確信している様子のイリーナに、首肯を返す。
「えぇ。万事お任せください」
「……ふんッ! せいぜいミスをせぬよう、気を付けることだ!」
ぶっすぅ、と不機嫌そうな顔をする宰相ヴァルドル。
そんな彼も交えて、我々はカードゲームに興ずることとなった。
それ以降、平穏無事な時間が過ぎていく。
俺やヴァルドルはいつ何時でも問題に対応できるよう、ゲームに参加しつつも警戒を怠らない。そのため口数は少なかった。
一方で、ローザとイリーナは安心しきっているからか、明るい声を常に出し続けている。
そんな彼女等の会話は実に他愛のないもので、特に注視するような内容ではない。
ゆえに俺は、ずっと二人の雑談を聞き流していたのだが――
「ところで、イリーナよ。学園生活はどうじゃ?」
「すっごく楽しい! ヤな奴もいるけど、でも、それもひっくるめて楽しいわ! アードのおかげで刺激的だし、友達もたくさんいるし!」
「そうか。上手くやっておるようじゃの」
なぜだろう。このやり取りだけは、妙に気になった。
ローザの言葉と表情。いずれも穏やかなものだが……どこか嘘くさい。
しかし、悪意は感じられなかった。
そこがどうにも、理解しがたく……
さて、彼女は何を考えているのか。あれこれと推し量っている、最中のことだった。
「イリーナ殿、いや……この場では、イリーナ様とお呼びすべきか」
ヴァルドルが言葉を紡ぐ。
その声音は実に、重苦しいものだった。
「今は幸福の絶頂でありましょう。しかしイリーナ様。貴女は実に厄介な星のもとに生まれているということを、どうかお忘れなく。いくら気を許した相手であっても……決して、正体を明かしてはなりませぬ」
さもなくば。
そう前置いてから、一度咳払いすると。
ヴァルドルは一層険しい顔をしながら、重い言葉を口にした。
「さもなくば……これまで築いた何もかもが、失われます。人は、異物を恐れるがゆえに」
これを受けて、イリーナは表情を曇らせ、黙りこくってしまった。
「……例え、どのようなことがあろうとも。皆、イリーナさんを見放すようなことはいたしませんよ」
イリーナに代わって、俺が反論の言葉を述べる。
だが、ヴァルドルは何も言わず、こちらを見つめるのみだった。
きっと彼は、俺の迷いを見抜いているのだろう。
そう、このアード・メテオールは……
心の奥底では、誰のことも、信じてはいないのだ。
イリーナが。
そして、この俺が。
平凡な存在とはあまりにも異なる存在だと、知れ渡ったなら。
きっと、ヴァルドルの言う通りになるのだろうと、心の奥底では確信している。
……そんな自分が、俺は大嫌いだった。
人は、異物を恐れる。
馬車旅が終わるまで、その言葉は俺の中で常に、重く重く、反芻され続けるのだった
◇◆◇
およそ一週間ほど続いた馬車の旅。
道中、特別なトラブルもなく、いくつかの都市を経由した末に――
馬車を操る御者の声が、車内に響く。
「皆様方。ご到着にございます」
これを受けてすぐ、イリーナとローザが身近にあった窓を開け放つ。
時は昼前といったところ。
陽光が窓から車内へと差し込み、その眩しさに、俺は一瞬目を細めた。
「おぉ~! 久方ぶりの眺めじゃあ!」
「綺麗な街並みねぇ~! まさに芸術って感じっ!」
我々を乗せた馬車は、ちょうどメガトリウムの入り口を通過したばかりのようである。
はしゃぐイリーナとローザ。美しい少女二人を街が迎えるかのように、ゴウンゴウンと、教会の鐘が鳴り響いた。
「ぶ、不用心が過ぎまするぞ! 敵方に存在が気付かれるやもしれませぬ! はよう、窓を閉めなされ!」
「ビクビクしすぎじゃ。気付かれようとも、どうということはあるまい」
「ローちゃんの言う通りよ! あたし達にはアードが付いてるんだから! ドンと構えてればいいのよ! ドンと!」
能天気に街の景観を眺めるイリーナ、ローザの様子に、ヴァルドルは頭を抱えた。
気苦労が絶えんな、この男も。
彼を哀れみつつ、俺は二人の体越しに外の様子を見やる。
都市にして国家。そうした特殊性を持つメガトリウムの街並みは、なるほど、イリーナの発言通り芸術的なまでに美しかった。
立ち並ぶ建築物はいずれも古風な佇まいで……宗教国家と呼ばれるだけあって、全ての建物に統一教のシンボルマークが刻まれている。
異国情緒溢れる景観を楽しんでいると、再び御者の声が車内に響く。
「じきに馬車乗り場へ到着いたします。人の波に呑まれぬよう、注意されたし」
民間人の中に刺客が混ざっている可能性があるため、警戒を怠るなと、そう言いたいのだろう。
御者の呼びかけから少しして、我々を乗せた馬車は、メガトリウムの乗り場へ到着。
まず、俺とヴァルドルが車外へと出て、周辺を警戒する。
悪意や殺気を放つ者がいないことを確認してから、俺は車内へと手を伸ばした。
「イリーナさん、お手をどうぞ。足下にお気をつけください」
「うん、ありがと」
イリーナを下ろしてからすぐ、ローザに手を伸ばす……が。
「なぁ~にどさくさ紛れに触れようとしとんじゃ、この無礼者がぁッ!」
ヴァルドルにひっぱたかれ、我が手はあらぬ方へ。
「ささ、儂の手をどうぞ」
「え~、老いぼれの手なんぞ握りとうな~い。アードの手がいい~」
「老いぼれてなどおりませぬ! このヴァルドル、まだまだ現役にございます!」
主従というよりも、仲睦まじい親子のようであった。
馬車乗り場を抜け、大通りを進む。
向かう先は、滞在のために用意された屋敷である。
この道中もまた、特にこれといった問題も発生せず、実に穏やかなものだった。
そうこうしているうちに我々は屋敷の前に到着。
大きな門を抜けて、中庭を経由し、本館へ入る。
多くの使用人に出迎えられ、それからすぐ、あてがわれた部屋へ案内される。
一人につき一部屋用意されており、いずれも内観は無駄に広く、無駄に豪奢だった。
室内の確認などを済ませてから、通路にて、ヴァルドルは我々を見回しつつ口を開く。
「会議が行われるのは、今より六日後。それまではこの屋敷にて待機していただく。外出などは厳禁。何か必要であれば、使用人に命じて用意させること。……よろしいですな、女王陛下」
「む。なぜわらわにだけ釘を刺すのじゃ?」
「……この中において、間違いなく、貴女様がもっとも言うことを聞かぬ御方ゆえ」
「しっつれいな奴じゃのう! わらわとて分別のある大人じゃっ! こんな重大極まりない状況下において、まさかまさか、重臣の進言に逆らうわけもなかろうっ!」
……などと言ってから、およそ三〇分後のことだった。
「アード・メテオールっ! メガトリウムを観光しに参るぞっ!」
自室にて一人、ベッドの上に寝転がり、旅の疲れを癒やす最中。
ドアが勢いよく開け放たれ、そして、ローザの声が耳に入る。
……やれやれ。
一つため息を漏らしてから、俺は上体を起こし、ドアの方を見やった。
そこには、先ほど声を張り上げたローザと……
「はやくはやくっ! うるさいのが来る前に脱出するわよっ!」
悪戯好きな幼子のように、目をキラキラさせたイリーナが立っていた。
「ヴァルドル様のお言葉に従うのが一番、ではありますが……まぁ、仕方ありませんね」
俺とて、二人と共に観光がしたいという思いはある。
ゆえに嘆息しつつも、彼女等のもとへ赴き、速やかに玄関へと向かうのだが――
「やはり、言うことを聞かぬ御方ですな。貴女様は」
玄関先にて、ヴァルドルが待ち構えていた。
仁王立ちしながらこちらを睨む彼の顔には、固い意志が宿っていて、
「ここから先へ行きたくば、この老体の屍を――」
「女王パァ~~~~ンチっ!」
「ごばぁっ!?」
ローザの鋭いボディーブローが、老いた宰相の鳩尾を抉る。
ヴァルドルの固い意志は、その一撃で以て粉砕されたのだった。
「ふんっ! わらわの前に立つなど、百億年早いのじゃ! ば~かば~か!」
「うごごごご……!」
腹を押さえてうずくまるヴァルドルに舌を突き出してから、ローザはイリーナを伴って外へ出る。
「えぇっと。お二人の身は私が責任をもって護衛いたしますので、どうかご安心を」
「ぐごごごご……!」
よほどボディーブローが効いたのか、なんの反応もない。
この男、死ぬまで苦労が絶えそうにないな。
少しばかり親近感を覚えつつ、俺は二人の後を追うのだった。
街中へ出ると、我々は特に当てもなく、メガトリウムの只中を歩き回る。
当然ながら、周辺への警戒を怠ることはない。
二人にもちゃんとローブで顔を隠すよう頻繁に、口酸っぱく注意し続ける。
「陛下。僅かにローブがズレています。それではお顔が丸見えですよ」
「別にいいじゃろ、それぐらい」
「いけません。敵方に貴女様の存在を気付かれるわけにはいきませんので」
「はぁ。わかったわかった。まったく、誰よりも強いくせに心配性じゃの、そなたは」
唇を尖らせながらも、こちらの指示に従う女王陛下。見た目こそ大人びた美少女だが、内面は幼い子供のようだった。
そして……幼子と言えば。
我等がイリーナちゃんもまた、先程から幼児のごとくはしゃいでいる。
「見ていて飽きないわね~! この街並み! ママが言ってた通りねっ!」
「……イリーナさんのお母様は、この地に足を運ばれたことが?」
俺の問いに、ローザが受け答えた。
「うむ。かなり前の話じゃが、メガトリウムにて国際会議が開かれたことがあった。当時、わらわはまだ王女であったが、父上に同行しておっての。我等の護衛役の一人が、イリーナの母上……クラウディア殿であった」
「ほう……イリーナさんの母君は、クラウディア様というのですね」
「あれ? 言ってなかったっけ?」
「えぇ、まぁ」
イリーナの母に関する話は、極めてデリケートなものだと考えている。
だから俺は今の今まで、母親関連の問いかけを彼女にしたことがない。
「それにしても、クラウディア様、ですか。少し厳格な印象を感じさせるお名前ですね」
「ふふ。少しばかりではないぞ? クラウディア殿は、ヴァルドルの何百倍も厳格で、何億倍も怖い御仁じゃった。見た目も性格も、イリーナには似ても似つかんかったわ」
「うん。あたしも昔は、ちょっとだけママが怖かったかな」
「ちょっとどころではあるまい。クラウディア殿がご存命の頃のそなたは、今よりも遙かにおてんばじゃった。あの頃のそなたは、尻を叩かれて泣いてばかりじゃったの」
「そ、そんなことないわよっ!」
「ほう? 例えば?」
「えっ?」
「尻を叩かれた以外に、何か思い出はあるかの?」
「そ、それは……ない、けど……」
ボソボソと呟くイリーナを見やりながら、ローザはケラケラと笑う。
「かっかっか。それ見たことか。……まったく、当時はこんな奴と上手くやっていけるものかと、そう考えておったが。世の中、どう転ぶかわからんのう。いつの間にやら、苦手な奴が一番の親友になるとは」
どこか遠い目になるローザ。
そんな様子を見て、俺は思う。きっと、この世でもっとも長くイリーナと付き合ってきたのは、この少女なのだろう、と。
……なんだか、子供じみた対抗意識が湧いてきた。
ふん。
一番長く付き合ったのはローザやもしれんが、イリーナにとっての友達一号はこの俺である。総合的に考えれば、俺の勝ちは明白であろう。
俺こそが、イリーナちゃんにとってのベストフレンドなのだ。
この座は決して譲らんぞ。
「……む? どうしたアード。わらわの顔に何か付いておるか?」
「いえ、なんでも」
「ふふん。そうかそうか。わらわの美貌に見惚れたか。まぁ、無理からぬことよなぁ」
得意げな顔をしながら、豊かな胸を張るローザ。
この誤解を受けて、イリーナがムスッとした顔になる。
やれやれ、どう弁解したものだろうか。
頭を悩ませつつ、言葉をひねり出す――
直前のことだった。
「あれぇ~? お嬢ちゃん、一人ぃ~?」
「ママやパパとはぐれちゃったのかなぁ~?」
少し離れた場所、建物の壁際にて。
一人の幼い少女を取り囲む、ガラの悪そうなオーク達を発見する。
「え。あの、その」
「もしよかったらさぁ~、オレ等が親探ししてあげるよぉ~」
「さ、一緒に行こうねぇ~」
言葉の内容だけを見れば、親切な者達に感じられるのだが……
声音に、悪意が滲み出ていた。
「ふむ。宗教国家であっても、犯罪がゼロというわけではないようですね」
アレはおそらく、人さらいの類いであろう。
そう判断したのは、俺だけではなかった。
「助けなきゃっ!」
「ふふん。久々に暴れてやろうかのう」
目尻を吊り上げるイリーナと、指を鳴らすローザ。
だが、今にも飛びかかっていきそうな二人を、俺は手で制止する。
「お待ちを。イリーナさんはともかく、陛下が目立つ事態は避けねばなりません。ここは一つ、私にお任せを」
そう述べてからすぐ、俺はオークの集団へと接近し、声を――
「待ていッ!」
声を、かけようとしたのだが。
それよりも前に、別の誰かが、口を出してきた。
……この、腹に響く重低音。
聞き覚えが、あるぞ。
……いや、しかし、そんなまさか。
もし、そうだったなら……いくらなんでも、偶然が過ぎる。
だが、修学旅行のこともある。
俺はおそるおそる、第三者の方へと目を向けた。
果たして、そこに立っていたのは――
黒いシルクハットと、ダークスーツに身を包んだ、老齢の男。
スラリとした長身に、鷹の如き鋭い瞳。
流れるような白髪と、威厳ある髭が特徴的な、この男は。
かつての我が配下にして、最上位の武人。
四天王が一人、ライザー・ベルフェニックスであった――