第六二話 元・《魔王》様と、悪夢
ぐわん、ぐわん、と……不愉快な音が頭の中で鳴り響いている。
目前にあるのは、見知らぬ街の光景。
特徴的な建築物が立ち並ぶ、大通りと思しき場所にて、大勢の民衆が寄り集まっている。
彼等の顔にはなぜか、激烈な殺意と嫌悪が宿っていて――
その視線の先には、怯えた様子のイリーナが立ちすくんでいた。
「皆、どうして……!?」
なぜこんなことになったのか理解できない。そんな様子で全身を震わせる彼女に、民衆は容赦ない罵声を浴びせかけた。
「黙れ! このバケモノめ!」
「よくも今まで騙してくれたな!」
「処刑だ! 処刑すべきだ!」
処刑。処刑。処刑。血走った眼をイリーナに向けながら、狂った様に叫ぶ民衆。
そして――
彼等は一斉に動き出した。
怯えることしか出来ぬ、いたいけな少女のもとへと。
「きゃあっ!?」
瞬く間に取り囲まれたイリーナが、民衆の一人に引き倒される。
「この! このぉ!」
「バケモノ! バケモノ! バケモノがぁッ!」
荒れ狂う人々が、地面に転がるイリーナの全身を踏みつける。
「あ、が……ぐ……! や、やめ、て……!」
彼女の綺麗な顔が、暴力の嵐によって歪んでいく。
骨が砕け、顔面が変形し、純白の肌が鮮血の紅に染まり――
「たす、け、て……」
死に行くイリーナが、こちらへ向かって手を伸ばす。
だが、掴むことが出来ない。
彼女を救うことが、出来ない。
手を伸ばそうとしても、体は動かず。民衆を止めるべく声を張り上げても、喉は動かず。
ただただ、友が殺される様を見つめることしか出来なかった。
「アァ……ド……」
小さな、悲鳴にも似た声。それがイリーナの、断末魔だった。
「頭を潰せば、蘇ることも出来ないだろ! このバケモノめッ!」
一人の男が、大きなハンマーを手に持ち、イリーナの頭部へと容赦なく振り下ろす。
暴行によって醜く歪んだ彼女の顔が、嫌な音と共に粉砕された瞬間。
「――――――ハッ!?」
まるで溺れる直前に水面から顔を出したような、そんな呼吸。
それと同時に、上体が勝手に起き上がる。
荒い呼吸を繰り返し、額に浮かぶ脂汗を拭いながら、俺は無意識のうちに呟いた。
「夢、か……」
そう。先ほどの映像は全て、タチの悪い悪夢だったのだ。
その証拠に……
すぐ横を見ると、キングサイズのベッドに横たわる、イリーナの姿があった。
隣で眠るジニー、シルフィーと同様に、彼女もまた安らかな寝顔を晒している。
「う~ん……あたしだって……お料理ぐらい、出来るんだからぁ……」
愛らしい寝言を耳にして、俺は安堵した。
「……まったく、冗談にもほどがある。なにゆえ、あのような悪夢を見たのやら」
こんな最高に可愛らしい少女が、かような目に遭うわけもない。
夢とは往々にして非現実的な内容だが、それにしたって限度というものがあろう。
「ふぅ……二度寝するには朝が近すぎる、か」
窓の外から小鳥のさえずりが聞こえる。
俺はベッドから降りて窓へ近づき、カーテンを開けた。
ちょうど夜明けを迎えたらしい。遙か遠くにある山の向こう側から、太陽が顔を覗かせていた。
「今日こそは、平穏な一日であってほしいものだな」
そう呟く頃には、先ほどの悪夢による気分の悪さも消え失せて。
俺は欠伸を漏らしながら、全身を伸ばすのだった。