最終日 ポジティブ・グッド・ハザード 中編
ヴェーダ主催の発表バトルとやらで悪目立ちした結果、俺はオリヴィアの笑顔という厄介な問題と向き合うハメになった。
それを乗り越えて以降、修学旅行のスケジュールが進行。
本日の巡回地を回り終えてから、最後の自由時間を迎える。
その矢先のことだった。
「やっほ~、皆! 学者神の再登場だよっ!」
我々の前に、再び奴が現れた。
「はぁ。またおかしな催しを開くのですか?」
「いやいや! 最終日だし、せっかくだから穴場な名所とか、色々と案内してあげようかなって!」
親切心一〇〇%といったふうに見えるが、実際はどうだかわからない。
聞くところによれば、初日だけでなく二日目の騒動さえもこいつが原因だという。
三日目こそ何もしてこなかったが……本日のためになんらかの準備をしていたのやもしれぬ。
もうこれ以上の面倒ごとはごめんだ。
イリーナ達も同意見だったらしく、こちらに「上手いこと断って」といった意思を込めた視線を送ってくる。
「……我々ごときにヴェーダ様のご貴重な時間を割いていただくなど、まさに過分な栄誉というもの。ゆえに――」
「遠慮しなくてもいいって! それともアレかな? ワタシをハブにしたいのかな? だったらこっちにも考えがあるんだからっ! ワタシと遊んでくれないなら、皆のヤバい秘密を世界中に暴露してやるっ! 例えばイリーナちゃんが毎日夜中に起きてアード君にしてることとか! ジニーちゃんが授業中にしてることとか! シルフィーちゃんがオリヴィアちゃんのアレを――」
「い、一緒に遊びましょっ! ヴェーダ様っ!」
「あ、あのヴェーダ様とご一緒に歩けるだなんて! これ以上の幸せはありませんわっ!」
「ア、アタシも久しぶりに、ヴェーダと遊びたかったのだわっ!」
三人が真っ青な顔をしながら、奴に詰め寄った。
……いったいどんな秘密だというのだ。
特にイリーナちゃん。毎夜毎夜、俺に何をしているというのか。
「アード君も、ワタシをハブにしたりしないよねぇ?」
「……えぇ、もちろんにございます、ヴェーダ様」
俺とて、知られたくない秘密の一つや二つはある。
そういうわけで。
我々はヴェーダを加えて、最後の自由時間を過ごすハメになった――
◇◆◇
――ヴェーダ直々の穴場的名所案内は、意外にもまともなものだった。
最初に向かったのは飲食店。
「昼前だし、皆お腹空いてるでしょ? 行きつけのお店に案内するよっ!」
本人曰く、トマトパスタが絶品の隠れた名店だという。
実際、彼女の言う通り、その店の料理は極めて美味であった。
「いらっしゃいませ、ヴェーダ様」
「おや、コック長じゃないか! 今日も君のトマトパスタは最高だね! ……ところで君、名前なんだっけ?」
「ウェルブでございます」
「そうそう! ウェルブだ、ウェルブ!」
料理に舌鼓を打ち、空腹を満たした後、ヴェーダは別の場所へと我々を案内した。
小規模な劇場である。どうやらマイナーな劇団が運営しているようで、短時間の喜劇を日に何本も上演しているようだ。
ヴェーダが勧めた通り、いずれの作品も面白く、まさに抱腹絶倒の嵐だった。
「相変わらず面白いなぁ、ここの舞台は。特にあの役者……え~っと…………あ~、ダメだ。やっぱり名前が出てこないや」
そう呟くヴェーダの顔には、喜劇に魅せられたがゆえの笑顔がある。
けれども、気のせいだろうか。
ほんの少しだけ、彼女の幼い美貌に、悲哀が宿っているように思えたのは。
劇場にてさんざん笑った後、ヴェーダはまた、新たな場所へと我々を案内した。
そこはこれまで巡った穴場、ではなく、かなりの有名どころ。
……俺があえて足を運ばぬよう、皆を説得し続けていた場所でもある。
その名はキングスレイヴ国立博物館。
五〇〇年近い歴史を持ち、大陸内でも極めて名の知れた施設……といった内容が、出入り口にある看板に記されていた。
実際のところ、この博物館には古代世界の遺品などが数多く展示されており……
中でもとりわけ、《魔王》ゆかりの品が多いと言う。
……この時代の人間にとっては貴重な歴史資料なのだろうが。
当人からしてみれば、たまったもんじゃなかった。
「こ、これがかの、《魔王》様が使用されたという歯磨き……!」
「《魔王》様が入った後のお風呂の水……!」
「あら、懐かしいのだわ。このスプーン、《魔王》のお気に入りだったわね」
……この博物館を築いた者に、こう言いたい。軽く一〇〇日間は言い続けたい。
貴様はプライベートという言葉を知らんのか、と。
俺のアレやらコレやら、多種多様な使用済み品目の数々が並ぶという、まるで悪夢のような空間。
これが俺一人での観覧であったなら、まだマシだった。
しかし、ここにはイリーナやジニー、そしてシルフィーとヴェーダがいる。
ゆえに。
「ぎゃはははは! ま、《魔王》が所持してたエロ本! あいつ、こんな趣味があったのね~! クッソウケるのだわ~!」
「ま、《魔王》様も、えっちな本、読んでたのね……」
「エロエロサキュバスとの熱い一夜……ふふっ、さすが《魔王》様、素晴らしいご趣味ですわぁ~」
「こりゃまた懐かしいね! ワタシが発見したエロ本じゃないか! 見た瞬間引いちゃったなぁ~。ヴァル君って可愛い顔してるけど、内面は変態なんだなって!」
……こういうことになるから嫌だったんだよ。ここに来るの。
なんかもう、いっそ殺してくれ。さっきから胃が痛くてかなわんわ。
「み、皆さん。《魔王》様の配下、ゆかりの品も見に行きませんか?」
頬をひくつかせながら、強引に皆を引っ張っていく。
忌々しい《魔王》コーナーから離れ、別の場所へ。
そこには我が配下達が遺したとされる品々が展示されていた。
「おやおや! これはまた懐かしい名前だねぇ!」
ガラスケースに入ったそれを見つめながら、ヴェーダが弾んだ声を響かせた。
「知将ロックの遺品……? え~っと、ロックってアンタの弟子だった、アイツ?」
「そうそう! ぶっちゃけ見所ナシの無能だったけど、面白い子だったなぁ~!」
奴のことなら俺も覚えている。
ヴェーダが酷評するように、奴は無能であった。
ただ悪知恵はよく働くし、何より、人を見る目は誰よりも優れていたな。
その審美眼と口八丁手八丁で人を操り、自分は何もせず他人に全てを押し付け、手柄を横取りするような……まぁ、端的に言えば人間のクズである。
「えっ? 無能? ロック様が?」
「ロック様といえば利便性の父と呼ばれた、天才発明家ではありませんか」
誰だ、奴をそんなふうに呼んだのは。
「ほら、ここにもロック様の発明品の数々が展示されていますわ~。特にこの、魔導式コンロなど、民衆の生活を一変させたものとして有名で――」
あれ?
この魔導式コンロもそうだが……
奴が開発したという発明品の数々、どこかで覚えが……
あっ。
そ、そういえば昔、奴が俺を訪ねてきて、こんなことを聞いてきたな。
『ねぇ陛下~。僕ちゃん歴史に名を残したいんスよ~』
『……なんだ藪から棒に』
『ここ最近、マジで思うんスよねぇ~。陛下達スーパーパネェって。僕ちゃんも陛下達みたく歴史に名前残しちゃったりしたいなぁ~、って。つ~ことで陛下、なんか良さげなプランないっスかぁ~? 例えばそう、すっげぇ発明品のアイディア的なアレとかぁ~』
『はぁ。貴様は阿呆か。そんなものはな、自分自身で見出してこそ価値が――』
『あれあれぇ~? もしかして陛下、なんのアイディも持ってないんスかぁ~? たは~! ウチの王様も所詮、戦闘力だけが取り柄の脳筋だったかぁ~! これじゃあリディア様とおんなじだなぁ~!』
『……おい待て貴様。この俺が、あんなクソ馬鹿野郎と同じだと?』
『今んとこ僕ちゃんの中ではそうなっちゃってるっスねぇ~。でもぉ~、陛下が発明品的なやつのアイディアをドバドバ出してくれれば、僕ちゃんも見直しちゃうだろうなぁ~』
『……いいだろう。まずはそうだな。魔導式コンロなどはどうだろうか』
『おぉ、いいっスねぇ! もっとください! もっと!』
『他には、そうだな。魔導式暖炉とか』
『さっすが陛下! いよっ! 世界一の発明家! やっぱリディア様とは格が違うわ!』
『ふふん。そうだろう、そうだろう。他にも魔導式階段や魔導式印刷などもあるぞ』
『おっ、それいただき!』
『……いただき?』
『こっちの話っスよぉ~。さ、続けて続けて!』
……あいつ、俺のアイディアをそっくりそのままパクりやがった。
脳裏に奴の笑い顔が浮かんでくる。……あの野郎、結局最後まで役立たずだったくせに、ちゃっかり歴史に名を残してやがったのか。
「あれ? どうしたの、アード? なんだか悔しそうな顔してるけど」
「……イリーナさん。私はかつて、敗北が知りたいなどと考えておりましたが。どうやら気付かぬうちに敗北を喫していたようです」
なんとも複雑な思いを胸に抱いていると、
「あっ! こりゃまた懐かしいねっ! なくしてたと思ってたけど、こんなとこに展示されてたのかぁ~!」
ヴェーダの嬉しそうな声に、ふと我に返った。
少し離れた場所ではしゃいでいる彼女のもとへ、皆と共に赴く。
ガラスケースの中に収められていたのは、一枚の絵画であった。
古代にてヴェーダが提案し、国内随一の絵師に描かせた……最初で最後の、集合絵。
俺の横にリディアが並び、その周りを当時の主要メンバーが取り囲む。
四天王や七文君。
シルフィーを始めとした、数多くの《勇者》達。
……かつての、かけがえのない仲間達の姿が、そこにはあった。
「な、なな、懐かしいのだばぁ~~~~~~~~!」
久方ぶりに仲間の顔を見たからか、シルフィーが滝のような涙を噴き出した。
俺の胸中にも少なからず、センチメンタルな思いが芽生えている。
……そして意外にも。
あのヴェーダさえもが、遠い目をしながら、集合絵を見つめていた。
「この頃はよかったな。今思えば……この頃が一番楽しかった」
彼女の顔に、普段浮かべている、気味の悪い笑みはない。
幼い美貌に物憂げな表情を宿しながら、ヴェーダはポツポツと語り続けた。
「ワタシがヴァル君の側に付いたのは、思う存分、知的好奇心を満たせるから。それだけだった。当時のワタシはただ、色んな実験が出来ればそれで満足だって。それ以外はどうでもいいことだって。そう思ってた。でも……」
小さくため息を吐いてから、ヴェーダは瞳を細めた。
「ヴァル君がいなくなってから、ようやく気付いたよ。ワタシは知的好奇心を満たしたかっただけじゃない。自分と同じような……世間からは外れ者とみなされてるような、そんな仲間達と、遊んでいたかったんだ」
仲間達。
その言葉が、まさかまさか、ヴェーダの口から発せられるとは。
俺の中でヴェーダという人間はいつだって、マッドサイエンティストのド変態だった。
顔を合わせれば否応なしに腹を切り開こうとしてきたり、厄介な実験に無理やり付き合わせてきたりして……他人を実験の道具程度にしか思ってない。
俺の側に付いているのも、結局は実験のためでしかないと、そう考えていた。
けれども、どうやらそうではなかったらしい。
「ヴァル君や他の皆と出会うまで、ワタシは独りぼっちだった。でも、そんなことを気にしたことはなかったよ。実験を繰り返して、知的好奇心を満たせれば、それだけでよかったんだ。でも……ヴァル君がいなくなった後、ふと思ったんだよね。寂しいな、って」
ヴェーダの独白は、イリーナやジニーにしてみれば、どう反応していいのかわからぬような内容だったのだろう。二人はただ困惑するように顔を見合わせるのみ。
一方で、俺やシルフィーからすれば、奴の言葉はあまりにも意外すぎて……
さっきから、目を丸くしっぱなしだった。
「ヴァル君がいなくなった後、皆、散り散りになった。オリヴィアちゃんは、こうなったのは全部自分のせいだって言って、放浪の旅に出て……ライザー君も、彼には失望したのである、とかなんとか言って、どっか行っちゃったな。アル君なんかはもう、凄かった。存在意義がヴァル君だけって人だったからね。それがなくなったわけだから……まぁ、廃人も同然になっちゃった。他の皆も似たようなもんで……自分でも意外だったけど、ワタシもなんだか、抜け殻みたいになっちゃったよ」
「抜け殻……? 貴女が……?」
自然と、問いを投げていた。
ヴェーダは自嘲するような笑みを浮かべつつ、返事を寄越してくる。
「うん。それでね、ようやく気付いたんだよ。ワタシは心の底から、ヴァル君が好きだったんだなぁって。何せ彼はワタシにとって一番の実験台であり……一番よく遊んでくれた、友達だったんだ」
友達。
そう口にしたヴェーダに、俺はますます瞠目せざるを得なかった。
あのヴェーダがまさか、そんなことを……。
到底信じられぬ話だが、しかし、彼女の顔は真剣そのものだった。
「ヴァル君が居た頃は、本当に楽しかったなぁ。毎日毎日、ワタシの人生は輝いてた。ワタシと同じ、規格から外れたバケモノ(友達)がたくさん居たからね。でも……今は違う。あの頃と違って、他人の名前を覚えるのが難しくなった。誰も彼もが、ワタシにとっては平凡で。だから……ワタシはまた、独りぼっちに戻っちゃったよ」
寂寞とした思いが、ヴェーダの瞳に宿る。
そのさまはまるで……孤独に押し潰された、かつての俺自身のようだった。
彼女は一息吐いてから、こちらを見やり、
「ねぇ、アード君。今の人生は、楽しいかい?」
悲哀を滲ませた笑みを浮かべるヴェーダへ、俺は首肯を返した。
「えぇ。イリーナさんやジニーさん、シルフィーさんにオリヴィア様……皆さんのおかげで、楽しく過ごしています」
「そっか。羨ましいなぁ。ワタシはね、ぜんぜん楽しくないよ。友達がいない人生って、こんなにも楽しくなかったんだね。……それをヴァル君が居た頃に気付けてたら、もう少し、結末は変わってたのかな」
「ヴェーダ様。それならば――」
我ながら、信じがたい選択だ。
きっと過去の自分であれば、決して口にしなかった言葉であろう。
しかし、今のヴェーダには心の底から、こう言ってやりたかった。
自分達と友達にならないか、と。
だが……
その言葉を紡ぐ、直前のことだった。
「まぁ、でも」
ヴェーダの口元に。
あの、不気味な笑みが戻ってくる。
「これからの人生は、きっと楽しくなるだろうねぇ」
歪んだ唇から、含み笑いが漏れ出た瞬間。
唐突に。なんの前触れもなく。
爆発音が、我々の耳朶を叩いた。
「~~~~っ!? な、なに今のっ!?」
「少なくとも、博物館の中で発生したものではなさそうですね」
「外に出るのだわっ!」
一般客が当惑する中、我先にと駆け出したシルフィーを追って、我々も博物館の出入り口へと向かう。
そうして街の大通りへと出たことで……現状を、把握した。
「ひぃいいいいいいいいっ!?」
「ま、《魔族》だぁあああああああああ! 《魔族》が出たぞぉおおおおおおおお!」
逃げ惑う民衆。
彼等の悲鳴に破壊音が混ざる。
建造物や地面に魔法を放ち、破壊の連鎖を繋げて行く者達。
それらは皆、半人半獣といった姿をしており、ずいぶんとまぁおぞましい。
「形態変化した《魔族》の群れ、ですか。なんとも唐突なご登場ですね」
心の中に疑念と怪訝が広がっていく。
まっこと、不可解な状況であった。
修学旅行の初日から今に至るまで、俺は常に探知魔法で街全域をサーチし続けていたのだが……《魔族》と思しき魔力反応は、これまで一度も感知していない。
というかそもそも、《魔族》が暴れているという状況そのものがおかしい。
聞くところによれば現在、奴等の総数は極めて少なくなっており、無差別な大規模暴動など出来ない状態にあるという。
そのため奴等が暴れるときは、常になんらかの謀が動いているとのことだが……
断言してもいい。怪しい動向など一切なかった、と。
「ふむ。色々と匂いますが……とりあえず、騒動を終息させることが最優先ですね」
呟きつつ、魔法を発動する。
五大属性の中級攻撃魔法を、敵方の人数分に合わせて同時発動。
都合、六八の陣が虚空、あるいは相手の足下に顕現し……
刹那。
雷撃が。灼熱が。氷柱が。風刃が。岩塊が。
《魔族》達の総身に、殺到する。
いずれも死なぬよう威力を抑えていた。
取るに足らぬ命は刈らない。そうした美学ゆえの手加減、だったのだが。
攻撃魔法が全ての対象に直撃した、その瞬間。
奴等の全身が総じて、無数の輝く粒子となって飛散する。
「……おや?」
「えっ。ど、どういうこと?」
「ま、《魔族》がいなくなったのは、間違いありませんけど」
「ピカーってなってから、シュバンッて消えちゃったのだわ!?」
未知の現象に、顎に手を当て、考え込む。
当然ながら、《魔族》とて死した際には遺骸を残す。先刻のように粒子状となって消えることはない。
これはよもや……
「《人造生命》! 間違いなく、《人造生命》だよ! さっきの《魔族》達は!」
俺が辿り着いた答えと同じ内容を、ヴェーダがピョンピョンと跳ねながら口にした。
「ホ、《人造生命》……?」
「そうなりますと、さっきの騒動は……」
「あのハゲ! ノーマンの仕業ってこと!?」
修学旅行の初日、彼が我々に《人造生命》の研究過程を見せつけてきたことは、まだ記憶に新しい。
けれどもおそらく、下手人はノーマンではなかろう。
「彼はケイオス理論を基に《人造生命》の研究を行っていました。しかし先刻のそれは別の理論がベースとなっているものと思われます。こう言ってはなんですが……先刻の《人造生命》は、ノーマン氏よりも遙か上の領域に居る者にしか製造出来ないかと。ゆえに彼が犯人という線は薄いと思います」
ならば誰が下手人か。
それは――
と、ある人物に目をやった、次の瞬間。
再び、破壊音と悲鳴が耳に入る。
……どうやら街全域に《魔族》達が現れ、騒乱を起こしているようだ。
「致し方ありません。今は犯人捜しよりも、街の救済に注力いたしましょう」
皆、同意見だったらしい。反論を口にする者は誰もいなかった。
「では早速――」
近場にて暴動を起こしている《魔族》達を、鎮圧せんと駆け出す、その直前。
オォォォォォォン……
何か、恐ろしい怪物の唸り声のような異音が、周囲一帯に響き渡った。
それを耳にしてからすぐ、我が全身に冷や汗が浮かぶ。
「この音は、まさか」
聞き間違いか何かであってくれ。
そう思いつつ、俺は南方へと目を向けた。
そして――
我が双眸に、最悪の光景が飛び込んできた。
「んなぁっ!?」
「ど、どういうこと、ですか……?」
「……ちょっと、マジでヤバすぎるのだわ、これは」
驚愕で目を丸くするイリーナとジニー。
現状を理解出来るがゆえに、大量の脂汗を浮かべるシルフィー。
我々の瞳に映っているモノ、それは。
遙か遠方にて、地盤ごと天空へ浮かびつつある……
我が愛城、キャッスル・ミレニオンの姿であった。
「ゲヒャヒャヒャヒャ! ヤッバい! こりゃマジでヤッバいわ! キャッスル・ミレニオンが戦闘形態になっちゃったよ!」
「せ、戦闘形態?」
「ど、どういうことですか、ヴェーダ様」
「うん! キャッスル・ミレニオンはヴァル君が造った最高の芸術品であると同時に! 最強の魔導兵器でもあるのさ! いつもは普通のお城として機能してるんだけど、街の近くや内部で争いが勃発した場合、戦闘形態へと変形っ! 《邪神》さえも滅ぼすトンデモパワーを発揮するんだ!」
「じゃ、《邪神》さえも滅ぼす、って……!」
「そ、そんなものが《魔族》の手に渡ったら……!」
「人類社会は瞬く間に滅亡しちゃうだろうねぇ! ゲヒャヒャヒャヒャ!」
「笑い事じゃないのだわっ!」
シルフィーの言う通り、全く以て笑えぬ状況ではあるが……
しかし、決して絶望的というわけでもない。
「以前に読んだ文献が正しければ、キャッスル・ミレニオンは戦闘形態へと移行する際、二つの段階を踏むとか」
「そうそう! 敵に乗っ取られた場合を見越してのセーフティーだろうね! まず第一段階! 今みたく上空へ昇って形態変化をアピール! そっから一定時間が経過して、ようやく変形を開始! それが第二段階!」
「つ、つまり、戦闘形態に変形するまで、まだ時間があるってことね」
「その間に城へ潜入して、変形を止めればいい、と」
「だったら早く行かないとっ! このままじゃ街どころか世界がヤバいのだわっ!」
「えぇ。民間人に関しましては……オリヴィア様や騎士隊などにお任せしましょう。我々は急ぎ、城へ向かわせていただく」
全員、顔を見合わせて一斉に頷くと、早速行動を開始した。
全力で疾走し、魔王城へと向かう。
本当なら転移魔法を用いて、一瞬で城内へと移動したいのだが……
当然、敵方は手を打っている。
転移魔法を始めとした、移動系統の魔法を封じる反術式が街全域に展開されているようだ。この状況では転移魔法は使えない。
一応、反術式を解析すれば使用可能となるのだが……そうする間にタイムオーバーとなろう。
よって我々は、自らの足で以て目的地へと向かう。
その道すがら、ついでに《魔族》達を掃討し、民間人の安全を確保していく。
が……救った感じがしない。
なぜならば、敵方が民間人を誰も傷付けていないからである。
実に奇妙な状況だった。
《人造生命》達は建造物を破壊するばかりで、人に対しては積極性をみせない。
時たま逃げ惑う民衆に向けて魔法を放つのだが……そのことごとくが地面を抉るのみ。
これではまるで、手を抜いた遊びである。
……やはりこの一件、俺が睨んだ通りか。
胸中にてある確信を深めつつ、俺は皆と共に走り続けた。
その最中。
我々の目前に、多くの人影が飛来する。
その姿を見て取ったと同時に、俺は連中が《人造生命》の一群であると理解した。
なぜならば。
「おやおや、懐かしい顔ぶれだねぇ」
今は亡き我が配下達。そして、俺が手ずから葬った強敵の数々。
見紛うはずもない。
我々の眼前にて佇立する彼等は、古代の英雄達であった。
「ちょ、ちょっと前に古代世界で見かけた顔が、チラホラ居るわね」
「あの方は、リディア様にお仕えしていた元・奴隷の……!」
脂汗を流すイリーナとジニー。
だが、シルフィーはというと、
「はんっ! 所詮、偽物は偽物ねっ! 本物に比べたら雑魚も同然なのだわっ!」
胸を張って断言する。
そう、彼女の言葉通り、姿形こそ同一だが、力量までは再現できなかったらしい。
とはいえ……これほどの数になると、足止めは必至か。
ともすれば、時間切れになってしまうかもしれない。
ならば、ここは一つ。
「アードっ! ついでにヴェーダっ! アンタ達は先に行くのだわっ! こいつらはアタシ達が片付けるからっ!」
……これしか、ないだろうな。
「イリーナさん。ジニーさん。……大丈夫ですか?」
問いかけに対し、二人は大きな胸を張って、背筋を伸ばしながら応えた。
「と~ぜんよっ! こんな連中、あたし達だけで十分っ!」
「ミス・シルフィーがおっしゃった通り、お二人は先へ。もし第二波が来たなら、そのときはヴェーダ様。アード君をお願いいたしますね?」
……どうやら古代での出来事は、二人を大きく成長させたらしいな。
本当に、心の底から、頼もしいと思う。
「わかりました。行きますよ、ヴェーダ様」
「りょ~かい、りょ~かいっ!」
俺とヴェーダは同時に跳躍し、集団の頭上を跳び越えんとする。
それを撃墜せんと身構える敵集団。
しかし。
「そうはさせないのだわッ! デミス=アルギスッ!」
聖剣を召喚し、ギュッと握りしめると、途端、激烈な踏み込みを見せるシルフィー。
「あんただけに良い格好はさせないわよっ!」
「援護しますわっ! ミス・シルフィーっ!」
集団へと火属性の攻撃魔法、《メガ・フレア》を放つイリーナとジニー。
彼女等の行動により、俺とヴェーダは無事、集団の向こう側へと着地した。
「皆さん、ご武運を……!」
彼女等の身を案じつつも、俺は皆の力量を信じ、振り返ることなく疾走する。
それからの道中は、比較的穏やかなものだった。
今し方のように手強い連中がやってくることもなく……
「跳びますよ、ヴェーダ様」
「いえ~い! れっつ侵入た~いむっ!」
飛行魔法もまた、反術式によって使用不可となっている。
ゆえに我々は身体機能強化の魔法で以て膂力を底上げし、全力で跳躍。
蒼穹の只中にて浮かぶ我が城へと、急接近する。
「ご無礼」
言うや否や、門に向けて雷撃を放ち、木っ端微塵に破壊する。
そして我々は、キャッスル・ミレニオンの内部へと侵入した。