第三日目 コミカル・シルフィー・マーチ 前編
ドガァアアアアアアアアアアンッ!
……我々の修学旅行に、平穏の二文字はない。
半分はヴェーダのせいだが、もう半分は紛れもなく。
「シルフィーの馬鹿はどこだぁあああああああああああッッ!」
そう、奴である。
三日目の朝。
皆が賑やかに朝餉を摂っている最中、食堂内にある厨房が爆発した。
被害は極めて広範囲……というか、もう宿全体がメチャクチャである。
ボロボロになった食堂のド真ん中で、オリヴィアがシルフィーの頭頂部にゲンコツを食らわせ、そして。
「貴様、いったい何を考えている? 何をどうすれば、厨房なんぞにトラップ魔法を仕掛ける気になるんだ」
「いや、だって。包丁を置く場所に取り扱い注意って書かれてあったから」
「だからどうした?」
「……包丁に見せかけた強力な魔導兵器かと思って。そんなの《魔族》に見つかって悪用なんかされたら一大事じゃないの」
「もう一大事なら起きてるんだよ、貴様のせいで! そもそも包丁に見せかけた魔導兵器ってなんだ!? そんなもの古代にだってなかっただろうが! よしんば魔導兵器だったとしても、その近くに爆発型のトラップ魔法を仕掛けるな! 熱と衝撃で兵器が暴走などしたらどうする!」
「……ツッコミが長いのだわ。しかもノーセンス」
「あぁんッ!?」
「ひぃっ! ご、ごめんなさいっ!」
額に青筋を立てるオリヴィアに、土下座するシルフィー。
彼女を見下ろしながら、オリヴィアは苛立ったように獣耳を揺らし、
「まったく! 貴様のせいで宿がメチャクチャだ! 厨房にトラップなんぞ仕掛けて! そのせいでなぁ! せっかくの芋料理も黒焦げだ! どうしてくれる!? この宿で提供している芋料理は全て、わたしが作った芋を使用しているのだ! それを貴様――」
「あぁ、どうりで」
「……おい貴様、どうりでってなんだ?」
「……ごめん、ちょっと口が滑ったのだわ。忘れてちょうだい」
「なぜ目を逸らす? おい。どうりでってなんだ? 怒らないから言ってみろ」
「ホントに怒らない?」
「うん」
「じゃあ言うわね。ふぅ~…………どうりでここの芋料理がメチャ不味なわけだわっ! あんたの芋を使ってたんじゃあ、この低レベルぶりも仕方ないわねっ! ……と、そういう意味だったのだわ」
「ははははは。そうかそうか。ははははは。はははははははは――――ブッ殺してやるぅううううううううううううううううううううううううッッッ!」
「怒らないって言ったじゃないのぉおおおおおおおおおおおお!?」
剣を振り回すオリヴィアから、必死こいて逃げ回るシルフィー。
奴等は本日も平常運転であった。
◇◆◇
魔法で宿を修理してすぐ、我々の修学旅行第三日目が本格的なスタートを迎えた。
本日もまた、全体的なスケジュールに変わりはない。
いくつかの名所などを巡り、体験学習などを行った後、班行動である。
そうした日程の中、我々が最初に向かったのは、古都キングスグレイヴにある大聖堂であった。
数千年前に俺が転生して以降、後世の為政者達にとって、《魔王》というのは利用しやすいシンボルだったのだろう。おそらくは民衆の扇動などを目的として、彼等は《魔王》を主神とした宗教を創り上げた。
その名も、統一教。
俺が過去に行った実績……全世界の統一をもとに名付けられたらしい。
この統一教は世界最大の規模を誇っている、とのことだが、主神扱いを受けている当人からしてみれば、複雑な気持ちだった。
何せ――
「そこで《魔王》様は配下達にこう述べられた。奴等の動向など、夜闇の中に影を探すようなものだ、と」
俺が過去に発した恥ずかしい台詞の数々が、なぜだか正確に残っていて、まるで格言のように扱われている……!
さっきから神父が「《魔王》様マジ格好いいでしょ?」みたいな顔して、堂々と恥ずかしい台詞を暴露しまくっているのだが……
もういっそ、殺してほしかった。
「また、《魔王》様は丘の上に立って、難民にこう叫ばれた。無辜の民よ、恐れることはなにもない。なぜか? このヴァルヴァトスが居るからだ。この俺を超える恐怖など、この世には存在せぬ――と」
あぁもう、やめてくれ。
確かにな、その当時はアレだよ。そういうこと言わなきゃいけない空気だったし、だから俺も得意満面な感じでこんなこと言ったけれども。
冷静な状態じゃ、絶対こんなこと言わんし。
「あ~、昔を思い出すのだわ~。アイツ、頻繁にこんな恥ずかしいこと言ってたわね。後ろで聞いてて、よくリディー姐さんと一緒に笑ってたのだわ。アイツなに真顔で言ってんの、って。思い出しただけで……ぷぷっ、マジウケるのだわ~」
「……そう言ってやるな。奴もあの当時は大変だったのだ」
「大変って何が? 恥ずかしい台詞を考えるのに必死だったってこと?」
「いや、そうではない。思春期特有の病にかかって大変だったという意味だ」
「あぁ、そういうこと。確かにヤバかったのだわ、あのこじらせようは」
……当時を知る者が二人も居るため、ことさら恥ずかしい。
だってしょうがないじゃないか。誰だって思春期はあぁなるだろうよ。俺だけがあんなんじゃなかったはずだ。
思春期の男子なら誰だって斜に構えるし、自分の目のことを魔眼とか呼んだり、大したことのない魔法に「アルティメット・サンダー」とか名付けたり、「今日から俺の異名はデストロイヤーだ」とか言ったりするものだろ。
やれアイツはキレたらやばいとか、俺ってキレたら逆に冷静になるんだよね~とか、そういうことを臆面もなく言うものだろ。
なのになぜ、俺ばっかりこんな恥ずかしい思いをしなければならんのだ。
もう、アレだ。過去の配下の恥ずかしい秘密とか暴露してやろうかな。そうすれば神父の話も中断するだろ。……いや、そうしたらオリヴィアに俺=《魔王》だとバレるか。
しかし。
「そこで《魔王》様はこう述べられた。ふっ! また一つ、世界に俺を刻んでしまったか」
「ぶはははははは! 言ってた言ってた! アレはマジでヤバかったのだわ!」
「また、《魔王》様はこうも述べられている。この眼帯は俺の戒めだ。片目を見えなくすることで、見えてくるものがある」
「ぶふぅっ! い、戒め! 戒めって! 単にカッコいいから付けてただけなのだわ! アイツ、独眼竜とか呼ばれてる配下のこと見て、“アレいいな……! 明日から俺もやろう……!”とか言ってたしっ!」
「そして《魔王》様はこんなことを述べられた。この紅き瞳は、俺の罪の色。紅みが増すたび、俺の罪と……武勇が積み重なる」
「いや、魔法で光らせてただけだし! リディー姐さんもよく言ってたのだわ! アレ、格好いいとか思っててやってんのかな? 恥ずかしいだけだからやめときゃいいのに、って!」
なんかもう、バレてもいいかな。
神父と馬鹿の口を塞げればもう、なんだっていいかな。
ていうかそもそも、なんなのだ、この時間は?
《魔王》様のお言葉に触れて、自分を見つめ直すための体験学習?
過去の俺が発したクッソ恥ずかしい台詞に触れて、いったい何が見直せると言うんだ?
いや、俺自身は見直せたけれども。
過去の自分がいかに痛々しい奴だったか、十分に見直せたけれども。
「そこで《魔王》様は――」
「ぶははははははははは! そうそう、あったあった! そんなこと!」
「いや、まだ何も言ってないんだけど」
腹を抱えて笑いまくるシルフィーに、神父はどこか不快げな顔をしながら、
「というか、さっきから君。いったいなんなのだね? 《魔王》様のありがたいお言葉を述べる最中、ゲラゲラゲラゲラと笑って。我等が神祖たる《魔王》様をなんだと思ってるんだ。そんなことでは地獄に落とされてしまうぞ」
宗教家にはありがちな言い草である。
たかだか過去の発言をゲラゲラ笑われただけのことで、この俺が地獄へ落とすなど――
まぁ、ちょっとは悩むが。しかし最終的には思い止まる。地獄へ落としたくなっても、ちゃんと思い止まるのだ、この俺は。
……いや、もうそんなことはどうだっていい。
問題はシルフィーだ。
どうせ奴のこと、「はぁ? あんな奴の発言にありがたみなんかないのだわ!」とかなんとかいって、無用なトラブルを生むに違いない。
そしてなんやかんやの果てに、大聖堂が爆発するに違いない。
そうした展開にならぬよう、彼女を諫めるべく、俺は口を開く……のだが。
「ふん。《魔王》のどこがそんなにいいのか、アタシにはわからないけれど。でも……まぁ、悪かったのだわ! 謝ってあげるから許してちょうだい!」
ふてぶてしい態度、であるが。
あのシルフィーが、俺絡みの件で謝罪した。
……いや、予想外もいいところだ。よく見れば、オリヴィアさえも目を丸くしている。
「お、おいシルフィー。貴様、熱でもあるのか?」
「なによ、その目。あたしだってね、自分の非を認めて謝ることだってあるのだわ」
「それはそうだが」
どこか釈然としない様子のオリヴィア。俺とて同様である。
胸の内に生じた違和感にモヤつきながら、俺は顔を顰めるのだった。
◇◆◇
大聖堂での体験学習を終えた後、我々は次なる名所へと移動した。
コロッセオである。
円形に作られた巨大な会場では、今まさに闘士達による熱戦が繰り広げられていた。
満員となった客席から迸る熱と歓声。
その中に、我々生徒一同の声も混ざり合っていた。
「す、すごいわね、この盛り上がりよう」
「古代世界からずっとこんな調子だそうですよ」
「へぇ~。このコロッセオ、《魔王》様が造ったんだっけ?」
隣席に座るイリーナとジニーの会話に、俺は自然と頷いていた。
彼女等の言う通り、コロッセオは俺が設計・建築を行ったものであり、今なお民衆を熱狂させる、一大エンターテイメントである。
当時、俺は民衆からの徴税や戦争用のプロパガンダ、優秀な戦士の発掘などを兼ねた計画を練っていた。その最たるものが、コロッセオである。
闘士達による過激な戦いは民衆の闘争心を掻き立て、熱狂させるに十分なものだった。
それは今も変わりがない。
大勢の観客が闘士達に声援を送る。イリーナやジニーもまたヒートアップしている。
……その一方で、俺はどうにもノリ切れなかった。
古代世界のそれであれば、俺も闘士達の戦いに興奮したものだが……現代生まれの彼等が織り成す戦いは、少々ダイナミズムに欠けている。
ゆえにどうしても、熱が湧き上がってこない。
……そんな俺を尻目に。
「もぉおおおおおおおおお! なぁああああにグズグズやってるのだわ! そんな奴、たいしたことないでしょっ! ほらそこっ! 目を狙うのだわ、目をっ! ……あぁああああああああああああああ! そうじゃなくて! 今のはケツにフルスイングのタイミングでしょうがっ!」
怒号を吐き散らすシルフィー。
特定の闘士にかなり入れ込んでいるようだが……なんとも意外だな。
こいつも俺と同様、ノリ切れないものと思っていたのだが。
古代での興業はシルフィーも好んで見てはいた。しかし、現代のそれは古代に比べて驚くほど低レベルだ。少なくとも、こいつが好むようなものではない。
なのになぜ、こうも熱意を抱いているのだろう?
先の大聖堂の一件も相まって、どうにも不可思議である。
「もっとアグレッシブに行くのだわっ! そんな奴、アンタの相手じゃ――あぁっ! 立つのだわ! 立って戦うのだわ!」
悲鳴のような歓声を送るシルフィーだが……
その声も虚しく、彼女が入れ込んでいた闘士は立ち上がることが出来なかった。
試合終了後、シルフィーはどこかふて腐れた顔で席に座る。
視線の先、中央にある闘技場では今、魔導式拡声器を持った男が勝者へと駆け寄っていた。この試合は午前の部におけるメインイベントである。それを終えた今、勝利者はインタビューに応じ、欠けた歯を覗かせながら笑った。
「あぁ! 今回の相手も、実にたいしたことのねぇ野郎だったぜ!」
ヒール・キャラとして売り出しているのか、あるいは本性か。
彼は相手へのリスペクトなど微塵も出さず、それどころか罵倒に罵倒を重ね続けた。
そのため場内はブーイングの嵐である。
けれども、彼は客の声を笑い飛ばして、
「そんなに気に食わねぇなら、相手になってやるよ! 誰でもいいぜ! ここに降りてこい! 俺様に勝てば、今回のファイトマネーを全額くれてやらぁ!」
得意満面といった表情で客席を見回す。
彼は確信しているのだろう。誰も降りてこない、と。
実際、降りていくような人間は――
「あったま来たのだわ! アイツの鼻っ柱、叩き折ってやるっ!」
顔を真っ赤にしたシルフィーが、客席から跳んだ。
「な、なにしてんのよあいつ!」
「ミ、ミス・シルフィーが参加したら……!」
二人の心配は、現実のものとなった。
「だわっしゃあああああああああああああああああッッッ!」
「ひぃいいいいいいいい!? お、お助けぇえええええええええ!」
怒りで我を失った馬鹿が聖剣を取り出して暴走。
すったもんだの末に、コロッセオが崩壊したのだった――
◇◆◇