第二日目 ザ・ウーマン・ラッシュアワー! 前編
なんやかんやあったが、修学旅行第一日目も無事に終了。
生徒達は皆宿へと入り、三人一組にあてがわれた部屋へ入室。
それから夕餉と入浴を済ませると、すぐに就寝時間となった。
「ではおやすみなさい、ミス・イリーナ、ミス・シルフィー」
「えぇ、おやすみ」
「今日はなんだか疲れたのだわ~」
ランプの灯りを消すと、室内には瞬く間に闇が広がった。
イリーナ、シルフィーがベッドへと入る。
ジニーもまた、毛布を被り……
数秒後。
「ぐご~~~! ぐご~~~! あぁっ! リディー姐さん、それは《魔王》の頭じゃなくてパイナップルだわ!」
とんでもない速さで眠りに就いたシルフィーによる、いびき&寝言のせいでまったく眠れそうになかった。
「……ミス・イリーナ、起きてます?」
「……この状況で寝られる方がおかしいわよ」
「はぁ。騒音対策でもしましょうか」
およそ一五分後。
「ぐげががごごごごごごご! おぼ! おぼべばばばばばば!」
「「ダメだこりゃ……」」
騒音対策はなんの効果もなかった。猿ぐつわを噛ませたり、鼻の穴を布で塞いだり、顔に落書きしたりなど色々やったが、むしろ騒音は悪化するのみ。
「はぁ。もう、しょうがないわね」
「……眠くなるまで、お話でもしましょうか」
互いに頷いて、雑談を始める。
喧嘩ばかりしている印象の二人だが、実のところ、アードが絡んでいなければ衝突するようなことはない。
……そう、アードさえ絡まなければ。
一時間、二時間と談笑が続くと、必然、話題も尽きてくる。
そしてとうとう、例の話がジニーの口から放たれた。
「ねぇミス・イリーナ、貴女、好きな人はいらっしゃるの?」
「修学旅行の定番って感じね」
苦笑してから、イリーナは黙り込んだ。
言うまでもない、ということだろう。
ジニーもあえて追及はしない。
それから二人は、例の彼以外に対する恋愛経験などを語り合う。初恋は誰だったか、とか、理想的な恋愛の形は何か、とか。
けれども結局は、例の彼へと話が戻っていく。
「あたしやっぱり、どうしてもあんたの考えには賛同できないわ。ハーレムだなんて気持ちが悪いもの」
「それに関しては、もはや平行線ですわねぇ」
「……これだけはホンットに理解できない。好きな人の周りに自分以外の女の子が居るのに平気だなんて」
「私にとって彼は、独占すべき存在ではありませんので」
この考えに迷いはない。そう、思っているのだが。
なぜだか妙に胸がモヤつく。
「はぁ。ま、あんたがそれでいいなら、別に何も言わないけど……でも、断言しとくわ。こればっかりは、あんたの好きにはさせないんだから」
「そっくりそのままお返しいたしますわ~」
最後の話題が終わると共に、強烈な睡魔がやってきた。
これならシルフィーの騒音があろうとも、眠ることが出来るだろう。
「では、今度こそ」
「えぇ、おやすみなさい」
瞼を閉じる。依然として騒音は鳴り響いていたが、次第にそれも聞こえなくなり……
ジニーの意識は、ゆっくりと沈んでいった。
◇◆◇
気付けば、ジニーは森の中に立っていた。
まるで御伽噺に出てくるような雰囲気の、なんだか温かみのある森林だった。
しかし……
どうにも、まともとは言い難い。
まず、空に浮かぶ太陽。
燦々と煌めくそれには無駄に濃ゆい顔が描かれており、眩しすぎる笑顔を見せている。
また、森の中では虫達による、
デンデデデンデン♪ デンデデデデデデ♪
デンデデデンデン♪ デデデデデン♪
と、無駄に軽妙な大合唱が常に鳴り響いており、それに合わせて小動物が二足歩行で踊り狂っていた。
「……新手の悪夢ですわね、これ」
顔を顰めるジニー。一旦意識を覚醒させて、この夢を終わらせたい。そう願うのだが、どうやっても起床することができなかった。
「あぁもう、どうしたものかしら」
虫達の大合唱、踊り狂う小動物達をバックに、ジニーは腕を組んで悩む。
そうしていると。
「ふぇっ、ふぇっ、ふぇっ。お嬢さん、この林檎――」
「あ、結構です」
「最後まで言わせてよ! ノリが悪いなぁ、もうっ!」
ぷんすかと怒りながら地面を蹴ったのは、黒いローブを羽織った老婆……ではなく。
「なんでヴェーダ様が夢に出てくるのかしら」
そう、元・四天王の一人にして、伝説のトラブルメーカーであった。
「ふふん。これは夢であって夢じゃないんだよ、ジニーちゃん。ワタシはある目的のために君の意識だけをこの固有空間へ――って、ちょいちょいちょい! 話聞こうぜ!? なんで木登りなんかしてんのさ!?」
「いや、この大木のてっぺんから飛び降りたら、意識が戻るかなぁって」
「よく試そうと思ったね!? 普通やらないよ!? こんな得体の知れない空間でさ! リスクを恐れるもんでしょ、普通は! まったく、さすがのワタシもビックリだよ! マジで引くわ! 現代人マジで怖いわ!」
「貴女の方がよっぽど怖いんですけど。……で、いったいなんの御用ですか?」
「あぁ、うん。そうそう。なんかペース狂っちゃったけど、気を取り直して……本題へ入ろうか」
普段浮かべている気味の悪い笑みが、ヴェーダの幼い美貌に宿る。
そして彼女は右手を差し出し、その掌を天へ向けた。
すると、前触れなく手中が煌めき……
「あ、間違えた。これじゃねぇわ」
なんか聖剣的な雰囲気の武器が出てきたが、ヴェーダはそれをどこかに放り捨てた。
それから再び、彼女の掌が煌めいて……
数瞬後、ヴェーダの手元に小さな小さな瓶が現れた。
その中には無色透明な液体が充満している。
「なんですか、それは?」
「君が今もっとも欲しいもの。そう――――惚れ薬さ」
ピクリと、勝手に眉が動いた。
「惚れ薬? ……私は別に、そんなもの必要とはしておりませんわ」
「そうかな? ワタシは君の本心を見抜いてるつもりだけど」
「……どういう意味ですか?」
「君はさぁ~、アード君の一番になりたいんだろ?」
沈黙を返すジニー。
少し前の彼女であれば、ありえないと即答していただろう。
だが、今の彼女には、それが出来なかった。
なぜか?
そう自問したことを見抜いたのか、ヴェーダは笑みを深くして、答えを代弁する。
「自信が付いたからさ。ジニーちゃん。彼に出会う前の君は、実にネガティブな女の子だった。彼と出会ってからも、すぐにはそれは変わらず……だからこそ、歪んだ考えが生まれたんだよ。ハーレム容認という歪んだ考えがね」
言い返そうと思ったが、しかし、言葉が出てこない。
ヴェーダの発言は、否定出来ないもの、だったから。
「全ては君のネガティブさゆえの歪みだ。自分なんかが彼を独占していいわけがない。自分なんかが、彼の一番になれるわけがない。自分なんか、自分なんか、自分なんか。そういう後ろ向きな気持ちばかりが、君の中にはあった。けれど……今は違う」
ジニーを指差しながら、ヴェーダは言う。
「君は成長し続けた。心身共に、ね。その成長率はきっと誰よりも高いだろう。ライバル視してるイリーナちゃんよりもよほどね。そうだからこそ、君の心からネガティブな思考が薄れていき……歪みもまた、解消されつつある」
ゆっくりと近寄りながら、ヴェーダは囁くように言葉を紡いだ。
「君はもう昔の君じゃあない。だから……彼を独占し、一番になる権利がある」
なんて甘美な言葉だろう。
少なくとも、悪い感じはしなかった。
けれども……まだ、それを認めるには至らない。
「私は、別に、彼のことを独占しようとは……思ってません。彼は、その……皆の恋人で……多くの女性に囲まれている姿が、私には……そう、一番魅力的に……感じます、から」
ヴェーダの発言が、自身の中にあったモヤを増幅させたからか、口にする言葉はまるでつぎはぎのようで、その中心に芯が通っていなかった。
そんな心理を見抜いたか、ヴェーダは唇を吊り上げながら、右手に持つ小瓶を差し出してくる。
「まぁ、なんにしてもだよ。これは持っておいて損はない。そうだろう?」
受け取るべきか否か。
頭はそう悩んでいる。
しかし、体は正直な反応を示した。
気付けばジニーの左手は、吸い寄せられるように小瓶へと向かい……
惚れ薬を、手中に収めていた。
「そう。それでいいんだ」
ニッコリと、まるで御伽噺に登場する魔女のような笑みを浮かべると――
「いよぉおおおおおしっ! 前置き終了っ! こっからはルール説明の時間だっ!」
「は? ルール説明?」
「そのと~り! 君に渡した惚れ薬は、ただ飲ませるだけで効果を発揮するような、つまんないもんじゃあないのさ! 相手を惚れさせるためにはルールがある! 一回しか言わないからよ~く聞くんだよっ!」
「えっ、あ、はい」
ヴェーダが語った、惚れ薬のルールは次の通りである。
『前提項目』
一つ!
まず自分が半分の量を飲まなければならない!
二つ!
飲んでから一二時間以内に、対象となる人間へ、三種存在する“基本アクション”のうちいずれかを実行しなければならない!
三つ!
基本アクションを一度クリアする毎に一ポイント贈呈!
三ポイントを取得した時点で惚れ薬の効果が発動する!
ただし基本アクションNo.3のみ例外となる! 詳細は次の項目で!
『基本アクション』
No.1
対象に「すき」あるいは「すき」が入った単語を言わせる!
これは「好き」というニュアンスでなくても可!
No.2
対象に「キス」をする!
No.3
相手に直接惚れ薬を飲ませる!
この基本アクションを満たした場合、一発で三ポイント贈呈!
「以上を踏まえて、正々堂々、スポーツマンシップに則り、悔いのない恋愛バトルを楽しもう! それじゃ、ワタシはこのへんで失礼するよっ!」
彼女が右手を挙げた瞬間、急速に意識が遠のいていく。
おそらく、もう三秒と経たぬうちに目が覚めるだろう。
そんなことを考えた矢先。
「あっ! しまった! 言い忘れてた! 三種の基本アクションには隠しルールが――」
言葉の途中で。
ジニーの意識は、完全に断たれたのだった。
◇◆◇
「う、うぅ……」
眉間に皺を寄せ、唸り声をあげるジニー。
ゆっくり瞼を開けると、そこは珍妙な森の中ではなく、あてがわれた三人部屋であった。
「悪い夢、だったのかしら……? きっとそう、よね……さもなきゃ、この世界のヴェーダ様が、私の気持ちなんてわかるわけ……」
と、呟く最中のことだった。
手元に何か、異物の気配。
おそるおそる、毛布の中から手を出してみると……
「これ、って」
ジニーの手には、夢の中でヴェーダが渡してきた小瓶が握られていた。
闇の中、瓶に入った無色透明な液体がタプンと揺れる。
「……私は」
か細い声が、室内の暗闇に溶けて消える。
気付けば、彼女はヴェーダに言われた言葉を反芻していた。
君の歪みは解消されつつある。
アード君の一番になりたいんだろう?
……図星だった。
彼に出会ってからというもの、信じられない出来事をいくつも経験して、ジニーは心身共に変わっていったのだ。
弱気で、後ろ向きな自分はもういない。
そうだからこそ、今、ジニーは心のどこかで、こう思っている。
彼に、振り向いてほしい。
自分だけを見てほしい。
周りに有象無象が居ても構わない。ただ、自分が一番であったなら。
「……この薬さえあれば、思いが叶う」
小さな瓶を見つめながら、ジニーは生唾を飲み込んだ。
そして。
「……けれど、私はこれを絶対に使わない」
その言葉には、固い決意が込められていた。
惚れ薬を用いれば、至極簡単に彼の心を奪えるのだろう。だが、そんな惰弱過ぎる考えに囚われるほどジニーは弱くない。
そもそも、プライドが許さないのだ。
意中の相手は己の魅力で以て仕留める。
これはサキュバスという種族全体に伝わる、一種のアイデンティティーであった。
「ヴェーダ様には悪いけれど、これは放棄させていただきましょう」
惚れ薬を捨て去るべく、ジニーは身を起こした。
その、次の瞬間。
「う、うぅん……」
隣のベッドで眠っていたイリーナが唸り声をあげ、ゆっくりと瞼を開ける。
しばしもぞもぞとしていたが、やがて彼女もまた上体を起こした。
きっと用でも足しに行くのだろう。
そう思い、ジニーはイリーナに対し、さしたる興味を抱かなかったのだが……
「あれ? あんた、その小瓶」
「あぁ、これはただの――」
適当な言い分を口にしようとした、その直前のことだった。
ジニーの瞳が、それを捉えたのは。
薄倉闇の中。
イリーナの手元で、キラリと何かが光る。
それは間違いなく――
惚れ薬が入った、小瓶そのものであった。