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第一日目 スプリット・オブ・イリーナ 前編


「あたし、ママになりたいっ!」


 白昼堂々。

 燦々と輝く太陽に照らされた大通りにて。

 我等がイリーナちゃんが、胸を張りながら叫んだ。


「……えっと、ミス・イリーナ? 唐突に何をおっしゃるのかしら?」

「あによ、その顔! 引いてんじゃないわよ!」

「いやだって。いきなりママになりたいとか……ねぇ?」


 同意を求めるようにこちらを見るジニー。

 俺は一つ頷いてから、口を開く。


「いったい、どうされたと言うのです? 突然身ごもりたいだなんて…………いや、まさかとは思いますが、既に身ごもっているとか? もしそうでしたら、お相手の名前と居所をお教え願いたい。ちょっと挨拶に行きますので」


 挨拶ついでに八つ裂いてくれる。

 ウチのイリーナちゃんを傷物にするなど万死に値するわ。

 心中にて暗黒色の感情を渦巻かせていると、イリーナは小さく首を横へ振って、


「いや、そういうんじゃなくてさ! あたし、さっきの話に感銘を受けたのよ!」


 つぶらな瞳をキラキラさせるイリーナちゃん。


「さっきの話、とは」

「もしかして聖母様のお話、ですかぁ?」


 頷くイリーナに、俺とジニーはなるほどと得心する。


 つい先程のことだ。

 ノーマンの研究院を出てから、我々は聖母像と呼称される観光名所もとい学修地へと赴いた。

 修学旅行の第一日目における、団体行動の最終地。

 そこには巨大な女の像が建てられていた。

 現地のガイド役となる小人族の女性は、そんな像を前にしてこう語った。


「え~、これがかの有名な、《魔王》様とオリヴィア様を育てたとされる、アイシャ様の巨像でございま~す」


 続いて、ガイドは語る。


「《魔王》様と、その配下たる伝説の使徒・オリヴィア様が姉弟分であったことは、皆さんも知っての通り。お二人は貧民街にて出会い、絆を育んだ。……ですよね? オリヴィア様」

「……あぁ」

「当時、お二人は荒んだ生活をなされていたと、聖書には書かれております」

「……まぁ、そうだな」

「お二人には両親がおらず、愛に飢えていた。そんな《魔王》様とオリヴィア様の前に突如として現れ、親としての愛情を注いだのが、このアイシャ様なのです!」

「……間違ってはいないが」

「しかし! そんなアイシャ様ですが! ある日、《魔王》様の存在を知った邪神が、卑劣にも奸計を働かせ! お二人の命を狙った! アイシャ様はお二人を救うべく身を呈し……その命と引き替えに、お二人を逃がしたのですっ! あぁ、なんたる悲劇っ!」


 涙を流すガイド。周りを見回してみると、生徒一同、皆同じような様子だった。


「うぅっ……! なんて可哀想なの……!」

「聖書はそれこそ擦り切れるほど読んでますけど……離別の場面では、どうしても泣いてしまいますわ……」


 イリーナもジニーも、ハンカチで目頭を押さえている。

 しかし。


「……? なんか、聞いた話と違うのだわ……?」


 シルフィーのみ、怪訝な顔で首を傾げていた。

 その横に立つオリヴィア、そして、俺はというと。


 なんかもう、苦笑いするしかない。


 なにゆえ奴が聖母などと伝えられているのか、まるで理解できん。

 確かにあの頃、俺とオリヴィアはアイシャという小人の女に育てられてはいた。

 けれども、手習ったことはギャンブルにおけるイカサマだとか、スリの方法だとか、そんなのばかり。また、奴はとてつもない守銭奴であり……


『なんだいなんだい! 今日の儲けはこんなもんかい! か~っ! あんたら才能ないわぁ~! こんなんだったら自分で稼いだ方がマシだわ~!』


 我々がスリやギャンブルで稼いだカネをせしめ取っては文句を言い、浴びるように酒を飲んでは暴言を撒き散らしていた。

 正直クズと呼んで差し支えない人間だったので、尊敬の念も恩義も皆無である。


 そして別離の日、だが……これも全部でたらめだ。


 アイシャは死んでない。身を呈して守るどころか、全力で逃げたからだ。


 襲ってきた連中は皆、俺が一瞬で片付けた。

 それを境に俺とオリヴィアは反乱軍を旗揚げしたのだが……それはさておき。

 以降、アイシャのことは見ていない。そこらへんでのたれ死んだのかもしれんし、お大尽にでも昇り詰めたのやもしれん。

 いずれにせよ、奴のその後に興味はなかった。


 ……まさかそんな女が、聖母として崇められているとは。


「アイシャ様はまさに、世の女性の理想像であります! 女子の皆さん! お子さんが出来たらアイシャ様のような母親になりましょうね!」


 いや、あんな母親になったら子供がグレるわ。

 まったく、なぜこうも正反対な内容が伝わったのやら。

 ……とはいえ、訂正するのも憚られる。


「アイシャ様は、母親の鑑ねっ!」

「ミニチュアサイズの銅像、おみやげに買っていきましょ!」

「そうね、部屋に飾れば、良い戒めになるわ」


 現代において、あのクズは世の女の規範となっているようだ。

 ならばもう無理に訂正せず、捨て置いた方がよかろう。

 真相を知る俺やオリヴィアからすれば、かなり複雑ではあるが。


 ……で。

 さんざくたありもしない逸話を聞かされた末に、我々は班行動の時間を迎えたのだった。

 俺からしてみれば、よくもまぁあんなでまかせが伝わったもんだなと、呆れるしかない。

 だが、イリーナは別の感情を抱いたらしい。


「アイシャ様の逸話を聞いてたらね、あたし、ママのことを思い出したの!」


 当然だが、彼女にも母が居る。

 とはいえ……その姿を見たことは、一度さえないのだが。


「ママは、あたしの憧れだった。アイシャ様も凄いけど、あたしのママだって凄い人だったわ。だから……あたし、ママみたいになりたいの!」


 なるほど。

 ママになりたい、ではなく、正確には、ママみたいになりたい、か。

 聖母の逸話を聞いたことで、そうした情熱が再燃したというわけだ。

 なんとなしに気持ちはわかるぞ。ちょっと違うかもしれんが、俺だって時たま建築関係の本など見てると、昔の創作意欲が蘇ってくる。また城的なものを作りたいとか、そういう感じになるのだ。


「でも、あんまり自信、ないのよね。自分が子供を持ったとして、あたしはちゃんとママができるのかな、って。そもそもママみたいになるどころか……しっかりしたお母さんになれるのかな、って」

「まぁ、育児は大変って言いますものねぇ。……けれどミス・イリーナ。貴女はそういう心配をする段階ではないかと」

「どういう意味よ?」

「……子供の作り方、わかります?」

「はぁ!? ば、馬鹿にしないでよっ! そ、そんなのちゃんと知ってるし! あ、あれでしょ? す、すす、好きな人と、その……チュ、チューしたらできるんでしょっ!? こんなのあたしだって知ってるわよ! パパが前に教えてくれたもんっ!」

「いやいやイリーナ姐さん。さすがにそれは、アタシでも間違ってるってわかるのだわ。いい? 赤ちゃんはね……コウノトリが運んでくるのよっ! ふっふん!」

「いや、貴女のそれも全然違うんですけど」

「だわっ!?」


 彼女等のやり取りを見ながら、俺もジニーと同じ思いを抱いた。

 確かに、イリーナはまだ、憧れの母になれるか否かを悩む段階ではない。

 何せ子供の作り方さえ知らないのだから。


 だが、それでいいと俺は思う。

 彼女はそんなこと知らんまま生きてほしい。


 いや、俺だってわかっている。イリーナとていずれは子を成すだろう。

 しかし……


 そのときを想像しただけで、相手の男に対する殺意が湧いてくる……!


 俺にとってイリーナちゃんは親友であり、実の娘のような存在なのだ。

 それが傷物にされるなど、断じてあってはならぬ。

 彼女の幸福を願ってはいるが、こればっかりはどうにもならん。

 よって俺は、彼女と子を成すような相手が現れぬことを――


 と、考えている最中のことだった。


 我々からほど近い空間に、亀裂が走る。

 それを視認した瞬間、皆の顔に緊張が宿った。

 彼女等だけではない。民衆もまた同様の顔色となる。


「……事件とは常に突発的なもの、ではありますが。旅行中は勘弁願いたいものですね」


 目を眇めながら、虚空に浮かぶ裂け目を注視する。

 ややあって、それは次第に大きく開いていき――


 ドン、という重低音が響いたかと思えば、亀裂の中から何者かが飛び出てきた。


 人間、である。

 尖った耳を有するところからして、種族はエルフか。

 性別は女。年齢は……かなり幼い。

 そして、我々と同じ学生服を身に纏っている。


 だが、学友ではなかろう。

 その容姿を見た瞬間、俺だけでなく、イリーナ達も皆、同じことを考えたに違いない。

 我々の目前に突如として現れた、幼い少女は、


「ミ、ミス・イリーナ……!?」


 そう、幼い頃のイリーナとまったく同じ顔だった。


「あ、あんた、誰……!?」


 まるで鏡に映った自分へと語りかけるように、イリーナはゆっくりと尋ねた。

 そんな彼女へ、相手方はなぜだか懐かしげな顔をする。

 けれども、それは一瞬のこと。

 すぐに表情を決然としたものへと変えて、幼き少女は胸を張った。


「あたしの名はエリス! 未来からやってきた戦士っ!」


 瞠目せざるを得ない言葉を放ちながら、エリスと名乗った少女はイリーナを指差し、叫んだ。


「今日、この日! 貴女になんかヤバいことが起こるっ! あたしはそれを防ぎ、貴女を守るために未来からやって来た! もし、あたしが貴女を守れなかったら――」


「この世界はっ! 滅亡するっ!」


   ◇◆◇



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