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第六〇話 元・《魔王》様の決意 《勇者》の選択 そして……哀しみの《魔王》

 美麗な白銀の髪。

 女性としては長身な体躯。

 あまりにも美しい、絶世の容姿。

 それらは間違いなく、《勇者》・リディアを表す記号であった。


「な、なんでリディア様が、ここに……!?」


 目を丸くしながら、イリーナが独りごちるように疑問を吐いた。

 リディアは唇をニヤリとさせ、彼女に視線を向けると、


「お前等にプレゼントした髪飾りな。それ、実は現在情報把握の魔法を付与した魔道具なんだよ。そいつのおかげで、オレは絶えずお前等の状況を把握してたってわけだ」

「な、なるほど……! リディア様はこうなることを予見して……!」

「……えっ?」

「えっ?」


 シィ~ン……。

 少しばかりの沈黙が続き、そして。

 シルフィーはジトッとした目で口を開いた。


「まさかとは思いますが……私達のストーキングがしたくてコレを渡したけれど、結果として私達の危機を救った形になった……みたいなオチじゃないですよね?」

「あ、あああ、あったりめぇだろうがっ! そ、そんな、お前……オ、オオオ、オレぁ《勇者》だぜ!? なんかこう、ズバーンって予感が降りてきて、お前等の危機を予知したに決まってんじゃねぇかっ!」


 さっきまでのカッコいい姿はなんだったのだろうか。

 イリーナもジニーも、同時にため息を吐いた。

 緊張感が抜けていく。

 これもまた、《勇者》がもたらす安心感ゆえ、ということにしておこう。

 ……そんな二人に反して。


「リディア、様……! なぜ、こんな……!」


 わなわなと全身を打ち震わせるラティマ。

 それは恐怖ゆえの様相ではないように思えた。

 これからリディアに、裏切り者として処罰されることを恐れている……わけではない。

 何かを失うことに対する焦燥感。彼女の表情からは、そんな情が窺い知れた。


「……ラティマ」


 褐色肌の少女へ、声をかけるリディア。

 自らを裏切った配下に対する彼女の視線には、怒気などなかった。

 むしろ……慈愛に溢れた母のような表情で、


「諦めな」


 本当に、短い一言を口にする。

 イリーナやジニーからすると、どういった意図によるものか判然としない。

 だが、ラティマにはその一言で、何もかもが理解できたらしい。


「嫌、です……! 例えリディア様でも……! いや、リディア様だからこそ……! それだけは聞けませんッ!」


 じんわりと、ラティマの瞳に涙が浮かぶ。

 そして。


「こんな世界ッ! リディア様のためなら滅んだっていいッ!」


 再び、大量の魔物が、ラティマを守護するように顕現する。

 その威圧感ある光景に、しかし、リディアはなんら臆することなく、


「……そうだな。お前や、アイツ(、、、)からすりゃ、そうなるんだろうな。けど」


 どこか悲しげな顔で、彼女は断言した。


「オレも、こればっかりは譲れねぇんだよ」


 静かだが、力強い声音。それが彼女の口から放たれた後――

 瞬き一つの、数秒に満たぬ時間で、何もかもが決着した。

 轟然と烈風が吹き荒んだかと思えば、全ての魔物が斬り伏せられており、その召喚者たるラティマもまた、真横へと倒れ込んでいく。


 何をしたのか、イリーナ達の目ではまったく認識できなかった。

 これが、《勇者》の力。

 改めて、イリーナ達は畏敬の念を抱く。

 その視線の先で。

 リディアは倒れ行くラティマの華奢な体を抱き止めて、


「……馬鹿野郎」


 唇には、僅かな微笑を。瞳には哀しみを湛えながら。

 リディアは裏切り者の配下へ、それだけを送った。


「リディア、様……わたし、は……」


 こときれたように、全身を脱力させるラティマ。

 彼女の体を丁寧に床へ置くと、リディアは一息吐いて、場の中央に浮かぶそれを見た。

 巨大な紅い宝石。妖しい光を放ちながら明滅を繰り返すその物体へ、リディアはゆっくりと近づいていく。


「……まったく。どいつもこいつも」


 紅い宝石、《魔王》の霊体を封じているというそれを目前にして、リディアは嘆息する。


「嬉しくないと言えば、嘘になるけどな。でも……いいのさ、それが運命なら。どんなものだって受け入れる。なんせオレぁ、《勇者》だからな」


 フッ、と笑みを零す。

 なぜだろう。イリーナにはその笑みが、このうえなく悲しいものに思えた。

 そして……リディアはさらに、言葉を重ね続ける。

 まるで、この場にいない誰かを、諭すかのように。


「誰かの夢と希望を守り、皆が笑って生きられるような世界を作るために戦う。それが《湯者》だ。でもな……その皆の中に、《勇者》は含まれちゃいけねぇのさ。どんなに崇高な理念を掲げていようが、罪を重ねたことには、変わりがねぇんだからな」


 リディアの表情には、強い決意だけがあった。


「理想を叶えるためには、犠牲を出さなきゃいけねぇ。多くの血を、流さなきゃいけねぇ。死にたくないと泣き叫ぶ奴さえ、殺さなきゃいけねぇんだ。……その罪と責任を全て背負い、最後は地獄に落ちる。それも、《勇者》の務めだとオレは思う」


 彼女は肩に担いだ聖剣・ヴァルト=ガリギュラスを構え、


「オレぁ、お前(、、)の親友である以前に……《勇者》なんだよ。だからオレぁ、《勇者》として生き、《勇者》として死ぬ。例え誰だろうと、この信念を曲げさせはしねぇ」


 そして。


「後ろばっか見て生きてんじゃねぇよ、この……大馬鹿野郎がッ!」


 気迫を放ちながら、リディアはなんの躊躇いもなく、聖剣を振るった。

 ヴァルト=ガリギュラスの刀身が対象を両断し……


 次の瞬間、それが木っ端微塵に砕け散る。


 これで、《魔王》の不死性は消滅する。

 これで、《魔王》は討伐される、かもしれない。

 そうなったならきっと、多くの人々の命が守られるのだろう。

 自分達も元の時代に戻って、また楽しい日常を過ごせるようになるだろう。

 だが……


 イリーナにはその結果が、リディアの命と引き替えに得られたものであるように思えて。

 自然と、瞳に涙が浮かぶのだった――


   ◇◆◇


「なぜだ……! なぜだ……! なぜだッッ!」


 叫声が大気を震わせると同時に、遠望の魔法によって生み出された鏡面が破裂し、四散する。


「リディア……!」


 彼女の名を口にしながら、ローグは全身をわななかせる。

 そんなもう一人の自分に、俺は哀傷と共に言葉を送った。


「もう、終わりだ。貴様の考えは――」

「終わってなどいないッッ!」


 強烈な否定を口にしながら、ローグは俺を睨んだ。


「まだ不死性を奪われただけだッ! それも再び儀式を行えば、取り戻せるものに過ぎんッ! 此度の戦は敗れることになろう! だが、それは織り込み済みだ! ゆえに何も終わってなどいないッ! 貴様さえこちらに付いたなら! 此度の一件は――」

「俺がどういった答えを返すのか。貴様はもう、わかっているのだろう?」


 相手の言葉を斬り裂くように、投げかける。


「我が分身よ。貴様は真にリディアを救いたいと、そう思っているのか?」

「……なんだと?」


 こちらを睥睨する目に、強い怒気が孕む。

 しかし、俺は口を止めなかった。どうあっても、これだけは言っておかねばならぬことだと、前々から考えていたことだから。


「貴様は……貴様はただ、逃げたいだけではないのか? リディアを手にかけた。そうなるよう、追い詰めてしまった。その罪悪感から、逃げたいだけなのではないのか? 彼女を救いたいと言うが、その実……」


 これから口にすることは、俺にさえ突き刺さるものだろう。

 きっとそれは、激烈な痛みになるのだろう。

 だが、それでも。

 この問題から目を背けることは、してはならないように思えたから。


「貴様は、自分を救いたいだけなのではないか? 自分を赦しながら、心安らかに死んでいく。そんなことのために、リディアを利用しているだけなのではないか? ……結局のところ、俺も貴様も、自分勝手な感情ばかりで……誰のことも、考えてはいないのだよ」


 そうだ。

 認めたくないが、そうなのだろう。

 いつだって俺は、自分勝手だった。

 人間のために立ち上がったのも、結局は……誰かに愛してもらいたかったからだ。

 誰にも愛されず育った男の歪んだ感情が、行動へと駆り立てただけなのだ。

 それを自覚するがゆえに。

 今回は。今回ばかりは。


「生まれて初めて、真に、誰かのために動かないか。……リディアの意思を守るために、俺達は――」

「黙れぇえええええええええええええええええええッッッ!」


 鼓膜が破れんばかりの、凄まじい怒声だった。

 ローグは牙を剥くように歯噛みして、こちらを射殺すように睨み、


「あぁ、そうだ! そうだとも! 俺は自分を赦したい! 救われたい! 事実、そう思っている! だがな! リディアへの思いまで、否定はさせんッッ!」


 次いで、奴の総身から放たれたのは……

 このうえない、殺意だった。


「もはや、これまでだ……! 貴様の手を掴む気は、既に失せたッ! 何よりも忌まわしき宿敵として葬り去ってくれるわッ!」


 喚き散らすさまは、まるで幼子のようだった。

 己の非を指摘され、自覚し、それゆえに怒りを発露する。

 そんなみっともない、幼子のようで……

 あまりにも、見るに堪えなかった。

 それが自分自身の姿なのだから、ことさら。

 俺は奴と同様、目の前に立つもう一人の俺を、その存在を。

 許容できなかった。

 そして――

 睨み合いながら、俺達は奇しくも全く同時に、全く同じ行動をとった。


「《《その道に在りしは絶望》》《《それは哀れな男の生き様》》」


 我が最強の魔法にして切り札。《固有魔法(オリジナル)》の詠唱を紡ぎ出す。


「《《その者は独り》》《《背を追う者はいても》》《《覇道を共に進む者はなし》》」


 詠唱の進行と共に、我々の周囲に複雑な幾何学模様が現れては消え……


「《《誰にも理解されることはなく》》《《皆、彼のもとから離れていく》》」


 睨み合う我等の中央。彼我の戦闘意思がぶつかり合うその場が、歪んで見えた。


「《《唯一の友にさえ捨てられて》》《《彼は狂気と孤独の海へと沈んでいく》》」


 もはやこの勝負の決着は、どちらかの死によってしかつくことはない。

 その確信を深めながら、俺は……改めて、自己の意思を確認する。


「《《その死に際に安らぎはなく》》《《悲嘆と絶望を抱いて溺れ死ぬ》》」


 ……勝つ。必ず、勝つ。

 勝てる、はずだ。

 歯噛みしながら、俺は、


「《《きっとそれが》》――」


 最後の一唱節を放った。



「《《孤独なりし王の物語(プライベート・キングダム)》》」



 刹那、我が目前に、そして奴の隣に、彼女が現れた。

 リディア。彼女の魂の一部が形作る、ありし日の姿。

 次の瞬間、その姿が巨大な剣へと変化する。

 漆黒の刀身に、血管の如く紅いラインが刻まれたその形状、それ自体は互いに同じであったが……ローグのそれは、傷付いていた。

 刀身全体にヒビ割れが走っており、その傷が、奴の生き様を反映しているように思えた。

 我々は、そんな得物の柄を握り締めると、


「……ハァッ!」


 互いに気合いを放ちながら、一直線に踏み込んだ。

 凄まじき膂力が大地を抉り、膨大な土塊が天へと舞う。

 それが降り注ぐよりも前に。

 我々の第一合目が始まっていた。


「るぅあッ!」

「シィッ!」


 鋭い呼気と共に、闇色の(つるぎ)を繰り出す。

 全てが急所狙い。全てが必殺の一撃。

 魔法は使用しない。

 いや……使えないと言うべきか。

 我が《固有魔法(オリジナル)》の力は、解析と支配。敵方の魔法を解析し、それを支配下に置く。

 ゆえに……あらゆる魔法は発動する前に無力化、あるいは自分自身に牙を剥く。

 互いに同じ力を持つがために、我々の勝負は純粋な剣技、あるいは肉体技による戦いとならざるを得なかった。

 さりとて。

 それは尋常の仕合ではない。


「ぬぅあッ!」

「ぎぃッ!」


 互いに剣を振るう度、その刀身がぶつかり合うことで大気が鳴動し、大地に亀裂が走る。

 両者共に《魔王》の称号で呼ばれし者。我等の勝負は、単純なぶつかり合いであったとしても、世界に甚大な被害をもたらす。

 ……戦況は五分と見た。

 それならば。


「リディア。フェイズ:Ⅱ、レディ」

【了解。勇魔合身、第二形態へ移行します】


 応答と同時に、闇色のオーラが我が総身を覆い尽くす。

 ……どうやら、敵方もまったく同じ発想へと至ったらしい。

 こちらが形態変化を遂げた頃、奴もまた、第二形態へと姿を変えていた。

 髪色は総じて白へ。身に纏う衣服が闇色の装束へ。

 互いに同じ姿。だが……ローグが纏う甲冑に似たそれは、刀身と同様に無数の傷が走り、ボロボロになっている。


「これならば……!」

「どうだッ!」


 両者共に、その膂力は先刻までの比ではなかった。

 刀身同士がぶつかり合い、鼓膜が破れんばかりの轟音が発生。

 我等が立つ大地に、大穴が穿たれる。

 音を置き去りにし、光へ迫る勢いで地表を駆け巡り、滅亡の大地と呼ばれし一帯へ闘争の爪痕を刻んでいく。


 ……これでも、五分か。

 ならばもはや、この勝負、互いが持つ技の優劣で決着がつくことはなかろう。

 勝敗を分けるのは、おそらく……心構え。

 いずれの精神が、より優れているか。戦いに臨む意思が、どれほど強いか。

 これは、そういう勝負だ。

 それゆえに。


「るぅ、ああああああああああああッッ!」

「くっ……!」


 やがて均衡が崩れていく。

 劣勢へと陥るは、必然的に――

 この俺だった。


「ぬ、ぅ……!」


 少しずつ、奴の切っ先がこちらの体に触れ始める。

 そしてとうとう頬を裂かれ、鮮血が宙を舞った。

 それを顔に受けながら、ローグは叫ぶ。


「貴様はなぜ、命を断った!? 間違いなく、俺とは違うのだろうな! 大方、孤独感に耐えられなかったのだろう!? 違うかッ!」


 敵方の威勢が強まっていく。それに反して……

 こちらの体は、次第に鈍重さを増していった。

 その原因は、やはり。


「そんな貴様がッ! よくもこの俺にッ! 逃げているなどと言えたものだなッ!」


 心だった。

 奴と俺とでは、心構えに大きな違いがあった。


「リディアを殺したことは、貴様にとってその程度のことだったのかッ! 世界が違えば、俺はここまで自己中心的になれるのかッ! リディアを殺めたことによる罪悪感よりも、貴様には孤独感の方が強かったというわけだッ! 自業自得の結末を呪い、来世での幸福を願って転生したッ! その身勝手さに反吐が出るわッッ!」


 なんの反論も、できなかった。

 実際、奴の言う通りなのだから。


「なにゆえ、そこまで利己的になれるのかッ! 俺には理解できんッ! 貴様はまさか、リディアに放った最後の言葉を忘れているのではなかろうなッッ!」

「そんな、わけが……あるかッッ!」


 刀身をぶつかり合わせ、鍔迫る。

 剣越しに睨み合いながら、俺は過去を思い返した。


 ……長き戦の終盤。哀しみを繰り返した末に、我々は目的の達成を目前としていた。

《外なる者達(アウター・ワン)》を滅ぼし、主権を人の手へと移す。

 もはやそれは、ほとんど実現できていると言ってもよい状況。

 我々は世界の大半を手中に収め……奴等は残すところ、一柱のみ。


 そうした現状に、俺はもう、満足していた。

 いや、ある意味では、辟易していたと言える。

 多くの友を失い続け、孤独へと陥り……


 最後に残ったのは、リディアだけ。彼女だけが、俺にとっての救いだった。


 そうした自己の現状に、俺は辟易して……もう、これ以上の争いは避けたかった。

 リディアを失うようなリスクなど、負いたくはなかった。

 最後の一柱は《外なる者達(アウター・ワン)》の頭目とされし者。その力量はまさしく桁外れ。もし彼奴を討滅せんとするならば、自軍の半数を犠牲にする覚悟が必要であった。

 その犠牲者の中には俺だけでなく、リディアも含まれる可能性がある。

 最悪の未来を予期したがために、俺はこう結論づけたのだ。


『もはや争う必要はない。俺は奴の要求を飲む。奴の領地における自治権を認め、生き延びた《魔族》達による国家成立を黙認。そして……我等は停戦協定を結び、また、不可侵条約を締結する』


 これで、我等の長き戦は終わりを迎えるのだと、俺は断言した。

 ……その結論にすぐさま噛みついたのが、リディアだった。


『ざけんなッ! 奴を放置してたら、またいつか同じ事が起きるッ! それを防ぐためにも! 今! 奴等を叩くべきだッ!』


 当時、リディアはその身に受けた呪詛の影響もあって、非常に好戦的な人間になっていた。その発言は過去の彼女を知る身からすれば、ありえぬもので……

 そんなふうになってしまったことも、苛立ちの原因だったと、今は思う。


『貴様が何をどうのたまったところで、結論は変わらぬ。受け入れよ』


 方針の違いが、我々の関係に大きな亀裂を生むと……あの当時、思い至っていれば。

 今でこそ、それは理解できることだが。あのときは、それがわからなかった。

 俺にとってリディアという存在は、空気のようなものだったのだ。

 そこに在るのが当たり前で、消えることなどありえない。

 生きるために必須の存在にもかかわらず、ありがたみを完全に理解できていなかった。

 だから。


『なんでオレの気持ちがわからねぇんだ! オレ達の志は、一緒じゃなかったのかよッ!』


 この言葉に、俺は、最悪の応答を返してしまった。


「何度ッ! 何度悔やんだことかッ! 何度、己を呪ったことかッ! あのとき、リディアの問いに、自らの本音を吐露していればッ! ただ一言、お前を失いたくないのだと、そう素直に伝えてさえいればッ! あんなことには、ならなかったッッ!」


 ローグの叫びは、我が本心であった。当時の俺は彼女に対し、なぜ俺の気持ちをわかってくれないのだと、身勝手な情だけを抱いてしまった。

 ゆえに、己が本音を素直に述べるどころか。

 俺は、こう返してしまった。


『そんなにも争いを続けたいなら、勝手にしろ。貴様のことなどもう知らぬ』


 これが。

 こんな言葉が。

 人間としての彼女に送る、最後の言葉になった。

 彼女との、最後のやり取りを、俺は喧嘩別れで終わらせてしまった。


「あんな結末、俺は断じて認めぬッ! ゆえに、リディアを救うのだッッ! 救った末に、俺は彼女の手によって断罪されるッ! あのときの我が愚行を謝罪し、そのうえで地獄へと落ちるッ! そして……リディアは、この世界の俺と、幸福な人生を歩むのだッ!」


 自分ではなく、ある意味では赤の他人であるこの世界の自分を、その役に選んだ時点で……こいつの自責の念が、あまりにも深いことがわかる。

 そして……リディアへの思いも。

 彼我の心構えに違いがあるとしたなら、そこだろう。

 俺はもう一人の自分に対する自己嫌悪、同族嫌悪だけを燃料に戦っている。

 だが、奴はそれに加えて、リディアへの迷いなき思いを背負いながら戦っているのだ。


 ……俺はまだ、迷っている。


 リディアを救わないという結論が正しいのか。そこに、迷いが生じている。

 だって、当然じゃないか。

 どんなに当人がそれを望んでいても……

 俺は、彼女に幸せになってもらいたいのだから。


「く、ぅ……!」


 迷いが俺を劣勢へと導き、そして。


「ぬぅ……!?」


 決着の時をもたらす。

 あろうことか、俺は地面の凹凸に足を取られ、体勢を崩してしまった。

 生じた隙は一瞬であったが――

 しかし、命を刈り取るには、十分な時間だった。


「ぬぅおおおおおおおおあああああああああああああッ!」


 雄叫びと共に、ローグが向かってくる。

 構えられし大剣の切っ先は、我が胸部を向いており……

 それはきっと、瞬き一つした後には、こちらの心臓を貫いているのだろう。


 ……不思議と、悔恨の念はなかった。

 むしろ、これでいいのだと、そんな情さえあった。


 イリーナとジニーは悲しむだろうが……ローグとて、俺なのだ。

 きっと悪いようにはならんだろう。

 俺が死した後、ローグが本懐を遂げるかはわからぬが……


 もし、リディアの救済が成るとしたなら、それは喜ばしいことだ。

 ゆえに俺は、己が死を――


 完全に受け入れ、相手の一撃を浴びるという、直前のことだった。


「ぬぅッ……!?」


 切っ先が止まる。

 我が胸部を貫く寸前で、闇色の刀身が震えたまま、動こうとしない。

 どうなっているのだ? これは?


「く、お……!」


 ローグもまた、動揺している。傷跡が刻まれし面貌に、強い困惑を浮かばせていた。


「これ、は……! まさ、か……!」


 奴の口から、そんな一言が紡がれた矢先。

 俺は、目を見開いた。


 幻覚であろうか。

 ローグの背後に、リディアの姿が見える。

 彼女が、ローグを羽交い締めにして、動きを止めているように見える。


 そして。


“オレの願いを、守ってくれ”


 こちらを見つめる彼女の瞳が、そんな思いを伝えてきたような気がして。

 だから、俺は。


「リディア……! それが、お前の意思ならッ……!」


 歯を食い縛って。

 こみ上げてくるものを感じながら。

 我が手に在る(つるぎ)を、全力で繰り出した。


「がぁっ!?」


 袈裟懸けに振るったそれは、胴を斜めに両断するつもりの一撃であったが。

 その直前、奴はどうにか身を動かし、後方へ跳躍。

 されど、一瞬遅かった。

 我が刀身は奴の胴を深々と斬り裂いたのだ。


「ぬ、ぅ……! やめろ、リディア……! こんなときさえ、貴様は……! 俺の邪魔をするのかッ……!」


 趨勢の逆転は、誰の目にも明らかであった。

 先刻まで、この勝負は一対一の戦いだったが……

 今や二対一。

 リディアの意思が、奴の動きを鈍らせているのだろう。

 与えた深手も相まって、一気にこちらが優勢へと変じていく。

 が――


「負けて、なるものか……! 失敗して、なるものか……! もう、二度と……二度と、失敗せぬと誓ったのだ……! 俺は……俺はぁッッ!」


 それでも、ローグは懸命に抗った。

 凄まじき後悔が。強烈極まりない自己意思が。奴に力をもたらす。

 さりとて。

 逆転は、なかった。


「う、うぅ……」


 遂に、ローグが片膝をつく。

 全身を刻まれ、闇色の装束と大地を鮮血の紅に染める、もう一人の自分。

 その命脈を断ち、決着をつけるべく、俺は無言のまま身構えた。


「……終わりだ。ディザスター・ローグ。我が分身よ」

「貴様、は……真に、これでよいと……そう、思っているのか……」


 荒い息を吐き、肩を上下させながら、ローグはこちらを見た。

 その瞳にあるのは、恐怖。だが、死に対するものではない。失敗に対するものだろう。

 そして……

 奴は、命乞いを始めた。


「思い、出してくれ……リディアとの、日々を……それが、どれほど……貴様にとって、どれほど、尊いものだったか……」


 奴の感情が、俺には痛いほどよくわかる。

 この男は、俺自身なのだ。

 命乞いなど絶対にありえない。それをするぐらいなら、無限に続く拷問であろうと甘んじて受け入れる。そんな誇り高さをねじ曲げてでも、生き延びようと必死になっている。


 全ては、リディアのために。


 ……そんな自分に、俺は涙を流した。

 涙せずには、いられなかった。


「失敗、できぬのだ……今回だけは……今回、ばかりは……失って初めて、真に理解した……リディアへの思いを、ようやく……だからこそ、彼女を……彼女を、救いたい……俺は……俺、は…………」


「彼女を、愛していた……!」


 その言葉を受けた瞬間。

 体が、震え出す。

 剣を握る力が、僅かに緩む。

 だが、しかし。


「う、お……おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!」


 迷いを払拭するために、雄叫びをあげて。

 俺は――


 曇天の下。

 一気呵成に、ローグの心臓へと、切っ先を突き立てた。



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