第五八話 元・《魔王》様の友人、毒牙にかかる
時は僅かに遡る……。
「重大なお知らせがあります」
褐色肌の少女ラティマが述べた言葉に、イリーナとジニーは怪訝な顔となった。
「重大な」
「お知らせ?」
「はい。お二方にはすぐさま出撃していただきます。わたしが案内いたしますので、ついてきてください」
なぜ?
と、問いかける暇さえ与えず、ラティマは部屋を出て行ってしまった。
わけがわからないが、しかし……
「私達にも、何かが出来るってこと、ですかね?」
ジニーの呟きにイリーナは何も答えず……
部屋の隅に置いてあった、アード手製の魔装具へ目を向けるのだった。
装備一式を纏い、屋敷の外へ。
そこには既に、戦闘用の軽装へ着替えたラティマが待っており、
「移動しつつ、状況を説明させていただきます」
やはり一方的な物言いであったが、今回もそのことに文句を言う暇さえ与えてくれなかった。彼女は言ってすぐ、さっさと駆け出してしまう。
王都の只中を行き、門を抜け、外部へ。
そして街道を進む。
ラティマの走行速度は、まさに桁外れであった。
音を置き去りにするようなスピード。元来のイリーナ達であれば、絶対についていくことができない速度である。しかし、今の彼女等はアード手製の魔装具……鈍い輝きを放つ脚甲の力により、ラティマのスピードに追従することができた。
(まだ、慣れないわね……この感じ……)
猛然と、めまぐるしく過ぎ去っていく周囲の光景。
己の脚がこれほど速く躍動しているという現実に、理解が追いついていない。
魔装具による身体機能の強化は、圧倒的なパワー感をもたらすと同時に……
負い目や悔しさが混ざり合い、なんとも言えぬ不快感を生み出していた。
(こんなの、ずるいわよね)
(アードに貰った、ずるをするための道具……)
(こんなので力を得たって、なんの意味もない)
(あたしは、あたし自身の力で、アードに並ばなきゃいけないんだから……!)
どうにも気分が落ち込んでいく。
らしくないとは思っているのだが、この時代に来てからというもの、イリーナは普段の快活さを失っていた。
「……それで、ミス・ラティマ。もうそろそろお話していただけませんか?」
横を走るジニーが発した言葉に、イリーナはハッとなる。
そうだ。今は一種の緊急事態。落ち込んでいる場合ではない。
「……重大なお知らせって、いったいなんなのよ?」
ここでようやっと、ラティマの口から返答が出された。
「我々の出撃は、アード様が考案なされた作戦行動です」
「作戦行動?」
「えぇ。アード様は《魔王》の不死性の正体を見抜かれ……まず、わたしに作戦の説明を行ったのです。それからアード様はおっしゃられました。然るべき時に貴女達をお連れし、《魔王》が占領した城へと向かえ、と」
……どうにも違和感のある言葉だった。
アードが敵の秘密を看過した。この点については、特に思うことはない。彼ならばそれも当然のことだろう。だが……考案した作戦行動を自分達に真っ先に話すことなく、ラティマに伝えるというのは、どういうことだ?
この疑問をそのままぶつけたところ、
「今回の作戦は秘密性が重視されます。事前にお二方に話した場合、ともすれば、身内に潜む裏切り者に勘付かれる可能性があるとアード様はお考になりました。……貴女達は、重大な作戦を担わされると事前に知って、普段と全く同じように過ごせますか?」
正直、自信がない。イリーナだけでなく、ジニーも同じようだった。
自分達の仕草や態度の微妙な変化から、敵方に作戦を察知されてはならない。だから、アードはまず、ラティマに作戦を話した。
……納得のいく説明ではあるのだが、それでもなぜか疑念は消えなかった。
「おっしゃりたいことはわかります。しかし……何も言わず、気持ちを切り替えてください。目的地は目と鼻の先です。もはや時間はありません」
ラティマに言われ、イリーナは周りに気を配った。
いつの間にか、景観が激変している。
のどかな街道から、うっそうと生い茂った緑……森林地帯へと、変わっていた。
「……そうね。じゃあ、作戦について詳しく聞かせて」
状況に急かされ、イリーナもジニーも、そのように判断せざるを得なかった。
その傍らで、ラティマは淡々と言葉を紡いでいく。
「まず、《魔王》の不死性について。これをアード様は、霊体分離の秘術を用いたものだと推測されました」
「霊体分離の、秘術?」
「はい。霊体分離の秘術とは、特殊魔法陣を用いて行う儀式魔法の一つです。自らの霊体を肉体から分離させ、相応しき媒介へと封じ込める。そうすることで、儀式を受けた人間は不死性を得るのです」
あまりにも荒唐無稽な話だったが、もはや受け入れるしかなかった。
「この秘術には欠点が二つあります。まず一つは、霊体を封じた媒介と発動者は、一定の距離を保ち続けねばならないこと。離れすぎれば、封じた霊体が発動者の中に戻り、不死性は失われます。そのため……《魔王》は自らの手で土地を占領した場合、その地に霊体を移動させるのではと、アード様は考えました」
「……その運び先が、城の中ってこと?」
ラティマは小さく頷いた。
「そういえば、陛下もおっしゃってましたわね。城に到達できれば勝てる、と」
アードとヴァルヴァトスは、同じ結論を出したということだろう。
そうなると、信憑性も高くなる。……ただ、疑問なのは。
なにゆえ城の内部という、随分わかりやすい場所に移動させたのか、だが。
この点は自分達のような若輩者にはわからぬ、なんらかの機微があるのだろう。
無理やり自分を納得させつつ、イリーナは口を開いた。
「秘術が持つ二つ目の欠点は、媒介を壊されたらヤバいってことよね?」
「はい。媒介を壊された場合もまた、不死性は失われてしまいます」
「……その実行者に、あたし達が選ばれた」
「左様にございます。アード様は城への隠し通路を発見なされ、そこを経由することで、秘密裏に内部へと――」
「なんで、あたし達なの? そんな大役、あたし達には……」
それは弱音がもたらした、強い疑念であった。
自分達が任せられた仕事はあまりにも重大である。誇張抜きに、この戦の行方を左右するような大役だ。
(そんな仕事を、なんであたし達にやらせるの?)
(もっと成功率が高い人に頼んだ方が……)
思考を重ねる度に、イリーナの表情と心が暗くなっていく。
と、そんなとき。
「らしくありませんね、ミス・イリーナ。貴女はこういうとき、むしろ喜ぶものだと思ってましたけど」
ジニーが声をかけてきた。
「まさかミス・イリーナが大事なときにヘタれる人だったなんて。アード君が知ったらきっと失望するでしょうねぇ。ふふん、どうやら私が色々画策しなくても、ミス・イリーナとアード君の関係は終焉を迎え――」
「馬鹿なこと言ってんじゃないわよっ!」
無意識のうちに怒鳴っていた。
顔が熱い。頭に血が上り、頬が紅潮していくのがわかる。
そんなイリーナに、ジニーは挑みかけるような笑みを浮かべ、
「そうそう。貴女にはそういう態度が一番似合ってますよ、ミス・イリーナ。負けず嫌いで、馬鹿みたいに突っ走ってこその貴女でしょ。考え込んで気分を落とすなんて、らしくないにもほどがありますわ。貴女はこういうとき、アードに大きな役目を任されたわ! やった~! ばんざ~い! とか、脳天気に叫んでればいいんです」
随分と馬鹿にされているような気がするのだが……
逆にそれが、心地いい。
ジニーのおかげで持ち前の負けん気が刺激され、先程までの暗い気分がどこかへと吹っ飛んでいた。
「ふんっ! あぁ、そうね! そうだわよ! まったく、あたしらしくなかったわっ!」
やってやる。疑問や後ろ向きな感情など、もはや彼方へと投げ捨て、とにもかくも猪突猛進、ただひたすら突っ走ってやろうじゃないか。
ジニーのおかげで、そんな気分になれた。
……とはいえ、素直に礼など言ってはやらないけれど。
「話はまとまりましたか? ……一応説明しておきますと、我々が実行者に選定されたのは、意外性が高いと判断されたためです。我々はある意味で部外者。蚊帳の外。敵方もそう思っているからこそ、我々という存在は」
と、ラティマの説明が続く、その途中だった。
鋭い風切り音が耳に入る。
それが風属性の魔法攻撃だと理解した頃には、既に手遅れ。
「くっ……!」
狙われたのは、先頭を行くラティマであった。
足首をバッサリと斬り裂かれ、地面へと転がる。
深い傷口から鮮血が流れ、彼女の褐色肌を染め上げていく。
「ラティマっ!? 大丈――」
「行ってください! 敵はわたしが食い止めます! このまま真っ直ぐに走れば、城に繋がる隠し通路がありますから!」
初めて見せる必死の形相に圧倒され、イリーナもジニーも絶句する。
「ぼさぼさしてないで! 早く行きなさいッ!」
言葉に打たれ、二人は応ずるほかなかった。
「死ぬんじゃないわよっ!」
「すぐに追ってきてくださいね!」
ラティマ一人を残すのは心苦しいが……これは失敗が許されぬ大仕事なのだ。
イリーナもジニーもそれを理解しているがゆえに、前へと進むしかなかった。
後方で響く破壊音に心を痛めつつも、走る足を止めはしない。
ラティマの無事を祈りつつ、イリーナはジニーと共に駆け抜けた。
その末に。
「これが、秘密の通路……?」
見た目は洞窟のようである。
ぽっかりと開いた暗い穴は、どうにも不気味で……身の危険を感じざるを得ない。
だが、しかし。
「あらら? 怖じ気づいちゃったんですかぁ? ミス・イリーナ」
この相棒にそう言われたなら、立ちすくんでなどいられない。
ふん、と鼻息を吐いて、胸を張りながら進み、洞窟へと入る。
光源を魔法によって確保。目前に浮かぶ光の球が、穴の中を明るく照らす。
でこぼことした道に時たま足を取られつつ、ゆっくりと進んでいくと……自然に出来た洞窟、といった周囲の内観が、次第に人工的な気配を感じさせるものへと変じていく。
気付けば、二人は石造りの通路を歩いていた。
「ここって、城の地下、かしら?」
「たぶん、そうだと思います」
即ち、ここは敵地のド真ん中というわけだ。
「気が抜けなくなったわね」
「えぇ、本当に……!」
両者共、強い緊張を顔に張り付けて、得物をギュッと握りしめた。
イリーナは紅い槍。ジニーは蒼い細剣。
いずれもアード手製の魔装具であり、二人に大きな攻撃力を与えるものだ。
その効力は効かされているものの、実際に使ったことはない。
ゆえに、これが自分達を守る盾、あるいは矛になりうるか、一抹の不安がある。
(……大丈夫。アードが作ってくれたんだもの。絶対に、大丈夫)
自分に言い聞かせながら、油断なく周囲を睨み、進んで行く。
二人の緊張と不安に反して、状況は平穏を維持したままだった。
そして。
城の地下と思しき場所を歩き回った末に、二人は開けた場所へ出る。
極めて広々としたその空間には、多くの太い柱が立っており――
自ずと、二人は場の中央にあるそれへと、視線を集中させた。
「あ、あれって」
イリーナが指差した先にあるのは、宙に浮かぶ巨大な宝石。紅いそれは脈動するかの如く、絶えず明滅しており、妖しげな輝きで周囲を照らしている。
間違いない。あれだ。あれが、目的の媒介だ。
「よし……! やるわよ、ジニー!」
「はいっ!」
互いに得物を構え、その効力で以て、対象を破壊――
しようとした、直前のことだった。
「……止まりなさい」
聞き覚えのある声。しかし、聞き慣れた口調とはまるで違うそれが、場に響いた瞬間。
二人の足下に魔法陣が発生。驚く間もなく、事態は急展開を見せた。
回避行動を取ろうとするが、時既に遅し。
発動した魔法は、二人を拘束するためのものだった。
流動する、液体状の鋼が二人の体に纏わり付き、両者の体を固定。
その姿はまるで、十字架に磔られた、哀れな受刑者のようだった。
「く……! こ、の……!」
身体機能強化の魔法を用いて、なんとか脱出を……と、そう思うのだが。
魔法が、発動しなかった。
「ど、どうして……!?」
吐き出された疑問に、声が返ってくる。
「その拘束魔法には、魔力封じの効力があります。だから、捕まった者は魔法が使えなくなる」
それは、少女のものだった。
それは、ついさっきまで聞き続けていた、少女の声だった。
「なん、で……!?」
新たな疑問がイリーナの口から放たれた矢先。
カツカツと足音が鳴り響き……件の少女が、二人の目前に現れた。
褐色の美貌に、無機質な表情を張り付けた、彼女の名は、
「これは、どういうことなの……!? ラティマッ!」