第五六話 元・《魔王》様と、古代世界最後の戦場
戦を前にした戦士達は、実に多種多様な感情を芽生えさせる。
不安、恐怖、怒り、喜悦、昂揚……
しかし。
ここに二人、いずれの感情も抱かぬ者達がいた。
王都・キングスグレイヴ。《勇者》・リディアの邸宅にて。
イリーナとジニーの両名は、その一室でベッドへ座り込み、重苦しい空気を放っていた。
そんな両者の髪には、鼈甲色の飾りが付けられている。
これは先日、リディアが一日アードを借りたことに対する返礼として、彼女から二人に贈られたものであった。
芸術という点において現代に大きく劣る古代世界だが、この髪飾りは中々美麗であり、現代人の二人も気に入るほど、だったが……
「なんていうか、さ。置いてけぼりよね、あたし達」
髪飾りを弄りながら、イリーナは憤懣やるかたなし、といった調子で嘆息する。
ジニーも同様の感情を抱いていたようで、イリーナに首肯を返した。
「確かに。こちらに来てからというもの、存在感が完全に欠如してますよね、わたし達」
「……わかっちゃ、いるけどさ。でも、認めたくないのよね」
イリーナはあえて、それを言わなかった。
自分達はアードにとって、お荷物でしかない。
そんな厳然たる事実を、口に出すことはしなかった。いや、できなかった。
「……アードに並びたいって、そう思ってるのに。努力もしてるのに。現実はこれ、か」
人生は決して、思い通りにはいかないもの。例え、どれだけの天稟を持とうとも。
父がかつて、イリーナに語った言葉である。今まさに、彼女はそれを噛みしめていた。
否応なしに気分が暗くなる。だが、その一方で……
ジニーは一人、重い空気を払拭しながら、
「でも、諦めるって選択は、しないんでしょう?」
「……当然よ」
「そうですか。貴女が諦めてくださると、わたしのアード君一万人ハーレム計画も順調に進んでくれるんですけどねぇ~」
「一万って……人数、増えてない?」
「それが何か?」
「……まぁ、何人だろうと関係ないけど。ハーレムなんて認めないわよ、絶対」
ムスッとした顔になりながら、ジニーを睨む。
サキュバスの少女は涼しげな顔のまま視線を受け流し、頭の羽をピコピコと動かした。
「はぁ……あんた、ほんっとに落ち着いてんのね。あたしはてっきり、あんたが一番、置いてかれたことを気にしてるもんだと思ってたけど」
「……気にしてないと言えば、嘘になります。でも」
ジニーは桃色の髪に取り付けられた飾りに触れながら、過去を思い返すように目を細め、
「リディア様に、約束したんです。何も考えず、とにかく突っ走るって。だからもう、暗くなったりしません。落ち込んでる暇があったら……行きたい場所を目指して突っ走る。そうした方が建設的、でしょう?」
「……そうね。その通りだわ」
微笑むジニーに、イリーナもまた吹っ切れたような笑みを返す。
「じゃあ、一緒に突っ走ろっか! アードが帰ってくるまで、あたし達にできる努力をしましょ!」
無性に体を動かしたくなった。
ジニーも同じ考えを抱いていたのか、イリーナの言葉に同意を示す。
そして二人は、魔法の鍛錬を行うべく、中庭へと移動……
しようと腰を上げた、直後のことだった。
「失礼いたします」
ノックもなしに、一人の少女が室内へと入ってくる。
リディアの配下にして、アードの世話役を任されていた元・奴隷……ラティマであった。
褐色肌と白髪が特徴的な彼女は、無機質な表情で二人の顔を見据えると、
「重大なお知らせがあります」
厳かに、口を開くのだった――
◇◆◇
アラリア平野の西部。その一角には、やや高低差が目立つ丘陵地帯が広がっており……
そこが此度の戦における、主戦場となった。
古代世界の行軍は、現代人からすれば信じがたいほどの速度である。
早朝に出発し、この場へと到達するまで、半日さえかかりはしなかった。
時刻は昼過ぎ……だが、大空に鮮やかな青は皆無。
本日は曇天である、というのも一つの理由であろう。しかし、最大の要因はやはり――
天空を埋め尽くす、飛龍の群れだ。
《魔王》はいかなる手段によるものか、無限の魔物を従え、軍勢を築いている。
その航空戦力たる飛龍達の数は、もはや把握する気にもなれなかった。
天を自らの体色で埋め尽くす彼等は、当然のこと、ただそこに存在しているだけではない。大地にて展開されし戦況を睥睨し、絶えず、その口から火球を放つ。
無数の飛龍達による空襲。
その光景は現代人からしてみれば、まさしくこの世の終わりそのものであろう。
だが……古代の戦士達にとっては、なんら気にするほどの状況ではなかった。
、なにゆえか?
この場に、ライザー・ベルフェニックスが立っているからだ。
四天王の一人にして、歴戦の古強者たる老将。その異名は、《難攻不落の絶対防御》。
守備と回復の魔法を特に得手とする彼と、彼が率いる軍勢は今、守護者としての役割を存分にこなしていた。
戦場の後方、小高い丘の頂上にて。
戦の活気を見下ろしながら、ライザーとその軍勢は常時、仕事を続けていた。
防御魔法の遠隔発動である。
降り注ぐ火球に対し、ライザー達は兵士一人一人に対して防護の魔法を掛け続けていた。
そうした働きにより、飛龍達の存在は完全に無力化されている。
恐るべきは、その正確さと集中力。何より、底なしの魔力量であろう。
ライザー軍一万に対し、戦闘に参加する兵の数は八万を超える。
およそ八倍以上の人数に対し、完璧なタイミングで防御と治癒の魔法を遠隔でかけ続けるなど、現代人からすれば想像もつかぬこと。
まさしく、神話そのものであった。
「……なかなかに、見応えのある様相であるな」
己が職務を果たしながら、ライザーは重低音を響かせる。
その鋭き眼光が捉えるは――
圧倒的な戦果を挙げる、鐡の巨人。
それは、巨大であった。
それは、雄々しい物であった。
それは――絶対的に強かった。
見上げるほどデカく、手が付けられぬほど強く、そして。
最高にカッコいい。
まさしくそれは、幼子の妄想そのもの。
《天才にして天災》たる魔法学者、ヴェーダの手による傑作魔導兵器。
その名を、《魔導機兵》という。
デカく、太く、無骨なシルエットを持つそれは、単騎にして万の軍勢に匹敵する。
全身まさしく凶器であり、ただ動いただけで無数の魔物達を蹴散らしていく。
地表を走るリザードマンの群れなどなんのその。
向かい来る巨龍には必殺の破壊光線をお見舞いだ。
絶大にして圧倒的なパワーを発露し、戦場の只中で異彩を放つ超兵器。
その機体内部。操縦席にて。
「ゲヒャヒャヒャヒャ! ワァァァァタァァァシィィィィは、くぁみどぅわあああああああああああああああああああああッッ!」
ヴェーダ・アル・ハザードは超ハイテンションで叫び続けていた。
最新の魔導装置を用いることで、操縦席は三六〇度、戦場の隅々まで目視できるようになっている。そのうえ冷暖房完備。お菓子類も完備。椅子にはマッサージ機能付きと、至れり尽くせりである。
だが、そうした快適性と圧倒的な性能ゆえ、搭乗者に要求される魔力量などのハードルは極めて高く……現状、この《魔導機兵》を十全に操れるのはヴェーダのみであった。
「それいけ爆裂パァ~~~~~~ンチっ! 今だ必殺! ブレスト・ハリケーンっ!」
まさに子供が遊んでいるかのような調子で、魔物の大軍を討ち果たしていく。
鐡の巨人の快進撃はどこまでも……と、そう思われた矢先のことだった。
【ビー! ビー! 敵の攻撃を受けています! 敵の攻撃を受けています!】
警報音が操縦室の中を満たす。
……この魔導兵器には、いくつかの欠点があった。
それは巨体ゆえの機動力のなさ。そして……
巨体ゆえに、小さく速い相手には、対応が難しいのだ。
「え~~っと…………あちゃ~、ゴルド・ワーウルフの群れかぁ。相性最悪だなぁ」
さして慌てた風もなく、ヴェーダは機体表層を駆け巡る敵方の様子を眺めた。
ゴルド・ワーウルフ。黄金色の毛並みを持つ狼人間達の総称である。
その地上における機動性能は、あらゆる魔物の中でもトップクラス。
備えた爪は頑強なる魔鉄鋼さえ、バターのように切断する。
そんな連中が今、巨大な機体の体表を我が物顔で疾走し、装甲板を斬り刻んでいく。
そうした様子に、ヴェーダは依然として、落ち着きを保っていた。
豪胆ゆえ、というのもあるが……
この戦場には、彼女がいるという事実。これが一番大きい。
「速さには速さで対抗すべきだよねぇ~。そういうわけで…………頼んだよ」
小さな笑みを浮かべるヴェーダ。
その瞬間であった。
勝手気ままに機体表面を駆け巡っていた黄金の獣達が、全く同時に両断され、その全てが絶命に至る。
何が起きたのか。現代人は当然のこと、古代人であっても理解できる者は少なかろう。
されど、四天王の一人たるヴェーダにとって、この事態は特別、気にするほどのものではなかった。
「いやはや、さすがさすが」
そう呟く彼女の視線の先には……
今しがた一仕事を終え、すぐさま別の場所へと駆けていく、集団の姿があった。
「相変わらずカッコいいね! オリヴィアちゃん!」
その集団はどこか、異様な空気を放っていた。
黒い。
全身余すところなく、黒一色である。
闇そのものを固めたような、身軽さを是とする装束を纏い、その口元をやはり漆黒の布で覆い隠す。徹底的なまでに黒い、その集団の名は……
人呼んで、《斬魔衆》。
構成員のほどんとは獣人族であり、頭目たる彼女の教えを受けた剣客の集団である。
彼等はまるで漆黒の風の如く疾走し、すれ違う魔物の群れを神速の剣捌きによって斬り裂いていく。
その先頭に立つは、四天王が一。
《史上最強の斬魔士》、オリヴィア・ヴェル・ヴァインであった。
彼女もまた、皆と同様の装束を纏う。
だが、その全身から放たれる風格と威圧感は、他に類をみない。
携えるは魔剣・エルミナージュ。その名は超古代の言語で、断ち斬るものを意味する。
闇色の刀身は彼女の背丈をゆうに超えるほど長く、それでいて、強く当たれば簡単に折れてしまいそうなほど細い。まるで、彼女自身を表したような得物であった。
弟分、ヴァルヴァトスの手によって鍛えられしその魔剣は、森羅万象を両断する。
そこにオリヴィアの剣術と、獣人族特有の技能……魔力消費を伴わぬ身体機能の強化が加わることで、彼女はまさに鬼神と化す。
「……桜花の陣」
ボソリと小さく放たれた命令を受けて、集団が迅速に動く。
一斉に四方八方へと散じ、波紋の如く広がりながら、魔を斬り伏せていく。
一定の範囲まで広がると、頭目であるオリヴィアのもとへ帰り、疾走を続行。
その連携力は、全軍中最優。
全員で一丸となって狩りを行うさまは、まるで狼の群れであった。
その反面――
「はははははは! 行っけぇええええええええええっ!」
かの者達は、オリヴィア軍の真逆を行く。
楽しげな声と共に、すぐ横で攻撃魔法が放たれた。
極太の紫電が一直線に駆け抜け、多くの魔物達が炭へと変じる。
「ぶははははは! 今回の賭けはテメーの負けだなぁ!」
「えぇいクソっ! もうちょいだったんだけどなぁっ!」
地獄のような戦場には不似合いの、遊戯に興じる子供のような笑い声。
そちらを見やると――
「しゃあねぇ! 罰ゲーム行ってくるわ!」
一人の兵が仲間のもとを離れ、単身、魔物の群れへ突っ込むと、
「ひゃはははははは! 人間爆弾ってか!」
大声で笑い叫びながら……
魔法の力により、己の肉体を内側から爆裂させた。
膨大な超高熱が広がり、無数の魔物達を巻き込んでいく。
そんな様子に、自爆した兵の仲間達は腹を抱えて笑っていた。
「……類は友を呼ぶとは、まさにこのことか。狂人共め」
戦場に転がっているのは、なんであろうか?
人によっては、悲劇と答えるだろう。
人によっては、恐怖や苦痛であると答えるだろう。
いずれにせよ、マイナスの意味を持つ言葉が並べられることは間違いない。
されど。
彼等にとっての戦場は、そうした悲観的な現場ではなかった。
アルヴァート・エグゼクス率いる軍勢にとって、戦場とは。そして、戦とは。
極上の遊び場である。
「よっしゃ、次は首切りゲームな!」
「えー、やだよ、お前相手にそれやるの。絶対お前が勝っちゃうじゃん」
周囲の怒号や破壊音、悲惨を極めた光景の中、彼等だけは楽しげに笑っていた。
陣形、なし。
戦術、なし。
連携、なし。
目的……楽しけりゃなんでもいい。
アルヴァートの軍勢は今回もまた、好き勝手に散らばり、好き勝手に戦い、そして。
好き勝手に死んでいく。
皆、ゲラゲラと、楽しそうに笑いながら。
そうした様相を、アルヴァート・エグゼクスは中空に浮かびながら眺め続けていた。
「嗚々、我が同胞達よ、楽しそうで何よりだ。しかし……吾はそんな貴君等が羨ましくて仕方がないよ。まさか、ここまで退屈だとは思いもしなかった」
彼とて、先程までは獅子奮迅の如き活躍を見せていた。その働きぶりは万の軍勢に勝るものであろう。だが……あるタイミングを境に、彼はピタリと動きを止め、戦いを放棄するかのように中空へと浮き上がった。
理由は一つ。
飽きてしまったのだ。
魔物を相手取っての戦いに、飽き飽きしてしまったのだ。
「やはり、畜生風情では燃えてこない。戦いとは究極のコミュニケーションであるからして、そこに両者の愛がなければならぬ。だが、かような魔物達相手では愛など育めるわけもなく……嗚々、これではまるで、虚しき自慰行為ではないか」
芝居がかった口調で、大仰に嘆いてみせると。
アルヴァートは飛龍によって埋め尽くされし天空を仰ぎ見ながら、叫んだ。
「されどこのアルヴァート! 面白くないことを面白く、というのが信条の一つ! ゆえに退屈過ぎる現状へテコを入れ! 見事に面白いものへと変えてしんぜようッ!」
その中性的な美貌に狂的な笑みを浮かべ、両腕を大きく広げてみせる。
そして――
「《《我、混沌の中で産まれ》》《《怨嗟と共に生き》》《《末期に虚無を抱きし者なり》》」
彼の周囲に、複数の幾何学模様が現れては消え、現れては消え――
その度に、一つの術式が完成へと近づいていく。
「《《我が生涯に意味はなく》》《《無為を極めし末路なれば》》《《ゆえに我はせめて》》」
ここまで詠唱が紡がれた途端。
戦場のあらゆる存在が、人も魔も関係なく、上空を見上げた。
アルヴァートという怪物へ、視線を集めた。
その一瞬。
戦場から闘志が消失し、敵味方を問わず、奇妙な団結感で結ばれた。
皆の意思が、一つにまとまる。
即ち――
あのバケモノを、止めなければ。
早急に止めなければ、恐ろしいことになる。
だが、そんな危機感を抱く彼等を歯牙にもかけず、最強にして最狂の戦士・アルヴァートは、詠唱を――
「《開け、獄門》」
続行する最中のことだった。
何処より声が飛来し、次の瞬間――
アルヴァートの周囲に、複数の黒点が顕現する。
途端。
「ふはんっ! やってくれるじゃあないか!」
狂笑を深めながら詠唱を中断し、すぐさまその場を離れる。
刹那、黒点より絶大な吸引力が生じ、天空を飛び交う飛龍達が瞬く間に吸い込まれていく。もし僅かでも逃げるタイミングが送れていたなら、アルヴァートもまた同じ運命を辿っていただろう。
「ククククッ……! やはり貴公の愛情表現は過激で素敵だよ、我が主」
アルヴァートは視線を泳がせ、遙か遠方を見やりながら、愛おしげに呟くのだった。
「……チッ。避けられたか」
戦地より遙か後方。
本陣の只中にて、簡単な拵えの椅子に座りながら、ヴァルヴァトスは舌打ちした。
絶世の美貌には苦渋が刻まれており、見るからに不機嫌といった様相である。
その原因は、一人の馬鹿、変態、戦闘狂。
つい先刻、状況も顧みず危険な手札を切ろうとした、愚か者であった。
「あのクソバカタレが。やはり暴走しおった。これだから嫌なのだ、奴を戦列に加えるのは……! あぁもう、胃が痛くてかなわぬ……!」
美しい眉間に縦皺を刻みながら、貧乏揺すりを繰り返す。
そんなさまもどこか画になるほど、ヴァルヴァトスという人間は美麗であった。
そうした美王に仕えし側近の一人、薔薇の騎士・リヴェルグは苦笑しつつ、
「さりとて我が君。アルヴァート殿とその手勢がおらねば、戦線の維持も難しいでしょう」
「あぁ、そうだな。その通りだとも。奴等、力量だけは我が軍でも最強だからな。……まったく。なにゆえ天は、あのような頭がおかしい奴等に力を与えたのか……」
大きくため息を吐く。
と、ヴァルヴァトスはそこで落ち着きを取り戻したようで、
「……リヴェルグよ、戦況をどう見る?」
「は。拮抗状態かと」
「即ち、最悪というわけだな」
答えは返ってこない。それが何よりの返答であった。
「魔物の数自体は問題にならぬ。だが厄介なことに……減らしても減らしても、尽きることがない。まさしく無限の軍勢か」
減らしても減らしても、その度に新たな魔物が発生し、数が一向に減少しない。
それがいかなる術理によるものか、ヴァルヴァトスを以てしても理解できなかった。
「日中に終わらせると予告したわけだが、さて、どうなるかな」
「……何か、城に繋がる秘密の出入り口でもあればよいのですが」
側近が漏らした言葉に、ヴァルヴァトスは苦笑した。
「それがあったとしても、我等には見つけられんだろうよ。名の通り、秘密の出入り口、なのだからな」
ともあれ、状況は芳しくない。
このままではいつまで経っても、敵城へ近づくことさえ叶わないだろう。
こうした状況を打ち破るような者がいるとしたなら、やはり……
「うぉらぁあああああああああああああああッッ!」
頭に一人の女を思い浮かべた矢先、当人の雄叫びが、遠方たるこの地にまで轟いた。
「あ、あいも変わらず、凄まじい声量ですな」
「……ふん」
頬杖をつきながら、鼻を鳴らす。表向き、不機嫌そのものといった顔だったが。
その内面では。
(頼むぞ、リディア)
親友の雄姿と活躍に思いを馳せ、美王はこっそりと笑みを漏らすのだった。
《勇者》・リディアが率いる軍勢は、一見するとバラバラに動いているように見える。
規律もなく、整然としておらず、まるで素人のような動き。
だが、それは稀代の天才軍師にして、《最賢の勇者》と呼ばれし少女による、高度な用兵術なのだった。
その中心格として扱われる遊撃部隊……リディアを隊長、シルフィーを副隊長とするそれは、まさしく激烈な活躍ぶりを見せていた。
リディアが聖剣・ヴァルト=ガリギュラスを振るえば、一太刀にして無数の魔物が両断される。それに負けじと、シルフィーも魔法や剣術で以て、次々と敵方を薙ぎ倒していく。
そんな奮闘の中で。
シルフィーは唇を尖らせながら叫んだ。
「あぁもう! しんどいのだわっ! アイツがいたらもうちょびっとは楽ができるのに!」
アイツ、とは、この場にいない彼のことだろう。
アード・メテオールという名の、少年のことだろう。
……この時代におけるシルフィーは、それほど長い時間、彼と過ごしたわけではない。
元の時代の彼女とは違い、特別な感情は持っていなかった。
しかし……この時代のシルフィーもまた、アードの実力は認めている。
だが、そうであるがゆえに、彼がここにいないということが腹立たしかった。
「進軍中にどっか行くとか! 絶対! ありえないのだわっ! まさか、怖じ気づいたんじゃないでしょうねぇっ!?」
魔物を斬り刻みながら、叫び散らすシルフィー。
彼と肩を並べ、戦果を競い合いたかったというのに。なんだか、無性にイライラする。
そんな彼女にリディアは苦笑しつつ、
「ま、あいつにもやるべきことがあるんだろうさ。……んなことより」
そう前置くと、彼女は瞳を鋭くさせて。
「……どうにも、妙な動きしてやがんなぁ」
おそらく、彼女にしかわからぬ呟きを口にすると。
その場より東の方角を見やり、これまた、彼女にしか理解できぬ言葉を紡ぎ出した。
「やっぱ、こうなったか」
◇◆◇
アラリア平野西部、滅亡の大地。
その名は現地の有様と特殊性、そして歴史に起因する。
ここ一帯は古代よりもさらに前、超古代と呼ばれし頃、巨大な戦の舞台と場所だ。
方や、超古代の世界を支配していた謎の存在、《旧き神》。
方や……これまた謎多き超越者、《外なる者達》。
二大巨頭の激しいぶつかり合いは、この土地に多大な影響をもたらした。
いかなる原理が働いているかは不明であるが、この土地には軽度の呪詛が漂い続けており、普遍的な生物は足を踏み入れただけで死に至る。
俺のような魔法抵抗力の高い人間であれば、特別どうということもないのだが……
この滅亡の大地はまるで、世界の全てを憎むかのように、あらゆる存在を拒絶する。
ゆえにこの地にあるのは、滅びの光景のみ。
即ち……地平線の彼方まで続く、寂寞とした荒野である。
まさしく殺風景を絵に描いたような場所で……
俺は、もう一人の自分と再会した。
ディザスター・ローグ。
奴は変わらず、全身を暗黒の鎧で覆い隠しており、その表情は窺い知れない。
遠く離れた戦地の状況を思い、焦燥感を抱いているのか。
あるいは、何らかの策略を巡らせつつ、ほくそ笑んでいるのか。
いずれにせよ。
俺も、奴も、すべきことはただ一つ。
「……答えを、聞かせてもらおうか」
腹に響くような声だった。
その問いかけに対し、一度深呼吸してから、
「俺は――」
数日ほど待たせていた答えを。
導き出した結論を。
ハッキリと、口にした。
「俺は、リディアを救わない」




