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第五五話 元・《魔王》様、答えを見出す

 結局、一睡もできぬまま夜が明けて……

 部屋にノックの音が鳴り響いた。


「……失礼します」


 ラティマの声である。静かなそれが耳に入ってからすぐ、彼女が入室した。


「本日も、起きておられましたか」


 普段ならば、ここで「世話のし甲斐がなくて申し訳ありません」などと、苦笑しつつ返すのだが。今はとても、軽口を叩く元気がない。

 しかしラティマはそんな俺の様子に関心を示すことはなかった。


「朝餉のご用意ができております。食堂にご足労ください」


 淡々と、事務的に告げてくるラティマへ、俺は首肯だけを返して立ち上がった。

 そして彼女に従うような形で、後ろをついていく。

 ……その道中。


「ラティマさん」


 なぜ、声を出したのか。俺にもわからない。

 気付けば、彼女の背中へ問いを投げていた。


「もし……リディア様と自分を天秤にかけるときが来たとしたなら。貴女は――」


「愚問ですね」

 ぴしゃりと、叩き付けるような声音だった。


「わたしは、リディア様のためならばなんでもいたします」


 淀みのない、堂々とした断言であった。この娘は本気で、リディアのためならばどのようなことでもすると言っている。

 ……それに反して、俺はなぜ、迷っているのだろう。

 結局、答えは見つからぬまま食堂へ到着し、広々とした空間の中、皆と食卓を囲む。


「今日もラティマの飯は美味ぇなぁ~!」

「……恐縮です、リディア様」

「おかわりだわっ!」

「ほんっと、よく食べるわねぇ、あんた」

「ふふんっ! 育ち盛りだものっ!」

「……育ち盛り?」

「あによ、ジニーっ! 言いたいことがあるなら言ってみるのだわっ!」

「いえ、なんでも~。育つといいですわね~。……主に胸が」


 わきあいあいとした朝の光景。

 イリーナもジニーも、既にこの時代のシルフィーと馴染んでおり、現代でのそれと同じような関係を築いていた。

 そんな中……

 俺はといえば、一言も喋る気になれず、黙々と料理を口に運んでいた。

 ……味がしない。

 舌に神経が通っていないような感覚だった。

 それも全ては、昨夜の出来事が原因だろう。


『その思いをッ! そのまま伝えてやればッ! あんなことにはならなかったッ!』

『俺と共に、最後の罪を犯す覚悟を決めろ』


 そうすれば、リディアを救うことができる。そして……俺は、自らの罪を精算できる。

 それ以外に、贖罪の方法はない。

 ……なのに、なぜ俺は迷うのだろう。

《魔族》だけでなく、無辜の民さえも殺さねばならぬからか?

 それとも……俺は、リディアを手にかけたことに対し、ローグほどの罪悪感を覚えていないのだろうか。


 ……そうかもしれない。


 不意に、以前、ジニーと交わした会話が脳内に蘇る。

 学園祭が終了してからすぐのことだった。


『アード君は、《魔王》様、なんですか?』


 この問いに、俺は即答した。いいえ、違います、と。

 その声には無意識のうちに刺々しさが宿っていて、自分でもなぜ、そこまで感情敵になったのかわからなかったのだが……ローグ(もう一人の自分)と出会うことで、理解できた。


 俺は、逃げたかったのだ。《魔王》という称号、即ち……己の過去から、逃げたかった。

 己が犯した罪を忘れて、アード・メテオールという別人の人生を、歩みたかった。

 ヴァルヴァトスとしての人生とは違って、アードとしての人生は、楽しいことばかりで。


 だから。


 ……あぁ、まったく。我ながら反吐が出る。俺はここまで自己中心的な男だったか。

 親友を殺しておいて、それでもなお救われたいとは。

 あまりにも勝手な話だ。唾棄すべき思考だ。

 ……そんな自分勝手さゆえに、俺は迷いを抱いているのだろうか。

 思索を重ねれば重ねるほど、自己嫌悪が強まっていく。

 と――


「よぉ、アード。お前、今日ヒマか? ヒマだよな?」

「えっ」

「今日一日、オレに付き合え。いいな?」


 当惑と共に、リディアの顔を見やる。

 ……澄み切った瞳が、こちらを射貫いていた。

 まるで何もかもお見通しといったその目に、俺は表現しようがない、複雑な感情を抱く。

 が、なんにせよ。


「……わかりました」


 断るということは、できなかった。



 ……朝餉を終えた後、リディアは早速、俺の手を引いて街へと繰り出した。

 王都・キングスグレイヴの活気は、前線都市・エーテルのそれとは比にならない。

 なんの誇張もなく、古代世界でもっとも栄えた大都市。その只中を、俺はリディアと共に歩き……


「おぉっ! そこのお嬢さん! 今晩オレと情熱的な夜を過ごしませんかっ!?」


 ……色情魔、もとい、リディアがナンパする光景をさんざん見せつけられた。

 挙げ句の果てに。


「おう、アード! お前もやってみろよ! 女遊びの一つもできねぇようじゃ、一人前の戦士にゃなれねぇぞっ!」


 無理やりナンパをさせられ……


「なんでオメーばっかモテてんだよっ! ふざけんなっ!」


 理不尽な暴力を振るわれた。貴様がふざけんな。

 ……なんだろうな。

 俺は本当に、なぜ、こんな奴を親友だと思っているのだろう。


「クソがっ! こうなりゃ大食いで勝負だっ!」


 こんな、子供がそのまま大人になったような馬鹿が。


「こ、今度は、アレだ……か、かけっこで勝負だ……ぐぇっぷ」


 こんな、まったくウマが合わん奴が。


「あ~も~! 一回ぐらい負けろよテメェ! 性格悪すぎだろ、この大馬鹿野郎っ!」

「……負けるたびに殴るのやめてくれませんか」


 こんな、性格が悪すぎる大馬鹿野郎のことが。

 なぜ、こんなにも好きなのだろう。

 ……無性に腹が立ってきたので、殴り返してやった。


「ぐぇっ!? テ、テメェ……! 乙女の顔面にグーパンとか最低だな、おいっ!」

「乙女? どこに乙女がいるのです? 私の目には野蛮なメス猿しか映ってはいませんが」

「ハハハハハハハッ! ブッ殺すッッ!」


 くだらぬやり取りを応酬し、周りのことも考えず、殴り合いの大喧嘩。

 まったく、本当に腹が立つ。

 こうも気に食わん奴は、どこにもいなかった。

 こうも真逆な人間は、どこにもいなかった。

 そして何より……

 こんなにも無遠慮に接してくれる奴は、どこにもいなかった。


「うぉらぁっ!」


 無駄な思考が徒となったか、普段なら躱せる拳を避けらず……

 まともに顔面を打たれた俺は、そのまま大通りのド真ん中にて、大の字に倒れ込んだ。


「しゃあっ! オレの勝ちぃっ!」


 得意げな顔をしやがりながら、無駄にデカい胸を張りやがる馬鹿。

 そのキラキラした顔が、無性に憎らしい。

 ……あぁ、本当に、憎ったらしい奴だ。


「これでオレの全戦全勝だなっ!」

「……なにを言ってるんですか? 依然として貴女の負け越しですよ?」

「うっせぇ! 喧嘩で勝った奴が全勝扱いになんだよ! 今オレが決めた!」

「……馬鹿だろお前」


 思わず素が出てしまったが、もう、どうだってよかった。

 どうせ、何もかも見抜かれているのだろう。

 俺が普段、アード・メテオールという人格を演じていることも。

 俺が、苦悩していることも。

 ……なんだかムカムカしてきたので、足払いをかけてやった。


「うぉっ!?」


 見事に命中。舗装された地面へ、顔をしたたかに痛打するリディア。ざまぁみろ。


「テ、テメェ……! きったねぇぞゴラァッ!」

「直撃を食らった貴女が悪い」


 そんなこんなで、第二回戦が勃発し……


「はぁ、はぁ、私の勝ち、ですね。これで、私の全勝です」

「なぁに言って、やがんだ、馬鹿野郎……こんなん、ノーカンだ、ノーカン……」


 互いにボコボコとなった顔面を晒しながら、醜く言い争う。

 そんな様相は、第三者の目にどう映っているのだろう。

 ……随分と間抜けな奴等だと思われているのだろうな。

 あぁ、なんて、馬鹿馬鹿しいことをしているのだろう。

 そう思うと、なんだか笑えてきた。


「ふ、ふふ……」


 どうやら、対面の馬鹿も同じことを思ったらしい。


「ははははは……」


 ひとしきり笑うと、リディアは大きく息を吐いて、


「どうよ? モヤついた気分は、吹っ飛んだか?」


 真っ直ぐな目で、こんなことを言ってきた。

 ……やはり、見抜かれていたか。


「馬鹿のくせして、本当に勘だけは鋭いですね、貴女は」

「うっせぇ。…………で、どうなんだよ?」


 俺は首を横に振りながら、返答した。


「……失ったものを、大切な人を取り戻す代わりに……自分の全てを犠牲にしなければならないとしたら、貴女はどうしますか?」


 これだけでは、わけのわからぬ問いであろう。誰も、俺の心理を理解できないだろう。

 だが……リディアはまるで、出来の悪い子供に呆れたような顔をしながら、


「お前、飛行魔法は使えるよな?」

「……それが何か?」

「ついて来いよ、見せたいもんがある」


 そう述べると、奴は宙に浮いて……

 憎たらしいほど青い晴天へと、飛翔したのだった。


 天を駆けること数時間。青々とした空が、オレンジ色へと変わりつつあった。

 リディアの後ろに付いて、天空の只中を飛びながら、俺は思索する。

 先程の問いに、彼女がすぐさま頷いてくれたなら、迷いが僅かながらも払拭されたかもしれない。……もう一人の自分と共に、真の意味で《魔王》と呼ばれることについて、決意を固めることができたかもしれない。


 あらゆるものを失い、それでもリディアだけは救い出し……

 最後は、彼女の手によって斃される。


 そんな未来を、承知できたかもしれない。だが、リディアは首を縦には振らなかった。


 なにゆえか。

 そう考えた矢先のことだった。


「英雄だの、《勇者》だのと呼ばれちゃいるがな、オレぁそんな、ご大層なもんじゃねぇ。いや、むしろ……そう呼ばれているってこたぁ、つまり、しょうもねぇ人間の証ってことなのかもしんねぇな」


 夕暮れの中、ポツリとリディアが呟いた。

 どういう意図で紡がれた言葉なのか、その真意を問う前に、


「……着いたぜ」


 言うや否や、リディアは降下を始めた。

 俺もそれに従って……地面へと降り立つ。

 そこには、廃墟だけがあった。

 以前まで、この地は立派な城郭都市として機能していたのだろう。

 それが今や、建造物の多くは原型を留めておらず、人はどこにもいない。


「ここは……」

「オレが犯した罪、そのものさ」


 苦々しい顔をするリディア。

 その直後のことだった。

 我々の周囲に、突如として大量の黒いモヤが発生し……

 それらが、髑髏を形作っていく。


「……死者の末声(ゴースト)?」


 人間は死した際、誰もが思念を発するものだ。

 その思念があまりにも強かった場合、それは思念体としていつまでも場に留まり続けることになる。

 死者が最後に放った意思の奔流。それが、死者の末声(ゴースト)である。

 そして奴等は――

 死してなお残る、己が情念を発露した。


「リディ、アァアアアアアア……!」

「悪魔、悪魔、悪魔ぁああああああ……!」

「わたしの子を返せぇええええええ……!」

「地獄へ落ちろぉおおおおおおおお……!」


 それらは皆、リディアへの憎悪だった。リディアへの、殺意だった。

 彼女の周囲で渦を巻きながら、呪詛の念を撒き散らす死者の末声(ゴースト)

 だが、奴等は実体を持たぬ思念体。ゆえに生者へ肉体的な影響を及ぼすことはできない。

 されど……心は違う。

 リディアは辛そうな顔をして、呟いた。


「やっぱキツいなぁ。向き合わなきゃいけねぇってわかっていても、ついつい、逃げたくなっちまう」


 その顔は、今にも泣きだしてしまいそうで……

 俺は無意識のうちに、声を出していた。


「これは、いったい……」

「さっきも言ったろ。オレが犯した罪そのものさ。ここはかつて、《魔族》だけが住まう都だった。で……オレ達ゃ昔、ここを襲ったんだ。戦略上、ここは要地だったからな。なんとしても、取らなきゃなんねぇ場所だった」


 懺悔するような面持ちで、リディアは言葉を続けた。


「城や将兵を落とすのは、簡単だったよ。だが……占領は難しかった。民間人が言うことを聞かねぇどころか、夜襲をかけてきて……」


 震える声で、リディアは結末を述べた。


「オレ達は、民間人を皆殺しにした。女子供も関係なく、一人残らず殺し尽くした。……そうしなきゃ、仲間が犠牲になる。だから、最善の行動を取った」


 とうとう、リディアの瞳に涙が浮かびだした。

 その表情には、強い後悔の念と自己嫌悪が宿っていて……

 コイツのこんな顔は、初めてだった。

 いやそもそも……こんな話を聞かされたのも、初めてのことだった。

 ……見ていられない。

 そう思った俺は、助け船を出そうとするが、


「相手は皆、《魔族》だったのでしょう? それならば――」

「仕方ねぇってか? 殺しても罪じゃねぇってか? ……オレぁ、とてもじゃねぇが、そうは思えねぇよ」


 リディアは、拒絶した。

 己を許すためのあらゆる言い訳を、拒絶した。


「人間と《魔族》、どこが違うんだ? 人間は《魔族》をバケモノだと思ってるよな。魔物と変わんねぇ、おぞましい奴等だと、そう信じて疑わねぇよな。……オレも、昔はそうだったよ。でも、それは間違いだと気付いた。人間も《魔族》も、根っこは同じなのさ」


 だから。

 リディアはそのように前置いて、絞り出すように、こう言った。


「オレぁ、ただの人殺しなのさ。それを自覚してなお、これからも自分の手を汚し続ける。……真にバケモノと呼ぶべきなのは、オレ等みたいな存在なんだろうよ」


 そんな結論に、何かを言い返したかった。

 お前はバケモノなんかじゃない。

 大義のために、仕方なくやったことだろう。

 お前だけが背負う罪ではない。

 気にしたって、しょうがないことだ。


 ……だが、あらゆる言葉は、喉元を通ることなく消えていった。


 誰かの慰めや、赦しなど、リディアは求めてはいない。

 もはや彼女は……一つの結論を、導き出しているのだから。


「オレぁな、自分の死に方を決めてんだよ。戦って、戦って、戦い抜いて。人間が誰にも脅かされず、できれば……《魔族》も一緒になって、皆が悲しまずに済むような世界を作ったら……そしたらな、できるだけ無惨に、のたれ死のうと思ってんだ」


 それが唯一、オレがオレ自身を許す方法なのだと。

 リディアは、そう語った。

 その目は透き通っていて、迷いが微塵もなく……

 あらゆる反論を、あらゆる反対を、完全に封殺するような……

 俺からすれば、酷く残酷な目だった。

 何も言えず、ただ呆然とすることしかできぬ俺に対し、リディアは「ふっ」と微笑んで、


「オレにはな、誰かが自分の信念を曲げたり、あるいは自分を犠牲にしてまで救い出すような価値なんかありゃしねぇし……どんな末路を迎えたところで、誰も、気にする必要なんざねぇんだよ」


 そんなことは、ない。

 そう反論したくても、できなかった。

 もはや何を言っても無駄だと、わかってしまったから。

 リディアはこういうとき、頑として己を曲げることはない。

 彼女の自己嫌悪と罪悪感、それに伴う目的意識は……

 彼女の中で、信念へと変わっている。

 だから。


「……私達の気持ちは、どうなるのですか? 貴女に、そんな死に方は……!」


 子供のような駄々を、こねることしかできなかった。

 リディアはそんな俺の頭を撫でながら、諭すように言う。


「どうあっても。罪は償わなきゃいけねぇのさ。少なくとも、オレはそうしなきゃ……胸張って死んでけねぇんだよ。生き方も大事だが、死に様はもっと大事だと、オレは思ってる。だから……」


 奴は真っ直ぐに、俺の目を見た。

 やはりその瞳は、何もかもを見通しているようで。

 事実……奴は全てを感知しているのだろう。

 そのうえで、リディアは言った。


「オレの死に様を、変えようとはしないでくれ」


 満面に浮かぶ笑みは、どこか寂しげで。

 俺を見る目は、どこか申し訳なさげで。

 だが……決して、己の意思を曲げるつもりはないと、表明しているかのようだった。

 ……リディア。

 それが、お前の願いだというなら、俺は……!


 暮れなずむ空の下。

 リディアが犯した罪の証が、呪詛の念を吐き散らす中。

 俺は拳を握り固め……


 見出した答えを、噛みしめるのだった。


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