第五三話 元・《魔王》様と、もう一人の《魔王》
風雲急を告げる展開を受けて、事態は慌ただしく進行していった。
《魔王》が去ってからすぐ、我々は自陣へと帰還。友軍は依然として《魔族》と交戦中であったが、リディアはもはや続行する意味はないと判断し、全軍に撤退命令を出した。
残された《魔族》達は突然の撤退に当惑しただろう。……これから先、一層強い当惑が襲ってくるとも知らずに。
撤退後の行動も迅速であった。
リディアは撤退中に主要メンバーに状況説明を済ませ、書状をしたためると、王都へ早馬を出した。
ヴァルヴァトスは書状を受け取り、現状を把握。
その結果、緊急大会議が開かれることになった。
さて現在。
我々は王都・キングスグレイヴ中央に居を構えし王城、《キャッスル・ミレニオン》の会議室にて、円卓を囲む一員となっている。
気安い議論などであれば、寝台に寝転がりつつ、飲食などしながら行うのだが……
此度の論題はあまりにも重大ゆえ、厳粛な身構えで臨まねばならない。
よって大会議では大型の円卓を皆で囲む形で、議論を進行する。
場には既に、我が国の中枢を担う主要たる面々が着席していた。
まず、武官の最高峰たる四天王。
我が姉貴分たるオリヴィアは、いつも通りのムッツリ顔であった。
老将ライザーは四天王の頭目として、まさに年月を積み重ねた巨木の如くどっしり構えている。
天災にして天才、魔法学者ヴェーダは退屈げに、持ち込んだ菓子類をボリボリと貪っていた。
そして戦闘狂のド変態にして、我が軍の切り札、アルヴァートはといえば……
「フフ……まさか、こうも早くに再会できるとは。ロマンチックな運命というものを感じずにはいられぬよ。貴君もそうだろう? アード・メテオール」
わざわざ俺の隣に座り、さっきからずっと耳元で囁いている。
こいつがそんなことするもんだから、我先に俺の隣へ陣取ろうとしたイリーナちゃんが先を越されて複雑そうな顔を見せ、ジニーに至ってはアルヴァートの威圧感にビビりまくり、涙目となりながらプルプルしている。
……そんな我々に懐疑的な視線を向ける者が複数。
その代表を務めるようにして、一人の男が口を開いた。
「どうにも、場に相応しくない者達が着席しているようですが?」
特にこれといった個性がなく、一見すれば凡夫のように感じられる男。
しかしながら彼は、若き新鋭にして文官の最高峰、七文君の座に名を連ねる頭脳派だ。
……こいつの顔を見るのも随分と久しいな。思わず懐かしさを覚えていると、
「彼等はヴェーダ卿とリディアのお気に入り。特にアード・メテオールの力量は我々と比較しても遜色ない。様々な要素を加味すると、この場に相応しくないという評価は不当」
淡々と述べたのは、リディア軍から出席メンバーに選ばれた一人。
その容姿は、シルフィーと同様、年端もいかぬ少女である。されど奴とは違い、その佇まいからは理知的な印象を受ける。
実際、この眼鏡の少女は《最賢の勇者》と呼ばれし、リディア軍の主要なのだ。
史実では先の戦にて悲劇的な末路を遂げているのだが……《魔王》による歴史改変により、幸いにも生き延びたことで、この場に着席している。
他にも、本来なら死去しているはずの勇者達が存命の状態で一堂に会し、《最賢の勇者》が出した言葉に同意の念を示している。
そんな彼等に七文君の面々が不快げに顔を歪め、
「……そもそも、なにゆえ、愚昧な客分風情がこの場に着席しているのか。そのことからして理解しかねるわ」
この一言はリディア軍の面々を強く刺激するものだった。
殺気立つ数名の主要格。だが、リディアはあっけらかんとした調子で、
「だなぁ。アンタの言う通りだよ。ぶっちゃけ、立場的にはオレ等、ここにいるようなもんじゃねぇし」
リディア達の立ち位置というのは、なかなか難しいものだ。
我が軍の一員ではあるが、決して主従関係ではない。
元々、リディアが率いる軍勢は、彼女が立ち上げた反乱軍であった。
それをかつての俺が客分として引き入れたのだ。
そう、配下ではなく、客分。
同じ志を胸に抱く盟友として、対等な立場を保証したうえでの引き入れであった。
ゆえに彼女等は、原則として我々の命令を聞く必要がない。にもかかわらず、権限だけは四天王や七文君と同格かそれ以上。
そんな現状に反発する者は少なくない。また……時には戦略だけでなく、局地戦における戦術をも決める七文君達にとって、緻密に練り上げた戦術を台無しにするような脳筋馬鹿……即ちリディアという女の存在は、まさに不愉快の極みであろう。
「……かような自覚があるならば、早急に退席なさってはいかがか?」
「いんや、そうもいかねぇんだよなぁ。なんせほら、ヴァル公の奴、オレがいないと寂しくてなんもできなくなるし。なぁ?」
ふざけた調子で、過去の俺に笑いかける。
それに対し、ヴァルヴァトスは大きなため息を吐いて、
「七文君よ、諸君等の感情は理解できる。客分という立場であれば元来、此奴等に出席の資格などあろうはずもない。されど、此奴等は我が軍における一種の切り札になりつつあることは、諸君等も認めるところであろう」
「それは、そう、ですが……」
「納得できぬというのもわかる。だがここは、俺の顔に免じて収めてはくれぬか?」
……過去の俺としては、真摯に訴えかけたつもりなのだろうな。
だが実際、第三者の目で見ると……歴史上最高峰の可憐さを持つ者が、愛らしくおねだりをしているような様相にしか見えん……!
「へ、陛下がそのようにおっしゃるのならば、わ、我々は従うのみにございますッ!」
「む、むしろ、くだらぬことで時間を浪費したこと、深く謝罪させていただくッ!」
どいつもこいつも、本当に素直だった。
当時の俺は配下達の従順さについて、こちらに対する畏怖の表れだと考えていたのだが……もしかすると、それだけではなかったのかもしれぬ。
だって七文君の奴等、まるで恋する少年少女みたいな目をしておるもの。
……ともあれ。
「あぁ、それと。ついでに言っておくが……アード・メテオールとその付き人、二名の少女に関しても、俺はこの場に出席するに相応しいと考えている。特にアード・メテオールは《最賢の勇者》が評した通りであるし……二名の付き人たる少女は、場に華やかさをもたらすゆえ、な」
「ハハッ! 違いねぇや! たまにゃあいいこと言うな、ヴァル公!」
呵々大笑しながら、隣に座るジニーの肩へ腕を回すリディア。
過去の俺が発した最後の言葉は、緊張した場を和ませるための冗談だと、着席する面々のほとんどが受け取ったようだが……
俺は見抜いているぞ。奴の言葉は半ば以上、本気だということをな。
過去の俺よ、貴様は今、非常に穏やかな目を二人に向け、安心させようとしているようだが……それは親切や慈悲でなく、下心によるものであろう?
何せ貴様、女っ気がこれっぽっちもないものな。
当時ずっと、「なぜ俺は、女人に避けられてしまうのだ……?」とか、「男友達も欲しいが、それ以上に女友達が欲しい。同性の友人より異性の友人の方が、なんとなしにランクが高いような気がする……!」とか、そんなことばっかり考えていたよな。
残念ながら、貴様の好きなようにはさせんぞ。
この二人は俺の友達なのだからな。
そもそもこの二人、貴様に対して畏敬の念は抱いても、友愛の念など向けはせぬ。
そのままずっと友達がいないまま、寂しく過ごすがよいわ。
……なんだか、言ってて悲しくなってきた。
「さて。ではもうそろそろ、会議を本格的に始めるとしよう」
かつての俺、ヴァルヴァトスが厳かにそう告げたことで、場に再び緊張感が漲る。
「まず、断言しておこう。此度の一件を受け、俺は《魔王》に対する認識を改めることにした。これまでは危険分子と捉え、最優先の討伐対象とはしてこなかったが……宣戦布告を受けては、そういうわけにもいかぬ」
「ということは、我が主よ。次なる戦を、《魔王》討伐戦と考えてもよろしいか?」
にこやかに問いかけてきたアルヴァートに、過去の俺は小さく首肯する。
「そうだ。奴が取った土地……アラリア平野西部、大都市アマダムを中心とした一帯は、我々の目的たる大陸支配を達成するための要地。なんとしてでも奪わねばならぬ」
「……《魔王》はもはや、わたし達の覇道を邪魔する存在になったというわけか」
オリヴィアの厳然たる声音に、ヴァルヴァトスは肯定を返す。
「然り。それゆえ、叩き潰す。しかしながら……油断も慢心もありえぬ。此度の一戦は我が軍の総力を以て臨み、その日中に全ての決着を付けるものとする」
この意思表明に、場がざわめいた。
しかしながら、老将ライザーは泰然自若とした構えのまま、
「全軍ということは……我等四天王を皆、一つの戦地に投下されるおつもりか?」
「貴様等のみではない。今回、戦地にはこの俺も出陣する予定だ」
今度のざわめきは、先刻の比ではなかった。
「クハハハハハ! 我が主よ! 吾の聞き間違いかな!? 貴公は今、御自ら出陣なさるとおっしゃったように聞こえたのだが!」
「貴様の聴力は正常だ、アルヴァート。此度の戦、久方ぶりに俺が総指揮を執る。場合によっては……戦闘行動に参加することもあるだろう」
この返事に、アルヴァートは感極まったか。俺の隣でわなわなと震えた末に。
「フハハハハハハハハハハハ! それはいい! まっこと素晴らしい! 陛下が出陣なさるというならば、このアルヴァート・エグゼクス、半端くたな戦働きはできませぬなぁ!」
何がそんなに楽しいのか、さっぱりわからん。やはりこの戦闘狂は頭がおかしいわ。
「ハッ! いつ以来かねぇ、お前と肩ならベて戦うなんざ」
「むむむむ……! ア、アンタの出る幕なんか、これっぽっちもないのだわ! 《魔王》なんか、アタシがよゆーでブッ倒してやるんだからっ!」
「四天王の一挙投下とは、随分と思い切ったことをなさる」
「……わたしは、従うのみだ。今までも、これからも、な」
武官達が各々反応を見せる。そのおおよそは好意的なものだったが。
「お、お待ちくだされ!」
七文君の面々は、総じて反論の声をあげた。
「四天王の一挙投下などしましたら、各地の守備が崩れまする!」
「然り! なにゆえ四天王を東西南北、四方に分散配置なされたか、お忘れですか!?」
「抑止力が消失したならば、抑え込んでいた敵勢力が一挙にして襲いかかってきますぞ!」
これについて、ヴァルヴァトスは粛然とした様子で応答する。
「諸君等の意見はもっともだ。ゆえに、一日で決着を付けると言ったのだよ。これまで四天王達は、抑止力として十分以上に働いてくれた。敵方も一日やそこらならば、その不在について、なんらかの奇策ではないかと疑ってくれるだろう」
もはや決定事項である。そのような意思を感じさせる言葉に、七文君は反論できなかった。しかし、その代わり……
新たな意見が提示される。
「我等が陛下は、無敵の存在であると確信しておりまする。されど……あえて問わせていただきたい。《魔王》を殺しきる確信がおありか? 陛下は以前、彼奴めと交戦したおり、その命を奪うことなく帰還なされました。ひとたび奪うと決めたなら、一度の戦闘でそれをし損じたことはない。そんな陛下が初めて奪い損ねた命。此度は以前のようにはならぬと、何を以て断言なさる?」
この疑問は即ち、《魔王》の不死性をいかに破るのか、さの算段を問うているのだろう。
これについて、過去の俺はいたずらっぽく笑い、右の人差し指を唇に当てて、
「ナイショだ」
片目を瞑り、ことさら茶目っ気を出す。
そんな過去の俺に、七文君は当然、紛糾するのだが、
「このヴァルヴァトスが、信用できぬか?」
ただ一言で黙らせてから一同を見回し、
「次なる戦において、命令はただ一つ」
過去の俺は、桃色の唇から、言葉を放つ。
その内容はやはり。
俺が考えていたものと、完全同一であった。
「敵方が支配せし城を、なんとしてでも粉砕せよ。さすれば勝つ。できねば負ける。此度の戦は、そうしたものだと心得よ」
大会議が終わる頃には、もう日暮れとなっていた。
兵は拙速を尊ぶという格言がある。その言葉通り、作戦行動は迅速に実行すべきだ、
しかしながら……此度は大軍勢を動かすため、さすがにこれからすぐ出陣というわけにもいかない。諸々の準備を終えるには、およそ二日を要するとのことで、その期間中、俺とイリーナ、ジニーは、リディアの屋敷にて過ごすこととなった。
……言うまでもなく、今回もヴェーダが俺のもとへやって来て、
「えええええええええ!? まぁ~~~たリディアちゃんの屋敷に泊まるのぉおおおおおおおおおお!? なんでウチに来ないのさぁ!? 君ってば、ワタシの配下だよねぇ!? だったらさぁ、主であるワタシと一緒にいるべきなんじゃないのっ!?」
ヴェーダは外見だけを見れば可憐なる乙女である。そんな彼女に求められたなら、嫌な気はしない……というのが普通なのだろうが。
コイツの本性を知る身からすれば、この可愛らしい容姿はなんというか、食虫植物が発する虫寄せの香のように思えてしまう。
「……寝込みを襲って、無理やり実験に付き合わせたりしませんか?」
「えっ!? そんなこと、するに決まってるじゃないかっ!」
馬鹿正直なところは、この少女が持つ唯一の美点である。
「……だから、貴女と一緒にいるのは嫌なのですよ。そもそも貴女、我々の帰還という目的に対して、なんの役にも立っておりませんよね? 我々が貴女の下についたのは、あくまでも帰還のためですので。そうしたメリットが受けられぬ以上、私はここに、リディア様への鞍替えを宣言いたします」
「うぇえええええええええっ!? そ、そんなぁあああああああああ! 久しぶりに面白い実験台が手に入ったと思ったのにぃいいいいいいいいいいいっ!」
噴水のような涙を放つヴェーダ。
……その騒ぎを聞きつけたか、アルヴァートまでそこに加わり、本当に大変だった。
そうした騒がしい一幕を経て、我々はリディアの屋敷へ到着。
ここでも個室をあてがわれ、ようやっと、心身を休められる時が訪れた。
「……では、何かございましたら、お申し付けください」
そう述べて退出したのは、以前から俺の専属として付けられた少女奴隷、ラティマである。褐色肌と白髪が特徴の彼女もまた、リディアに付き従うように移動しており、この王都でも俺の世話役を務めることになった。
「ふぅ……まったく、この時代はどうにも忙しないな……」
息を吐きながら、ベッドへと座り込む。
現代における時間の過ごし方に比べ、この時代は何をするにしても迅速だ。
しかしそれにしたって、ここ最近の動向は急速に過ぎる。
「まさか、こうも早く、帰還目標を達成できるチャンスが訪れるとはな。……まだ、こちらに来てから半月と経っていないというのに」
当初は年単位の時を要するやもと危惧したのだが、蓋を開けてみれば、まさにトントン拍子であった。
そのことに思いを馳せると、自然、これまでの出来事が脳裏を巡る。
神を名乗る謎の存在との邂逅。それにより、修学旅行が時間旅行へと変化。
過去のオリヴィアとの遭遇。
《魔王》に会え、という目的を達するため、嫌々ながらもヴェーダの配下となり……
リディアと、再会する。
「……まったく、濃厚に過ぎるわ」
いつの間にか、脳内がリディア一色になっていた。
奴の手伝いで後方支援。奴と肩を並べての出陣。
共に、二度とありえぬことだと、確信していた。
それが今、現実のものとなっていて……
もしかすると、元の時代に帰った後も、それが続いてくれるかもしれない。
俺は瞳を瞑りながら、思索に耽った。
「……先の戦により、歴史は確実に変化したはずだ。死する定めにあった者達は存命し、リディアもまた、呪詛を受けてはいない」
あの悲劇が発生した要因は、何もそれだけではなかったが……しかし、きっかけは潰したのだ。ゆえに、「もしかしたら」という希望が見えてきた。
もしかしたら、リディアが生存した未来で、彼女と共に幸福な時間を過ごせる……
かもしれぬが、しかし――
「あの自称・神は、我々に歴史を修正しろと言った。ならば、このまま帰還した場合……」
と、そこまで独りごちた矢先のことだった。
「貴様が考えている通りになるだろう」
唐突に飛んできた声が、思考を斬り裂く。
俺は瞑っていた瞼をすぐさま見開くと……ドアの前に立つ、男の姿を視認する。
全身を覆い尽くす、禍々しき漆黒の鎧。
その姿に、俺は鋭い視線を浴びせながら、口を開いた。
「私に何か、御用ですか? ……《魔王》様」
そう、《魔王》だ。
俺達が現代へと戻るにあたって、倒さねばならぬ目標。
今やこの世界にとっても、あまねく者達に敵視される男。
それがなぜ、我が目前に現れたか。
その疑問に奴は答えることなく、先程の言葉の続きを紡ぎ出した。
「奴等が定めた歴史は、そう簡単に覆るものではない。このままでは強力な修正力が働き……リディアは、同じ結末を辿るだろう」
極めてショッキングな内容に、俺は一瞬だが唖然とする。
さりとて、すぐに落ち着きを取り戻すと、
「……貴方も、別の時代からこちらにやって来たのですか?」
問いかけに対し、《魔王》はくぐもった笑い声を漏らし、
「まず、そのつまらぬ芝居をやめよ。今の貴様は確かにアード・メテオールであろうが……その仮面を、我が前で被り続ける必要はない」
「……それは、どういう意味ですか?」
問いかけに、《魔王》は小さく息を吐いて、こう答えた。
「俺は貴様であり、貴様は俺なのだ。鏡を前にしてなお、貴様は仮面を被り続けるのか?」
わけがわからない。
そんな意思を面に出した、次の瞬間だった。
「やれやれ。こうして見せねば、理解できぬか」
こちらを小馬鹿にしたような語り口調で、そのように紡ぐと。
奴は己が頭部を隠す刺々しい兜に、両手を伸ばした。
続いて、カチャリと音が鳴り響き……
兜を外し、奴がその素顔を晒すと同時に。
「なん、だと……!?」
俺は思わず瞠目し、驚嘆の声を漏らしていた。
そんなこちらの反応に、相手方は、
「驚くこともあるまい。貴様がこの時代に飛ばされたのだ。ならば……俺がそうなっていても、不思議ではなかろう」
嘲笑めいた笑みを浮かべてみせる。
その顔はまさしく――
この俺、アード・メテオールのそれであった。