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第四九話 元・《魔王》様と、古代の戦場 後編

「フハハハハハ! 泣けぇ! 喚けぇ! 臓物をぶちまけろぉッ!」


 愉悦と狂乱に満ちた叫びを上げながら、巨漢の《魔族》が右腕を天へと突き上げた。

 瞬間、五つの魔法陣が顕現。前後して、陣から無数の雷撃が四方八方から放たれた。

 五重詠唱か。やはりこの時代の《魔族》は現代と比べれば格が違うな。

 とはいえ――


「この程度では、まだまだ殺すには値せぬがな」


 小さく呟きながら、俺は魔法の遠隔発動を実行。

 雷撃が向かう先、友軍の兵達を覆うようにして、多数の防壁が顕現する。

 巨漢の《魔族》が放った雷撃は、そのことごとくが防壁に衝突し、掻き消えた。


「ほぉう……!」


 命拾いをした友軍の兵達が、蜘蛛の子を散らすかの如く逃げ惑う中。


「邪魔をしおったのは、貴様かぁ? 小僧」


 巨漢の《魔族》とその配下達が、ギラギラとした眼光をこちらに向ける。

 非戦闘員であれば尻餅をつくほどの闘気だが、俺にとっては生温い。


「左様にございます」


 涼やかな気分で微笑を作ってみせると、巨漢の《魔族》は牙を剥くように笑い、


「先刻の魔法、一二重詠唱(トゥエルブ)に見えたが……ワシの気のせいかな?」

「いいえ。貴方の目は間違っておりませんよ」

「……その歳で、一二の魔法を同時発動できる、と?」

「疑われるなら、試してみるがよろしい」


 両手を広げながら誘い文句を口にする。

 と――


「者共ッ! そこな餓鬼を血祭りにあげいッ!」


 野太い声が轟くや否や、複数の敵方が一斉に動いた。

 数的有利にあるがためか……どうやら連中は、こちらを侮っているらしい。

 発動したのは攻撃魔法ではなく、身体機能の強化魔法であった。それで以て激烈な踏み込みを見せ、各々が手に持つ剣や槍といった得物を振るってくる。

 奴等の表情から、その心理が手に取るように読み取れた。


『この小僧め、嬲り殺しにしてくれるわ』


 嗜虐的な思考に対し、俺は――


「下の下、以下ですね」


 微笑を保ったまま躍動する。

 こちらもまた、攻撃魔法は用いない。この雑兵共には、それを使うだけの価値もない。


 身体機能強化の魔法を発動し、徒手空拳で以て対応する。

 槍の穂先を掌で弾くと同時に鋭く踏み込んで、裏拳を顔面へと叩き込む。

 縦一文字に振るわれた剣を紙一重で躱し、下腹部へとつま先を突き入れる。


 我が側頭部を殴打せんと振り上げられた棍棒に、拳の迎撃をぶつけて粉砕し、電光石火の回し蹴りを敵方の脇腹へと見舞った。

 刹那の判断を要求される、超高速の近接戦闘。

 それを制したのは――このアード・メテオールだった。


「やれやれ。これしきの相手では準備運動にもなりませんね」


 地面に転がる《魔族》達を見下ろし、「ふぅ」と息を吐く。

 そんな俺に、巨漢の《魔族》は、


「グァッハッハッハッハッハ! やるな小僧! このボルガンが手ずから殺してやるだけの価値はあるッッ!」


 獰猛な叫声を放ちながら、攻撃魔法を繰り出してきた。

 敵方の正面にて、一〇の魔法陣が顕現し、そして――


「喰らえぃッ! 《ボルテック・バースト》ッッ!」


 蒼穹色に煌めく熱線が、一斉に放たれた。

 一〇の陣から放たれた超高熱は、やがて一つの巨大な熱線へと纏まり、こちらの全身を消し去らんと殺到する。

 だが。


「中の下、といったところですか」


 片手を無造作に持ち上げ、防御魔法を発動する。

 我が正面に幾何学模様が顕現し、次いで、それが半透明な防壁へと変じた。

 刹那――

 蒼穹色の熱線と防壁とが衝突し、周囲一帯に衝撃波が広がった。

 膨大な超高熱が半透明な壁に阻まれ、四散していく。

 敵方が放ったそれは結局、その目的を果たすことなく消失したのだった。


「ほぉう……! その歳で上級の防御魔法を無詠唱で使いこなせるとはな……!」


 半分は驚嘆。もう半分は喜悦。

 巨漢の《魔族》、ボルガンの心中は今、狩り甲斐のある敵を前にして、このうえない昂ぶりを見せているのだろう。

 だが……その一方で、こちらの心は秒刻みで冷えていく。


「はぁ。久方ぶりに、骨のある《魔族》と戦えるやもと、少しは期待したのですが。どうやら私の見込み違いだったようだ」

「なにぃ……!? まさか小僧、このボルガンを格下とみなすかッ!」

「残念ながら、そうせざるを得ませんね」

「貴様ッ……! たかだか人間用の上級魔法が使えるという程度で、調子に――」

「そうした認識をしている時点で、やはり貴方は中の下どまりの敵でしかない」


 ボルガンの言葉を斬り裂いて、俺は現実を叩き付けた。


「先程私が扱ってみせた魔法は、上級の防御魔法ではありません。なんの面白味もない、下級の防御魔法です」

「なん、だと……!?」


 目を見開くボルガンに、俺は言葉を積み重ねた。


「貴方も知っての通り、魔法というものは術式に込めた魔力の量などで効力も変動します。先刻、貴方が放った魔法は私にとって、少々多めに魔力を注いだ下級の防御魔法で十分に対応できるという程度の技に過ぎなかった」


 ふぅ、と一息吐くと、俺はここで初めて瞳を鋭くさせ、


「貴方との闘争は児戯にも劣る。長々と時間をかけるは、まさに無駄の極み。ゆえに――この戦いは、残り三手で詰めさせていただく」


 宣言に対し、ボルガンの巨体から並々ならぬ殺気が放たれた。


「舐めるなよ、クソ餓鬼がぁッ!」


 怒声が大気を震わせ――

 そして、奴の前に巨大な魔法陣が現れた。


「冥界にて己が慢心を悔やむがいいッ! 《オール・エンド・イヴァン》ッッ!」


 叫声と共に、大型の魔法陣から万雷が放たれる。

 こちらへと一気呵成に迫りし、無数の雷撃。その光景は中々に美麗だが……

 やはり、中の下といった評価を覆すものではなかった。


「お見せしましょうか。本物の雷撃というものを」


 目前に手をかざし、術式を一瞬で構築。

 魔力を消費すると共に、大型の魔法陣が現れ――

 刹那、漆黒の万雷が、激烈な閃光と轟音を響かせた。


 雷属性の中級攻撃魔法、《ヒドラ・ブラスト》。


 無数の黒い電光が蛇の如く推進し、敵方が放った雷へと衝突する。

 我が雷蛇の群れは瞬く間に相手の雷撃を飲み込んで、そのままボルガンへと殺到。

 奴の巨体を、飲み込んだ。


 ……これで、まず一手。


《ヒドラ・ブラスト》の獰猛なる行進が過ぎ去った後。

 ボルガンは全身から煙を立てながらも、二本の足で地面を踏みしめていた。

 しかしながら。


「こ、こんな、馬鹿な……!」


 もはや満身創痍。まともに戦える状態ではない。

 また……先刻の一撃は奴にとって、切り札だったのだろう。それをあっさりと掻き消されたからか、巨漢の《魔族》は動揺の色を隠そうともしない。

 心身共に追い詰められたボルガンだが、それでも奴は、諦観を見せはしなかった。

 ギロリと真横を向く。その視線の先には――


「ひっ!?」


 俺の戦いを傍目で見守っていた、ジニーの姿があった。


「ぬぅ、おおおおおおおおおおおおッッ!」


 雄叫びを上げながら、ボルガンがジニーへと駆け寄っていく。

 想定通り、奴は彼女を人質にすべく動いたか

 当のジニーは向かい来る《魔族》の迫力にあてられたらしい。身動き一つできなかった。

 すぐ傍にいるイリーナもまた、彼女を助けるための行動が取れない。

 両者共、この時代の《魔族》に立ち向かうには、まだまだ心身共に不足している。


「まだだぁッ! まだ、ワシは終わってはおらぬぞぉおおおおおおおおおッ!」


 叫びながら、ボルガンはジニーとの距離を詰めていく。

 残り一〇歩。九歩。八歩。そして――

 残り七歩というところで。

 ピッ、という異音が鳴り響いた。

 瞬間、ボルガンの足下にて魔法陣が顕現し、白銀に輝く光柱が天へと伸びた。

 奴はその柱に為す術なく飲み込まれ……


「あり、えぬ……この、ワシが……」


 黒焦げになった全身を、地面へと沈ませたのだった。


「これで二手。……おっと、一手早く終わってしまいましたね」


 こうなることを見越して、俺は事前にトラップ魔法を仕掛けておいたのだ。

 奴の行動はおおむね、こちらの想定通りであった、が……

 一手分、相手を過大評価してしまったな。まだまだ俺も精進が足りぬわ。


「ふぅ……ご無事ですか、ジニーさん」

「ひゃ、ひゃい」


 よほど怖かったのだろう。ジニーはすとんと腰を落とし、へたりこんでしまった。

 その隣ではイリーナが安堵の息を吐いて、


「さっすがアード! あんなに強そうな《魔族》も、アードにかかっちゃイチコロねっ!」

「お褒めにあずかり、恐悦至極」


 笑顔をみせるイリーナちゃんへ、一礼を返す。

 と、周囲の面々もまた戦いが終わったことを理解したか、


「す、すげぇ……!」

「なんであんなバケモンが候補支援なんかやってんだよ……!」

「ヤバすぎだろ、今の魔法……!」


 口々に称賛の言葉を吐き出す。

 やはり非戦闘員というのは、力量を測る物差しというものを備えていないな。

 あの程度の三下を片付けたぐらいで、英雄を見るような目を向けてくるとは。

 俺が行ったことなど、たいした手柄にならぬ些事でしか――


「うおおおおおおおおおおおおおおッ! 敵はどこだわぁああああああああああッッ!」 ……聞き慣れた少女の絶叫が、耳朶を叩く。


 そちらに目をやると、やや離れた場所に紅い髪の少女――シルフィーが息を弾ませながら立っていた。

 その全身には身軽そうな革鎧を纏っており、随所に傷が刻まれている。

 まさしく戦場帰りという様相だが……その点はどうでもいい。

 気になるのは、


「どうやら、オレ等が来る前に終わっちまったようだな」


 シルフィーの傍にリディアが立っている。これがどうにも、おかしく思える。

 奴は相も変わらず、普段着で戦に臨んでいた。上は一枚の布で胸を隠しているという程度。白い二の腕や鍛えられた腹筋が大胆に露出している。下はゆるゆるとしたズボンで、金物の類いは一切ない。身を守るという発想が、この女には皆無なのである。


 奴は鎧を纏うことによる機動力の低下を嫌う。ゆえに防具の類いは一切合切投げ捨て、常に攻めて攻めて攻めまくる。攻撃こそ最大の防御というのが、リディアの戦哲学だ。


 ……それを知り尽くしているからこそ、不思議に思う。


 たかだか後方部隊が襲撃されたというだけで、リディアが前線から帰ってくるか?

 ヴェーダが都市にて待機している今、この合同軍の総大将はリディアである。

 となれば普通、奴は後方で待機するのが常、だが……そんな常識、リディアには通じない。奴は決して取られてはならぬ大将首だというのに、その身をあえて死地へと投じてしまうのだ。そしてシルフィーを始めとした複数名の側近と共に、独立した友軍部隊として戦場を縦横無尽に駆け回り、戦況を引っかき回す。


 この点は我が軍が誇る最強にして最悪の戦闘狂・アルヴァートとよく似ている。

 そのため……リディアが後方部隊の危機を察した場合、


『おう、シルフィー! 後ろがやべぇんだってよッ!』

『よっしゃ、アタシに任せるのだわッッ!』


 といったやり取りを経て、シルフィーのみが戻ってくるのではないか?

 しかし現実は違う。

 なぜだか、誰よりも前線で戦い続けることを望むリディアが、この場に立っている。

 そのことについて強い疑問を感じていると、


「……おい、アード。こいつはお前がやったのか?」


 当の本人が、黒焦げになって倒れ伏す敵将、ボルガンを指差した。


「左様にございます」

「……殺してはいねぇんだな?」

「えぇ。私が手ずから討ち取るまでもない相手だと、そう判断いたしましたので。それに、この程度の武人でも将は将。敵軍の情報を得られるやもという考えもあり、あえて生け捕りという選択をいたしました」

「へぇぇぇ……つまりお前は、コイツをあえて殺さずに、生け捕りができるだけの力量夫備えてるってわけだ」


 なぜだか、リディアが楽しげに笑い始めた。

 ……なんだろう。互いの認識が、噛み合っていないように思えるぞ。


「あの、リディア様。このボルガンという将は……敵軍からすれば、下から数えた方が早いような存在、ですよね?」


 この問いかけに、リディアは――


「ククッ」と笑声を零し、半ば呆れたような顔をしながら、己が銀髪をボリボリ掻くと、

「違ぇよ、バーカ。お前がブチのめしたのはな、オレ等が狙ってた大将首だ」

「……は? 大将首?」


 こいつが? 大将首?


「ぐぬぬぬぬ! 手柄を横取りされたのだわっ! 新入りのくせに生意気なっ!」


 少し離れた場所で悔しげに地団駄を踏むシルフィー。


「それだけアードが凄いってことよ! さっすがあたしのアードっ! 初陣で大将首を取っちゃうだなんてっ!」


 どんなもんだいとばかりに大きな胸を張って、「ふんす」と鼻息を吐くイリーナ。


「ま、なんにせよ、だ。大したもんだよ、お前は」


 ガハハと豪放磊落に笑いながら、リディアがこちらの背中をバシバシ叩いて称賛してくる。こうしたやり取りも久方ぶりで、二度とできぬものと思っていたことゆえ……まぁ、嬉しくないこともない。

 されど……嬉しい反面、疑問も強かった。

 このボルガンが、大将首だと? そうした男が後方部隊を遅う、ということに関しては、奇策の一つとして納得はできる。


 だが、それを今の俺が討ち取るというのは……あり得ることなのか?


 全盛期の俺、即ちヴァルヴァトスであった頃ならば、今回の結果は当たり前の帰結だ。

 しかし、今の俺はアード・メテオール。

 古代の平均レベルの才覚しか持たぬ、ただの村人である。

 ……一応、俺には元・《魔王》としての知識や経験があるし、幼少期の頃から寝る間も惜しむことなく努力を積み重ねてきた。


 さりとて、そうであったとしても。

 この時代の大将首を、楽々と討てるほどの力量になるものだろうか?


 ……何か、妙な違和感がある。

 それゆえに。

 大手柄を立て、目的達成に急接近したことを、素直に喜ぶことができなかった――


   ◇◆◇


 前線都市・エーテルを発ってから、まだ一日も経過していない。

 時刻はおよそ、昼と夕刻の狭間といったところだろうか。

 蒼穹色の晴天には燦々と輝く太陽が浮かび、大地を明るく照らしている。

 そんな中。超短時間で戦の決着を付けてしまったリディア/ヴェーダ合同軍は、約半数の兵を簡易砦に駐屯させ、前線都市・エーテルへの帰路に就いた。

 今後は簡易砦を中継点として、最大目標である《魔族》領の大都市、アルメディオを落とすための作戦が画策されていくという。


 さて。

 帰還の道中は行きの際に比べ、ゆったりとした歩調であった。

 軍内には先の戦で疲弊した者も多くいるため、彼等に合わせて緩やかな進みをとっているのだという。

 そんな中にあって、アード・メテオールという存在はまさに、突如現れた超新星だった。


「初陣で大将首とか、聞いたことねぇよ!」

「いやいや、そんな、たいしたことはしておりませんよ」

「助けてくれてありがとな! この恩はいつか倍にして返すぜ!」

「いやいや、そんな、お気になさらず」


 周りを取り囲まれ、感謝と称賛の言葉を雨あられと受けるアード。

 少し困ったように笑いながら応対する彼と……


「ふっふ~ん! あたしのアードにかかっちゃ、この程度は朝飯前よっ!」

「ぐぬぬぬ! ちょ、調子に乗らないでちょうだいっ! 大将首挙げた回数はアタシの方がずっと上なのだわっ!」


 アードを取り巻く面々に、得意げな顔で胸を張るイリーナ。

 激賞されるアードへ、悔しげな言葉を叩き付けるシルフィー。

 一方で、アードの様子を離れた場所で見つめながら……

 サキュバスの少女、ジニーは誇らしげに微笑んだ。


(やっぱり、アード君は凄い……!)


 彼が称賛されていると、ジニーもイリーナと同様、まるで我がことのように嬉しかった。

 当然だ。好きな人が活躍するさまを見て、こうならないわけがない。

 だからジニーの心には、ただただ、アードへの称賛と、彼の友人であるということに対する誇らしさだけがあった。

 ――そんな彼女に。


「な、なぁ、君。君ってさ、あいつの連れ、なんだよな?」


 横から声をかける者が一人。まだ年端もいかぬ少年であった。


(こんな子も、戦場に出る時代、なんだ)

(私と、そんなに変わらないのに)


 改めて、古代世界の厳しさを感じ取りつつ、ジニーは少年に微笑しながら返答する。


「はい、そうですよ。私はアード君のお友達……というか、お嫁さん第一号です♪」

「えっ。お、お嫁さん……!?」


 目を見開いた後、あからさまな失望感を顔に出す少年。

 ジニーはこういうことについて鈍感ではない。だから、彼の感情がすぐに理解できた。

 もっと言うなら……こういうとき、男がそう簡単に諦めるものではないということも、よく理解している。


「そ、そうなんだ~。へぇ~。ま、まぁ、あいつのことはさておいて……オ、オレは君に興味があるなっ!」


 ストレートに迫ってきた。が、残念なことに、ジニーは少年になんの興味もない。

 アード以外の異性とそういう関係になるつもりは皆無である。よってここは、早急にこちらの意思を表明すべきだと、そう思った直後のことだった。


「君もさ、あいつみたいに凄いんだろ!? その装備だって、特別製って感じだもんな!」


 この言葉が、ズンッと胸に突き刺さり、ジニーの口を閉じさせてしまった。

 そして。


「最後の方なんか、《魔族》に襲われかけたけど……き、君ならあんな奴、瞬殺できちゃうんだろ!? いやぁ、ホンット、羨ましいっていうか、なんていうか!」


 少年からしてみれば、とにかく褒め殺して気分を良くさせようという作戦なのだろうが。

 残念ながら、逆効果だった。


「……いいえ。私は、全然凄くなんかありませんよ」


 少しだけ、声音に暗澹としたものが混ざる。

 もしかすると、表情にもそれが出ていたかもしれない。


「えっ? えっと、その……な、なんか、ごめん」


 これ以上続けたなら、致命的な失敗が待ち受けていると悟ったのだろうか。少年はバツが悪そうな顔をして謝ると、すぐさま逃げるように離れていった。

 そんな彼の姿を見つめながら、ジニーは嘆息する。


(特別、か。そんなわけ、ないのよね)

(さっきだって……アード君が助けてくれなかったら、どうなってたか)


 その心境を表すかのように、頭の羽がしゅんと垂れ下がる。

 もう一度ため息を吐くと、ジニーはアードの様子を見やった。彼は依然として大勢の人間に取り囲まれていて、その傍にはイリーナやシルフィーの姿もある。

 ……先程の、少年との会話が理由だろうか。

 あの輪の中に、自分がいてもいいのかと、そう思ってしまう。


(やっぱり、アード君は特別、なんだな)

(ミス・イリーナや、ミス・シルフィーだって……)

(でも、私は……私は、違う……皆とは、違う……)


 ジニーとて、希少種たるサキュバスである。その才覚は並ではない。

 だが……あの三人は、あまりにも違うのだ。

 アード・メテオールは言うまでもない。

 イリーナにしたって、何か、普通とは異なるオーラがある。

 シルフィーなどは神話に名を刻みし《激動の勇者》だ。


 それに比べ……ジニーという人間の、なんと矮小なことか。

 先の戦でも、役に立つどころか、危うくアードの足を引っ張るところだった。あの少年は《魔族》に襲われても瞬殺できるんだろ、と言ってきたが、そんなわけがない。アードの規格外ぶりがあったからこそ、ジニーは人質にとられることなく、事なきを得たのだ。


(……そもそも)

(私、なんですね。人質にしようとしたのは。……ミス・イリーナではなく)

(私なら、反撃されても怖くないって、思われたのかな)


 そんなふうに侮られたことが、あまりにも悔しかった。


(私が、あの場で一番弱かった。一番、存在する意味がなかった)

(だから、選ばれた……!)


 きゅっと唇を引き結び、拳を握り締める。


(……アード君の傍にいる資格が、私にあるの?)

(……ミス・イリーナ達と、友達でいる資格が、あるの?)

(こんな、迷惑しかかけられない凡人な私が……あの、特別な人達の傍にいることは――)


 許されないことなんじゃないか?

 そう考える直前のことだった。


「ジニーちゅわぁ~~~~ん! なぁ~に暗い顔してんだよぉ~~~~~う!」


 軽薄そうな口調が耳に入った矢先。

 むにゅり。

 ジニーの豊満な胸の膨らみが、背後から鷲掴みにされた。


「ぐへへへへ、やっぱジニーちゃんのおっぱいは最高だぜ!」


 下品な笑い声を出しながら、ぐにゅぐにゅとジニーの胸を揉みしだくのは……


「ひぃんっ!? や、やめてください、リディア様っ!」


 伝説の《勇者》・リディアであった。


「ほいほいっ、と」


 ジニーの叫声を受けて、彼女は意外なことに、あっさりと手を離す

 そして。


「どうよ? 暗い気分がちったぁやわらいだんじゃねぇの?」


 隣に並びながら、ジニーの肩を抱いて、太陽のように眩い笑顔を見せてくる。

 気を遣われたのだと理解したことで、ジニーは申し訳ない気分になった。

 そんな心境を読み取ったのか、リディアが軽く、ポンポンと肩を叩いてきて、


「なぁ~に悩んでんだよ。ちょっと話してみな? こんなんでも一応、普通の人間よか人生経験積んでる方だぜ? もしかすっと、ジニーちゃんの悩みを――」

「特別な貴女には、わかりませんよ」


 それは、反射的に口にした言葉だった。

 吐き出してからようやく、ジニーは自分の無礼を理解し、焦燥する。


「ご、ごめんなさい……! ゆ、《勇者》様に、なんてご無礼を……!」


 謝罪するが、リディアはそのことについて、さしたる興味を示さなかった。

 その代わり、ジニーに対し真っ直ぐな目を向けて、


「なるほどね。お前、くっそつまんねぇことで悩んでんのな」


 こんなことを、言い放ってきた。

 つまらないこと。

 自らの苦悩をそのように斬って落とされ……ジニーは思わず、カッとなる。

 白い頬が怒気で紅潮し、勝手に目尻が吊り上がった。


(つまらない?)

(そりゃあね、貴女みたいに特別中の特別な人間からすれば、そうでしょうよっ!)

(貴女なんかに、私の何がわかるっていうの……!)


 そう叫んでやりたかったが、ジニーはグッと堪えた。

 しかし。


「そうだな。オレぁ自分を普通だとは口が裂けても言わねぇ。だから、お前の苦悩は絶対に理解できねぇ」


 まるでこちらの心を読んだかのような発言に、ジニーは目を丸くしながらリディアの顔を見る。……なんて、澄み切った瞳なのだろうか。普段こそ助平親父のような女だが、こうして真剣な面持ちでいると、まるで世界の真理を知り尽くす女神のように思える。


「お前は、自分のことを普通だと思ってる。自分は仲間達とは別の人種……別世界の人間だと、勝手に区別してるってわけだ。んで、あいつらと一緒にいる資格があるのか、みてぇな、くっだらねぇことで悩んでんだろ?」


 ジニーは小さく頷いた。するとリディアは大きく息を吐いて、


「お前さ、四天王のオリヴィアって知ってっか?」

「え、えぇ。勿論ですわ」

「じゃあよ、あいつのこと、特別だと思うか?」

「それは……当たり前じゃないですか。だってあの人は……」


《魔王》に仕えた伝説の使徒様である。これを特別と言わずしてなんというのか。

 そう考えるジニーにとって、次にリディアが述べた内容は、信じがたいものだった。


「あいつとはな、時たま酒を飲み交わしたりするんだが……ある日、酔っ払ったあいつがこう言ったよ。わたしは特別ではない、あまりにも凡夫で嫌気がさすってな」

「えっ……!? オリヴィア、様が……!?」

「あぁ。……信じらんねぇって顔してんな。でもま、とりあえず聞けよ」


 そう言って、リディアは腰元に括り付けてある革袋の一つを取り外し、中身をぐいっと飲んだ。それから、その革袋をジニーに渡し、言葉を続ける。


「あいつには魔法の才能がなかった。種族としての技能(スキル)……一時的な身体機能の向上ぐらいしか、取り柄がなかったのさ。だから昔は、いつもいつもヴァルの足を引っ張って、そのたびに影で泣いてたんだとよ」


 手渡された革袋を見つめながら、ジニーはリディアの言葉に聞き入っていた。


「当時のあいつは、まさに今のお前とまったく同じ苦悩を抱えてたんじゃねぇかな。でも……奴は諦めなかった。取り柄を伸ばし、剣術っていう武器を磨いて……今や四天王だぜ。ヴァルの右腕で、懐刀。誰よりもあいつを支える存在になりやがったのさ」


 嘘、ではないだろう。今のリディアの瞳を見て「虚言だ」と吐き捨てることができるような人間は、きっとこの世にはいない。

 だが、そうであったとしても。


「……私なんかが、諦めずに努力したとして、オリヴィア様みたいになれるんでしょうか」


 結局のところ、オリヴィアもまた、特別な才覚があったからそうなれただけでは?

 弱気な思いが、ジニーを卑屈にさせていた。

 そんな彼女に、リディアは、


「グダグダ言ってんじゃねぇよ」


 鋭い声を放ちながら――ジニーの尻を、力強く叩いた。

 バシィンッ! と派手な音が鳴り響き、前後して痛みが襲い来る。

 周りが「なんだなんだ?」とざわめき、こちらに視線を集めてくるが、ジニーは痛みのせいで羞恥どころではない。


「な、なにするん、ですかっ……!」


 うるうると涙目になりながら、リディアを睨む。だが、彼女は一切悪びれもせず、むしろムスッとした顔をしながら言葉を叩き付けてくる。


「特別だの普通だの、んなもん関係ねぇんだよ。壁なんてもんは、弱音が見せるくだらねぇ錯覚だ。なんも考えず、ただただ突っ走りゃいいのさ。そうすりゃきっと、いつか今日の自分を思い出して、あの頃は馬鹿なことで悩んでたなって笑うときが来るだろうさ」


 そして、リディアは、穏やかに笑いながらこう言った。


「ウジウジしてねぇで、とにかく動けよ。仲間の足を引っ張る人間から、仲間に頼られる人間になるにはな、とにかく動くしかねぇんだ。悩んでたって、今のお前が変わるようなこたぁ絶対にありえねぇんだからよ」


 その言葉と、その笑顔には、不思議な魅力と説得力があって。


「そう、ですね」


 苦悩が消えたわけじゃない。吹っ切れたとも言いがたい。

 だが……

 悩むだけの自分とは、決別しようと思う。

 ジニーは先刻、リディアから手渡された革袋を見つめると……

 その中身を、一気に飲み干した。

 キツい蒸留酒である。喉が焼けるようだった。

 しかし。


「美味しいですね、これ」


 焼けるような感覚も。尻のヒリヒリとした痛みも。

 今はどこか、心地よかった。


「ハハッ! そいつの良さがわかるってこたぁ、良い女って証拠だぜ」


 肩を組んでくるリディアに、微笑を返す。

 やはりこの人は、伝説の《勇者》なのだ。否応なしに、周囲の人間を変えていく。

 良き方向へと、導いてくれる。

 だからこそ、この人は《勇者》と呼ばれるのだろう。

 ……なんにせよ。


 ほんの少しだけ、生まれ変わったような気分だった――


   ◇◆◇


 俺としては、此度の一件を大きく評価してはいない。

 だが、上の者達……要するに、この時代の俺は違う考えだったらしい。

 今回の功績を高く評価した《魔王》・ヴァルヴァトスは、我々に直々の謁見を望んできた。勲章だとか、称賛の言葉だとかを与えたいという。


 こちらとしては非常に好都合だ。


 あまりにも想定外な道程ではあるが……

《魔王》に会うという目的が、これで果たされることとなる。

 そして、出発の朝。


 現代への帰還という最終目標に思いを馳せながら、俺達は馬車へと乗り込んだのだった。



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