第四六話 元・《魔王》様と、伝説の《勇者》
「えっ……!? リ、リディー姐さんって、ことは……!?」
「あ、あの人が、伝説の……!?」
蹴破られたドアの前に立つ一人の女を見つめながら、イリーナとジニーは冷や汗を流す。
二人の視線を浴びる彼女は、ヴェーダを一瞥すると、小さく息を吐いて目を瞑る。
その外見を一言で表すなら……美の結晶といったところか。
長く尖った耳が示す通り、種族はエルフ。背丈は女にしては高い一七五セルチ。
引き締まった肢体と女性特有の膨らみを、薄い布地で覆っている。
顔の造形は全てが黄金律で構成されているかのようで、長く美しい銀髪が特徴的。
彼女の名は、リディア。リディア・ビギンズゲート。
神話に名を刻みし数多の英雄達の主席にして、代表格。
始まりの《勇者》にして、あらゆる戦士の頂点。
《魔王》と呼ばれていた頃の俺にとっては、唯一無二の親友だった女。
そんなリディアは次の瞬間――
くわっ! と、切れ長の怜悧な瞳を開いて、
「やいヴェーダ、てめぇゴラァ! 後方支援部隊の数が少ねぇってなんべん言わせるつもりだボケッ! オレのこと舐めてやがんのか! あぁんッ!?」
美声に不似合いな汚い暴言を吐き散らかしながら、リディアは長い銀髪を揺らめかせ、ズカズカとヴェーダのもとへ詰め寄った。
そうして彼女の小柄な体を持ち上げ、無理やり立たせると。
「出撃部隊の数を倍に増やしやがれッ! さもなきゃケツの穴に腕ブチ込んで脳味噌まで貫通させんぞ、ゴラァッ!」
胸倉を引っ掴み、至近距離でガンを飛ばしながら凄む。まるで街のチンピラであった。
その美しい外見からは想像もつかぬ粗暴さに、イリーナもジニーも唖然としている。
「……アレが、伝説の《勇者》様?」
「え、英雄譚の人物像と、違いすぎますよ、いくらなんでも……」
後世に伝わるリディア像もまた、「ふざけんな馬鹿野郎」と言いたくなるようなものだからな。そうした虚像を信じていた二人には衝撃的な現実であろう。
このリディアという女は決して、現代に伝わっているような聖人君子ではない。
美しいのは見た目だけで、その内心は様々な欲に塗れた小汚いチンピラである。
そしてシルフィーの姉貴分なだけあって、ワールドレコード……いや、ヒストリーレコード級の大馬鹿野郎である。
……そんな大馬鹿野郎の姿を見た途端、自然と、じんわり涙が浮かんできた。
そうか。俺は、過去に戻ってきたんだな。
リディアがいる世界に、戻ることができたんだな。
動揺が一気に、感動へと変化する。その一方で、リディア達は、
「まぁまぁ、落ち着きなよ、リディアちゃん。後方支援部隊の数は適切だと思うよ? なんせワタシの天才的な頭脳が導き出した数――」
「なぁ~にが天才的頭脳だ、この豆粒馬鹿が! ちょっと前の戦でもそんなこと言って、想定以上の被害数になったの忘れてんじゃねぇだろうなぁッ!?」
「想定以上? いやいや、そんなことはないよ? ワタシが読みを外すわけないじゃないか。なぜならワタシは――――天ッ☆才ッ☆だからねぇぇええええええええええええ! ゲヒャヒャヒャヒャ!」
胸倉を掴まれ、足が浮いた状態にもかかわらず、ゲラゲラと大笑いするヴェーダ。
それに対し怒りを隠そうともせず、怒鳴り散らしながら、彼女の小柄な体を揺らしまくるリディア。
そんな両者の傍では、シルフィーが得意げな顔をして立っており、
「さすが姐さん! あの頭がおかしい変態相手でも、ぜんっぜん気後れしてないのだわ!」
瞳に憧憬の煌めきを宿しながら、リディアに熱視線を向けている。
そんなシルフィーだが、何かに勘付いたのだろうか、不意にイリーナの方を見ると、
「……ん? アンタ、姐さんに似てるわね。まさか、生き別れの姉妹?」
顎に手を当てながら、シルフィーはイリーナの顔を覗き込む。
「い、いや、あたしは、その……」
現代のシルフィーとは違い、過去の彼女にはどう接していいのかわからないのだろう。
イリーナはしどろもどろな返答しかできなかった。この二人のこういうやり取りは非常に貴重で、なんだか面白く感じる。
……さておき。
リディアの怒鳴り声から察するに、俺達が飛ばされた時代は、やはりアラリア平野の戦いが決着する以前の時期、らしいな。
この頃、既に俺達は幾柱かの《外なる者達》を打倒しており、勢いに乗った状態であった。国土も広々とした面積を確保しており、世界に覇を唱える大国へ成長を遂げ、いよいよ《外なる者達》、そして《魔族》との戦も最終段階へと突入していく……そんな時期だったと記憶している。
この頃の俺は戦のほとんどを四天王やリディア率いる勇者軍に任せきっており、王都にて内政に勤しんでいた。多くの変態、もとい人材を抱えた我が軍はまさに黄金期を迎えており、もはや俺がわざわざ出陣することもない状態だったからだ。
そんな時期にあって、アラリア平野の戦いはまさに、長く続いた戦の中盤と終盤を隔てるターニングポイントであった。
《魔族》が治める広大な土地、アラリア平野。そこに建立された多くの砦と城塞都市。
これらを落とし、大陸支配の礎を築いたのが、当時のリディア軍とヴェーダ軍のコンビだった。当初は相性が悪いと思われていた両軍だったが、意外にもこれが上手くハマり、最終的には攻略難度が高いとされていたアラリア平野を二年足らずで平らげてしまった。
リディアの怒声を聞くに、現在はアラリア平野の戦いにおける中盤戦といったところか。
「だ~か~ら~! もうそろそろヤベぇのが出てくる頃合いだっつってんだろが! オレの勘がビンビン反応してんだよ!」
目尻を吊り上げながらなおも怒鳴り散らすリディアに、さしものヴェーダも疲れが出始めたのだろうか。面倒臭げに瞳を細め、嘆息すると、
「むぅ~~~。じゃあさぁ、そこの三人を使えばいいよ」
思わず「は?」と声を出してしまうようなことを言いながら、こちらを指差してくる。
ここでようやく、リディアは俺達の存在に気付いたらしい。
「あぁん?」とガラの悪い声を出してから、奴は首だけを動かし、こちらを向いた。
彼女の目が真っ先に捉えたのは……この俺である。
瞬間、その瞳が鋭く細められた。が、リディアは特に何も言うことなく、隣へ視線をずらす。そこに立っていたのは、イリーナだった。
「……お前」
リディアの端整な顔が、僅かに歪む。これは驚愕、であろうか? なんにせよ、イリーナに強い感情を抱いたことは間違いなかろう。
……それにしても、今さらだが、先刻シルフィーが述べた通りイリーナとリディアの容姿は実によく似ているな。初めてイリーナと出会った際にも考えたことだが……
まさかこの二人、血縁者ではあるまいな?
……いや、そんなわけないか。
この俺が、リディアの血縁者に転生後すぐに出会うなど、あまりにも出来すぎている。
と、そんなことを考えている最中。
リディアがついっと視線を横にずらし……ジニーを瞳に捉えた瞬間のことだった。
「ッッッ! おいおいおいおい! マジかオレ! なぁにやってんだよ、馬鹿! こんな上玉が同じ部屋にいるってのに!」
リディアは片手で自分の顔を覆い、天を見上げ、嘆息すると、ヴェーダの細身な体を放り投げてジニーの方へ近寄ってきた。
「え? え?」
目を付けられたジニーが、大量の冷や汗を流しながら当惑する。そうしながら、こちらに目を向けてきた。彼女の瞳は、こんな問いを投げているかのようだった。
『わ、私、何かしちゃいましたかっ!?』
……いいや。何もしてないぞ、ジニー。
これは、そう。
奴の悪い癖なのだ。
「お嬢さん、お名前は?」
ジニーを目前にすると、リディアは彼女を見下ろしつつ、先刻までとは打って変わって丁寧な口調で問いかけた。
老若男女を虜にするような美声を受けて、ジニーは頬を紅くしながら、受け答える。
「ジ、ジニーと申しますわ。こ、このたびは、ご高名な《勇者》様にお会いできて、光栄の極み、です……」
「ハッハッハ。そんなにかしこまらないで。私(、)なんぞ、そんなたいしたものじゃありませんよ。そう……貴女のような美しく可憐な華に比べれば、ね」
……あぁ、もう。久々だな、この感じ。
できることならあの馬鹿の頭をひっぱたいてやりたい。だが、ここはグッと我慢だ。
……一方で、奴の本性を知らんジニーは頬をますます紅くして、照れ始めた。
「は、華だなんて、そんな」
「いやいや、貴女は本当に素晴らしい女性だ。見目麗しく、端整な容姿。そして――」
リディアの視線が、僅かに下へと落ちる。
そこにあるのは、たわわに実ったジニーの乳房であった。
途端、リディアの目に邪な気が宿り――
とうとう、馬鹿が本性を現した。
「どうですか、お嬢さん。今から私の別荘で、夢のような一時を過ごしてみませんか?」
「……えっ」
遠回しではあるが、奴の物言いは明らかに情事への誘いであり……
それがあまりにも意外だったのだろう。ジニーの細面に驚きと当惑が広がる。
一方で、彼女の目前に立つ両刀使いの変態は、さらなる欲望の声を積み重ねた。
「その反応……まさか、未経験? ウッソだろ、おい。サキュバスなのに未経験? なにそれチョー最高。ますます気に入ったわ。ぐへへへへ」
途中から一気に距離を詰めてきた。精神的にも、肉体的にも。
ジニーの腰を抱き、キス寸前レベルまで美貌を近づけるリディア。絵面だけを見れば、絶世の美女が可憐な少女を抱きしめている、といった内容になるが……その実態は、性欲魔人の変態が哀れな少女に毒牙を突き立てんとする、そんな図式であった。
ジニーはそれを本能で察したのか、途端に恐怖の表情となって、
「ひぃっ! は、離してくださ……いぃっ!? ちょっ、ど、どこ触ってんですかぁ!?」
「ぐへへへ、いいケツしてんじゃねぇか姉ちゃん」
もはや汚い自分を隠そうともしない。同性であることを利用して、ジニーの体を思う存分まさぐり始めたリディア。
そんな彼女の姿に、イリーナは小首を傾げ、
「ねぇアード。リディア様はなんであんなにジニーのことを気に入ったのかしら?」
なぜジニーを気に入ったのかって? それはね、イリーナちゃん、あいつが巨乳美少女をこよなく愛するド変態だからだよ。
「あっ……ちょ、そ、そこはらめぇ……! そこは、アード君だけのものなのぉ……!」
「なんだ姉ちゃん、心に決めた奴がいるのかぁ? ぐへへへ、なおさら燃えてきた! オレのテクで寝取っちゃるわ! ぐへへへへへへへ!」
とうとう、あの腐れ馬鹿のド変態が、イリーナちゃんには見せられんレベルの行為に及び始めたので。
俺は前に出て、無理やりリディアとジニーを引きはがした。
「あぁん!? あにすんだてめぇ!?」
端整な顔を怒気で歪めながら、ゼロ距離でメンチを切ってくるクソ馬鹿女。
その姿はまさに、全身男性器な街のチンピラ野郎である。
……なんで俺は、こんな奴を親友だと思っていたのだろう。
「申し訳ございませんが、我々はたった今この都市に着いたばかりでして。私も、そこのイリーナさんも、そして先刻までさんざんいじくり倒してくださったジニーさんも、大変疲れております。よって……ご遠慮ください。さまざまな意味で」
口元には微笑を浮かべておいたが……やはり内心に渦巻く感情を隠し通すことは叶わない。気付けば瞳が鋭くなっていて、俺は真っ向から、リディアにメンチを切り返していた。
「てめぇ、いい度胸してんじゃねぇか。オレと喧嘩するつもりか?」
「滅相もございません。ただ……貴女がどうしても私に挑みたいおっしゃるなら、相手をして差し上げますよ?」
ここではアード・メテオールとして振る舞わねばならぬ、ということは重々承知しているのだが……こいつを前にすると、どうしても抑えが利かん。
「へぇぇぇ……マジでいい度胸してんじゃねぇか……! 表出ろやゴラァッ!」
挑発に乗ってはならぬと思いながらも。
「いいでしょう。貴女の酷い性根を叩き直して差し上げます」
我慢できず、共に屋敷の外へ出て。
何時間にもわたり、殴り合いの喧嘩を繰り広げたのだった。
魔法などは周囲の迷惑になるため、扱うのは己の肉体のみ。とはいえ、相手は全盛期の《勇者》。純粋な肉体技だけでも驚異的な力を誇る。
反して、こちらは前世の頃と違い古代世界の平均レベルな肉体。
そうであるがゆえに、《魔王》と呼ばれた頃に比べて追い込まれやすかった。
この馬鹿野郎。俺も全盛期だったなら、こんなに殴られることはなかったというのに。
生まれて初めて、《魔王》と呼ばれた頃に戻りたいと思った。
そして――
「ぜぇ、ぜぇ……や、やるじゃねぇか、てめぇ……!」
「お、思ったよりも、たいしたこと、ありませんね、貴女は……!」
「原型留めてねぇ顔面で、んなこと言ってもな、説得力、ねぇんだよ、バァーカ……!」
「貴女だって、お綺麗な顔が、醜いゴブリンのように、なってますよ、ざまぁみろ……!」
お互い、地べたに転がりながら、罵倒を吐き合う。
そんな俺達を、イリーナやジニーはどんな顔で見ているのだろうか。ヴェーダはおそらくニヤニヤしているに違いない。
……まったく、嫌な時代だ。さっさと現代に帰りたい。
口の中に溜まった血を乱暴に吐き捨てる、と――
「く、くく……! まったく、おもしれぇ野郎だな、てめぇは」
ケラケラと、リディアが笑い始めた。その顔にはさっきまでの敵意などなく……カラッとした気持ちのいい、いうなれば男らしい情念だけがある。
「アードっつったっけ? お前、あの二人連れて後方支援に来いよ」
起き上がり、こちらの顔を見下ろしながら、リディアは言う。
「ホントは前線まで来いって言いたいところだが……なんか事情でもあんだろ? さもなきゃ、ヴェーダなんぞの下についたりしねぇもんな」
「……そこまで察することができるなら、無茶なことは言わないでください。我々は戦場になど――」
「オメーの力がオレには必要なんだよ。皆まで言わすな、恥ずかしい」
ムスッとした顔をするリディア。
……まったく、こいつは本当に嫌な奴だ。いつもいつも、俺の予定を崩しに崩しまくる。
そんなこいつが、俺は心底から大嫌いだ。
……大嫌いだが、頼りにされたなら、仕方あるまい。
「……いいでしょう。そこまでおっしゃるなら、力を貸して差し上げなくも――」
「お前が来りゃ、あのジニーちゃんも来るよなぁ? そうなりゃこっちのもんだ。あの手この手でモノにして……空き時間とかにアレやらコレやらヤりまくってやるぜ! ぐへへへ、戦が楽しみになってきたなぁ~~~~~!」
ボコボコになった美顔に、小汚い欲望を宿して笑うリディア。
そんなかつての親友に、俺は――
とりあえず、もう一発拳を叩き込んでやったのだった。