第四三話 元・《魔王》様、修学旅行ならぬ、時間旅行を楽しむハメになる
現代において、古代の定義は《外なる者達》……現代でいうところの《邪神》襲来から、《魔王》・ヴァルヴァトスによる彼等の殲滅までとなっている。
以降は新世紀と呼称され、この時代は今に至るまで続く。
そんな新世紀の歴史学者達は、古代世界について皆口を揃えてこう述べている。
人類史上もっとも濃密で、浪漫に溢れた時代であった、と。
《邪神》という未だ謎の多い存在の襲来。同時に発生した《魔族》という概念。
《魔王》・ヴァルヴァトスの手による、人類用の魔法開発。
数多の英雄達による群雄割拠。人類VS《魔族》&《邪神》。
なるほど、人類史を紐解いたうえで、これほど重要な時期もそうそうあるまい。
……そんな時代の顔役として生きた人間としては、そうした評価は少々複雑だが。
なんにせよ。
古代は俺を含む大多数の者にとって過ぎ去りし時代であり、振り返ることしかできぬものだ。
……つい数分前まで、俺はそう思っていたのだが。
まさか、再び古代世界の土を踏むことになろうとは。
……少なからず動揺が心の中を満たしている。
俺ですらそうなのだから、イリーナやジニーはやはり、
「こ、古代世界に来た、って……」
「いくらなんでも、そんな……」
強い困惑や不安が、表情から窺い知れる。そうした感情が、彼女等に現実を直視させないのだろう。こうした場合、状況を理解させるためにこんこんと話し込んでも意味がない。
今はこの場から離れることが最優先事項である。
「私の記憶が正しければ、現地はおそらく、《魔王》様が治められていた大国、ヴァルディア帝国のマキナ地方かと予想されます。時代の詳細は不明ですが……ご安心ください。私がいる限り、危険要素などありません」
堂々と断言し、安心感を与えようとしたのだが、二人はおずおずと頷くのみ。
仕方あるまい。二人の心理的問題は時間が解決してくれよう。時が流れたなら、否が応でも適応せねばならぬ。人はそのようにできているのだ。
……というか、適応してくれなければ困る。
さもなくば、生き延びることは不可能だ。
二人にはさも余裕のある状況であるかの如く語ったが、実のところ、現状は最悪の一言。
現地はマキナ地方にある、修行地として有名な場所であろう。確か名は、不帰の荒野であったか。この土地には強大な魔物が多く生息し、外来の者達へ執拗に牙を剥く。
人間が訪れたなら、そのほとんどは魔物の腹の中へ収まるか、土地の養分となるか。
ゆえに不帰の荒野と呼ばれるようになり、若手の戦士を育成するには最適の場として利用されている。というか……利用してきた。
ここを若手育成の地として定めたのは、この俺である。
だからこそわかるのだ。イリーナとジニーのような現代人にとって、この土地は地獄以外のなにものでもないということが。
「さて、今後の方針ですが。まず、この一帯から脱出しましょう。この土地には魔物が多く生息しており、非常に厄介な場所です。彼等は獣とは違って、昼夜を問わず活発に動きますので……一般的な冒険のセオリーは通じません」
獣のみが生息する危険地帯であれば、こういうときは夜明けを待つものだ。朝~昼であれば、野生動物の脅威が半減するためである。
だが前述の通り、この場ではそういう定石が通じない。
よって昼夜問わず歩き続け、早急に脱出する必要がある。
「星の位置からして……北は正面、ですね。となると、しばらくは真っ直ぐ進んでいきましょうか。北方へ歩き続ければ街に到達できるかと」
にっこり微笑むが、やはり二人の表情は暗いままであった。依然として、現状を夢か何かではないかと考えているような節さえ感じられる。とはいえ、その点について言及してやれるような状況でもない。俺は強引に話を進めることにした。
「ではまず、服装をどうにかしましょうか。万一、他者と遭遇した際、学生服を纏っていては怪しまれるでしょうから」
言うや否や、俺は物質変換の魔法を発動した。
イリーナ、ジニー、そして俺の正面に複雑な幾何学模様、魔法陣が顕現。それが接近し、全身を通過した直後、我々の衣服が普遍的な革鎧へと変化した。
これならば、どこぞの冒険者として認識され、怪しまれるようなことはなかろう。
そういうわけで、出発である。
古代の常識に照らし合わせば、こういうときは音速と同程度かそれ以上の速度で突っ走り、さっさと土地を抜け出すもの、なのだが……イリーナとジニーには望むべくもない。
現代に比べ、古代世界は《魔素》の濃度が非常に高く、ゆえに戦士の質も魔物の質も段違いである。この時代の一番弱い魔物でさえ、現代人が討伐するには大型の騎士団を派遣する必要があるだろう。
……そのような世界で、今の俺がこの二人を守り通せるかどうか。
大きな不安を抱く最中、イリーナがふと口を開いた。
「……あの子供、いったい何者かしら?」
「神様、とか言ってましたねぇ……」
やり取りをする二人の顔は、先刻に比べれば幾分かマシになっていた。ゆっくりとだが、確実に、状況を受け入れつつあるのだろう。
ともあれ。あの自称・神については、俺も首を傾げざるを得なかった。
「彼、あるいは彼女に関しては、現状の思索に意義はないかと。おそらく正確な答えは出ません。ただ……最後に述べた言葉には、一考の価値がありますね」
「えぇっと、確か……特異点がどうとか、《魔王》様がどうとか言ってたわよね?」
イリーナの言葉に頷いてから、俺は口を開いた。
「特異点という言葉が何を指すのかはわかりません。ただ、あの自称・神の子供は、その特異点とやらを我々に排除してほしいと依頼してきた。これは間違いないでしょう。そしておそらく……」
「その特異点をどうにかできたら、私達は元の時代に帰れる、と?」
おずおずといった調子で言葉を紡ぐジニーに、首肯を返す。
「おそらくは、そういうことになるでしょう。ゆえに我々の最終目標は特異点の排除となります。ただ、肝心の特異点とやらがどういうものなのか、我々は認知しておりません。よって今は、もう一つの目的を果たすことを優先すべきかと」
「もう一つの、目的?」
「えぇ。あの神を自称する者は、《魔王》との邂逅という言葉を口にしておりました。おそらく、《魔王》様に拝謁することで状況が進展するのではないかと」
「ま、《魔王》様に、拝謁……!?」
ジニーの顔が石のように固まってしまった。横を見れば、イリーナも同じような顔になっている。こうした反応も、無理からぬ話やもしれぬ。二人にとって《魔王》・ヴァルヴァトスとは、神話の中でのみ存在する、いわば虚構物に近い感覚であろう。そんなものに会いに行こうというのだ。まさしく正気の沙汰ではない。
……実際は既に、《魔王》本人と対面しているわけだが、それはさておいて。
「彼に会う。それが第一目標ではありますが、しかし――」
いかにすれば目的が果たせるのか。
そのことについて言及する、直前であった。
「う、おぁあああああああああああああああああああッッ!」
勇猛さを感じさせる雄叫びが、耳朶を叩く。
……どうやら、早速面倒ごとが舞い込んできたらしい。
「な、なんだか、逼迫した声、でしたね」
「きっと誰かが魔物に襲われてるのよっ! 助けに行かなきゃっ!」
怯えた様子のジニーに反し、イリーナの美貌には勇気が宿っていた。
この二人のことを想えば、当事者を見捨てるのが最適解であろう。しかし……
そうしたなら、彼女等の期待を裏切ることになる。
アード・メテオールはこの二人にとって、常に英雄でなければならぬのだ。
「……よろしい。現場へと向かいましょう」
言うと同時に駆け出し、夜闇を引き裂いていく。
幸いにも声の主と我々の距離はそう離れてはいなかった。
すぐさま、声の主の現状が瞳に飛び込んでくる。
「く、そぉおおおおおおおおおおおおおッッ!」
絶叫する声の主、それはまだ年端もいかぬ少女であった。
我々と同様に革鎧を纏っているところからして、冒険者か何かであろうか。
そんな彼女の凜々しい顔は今、疲労と恐怖で歪み、白い肌は面積のほとんどが鮮血の朱に染まっている。
元凶はやはり、魔物であった。それも複数体。
どうやら、魔物の群れと遭遇してしまったようだな。
と、俺が冷静に現状を把握する一方で、
「な、なんなのよ、あのバケモノは……!?」
驚愕を吐き出すイリーナ。その傍で、ジニーは声さえ出ないのか、絶句している。
無理もない。古代世界の魔物は、現代のそれとは比にならぬほど強大なのだ。
唖然とするイリーナ達の横で、俺は顎に手を当てながら思索し、口を開く。
「ふむ。相手方はデス・スティンガーの群れとみて間違いないでしょうね」
「えっ、デ、デス・スティンガー? アレが?」
「あ、あたしが知ってるのと、全然違うんだけど……」
現代において、デス・スティンガーという魔物は体高五〇セルチ程度の、サソリに似た魔物である。威圧感こそ中々だが、その動作は極めて緩慢で、脅威はといえば尻尾先端の針と、そこから放たれる毒のみ……なのだが。
それは《魔素》濃度が低くなったことで、劣化しきったがゆえの話。
古代世界におけるデス・スティンガーは、体高六メリルを超える巨体であり、その躍動速度は音速を超える個体もザラにいる。備えた武器は現代と同様、針と毒、なのだが……
「ビシャアアアアアアアアアアアッッ!」
群れのうち一体が、奇声を放ちながら尻尾を振り上げ、先端の針を少女に向ける。
刹那、針の先から猛毒が放たれた。
現代の個体であれば「どびゅっ」といった擬音が似合いそうな様相で、紫色の液体が放たれるのだが……
古代のそれは「ギュバアアアアアアアア!」という轟音と共に、超高圧で猛然と放射されるため、ともすれば光線のようにも見える。
「ぬぅっ!」
少女は音を置き去りにするほどの速度で身を躍動させ、どうにか毒を回避。
空転した猛毒は少女の代わりに大地を捉え……次の瞬間、小規模な爆発が生じた。
古代世界の毒は、何かに衝突するとだいたい爆発するのである。
以降、少女とデス・スティンガーの群れによる闘争が繰り広げられるわけだが……
イリーナもジニーも、ポカーンと口を開いて、微動だにしなかった。
古代世界のスタンダードを見て呆然としているのだろう。
まぁ、それも仕方がないことだ。音速レベルのスピードで動き回る少女と怪物の群れ。この一言だけでも、現代人からすれば荒唐無稽に過ぎる。
さりとて、俺からすれば慣れ親しんだ日常的光景に過ぎない。
まるで実家に帰ってきたかのような、不思議な安心感と共に、俺は一歩前へと歩み出た。
「このままではやられてしまいますね。余計なお世話かもしれませんが……助太刀するとしましょうか」
この時代において、今の俺がどの程度通じるのか試してみたくもある。
デス・スティンガーの群れは、テスト相手として適当な存在と言えよう。
「では、まず小手調べから」
選択した魔法は、雷属性の中級攻撃魔法、《ライトニング・フィールド》。
これは同じく中級攻撃魔法たる《ライトニング・ブラスト》の派生種であり、名の通り広範囲に雷撃を落とす、制圧・殲滅用の魔法である。
それを無詠唱で発動すると同時に、デス・スティンガー達の頭上、闇色の天空にて複数の魔法陣が顕現し――
前後して、黄金色の雷撃が魔物の群れへと落ちた。
狙い過つことなく、全ての雷電が直撃する。
こちらからすれば、この一撃は本当に、ただの小手調べであったのだが。
「ふむ。これは想定外でしたね。……まさか、この程度で終わってしまうとは」
《ライトニング・フィールド》を受けたデス・スティンガーの群れは、シュウシュウと音を立て、煙を上げながら沈黙。その様子からして、全個体が絶命へと至ったのだろう。
そんな魔物の群れの中心にて。先刻まで必死の形相となっていた少女が、唖然とした顔になりながら呟いた。
「デ、デス・スティンガーの群れを、一撃で……!?」
なんだか、デジャブな台詞であるな。そういえば、イリーナちゃんと初めて会ったときも、似たようなシチュエーションであったか。
過去を思い返しつつ、俺は少女に声を投げようとする、のだが。
口を開いた瞬間のことだった。
凄まじいプレッシャーが、背後にて突如発生。
この感じ、まさか……。
とある人物の顔を脳内に浮かべながら、俺は冷や汗を流す。
そして、おそるおそる背後を振り向く、と。
「フン。貴様、なかなかの腕前だな」
果たして、夜闇の中に立っていたのは。
四天王が一人にして、我が姉貴分。
オリヴィア・ヴェル・ヴァインであった。