第四二話 元・《魔王》様、修学旅行を楽しむ……かと思いきや
今回の一件……全てが終わってから思い返してみると、少し前にジニーと交わした会話には、大きな意味があったように思える。
「アード君は、《魔王》様、なんですか?」
彼女に俺は、こう答えた。
「いいえ、違います。私はアード・メテオールであって、《魔王》様ではありません」
どう足掻いても、《魔王》という呼び名に対する嫌悪感は、隠せなかった。
《魔王》という称号は俺にとって、苦痛そのものだ。
確かに、そう呼ばれていた頃にも楽しい思い出はある。だが……
それ以上に、辛い記憶ばかりが目立つ。
後世に伝えられし煌びやかな人生など、俺は歩んでこなかった。
貧民の子として生まれ出でてより、喪失の哀しみに塗れた地獄のような日々を過ごし……その帰結が、《魔王》だった。
俺にとって《魔王》という称号は忌むべきものであり、忘れ去りたい過去なのだ。
全てを忘れて、アード・メテオールとして生きていたい。
そんな気持ちが、ジニーに対する応答に刺々しさを宿したのだろう。
だが……今回の一件を経て、俺は深く実感した。
《魔王》という称号がなぜ、俺にとってこうも忌まわしいものなのか。
それは、罪の証だからだ。俺が犯した罪を、形にしたものなのだ。
奴との出会いを経て、俺はそのことを強く理解した。
ゆえに、今はこう思う。
《魔王》と呼ばれし記憶。即ち、己が罪。
それを忘れることは、決して許されることではない――と。
……………………
………………
…………
蒼穹色の晴天に浮かぶ太陽が、大地を燦々と照らす。
夏も終わりに近づきつつある、ラーヴィル魔導帝国のある地方にて。
等間隔に並んだ馬車の群れが、街道にたおやかな歩調を刻んでいく。周辺にはのどかな光景が広がっており……車内にはそれに似合いの、和やかな声が溢れていた。
「あぁっ! また狂龍王のカードだわっ! ちょっとオリヴィア! あんたイカサマしてんじゃないでしょうねっ!」
「フン。己の不出来を人のせいにするな、未熟者め」
「ていうか、龍除きも飽きてきたわね」
「次はカードとは違うゲームでもやりましょうか。現地までまだまだ長いですし」
同乗者たるオリヴィア、シルフィー、ジニー、そして我等がイリーナちゃん。
彼女等は仲良くカードゲームに勤しんでいた。
それにしても、エルザードの奴はこの時代において高名な悪役であるというが、まさかカードゲームにおいても悪役扱いとは。
ここまで来ると、かつての敵とはいえ可哀想に思えてくるな。
……ともあれ。
我々は現在、修学旅行を迎えるべく現地へと移動中だ。
修学旅行といえば、否応なしに前世の記憶が蘇る。
《魔王》と呼ばれていた頃、俺は世を忍ぶ仮の姿となり、庶民が通う学び舎へと入学したわけだが、そこでも修学旅行に類する行事はあった。
修学旅行と聞けばやはり、友人との思い出作りとか、異性との健全なラブロマンスを期待するものだろう。無論、当時の俺もまた大いに期待した。
大いに期待した結果、一人で過ごすハメになった。
なんとか共に楽しむ友人を作ろうと、事前に色々頑張りすぎたのが原因であろう。
努力は完全に空転し、俺はクラスのお調子者ならぬ除け者にされてしまったのだ。
『お前の存在って、息苦しいんだよ』とは、当時クラスの中心的存在であったマイケル君が下した、俺への人物評である。よほどウザかったのだろうな、あの頃の俺は。
そのせいで修学旅行に良い思い出は微塵もない。思い出しただけで、もう……
「あ、あれ? どうしたのよ、アード? 涙目になってるけど……」
「お気になさらず。ただ、そう……私にも太陽の眩しさを忌々しく思う時があるのですよ」
マイケル君は太陽のような存在であった。いつもクラスの中心にいた。
修学旅行中だってそうだった。それに比べ、俺はといえば……
いや、もう思い出すのはよそう。
人間は過去に囚われるべきではない。今を見つめて生きることこそが肝要なのだ。
過去の俺は死を選択するほどに孤独であったが、今はといえば。
「ねぇねぇ、アード君。今回の旅行ですけど、宿の近くに海があるらしいですよ。自由時間、一緒に泳ぎませんか? このときのために、私すっごい水着用意したんです♡」
豊満な胸を見せつけるかのように、身を屈めて迫ってくるジニー。
「だ~ったら! あたしも一緒に泳ぐわっ! ちょうどアードに水泳を教えてもらいたかったものっ!」
隣に座るイリーナちゃんが、こちらの腕を自らの胸に押し付けながら、威嚇するかの如くジニーを睨む。まるで主人を取られまいとするワンコのようであった。マジ可愛い。
「し、仕方ないわね! アタシも付き合ってあげるのだわ!」
白い頬を僅かに紅く染めながら、シルフィーが叫ぶ。正直、こいつが付いてくると面倒なことになりそうなので遠慮してほしい……。
「フン。水泳、か」
思案するように天井を見上げるオリヴィア。お前は絶対についてくるなよ、絶対だぞ。
……とまぁ、前世に比べ、我が身辺は賑やかなことになっている。
これまで色々とあったが、今、俺はとても幸せだ。
このまま平穏無事に時間が流れてくれることを切に願う。
……と、そのように考えた矢先のことであった。
「ハメを外すのもいいがな、あくまでもコレは授業の一環であることを忘――」
オリヴィアが、言葉の途中で口を止めたのである。
なんぞ気になることでもあったのだろうか? 彼女の顔に目を向けた。
瞬間、俺は当惑する。オリヴィアが口を開いたまま、微動だにしないのだ。
「……オリヴィア様? いかがなさいました?」
問いかけてみるが、応答がない。
まるで時間が止まったかのような様子に、ますます当惑が深まっていく。
……いや、ちょっと待て。
不意にシルフィーの顔を見た途端、俺の中で、当惑が警戒心へと変じた。
「ちょ、ちょっと? シルフィー? お~い」
彼女の目の前でイリーナが手を振って見せるが……なんら反応はない。
シルフィーもまた、オリヴィアのように瞬き一つせず固まっている。
そう、まるで、時を止められたかのように。
「ば、馬車の様子も、変ですよ……!?」
ジニーの震える声に応じて、窓の外を見やる。先刻までゆるりと、しかし確かな歩調で進行していた馬車もまた、その動作を停止しているようだった。
この異常事態に俺は鋭く口を開いた。
「イリーナさん、ジニーさん。用心なさい。これはおそらく、《魔族》の――」
襲撃です、と、そう繋げる直前。
我が意識が前触れなく暗転し、そして――
数瞬後、俺は真っ黒な空間に立っていた。
「な、なによ、ここ……!?」
「だ、大丈夫……! ア、アード君がいてくれれば……!」
場に存在するのは、俺だけではなかった。すぐ横にイリーナとジニーの姿がある。
共に異常事態への恐怖からか、小刻みに震えている。そんな二人を勇気づけるために、何か言葉をかけようとするのだが。
「よう……こそ……選ばれ、し……者達よ……」
静寂の中に、幼い声が響いた。
俺達は同時に弾かれたかの如くそちらへと目をやる。
果たして、そこに立っていたのは一人の幼子であった。
歳の頃は一〇かそこらであろうか。肩まで伸びた薄い水色の髪と、煌びやかな装束が特徴的である。その容姿は幼さゆえか中性的であり、男とも女とも取れる。
外見こそ愛らしい幼児のそれ。さりとて……その本性は何か、別のものに思えてならぬ。
「貴方は、《魔族》ですか?」
問うたところ、幼児はこちらを一瞥すらせず、その眠たげに細めた瞳で虚空を見つめつつ、このように返答した。
「人は、未知なるものを……魔と称する……そういう意味ならぼくは、《魔族》……かもしれない。けれど……本質に着目、したなら……ぼくは、《魔族》ではない」
「ならば、何者だというのです?」
「君達の言葉に置き換えて……表現、するなら……神という言葉が、適当かもしれない」
神。その一言に、俺達は全く同様の顔となった。即ち、怪訝である。
神。神だと? ……平常であれば、歯牙にもかけぬ言葉である。だが、現状を見るに、なんの信憑性もない言葉だとは思えない。といって全面的にも信じられぬが。
「……まぁ、いいでしょう。貴方は少なくとも、《魔族》ではない。今はそういうことにしておきましょう。……それで。貴方は我々に何を望んでおられるのですか?」
この問いかけに対し、自称・神の幼児は先刻と同じく淡々とした調子で、こちらを見ようともせず応答した。
「世界は無数にあり……未来も過去も、無限に分裂を繰り返すもの……けれど……特異点が発生したなら、話が……変わってしまう」
「……あの」
「定めを超越し……世界を変容し……その結果、生み出されるの、は……混沌か、光明か」
「ちょっと」
「過ぎ去った時、は……戻っては、こない……それが、定め……けれども、かの特異点、は……それを覆そうとしている……」
「すみませんが、我々にもわかるように説明していただけませんか? 貴方の語り口調はポエムティックに過ぎ――」
「特異点、を……消去してほしい……《魔王(、、)》との邂逅は……君の世界を大きく震わせ……どちらかが、消える……ぼくは君が残ることを、望むよ……」
「いや、だから。人の話を――」
眉根を寄せながら訴えかけるのだが、この自称・神の幼児は、とことん人の話を聞く気がないらしい。
「じゃあ……行って、らっしゃい……」
我が声を遮る形で、一方的に述べられた言葉。
そして、自称・神の幼児が無表情のまま、無気力に手を振ると――
またもや、視界が一瞬にして、黒一色に染め尽くされたのだった。
一瞬先のことである。
我が意識は再度の覚醒を迎え……それと同時に、困惑が胸の内を支配した。
「これ、は……」
思わず声が出てしまう。
それは、俺だけではなかった。
「な、なんなのよ、この状況は」
「人間って、あまりにも理解しがたい急展開を迎えたとき、頭痛を感じるものなんですね」
イリーナとジニーが共に冷や汗を流し、周囲を不安げに見回す。
我々の視界に広がっている光景。それは夜の荒野であった。
月明かりに照らされた荒野には、至る所に大きな穴が穿たれており……
そうした様相に、俺は見覚えがあった。
いやまさか。
己の中に生じた、現状への答えを否定すると同時に。
「えっ。い、いや、ちょっと………………えっ」
イリーナちゃんが天を見上げながら目を激しく擦り、口をパクパクと動かす。
俺とジニーもまた自然と夜空を見上げ――その結果。
俺は、否定した答えを、否が応でも受け入れねばならなくなった。
闇色の天蓋に浮かぶは、二つの月。
現代世界ではありえぬ光景である。古代のとある一件で、月は一つになったからだ。
ならばなにゆえ、この眼にあり得ぬ光景が映っているのか。その答えは一つ。
どうやら。
「どうやら、我々は古代世界に飛ばされてしまったようですね……」
信じがたい現実を前にして、俺は心の底からこう思う。
どうしてこうなった? と――