第三九話 元・《魔王》様と、巡りし因果 PART2
「あぁあああああああああああああ! ああああああああああああああああッッ!」
夜空の中に、シルフィーの絶叫が轟き続ける。彼女は狂ったように悲鳴にも似た叫びを放ちながら、今もなお単調な行動を繰り返していた。
大気を引き裂き、周囲に衝撃波を放ちながら、天空を駆け抜ける。
そうしてこちらへ接近すると、喧嘩する子供の如く乱雑に二刀を振るう。
やはり回避自体は簡単……ではあるが。
全盛期であればまだしも、この体では聖剣の二刀流に対し余裕は一切ない。
そのうえ。
(くっ……! リディア……! かつての愛剣が、それほど……!)
己が内に宿る彼女の魂が暴れるように呼応し、戦闘に集中できなかった。
ゆえに未だ、シルフィーの手元から聖剣を奪うタイミングを作れなかった。
……固有魔法の発動という選択肢が、一瞬、頭をよぎる。
それがもっとも効果的であることは、間違いがない。しかし……
どうしても、躊躇ってしまう。
俺の固有魔法はリディアとの融合である。ということはつまり、シルフィーに対してリディアと共に戦うことになってしまう。
彼女の愛する者を奪ったこの俺が、人形も同然となったそれと共に、シルフィーを攻めるなど……あまりにも、罪深いことじゃないか。
そんな思いが躊躇を生む。だから俺は、自分の言葉だけで彼女に隙を作ろうともがいた。
「やめろシルフィー! その力は! その聖剣は! そんなふうに使うものじゃない! 今のお前は、リディアの思いを裏切るような――」
「あぁあああああああああああああああああッ! お前がッ! お前が姐さんを語るなぁあああああああああああああああああああああッッ!」
俺の言葉に、シルフィーが強烈な反応を見せた。
そのあどけない美貌をくしゃくしゃに歪めながら。血涙を流しながら。
俺を呪うように、言葉を吐き出した。
「お前がッ! お前がお前がお前がお前がッ!」
それはまさに、
「お前がッ! リディー姐さんを殺したからッ! こうなってるんだろうがぁああああああああああああああああああッッ!」
己の罪を突きつけられた形で。
だから、俺は相手を動揺させて隙を作るどころか。
むしろ、シルフィーの言葉に動揺し、隙を晒してしまった。
「死ぃぃぃぃぃぃぃねぇええええええええええええええええええええッ!」
「くっ……!」
ほんの一瞬の隙だったが、それは致命的なミスだった。
同時に振るわれた二刀を、俺は回避することができず――
自身の胴が×の字に斬り裂かれ、大量の鮮血が夜の闇に迸る。
その映像を最後に。
意識が、闇の中に沈んだ。
◇◆◇
二振りの聖剣による斬撃をまともに浴びたアード・メテオールは、放物線を描きながら、夜の街の中へと墜落していった。
「…………死んだ。死んだ死んだ死んだ」
命を刈り取った手応えが、両の指先から全身に伝わっていく。
だが、それでも。
「姐さんは、帰ってこない。もう、どこにもいない……」
胸が張り裂けそうな悲しみが、涙となって溢れていく。
「うぁあああああああああああああああああッ! ああああああああああああああッッ!」
喪失が慟哭を生み、シルフィーはしばらく、獣のように泣き喚いた。
しかし……時が経つにつれて、悲しみが別の感情へと変化していく。
憎悪である。
仇敵を殺害してもなお、心の中では憎悪が渦を巻き――
「……許せない」
無意識のうちに呟くと、シルフィーは街の大通りへと降り立った。
「えっ……!? ひ、光の精霊が、降りてきた……!?」
「いや、そもそも……これって精霊なのか……!?」
ざわつく人々が今――
無性に、憎らしく思える。
自分はこんなにも悲しいのに。こんなにも辛いのに。
なぜこいつらは、平然とした顔で過ごしているんだ?
リディアがいないのに。リディアがいない世界なのに。
なんで、どいつもこいつも平穏に生きてるんだ。
……こんな世界、なくなってしまえばいいのに。
「そう。そうよね。姐さんがいない世界なんて、存在しててもしょうがないわ」
聖剣・ヴァルト=ガリギュラスがもたらす狂気と、仮面の某によって植え付けられた精神的呪縛が、彼女に不条理な怨念をもたらす。
そして、シルフィーは両の聖剣を構えた。
かつて人々のために振るわれたそれで以て、目に映る者全てを殺戮するために。
「《ヴェル(邪悪なる者よ)》・《ステナ(我が一刀のもとに)》――」
デミス=アルギスの大技を発動すべく、古代言語による詠唱を敢行。少なくとも万を超える人間が犠牲となるであろう一撃を、彼女は躊躇なく放とうとする。
その直前のことだった。
「なにやってんのよ、あんたはぁッ!」
頬に衝撃を感じ、次の瞬間、全身が宙を舞った。
詠唱は中断され、デミス=アルギスはなんの反応も示さない。
校庭の只中、弧を描いてブッ飛ぶシルフィー。その全身は地面に衝突後、ゴロゴロと転がって、建造物の壁面にぶつかることで停止。
それから彼女は、立ち上がりながら、衝撃が飛来した場所へと目をやる。
果たして、そこに立っていたのは。
「……イリーナ姐さん」
白銀の髪を逆立たせ、怒りの形相で仁王立ちする――
この時代で出来た、姉貴分だった。
◇◆◇
騒乱の真っ只中へと駆けつけたイリーナ・リッツ・ド・オールハイド。
その姿を前にして、シルフィーは頭を抱え、苦悶の声を吐き出していた。
「ぐ、が、がががが……」
まるで何かに抗っているような様相だが、今、彼女がどういった状態にあるのか、イリーナには判然としない。
とにかく、自分がすべきことは決まっている。
「あんた達! さっさとここから離れなさい! さもなきゃ死ぬわよ!」
周囲の人々へと声を放つ。
イリーナの緊迫が伝わったのか。あるいは、シルフィーの異常さに畏怖を覚えたのか。
人々の判断は非常に迅速であった。
皆、一目散にその場から離脱していく。彼等の表情には一定の冷静さがあり、誰もパニックを起こしていない。一月ほど前に《魔族》による大事件を経験しているからだろう。
危機に対する慣れが民衆の心に生じていたことは、イリーナにとって嬉しい誤算だった。
しかし。
誤算は、もう一つ。
「はぁ……はぁ……追いつきましたよ……」
「ちょっ!? ジニー!? あんた、なんでついてきてんのよ! 学園で待ってなさいって言ったでしょ!?」
「えぇ、えぇ。確かに聞きましたわ。でも……そんなのまっぴらごめんです」
「はぁ!?」
「私だってね、ミス・イリーナ。ちゃんと戦えるんですよ。……もう、エルザードのときみたく、蚊帳の外でいるのは嫌です」
頑なにその場から離れようとしないジニー。
「あぁもう! このわからずや! 死んじゃっても知らないんだからねっ!」
「ご心配なく。自分の身ぐらい、自分で守れますもの」
ふん、と互いに鼻を鳴らして。
イリーナはシルフィーを見やる。
「姐さん……姐さん……でも、姐さんだけど、姐さんじゃ、ない……」
うわごとのようにブツブツと呟くシルフィーに、イリーナは毅然とした表情で声を放つ。
「あんたねぇッ! 自分が何してるのか、わかってんのッ!? あたしが止めてなきゃ、あんた、大勢の人を殺してたのよッ!? そんなこと――」
「あぁああああああああああああああああッッ!」
イリーナの怒声を斬り裂くように、シルフィーが絶叫する。
そうしてからすぐ、姿勢を低くして、まるで獣のような突撃を見せた。
「くっ……!」
その荒々しい踏み込みに、イリーナはどうにか反応する。
回避……は不可能。
瞬時にそう判断したイリーナは、覚えたての上級魔法を発動する。
複雑な幾何学模様、魔法陣が彼女の左腕全体を覆うように顕現。次の瞬間、それが黄金色の半透明な大盾へと変化した。
「ぎぃあああああああああああああッッ!」
盾の形成と同時に、シルフィーが聖剣・デミス=アルギスを振るう。
袈裟懸けの軌道を描くそれへと、イリーナは盾を構えた。
衝撃。
シルフィーの人外じみた膂力が、魔法の盾にヒビを入れる。
この《ギガ・シールド》は《ウォール》系統の防御魔法と比べ、守備範囲が狭いという弱点を持つ。だがその一方、純粋な防御力という点で《ウォール》系の防御魔法を大きく上回るという利点があった。
しかし……そうした強靱な防御魔法を以てしても、聖剣の一撃は荷が重い。
「くぅっ……!」
小さな悲鳴を上げるイリーナ。その身を案じたのか。
「ミス・イリーナ! ……もう! 容赦しませんからね、ミス・シルフィーッ!」
怒気を孕んだ声を放ちながら、ジニーがシルフィーへと魔法を放つ。
上級の火属性攻撃魔法、《ギガ・フレア》。
渦巻く豪炎がシルフィー目掛けて殺到する。そこに手加減の色はない。ジニーとて理解しているのだ。シルフィー・メルヘヴンという少女が、下手をするとエルザードに匹敵する脅威であることを。だからこその、全身全霊であった。
しかし。
「うがぁッ!」
シルフィーはそんな、ジニーの精一杯を。
剣の一振りで以て、アッサリと掻き消してしまった。
「そ、そんなっ……!」
青ざめるジニー。足が震えだし、絶望が顔に宿る。
「るぅああああああああああッッ!」
立ちすくむジニーへ、シルフィーが聖剣・デミス=アルギスを振るう。
剣風が轟音を立てて逆巻き、一直線に殺到。
それは風刃となってジニーの総身を斬り刻み……
「きゃあっ!」
小さな悲鳴と共に、彼女は遠く彼方まで吹き飛んで、動かなくなった。
「ジニーッ!?」
目を見開き、彼女の安否を気に掛けるイリーナだったが。
「ぐがぁああああああああああああああッッ!」
シルフィーが再び、突貫する。
一瞬にして肉迫し、紅い髪を振り乱しながら、聖剣を振るう。
「くっ……!」
受け止めた一撃が、イリーナの全身へ桁外れの衝撃を伝えてくる。
特に、大盾を装備している左腕への負担は凄まじく、たった一発で彼女の腕骨は粉々に粉砕されていた。
女子供ならば即座に泣き出して、戦意を喪失するような激痛。
しかし、イリーナの心に宿る戦意はいささかも萎えることはなかった。
回復魔法でダメージを癒やし、大盾へ魔力を流すことで損傷を直す。
そうしてから。
「こ、のぉッ!」
右拳。全身全霊の身体強化魔法を施したそれを握り締め、返礼の一撃を振るう。攻撃後の隙をついたそれは、見事にシルフィーの鼻っ柱を捉え、彼女の美しい鼻梁を潰す。
「ぬ、ぁっ……!?」
大量の鼻血を噴き出しながらたたらを踏み、後退するシルフィー。
イリーナは拳を握り締めながら踏み込んで。
「あんたはッ! 激動の勇者でしょうがッ!」
険しい顔で叫び、シルフィーの横っ面へと打撃を叩き込む。
直撃した頬の肉と皮膚がたわみ、灼熱色の髪が派手に揺れ動く。
「あんたはッ! 誰かを守るために戦ってきたんでしょうがッ! なのにッ! なんでッ! こんなことしてんのよッッ!」
叫びながら、次々と拳を叩き込んでいく。
顔面へ。胴部へ。握り締めた鉄拳を、容赦なく。
「ぐ、ぬぅ、あああああああああああああああああッッ!」
まるで悲鳴のような雄叫びを上げながら、シルフィーが反撃に転じた。
先刻までイリーナがそうしたように、なんの躊躇もなく二刀を振るう。
激動の勇者という称号に似合いの、激しい乱舞。
重く、鋭く、力強い斬撃の数々を、イリーナは魔法の大盾で受け続けた。
その負担たるや、尋常ではない。
「く、うぅッ……!」
無意識のうちに苦悶の声が漏れ出す。
だが、それでも。
イリーナはシルフィーの乱打を受け止め続けた。
破砕されゆく大盾へ魔力を送り込み、修復。
防御時の衝撃で粉砕された腕骨を、回復魔法で治癒。
常に激痛が、全身を駆け巡った。
常に恐怖が、心の中を侵し続けた。
しかし、それでも。
イリーナは戦うことをやめなかった。
(こいつは。シルフィーは。あたしよりも、ずっと強い……!)
(今のあたしじゃ、絶対に勝てっこない)
(そんなの、わかってる……!)
彼我の力量差は、剣王武闘会にて嫌というほど思い知っている。
こうして戦闘状態を維持できていることがそもそも、奇跡に近いのだ。
(でも! だからと言って!)
歯を食いしばりながら、イリーナは大盾を装備した左腕へと力を込め、
「逃げるわけにはッ! いかないの、よぉおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
絶叫と共に、タックルをかますような形で大盾を突き出す。
斬撃に合わせての突進が、シルフィーの乱舞を止めた。
強行的に突出された盾が彼女の体へとぶつかって、その体勢を崩す。
「う、ぉおおおおおおおおおおおおッ!」
猛々しい気迫を放ちながら、イリーナが反撃へと移る。攻守が、再び逆転する。
けれどもそれは、勝利へと繋がる攻勢ではない。
もはや魔力は枯渇寸前で、《魔導士》としては満身創痍といってもよい状態だった。
このまま続ければ、狂気に陥ったシルフィーに殺されてしまうかもしれない。
そうした恐ろしい結末を予感しながらも……イリーナは、決して退かなかった。
(ここに、アードはいない)
(だから……あたしが、アードの代わりになる)
(アードの代わりに、皆を守るんだ……!)
正直に言えば、怖い。怖くて怖くて、仕方がない。
だが。ここで恐怖に負けてしまったなら。
(あたしは、いつまで経っても……! アードの隣に、並べないッ!)
エルザードに誘拐され、救われたときに見た、彼の強大なる力。
それがもたらすであろう、絶対的な孤独感。
おそらく、アード・メテオールに並び立つような者などこの世にはいないだろう。
だからこそ。アード・メテオールはどこまでいっても、孤独な存在なのだ。
どれほど好意を受けようとも。どれほど友愛を深めようとも。
同じ場に誰も立っていないというのなら、それは孤独と変わりがない。
だから、イリーナは彼のもとへと行こうとしている。
大切な友を、本質的な孤独から救うために。
しかしながら――この奮戦は、友のためだけではなかった。
「う、おぉおおおおおおおおおおおおおおッ!」
シルフィーの顔面へ強烈な打撃を叩き込んで、後退へと追い込む。
もはやイリーナは、限界を超えた状態にある。
しかし……不思議なことに、疲労を感じない。それどころかむしろ、力が湧き上がる。
(アード……! あたしは、あんたの代わりになる……!)
(あんたの代わりに、この子を……いや、違うわ)
(あたしが。あたしが、止めるのよ)
(アードの代わり、とかじゃなくて。このイリーナ・リッツ・ド・オールハイドが)
(このあたしが。自分の意思で、シルフィーを止める)
(だってあたしは……この子の、姉貴分だもの……!)
アードへの思い。シルフィーへの思い。
そして、守るべき人々への思いが。
イリーナの弱音と恐怖を駆逐し、不可思議な、膨大なるパワーをもたらす。
これぞまさに――勇気の力。
体の中心、奥底。魂から、莫大なエネルギーが生まれる。
それが満身創痍のイリーナを突き動かしていた。
「シルフィー! あんたの力はッ! 人々を守るためのものでしょう!? あんたはいつだって、誰かのために動いてたッ! いつもいつも迷惑ばっかかけてたけどッ! でも! あたしにはわかるッ! あんたが、優しい女の子だってことがッ! あんたが、激動の勇者と呼ばれるに相応しい人間だってことがッ!」
湧き上がるエネルギーが勢いを生む。
その勢いに任せて、イリーナはシルフィーを攻め立てた。
いつの間にか左腕に装備していた盾がなくなり、今やなんの防御手段もない。
だが、シルフィーの反撃はことごとくがイリーナの肉体に弾かれ、効力をなさない。
何か。イリーナの中で何か。殻が破れていくような感覚が生じる。
不思議な気持ちを味わいながら、彼女はシルフィーへと言葉を送り続けた。
それはまさに、魂の叫びだった。
「誰かのために必死になれる! そんな優しいあんたが! 誰かを不幸にするなんて、そんなの許せないッ! だって、そんなことをしたら……! あんた、嫌われちゃうじゃないのッ! 皆のために戦い続けたあんたが、そんな結末を迎えるだなんて! そんな悲しいこと、許せるわけがないでしょうがぁああああああああああああああああッッ!」
人命を守り、そして、シルフィーの名誉をも守り通す。
そのために。
イリーナは今、渾身の力を込めた右拳を、彼女の顔面へと叩き込んだ。
「く、ぁっ……!」
小さな悲鳴と共に、シルフィーの顔面が跳ね上がり……その総身が後方へと倒れ込む。
尻餅をついた彼女の姿を、イリーナは荒い息を吐きながら見下ろした。
「姐、さん……」
拳に込められた思いが、狂乱に惑う心に届いたのだろうか。
シルフィーの瞳に、僅かではあるが、生気が戻ってくる。
成功した。妹分を止めることに、成功した。
安堵と達成感が心の中を駆け巡る。だからか、先程まで感じていた不可思議なエネルギーが急速に消沈していき……莫大な疲労感が全身を襲う。
自然と体が前のめりに倒れ込み、イリーナは片膝をついた。
そうすると、シルフィーとの目線が同じ位置になり、二人は見つめ合う形となる。
「姐、さん……アタシ、は……」
もうほとんど、元に戻っているような様子。
自分が何をしていたのか、わかっていないのだろうか。当惑したような顔をしている。
そんな彼女をまずは安心させるために、その華奢な体を抱きしめようと、膝を擦りながら近づこうとする……が。
「素晴らしいアドリブだったよ、お嬢さん。しかし、ここから先はやり過ぎというものだ」
横合いから、衝撃が飛来する。
気付けばイリーナは浮遊感を味わっていて。
次の瞬間、建造物の壁面へと全身をめり込ませ、血反吐を吐いていた。
「ぐ、は……!?」
口から紅い体液を噴出し、地面へと衝突する。
断たれゆく意識を必死に繋ぎ止めながら、イリーナは顔を上げた。
ぼやけた視界に、当惑しきったシルフィーと……その横に立つ、仮面の某の姿が映る。
「アドリブが生み出す想定外はいつだって愉しいものさ。その点で言えば、お嬢さん。貴公の働きはまっこと見事と言わざるを得ない。が、しかし。結末は脚本の通りになってもらわないと困るのだよ」
面倒臭げに肩を竦めると、仮面の某はイリーナからシルフィーへと視線を移した。
「いやはや。それにしてもまったく。お前は三流役者もいいところだな。定められた役を最低限こなすこともできんとは。失望や絶望に底はないというのが吾の信条であるが、まさかこの歳になって再実感することになろうとは思わなんだよ、この屑めが」
悪態をつきながら、シルフィーの頭を片手で掴む。
「あん、た、何、を……! やめな、さい……!」
必死に体を動かそうとするのだが、指を動かすことさえ億劫な状態だった。
そんなイリーナを嘲笑うように。
仮面の某が、なんらかの魔法を発動する。
シルフィーの頭部を法陣が包み込み、そして――
「あ、が……あがががががががががががッッ!」
陣が消えた頃。元に戻りかけていたシルフィーが、再び狂気に飲まれていた。
「さてさて。軌道修正も済んだことだし、そろそろクライマックスと行こうか」
クルクルと回りながら呟く仮面の某。
その全身はやがて夜の闇に溶けるかの如く消失し……
「あ、がががががが。姐さん、姐さん姐さん姐さん姐さん姐さんんんんんんんんん!」
白目を剥いて、発狂したように金切り声を放つシルフィー。
両手に構えた二振りの聖剣を構えた彼女は、確かな殺意をイリーナに向けていて。
「ぎぃいいいいいいいいいいいああああああああああああああああッッ!」
血涙を流すさまはまるで、嘆きを叫んでいるかのようで。
イリーナはこれからやってくるであろう死という現実に対する恐怖よりもむしろ……
シルフィーを止められなかったことへの悔恨と、彼女が行き着くであろう不幸な結末に、悲哀の涙を流した。
そして、イリーナにとっての死神となったシルフィーが二刀を携えて踏み込んでくる。
逃げることも避けることも防ぐことも叶わない。
迫り来る死の実感。
それが極限を迎えたとき。イリーナの口が勝手に開き、かの者の名を紡ぎ出していた。
「アードっ……!」
無慈悲な斬撃が、今まさに彼女の柔肉を両断する――
その直前のことだった。
「やめよ、シルフィーッッ!」
怒声にも似た大音量が周囲一帯に響き渡り、イリーナの視界を黒い何かが覆い隠す。
刹那、硬質な衝突音が轟いた。
果たして、イリーナの目前へと現れたのは――
エルザードとの決戦時に見せた、絶大なる力を纏いしアード・メテオールだった。
◇◆◇




