第三一話 元・《魔王》様の名芝居
ラーヴィル国立魔法学園は、無駄に広大な敷地面積を持っている。
その校庭内には大型の闘技場もあり……あんなものいつ使うのだと思っていたが、どうやら剣王武闘会で使用するためのものだったらしい。
そして現在。俺は遺憾ながらも、他の参加者と同様、控え室にて待機中である。
一〇〇人近くを収容してもなお狭さを感じさせぬこの室内には、中央に巨大な水晶が設置されており、その鏡面じみた全体に会場の様相を映している。
これは最新の魔導科学が生んだ映像配信機器、らしい。
水晶には場内を埋め尽くす膨大な観客と、その熱を煽る実況者の姿が克明に映し出されていた。この盛況ぶりからして、ゴルド学園長は今頃ホクホク顔であろう。
『さぁ、今年もやってまいりました、剣王武闘会! ルールや進行内容は例年と変わりありません! 扱えるのは剣の技術と身体機能強化の魔法のみ! それ以外の使用は即座に失格処分となります!』
ルール説明の後、実況者は今後の大会進行に関して語り出した。
『本日行われますは、予選トーナメントの一日目! この予選は第一から第八までブロック分けがなされておりまして! そのブロックの優勝者のみが、学園祭最終日に行われます、本戦トーナメントの出場権を獲得するのです!』
予選は三日に分けて行うらしい。一日で済ませようと思えば可能なのだろうが……数日に分けた方が入場料をガッポリ儲けられると、そういう魂胆があるのだろう。
『闘技ルール、大会進行、そして優勝賞品。全て例年通りではありますが……しかしお客様! ご安心ください! 今年はマンネリ感など微塵も感じる暇はございませんよ! なぜならば……今年の参加者には、規格外な人物が三名も揃っているのですッ!』
実況者の言葉に、思い当たる節がある者達が表情を僅かに変えた。
まず、俺の隣に立つイリーナちゃん。「あたしのこと言ってるわ、ふふん」といった得意げな顔で胸を張る。マジ可愛い。
そして俺達から少し離れた場所、壁際に体を預け、腕を組んで瞑想していたオリヴィア。
彼女はやれやれといった調子で嘆息する。
で、最後に……
「規格外だなんて、そんな、褒めても何も出ないのだわ~~~」
照れたようにニコニコしてるシルフィー。……だが、
『規格外のうち二名は! 本校在籍のあの二人! そう、皆様もご存じ、大英雄のご子息、ご令嬢であります! 先の《魔族》が引き起こした事件を解決に導いた彼等が、いったいどのような活躍を見せるのか、期待に胸が躍りますッ! そして――最後の一人はッ! なんと! なな、なんとッ! かの生ける伝説ッ! 全ての剣者の始祖にして頂点ッ! そう――四天王ッ! オリヴィア・ヴェル・ヴァイン様だぁああああああああああッ!』
場内が一瞬、静寂に包まれた後、すぐに割れんばかりの大歓声が広がる。
客達の熱気も凄まじいものだったが、しかし、控え室にて待機する闘技者達もまた、一様に熱量を高めていた。
「オリヴィア・ヴェル・ヴァイン……まさか、本物なのか?」
「あの剣聖に挑戦できるとは……! これ以上の名誉はない……!」
全ての闘技者の熱量を一身に受け止めるオリヴィア。彼女からすれば慣れ親しんだ状況なのだろう。その瞳は相も変わらず閉じられ、瞑想の構えに微塵の変化もない。
……一方、勝手に期待して順当に裏切られたシルフィーはと言うと。
「えっ? ア、アタシは? ねぇ、アタシは?」
「……まぁ、元気出しなさいよ。きっといつか、いいことあるから」
涙目になってプルプル震えるシルフィーを、イリーナが優しく慰めている。
……さて。前置きが全て終わると、ついに予選の一日目が本格的に開幕した。
多くの参加者達が大舞台へと上がり、剣技を競う。中には名人、達人の類いも複数いたが……中でも注目すべきは四名。奇しくも、その全員が身内である。
まず、なんといってもこの人。
「うぉらぁああああああああああああああああああッ!」
そう、イリーナちゃんである。彼女は幼少期から俺の手ほどきを受けた才女。魔法の腕前はもちろんのこと、剣術に至っても達人の領域に在る。
そんな彼女はなんなく勝利を収め、翌日の予選二日目へと駒を進めた。
続いて二人目は、
「アードくぅ~~~ん! 見てますかぁ~~~~! 私、勝っちゃいましたっ!」
倒れた相手の傍で、こちらにピースサインをしながら微笑む。
そんなサキュバスの少女、ジニーである。
彼女の相手はなかなか骨がありそうで、苦戦は必至かと予想したのだが……
それを見事覆し、楽々と勝利を収めて見せた。
初めて会った時とは違い、ジニーの顔に弱々しさは微塵もない。これならば優勝争いにも食い込んでいけるだろう。
……そして、三人目はやはり、
「だぁああああああああわぁあああああああああああああッ!」
馬鹿、もといシルフィーである。こいつについてはまぁ、勝って当たり前というか。
アレでも奴は、あの時代を生きた人間だ。物心ついた頃にリディアに拾われ、以来、ずっと彼女の弟子として戦い続けた。その戦歴は幼いながらも輝かしいもので……あのまま軍に残っていれば、間違いなく神殺しを成していただろう。
さもなければ、あのリディアが酔狂で聖剣を託すわけもない。
もしかすると、奴こそが優勝の筆頭候補かもしれんな。
……で。最後はなんといっても、あいつだろう。
「はぁ。やはり、つまらんな」
我が姉貴分、オリヴィア・ヴェル・ヴァイン。
その威名は世界に轟いており、歴史上最強の剣士として名高い。その評価は決して誇張されたものではなく、事実、あいつ以上の剣者は後にも先にもいないだろう。
《魔素》濃度の低下により、全盛期に比べれば大きく劣化しているが……それでも、この時代では敵なしである。
相手方も名の知れた剣者であったようだが、対峙と同時に絶対的な力量差を悟ったか、一合も打ち合うことなく降参を宣言。
その結果、オリヴィアは戦うことなく勝利を収めたのだった。
……それで。肝心の自分について、だが。この予選で負けてしまった場合、間違いなくわざとだと思われてしまう。そのため当たり障りのない内容を演じ、翌日へと駒を進めた。
負けるとしたら本戦だろう。イリーナちゃんかジニーあたりとぶつかり、敗北。これが理想的なシナリオだ。……まぁ、大いなる意思は俺のことを嫌っているので、どうせそういうことにはならんのだろうが。
ともあれ。
剣王武闘会の一日目は、なんの問題も発生することなく、終わりを迎えたのだった。
大会の参加という思わぬ事態に苦しんだ二日目。
本日、学祭三日目は、平穏無事に過ぎていってほしいものだが……やはり難しかろう。
何せ本日は、演劇の公開日である。
「わ、私はちょい役だけど……そ、それでも、緊張しちゃいますね」
舞台裏にて。観客達の声を聞きながら、ジニーが冷や汗を流す。緊張しているのは彼女だけじゃない。クラス一同、平民・貴族問わず、皆一様に落ち着きがなかった。
……特に、
「ア、アアアア、アタシ、だ、だだだ、大丈夫、かかか、かしら?」
「へ、へへへ、へーきよ、こ、こここ、こんなの。た、たた、楽しんでいきましょ」
演劇の三本柱ともいえる役どころ、そのうち二つ、悪役とヒロインを演じる二人が、一番の動揺を見せている。
イリーナとシルフィー。いずれも滝のような脂汗を流し、その全身は残像が発生するほどの高速振動を続けている。
「……お二人とも、どうか落ち着いてください。完璧な芝居をしようとか、お客様の期待に応えようとか、そういったことは考えなくてもよろしいのです。お二人は場に存在するだけで華をもたらすような方々。ゆえに、ただ用意された台詞を読み上げ、適当な身振りと手振りを行う。それだけでことは終わります。ですから気を楽に……」
「そ、そそそ、そうよねっ! ア、アアア、アードの言う、言う、言う、とととと……」
「気、気が、気が楽に、ななな、なたのだわわわわ! あ、ああ、ありが、がががが……」
ダメだこりゃ。
もう、不安で不安でしょうがない。できれば始まりが永遠に来なければと思う。
だが、時は残酷にも過ぎていき……とうとう、開幕へと至る。
脚本は当初の予定通りだ。《魔王》と《勇者》、二人の主役が《邪神》の一柱たるアヴィア=デサ=ヴィルスを討滅するまでの物語。
「わ、わた、私の声が聞こえるなら! た、立って戦え! 諦めることは、許さないっ!」
敵軍の猛攻を受け、半壊となった自軍を奮起させる。そんな場面を演じるイリーナ。
開幕前は不安でしょうがなかったのだが、今のところ問題なく進んでいる。
それはシルフィーもまた同様であった。
「ふ、ふは、ふはははは! 恐怖にのたうち回れ、下等生物どもっ!」
台詞こそかなりの棒読みだが、殺陣のシーンなどは完璧である。さすが脳味噌まで筋肉でできた少女といったところか。感情に関係なく、体が勝手に動くのだろう。
このまま順調に、終わりへと進んで行ってほしいものである。
……それにしても。
「我が武威を以て血路を開くッ! この《魔王》に続けッ!」
は、恥ずかしい……! これは、予想以上に恥ずかしい……!
何が悲しくて、美化された自分なんぞ演じねばならんのだ!
「キャー! アードさま素敵ー!」
「本物の《魔王》様みたいっ! チョーカッコいいっ!」
俺が芝居をする最中は、こんな黄色い悲鳴がずっと飛び交っているのだが……
その、本物の《魔王》様はな、この戦の際、格好のいいところなど一切なかったよ。
……あぁ、演じていると、否が応でも思い出す。
《邪神》……当時は《外なる者達》と呼ばれし者共の一柱、アヴィア=デサ=ヴィルス。
奴の討伐に至るまでの顛末は、永遠に忘れられぬものである。
《外なる者達》はどいつもこいつも異常極まりない力を有しており、奴等との戦いにおいて、悲劇が発生しなかった例しがない。
奴等と戦うたび、俺達は大切なものを失い続けてきた。
そんな宿敵との長き戦いの歴史において。
このアヴィア=デサ=ヴィルス討伐戦は、異色極まりない内容であった。
もうだいぶ昔のこと。荒野の只中に城を構えたあの男を打ち倒すべく、俺達はまず城を包囲して結界を張り、敵がどこにも逃げられぬよう準備を整えたうえで軍議を行った。
場に集った面子はリディア率いる軍勢と、我が軍の主要を務める者達。合わせて一二名。
皆、まさしく一騎当千の怪物。単独で大国を落とすことなど造作もない。そんなそうそうたる面々を見回しながら、俺は口を開いた。
「……出だしに関しては、いつもの通りだ。俺とリディアが突貫し、敵方の情報を得る。これについて異論がある者は手を挙げよ」
これに対し、すぐさま噛みついたのが……当時、一二歳のシルフィーであった。
「アンタに姐さんの背中は預けられないのだわっ! だからアタシが――」
「うるせぇ。てめぇは黙ってろ」
底冷えするような声を放つリディアに、ビクリと全身を震わせるシルフィー。
普段のリディアであれば、可愛がっている妹分にこういう言い方は決してしない。
それだけ、彼女も精神的に追い詰められているのだ。
無理もない。リディアもまた、奴等との戦いで大切なものを失い続けてきた。
普段の戦であれば無茶と馬鹿をやり通し、俺の策をメチャクチャにする女だが……こういうときばかりは、さすがに空気を読む。
「で、でも、姐さんっ!」
「……オレは、黙れと言った。聞こえなかったのか?」
これ以上何か言えば、無理やりにでも黙らせるぞ。そういう顔だった。
これにシルフィーは悲しげな表情をして、瞳を涙で濡らす。
……キツい言い方をするのは、リディアなりの愛情である。これだけ言えば、あのシルフィーとて、余計な動きをすることはあるまい。結果として、彼女を失う確率も減る。
全ては妹分への愛情ゆえの冷然。しかしこのときのシルフィーは今よりさらに幼く、おそらくはリディアの真意を掴めてはいなかったろう。
「アタシだって……アタシだって……!」
俯き、涙を流しながら、悔しそうにする。
一言二言、何か声をかけてやりたかったが、時間もない。ここは敵地のド真ん中。いつ敵方が出てくるかもわからんのだ。ゆえに俺は、心を鬼にして軍議を進めた。
「俺達が戦っている間……ヴェーダ、お前は敵方の分析だ。隅々まで研究し尽くせ」
「りょ~かいっ! ドキが胸々だねぇ~! ゲヒャヒャヒャヒャ!」
四天王の一人にして、我が軍随一の頭脳を持つ少女が、不気味に笑う。
「オリヴィア。お前は不足の事態に備えよ。俺達がやられた際、その時点でまだヴェーダが打開策をはじき出していなかった場合、お前が俺達の代わりを務めるのだ」
「……あぁ。任せておけ」
神妙に頷き、閉じていた瞳を開ける。その姿はまさに、歴戦の武人であった。
「ライザー。お前は後方支援だ。俺とリディア、あるいはオリヴィアなどを援護せよ。やり方は任せる」
「委細承知」
力強く頷く。四天王のまとめ役であるこの老将は、まさに我が軍の縁の下。彼がいれば、安心して前に出ることができる。
……そして。俺は、あの男へと目をやった。
「アルヴァート。お前は……好きにせよ。思うがままに戦場を駆けるがいい」
そう告げると、奴は美女めいた絶世の美貌を、狂的な笑みで歪め、
「ふはん。こちらの扱いがよくわかってきたようじゃあないか。然らば、我が主のご命令通りにするとしよう。極上の地獄を、堪能することにしよう」
元は敵方であり……俺を殺すため誰よりも俺に近づく、といった理由で我が軍に下った男。信用は一切できぬがその力量は信頼に値する。ゆえに俺は、奴を四天王に据えたのだ。
この戦闘狂は、今回もまた戦場を荒らすだろう。その末に……
敵方を討滅する、至上の一手を打つに違いない。
それから、リディアの手勢にも配置などを伝えんと口を開いた……そのとき。
『はは。精が出るなぁ、ムシケラ共』
我々の脳内に、声が響いた。これは、そう、敵方のそれである。
『明日の昼まで待ってやるゆえ、入念に話し合うがいい。それと……今宵はなんぞ、好きなものでも食い、恋人がおる者は飽きるまで抱いておけ。明日になれば、二度とできぬことゆえなぁ。ははははははははは!』
笑声が尾を引いて……やがて、消える。
その後。敵の言う通り、入念な打ち合わせを行い、解散。
それから一人、幕舎にて夜を過ごしていたときのことだった。
「ね、ねぇ、ヴァル。ちょっと、いい?」
珍しいことに、シルフィーがしおらしい態度で入ってきた。
「どうした。俺はてっきり、リディアと共に過ごしているものと思っていたが」
「アタシも、そうしたかったんだけど……姐さん、ピリピリしてて……」
「ふむ。近寄ることもままならぬ、と。……それで、なにゆえ俺のもとへ?」
問いを投げたところ、シルフィーは拳をギュッと握りしめて、
「アタシは、本当に、姐さんの代わりになれないの……? 軍議で言われたことも、後衛での待機だし……ふ、二人はアタシのこと、役立たずだと思ってるの……?」
その大きな瞳は涙で潤んでいて、今にも泣き出しそうだった。
「アタシだって……アタシだって、ちゃんとやれるのだわ……! 足を引っ張ったりなんかしないし……皆を守るために、強くなったのに……!」
言葉が、勝手に溢れてくるといった様子だった。
……普段、俺はこいつに対し、割と辛辣に当たっているのだが。
さすがに、このときばかりはそういう気になれなかった。
「……認めているさ。俺もリディアも。お前のことを、ちゃんと認めている」
「じゃあ、なんで!? なんでいつも、アタシばっかり前に出してくれないの!?」
「それは、お前を失いたくないからだ。特に、リディアはな。……あいつからは口止めされているが、こんなときだ。かまわんだろう」
そう前置くと、俺はシルフィーの目をジッと見据えて、
「リディアはな、お前を自身の後継者にしようとしている。俺からしても、奴の軍勢を次に担うのはお前であってほしいと思う。リディアに似て短気かつ馬鹿だが……お前ほど誰かのために努力できる者はそうそういない。だからこそ、俺達はお前を死なせるわけにはいかんのだよ」
この言葉にシルフィーは驚いた様子だった。まさかそれほど思ってくれているとは、そんな顔の彼女だったが、やはり幼さゆえか、まだ僅かばかり納得がいかぬようで。
「け、けれど……もう少しだけ、アタシも前に……リディー姐さんと……つ、ついでに、アンタの役に立ちたいのだわっ!」
俺の役に立ちたい。そんなことを言うのは初めてだった。
……いつもいつも、ことあるごとに決闘を挑みかかってくる、面倒臭い馬鹿だと思っていたが。こういうところがあるから、嫌いになりきれん。
彼女にとってさっきの台詞は羞恥の対象だったらしく、口にしたことを後悔するように唸りながら、顔を林檎の如く真っ赤にしている。
そんなシルフィーに微笑すると、俺はその細い体へ近寄り、紅い髪を撫でた。
「いいだろう。然るべきときに、己の成したいことをするがいい。もしかすると後々、リディアには叱られるやもしれんが……そのときは俺がかばい立てしよう。お前はお前の好きなように動け。責任は俺がとる」
「ヴァ、ヴァル……! ありがとうだわっ! アタシ、頑張るからっ!」
泣きながらこちらの体にしがみついてくる。そんな彼女の背中をさすりながら、
「まぁ、しかし。己の身を一番に考えてくれよ。お前が死んでしまったら……俺も、まぁ、少しは落ち込むからな」
自分でもらしからぬ台詞に、赤面する。
……この当時は、なんだか温かい感じに話がまとまってよかったとか、そんなふうに考えていたのだが。
まさか、このときの言葉が、あんな事態を引き起こすとは、夢にも思わなかった。
……翌日。宣言通り、敵は昼過ぎに城から単身現れ出でて、我々と対峙する。
アヴィア=デサ=ヴィルス。紅き鎧を纏いしその威容は見る者を圧倒し、並の者はそれを直視しただけで失神へと追い込まれる。
案の定、奴が出たと同時に我が軍とリディア軍、双方に甚大な被害が発生した。
まだ戦ってもいないというのにこの有様。此度の戦いも、激しき死闘となるだろう。
そんな予感と共に、俺達は身構えた。
「ククッ。貴様等はこれまで、幾度も我が同胞を仕留めてきたようだが……その快進撃も今日この日、終わりを迎えるというわけだ」
勝利を確信した様子でそう呟くと、次の瞬間、奴の手元で雷鳴の如き閃光と轟音が響き渡る。そして……
「聖剣・デミス=アルギス。我が所有する最高の宝物で、貴様等を屠り去ってくれようぞ」
神に等しき怪物が、黄金色の大剣を構え、
「行くぞ、ムシケラ共。真の絶望というものを教え――」
悠然と一歩を踏み出した、そのときだった。
ピッ。
なんとも妙な音が場に響いたかと思いきや。
次の瞬間、敵の足下に巨大な魔法陣が顕現し……
ドガァアアアアアアアアアアンッ!
鼓膜を破らんばかりの激音と共に、アヴィア=デサ=ヴィルスの総身が爆炎に飲まれた。
ポカーン。皆、誰もが、そんな擬音の似合う顔で目前の光景を見ている。
やがて熱量が失せ始めた頃。
「う、うぅ……こ、これは……」
ボロボロの鎧姿を晒す敵方に、ますますポカーンとなる。
そんなときだった。
リディアが獰猛に笑い、突撃をかましたのは。
「うぉらぁあああああああああああああああッッ!」
「えっ、ちょっ、待……うぎゃあああああああああああ!?」
敵のダメージは相当なものだったのだろう。リディアが振るう聖剣を回避すること叶わず、紅き鎧ごと縦に一刀両断。……アヴィア=デサ=ヴィルス。その最期は、
「ば、馬鹿なっ……! こ、この我が、こんなっ……! こんな、馬鹿げた死に様を晒す、などっ……!」
敵ながら、本当に、
「ぐぅぅぅ……! む、無念っ……! 狂おしいほど、無念っ……!」
哀れ極まりないものだった。
「ふははははははははは! やったわ! やったのだわっ! アタシのトラップが、《外なる者達》に大打撃を与えたのだわっ!」
いつの間にかシルフィーが俺の横へとやってきて、誇らしげに薄い胸を張っていた。
……普通、こういとき、相手の功績を激賞するもの、なのだが。
このシルフィーという少女が対象となる場合、話が変わる。
「ぬぅぅぅ……! シルフィー・メルヘヴン! 貴公、なんということをしてくれたのだ! せっかくの闘争が台無しではないかっ!」
よほど此度の戦いに期待感を抱いていたのだろう。アルヴァートが綺麗な顔を憤怒で歪ませ、近づいてくる。
「この火照りきった体をどうしてくれるのだ! こうなれば我が主よ、貴公が相手を――」
と、そのときだった。
ピッ。
再び妙な音が鳴り響き……そして、アルヴァートの足下に魔法陣が展開。
次の瞬間、先刻と同様に、爆炎が広がった。
しばらくして、熱エネルギーが消失し始めた頃。
我が軍最強の戦闘狂が、焼け焦げた姿で倒れ伏せるという、無様な姿を晒したのだった。
「「「お、お館様ぁあああああああああああッ!? お、おのれよくも――」」」
アルヴァートが率いる、頭のおかしな戦闘狂集団。奴等が一歩を踏み出した瞬間。
ピッ。ピッ。ピッ、ピッ。ピピピピピピピピッ。
そして。
ドガァアアアアアアアアアアンッ!
奴の軍、そのほとんどが焼死体も同然の姿で倒れ伏せる。
そんな状況に、俺は頬をひくつかせながら、シルフィーへと向き直り、
「……なぁ、シルフィーよ。このトラップは、お前がやったのだよな?」
「その通りだわっ! ふふん! 今回の最大功労者はアタシで決定ねっ!」
「あぁ、そうだな。その通りだな。しかし、その前に。確認したいことがある」
「あら? 何かしら?」
「……トラップを仕掛けた場所は、ちゃんと覚えているのだろうな?」
「は? 馬鹿ねぇ、アンタ。そんなの覚えきれるわけないじゃないの。なんせ戦場の隅々に展開させたんだもの。その数は千や二千じゃないのだわ。さすがのアタシもそんな数、覚えられるわけが――」
「ははははは! はははははは! そうかそうか。ならばシルフィーよ。……我々はここからどうやって出ればいいのか、馬鹿な俺に教えてはくれんかね?」
「あっ。そ、それは、そのぉ……き、気合いでなんとか――」
「なるわきゃねぇだろ、このバカタレがぁああああああああああああああああああッ!」
そして俺は、いつも通り、馬鹿の頭に特大のゲンコツをプレゼントしたのだった。
……その後。戦場を抜けるまでに壮絶なドラマが展開された末、我が軍は三分の二が戦闘不能となり……正直、被害レベルはこれまでで最大のものだったように思える。
「真の敵は味方にあり……過去の兵法者はそのような言葉を残したものだが……今回ほど、それを痛感させられたことはないな……」
くたびれきった調子で呟く俺の横には、泣きべそをかいてこちらを睨む、シルフィーの姿があった。
「うっ、うぅ……ひっぐ……あ、あんまりだわ……最大の功労者に、この仕打ち……! そもそも、責任とるって言ったの、アンタでしょ……! 嘘つきやがったのだわ……! この腐れ外道っ……!」
その頭にはたんこぶが山のように積み重ねられており、叩かれまくった尻が痛いのか、歩き方がずいぶんと歪であった。
「……まだ文句を言うか。全然反省していないようなので、オリヴィアによる地獄の折檻フルコースをもう三セットほど――」
「ごめんなざぁあああああああああああいっ! 反省してるっ! 反省してますからぁああああああああああ! だからもうやめてほしいのだわぁあああああああああああっ!」
噴水のような涙を放ちながらの、魂の叫びに、深々と嘆息する。
……そんな俺の肩を、隣行くリディアが軽く小突いて、
「もうそこいらで許してやれや。色々あったけどよ、シルフィーのおかげで、死んだ奴ぁ一人もいなかったんだしよ」
「む……」
「奇跡ってレベルじゃねぇだろ? 今までのことを思えばよ。……ふんっとに、オレの妹分はいつもいつも、面白ぇことやってくれるぜ」
そう言うと、リディアは愛おしげにシルフィーの頭を撫で回した。
「ふ、ふふん! リディー姐さんの方が、信賞必罰ってものをよくわかってるのだわ!」
「……リディア。お前は本当に、コイツに対して甘すぎる。馬鹿を調子づかせるな」
「はは。いいじゃねぇかよ。今ぐらいは」
そしてリディアは、その美しい銀髪を風に揺らしながら、
「なぁ、シルフィー。お前は――」
と、過去に浸り続けながら、芝居をしていたときだった。
脳内にて流れる過去の映像から、現実へと、意識が集中する。そんな事態が発生した。
「う……え……えぇっ、と……」
《邪神》を倒す。その直前の盛り上がりどころにて。
台詞を紡ぐべきシルフィーが、その動きを完全に停止させたのだ。
その様子を見るに、頭の中から完全に台詞が飛んでいるらしい。
突如止まった演劇に、客が徐々にざわつき始める。
「シ、シルフィー……?」
小声で呼びかけるイリーナだが、当人は動揺した顔で目を瞬かせるのみ。
完全なるパニック状態だった。今、シルフィーの脳内は真っ白になりつつあるだろう。
観客達の、困惑に満ちた視線。
舞台裏から送られる、学友達の心配げな視線。
さまざまな目がシルフィーの心を追い詰めていき、パニックが進行していく。
まさに悪循環である。
……まったく、仕方のない奴だ。三年ほど修行したというが、まだまだ手が焼ける。
そんな、間抜けな妹分のままだ。この馬鹿は。
「どうした、《邪神》よッ! この《魔王》を恐れ、声も出ぬかッ! ふん、まったく貴様という奴は、そんな軟弱な敵だったのか!」
シルフィー。お前があの頃を忘れていないなら。
「《邪神》よ、貴様は―― 貴様は(お前は)、俺が認めた相手だ(オレが認めた女だ)。だから、自信を持つがいい(だからよ、自信持っていいぜ)」
あいつ(リディア)の言葉を思い出して、奮起してみせろ。
あいつはあのとき。夕焼け空の下で、お前にこう言ったよな。
『お前はもう、十分にすげぇよ。』
『でもな、ちょっと気張りすぎっつぅか』
『役に立ちたいとか、皆を守らなきゃとか、んな重っ苦しいもん、背負わなくていい』
『そういうのはまだ、オレ等に任せとけよ。だからさ、お前は――』
『「何も考えず、思うようにやればいい。そうすればきっと、上手くいく」』
この言葉を受けて、シルフィーは目を丸くし――
それから、クスリと笑うと、
「我が貴様なんぞに、負けるわけがあるかぁあああああああああああッ!」
台本にない台詞を叫び、台本にない動きを見せる。
それから以降は、何もかもがアドリブだった。
シルフィーが好き放題動き、それを俺とイリーナがフォローする。
まるで、あの頃のように。
演劇はまさにカオスの極みとなったが、むしろ客はそれを楽しみだしたらしい。
これまで以上の大歓声の中、台本不在の演劇が続き、そして――
「ぐごぉっ!? や、やられたのだわ……! で、でも、アタシは再び蘇――がくっ」
もはや完全に、ただのシルフィーであった。
しかし、そんな結末にもかかわらず。
会場には大きな拍手と声援が、いつまでもいつまでも、響き続けたのだった。
演劇終了後のこと。
舞台裏へと引っ込んでからすぐ、シルフィーがこちらへと寄ってきた。
その顔は僅かに紅く、これから言うことに対し照れを感じているようだった。
こういうとき、コイツはいつまで経っても口を開かんので、俺の方から会話を促す。
「お疲れさまでした、シルフィーさん。最後のアドリブは素晴らしいものでしたよ」
「う、うん。ありがと。……全部、アンタのおかげだわ」
「いえいえ。そんなことはありませんよ。全てはシルフィーさんの力量というものです」
「……ホント、優しいのね、アンタ。アイツとは……いや、アイツも一応、ちょっとだけ、本当にちょっとだけ、優しい奴、だったけど」
昔を懐かしんだのか、穏やかな笑みを浮かべると、シルフィーは頭を下げて、
「今回も、アンタとイリーナ姐さんには迷惑をかけたのだわ。本当に、ごめんなさい」
粛々と謝罪するその姿に、クラス一同が目を丸くした。
そんな中、イリーナは磊落に笑い、
「なぁ~に言ってんのよ! あんたのおかげで、最後はあたしもアードも楽しかったし! 迷惑どころか、こっちがお礼をいいたいぐらいよっ! ね、アード?」
「イリーナさんのおっしゃる通りにございます。私も、本当に楽しい思いをさせていただきました。お客様にもそれが伝わったのでしょう。今回の成功は、貴女のおかげですよ、シルフィーさん」
下げられたシルフィーの頭が、ぶるっと震え……
彼女はこちらに顔を見せぬよう、背中を向けると、
「そ、そうねっ! 今回の最大の功労者はアタシってことで! じゃ、じゃあ、アタシ、ちょっと警邏に行ってくるから! あぁ、ホント、忙しいのだわっ!」
そう言って駆け出すシルフィーの背中を、俺は見つめ続けた。
……相も変わらず、わかりやすい奴だ。
そんなことを思って、笑いながら。
◇◆◇
夕暮れ時。オレンジ色の夕陽に照らされた学内を、シルフィーはゆったりと回る。
その心は、幸福感で一杯だった。
アード・メテオール。イリーナ・リッツ・ド・オールハイド。
二人の姿が、ずっと、頭の中にある。
特に……アード・メテオールのことを思うと、胸が高鳴るような……
それはかつて、リディアに感じたものと、同種の感情だった。
「……たくさん迷惑掛けたのに、優しい言葉をくれる。そんな人に、また会えるなんて」
呟きながら、演劇の経緯を思い返す。
あのとき。台詞を忘れ、パニックになったとき。彼がかけてくれた言葉は、かつてリディアから貰った言葉とそっくりだった。
だから、というのもあるのだろう。彼の姿に、リディアを被らせるのは。
しかし……どこまで行っても、彼はアードである。リディアではない。
「リディー姐さん、ホント、今どこにいるのかしら? ……今日の演劇が大きな話題になったら、姐さんの耳にも届くかな? そしたら……アタシのところに」
来てくれるかな。そう呟く直前だった。
白銀色の髪を揺らめかせる、一人の女性の後ろ姿を、認めたのは。
「ね、姐さん……!?」
自然と足が動き、シルフィーは女性の方へと駆けていく。
「姐さん……! 姐さんだわ……! そうよね、あの人、お祭り好きだもん……! お祭りと……アタシがいるところに、来ないわけがないのだわっ!」
目尻に涙が溜まる。
三年間、ずっと会いたかった。
ここ最近は特に、会いたいという思いが強かった。
報告したいことが、たくさんあるから。
「姐さんっ!」
そしてシルフィーは、女性に声を飛ばし――
振り向いた彼女の顔を見て、目を大きく見開いた。
「……? あ、あの、わたしに、何か?」
別人。髪色こそ同色だが、その顔はリディアのそれではない。
大きな失望が、シルフィーから表情と言葉を奪う。
そうして沈黙を続けていると、銀髪の女性は気味の悪いものでも見るような目をシルフィーに向け、やがて、彼女の前から去って行った。
「……はは。アタシってば、馬鹿みたい」
僅かに瞳を濡らしながら、自重する。
そうして彼女は、暮れなずむ空を見上げながら、ポツリと呟いた。
「会いたいよ、姐さん……」