第二八話 元・《魔王》様と学園祭準備 Part3
放課後。夕暮れ時の空の下、俺達は寮への道を行く。
本日は随分と疲れた。心なしか、学園での体感時間も長く感じたな。
それもこれも、シルフィーが原因である。
……そんな彼女は今、俺とイリーナ、ジニーのすぐ後ろを歩いていて、こちらの背中へジットリした視線を刺している。
俺は無視を貫く方針であったが、ジニーが我慢の限界を迎えたらしい。
「……ミス・シルフィー。貴女、どこまでついてくるつもり?」
「そんなの決まってるじゃないの! どこまででもついていくのだわ!」
ある意味では愛の告白にも似た内容。しかし残念ながら、それとは異なる意味である。
……いや、別に残念でもないか。
「私達はこれから愛の巣に帰るのです。部外者はどこかよそへ行ってくれませんか?」
シルフィーが俺のことを敵視しているからか、ジニーの態度は酷く冷たい。
さりとて、シルフィーがめげるわけもなく。むしろ愛の巣という言葉に食いついて、
「ど、どういうことだわ、それ!?」
「そのまんまの意味です。私達、一緒の部屋に住んでるんですよ」
一緒の部屋、というか。ジニーがむりやり同室に改造したというか。エルザードの一件以降、俺はイリーナを守護するため貴族寮の一室にて同棲を始めたわけだが。そこに隣室のジニーが乱入。部屋の壁を粉砕し、広々とした三人部屋に改造したのだった。
「い、一緒に住んでるって……! イ、イリーナ姐さんもっ!?」
「とーぜんでしょっ! あたしとアードは一心同体なんだから!」
「だわわっ!? ……ア、アード・メテオール! アンタ、姐さんに手を出してないでしょうねぇッ!?」
「出すわけがないでしょう」
イリーナちゃんは大切な友人であり、彼女の父から世話を任された娘的存在である。
そんな命よりも大事な少女を汚すような真似など、するわけもない。
「むむむ……! 信用できないのだわ……! あの《魔王》がイリーナ姐さんほどの美少女に手を出してないだなんて……!」
だからさ。なんでお前は、俺のことを色ボケ野郎みたいに思ってるんだよ。
前世ではまともな異性と手を繋いだことさえないんだぞ。
……まともじゃない異性 (主にオリヴィアとリディア)となら繋いだが。
「こ、これは! 監視の必要があるのだわ! もともとアンタのことを二四時間ずっと監視するつもりだったけれど! 今の話を聞いて一層気合いが入ったのだわ!」
「え~。貴女も同居するんですか~? やめてくださいよ~。邪魔くさい。ていうか、貴女が眠るベッドなんてありませんよ~?」
ジト目でツンケンした言葉を送るジニー。
それに反して。
「別にいいじゃないの。一人や二人、増えたところで変わらないわ。それに……シルフィーがいたら、なんだか楽しそうだし」
「だわわっ!」
シルフィーにとっては予想外の一言だったのか。その大きな瞳を感動の涙で潤ませている。……俺のことを監視する、というのは建前で、寮についてくる本当の理由はイリーナと友達になりたいから、なんだろうな。
……そうであるなら、シルフィーを拒む理由はない。
彼女にはイリーナだけでなく、多くの者と友好を結んでほしいものだ。
そうすれば、きっと……
大切なモノを失い続けたことで生まれた心の隙間も、いずれ埋まってくれるだろう。
◇◆◇
シルフィー・メルヘヴンからしてみれば、アード・メテオールの生活はふしだら極まりなかった。
少女二人と同棲というだけでも性的に乱れているというのに、その挙げ句、同衾まで。
これで手を出さない方がおかしいのではないか。
女神の如きイリーナは当然として、ジニーもまた魅力的な少女である。
くびれた腰、大きな胸、突き出たお尻など、シルフィーが持たぬ強烈な色気。
男ならば誰だって、手出しをするものではないか。
(いかがわしいのだわ……! やっぱり、アード・メテオールは《魔王》……!)
(アタシの敵なのだわっ!)
内心でアードへの敵愾心を強めていく。
そんな彼女は今……
「ふぅ~~~。お風呂なんて久しぶりね~~~」
「一日の疲れが消えていきます~~~~」
貴族寮の内部に設けられた大浴場にて。
イリーナとジニー、二人と共に湯船へ浸かっていた。
「あぁ~~~。やっぱり大きなお風呂はいいわ~~~。最近はシャワーで済ませてるから、余計にそう感じるわね~~~」
湯煙漂う温かな空間に、心地よさげなイリーナの声が溶けていく。
聞くところによると、彼女は大の風呂好きであるようだが、ここ半月ほど浴場を利用できなかったという。それはアードの指図とのことだが……事情を知ると、彼を批難するわけにもいかなくなった。
なんでも、イリーナはある理由から《魔族》に狙われているとのこと。
それゆえに、寮内ではなるべく部屋から出ず、護衛役であるアードと一緒に過ごすべき、
と、そういうことになったため、入浴は部屋の小さなバスルームで我慢していたという。
それを哀れんだシルフィーは、アードに直談判。その結果。
『……まぁ、貴女もついていますし、問題はないでしょう』
かくして、シルフィーは姉貴分と認めた少女に、気持ちのいい入浴の時間を提供できたのだった。
「もうそろそろ、体洗いましょうかねぇ~~~」
「あ、じゃあ、あたしも~~~」
ゆったりした声を出しながら、ジニーとイリーナが立ち上がる。
バシャッと湯船を掻き分けて、彼女達の裸体が空気に触れた。
見事なプロポーション。両者共に豊かな乳房を持ち、それでいて、腹回りは適度に引き締まっている。そんな姿を見て……シルフィーは、己の胸へと視線を落とす。
「……だいじょうぶ。これから成長するもん。ぜったい」
なんとも言えぬ気分になるシルフィー。
そんな彼女に。
「あんたも来なさいよ。背中、流してあげるから」
かけられた声はとても意外なもので、シルフィーは思わず「だわっ!?」と驚きの声を上げてしまった。
「あによ。嫌なの?」
「そ、そそそ、そんなことないのだわ! ぜひぜひ、お願いしますっ!」
勢いよく立ち上がるシルフィー。湯船がザパァン、と派手な音を鳴らす。
壁面沿いへ三人で移動し、風呂用の椅子に腰掛ける。
そんなシルフィーの横で、イリーナは手すりに掛けられた布を取り、そこへ洗剤を染み込ませると。
「今日は一日お疲れさま。学園生活は初めてだっけ?」
「そ、その通りだわ」
「そっか。じゃあ、きっと緊張もあったでしょうね」
優しい声をなげかけながら、イリーナが背中をゴシゴシと洗ってくれる。
少々、力が強くて、正直、痛い。これは……リディアの力加減と、同じだった。
姉のようであり、母のようでもある彼女とは、よく一緒に入浴したものだ。
そしていつも、彼女はこうやって、背中を洗ってくれた。
『い、痛いのだわ、リディー姐さん』
『我慢しやがれ。こんぐらい力入れた方がな、垢が落ちやすいんだよ』
当時の記憶が蘇って……気付けばシルフィーはノスタルジックな感情に浸っていた。
「ん? どうしたの? しょんぼりしちゃって」
「えっ。あ、あぁいや、なんでもないのだわ!」
背後を向いて、イリーナの顔を見る。きょとんとしたその美貌は、やはりリディアにそっくりで……
「ね、ねぇ、イリーナ姐さん」
シルフィーは、欲求が赴くままに口を開いていた。
「ア、アタシ達……友達には、なれないのかな……?」
一度魚絶された手前、どうしても声は小さくなってしまう。
今回もきっと、拒絶されてしまうんだろうな。
でも、諦めきれない。
イリーナと、友達になりたかった。
リディアにそっくりで。まっすぐな心を持っていて。
本当に。本当の本当に素敵な彼女と、友達になりたかった。
「はぁ? なに言ってんのよ、あんた」
呆れたような言い方に、シルフィーは肩を落とす。やっぱりダメだったか、と。
しかし、次の瞬間。
「あたし達、もう友達でしょうが」
「……えっ」
目を見開きながら、イリーナの顔を凝視する。
と、彼女はシルフィーの腕や腋をゴシゴシ洗いながら、
「そりゃあね、アードのこと敵視してたり、酷いこと言う奴は嫌いだし、友達になんかなりたくないけど。……まぁ、あんたは特別よ。なんだか放っておけないし、それに……」
ここで一度言葉を句切り、魔導式シャワーを手に取る。
魔石の力で発生した温かな湯が、シルフィーの体に付いた泡を流していく。
「なんでかな。あんたのこと、妙に可愛く思えるのよね。初印象は最悪だったけど……今はそうでもないわ。だからこうやって、一緒に風呂入ってんのよ」
「ね、姐さんは、本当に、アタシのこと、嫌ってないの?」
「嫌いだったらこんなふうに体洗ったりしてやらないわよ」
「と、友達、なってくれるの?」
「だ~か~ら~。もう友達だって言ってんでしょ」
苦笑するイリーナに、シルフィーは感極まって。
「うわぁ~~~~~ん! 姐さぁ~~~~~~ん!」
「ちょっ、きゃっ!?」
勢いよく抱きつき、押し倒してしまう。
そうして、シルフィーはイリーナの豊かな胸に顔を埋めて、
「やったのだわ! やっと、新しい友達ができたのだわ! うわぁ~~~~~ん!」
滝のような涙を流す。
そんな彼女の紅い髪を、イリーナは優しく撫でた。
「そういやあんた、仲間を失い続けて……最後は独りぼっちで《邪神》に戦いを挑んだんだっけ。そのときに、行方不明になったのよね」
「えっ」
そんな記憶はないのだが、なんだか、ツッコミを入れられる空気じゃなかった。
「ずっと、新しい仲間を求めてきたんでしょうね……なんとなくわかるわ、その気持ち」
シルフィーの頭を撫でながら、優しい微笑を浮かべるイリーナ。
その母性溢れる姿に、リディアの面影が強烈に重なる。
「もう、あんたは独りじゃないわ。あたしが友達として、一緒にいてあげるから」
「……ありがとう、だわ。イリーナ姐さん」
笑い合う。
こうしていると……無性に、リディアに会いたくなった。
今、彼女はどこで何をしているのだろう?
数千年も経過したとのことだが、まさか、彼女が死ぬはずもない。
(いつか、見つけ出すのだわ。それで……)
(姐さんにそっくりな、素敵な友達ができたって、報告したい)
そのときに思いを馳せながら、シルフィーは柔らかく微笑むのだった。
「……あれ? 私いま、ものすごく空気……」
二人の横でジニーが複雑そうな顔で呟いたのだが、誰も気にはしなかった。
◇◆◇
ラーヴィル国立魔法学園。
ラーヴィル魔導帝国における最古にして最上の学び舎である。
その敷地面積は小規模な村低度であればまるまると収まってしまうほど大規模なものであり、校庭には運動グラウンドや校舎は当然のこと、魔導実験棟や地下迷宮の出入り口など、多種多様な施設が点在している。
そうした学園が今、普段とはまったく異なる様相を見せていた。
『三年B組は現在、魔導アトラクションを開催しております! 皆様ぜひご参加を――』
『二年C組のブースに来てくだされば、お客様をめくるめく幻想世界へご案内――』
絶え間なく続く学内放送が、喧噪の中に溶けて消える。
今や学園内は、商店街のような状況となっていた。
生徒達による大小様々な店舗へ、一般の客が足を運ぶ。
明るい声が飛び交うその空間の中に――その異物は、あまりにも自然に溶け込んでいた。
「ふふん。人々の活気溢れるさまというのはやはり良いな。こうした前段階がなければ、絶望も苦悶も映えはしない」
周辺の様子を見回しながら、くつくつと笑う。
校内には、仮装した者が多く立ち歩いていた。そんな中に在ると、燕尾服に似た衣装と奇妙な仮面を被った彼または彼女も、特別奇異なものには見えない。
実際は、異質極まりない存在であるというのに。
そんな仮面の某は、踊るようにクルクルと回りながら、学内を進んで行き――
彼と彼女の姿を、その目に映す。
アード・メテオール、そして、イリーナ・リッツ・ド・オールハイド。
楽しげな顔で出店を回る彼等の様子に、仮面の某は「ほう」と息を吐いて、
「楽しいかね? アード・メテオール。嗚々、きっと楽しいのだろうな。久方ぶり(、、、)にできた友人と過ごす一時は、とてもとても、幸福なものであろうよ。だが……悲しい哉、吾はまだ、ちっとも楽しくない。貴公のせいだよ、アード・メテオール。まったく、貴公という存在は本当に、度し難いものだなぁ」
くつくつと笑いながら、仮面の某は二人のことをジッと見据えて、呟いた。
「せいぜい、幸福な時間を楽しむといい。嗚々、先々を思えばそれが一番だ。そうした方が都合がいい。何せ、アード・メテオール。貴公の人生は――」
「ここから先、下へ下へと、堕ちていくだけなのだから」