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第二五話 元・《魔王》様、馬鹿に苦労する

 ざわめく教室の中、シルフィーは壇上を前にして、室内全体を見回している。

 その目は異様に血走り、まるで親の仇でも探しているかのような有様であった。


「……おい馬鹿、もといシルフィー。さっさと自己紹介をしろ。さもなくば昨夜と同じ目に遭わせるぞ」


 オリヴィアの冷然とした声と眼差しを受けて、シルフィーがビクリと体を震わせた。

 昨夜なにがあったかは知らんが、よほどの大目玉を食らったようだ。

 彼女はオリヴィアにビビりながらも、平静を装った調子で紅髪をファサッとなびかせ、


「アタシはシルフィー・メルヘヴン! 学園生活なんて初めてだから緊張してるけれど! とりあえずよろしくお願いするのだわッ!」


 お前のどこに緊張感があるというのか。


「えっ。シルフィー・メルヘヴン……?」

「激動の勇者と同姓同名、だよな?」

「確かシルフィーって、《邪神》との戦いの最中、行方不明になったんだっけ?」

「時季外れの転校生……紅い髪……同姓同名……ま、まさか……!?」

「いや、ありえんだろ。ただの偶然だって。そもそもシルフィーは巨乳の美人だろ?」

「文献によって伝わる姿は違うけど……まぁ、あんなちんちくりんじゃねーわな」


 ……正確な歴史が後世に残ることがないのと同様、当時の人物の実態もまた、正確に伝わることはほとんど皆無である。


 シルフィーは現代において、普段は思慮深い女神のような存在だが戦となれば別人のように苛烈な人格となる戦乙女……などという実態とはあまりにも食い違った人物像が伝わっている。一体誰だ。そんなデタラメを流した奴は。


 あの娘の頭に思慮という言葉はなく、脳味噌は完全なる飾りである。

 即ち、シルフィー・メルヘヴンはワールドレコードクラスの馬鹿なのだ。


 で、そんな馬鹿は再び威嚇するような仕草で室内を睨め回し、


「挨拶は終わったのだわ! さぁオリヴィア! アード・メテオールを出しなさいっ!」


 この言葉に、全員の視線が俺へと集中した。

 さしもの馬鹿、もといシルフィーも、そうした生徒達の反応で俺=アードであると悟ったらしく……


「アンタがアード――――ってぇ!? ア、アンタ、昨日の!? だ、騙しやがったわね、ゴラァアアアアアアアアアアアアアアアッッ!」


 怒声を放ちながら、こちらへと一直線に駆け寄ってくる。

 まさに猪突猛進を絵に描いたような疾走。そして急ブレーキ。大気の激動が彼女のスカートをめくり、純白の下着が露わとなるが、当人は気にしていない。俺も気にしない。

 シルフィーは顔を怒りで真っ赤に染めながら、こちらの胸倉を掴んだ。


「さすが《魔王》! 相も変わらず卑劣なのだわッ!」


 ……おい。いきなり何をぶっ込んでくれてるのだ、この馬鹿は。


「い、いや、ちょっと。待ってください。ま、《魔王》とはどういうことです?」

「しらばっくれても無駄よっ! あんたが《魔王》・ヴァルヴァトスの転生体だってことは調べがついてるのだわっ!」


 ……なんてこと言ってくれやがるのだ、こいつは。

 俺が必死こいて隠し通そうとしている真実を、こうもアッサリと……!

 目前の馬鹿に対する怒りが沸き上がる。前世の頃であれば、「なに言ってんだ、このバカタレッ!」と怒鳴りながらゲンコツを食らわせてやるところだが……それをやれば、こいつの言葉を肯定したも同然である。だから我慢だ。辛抱するんだ、俺。


 なぁに。こいつの寝言など誰も信じはしないさ。俺が《魔王》であるなどと、誰が――


「アード君が《魔王》様の転生体……!? あ、ありえるかも……!」


 えっ。


「そういや、《魔王》様は崩御される直前、こんな言葉を残したんだよな。長き時の末、世が再び《魔族》によって乱れしとき、我は再び世に現れん、と」


 いや、全然残してないんだが。これっぽっちも覚えがないのだが、そんな台詞。

 ちなみに俺が死ぬ前に発した言葉は次の通り。


『《魔王》は寂しいから死ぬ。まさに寂死いであるな。はっはっは』


 個人的にはかなり上手いこと言った感じなのだが、いかがだろうか。

 ……そんなことはさておいて。


「アード君が《魔王》様の生まれ変わり……! その発想はありませんでした! でも、よくよく考えたら自然ですね! さすがアード君、惚れ直しちゃいました!」


 ジニーよ、何がさすがなのかこれっぽっちも理解できんぞ。

 ……彼女を始め、室内に着席する生徒の約半数が俺=《魔王》の転生体であると信じているようだった。そして、


「シルフィーよ、調べがついていると言ったが、そこのところ詳しく」


 厄介な我が姉貴分が、興味津々である。

 さりとて、シルフィーは頭に血が上っているからかオリヴィアのことなど目もくれず、俺に対して悪い意味で熱烈な視線を注ぎ、


「決闘よッ! アンタに決闘を申し込むのだわッ! 今回こそはギッタンギッタンにしてあげるから覚悟しなさいッ!」


 ビシィッ、とこちらを指差しながら、こんなことを言ってきた。

 さて、どうしたものか。とりあえず、決闘などするつもりはサラサラない。こいつは俺にとって数少ない「ムキになってしまう相手」である。そのため間違いなく、ボロが出る。


 俺=《魔王》だと、オリヴィアにバレるわけにはいかんのだ。

 ゆえにどうにか、この話を上手い感じに流さねば……!

 そう悩んでいる最中のことだった。


「あんたねぇっ! さっきから好き勝手言ってくれちゃって! 腹立たしいわっ!」


 ガタッと席を立ち、威嚇するワンコの如く白銀色の髪を逆立たせる超絶美少女。

 そう、我等がイリーナちゃんである。堪忍袋の緒が切れたとばかりに目尻を吊り上げ、バックに怒りの炎を背負うイリーナちゃん、マジ凜々しい。


「アードの代わりに、あたしが決闘を受けてあげるわっ!」


 指を差し返すイリーナに、シルフィーは売り言葉に買い言葉……とはならなかった。

 それどころか、むしろ目を大きく見開き、ビックリしたような顔となる。

 ……あぁ、そうか。こいつもやはり、イリーナにリディアの面影を見たか。

 無理からぬことだ。俺もまた、この娘と初めて相対した際は内心驚いていた。

 ……シルフィーにとって、《勇者》・リディアは師であり、母であり、姉である。

 そんな彼女は、リディアそっくりのイリーナを前にして、


「ア、アンタ、アード・メテオールの、なに?」

「お友達よっ! ナンバー・ワンフレンドよっ! あたしの上にあたし以上の友達はなく、あたしの下にはあたし以下の友達ばっかり! そんな関係っ!」


 何が言いたいのかさっぱりわからんが、可愛いからよしとする。


「そ、そうなの……ふぅ~ん……」


 どこか複雑そうな顔で口をもごつかせるシルフィー。さっきまでの威勢が消えている。

 彼女はしばし、もじもじしながらイリーナを見つめ続けた。

 これをガン飛ばしてやがると勘違いしたのか、イリーナちゃんは「ぐるるる!」と唸りながらシルフィーを睨む。精一杯怖い顔を作ろうと努力してるさまが非常に可愛らしい。

 そして数秒後。シルフィーが沈黙を破った。


「ア、アンタ! アタシの友達になるのだわっ! そ、そしたら、アード・メテオールのことは見逃してやってもよくってよっ!」

 勇気を振り絞っての告白、といったシルフィーの言葉を、我等がイリーナちゃんは、

「やだっ! アードを敵視してる奴となんか、友達になりたくないっ!」

「だわわっ!?」


 腕を組み、ふん、と鼻を鳴らしてそっぽを向くイリーナ。

 全身を生まれたての子鹿みたく、プルプル震わせるシルフィー。


「う、うぅぅぅぅぅ……!」


 大きな瞳を涙で潤ませると、奴はなぜだか俺を睨み、


「おっ、おぼえてやがれだわ! アード・メテオールッ! うわぁああああああああん!」


 完全に無関係の俺へ恨み節を残し、豪快に走り去って行く。


「……シルフィー・メルヘヴン、無断欠席、と」


 ため息を吐きながら出席簿に羽ペンを走らせるオリヴィア。

 なんかもう、ものすごく疲れた。まだ朝だというのに。



 それから少しして。派手にドアをブチ破って走り去った馬鹿が、おずおずと帰ってきた。

 できればあのままどっか行ってほしかったのだが、ここ以外に行き先がないのだろう。

 そういうわけで、シルフィーという爆弾を抱えての授業が始まりを迎えたのだった。


 動きやすい体操着へと着替え、広々とした運動グラウンドへ移動。

 本日の一限目は剣術の鍛錬である。指導教官はオリヴィアだ。

 最初に素振りや型稽古を行う。

 普段なら、この授業は俺にとって心安まる時間だ。特別オリヴィアに怪しまれるような要素もなく、淡々と時間が過ぎていく、というのがこの授業の常である。

 しかし……


「だわっ! だわっ! だわぁああああああああああああっ!」


 さっきから素振りの風圧でクラスメイトをコケさせまくってるこの馬鹿のせいで、安らぎの時間が緊張感溢れる修羅場と化している。どうしてこうなった。


「……おいシルフィー。少しは加減しろ。これでは授業にならん」

「これでも力を抜いてる方だわ! まったく! この時代の連中は貧弱ね!」


 心なしか、オリヴィアの鉄仮面じみた顔にも疲労と緊張が浮かんでいるように見える。


「すげぇな、あの転入生。もしかして、マジでシルフィーなんじゃね?」

「み、認めん。断じて認めんぞ。シルフィーたんはおしとやかで可愛い女の子だ。あんなのとは全然違う」


 残念ながら、そんなシルフィーはどこにもいない。

 馬鹿と野蛮が人型を成した存在。それこそがシルフィー・メルヘヴンである。

 そんな天災少女を交えての授業は、だいぶ騒々しいものではあったが……

 まぁ、想定よりも平和的であった。このまま無事に全てが終わってほしい。

 そう願った矢先。


「さて、組み打ち稽古に移るとしよう。まずはアード・メテオール。貴様は――」


 オリヴィアがその口元に、策士じみた微笑を浮かべながら。


「シルフィー・メルヘヴンとやれ」


 とんでもないことを、のたまいやがった。


「上等ッ! 剣術はこの数年で一番上達した分野なのだわッ!」


 やる気満々なシルフィー。得意げにまな板のような胸を張る姿がなんとも憎たらしい。


「いや、ちょっ、お、お待ちください! オリヴィア様!」

「あらら? どうしたの、アード・メテオール? もしかして、アタシとやるのが怖いのかしら? そういえばアンタ、昔っからここぞというときに臆病風吹かせてたわねっ!」


 こ、この野郎……! い、いや、我慢だ。挑発に乗るな。


「オ、オリヴィア様。見たところによると、シルフィーさんに組み打ち稽古の必要はないかと。彼女の剣術の腕前は指導を受ける域ではありません。よって――」

「なぜそうもコイツとやるのを躊躇うのだ? ムキになってしまうからか? そういえば、あの馬鹿弟は普段こそ冷静沈着であったが、シルフィーが絡むと常に熱くなっていたな」


 ニッコリ笑うオリヴィア。その表情が彼女の考えを物語っている。

 コイツ、俺が《魔王》であるか否か、シルフィーを使って見定める気か。

 ならば、なおさら組み打ち稽古などやりたくない。しかし……固辞するのもおかしな話だ。バレるのを恐れているからやりたくない。そのように取られてしまう。

 ……こうなれば、仕方あるまい。


「わかりました。組み打ち稽古、謹んでお受けいたします」


 全身全霊を尽くし、負ける。あの馬鹿に、シルフィーに、負ける。

 ……ふ、不安だ。前世でもこれほどの不安は感じたことがないぞ。


「やっちゃえアードっ! そんな奴、三秒でコテンパンよっ!」

「だわっ!?」


 イリーナの声援がシルフィーの心を抉った。

 涙目となった彼女は完全に逆恨みモードに入ったらしく、


「ボッコボコにしてやるのだわぁああああああああああああッ!」


 絶叫と共に、激烈な踏み込みを見せる。

 音を置き去りにするような速度で肉迫するシルフィー。発生した風圧が彼我の髪を激しく揺らめかせ――数瞬後、木剣同士が激突し、周囲に衝撃波が広がる。

 一合、二合、三合。めまぐるしい攻防劇。

 俺とシルフィーが刀身を振るう度、大気が絶叫し大地が震撼する。


「す、すげぇ……!?」

「デタラメにもほどがあんだろ、あの二人……!」


 これはよろしくない。このままでは俺の評価が好まざるレベルへと上がってしまう。

 ゆえに、さっさと負けなければならんわけだが……


「どうしたの《魔王》ッ! 進化したアタシの剣技にビビってるのかしらっ!?」


 負けよう負けようと、そう思っているのだが。

 もし負けた場合。


『は? アンタ、アタシに意見するの? アタシより弱いくせに?』


 とか。


『ねぇ。お茶煎れてくれないかしら? は? 口答えするの? アタシより弱いくせに?』


 とか。

 さんざん俺のことを見下しまくることは間違いなかろう。


 他の誰に見下されてもいい。だが、この馬鹿にだけは絶対に嫌だ。

 人間、誰しも「こいつにだけは下に見られたくない」という相手がいると思う。

 俺にとって、シルフィーはまさにそれなのである。ゆえに。


「進化したかどうかは存じませんが――まだまだですね」


 シルフィーには突きを放った後、体を僅かに左へ傾ける癖がある。それは僅かながらも体捌きを鈍らせるもので……右サイドへ回り込むと、対応が遅れるのだ。

 成長はしたようだが、まだまだ癖は抜けていないようだな。

 そんなだから、ほら、簡単に胴打ちが決まる。


「うぁっ!?」


 腹を横薙ぎに叩いてやると、シルフィーは小さな悲鳴を上げ、吹っ飛ぶ。

 それから彼女は、十歩分離れた場所で着地。加減はしたので大事はなかろう。


「……一本。アード・メテオールの勝ちとする」


 意外にも、オリヴィアの顔に笑みはない。勝利したことが予想外であったのだろうか。

 ふむ。結果的に見ると、勝ったことが良い方へ転がったらしい。

 むしろ負けていたなら、「わざと負けたな」と詰め寄られていたかもしれない。

 なんにせよ、今回は俺にとって一番よい結末に――


「み、認めない……! 認めないのだわっ! アタシは強くなった! アンタよりも! 《魔王》よりも! ずっとッ!」


 対面にて、シルフィーがムキになった様子で叫ぶ。

 そして。


「デミス=アルギスッ!」


 天へと掲げた右手を中心に、雷鳴の如き閃光と轟音が響き渡る。

 次の瞬間、彼女の手中に一振りの大剣が顕現した。

 黄金色の刀身と、豪奢な装飾を持つそれは……聖剣・デミス=アルギス。

 三大聖剣の一つであり、かつて俺とリディアがシルフィーに託した力。

 それを奴は。


「アタシはまだッ! 負けてないのだわッッ!」


 激昂しながら構え――


「《ヴェル(邪悪なる者よ)》・《ステナ(我が一刀のもとに)》・《オルヴィディス(消え去るがいい)》ッ!」


 超古代の言語によって紡がれた詠唱。

 それは聖剣の力を解き放つためのキーワードであり――


「やめろッ! その技をこんな場所で撃つなッ!」


 オリヴィアの制止も虚しく、シルフィーはこちらへ向かって聖剣を振るう。

 刹那、虚空を滑りし黄金の刀身から、膨大なエネルギーの奔流が放たれた。

 圧倒的な。膨大な。比肩することのない。凄まじい破壊力が殺到する。


「くっ……!」


 さしもの俺も、これには本気を出さざるを得ない。

 超級防御魔法アルテマ・ウォールを無詠唱で発動。

 半透明な球体状の防壁が、俺の周囲に顕現する。

 数瞬後、奔流が防壁へと衝突。凄まじい圧力が全身にかかる。


 ……あの馬鹿、最大火力で放ったな。

 前世の俺であれば止めきることは可能であるが、今の肉体では少々荷が重い。

 ゆえに奔流を受け止めつつ、新たに魔法を発動する。

 風属性の上級攻撃魔法ギガ・ウインド。魔力によって形成された気流は、同じく魔力による破壊のエネルギーへと干渉できる。

 強力な魔力風により、聖剣から放たれし破壊の奔流は横へと逸れ――


 今は誰も利用していない旧校舎へと激突。広範囲を崩壊させ、消失した。


「なっ……! い、一度受けきったからと言って、調子に乗るんじゃ――」


 再び大技を放たんと身構えるシルフィーであったが。


「そこまでだ。シルフィー・メルヘヴン」


 俺よりも遙か先に、オリヴィアが彼女の首元へ剣を突きつけていた。

 底冷えするような声を放った彼女の瞳には、確かな激情が宿っている。


「これ以上続けるというなら、わたしが貴様の首を落とすぞ」

「うっ……」


 さすがのシルフィーも今のオリヴィアには怖じけたらしく、素直に剣を下げた。

 オリヴィアもまたシルフィーの首筋へ当てていた切っ先を落とし、


「……周りをよく見てみろ」


 言われた通りにするシルフィー。彼女の瞳に映る光景は、俺が見るそれと同じだろう。

 即ち。聖剣から放たれし奔流の波動にあてられ、地面に這いつくばる生徒達の姿。


 かの聖剣・デミス=アルギスが放つ破壊エネルギーは、一種の毒に近い。

 デミス=アルギスは刀身から奔流を放つと同時に、毒の性質を持つ《魔素》を周囲へと拡散する。そうすることで、全方位の敵方を一掃することができるのだ。

 ゆえにかの聖剣は「殲滅の宝具」という別称を持つ。


 どうやらシルフィーは無意識のうちに拡散する毒を最低レベルに抑えたようだが……

 高い魔法抵抗力を持つイリーナとジニーを除けば、生徒全員が体調を崩して倒れていた。

 そうした惨状を視認したシルフィーは、顔を真っ青にして。


「ア、アタシは、その……」

「……貴様はあの頃と何も変わっていない。力の扱い方もわからん、愚かな子供のままだ」


 強い怒りを感じさせる声音。

 あれでオリヴィアは、子供好きな一面がある。普段こそ教え子達に対して距離を置いているように見えるが……実際のところ、教育者としての愛情は強い。

 そんな彼女の前で、子供達に危害を加えたのだ。

 いつものオリヴィアなら短く済ませる叱責も、今回ばかりは別だった。


「あの二人がなにゆえ貴様のような輩にその剣を託したのか。まったく理解ができん。今の貴様を見て、リディアがどう思うか考えてみろ」


 この言葉がしゃくに障ったのだろう。シルフィーはムッとした顔をして、


「な、なんでそこまで言われなきゃいけないの!? もし死傷者が出たとしても霊体は残るんだから、復活の儀式をすればいいだけだわ!」


 こう言い放った。……まったく、こいつはまだ幼いままだな。

 仕方ない。正体がバレるやもしれんが、あの馬鹿に少々灸を据えてやろう。

 それがリディアから、シルフィーを託された者の務め――

 と、そう考えた矢先のことだった。


「口答えしてんじゃないわよ、このお馬鹿ッ!」


 俺よりも先に、イリーナが走り寄って――


「悪いことしたら、ごめんなさいでしょうがッ!」


 シルフィーの頭に、ゲンコツを落とした。

 ゴチン。盛大に鳴り響いた音と共に、シルフィーがたまらず膝をつく。

 よほど痛かったのだろう。シルフィーの大きな瞳は涙で濡れていた。

 そんな彼女を見下ろすイリーナの細面には、烈火の如き情が宿っている。だが、それは加害者に対する憎しみではなく……まるで、子を叱りつける親のそれだった。


「あんたが強いのはよくわかったわ! でも、だからこそ! その力で人様を傷付けちゃダメよ! そんだけ強い力をなんのために使うべきなのか、しっかりと考えなさいッ!」


 この台詞。そして、イリーナとシルフィー両者の状況。

 それは前世の頃に、よく見た光景だった。


『てめぇ馬鹿野郎! 悪いことしたらごめんなさいだろうが!』

『で、でも姐さん、アレはヴァルヴァトスの馬鹿が……』

『口答えすんじゃねぇッ!』


 ……リディアはいつもシルフィーには甘かったが、本当に彼女が悪いときはゲンコツを食らわせて叱っていた。そして最後はいつだって。


『てめぇの馬鹿力はなんのためにある? そいつをよく考えやがれ』


 こう言って締めくくると、「しょうがねぇ奴だな」と微笑して、シルフィーの頭を撫でるのだ。

 今の、イリーナの如く。

 そんな彼女の言動に、シルフィーも過去を思い出したのか。


「う、うぅぅぅ……ご、ごめんなざぁぁぁぁい……!」


 顔をくしゃくしゃにして、大粒の涙をこぼす。

 そんなシルフィーの頭を、イリーナは慈愛に満ちた顔で優しく撫で続けた。


 ……シルフィー・メルヘヴンは、幼い頃からずっと、大切なものを失い続けてきた。

《魔族》に両親を殺されて孤児となった彼女は、リディアに拾われて軍に入った。

 そうすることで彼女は、多くの友と居場所を得たが……

 ようやく得た繋がりも、戦で失い続けた。


 だから、彼女は力に固執する。勝利に固執する。

 もう二度と、大切なものを失いたくないから。

 その強い情念が、いつだってシルフィーを間違った方向へと導いてしまう。


 ……あの頃は、リディアがそれを止めていた。シルフィーが間違えたとき、ゲンコツを落として正しい方向へと導いていた。

 それはもう、二度と叶わぬものだと、そう思っていたのだが。


 やはりイリーナは、素晴らしい人物だ。

 彼女がいてくれたなら、シルフィーは大丈夫だろう。

 ……そう考えるのは、逃げだろうか。

 あぁ、そうだ。その通りだ。俺は逃げている。

 されど、いずれ必ず、シルフィーには告げねばならぬ。


 この俺が、彼女からもっとも大切なものを、奪ったのだと――



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