第二三話 元・《魔王》様、色々と環境が変化する
全ての事後処理を終えて、英雄男爵・ヴァイス、大魔導士・ジャック、カーラの三名は今、馬車の中で揺れを感じつつ、村への帰路についていた。
「にしても。今回の一件はどうにもキナ臭ぇよなぁ」
「えぇ、ホントにね~。妙なところがいくつもあるわ~」
対面にて座る二人の疑念に、ヴァイスは首肯を返した。
「そうだね。そもそも、今回の事件が発生したこと自体があまりにもおかしい」
このように断言する理由は、二つある。
まず一つは、ヴァイスとイリーナの情報が漏洩したこと。彼等が《邪神》の血を引く一族であることを知る者は、一〇にも満たない。その中で《魔族》と結託していそうな者は皆無である。ゆえに、なぜ情報が漏洩したのか、これがわからない。
二つ目は、《魔族》の総数。彼等は極めて少数の種族であるため、これまで起こしてきた事件はいずれも小規模なものだった。十数年前の《邪神》復活にしても、小さな事件の積み重ねの末に達成されてしまった事柄であり、彼等が今回のような事件を起こしたことはこれまでの歴史上ほとんどない。
今回の一件で討伐した《魔族》の数は数千にも及ぶ。これだけの人員を失ったなら、《ラーズ・アル・グール》は壊滅寸前に陥るはずだ。
此度のイリーナ誘拐に全てを賭けていたと考えればつじつまは合うのだが……
組織の頭目を始め、大幹部達もまた現場に出張っていないところからして、今回の誘拐事件は奴等にとって大した計画ではなかったと考えるべきだろう。
では、なにゆえ少数種族たる《魔族》が多大な犠牲を出すような計画を実行したのか。
この点については納得のいく答えが出ず、謎が深まるのみである。
「……なんにせよ、これからイリーナは毎日のように危機に晒されるだろうね」
「だろうな。けど、心配はいらねぇんじゃねぇの。だってホラ」
「イリーナちゃんには、ウチの子がついてるからねぇ~」
だから大丈夫。といった確信を抱く二人に、ヴァイスもまた同じ考えを示した。
「そうだね。彼がついていれば問題はない。ただ……僕達が抱えているもう一つの秘密を知った時、彼がどういう選択をするか。それ次第ではあるけれど、ね」
呟くと、ヴァイスは無聊の慰みとして持参した、一冊の本を開く。
時代を超えたベストセラー、《魔王》を主人公とした英雄譚の第九八巻目。全二一五巻にもおよぶ大長編の中で、この九八巻は最大の悲劇が描かれた名作として知られている。
「《魔王》様は自らの手で、親友である《勇者》、リディアを殺害した。この英雄譚ではリディアの裏切りが理由だと語られているけれど……実際、なぜ《魔王》様が親友をその手にかけたのか、真実は明らかになってない」
それは歴史上のミステリーとして、未だに学者達の論争の的になっている。
なんにせよ。
「僕達が《邪神》の一族であり――かつての《勇者》リディアの末裔であることは、何があろうと隠し通さなければいけない。アード君には、いや……《魔王》様には、絶対に」
ジャックとカーラは神妙な顔で頷いた。
三人はアード・メテオールがその力量の片鱗を見せ始めた時点で、彼が《魔王》の転生体であることに気付いていた。その理由はさまざまあるが……
そもそもの問題として、アード・メテオールが生まれたこと自体がおかしいのだ。
何せ、ジャックとカーラ、大魔導士と呼ばれる二人は夫婦だが、子を作るための行為をすることは絶対にありえない。なぜならば……
二人は、同性愛者だからだ。
ゆえにカーラが妊娠した時点で、三人は疑惑を抱いていた。
アードが村で見せた数々の非常識により、その疑惑が確信に変わったのである。
「……アード君と出会った日。イリーナは珍しく外に出たがった。そのことについて、彼女は運命を感じたから、と言っていたけれど。……それも当然だね。僕もまた彼を一目見た瞬間、何か運命的なものを感じ取ったから」
ヴァイスは嘆息しながら思う。この運命が果たして幸福な結末に辿り着くものなのか。
はたまた……先祖たる《勇者》の如く、悲惨な末路に辿り着くものなのか。
不安を面に出すヴァイスへ、大魔道士二人もまた緊張した面持ちで言う。
「もしかすっと、そんなに大した理由じゃねぇのかもしれねぇが」
「万一、彼にとってのトラウマであったりしたなら~……」
「イリーナとリディアを重ねた結果、二人の友情が壊れるかもしれない」
三人は同時に嘆息した。アードとイリーナ、その前途は多難である。
真実を隠し通せればいいのだが、しかしそれは難しかろう。
秘密とは、どう足掻いても、いずれ明らかになるものなのだから――
◇◆◇
イリーナ誘拐事件が解決を見せた後。俺を取り巻く環境は大きく変化した。
まず一つ。例の講師化計画だが、イリーナ奪還を高く評価された結果、俺は生徒兼講師として時たま教鞭を執ることになった。どうしてこうなった。
次いで、もう一つの変化。
それは住処である。イリーナの情報が敵方に漏れていることが判明した今、彼女は四六時中危険な状態といえよう。ゆえに常時護衛を付ける必要がある。
その護衛役が俺に決定した。
そういうわけで、俺とイリーナは常に生活を共にすることとなり……
住む場所も貴族用の寮にある二人部屋を用意してもらい、俺は平民でありながら特例で貴族用の部屋に住まうことになった。
俺達にあてがわれた部屋は無駄に広々としており、床には豪奢な紅い絨毯が敷き詰められており、室内中央には天蓋付きの大きなベッドがある。平民用の部屋とは大違いだ。
さておき。夕餉を摂り終え、入浴の時間となった。貴族用の寮には巨大な入浴施設が併設されているとのことだが、無論、混浴ではないため長い時間イリーナを一人にすることになってしまう。よって万一のことを考え、しばらくは室内に設けられたシャワールームで入浴を済ませることにした。
「ふぅ~~~、さっぱりした~~~」
気持ちよさげな声と共に、シャワールームから出てくるイリーナ。
バスタオル一枚。彼女の凶悪な兵器達を隠すベールはそれだけであった。
彼女は特別、そのことを気にしたふうはないのだが……
なんだろう。俺はどうにも、顔が熱くなってしまう。
この感情は羞恥とか、そういうのとは少々違う気がする。
先日、彼女との絆が深まったから、だろうか。それが原因で俺は……
いや、よそう。一時の気の迷いやもしれぬ。
その後、俺の目の前でネグリジェに着替えたイリーナと、しばし雑談に興じ……
本日も同じベッドで眠ることになった。
この部屋にはなぜだか、ベッドが一つしか用意されていなかったのだ。
俺は二つ目を早急にと注文したのだが、
「いいじゃないのよっ! 一つのベッドでっ! あたし、アードと毎日一緒に寝たいっ!」
無邪気にこんなことを言われたら、断ることもできない。
「で、では、もうそろそろベッドの中に入りましょうか」
「うんっ!」
嬉しげに頷くと、俺と同様、ベッドへ体を預けるイリーナ。当たり前のように俺の隣へと寝転がる。そのさまは主人との添い寝を楽しむワンコのようであった。
なんだろう。どうにも緊張する。やはり俺は……と、そう考えた瞬間のことだった。
ドゴォオオオオオオオオンッ! 室内に轟音が響き渡る。
すわ刺客かと、俺達は飛び起きた。……どうやら、違ったらしい。
ベッドのすぐ近くにある壁面に、大穴が空いている。その向こう側で――
「こんばんわ~♪」
サキュバスの少女、ジニーがニコニコしながら手を振っていた。どうやら壁ドンして壁面をブッ壊したらしい。彼女はこちらへと近寄ってきて、ベッドの上に乗っかると、
「実は今日からお二人の隣室になりまして。だったらもう、三人部屋にしちゃおっかなって♡ これから同室者としてよろしくお願いしますねっ♡」
爽やかな笑顔の彼女に、イリーナが顔を真っ赤にして怒気を放った。
「ふ、ふざっ、ふざっけんじゃないわよぉおおおおおおおおおおおおっ!」
「あっ、そうそう、アード君っ! 私が前々から進めていた一〇〇人ハーレム計画、なんですけど、よさげな女の子が見つかりましたので今度紹介しますね♪」
怒り狂うイリーナを無視して、これまたとんでもないことを言い出すジニー。
「ちょ、ちょっと待ってください。一〇〇人ハーレム? なんですか、それは」
「アード君、ちょっと前に言ってましたよね? 友達が一〇〇人欲しいって。これはつまり、五人や六人どころか、一〇〇人レベルのハーレムを築くという宣言かな、と」
いや、全然違うわ。俺は普通に友達が欲しいだけだ。誰も女に限定してはいない。
そのように弁解したのだが、ジニーはと言えば聞く耳をまつたくもたなかった。
「一〇〇人のハーレムを築き上げるという都合上、この部屋は狭すぎるなぁ~。いずれ大きなお屋敷に引っ越ししましょ! 大丈夫、アード君ならお屋敷の一つや二つ、ポンと変えるようになりますよ! だからハーレムメンバーの選定は私に任せてくださいっ!」
「いや、任せるも何も、根本的に――」
「ハーレムなんか許さないって、前も言ったでしょうがあああああああああッ!」
イリーナが無理やり話に入ってきて、ジニーと激しい舌戦を繰り広げる。
そんなさまを傍で見つめながら、俺は苦笑と共に呟いた。
「今後も退屈しそうにありませんね。本当に……」




