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第一八話 元・《魔王》様の居ぬ間に……


   ◇◆◇


 時は僅かに遡る。

 試合会場の中央にて睨み合っていたイリーナとジニーだが、突如発生した騒動に闘志を挫かれ、当惑を覚えていた。そんな彼女等のもとへジェシカがやってきて、状況説明を行う。そして彼女の提言通り、二人はジェシカに付き従い、街へと駆け出した。


 イリーナもジニーも、人民を救うべく奮起していたのだが――

 二人の出番など、やってはこなかった。


「《ライトニング・ブラスト》」


 ジェシカの手先に顕現した法陣から、眩い雷閃が放たれる。それは狙い過つことなく、標的たる《魔族》に直撃。全身を黒焦げにした。


「さぁ、どんどん行くよ」


 悠然と微笑みながら、彼女は白金の美髪を風に踊らせ、駆け抜ける。

 そうしながら敵方を発見次第、無詠唱の攻撃を打ち込み、全て一撃のもとに仕留めていく。その姿はまるで伝説の戦乙女のごとし。


 彼女の獅子奮迅極まる活躍に、イリーナ達はただただ見惚れるのみであった。

 その後も広範囲を回っていったが、二人の出る幕は皆無。ジェシカが一人でケリをつけ続けている。そうした現状に、イリーナとジニーは顔を見合わせて、言った。


「す、凄いわね、あたし達の先生は」

「あ、憧れちゃいますぅ……」


 この会話は当人の耳に届いていたらしい。大通りを駆けながら、ジェシカは笑声を放ち、


「ハハッ、これぐらい、キミ達もすぐにできるようになるさ。なんならこの一件で――」


 言葉の途中だった。三人の視界が僅かに暗くなったのは。

 その原因が、天空からの落下物の影に入ったことであると気付いた瞬間。


「横へ跳べッ!」


 ジェシカに言われずとも、二人は同時に左右へと跳んだ。

 それはジェシカもまた同様である。三人が髪を踊らせながら場を離れた、その直後。


 ズゥゥゥン……という衝突・破壊の音が轟く。石畳が粉砕され、無数の破片が天へと飛び散り、もくもくと煙が立ちこめる。そんな中、三人は油断なく来訪者を睨んでいた。


 敵の姿を端的に表すなら、人型の結晶といったところか。無数の蒼い結晶が寄せ集まり、人の姿を成したような外見である。そのサイズは目算して三メリルをゆうに超えており……イリーナとジニーの心中に到来した絶対的なプレッシャーは、何もその体格による圧力感だけではなかろう。この《魔族》、極めて手強い……!


「二人とも、手出しはするなよ。こいつはボク一人でやる」


 常に明朗とした表情を崩さぬジェシカが、緊張した面持ちとなりながら命令した。

 二人が同時に頷く。それを確認すると、ジェシカは左手を標的に向けて、


「《ギガ・フレア》ッッ!」


 火属性の上級攻撃魔法を、無詠唱で放った。

 彼女の目前に八つの魔法陣が展開され、次の瞬間、それぞれが豪炎を噴き出す。

 渦巻いて突き進むそれらは特定のポイントで合流。より強い灼熱の塊となって、敵方へと殺到した。この強力な魔法に、相手《魔族》は不動を貫く。

 ゆえに、直撃。紅蓮の業火が敵の巨体を飲み込んだ。


「「や、やったっ!」」


 イリーナもジニーも、ジェシカの勝利を確信する。しかし……

 発動限界を迎え、炎が消失。その途端、三人の顔に絶望感が宿った。

 無傷である。射線上に存在した有象無象ことごとくが焼失している中、敵《魔族》だけがなんのダメージも受けていない。これにはさしものジェシカも脂汗を浮かべ、


「参ったな、こいつはボクでさえ手に余――」


 弱音が吐き出される途中。目前の敵方が揺らめいたかと思うと――

 気付けば、敵がジェシカの目前にいた。イリーナとジニーは無論のこと、ジェシカさえも驚愕を顔一面に張り付ける。そして次の瞬間、容赦のない拳打が、彼女へと向かう。


 回避、できなかった。その攻撃は踏み込みと同様、あまりにも(はや)すぎる。


 命中の寸前、ジェシカは中級防御魔法メガ・ウォールを無詠唱で発動したが、それでもなお敵方の拳が持つ威力は凄まじく、


「がぁっ!」


 小さな悲鳴を上げるジェシカの総身が、宙を舞った。

 あまりの衝撃に、衣服の一部が破れ散る。それから放物線を描き、やがて地面に衝突。

 それでも運動エネルギーは消えることなく、ゴロゴロと地面を転がり……停止。

 ピクリとも動かぬそのさまは、ボロ布にくるまれた死体のように見えて……


「ハァッ……ハァッ……ハァッ……」


 あまりの緊張、あまりの恐怖に、イリーナは全身から冷たい汗を滝のように流した。彼女の向かい側にいるジニーも、似たようなものだ。

 両者共に動けない。そうした状況の中、《魔族》がのそりと動き、イリーナを見た。


「……我は貴様を捕らえることを至上目的としている。ゆえに抵抗せず捕らわれると言うならば、こちらは攻撃をせぬが、いかに?」


 その問いに答えるよりも前に、敵は言葉を続けた。


「もっとも、どう足掻いたところで、貴様に待ち受けるは死以外にないのだが」


 そして、ズシリ、ズシリと、重量感ある歩行音を響かせながら迫ってくる。

 ジニーは……やはり、動けない。目前でイリーナに危機が迫る中、恐怖に怯えてなんの行動もとれなかった。それを恥じてか、彼女の瞳に涙が溜まっていく。


 一方で、イリーナ当人は不思議な落ち着きを覚えていた。

 もうどうにもならない。自分は終わったのだ。そうした諦観が生み出す冷静さを味わっていると、気付けば敵方はすぐ目前にまで迫っていて、


「貴様は我等が悲願成就の礎となる。喜ぶがいい、娘よ。貴様は――」


《魔族》が淡々と、死刑宣告の如き言葉を積み重ねていく最中のことだった。


「僕の娘に手を出すな」


 底冷えするような声と共に、目前にいた《魔族》が吹き飛ぶ。

 まるで強烈な衝撃を受けたように、全身を構築する結晶が砕けながら、宙を舞う。

 だが、そんな《魔族》の様相など、今のイリーナには興味の埒外であった。

 声が飛んできた先に目をやる。そこに立っていたのは、


「パ、パパァアアアアアアアアアアアアアア!」


 白髪を風になびかせた、中性的なエルフの男。英雄男爵・ヴァイスであった。

 その鋭い眼差しの先には、今まさに崩壊へと突き進む《魔族》の姿がある。


「ぐ、が……ぁ……!?」


 ピンで張り付けにされたかの如く地に伏せ、全身を構築する結晶が秒刻みで粉砕されていく。しかし、そうした破壊をもたらす力が目視できない。

 何も知らぬ者からすれば、なぜか《魔族》が勝手に倒れ伏せ、自然と全身が崩壊していくようにしか見えないだろう。この現象の正体、即ちヴァイスが行使した魔法は、風系統の攻撃魔法である。それも、自ら術式を構築した専用技だ。


 最先端の科学知識をもとに組み立てた術式により、ヴァイスは風圧を操作。不可視の圧力を浴びせ、相手を叩き潰す。それはまるで、透明な巨人に踏みつぶされるかの如く。

 ゆえにヴァイスは、この魔法を《スケルトン・ジャイアント》と名付けていた。


「お前が感じている重みは、我が娘に手を出した自らの罪の重さだと思え」


 冷たい視線を結晶の怪物へと浴びせかけ――そして、


「罪に潰されて死ね。お前にはそれが相応しい」


 底冷えするような声で言い放つと、ヴァイスは魔法の出力をさらに高めた。


「ぐ、ぎ、ぁあああああああああああ!」


 断末魔を轟かせながら、《魔族》の全身を構築している結晶のことごとくが粉砕され、飛散する。その様相は、決着の二文字を確信させるに十分なものだった。


「あ、あの圧倒的な《魔族》を、あっさりと……! 英雄男爵様、凄いです……!」

「ふふんっ! あったり前でしょ! あたしのパパなんだからっ!」


 イリーナは誇らしげに胸を張った。

 それから父のもとへ向かい、彼の胸へと飛び込もうとする――寸前の出来事だった。


「うん。おおむね想定通り、かな」


 聞き覚えのある美声が響いたかと思うと――次の瞬間、ヴァイスの胸元に手が生えた。

 いや、これは手が伸び生えたのではなく。何者かが、背後からヴァイスを襲ったのだ。


「えっ」


 すぐ目前にて、父が吐血し、目を見開きながら倒れ伏せていく。

 そんな様子に、イリーナの頭の中が真っ白になった。その視線の先では、ヴァイスが倒れたことで、彼を襲った人物がその全貌を露わにしている。


「なんだいなんだい。たかが一発の不意打ちでもう瀕死だなんて。まったく、最近の若い奴らはだらしがないね」


 鮮血に塗れた右手を舐めながら、退屈げに呟く彼女は――

 学園講師、ジェシカであった。

 突如として凶行に及んだ彼女の姿に、ジニーは瞠目する。

 立ち振る舞いや声のトーンなど、あらゆる要素が様変わりしており、まるで別人のようであった。しかし、それ以上に彼女の驚愕を誘ったのは、ジェシカの右手である。


 鮮血に塗れたそれは、真っ白な鱗で覆われている。指先から伸びる爪の形状もまた、人のそれとは大きく異なり、まるで猛獣の鉤爪のようであった。


「ジェシカ、先生……!?」


 ジニーの怯えきった声音に、ジェシカは艶然と微笑する。


「ボクはジェシカ先生じゃあないよ。ま、キミ等が接してきたのがボクである以上、キミ等にとってのジェシカはボクだということになるのだろうけど……でもね、正真正銘、本物のジェシカ嬢は大分前に死んでるんだ。《魔族》の手によってね」

「は……!?」


 愕然とするジニーをクスクスと嘲笑いながら、ジェシカは語る。


「ボクは《ラーズ・アル・グール》に協力していてね。彼等の計画通り、ジェシカ嬢に化けて学園に潜入していたのさ。そう……イリーナくん、キミのことを拉致するために、ね」


 水を向けられたイリーナだが、未だ脳内は真っ白で、思考という名の色が出ない。

 倒れ伏せた父、ヴァイスの姿を見つめながら、ただ震えることしかできなかった。

 だから、数瞬後に紡ぎ出された言葉は、無意識が働いた結果である。


「なんで、どうして、こんなことを……!? この、人でなし……!」


 イリーナの言葉に、ジェシカは呵々大笑した。


「あはははは! 答え甲斐のある質問をありがとう! まず一つ目! なぜこんなことをするのかって!? そんなの簡単さ! この世界をブッ壊してやりたいんだよ! こんな不愉快極まりない世界、滅んでしまえばいい! 数(、)千(、)年(、)前(、)に(、)大(、)暴(、)れ(、)してやったときから、ボクの行動理念はそれだけさ!」


 人形のように精緻な美貌を邪気に歪めながら、ジェシカは言葉を重ねた。


「さて、二つ目。キミはボクのことを人でなしだと言ったよねぇ? そいつぁ大当たりさ。だって実際、ボクは人間ではなく――――白龍、だからね」


 紡ぎ出した内容を証明するかの如く、ジェシカの体に変化が生じた。

 右手だけでなく、左手までもが白い鱗に覆われ、指先はまるで猛獣のような鉤爪へと変わる。麗しい口元の右半分が耳元まで裂け、口内の歯は丸みを失い、代わりに鋭さを得る。


 まさに人でなしのバケモノといった姿。しかし、イリーナ、ジニー、両名が感じた冷たさは、何も異形に対する畏れだけがもたらしたものではなかった。


 ジェシカの総身から、桁外れな圧力が放たれたからだ。


 対峙した瞬間、気力を根こそぎ奪い尽くし、諦観を植え付けてくる。そんな尋常ならぬプレッシャーに、二人は身動きがとれなくなった。先刻ヴァイスが打倒した《魔族》もまた怪物であったが……彼女と比べればアリも同然。あまりにも、レベルが違いすぎる。


「バ、バケモノ……!」


 ジニーの呟きに、ジェシカは裂けた口を歪ませて笑った。


「あぁ、そうさ。ボクは正真正銘のバケモノだよ。それも……神話に名を刻むぐらい、有名なバケモノさ。キミ達も名前ぐらいは知ってるんじゃないかな。何せ、演劇なんかでは定番の悪役として扱われているからねぇ」


 ケラケラと笑声を吐き出し、そして、彼女は己が真名を語る。


「狂龍王・エルザード。それが、ボクの真の名だ」


 イリーナとジニーは、同時に目を見開いた。狂龍王・エルザード。伝説の白龍にして……数千年前、《魔王》の死後、世界を滅ぼしかけた怪物。その恐ろしさは未だに語り継がれており、《魔族》や《邪神》に並ぶ恐怖の対象として扱われている。

 それが今、目の前にいるのだ。二人の恐怖は、想像を絶するものであった。


「あ……ぁ……」


 へたりこんでしまうジニーを尻目に、ジェシカ、否、エルザードはイリーナへと近づいて、両手を広げながら口を開く。


「さっきの雑魚と同じ台詞になってしまうけれど……大人しくすれば、今は傷を付けないよ? ただし、今は、でしかないけれどね」


 裂けた口端を吊り上げながら、迫ってくる。

 今度こそ終わり。イリーナがそう確信した、その時。


「う、あ……ぁあああああああああああああああッッ!」


 絶叫が轟いたかと思えば、前後して、エルザードの横顔に火球が衝突した。

 直撃と共に小規模な爆発が発生する。が、エルザードにダメージの色は皆無。

 しかし、意外な展開であったからか、エルザードは眉根を寄せて、


「……なんのつもりかなぁ? ジニーくん?」


 魔法を放った当人である、サキュバスの少女を睨んだ。

 その一睨みで、ジニーは再び片膝を地面に付けてしまう。だが、荒い息を吐き、瞳を恐怖の涙で潤ませながらも、彼女は火球を放ち続けた。そして、


「にっ、逃げてくださいッ! ミス・イリーナッ!」


 震えた声で叫びながら、魔法を行使し続ける。それらはことごとくが直撃している。が、最悪な精神状態で発動した魔法は、エルザードにとってなんの脅威でもなかった。


「やれやれ。さっきの雑魚にはビビって手出しできなかったってのに。ボクに対してはコレかい? どうしてかな? 見た目が弱そうだから? ……気に入らないねぇ、キミは」


 火球を浴びながら、彼女は鬱陶しい小バエを見るような目をジニーに向けて……

 左手人差し指。鉤爪の先端を、ジニーへと向けた。

 途端、イリーナの脳内にて、ジニーの死が連想される。

 その時――白一色であった彼女の頭の中を、灼熱色の思考が彩った。


「う、ぁあああああああああああああッ!」


 気付けば、イリーナは叫び声を上げ、エルザードへと突進。彼女の腰元へと強烈なタックルをかます。だが、エルザードの肉体は微動だにしなかった。


「……何をしているのかなぁ? キミは」


 イリーナ自身、何をしているのかわからなかった。

 ジニーを守るという行動について、それは性分という一言で片付けられるようなものではないように思えた。何せ、ジニーは憎たらしい女だ。自分からアードを奪おうとするような奴なのだ。そんな彼女を、イリーナは今、心の底から守りたいと思っている。


 なぜだろう? ……頭はそのように疑問符で一杯なのに、

 胸の奥にある彼女の心は、衝動的に答えを放っていた。


「あたしの友達にッ! 手を出すなぁッ!」


 無意識のうちに発せられた言葉に、イリーナ自身、目を丸くする。

 友達? ジニーのことを、友達だと、そう言ったのか?

 ……あぁ、そうかもしれない。だって彼女は、これまで出会ってきた人々の中でも特別な存在なのだ。遠慮も恐怖も、不安も感じずにすむ。ただただ憎たらしい女。

 こういうのも、一種の友情なのかもしれない。そう思うと、イリーナは小さく微笑んで、


「あたしを連れて行きなさい、エルザードッ! その代わり、ジニーに手出しはさせないわッ! もし彼女を傷付けたなら、舌を噛んで死んでやるんだからッ!」


 正真正銘、本物の覚悟を叩き付ける。彼女の本気を悟ったか、エルザードは嘆息し、


「……ムカつくなぁ。やっぱりボクは、キミが嫌いだよ」


 そう呟いてからすぐ、彼女が身に纏うボロボロとなった衣服の背部が破れ散った。露出した滑らかな背面の素肌を突き破って、一対の翼が展開される。


「命拾いしたねぇ? ジニーくん?」


 皮肉げな言葉を残して、エルザードは空へと飛び立っていった。その片腕に、イリーナを抱えながら。

 一人残されたジニーは、しばらく呆然としていたが――


「ミス・イリーナッ……!」


 様々な感情が胸の内に充満して。気付けば、嗚咽と共に、涙を流していた。




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