第一二七話 決着と消失
「現状は僕にとって、奇跡に等しいものだ」
終局を迎えたのだと、奴も認識したのだろう。
メフィストは滔々と言葉を紡ぎ続けた。
「僕は本当に気まぐれで。だから、予定になかったことをガンガン入れ込んでしまう。……本当はねハニー、僕は君と心中するつもりだったんだよ。何もかもを消し去って、君と共に滅ぶことが出来たなら、それはそれで幸せなんじゃないかなって、そう思ったから」
「だが実際は」
「うん。想定外の事態が多発したことで、僕は方針を変えたんだ。君を独占する(、、、、、、)という命題は変わってないけれど……過程も結末も、当初の思惑とは大きく異なっている。結果として、現状は僕からすると最良・最善を極めたものになったと言えるね。だから、後は」
天使の美貌に悪魔の微笑が浮かぶ。
そうして奴は、高らかに宣言した。
「君の周りを囲うもの全てを壊す。それが今、求むるべき最高のフィナーレだ」
……俺が覚悟を決めたなら、奴は大人しくこちらの意図に従うやもしれぬと、淡い期待もあったのだが。やはり、こうなったか。
とはいえ……望むところではある。
「これまでの借り、全てをこの場にて返してくれよう」
意気軒昂とした感情を発露する。それは隣に立つイリーナもまた同様であった。
「壊せるもんならッ! 壊してみなさいよッッ!」
叫ぶと同時に、彼女は地面を蹴った。
今に至るまで積み重なったフラストレーションを爆発させるように。
聖剣・ヴァルト=ガリギュラスを携えながら。
その姿は、まるで。
「あぁ、イリーナちゃん。君は本当に、娘の生き写しだねえ」
それは敵に対する眼差しではなかった。
メフィストの瞳に宿る情は我が子への愛情と……憐憫。
それを侮蔑と取ったか、イリーナは白い貌を怒気の色に染め上げて、
「らぁッ!」
ことさら強い気迫を放ちながら、白銀の刃を繰り出した。
疾く鋭い一撃。だが奴のもとへ到達するその一瞬が、果てしなく長い時間に感じられる。
引き延ばされた刹那の最中。
メフィストが口を開いた。
「昔を思い出すなぁ。あの子も感情が赴くままに突撃してきた。なんの準備もせず、聖剣の力を発動することさえ忘れて。そんなだから――初手で終わっちゃうんだよ」
奴の言葉は、リディアとの最後の戦いを指したものだろう。
《邪神》を相手取っての戦争が末期となった頃。彼女は単身、メフィストのもとへ向かい、母の仇を討たんと挑みかかった。
その一戦において、リディアはひどく直情的に攻めかかったのだ。
そう……今のイリーナと同様に。
「心滅の鎧を纏ってない状態で、どうして飛びかかってくるかなぁ」
ヴァルト=ガリギュラスが秘めた力の一つに、心滅の鎧というものがある。
それを召喚し、纏うことで、精神を狂気に蝕まれる代わりに、絶大な戦闘能力を得るというものだが……イリーナは感情の昂ぶりが原因か、それを発動し忘れていた。
それゆえに。
「馬鹿も度を超えれば、不快でしかないよ」
メフィストが執った剣は、イリーナのそれよりも遙かに疾い。
このままでは彼女の肉体はあえなく両断されるだろう。
かつての、リディアのように。
――そうだからこそ。
「今回こそは守ってみせる」
踏み込んで、肉薄。その接近速度はメフィストの想定を超えたものだったのだろう。
奴は少しばかり目を見開いて。
「……全盛期を超えたね、ハニー」
敵方を斬らんとしていた刃を引っ込めて、己が身の防御へと回す。
さすがに反応が良い。
だが。
「今の俺には無意味だ」
握り締めた黒剣を振るい……奴の銀剣ごと、その肉体を叩き斬る。
我が刃を受け止めんとしたそれは脆くも粉砕され、防御の役割を果たすこと叶わず。
メフィストの胴を袈裟懸けに切断。二つに分割された悪魔へ、俺は。
「――――オリヴィアの分まで斬り刻む」
瞬閃。
背後にて倒れ伏した姉貴分の無念を晴らすように。
彼女の一族を滅ぼした仇敵を、斬って斬って斬りまくる。
そして、黒剣の閃きが億を数えた頃。
メフィストは細胞の一つさえ残ることなく、この世界から消失した。
「す、すごい……! もう、やっつけちゃった……!」
驚愕と称賛に満ちた声。目を瞠るイリーナを、しかし、俺は叱咤する。
「気を引き締めなさい。敵方はこれで終わるような三下ではありません」
そう、奴はメフィスト=ユー=フェゴール。
世界の全てを敵に回しながらも、最後まで我が侭を貫き通した怪物だ。
「物理的に消去したところで、時間稼ぎにさえなりはしない」
我が言葉を証するように。
そのとき、やや離れた場所で、闇が生じた。
霧状の漆黒は果たして人型を形成し……
「驚いたよ、ハニー。まさかここまで強化されているだなんて」
《邪神》再臨。
死してなお世に残る怪物に、イリーナは眉根を寄せて呟いた。
「……まるで、アルヴァートみたいね」
奴もまた度外れた不死性の持ち主だ。
しかしその力はある仕掛けによるものであり、それさえ攻略出来たなら、殺し切ることは可能。よってアルヴァートは完全無欠の不死者というわけではなかった。おそらくイリーナは此度の一戦においても、同じことをする必要があると考えているのだろう。なんらかの仕掛けを突破することで、メフィストの不死を攻略し、討伐するのだと。
そうだからこそ、彼女は視線で俺に問うている。どうやって倒すのか、と。
……これに対し、俺はなんら具体案を出すことなく。
「私が時を稼ぎます。その間に心滅の鎧を。現在の状態では力量差がありすぎる」
「うん。それは、さっきので思い知ったわ」
反省した様子で彼女は言った。
自らの問いを無視された形になるが、そこに言及することはない。
こちらに何か考えがあるのだと、信じているからだろう。
「……準備を整えたなら、すぐに来てください。ローグが期したように、貴女こそ、此度の一戦におけるキーマンなのだから」
「っ……! うん! わかった!」
恃みとされたことが、よほど嬉しかったのだろう。
イリーナはすぐに身構え、詠唱へ移らんとする。
その様を目にしながら、敵方は悠然と息を吐き、
「いつもなら待ってあげるところだけど。今回はハンデとか、要らないよね?」
悪戯を仕掛ける直前の子供。そんな笑みが浮かんだ、次の瞬間。
闇色の刃が唐突に出現し、四方八方から襲来する。
我が異能はその力を十全に把握していた。
防御不能。相殺不能。回避不能。これは因果率の限定操作によって創造された魔法であり、発動と同時に勝利が確定するものだった。
しかし――
「魔導の始祖にして支配者。それは、貴様だけを指す言葉ではない」
我等を消し去らんとする黒き刃。それらことごとくが一斉に霧散した。
「……異能の力も、底上げされたみたいだねぇ」
目を瞠るメフィストを鼻で笑いながら、俺は地面を蹴った。
接近の最中、周囲の虚空に白き刃の群れを召喚。
疾走と共に、それらを奔らせんとするが……
「君は僕と同じステージに立った。そうだからこそ、魔法戦は不毛の極みにしかならない」
解析と支配。この異能を有するのは、俺だけではない。
メフィストがもつそれもまた、我が力を内包(、、)するものだった。
ゆえに突き進まんとした白刃は、動き出すその直前、一つ残らず消失。
同じ力を持つ者同士。
片や、世界に初めて魔法という概念を知らしめた者。
片や、世界に魔法という概念を定着させた者。
始祖にして頂点たる二人の闘争は、どうあっても原始的なものにならざるをえない。
即ち――武器を手にした、斬り合いである。
「少しだけ、熱い感じでいく……よッッ!」
「その熱量ごと、叩き斬ってくれるッ……!」
黒剣と銀剣が衝突し、激烈なエネルギーの奔流が発生する。
波紋のように広がる衝撃波が、周囲の有象無象を掻き消した。
「いいねぇ……! ここからは四〇%だッ!」
「この期に及んで力を出し惜しむ貴様の傲慢……! 後悔させてくれるッッ!」
熾烈な剣術合戦。
刃が閃く度に凄まじい破壊の連鎖が生じ、周辺の環境が瞬く間に変わっていく。ヴェーダの手によって創り出された美景は、早くも荒野然としたものへと戻りつつあった。
「アハハハハハハハ! 楽しいねぇ! この世界で! こんなふうに遊べるだなんて!」
これまでに見せたことのない昂揚感が、メフィストの動作全てに込められていた。
だが。そうした心境の中にあってなお、奴の脳髄は怜悧な働きを失うことなく、
ゆえにメフィストは、我が力の真実を見抜いていた。
「――ハニー。今の君は常時《固有魔法》を発動させた状態にある。そうだろう?」
否定も肯定もせず、俺はただ剣を執った。
これにメフィストは確信を深めたか、我が剣を己が刃にて受け止めながら、
「《固有魔法》は強力である反面、魔力の消耗が著しい。だからこそ、おいそれとは使えない切り札として扱われている。僕も例外じゃあない。この身に宿る魔力は無尽蔵に近いというだけで、実のところ有限だからね。それに対して、君のそれは尽きることがない」
メフィストの言葉は称賛であると同時に。
自らの優位を、自負するものでもあった。
「別の言い方をするなら。既に君は切り札を場に出した状態にあるということだ。つまり君の力はここが限界であり、その先は、ない」
「……あぁ、その通りだ。俺の戦力は限界点に到達している。ゆえにこの身一つで貴様を制することなど断じて不可能であろう」
だが、我が胸中に絶望など皆無。
此度の一戦はこれまでのような、俺一人の力で全てを圧倒するようなものではないのだ。
仲間達と共に絶対者へと立ち向かい、これを退ける。
そうした戦だと、そのように心得ているがゆえに――
俺は曇りなき心で断言した。
「我が手札は既に尽きている。されど……それがどうしたというのか。メフィスト=ユー=フェゴール。俺は貴様を相手に、一人で抗しているわけではない」
俺の隣には、今。
それを証するように、次の瞬間。
「メフィストォオオオオオオオオオオオオッッ!」
来た。
白銀の鎧を身に纏い、心身共に万全となったイリーナが、やって来た。
「らぁッッ!」
斬閃。
横合いから繰り出されたイリーナのそれを、メフィストは紙一重で躱しつつ、
「なるほど。可能性の塊だな、君は」
まるで人に試練を与えんとする神のように、厳かな口調で、奴は言った。
「見せてもらおうか。イリーナ・オールハイドが持つ、心の力というものを」
圧が増大する。されどイリーナは畏れるどころか、ますます意気軒昂となって。
「来いッッ! メフィストォッッ!」
身構え、叫ぶ彼女の至近距離へと、奴が一瞬にして肉薄。振るわれた斬撃の鋭さ、疾さ、力強さは、現段階のイリーナが対処出来るものではなかったが、しかし。
「くぅッ……!」
不可避の刃に反応し、己が剣にて、それを受け止めてみせた。
そのうえ。
「ハッッ!」
返礼の一撃を放ちさえする。
「やるね、イリーナちゃん。……でも」
躱しざま、攻撃後に生じた隙を突くメフィスト。
喉元へ一直線に向かう白刃。その太刀筋は先刻のそれを遙かに上回るもので。
「これは、躱せないだろう?」
直撃へと至るまでの刹那。
イリーナは歯を食いしばった。
気合で耐える。
その無謀を悪魔は嗤ったが、しかし俺は、出来ると信じた。
なぜならば。
彼女が、イリーナ・オールハイドだからだ。
果たして我が親友は、喉元にメフィストの刃を受け――
「ぜんっぜん、効かない、わねぇ……!」
貫通するはずの切っ先が。命を奪うはずの刀身が。
イリーナの皮膚一枚を破り、そこで停止する。
「今度は、こっちの番よ……!」
受け止めた刃を撥ね除けて、意趣返しとばかりに突き繰り出す。
我武者羅で、滅茶苦茶な太刀筋。
こんなものが当たるはずはないと、メフィストはそう思っているだろう。
技量の未熟、だけでなく、そもそも基礎能力のレベルが違いすぎる。
だが……そうした理屈を、想いの力で捻じ伏せてしまうがゆえに。
イリーナは、イリーナなのだ。
「当ぁぁぁぁたぁぁぁぁぁれぇえええええええぁああああああああああああッッ!」
「っ!?」
疾くなる。鋭くなる。力強くなる。
空転を繰り返す度に、彼女が執る剣の強さが増していく。
そして、遂に――イリーナの突きが、メフィストの頬を掠めた。
これは奴にとってあまりの想定外だったか、目を瞠り、脊髄反射の如く後退。
そうして距離を離し、流れ落ちる己が鮮血を拭うと、
「……君が僕と同じ異能を持っていることは、把握していたのだけど。でも、これほど強力に使いこなせるとは、思ってなかったよ」
悪魔の瞳に好奇の色が宿る。
ここに至り、初めて奴は、イリーナを自らの敵として認識したのだろう。
「あぁ……厭だなぁ……まぁ~た予定にないことをしたくなっちゃったよ……でも、仕方がないよねぇ……気になってしょうがないんだから……」
俯き、ブツブツと呟いたかと思うと。
奴はすぐさま顔を上げ、穏やかな笑顔を浮かべながら、言った。
「君達の可能性がどこまで僕に迫るものなのか。これが知りたくて知りたくて。もう、気が狂いそうなんだ。抑え込めない。だから――――ここからは、本気で命を奪いに行くよ」
宣言と同時に。
奴は人の形をした悪夢へと変わるべく……詠唱を、紡ぎ出した。
「《《其は天峰へ至りし者》》《《万夫不当》》《《孤独なる絶対者》》」
……初の、状況であった。
メフィストが《固有魔法》を発動するなど、初の状況であった。
それは先刻の言葉通り、奴の本気を証するもので。
「イリーナさんッ!」
「わかってるッ!」
気付けば体が勝手に動いていた。
止めねば。止めねば。止めねば。
奴を先へ進ませては駄目だ。
どうやっても勝てない。
場に出される手札がどのようなものか、想像もつかぬが、しかし、そのときを迎えた時点で何もかもが終わってしまうということだけは、直感的に理解出来ている。
ゆえに俺は、ここを正念場と定めた。
奴の詠唱を止めて、隙を創り出し、我が策を完遂出来たなら、こちらの勝利。
奴の詠唱を止められず、《固有魔法》が発動したなら、敵方の勝利。
突然に訪れた最終局面を制すべく、俺達はメフィストへ接近する――その最中。
《固有魔法》発動の前兆なのか、奴の周囲に闇が生じた。
黒。
何もかもを塗り潰し、食らい尽くし、消し去らんとする、黒。
それが今、肉薄せんと駆ける我々の方へと、凄まじい勢いで伸び進んできた。
「避けなさい、イリーナさんッッ!」
「言われ、なくてもッッ!」
解析出来ない。支配出来ない。虚空を奔る闇は、そういうものだった。
命中したならどんな運命が待ち受けるのか、まったくの未知数。ゆえに掠めることさえ許されぬそれを、俺とイリーナは必死に躱しつつ、大地を蹴り続けた。
その一方で。
「《《森羅万象》》《《我が手中に在り》》」
詠唱は確実に、進行していく。
それに呼応するかの如く、周囲の空間に亀裂が走った。
まるで世界が崩壊へと至るまでの過程を、見せ付けられているかのような光景。
そんな様相を睨みながら、俺は。
「イリーナさん……! これから、情けないことを、言わせていただきます……!」
唇を噛み、そして。
「我が内に、現状打破の策はありません……! もはや貴女だけが頼り……! どうか、一瞬だけでも、隙を作ってはいただけませんか……!?」
初めてのことだった。誰かに、なんとかしてくれと、素直に頼むのは。
そのみっともなさを俺は恥じた。その弱々しさを俺は憎んだ。
しかし。
「――アード」
彼女は、イリーナは、そのとき。
満面に太陽のような笑顔を浮かべて、力強く、言い切ってみせた。
「任せなさいッ!」
足に込められた力が何倍にも高まり、凄まじい膂力の踏み込みが激烈な軌跡を創り出す。
それは無謀と無茶を掻き集めて凝縮したような行為。
即ち……回避を、やめたのだ。
躱しながらの進行は、もはや間に合わない。
ならば直撃を浴びつつ、一直線に進めばよいのだと、彼女はそう考えたのだ。
「…………無茶苦茶が過ぎるよ、君は」
あまりの想定外がメフィストの詠唱を止めさせていた。
奴の瞳が今、捉えているもの、それは。
「こんなものぉッ! 効くわけ、ない、でしょう、がぁあああああああああああッ!」
迫る闇に真正面からブチ当たって、それを掻き消しながら突っ走る、イリーナの姿。
表面的には無傷。だが内側……命の源たる霊体にはダメージが刻まれているのだろう。
彼女の白い貌に苦悶の情が浮かぶ。
しかし、どれほどの痛みを味わおうとも。
イリーナ・オールハイドの足は、決して止まらなかった。
「うぉあああああああああああッ! メフィストォオオオオオオオオオオオオオッ!」
接近し、そして。
刃圏へと、敵方を捉えた。
「るぅううううううぁあああああああああああああああッッ!」
全身を蝕む激痛に抗うための絶叫。
それを終わらせるための、斬撃。
「りぃあああああああああああああああああああああッッ!」
やはり出鱈目な太刀筋だ。痛みも相まって、素人のそれよりも酷い。
だがそれは、可能性に満ちた攻勢。
想いの力が。決意の力が。奇跡を招かんとする。
直撃は当然のこと、掠めただけでも、どんな効果をもたらすかわからない。
今度はメフィストがその恐怖を味わうことになった。
「《《汝を律する者はなく》》《《汝と並ぶ者もまた――――うわっ、とぉ!?」
惜しい。もう少しで、捉えていた。
イリーナの力は確実に、《邪神》へと迫りつつある。
奴が詠唱を止めたことが、何よりの証左であろう。
「あぁ、うん、これ、は…………ヤバいな、ホント」
躱すだけで精一杯。
だが、そこから先が難しかった。
隙を作るというところには至れない。
拮抗状態が形勢されている。
おそらく経験値の違いが原因であろう。
このまま手をこまねいていたなら、ジリ貧となることは明白。
だが、俺は助力しなかった。
ただ待つのみだった。
イリーナのことを、俺は、完全に信じ切っていた。
それが正しい判断だったことを今、彼女が証明する。
「デミス=アルギスッ!」
手元に二振り目の聖剣を召喚。それは先程まで、シルフィーが手にしていたもの。
妹分の意思を継ぐ形で、イリーナは怒濤の攻めを見せた。
「当たれ当たれ当たれ当たれッ! あぁぁぁぁぁたぁぁぁぁぁれぇぇぇぇぇええええええええええええええええええええええええええええええええええッッ!」
単純に手数が倍増したというだけ、だが。
戦況は確実に、イリーナの優位へと傾きつつある。
ここに至り、彼女の素養がメフィストのそれを超え始めたのだ。
「……僕はどうやら、君のことを過小評価していたようだね」
もう何度目であろうか。奴がイリーナに対し、瞠目してみせるのは。
さりとて。
それでも、メフィストの口元には依然として、微笑が浮かんだままだった。
「君は本当に凄い奴だ。でも……まだまだ若い」
勝ち誇るような声音が奴の口から出た、そのとき。
イリーナの足下から闇が伸びる。
「ッ……!」
不意を打ったそれが直撃し、彼女に苦悶をもたらした。
致命傷ではない。まだ十全に動ける。だが……状況は、振り出しに戻った。
イリーナの動作が止まった瞬間、メフィストは大きく後退し、間合いを広げていく。
「詠唱は残り四唱節。君がこちらへ到達するよりも前に、それは――」
「えぇ、そうね。あたしは間に合わない」
不意に。
先刻までの熱さが嘘だったかのように。
イリーナが静かな口調で、言葉を紡ぎ出した。
「あたしは失敗した。でも、そんなことは関係ないわ。だってこれは、予定通りの状況だもの。全ては……メフィスト、あんたの意識を釘付けるためにやったことよ」
果たして彼女は、口元に獰猛な笑みを浮かべ、
「――今よッ! やりなさい、カルミア(、、、、)ッ!」
放たれし呼び声。
前後して、メフィストの背後に一つ、気配が生じ――奴の胸部を右手で貫いた。
「ぅごっ……」
紅いものを口から漏らしつつ、メフィストは肩越しに後方を見やった。
「驚いた、なぁ……忠義心に厚い君が……アルヴァート以外の使い手を、認めるだなんて」
貫手による一撃を加え、悪魔を喀血させたのは、果たして。
三大聖剣が一振り、ディルガ=ゼルヴァディスの化身、カルミアであった。
「……イリーナ・オールハイドを主と認めたわけじゃない。ただ、協力してやってもいいと思ってるだけ」
目前の敵に冷然とした眼差しを向けながら、応じてみせるカルミア。
その言葉は我が親友の凄まじさを物語るものだった。
イリーナ・オールハイドは、史上初の存在となったのだ。
三大聖剣の全てを従えた者など、これまで一人も現れなかった。
きっと未来永劫、イリーナだけだろう。彼女だからこそ、成し得た偉業なのだ。
それが千載一遇の好機を――
「好機が生じたと思ったなら、大間違いだよ、ハニー」
胸を貫かれ、口元から紅を流すメフィスト。
しかし奴の悠然は微塵も曇ることなく。
それがいかなる所以によるものか、次の瞬間、我々は理解することになった。
「コレは本体じゃあない。分身の魔法による、紛い物さ」
発言と共に、目前のメフィストが姿を消した。
そして。
「《《万理よ》》《《無間の闇へと沈み去れ》》《《斯くて我が悲嘆を知るがいい》》」
天蓋から降り注ぐ絶望。
きっと奴は、ずっとそこに居たのだろう。
曇天の真下に佇み、俺達を見下ろしていたのだろう。
口元に、嘲るような笑みを浮かべながら。
……こちらを見つめるその眼差しが、奴の思念を物語っていた。
『さぁ、次で最後だ』
『僕の《固有魔法》をどのように攻略するのか』
『期待しているよ、ハニー』
止められない。
もう、奴の詠唱を、止めることは出来ない。
悪魔の唇が動く。
最後の一唱節を紡ぎ、未知の恐怖を――
生み出さんとした、その直前。
「《ギガ・フレア》ッッ!」
凄まじい業火が、メフィストの全身を覆い尽くした。
あまりにも唐突。
あまりにも突然。
俺も、イリーナも、そしておそらく……メフィストも。
この展開は、まったく想定していなかった。
まさか、彼等がやってくるだなんて。
「皆ぁッ! 撃って撃って撃ちまくれぇッ!」
「ダメージを与えられなくてもいいッ! 気を引ければそれで十分だッ!」
「迷惑かけちゃったぶん、しっかり働くわよぉ~」
我が父母、ジャック・メテオール。カーラ・メテオール。
イリーナの父、ヴァイス・オールハイド。
そんな彼等を囲むようにして。
我が学友達が、立っていた。
「あ、あれが《邪神》……!」
「ぜんっぜん効いてねぇじゃん……!」
「ビビんなッ! オレ達ゃあくまでも繋ぎだッ! バトンを渡せりゃそれでいいッ!」
弱音を吐く面々を叱咤するエラルド。
「パパのために~」
「頑張るの~」
双子妖精・ルミ、ラミ。
「よくも好き勝手やりやがったわね……!」
「私に、アード君のことを、傷付けさせるだなんて……!」
かつて《邪神》に振り回された二人の少女、ヴェロニカ、カーミラ。
そして――
「そろそろ気を引くのも限界なんですけどォ~! 私の体、経年劣化で錆びまくってますからァ~!」
ある一件を経て、友となった人造人間・ネメシス。
皆に混じって攻撃魔法を放ちつつも、彼女が目を向けているのはメフィストではなく。
「早く次行ってくださァ~い、創造主様ァ~!」
そう促した相手が、今。
勢いよく、起き上がった。
「げひゃひゃひゃひゃひゃ! 計画どぉおおおおおおおりっ! やっぱワタシは! 超絶至高の! くぁみ(神)どぅあああああああああああああああああっ!」
きっとヴェーダは、この場へと乱入する前の段階で、皆を元に戻したのだろう。
彼女には俺とローグが描かんとした絵が見えていた。
それが失敗するという未来も、また。
ゆえに秘策を講じ……最高のタイミングで実行したのだ。
メフィストにとっての想定外。思わぬ一撃。それによって生じた一瞬の隙を――
彼等が、繋いでいく。
「――――どうやら、騙し通せたようであるな」
ライザー・ベルフェニックス。
その言葉の対象はメフィストだけでなく、この俺やイリーナも含まれているのだろう。
敵を騙すにはまず、味方から。
もし俺達が彼等の策略を知っていたなら、きっとメフィストに勘付かれていた。
ゆえに俺とイリーナを除いた者達で、密やかに計画を進めていたのだ。
「次手は我輩に任せてもらおう」
そのとき、ライザーの足下に咲いていた花弁が舞い飛び、天空へと突き進んだ。
異能による支配と強化を受けた花弁を、メフィストは回避することが出来ず……
一瞬の隙が、さらに次へと繋がっていく。
「一族が代々受け継いできた力、味わわせて差し上げますわッ!」
満身創痍であったジニーだが、我々が知らぬ間にヴェーダの治療を受けたのだろう。
立てぬはずの足で確と大地を踏みしめ、敵方を睨む。
その瞳が妖しい煌めきを放つと同時に……
魅了の魔眼が発動した。
学園に入学したばかりの頃。あのときの記憶が脳裏をよぎる。
彼女の魔眼は極めて強力で、危うく夜這いを受けるところだった。
相手を魅了し、支配下に置き、意のままに操る、サキュバス特有の力。
それが最後の一唱節を紡がんとしたメフィストの口を閉じさせ――
「――――斬る」
天に浮かぶ悪魔の背後にて。
オリヴィアが魔剣を閃かせ、奴の全身を斬り刻んだ。
そして、彼女が着地すると同時に。
「ヴェル(邪悪なる者よ)ッ! ステナ(我が一刀のもとに)――オルヴィディス(消え去るがいい)ッッ!」
「ヴァスク・ヘルゲキア・フォル・ナガン(矮小なる者共よ、我に頭を垂れよ、さもなくば)――ガルバ・クェイサ(無へと還るがいい)ァアアアアアアアアッ!」
シルフィー・メルヘヴン。アルヴァート・エグゼクス。
両者の聖剣が極大な光線を放ち、
「これで打ち止めだッ……! 食らえッ! 《エルダー・ブレス》ッッ!」
エルザードの大技、蒼き波動もまた天上へと伸び進んでいく。
三つの超威力に飲み込まれ……それでもなお、奴は顕在であったが、しかし。
「アードッ!」
イリーナが叫ぶ。今が好機だと。
皆の想いが。これまで、俺達が紡いできた全ての記憶が。
この瞬間へと、繋がったのだと。
「……終いにしよう」
自らの言葉を実行に移すべく、俺は大地を蹴った。
一瞬にして肉薄。メフィストの姿を、目前に捉えると。
「皆さん――」
眼下にて、我が行動を見守る仲間達へ。
かけがえのない、彼等へ。
俺は、最後の言葉(、、、、、)を、送り届けた。
「――――――ありがとう」
そして。
飛翔の勢いを落とさぬまま、損傷を全快させた敵方の胴へと手を回し、
「この勝負もまた…………貴様の勝利(、、、、、)だ、メフィスト=ユー=フェゴール」
推し進む。二人、抱き合うような形で。
曇天の先へ。そこに開いた、裂け目の中へ。
そうすることでメフィストは。
そうすることで俺は。
――自らの存在を、世界から消し去った。
――皆の前に姿を現すことは、もう。
――永遠に、ない。
◇◆◇
「……アード?」
妙な胸騒ぎが、イリーナの瞳を揺らめかせた。
「……大丈夫、よね?」
アードが失敗するわけがない。
きっと雲の先で決着を着けたのだろう。
だから、すぐに戻ってくる。自分達のところへ。仲間達のところへ。
そう確信しているのに、なぜか。
二度と彼に会えないのでは、と。そんなありえない予感が胸の内にある。
……次の瞬間。
ライザーがそれを、肯定した。
「アード・メテオール。やはり其処許は、差し違える(、、、、、)道を選んだか」
イリーナは目を見開いて。
「…………は? 差し、違える?」
「左様。あの男はこの世から消失した」
「………………なに、言ってんの?」
信じなかった。イリーナはライザーの言葉を、信じようとはしなかった。
しかし。
「……覚悟は決めてたつもりだったけど。それでも、キツいなぁ。大切な人を二人、同時に失うのは」
呟くヴェーダ。その表情に、先刻までの快活さは皆無。
故人を偲び、黙祷を捧げているかのような、厳かな顔だった。
「……果たして、わたしは正しい選択をしたと、言えるのだろうか」
「いいや。僕達が選んだそれは、確実に間違っている。でも……そうするしかなかった。最善の道なんて、どこにも用意されてはいなかったのだから」
俯くオリヴィアと、天を睨むアルヴァート。
「嘘、でしょ?」
当惑した様子のシルフィー。
「アード・メテオール。君は本当に、最後まで不愉快な奴だったよ。…………友達になって早々、居なくなるだなんて。ありえないだろ、馬鹿野郎」
複雑な心境を思わせる声音。それを発したエルザードの瞳は、涙で濡れていた。
そんな彼女等を囲む学友達は、現状を把握しきっておらず、
「アードの奴、遅ぇな。手間取ってんのか?」
エラルドは、状況を理解していなかった。
「帰ってきたら~」
「一番に褒めてもらうの~」
ルミとラミは、訪れることのない瞬間を、夢想していた。
「あ、操られてたときのこと、なんて謝れば……!」
「二人で同時に土下座でもしてみる? ……ま、彼はそんなことしなくても許してくれるんだろうけど、ね」
天を見つめるカーミラとヴェロニカの心にも、ありえない未来への展望があった。
その一方で。
二人の大魔導士と、英雄男爵は。
「予感はしてたんだよ。俺達はいつか、離れ離れになるんだろうな、って」
「うん。でも……」
「こんな形で、そうなるとは思わなかった」
現実を受け入れ、しかし、それでも納得出来ずにいる。
当惑する者。状況を把握出来ぬ者。諦観を抱く者。
皆、三種のうち、いずれかの反応を見せていたが。
しかし。
イリーナとジニーだけは、違った。
「……帰ってくるわ」
「えぇ。そうですわね」
二人並んで。顔を見合わせて。
力強く、確信を抱きながら、頷く。
「たとえ誰が否定しようと、関係ない」
「道理も何も、知ったことではありません」
「アードは」
「アード君は」
あたしを。
私を。
決して、独りにはしない。
そう呟いて。
二人は曇天を見つめ続けた。
いつまでも、いつまでも――
◇◆◇
別次元世界。
あるいは中間世界とも呼ぶべき空間がある。
そこは異なる世界同士を繋ぐ中間域にあたる場所で、元は異世界の住人であった《外なる者達》も、ここを通って我々の世界へやって来たという。
さりとて、別次元世界は単なる交通路ではない。
この、白き虚無だけが広がる空間には唯一無二の危険が潜んでおり……
一度それに捉えられた瞬間、ここは永劫の牢獄という側面を見せるようになる。
俺は独自の魔法を用いて、この場へと身を移した。
――これより永遠の時を過ごすこととなる、宿敵と共に。
「ここに来るのは二度目だけど……うん、やっぱつまんないな。まさに地獄そのものだ」
人の知性が生み出す悲喜劇を観察し、愉しむ。それがこの男の生き甲斐であるが、別次元世界にはそんなもの、どこにもない。
別次元世界には人はおろか、物質そのものが存在しないのだ。
さらには重力を始めとした物理法則、概念といったものも皆無。
ただ浮遊した状態を永遠に維持し続けることしか出来ない。
そんな別次元世界はまさしく、メフィストにとっての無間獄であろう。
だが、左様な空間に閉じ込められているというのに、奴は出ようとしなかった。
なぜならば。
「やっと念願が叶ったよ、ハニー。これで僕は君の存在を独占したことになる。それを思えば、生き地獄にも等しいここが天国に感じるねぇ」
そう、奴の目的は。奴の動機は。
この俺と、永遠の時を過ごすことだった。
……無論、そのような考えを肯定するつもりはない。
だから当初、俺は奴の命を奪う形でこの一件を終わらせたいと、そう考えていた。
さりとて、どのように思案しても、手立てが浮かばなかったのだ。
彼我の戦力差があまりにも開きすぎている。
殺害にこだわったなら、悪魔が気まぐれを起こして、全てを滅ぼしかねない。
ゆえに俺は自己犠牲の道を選んだのだ。
奴の目的を肯定し、その通りにしてやったなら。
少なくとも仲間達は生き残ってくれると、信じて。
「……はぁ。やっぱり、完璧な形ってわけじゃあないね。僕のことを全然見てない。君の心と視線は今なお、友達の方を向き続けてる」
瞳を細めながらの言葉には、僅かばかりの苛立ちが篭もっていた。。
「君の仲間は本当に素晴らしい人達だったよ。でも……そうだからこそ、不愉快だ。何せ彼等は君の心を掴んで離さない。彼等が居続ける限り、君の心と視線を完全には独占しきれない。……そんな君のことも、ちょっぴりだけ、憎らしいよ」
どうして僕を見てくれないの?
僕には、君しか居ないのに。
……その感情はまるで、幼子のそれだ。
片思いの相手に意地悪をして気を引く幼子と、まったく同じものだ。
これまでの所業が、そんな下らぬ感情によるものだったのかと思うと。
俺は、憤りを覚えた。
それと同時に…………憐れみを、覚えた。
「戦前、イリーナが述べた言葉。よもや忘れてはいまいな」
「うん。彼女は僕を救わないと、そう言っていたけれど。それが――」
「彼女は。自分が救うことを辞めたと、そう述べただけで。貴様に救われてほしくないと言ったわけではない。それを担う者として、俺に期待を抱いていた」
「そっか。……本当に、優しい子だよね、彼女は」
でも、と前置いて。
奴は問いかけてきた。
「イリーナちゃんを褒め称えたい、あるいは称えさせたい……と、そんなことが言いたいわけじゃあないんだろ?」
俺は、奴の目を睨みながら、言った。
「我が心にイリーナのような慈愛はない。メフィスト=ユー=フェゴール。貴様は憐れだ。同情出来る部分もある。だがそれでも、今までの行いを許すつもりはない。ゆえに……俺は決して、貴様の救いになどならん」
明確な拒絶を、しかし、メフィストは笑い飛ばした。
「君も知っての通り、僕は本当に自分勝手な人間だ。君が何を思おうとも、この状況が生まれたというその時点で、十分に救いなのさ。それに……永劫の時を過ごしたなら、もしかすると、君の心が折れてくれるかもしれないしね」
悪魔が微笑んだ、次の瞬間。ここを無間の牢獄とする、唯一無二の要素が顕現した。
《次元獣》。どのような言葉でも表現出来ぬ、奇怪な外見をしたそれらは、攻撃という概念を持たない。《次元獣》は中間世界に侵入した者のもとへ現れ……ただただ、増殖する。
そこに終わりはない。取り囲んだ存在が死に絶えるまで、無限に増え続けるのだ。
その増加速度はまるで、膨張していく宇宙空間にも似たもので。
一度取り囲まれてしまったなら、もはや脱出は叶わない。
俺も。
メフィストも。
絶対に、ここからは、出られない。
「……たとえ幾千、幾万の月日が経ち、この心が摩耗しようとも。貴様と手を取り合うことだけは決してないと断言しよう」
「ふふ。君の言葉が真実か否か。結論が出るその瞬間までは、退屈しなくて済むねぇ」
視界が黒一色へと染め尽くされていく。
……後悔はない。
俺は、現状を受け入れていた。
たとえこの世でもっとも不愉快な存在と、永劫の時を過ごすことになろうとも。
我が心に、仲間達の存在が在る限り、折れるようなことはない。
もう二度と会えずとも、目を閉じれば、彼等の笑顔が瞼に映る。
それだけで――
『強がってんじゃねぇよ、この寂しん坊が』
――そのとき。
俺は、信じがたい光景を、目にした。
きっとメフィストにとっても同じことだろう。
突如として発生した状況に、瞼を大きく見開いている。
「……僕はハニーに、仲間を捨てることで彼等を救うか、あるいは仲間達と一緒に消えるか。どちらかを選ばせようと、したのだけど」
今、二者択一の末に。
第三の択が、現れた。
――それは、この身から伸びた一筋の光。
一面の漆黒を照らすようなその煌めきは、やがて人型を形成し――
俺とメフィスト、両者の狭間に現れた彼女の名を。
俺達は、同時に呼んだ。
「リディア……!」
見まごうはずもない。
永遠に失われたはずの、我が親友。その姿が目の前に在る。
彼女は茫洋とした光に包まれたまま、こちらを見て。
「よう。久しぶりだな、ヴァル」
記憶の中にしかありえない、太陽のような笑顔を、振りまきながら。
「つっても、オレからすると久々って感じでもねぇんだけどな。なんせずっと、お前の中に居たからよ」
…………!
そう、か。
この現象はおそらく。
「ローグと融合したことで、お前の霊体が完全な形を取り戻した……! それが、現状へと繋がったのか……!」
リディアをこの手で殺害した後、俺は女々しくも、その存在の残り香を求めた。
ゆえに消失寸前となっていたリディアの霊体を、我が身へと移したのだ。
もし、それが完全な形を保っていたなら、我が身の内にリディアの人格を宿すことも出来たが……しかし殺害時点で、彼女のそれは無惨な有様となっていた。
それがローグとの融合によって、修復された結果――
「グダグダと長ぇんだよ、アホタレ」
「――ぐふっ!?」
腹を殴られた。
思考に没頭していたため、なんの反応も出来なかった。
「う、ぬぅ……! き、貴様ぁ……! 久しぶりに会って早々これかっ! こんなときぐらい、神妙にしたらどうだっ!」
「だってお前、考え込むといつまで経っても進まねぇもん。そんなときゃブン殴るに限る」
「人を壊れた魔道具みたいに扱うなっ! 貴様というやつは、本当に――」
言葉の最中。
気付けば、涙が流れていた。
それは、勝手に溢れてきて。
止めたいのに、止められない。
こんな、格好の悪いところを、見せたら。
「ぎゃはははははは! あいっかわらずの泣き虫だなぁ!」
「う、うるさいっ! これは、その……め、目にゴミが入っただけだっ!」
「ぶふぅ! 目にゴミって! どんだけベタなんだよ!」
腹を抱えてゲラゲラ笑う。そんな姿はどこまでも、生前のリディアそのもので。
だからこそ、俺は。
そして、メフィストは。
彼女の目的を、感じ取っていた。
「……なるほど。それが僕への復讐というわけか」
奴は拒絶の意を見せたが、しかし。
発動した攻撃の魔法は彼女をすり抜けて、なんの効果も及ぼさなかった。
ここでリディアは初めて、メフィストの顔を目にすると、
「指咥えて見てろ。母親を殺されたときの、オレみてぇにな」
それから。再びこちらを見るリディアへ、俺は。
「……お前がここに居ると、言うのなら」
出かかった言葉を、拳で止めてくる。
避けようと思えば避けられたそれを……あえて貰った。
打たれた頬が熱い。
だが、不快ではなかった。
あいつの拳はいつだって、子を叱る母のような、愛を宿したものだから。
「なぁ、ヴァルよ。心のどっかで、お前は自分のすべきことを理解してる。避けなかったってこたぁ、そういうことだ」
握っていた拳を解き、そして。
俺の頭を撫でながら、あいつは言った。
「いっぺん過去に飛ばされて、色々あって、吹っ切れたんじゃなかったのかよ?」
「……そのつもりだった。しかし、実物を前にしたなら、このザマだ」
自然と、言葉が漏れ出てくる。
彼女への想いが止まらない。
止めるつもりも、ない。
「リディア。俺は、お前を救えなかった。俺は、自らの愚行によって、お前を」
「気にすんなよ。過去のオレも言ってたろ? 少なくとも、オレぁお前を恨んでねぇ。だから……お前もいい加減、自分への憎悪を捨てやがれ」
優しく、俺の頭を撫で続けるリディア。
そんな彼女へ、俺は。
「リディア」
「おう、なんだよ」
「結婚してくれ」
「――――――は?」
瞬間、リディアは撫でる手を止め、大きく目を見開いて、固まった。
「――――――――――い、今、なんて?」
「結婚してくれと言った」
「――戦闘のダメージが、頭に」
「影響など及んではいない。本心だ。俺はお前を愛している」
これを素直に伝えられたなら、あのとき、リディアを失うこともなかったろう。
当時出来なかったことが、今なら出来る。
これも成長の一つ、か。
……そうだからこそ。そのようにしてくれた者達もまた、リディアに並ぶほど、愛おしい存在であると、そう思った瞬間。
「…………ハッ。浮気性だな、お前は」
「人のことを言えた口か」
「オレは一途ですけど~? 実際、子供作った相手は一人だけだしな」
「………………そのことについて、少々、気持ちの悪い質問をするが。相手は誰だ? 男か? 女か? お前がそれを隠し通した理由はわかる。どこぞの悪魔に知られようものなら、不愉快なことになるだろうからな。だがここに至り、もはや隠す必要もなかろう。いったい、どこの誰と――」
「お前」
「――――は?」
今度は、俺が固まる番だった。
ついでに、メフィストも固まっていた。
これまで口を挟まなかった奴が、そのとき。
「いや、待って。ちょっと待って。それは聞き捨てならないんだけど。僕は四六時中、ハニーのことを監視してたからわかる。君達は絶対、そんなことしてないって」
「さらっと気持ちの悪いことを言うな、死ね。……いや、そんなことより」
もう一度、俺は同じ質問をした。
「どこの、誰と、子を成したのだ?」
「だから。お前だって言ってんだろ。二度も言わせんな、恥ずかしい」
「……身に覚えがないんだが?」
「……僕の記憶にもないんだが?」
「そりゃそうだろ。ヤって作った子供じゃねぇし」
「………………………………ならば、まさか」
「あぁ。人工生命だよ。ヴェーダに頼んで作ってもらった」
二人以上の遺伝子情報と、霊体の一部を掛け合わせて創った人造人間。それを人工生命と呼ぶ。古代においては性交渉による受精だけでなく、魔導を用いてのそれもまた、人が子を成すための行いとして知られていたが……
「…………ということは、つまり。俺達は既に」
「まぁ、結婚したも同然、かもな」
指先で頬を掻くリディア。
そこが赤らんでいるのは、爪で引っ掻いたのが原因、ではなかろう。
「……いつかオレが居なくなったとき、お前はきっと、独りぼっちになると思った。だから作っておいたんだ。お前にとっての希望を。……その存在をな、伝えるためのヒントを残したはずなんだが、お前はず~~~~っと気付きやがらねぇで、勝手に絶望して、勝手に転生して。……ま、最終的には出会えたわけだし、結果よけりゃなんとやら、か」
イリーナ。
イリーナ・オールハイド。
彼女はやはり、俺の希望だった。
常々、娘のように想ってきたが、よもや。
真に血縁だったとは。
ある種の感動が心を満たす。
その一方で。
「……さて、と。そろそろ駄弁るのも終いにすっか」
リディアは一息吐くと。
右手を上げて、一点を指した。
無限に増殖を続ける《次元獣》。
その群れが次の瞬間、リディアの指先から放たれし一筋の煌めきによって、掻き分けられ――やがて、光が別次元世界の只中に、穴を開けた。
「行けよ、ヴァル。お前の世界を守れ。お前の仲間を守れ。そして――」
お前の家族を、守れ。
その言葉が出ると同時に。
我が身が、開かれた光穴へと、吸い寄せられていく。
「っ……! ハニー!」
「おっと。行かせねぇよ。てめぇはここに閉じこもるのさ。オレと一緒に、な」
光の輪がメフィストを拘束し、身動きを封じた。
ローグとの融合で、完全な霊体を取り戻したというだけでは、説明が付かない現象。
なにがしかの秘密が、そこにはあるのかもしれない。
だが……そんなことは、どうでもよかった。
「リディアッ! いずれ必ず、迎えに来るぞッ!」
俺は叫んだ。
穴へと入り込む寸前。
思いの丈を。
自らの願望を。
「お前を必ず、元の世界へと連れて帰るッ! 今一度、俺と共に生きてくれッ!」
これにリディアは苦笑し、
「オレを迎えに来るってこたぁよ、こいつ(メフィスト)を自由にさせちまうってことだぜ?」
「かまうものかッ! そいつを叩きのめせるほど、強くなればいいッ!」
お前のためなら、簡単なことだ。
言外にそう言い含ませた俺に、リディアは一瞬、目を見開いて。
「……変わったな、ヴァル。いや、成長したって言うべきか」
穏やかな微笑が、遠のいていく。
距離が離れる毎に、愛おしさが増していく。
だから、もう一度叫んだ。
出来るはずがないという諦観を、遙か彼方へ投げ捨てて。
「俺はッ! お前を取り戻すッ! 絶対だッッ!」
もう、顔も見えぬほど小さくなったリディアの姿。
目に映らずとも。耳にその声が届かずとも。
俺は見た。
頬を紅くした彼女を。
俺は聞いた。
弾むような声を。
「…………出来るだけ、早く来てくれよな」
これに、俺は、誓いの言葉を口にした。
光穴へと入りながら。
声が届かぬとわかっていても。
「いつの日か、その手を掴んでみせる……!」
たとえそれが、道理に反していようとも。
たとえそれが、永遠に訪れぬ未来であったとしても。
全てを捻じ伏せて、もう一度。
もう一度、あいつと、笑い合うのだ。
そのために、俺は皆のもとへ――――帰るものと、思っていた。
この瞬間、までは。