第一二五話 元・村人Aと、決戦前の騒乱
正面突破。
ローグが提示した方針はそれだった。
来た道を真っ直ぐ戻り、王都へ突入。そのまま学園へ向かい、メフィストと対峙する。
あまりにも直球で、あまりにも無謀。
されど異論を唱える者は一人も居なかった。
もう一人のアード・メテオール(ディザスター・ローグ)を信じている、というだけでなく、そもそも現状を打破する有効策を誰も見出せなかったのだ。
敵は最強最悪の《邪神》。
真っ向勝負も搦め手も一切合切を捻じ伏せてきた、規格外の中の規格外。
その攻略はアードとローグ、二人の元・《魔王》に託されていた。
「……王都が、見えてきたな」
平野の只中に設けられた街道を進み続けた末に、一行は目的地の輪郭を捉えた。
「ここまでの道のりは実に平坦なものであったが」
「あぁ。まさか奴が、簡単に進ませてくれるわけがない」
ライザーとアルヴァートのやり取りを肯定するかのように。
次の瞬間、悪魔の声が周囲に響き渡った。
『やぁ皆。出戻りご苦労様』
『攻めたり逃げたりで慌ただしいね、ホント』
『こんなの何回も繰り返したって面白くないし、見逃す度に緊張感が削がれていく』
『だから、今回の挑戦を最後としよう』
『失敗したなら次はない。正真正銘のラスト・マッチだ』
『僕が消えるか、君達の未来が潰えるか』
『完全決着と行こうじゃないか』
敵方の声を耳にした瞬間、皆の顔に強い緊張が走った。
その様子を嗤いながら、メフィストは次の言葉を放つ。
『物事には順序がある。王者との勝負は本来、前座を済ませてから行うものだろう?』
『そういうわけで、君達に相応しい前座を用意したよ』
『ちゃんと乗り越えて、僕のもとへおいで』
『期待して待っているよ。ハニーと一緒に、ね』
一方的な交信が終わったと同時に。
魔物が出現する。
周囲に、ではない。目的地へと至るまでの道中、その全域を埋め尽くすほどの大軍勢。
地上は当然のこと、蒼穹さえも黒く染め尽くすほどの膨大な物量であった。
――されど。誰一人として、怯えなど見せることはなく。
むしろ悠然とした姿勢のまま。
「はんっ! 決戦前の景気づけには丁度いいのだわっ!」
「思いっきり暴れるわよ、ジニーッ!」
「えぇ、参りましょう、ミス・イリーナ……!」
突出する三人の娘。
イリーナとシルフィーは聖剣を、ジニーは紅槍を召喚し、勇ましく斬り込んでいく。
ランペイジ(大暴れ)。彼女等の躍動はまさにそれだった。
そうした様子を見つめながら、ローグがエルザードへ一言。
「……よいのか?」
「あぁ? 何がだよ?」
「……彼女等の中に、混ざりたいのだろう?」
エルザードは答えなかった。いや、答えられなかったと言うべきか。
輪の中へ入りたいのに、その勇気が出ない。
そんな彼女をアルヴァートは鼻で笑いながら、
「友達作りが下手な奴だな、阿呆トカゲ」
「はぁ!? お前にだけは――」
言葉の途中。
「ミス・イリーナッ! 上から来ますわよッ!」
「……ッ!」
イリーナに危機が迫る。
上空から飛来した小型の竜。ジニーとシルフィーは各自、目前の敵方に手一杯で、援護が間に合わない。このままではイリーナが一撃貰ってしまう。
――そんなとき、エルザードが動いた。
「そいつに手出しすんなッッ!」
音を置き去りにするほどの踏み込み。
そして、一閃。
間合いを潰す合間に召喚した竜骨剣の刀身が、イリーナを食らわんとしていた竜の首を斬り落とす。
そのままの勢いで、エルザードはイリーナの身を片手で抱え、落下する亡骸から逃れた。
「……怪我、してないか?」
「うん。ありがとね、エルザード」
「……フン。別に、君を助けてやったわけじゃないし。あのちっさい奴が気に入らなかっただけだし。勘違いすんなよな」
イリーナを降ろしつつの言葉は、刺々しいものであったが。
「あんた顔真っ赤だけど、大丈夫?」
「はぁ!? ぜんっぜん赤くなんかないけどぉ!?」
「いや、茹で蛸みたいになってるわよ?」
「う、ううう、うるさいなぁ! そ、そんなことより!」
やり取りの最中。
接近してきた魔物の群れを、図太い光線で以て焼き払いながら、エルザードは叫んだ。
「こ、この雑魚共を片付けるぞッ! ボ、ボボ、ボクと、一緒にッ!」
「えぇ! 頼りにしてるわよ、エルザード!」
これを受けて、彼女は。
「~~~~~~~ッッ!」
その顔を一層、赤々とさせ、そして。
「しょ、しょうがないなぁ~~~~~ッ! そ、そこまで言われたらなぁ~~~~ッ!」
開幕する。狂龍王を主役とした、一方的な殲滅戦が。
「…………ボクの格好いいところ、見せてやる」
それはまさに圧倒的な暴力。
地表に。虚空に。蒼穹に。数えきれぬほどの魔法陣が展開し――
「消し飛べ、三下共ッッ!」
一斉掃射。
視界を埋め尽くすほどの魔物達を、さらに一段階上の殲滅力によって灼き尽くす。
煌めく蒼き光線が瞬く間に敵方を消去していくさまは、まさに圧巻の一言。
これにイリーナは興奮した様子で、
「すっごいじゃないの! エルザード!」
「っ~~! こ、こんなの序の口だしっ! ボクの本気は、もっとヤバいんだからなっ!」
調子付いた狂龍王。
その激しい攻勢が、さらなる高まりを見せた。
「すごいすごいっ! あんたが味方になってくれて、本当によかったわっ!」
「……ボクのこと、味方だと思ってる?」
「当然じゃないのっ! めちゃくちゃ頼もしい味方よっ!」
「………………ボ、ボクのこと、友、友、ととと、友達、だと、思って、る?」
「あったりまえじゃないの! 肩並べて戦ってんだから! もう立派なお友達よ!」
「…………………………ふへへ」
テンション爆上がりの狂龍王。
爆裂する喜びを表するかのように、攻勢の激しさが秒刻みに高まっていく。
そんな彼女の姿に、元・四天王の面々が一言。
「……なんか気持ち悪いな、あいつ」
「……うむ。なんとも気持ちが悪い」
「右に同じである」
ドン引きの最中も、エルザードの活躍は続き――
結局。平野での一戦は彼女一人で決着が付いてしまった。
「さぁっ! 先を急ごう、皆っ!」
煌めくような笑顔で先導する狂龍王。
その背中を追いながら、再びアルヴァートが一言。
「気持ち悪いなぁ……」
イリーナを除く、全員の総意であった。
ともあれ。エルザードの手によって、道は拓かれた。
その後も幾度となく襲撃に遭ったが、さしたる問題もなく、王都へと侵入。
そうした現状に対しライザーが呟く。
「妙であるな」
これにローグが同意を示した。
「あぁ。あまりにも簡単過ぎる」
オリヴィアもまた、胸騒ぎを感じていたらしい。
「……何か、企んでいるのだろう」
大通りを進行する。
道中にて、街に住まう人々が襲い掛かってくるといった事態に直面したのだが。
「これしきのことで、心が乱れるとでも思っているのか」
操られた民間人の群れ。その一人を殴り倒し、気絶させながら、ローグは嘆息する。
なんの罪もない相手へ暴力を振るうのは心苦しいが……所詮、それだけだ。
ちょっとした嫌がらせ程度の効果しかない。
「油断するなよ、ローグ。これはおそらく前振りだ」
アルヴァートの言葉に頷きながら、ローグはまた一人、市民を殴り倒した。
「……そうだな。間違いなく、何かを仕掛けてくる」
問題なのは、その何かがどういう内容なのか。
思索を巡らせつつ、王都の只中を進んでいく。そして広場へと到着し――
「学園まであともう少しだわ!」
「このまま無事、辿り付ければいいのですけれど……」
「大丈夫! 何が来たって、あたし達を止めることなんて出来ないんだから!」
「そうだね。なんせボクが居るからね。イリーナの、と、ととと、友達の、ボクが、居るからね。……ふふふふふ」
楽観的な四人の娘達に反して、ローグと元・四天王の面々は悪寒を感じ続けていた。
「仕掛けてくるとしたなら、ここらへんじゃあないか?」
「……おそらくは、な」
「もしくは学園に到達し、安堵した瞬間を狙ってくるやもしれぬ」
ローグが三人の会話に交わろうとした、その直前。
アルヴァートの読みが、的中する。
――襲来。
中央広場を進む彼等の側面より、死角を突く形で雷撃が飛んで来た。
それは実に細く、派手さの欠片もないが、しかし。
命中したなら一撃で命を刈り取るような、高濃度に凝縮された一撃であった。
「ッ! 《メガ・ウォール》ッ!」
いち早く気付いたローグが、防壁の魔法を発動。
半球状の膜が周囲を覆うと同時に……着弾する。
ローグはもう一人のアード・メテオールであるが、彼に倍するほどの戦力を持つ。
そんなローグの防壁にさえ、飛来した雷撃は亀裂を入れて見せた。
「……なるほど。さすがメフィスト=ユー=フェゴールといったところか。実に悪辣だ」
襲撃者の姿を見て取った瞬間、ローグの表情が険しくなる。
それはイリーナも同様であった。先刻まで漲っていた自信と楽観は完全に剥がれ落ち、あどけない美貌に強い困惑の色が宿る。
果たして、襲い来た者達の正体は。
「……パパ」
イリーナの父、ヴァイス・オールハイド。
そして。
「……英雄男爵と大魔導士。まさに揃い踏みといったところか」
ジャック・メテオール。カーラ・メテオール。
村人として生きた頃の、父母。
三人の傑物が今、一行の前に立ち塞がっていた。
「来いよ、バケモノ共」
「ここから先は、一歩も通さないわ」
「僕達を倒さない限りは、ね」
メフィストの手によって改変され、その力量を強化された三人。その姿を前にして、イリーナは瞳を揺らめかせ……口から出かけた叫びを、寸前のところで飲み込んだ。
「パパ。ジャックおじさん。カーラおばさん。本当に、ごめんなさい」
これから貴方達に暴力を振るってしまう。
アードを救い出すために。この一件を集結へと導くために。
相手が誰であろうとも、立ちはだかる者は排除する。
イリーナの瞳にはそうした覚悟が宿っていた。
「本当なら、元に戻してあげたい。でも……今は余裕がないの。だから」
ブチのめして進む。そう宣言しながら、聖剣・ヴァルト=ガリギュラスを構えた。
そんな娘に対し、ヴァイスは、
「奔れ、疾風の刃」
躊躇のない一撃を浴びせかける。
不可視の風刃。それが戦闘開始の合図となった。
目に見えぬ攻撃魔法を、イリーナは野生の勘によって回避。
射線上に立っていた仲間達もまた四方八方へ散る形で跳躍し、事なきを得る。
「まだまだ……!」
「反撃なんて、させないんだから……!」
ジャックとカーラによる属性攻撃の雨あられ。
父母の猛攻を躱しつつ、ローグは呟いた。
「外見こそ地味だが……そこには一撃必殺の火力が秘められている」
実に厄介であった。熟達の魔導士ほど、攻撃魔法の発動において、無駄なエネルギーの膨張を見せないものだ。まるで派手さのないその一撃こそ、磨き抜かれた天稟の証、だが。
「君達は、現代の英雄でしかない」
アルヴァートが反撃の一手を打つ。
攻撃魔法の遠隔発動。
そのとき、敵方三名の足下に魔法陣が顕現し……火柱が立った。
ジャック。カーラ。ヴァイス。灼熱に飲み込まれた三人は、果たして。
「……おい女男」
「なんだよ、阿呆トカゲ」
「格好付けといて失敗するとか、ほんっとダサいよね。超笑える」
エルザードの口から嘲りの言葉が出ると同時に。
三人を覆い尽くしていた火柱が、掻き消された。
「効かねぇな、こんなもん」
ジャックは好戦的な笑みを浮かべながら、僅かに煤けた服を叩いて見せた。
他二人も同様に、ダメージは一切確認出来ない。
その姿を目にして、オリヴィアが口を開く。
「……手心を加える余裕はない、か」
表情こそ無機質なままだが、内面には複雑な情念が渦巻いているのだろう。
何せあの三人は、彼女の元・教え子だ。
「……問題児共め。卒業してもなお、わたしを悩ませるか」
学生時代の三人を思い返し、嘆息するオリヴィア。
その横で、ライザーが冷然とした声を放つ。
「殺めるは易し。されど、それなりの代償はある、か」
この老将に慈悲の二文字はない。行動の全てが合理性重視。相手が仲間の肉親であろうとも、必要と判断したなら平然と手に掛けるだろう。
そんなライザーだからこそ、現状に対し、迷いを抱いていた。
「状況を打破したとて……次で仕損じたなら、なんの意味もない」
この言葉は皆が同意するところだった。
現時点において、こちらには二つの選択肢が用意されている。
一つは敵方の排除。開幕の前段階にてイリーナが宣言した通り、ブチのめして進む……ということが出来れば最善であったのだが、実際は不可能。
手加減し、気絶させ、そして進むといった考えは捨てるべきだ。
……しかしながら。
「もし相手方の命を奪ったなら、メフィストとの一戦において悪影響をもたらすであろう」
ライザーは理解している。かの悪魔と戦う際、主力となるのはローグとイリーナ、この二人であると。
前者は特に問題ない。
大魔導士夫妻を殺害したとて、ローグの精神は平静を保つだろう。
大義のために誰かを犠牲にするといった行いは、前世の頃より茶飯事。
両親を手に掛けた程度で揺らぐような心など、もはや持ち合わせてはいない。
だが、イリーナは違う。
「父を殺めてなお心乱さぬという自負があるか? イリーナ・オールハイドよ」
ライザーの問いかけに、彼女は答えなかった。答えることが、出来なかった。
額から冷汗を流し、沈黙し続けている。そうした様子が何よりの返答であった。
「両翼の片側が失われたなら、敗北は必定」
「……ならば説得し、三人を元に戻すか?」
「その望みはあろう。なれど」
「僕達の消耗は、かなりのものになるだろうね」
まだ矛を向け合ってから間もないが、敵方の力量は十分に推し量れた。
そのうえでアルヴァートは断言する。
「改変された人格を戻すために費やす時間と労力。それは間違いなくメフィストとの戦いに影響を及ぼすほどのものになるだろう」
それがいかなる結果へと繋がるかは、言うまでもない。
まさしく悪魔の策謀であった。
相手を手に掛けて進めば、心乱れて敗北。
相手を戻したうえで進めば、力の消耗によって敗北。
表面的には二者択一であるが、しかし、その結末はどちらを選んでも変わらない。
「ほんっと性格悪いな、あいつ……!」
歯噛みするエルザードの傍で、ローグもまた眉間に皺を寄せながら、
「……奴との戦いは常にこれだ。あまりにも不愉快な二者択一を必ず迫ってくる。それを乗り越え、打ち克つには、第三の択を創らねばならない」
だが今は、その片鱗さえ見出せなかった。こちらの消耗を抑え込み、なおかつ、精神的な負担も消滅するような三番目の選択肢。いかにすれば、そんなものが――
「ワタシに、任せてよ」
突如。
なんの脈絡もなく、第三者の声が響いた。
鈴を鳴らしたようなそれは、間違いない。
「ヴェーダ……!?」
予想外の展開に、ローグが目を見開いた、次の瞬間。
無数の黒穴がそこかしこに開き、形容しがたい怪物の群れが大量に出現する。
それらは敵方……現代の英雄達を目にすると、一気呵成に襲い掛かった。
「チィッ!」
「なんだ、こいつら!」
「気持ちが悪いわねぇ……!」
単体で見ても十分に強力な怪物達が、群れなして襲い来るのだ。
たとえ強化された英雄といえども、これには手をこまねくしかなかった。
そんな中、虚空にて新たな黒穴が開く。
そこから出てきたのは。
「……やぁ、皆」
どこかバツが悪そうな顔をした、ヴェーダ・アル・ハザード。
今の今まで、泣き続けていたのか。その瞼が赤く腫れている。
精神状態は依然として万全とは言い難い。だがそれでも、彼女はここへ来た。
仲間達のために。
「行きなよ。あの人のところへ。ここはワタシが抑えておくから、さ」
第三の択が今、目前にあった。これに飛びつかぬわけにはいかない。
そう……たとえヴェーダの瞳に危うさが宿っていたとしても。
「頼んだぞ」
「うん」
短い言葉を交わすと、ローグは地面を蹴った。
「……また会おう」
「うん」
オリヴィアもまた、一言投げて。
それから、他の面々も簡単な礼や激励などを送りつつ、疾走する。
「待ちやがれ、この――」
「君達の相手は、ワタシだよ」
追走せんとするジャックの周囲に、小規模な爆裂が生じた。
それは相手方の命を奪うようなものではなく、ちょうど良い具合に足を止める程度の攻撃だった。
消耗することなく、精神に負担が掛かることもない。そんな第三の択を体現しながら。
ヴェーダは皆の背中へと目をやった。
「……怒るかな。それとも、悲しむのかな」
離れていく。距離が、遠のいていく。
そんな姿が、自分達の未来を暗示しているかのようで。
胸の内に湧いた切なさを、ヴェーダは言葉に変えて吐き出した。
「――何やってんだろ、ワタシ」
◇◆◇
ヴェーダ・アル・ハザードと三人の英雄達による一戦は、泥沼の様相を見せつつあった。
「クソッ……! うじゃうじゃとキリがねぇ……!」
黒穴から湧き出る無限の軍勢が、相手方を完全に抑え込んでいる。
そうして己の役割を果たしながら、ヴェーダは思索に耽った。
(なんで、こんなことしてるんだろう)
(なんで、ここへ来たんだろう)
(ワタシは、何を考えてるんだろう)
メフィストとの別離を強制されて以降、彼女の心は閉塞状態にあった。
何もする気になれない。
自分はこれから、親を喪うのだ。それに抗うことさえ、出来ないのだ。
そうした考えが猛毒のように精神を蝕み、憂鬱が脳の働きを阻害する。
だからこそ。
動けぬはずの自分がなぜ、こんなことをしているのか。
ヴェーダにはまるで理解出来なかった。
気付けばここに居て。
任せろ、と。そんなことを口にしていた。
「……わからない。自分で自分が、わからない。でも」
どうだっていいや。
ヴェーダがそのように呟いた、次の瞬間。
想定通りの展開が訪れた。
「うるぅあああああああああああああああああッッ!」
絶叫と共に、ジャックが限界点を突破する。
狂化の魔法。それは精神を暴走させ、敵味方の区別がなくなる代わりに、戦闘能力を飛躍的に向上させる魔法だ。
心身共に負担が大きく、一度の戦闘で使用出来るのは一回のみ。
そうした切り札を用いて、ジャックは無限の軍勢を駆逐していく。
「がぁあああああああああああああああッッ!」
殲滅力が、怪物の増加速度を超えた。
その威容も驚愕に値するものだが……もっとも驚くべきは、狂化状態であるにもかかわらず、自我を保ち続けているという事実。
「……師匠の改変によるもの、じゃないな。持ち前の精神力で狂化を捻じ伏せてるのか」
平常のヴェーダであれば瞳を煌めかせ、様々な実験プランを思いついていただろう。
さりとて、今は微塵の好奇心も湧いてこない。
「るぅがぁあああああああああああああああッ!」
迫ってくる。二振りの剣を用いて、舞い踊るように人外の群れを斬り刻みながら。
距離を取るなり、迎撃するなりしなければ、やられる。
だが。
ヴェーダは、そうだからこそ、動かなかった。
「……どうだっていいんだよ、何もかも」
足止めの役割は果たした。ローグ達は既にメフィストと交戦状態に入っているだろう。
であれば、もう。
ここで朽ちたとて、誰かに迷惑をかけることはない。
ヴェーダは受け入れていた。
迫り来る死を。
きっとこのために自分はここへ来たのだろう、と。そんなふうに現状を解釈しながら。「……嫌な人生だったな」
目前にて、狂戦士が刃を振り下ろす。
それが彼女の身を両断するまでの一瞬。
ほんの瞬き程度の時間が、永遠のように引き延ばされていく。
脳裏には走馬燈。
生まれてから今に至るまでの記憶が流れ、ヴェーダの心をことさら辟易させた。
(ひっどい親のもとに生まれて)
(手に入るはずもない愛情を求め続けた)
(その帰結が、悪魔との邂逅)
(そして……拒絶すべき存在を、ワタシは、愛してしまった)
(この人こそ、本当の親だって。そんなふうに思ってしまった)
メフィストとの日々は刺激的で、実に愉しいものだった。
互いに倫理の鎖から解放された存在同士。彼さえ居てくれたなら幸せに生きていける。最終的に彼の歪みがこの身を害するとしても、それを拒否するつもりはなかった。
そう……あの人になら、殺されたってよかったのだ。
そんな人に、離れろと。二度と交わることはないのだと。
そのように言われたなら、もう。
「生きていく意味なんて、どこにあるんだよ」
刃が頭頂部へと迫り、白い肌に食い込む。
ヴェーダは自らの終幕を――
『仕様のない奴だな、お前は』
終幕を受け入れる、寸前。
頭の中に響いた声が、ヴェーダの体を突き動かした。
回避。
己が身を斬り裂かんとする刃を。望んでいたはずの死を。
彼女は後退することで回避した。
「っ……!」
なぜ動いたのか、まったくわからない。完全に無意識の行動だった。
それは一度きりの現象ではなく。
「ぎぃあああああああああああああッッ!」
二度目の回避。三度目の回避。四度目の回避。
迫り来る死を、ヴェーダはことごとく躱し続けていた。
そのたびに、声が響く。
頭の中で、彼等の声が響く。
『……ヴェーダ。貴様、わたしのふかし芋をどこへやった?』
オリヴィア・ヴェル・ヴァイン。常に澄ました顔をしている彼女を、顔が真っ赤になるまで怒らせるのが、愉しくてしょうがなかった。
『其処許が開発した不老の秘薬。これを用いて成長を止めた幼子は果たして、成人年齢を迎えてなお幼子と呼び続けられるのか否か。其処許の持論を聞かせてもらいたい』
ライザー・ベルフェニックス。不世出の智将と讃えられし老将がときたま見せる、真剣な馬鹿馬鹿しさが、ヴェーダには面白くてしかたがなかった。
『フハハハハハ! 貴公は実に弁が立つなぁ! 吾では到底敵わぬよ! フハハハハハハハハハハハ――――――よし、殺そう』
アルヴァート・エグゼクス。おちょくりまくった末に、塗り重ねた虚飾を引っぺがしてやるのは、実に気持ちが良かった。
そして――
『つい先日、お前が発表してみせた学説だが』
『実に興味深い』
『実証の場を設けさせてもらった。そこで解説など頼めないだろうか』
ヴァルヴァトス。
彼は本当に面白い人間だった。観察しがいのある人間だった。
あの師が無二の友と認め、執着し続けるのも、納得出来た。
まるで空っぽな器。空虚な暴力装置。そんな彼が何かを得て、同時に、何かを失っていく様は確かに、ヴェーダの心を揺るがし――
(あぁ、そうか)
(ワタシは)
目前の死を躱し続けながら、ヴェーダは微笑した。
頭の中に響く声の数々が、彼女の心を熱くさせる。
(ワタシは)
(ワタシの人生は)
(ひどく嫌なものではあったけれど)
(でも……つまらなかったってわけじゃあ、なかったんだな)
(こんなワタシにも、素敵な友達が居たのだから)
古代で出会った彼等。
そして、現代で出会った彼女達。
『ヴェーダ様! いい加減、ジニーに惚れ薬渡すのやめてくださいよ!』
『あらミス・イリーナ。貴女だってこの前、ヴェーダ様に秘薬の調合をお願いしていましたわよねぇ?』
『あ、あれは、その……眠気覚ましの薬よ! テスト勉強で使うの!』
イリーナ・オールハイド。ジニー・サルヴァン。
つまらぬ時代に生まれた、面白い娘達。
(……本当に、色んな人と出会って、別れて)
(そのうえで、何もかも失ったかといえば)
(それは違う)
(ワタシの中には、残ってるんだ)
(皆への友情が、まだ)
不意に、師の顔が思い浮かぶ。
ヴェーダに呪詛の魔法を掛けたあのとき、彼が見せた笑顔の裏には……親の情があった。
君を壊したくない。出来ることなら幸せになってほしい。
そんな、隠されたメッセージを今。
ヴェーダは確と、受け止めていた。
「……わかったよ、師匠。貴方が居ない世界はきっと、ひどく退屈だろうけれど、でも」
もう少しだけ、生きてみるよ。
そう呟いてから、ヴェーダは黒穴の全てを閉じた。
それと同時に、ヴァイスとカーラを抑え込んでいた怪物達が消失。
前後して。
ヴェーダは大きく後ろへ跳び、ジャックから距離を離すと。
「《《我、求むるがゆえに》》《《我、騒乱の只中にて哄笑せん》》」
《固有魔法》の詠唱を紡ぎ出す。
その瞳を、煌めかせながら。
「《《智と痴は紙一重》》《《楽と苦の狭間で踊り》》《《我は吹聴し続ける》》」
危機を感じたのだろう。
ジャック、カーラ、ヴァイス、三人が一斉にヴェーダへの攻撃を開始した。
しかし、当たらぬ、どころか、そもそも到達出来なかった。
踏み込んだジャックは気付けば別方向へと駆けていて。カーラとヴァイスによる属性魔法は飛翔の最中、飴玉やマシュマロなどの菓子に変じて、そこかしこに飛散する。
「《《御前に在るは不世出の――》》《《って、真面目にやんのも飽きたし》》《《こっからははっちゃけて行こう!》》」
空気が変わる。
周囲一帯に七色の霧が立ちこめ、奇妙な音楽が鳴り響き、
「《《ワタシは物知りで!》》《《ワタシはめちゃんこ強くて!》》《《だいたいなんでも出来る凄い奴!》》《《だから、そう――》》」
口元を笑みに歪ませながら。
普段、そうしているように。
ヴェーダ・アル・ハザードは最後の一唱節を叫んだ。
「《《ワァアアアタシはッ!》》《神だぁあああああああああああああああッッ!(トワイライト・ゾーン)》」
――新生。それはまさに、そう呼ぶべき現象であった。
周囲の空間が完全に別世界へと変わる。
もはやここは王都の広場ではない。
ヴェーダが新たに生み出した、奇妙奇天烈な夢の国。
らんらららんらんららららららん♪
ららららら♪ ららららん♪
調子外れな、表現し難い音楽。
聞く者を狂わせるようなそれに合わせて、夢の国の住人達が踊り狂っている。
それは二足歩行のネズミか。あるいはタヌキ? いや、もしかしたらカバかもしれない。
何もかも理解不能。そこに立っているだけで正気を失いそうになるような空間の中で。
ヴェーダは両腕を広げ、口を開いた。
「実のところ、君達には以前から興味があったんだよねぇ。復活した《邪神》を倒してみせたその力が、どっから来てんのか。これを機に解明してみよう、そうしよう」
くるくると独楽のように回転するヴェーダ。
自分でやっといて目を回すという意味不明な行動を見せつつ、さらに言葉を重ねていく。
「全部終わった後に誰も死んでなかったらオール・オッケーだよね! その過程で精神が二、三回ブッ壊れたり、全身がバラけて別の生き物になったりしても、最後にちゃんとなってれば問題なし! そんなわけで! 好き放題やっちゃうからね、イリーナちゃん! あとついでにヴァル君!」
なぜだかブリッジして。
逆さまに映る世界へと、ヴェーダは宣言する。
「――さぁ、取り戻すとしようか。皆の人生を」