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第一二四話 元・村人A、決意を再認する


 ――敗北が知りたい。

《魔王》として生きた頃の末期にて、俺は常にその願いを抱き続けてきた。当時の俺は失った者達の願いを叶えるためだけに人生を費やし、それゆえに、孤独へと陥ったのだ。

 誰も傷付かない世界。皆が笑い合える理想郷。そんなもの、現実的にはありえない。

 誰かの幸福は誰かの不幸の上に成り立つ。それこそが人間社会の真理であるがゆえに。

 だが、俺は諦観することが出来なかった。

 想いを託されたからだ。

 去って行った者達の無念がこの身を突き動かし……やがてそれは、暴走へと繋がった。

 そんな俺を止めるべく、かつて肩を並べ合った英傑達の多くが離反。

 敵対した彼等を、俺は屠り続けた。

 かつての同胞達を一人、また一人と手にかける度、心が磨り減っていく。

 ゆえにこそ敗北を願ったのだ。

 誰か、俺を止めてほしい。

 完膚なきまでに打ちのめして、そして……俺の手を、取ってほしい。

 リディアと同じように。誰か、俺を正しい方向へと導いてくれ。

 そんな願いは、しかし、終ぞ叶うことはなかった。

 ……第三者の目から見れば、《魔王》の孤独は自業自得であろう。

 だがそれでも、俺は断言する。我が身の孤独は自己責任で片が付くものではない、と。

 メフィスト=ユー=フェゴール。奴が、俺から全てを奪い取ったのだ。

 奴さえいなければ、何も失わずに済んだ。

 信頼し合った仲間も。愛した親友も。誰一人、居なくなることはなかった。

 誰かが俺のもとから去る度に、悪魔が嗤う。

“君の隣に居られるのは、僕だけだよ”

 そんな世迷い言を口にして。

 きっとその心は今も、変わらないのだろう。

 おそらくは、此度の一件もそれが動機になっているのだろう。

 我が目前にて。

 愉しげに紅茶を啜るメフィストの姿を睨みながら、俺はそのことに気付いた。

「~~~~♪」

 鼻歌を口ずさむその表情はまるで恋する乙女のように甘く、その美貌も相まって、表面上は実に魅惑的だが……俺の目には、吐き気を催すほどの醜貌として映っていた。

「何が、そんなにも愉しいのだ、メフィスト=ユー=フェゴール」

「アハハハハハ! わかってるくせにぃ~!」

 ケラケラと笑い声を上げる悪魔。その顔面を思い切り殴りつけてやりたい。

 心の底から出た願いを叶えるべく、肉体を動かそうとする。

 だが、出来なかった。我が身の支配権は今や、この手になく。ゆえに俺は悪魔とテーブルを囲み、談笑の相手をさせられている。

「…………これほどの拷問は、二つとあるまい」

「ふふふふふ。照れ屋さんだなぁ、ハニーは。心の奥底じゃあ喜んでるくせに」

 殺したい。あるいは、死なせてほしい。だがいずれも、奴は許さなかった。

 ……そう。奴の望みは、そのいずれでもないのだ。

 敵を殺したいというわけでなく。自分が死にたいというわけでもない。

 むしろ、ある意味では実に、前向きな欲求であろう。

「あぁ、やっぱり君は、僕のことを理解してくれているんだね、ハニー」

「……勝手に心を読むな、気持ち悪い」

 奴の耳にはこちらの暴言が睦言として届いているのか。メフィストは罵倒の言葉を嬉しそうに受け入れながら、言葉を重ね続けた。

「やっぱり君だよ。君でなくちゃいけない。イリーナちゃんにも希望はあるのだけど、いかんせん発展途上が過ぎる。今の彼女では、僕の力に耐えきれない」

「……だから、俺なのか」

「うん。君は壊れないからね。心も体も、絶対に」

 メフィストが見せた微笑はどこか寂しげで。

 それは圧倒的な強者にしか理解出来ぬ孤独であろう。

 即ち……奴の寂寞を理解し、それを救済出来るのは、きっと。

 だが、たとえそうであったとしても。

 受け入れがたい。そんなこと、出来るわけがない。

 されど……きっとそれこそが、鍵なのだろう。

 この戦いに勝利し、皆の人生を未来へと繋ぐためには、覚悟を決めなければならない。

 身命を擲つことよりもなお困難なそれを抱くことでしか、この一件は解決しないのだ。

「……ふふ。現状の真理を掴んだようだね、ハニー」

 メフィストはこちらの思考を見透かしたように笑いながら、紅茶を啜り、

「二者択一に苦悩する姿も実に愛おしい。やっぱり僕は君の困った顔が一番好きだなぁ」

「…………くたばれ、このド畜生が」

 罵倒を送りつつ、嘆息し、そして。

 仲間達の顔を思い浮かべる。

 彼等はきっと、再び押し入ってくるだろう。その末に訪れる結末を、どう思うのだろうか。選択可能な未来が、総じて絶望的なものに思えてならない。

「……生まれてくるべきではなかったな。俺も、貴様も」

「あぁ。まったく以て、その通りだよ」

 通じ合う心に吐き気を催しながら、俺は天を見上げ、呟いた。

「――我が身の進退、ここに極まれり、か」


◇◆◇


 腕の中で眠る親友。疾走の最中、その顔を一瞥し、ディザスター・ローグは思索へと耽った。脳裏にもう一人の自分を、思い浮かべて。

 ……アード・メテオールと自分は同一人物だが、一つ決定的な違いがある。

 片や、物語の途中にある男。片や、物語の結末を迎えた男。

 この違いが両者の思考に大きな差異をもたらしていた。

 そうだからこそ、ローグは思う。

 アード・メテオールの判断は理想的であると同時に、大きく間違ったものだった、と。

「……守れと言われ、素直に頷いたが、しかし」

 そうすべきでなかったと、今は思う。

 同一人物ゆえの共感覚が、彼の結末を知らせていた。

「奴も俺も、結局は失敗者、か」

 か細い声で呟くと同時に。

「う……うぅ……」

 イリーナが目を覚ました瞬間、ローグは停止する。

 これに合わせて仲間達もまた足を止めた。

 現在地は、平野のまっただ中。

 戦地になっていた学園と、それを内包する王都は、既に遙か遠方となっている。

 皆、ここへ至るまで止まらなかった。黙りこくったまま、走ることしかしなかった。

 きっと苦悩を抱いていたからだろう。

 本当にこれでよかったのか?

 そんな考えを紛らわせるために、誰もが体を動かし続けていたのだ。

 だが今。きっかけが出来たことで、全員の足が止まっている。

 イリーナ・オールハイド。彼女はローグの腕の中で、瞼を開くと、

「ア、アード……!?」

 目前に在る男の顔を見て、言った。

 あどけない美貌に浮かんだ安堵を、肯定してやりたいという気持ちはある。

 だが、そんな本心とは裏腹に。

「……俺はディザスター・ローグだ。アード・メテオールではない」

 口から出たのは否定の言葉。

 罪悪感と自己嫌悪が、思い通りの行動をさせてくれなかった。

 もはや俺は、この娘の親友ではない。ただの失敗者でしかないのだ。

 守ることが出来なかった時点で、俺は全ての資格を失っている。

 そのように己へ言い聞かせながら、イリーナの身を降ろした。

「…………」

 イリーナは周囲を見回しつつ、眉間に皺を寄せながら、腕を組んだ。

 何事かを考えているような様子。

 おそらくは現状を噛み砕き、理解しようとしているのだろう。

 その作業が終わると同時に。

「……アードは、自分を犠牲にして、あたし達を助けようとしたのね」

 拳を固く握り締め、歯噛みする。そんな彼女へまず、エルザードが声を掛けた

「確かに、気にくわない選択ではあるよ。でも……そうするしかなかった」

 この意見にアルヴァートとライザーも賛同する。

「あいつは未来に希望を残そうとした」

「それを受け取り、前へと進む。我等がすべきはそれであろう」

 オリヴィア、ジニー、シルフィーの三人は、沈黙を保っていた。

 アードの考えも、それを肯定する者達も、否定してやりたいという思いがある。しかし、その一方で。彼の策を受け入れるしかなかったと、そのように考えている自分も居る。

 ご託を並べたところで、アードを見捨ててしまったという現実は変わらない。

 その時点で口出しなど出来ぬと理解しているがゆえに、彼女等は一言も発することなく、苦悶の情を見せるだけだった。

「…………」

 イリーナは皆の考えを肯定もせず、否定もせず、ただ天を見上げ、

「生まれて初めて、アードを殴りたいと思ったわ」

 握り締めた拳を振るわせながら、呟く。

「あたし達のために自分を犠牲にする? ……ふざけんじゃないわよ。そんなにも、あたし達のことが信じられないの?」

 ローグは胸中にて、イリーナに同情した。

 そう、アード・メテオールは結局のところ、究極的には仲間のことを信じてはいない。

 口では信じると断言し、それを行動で見せ付けてもいる。

 だが……皆に対する愛情と執着が、無意識のうちにそうさせてしまうのだ。

 俺が守らねばならない。たとえこの命を擲つことになろうとも。

 そうした自己犠牲の精神は表面上、美しいものとして映る。

 だがその本質は、傲慢と揶揄すべき感情。

 彼は心の奥底で周囲を見下し、何者も頼りにはしていないのだ。

「どうして、一緒に戦おうって言ってくれないのよ」

 自分だけで全てを背負うなどと。

 それは仲間達を侮辱しているようなものだ。

 次の瞬間、行き場のない怒りを解き放つように、イリーナは叫んだ。

「うあぁああああああああああああああああああああああああああッッ!」

 周囲一帯に彼女の怒声が響き渡る。

 長い長い絶叫は、イリーナが抱えた情念の深さを表すようで。

 しかし。

「……ふぅ。スッキリした」

 吐き終えたと同時に、彼女は意識を切り換えたらしい。

「じゃあ皆、アードをブン殴りに行くわよ」

 腰に手を当て、仲間達の顔を見回す。

 一様に浮かぶ当惑。

 決着はもう付いただろう? アードの犠牲によって。

 そんな考えをイリーナは否定した。

「間違った道を選んだ人間が、目的地に辿り着くなんてありえない。だからアードは失敗する。きっと今頃、メフィストに捕まってるんじゃないかしら」

 仲間達からすれば、イリーナの言葉は願望に過ぎなかったのかもしれない。

 だが、真実を知るローグからすると。

(やはりイリーナは、アード・メテオールの全てを見抜き、理解している)

(さすがは親友といったところか)

 彼女への称賛と特別な友愛を抱きつつも、それを面に出すことなく。

 淡々と、事実を報告した。

「その言葉は正しい。奴は今し方、メフィストに敗れたようだ」

 皆の顔に動揺の色が浮かぶ。

 だが、それも一瞬のこと。

 彼等はすぐさま己がすべきことを見出し、それを受け入れていた。

「逃げて早々、出戻りか」

「……格好は付かぬが、仕方あるまい」

「メフィストを討つにはアード・メテオールの存在が必要不可欠。ゆえに敵地へ再度乗り込むこと自体は否定せぬ、が……」

 顎に手を当てつつ、ライザーはローグを見て、言った。

「まさかまさか、無策で突撃するわけにはいかぬ。そうであろう?」

「あぁ、当然だ。手立ては用意してある。ただ……それを明かすことは出来ん」

 反発が起きて然るべき言動であった。

 判然しない策に対し、命を賭けろと言われて、頷く者など居るはずもない。

 だが……異議を唱える者など皆無。

 誰もがローグのことを信じている。

 アード・メテオールのことを、信じている。

「左様であるか。ならばもはや、躊躇うことはない」

「……うむ」

「はぁ。やっぱボク達が居なきゃダメダメだな、あいつは」

「なにを友人ヅラしてるんだ、阿呆トカゲ。まだそこまで親しくもないだろうに」

「皆で、アード君を助け出しましょう……!」

「ちょうど暴れたい気分だったのだわ! 姐さんもそうでしょ!?」

 決死の戦いに挑まんとしているというのに、弱音や絶望など微塵もなかった。

 そんな頼もしい仲間達を前にして、ローグはボソリと呟く。

「……俺と同じ失敗をしたな、アード・メテオール」

 なにゆえこの身は、失敗者となったのか。

 全てを失ってからずっと、考え続けてきた疑問。

 その答えが、目前の光景であった。

(俺は最後の最後まで守ろうとした)

(それは即ち、皆を見下し続けたということに他ならない)

(その証拠に……俺は一度さえ、言わなかったのだ)

(皆に対し、一言)

(……助けてくれ、と。そのように言える男だったなら、あるいは)

 愚かだったと、そう思う。

 守ることに固執し、過ちを犯したアード・メテオールと……自分自身を。

 結局のところ、ローグも彼の考えを肯定した人間の一人だ。

 きっとあの場に残ることこそが、正しい判断であったろうに、そうしなかった。

 イリーナを始めとした仲間達と肩を並べ、宿敵と対峙する。

 それこそが、選ぶべき道だったのだ。

(アード・メテオールよ。所詮、俺達は賢しさを捨てきれぬ小物なのだ)

(馬鹿になると宣言し、心に誓ってなお、そこに至ることは出来ぬ)

(だからこそ)

(俺達の隣には、大馬鹿者が必要なのだ)

(リディアのような。そして――)

(このイリーナのような、大馬鹿者が)

 かつての親友を重ね合わせながら、彼女を見る。

 と、イリーナもまた、こちらを見つめ返して。

「さぁ、行きましょ、アード」

 右手(、、)を差し出してくる。

 これにローグは自然と過去を思い返し……

 一瞬、口にしそうになった言葉を飲み込んで、目を背けた。

「俺は、アード・メテオールでは――」

「いいえ。あんたはアードよ。間違いないわ」

 言いながら、イリーナはローグの顔を両手で掴み、強引に目を合わせると、

「さっき、思い出したでしょ。出会った頃のこと」

 図星を突かれ、目を見開く。

 そんなローグに微笑みながら、イリーナは言った。

「握手をするときは左手を出しちゃいけない。……今回は、間違わなかったわよ」

 存分に褒め称えなさい!

 そんな愛らしい顔に、ローグの頬は自然と緩んでいった。

「……敵わないな、本当に」

「あったりまえでしょ! あたしはアードの大親友で! 一番の理解者なんだから!」

 久方ぶりに思う。

 イリーナちゃんマジ可愛い、と。

 郷愁感に似た情念を噛み締めながら、ローグは確信する。

 この娘さえ居てくれたなら。

 きっと世界は、安泰であり続けるだろう。

 ――《魔王》の力などなくとも、皆は存続する。

 安堵の思いを抱きつつ、ローグは口を開いた。


「征こう。決着を付けるために」



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