第一二三話 元・《魔王》様と、自己犠牲の結末
ライザー・ベルフェニックス。四天王が一人にして、我が軍随一の智将。
奴と俺の関係は甘やかなものではなかった。
およそ互いを利用し合うような、冷然としたものだったといえよう。
その本質はきっと、今もなお変わってはいない。
友と呼ぶほど親しいわけでもなく、同胞と認めるほど相手を理解したわけでもない。
だが……信用はある。俺達は間違いなく、互いに信用し合ってはいるのだ。
そうだからこそ、今。俺の策略は完璧な形で、結実の時を迎えようとしている。
――それが始まったのは僅か前。ライザーの奇襲を受けた、その瞬間であった。
誰もが身動き出来ぬ、見事な襲撃。なれど対応不可というわけではなかった。
回避は、十分に可能だったのだ。だが……俺はあえて、そうしなかった。
なぜか?
信用しているからだ。ライザー・ベルフェニックスの力と頭脳を、心の底から信用している。そうだからこそ……この男が己の意志と生殺与奪を、二度も同じ相手に奪わせるわけがないと、俺はそう考えた。
以前、俺達は敵として対峙したことがある。
その際、ライザーはこちらを討つための切り札としてメフィストを持ち出し……まんまとしてやられた。その苦い記憶から、奴が何も学ばぬはずもなく。
『よくぞ我が意を見抜いた。さすがであるな、アード・メテオール』
一撃浴びて、奴の異能による支配下に置かれた瞬間、脳裏にライザーの声が響いた。
奴は動揺した我が仲間達と交戦しつつ、再び声を送ってくる。
『其処許も知っての通り、我が異能は支配と強化』
『その副次的な作用として、精神の接続というものがある』
『支配下にある相手と自らの精神を繋ぐことによって、思念での対話が可能となるのだ』
『無論、言語を介さぬ対話自体は魔法を用いれば可能であるが……』
傍受の可能性を思わば、これがもっとも安全である、と。
『左様。相手はメフィスト=ユー=フェゴール。万全を期してもまだ足りぬ』
『我が異能を用いての念話ならば、たとえかの《邪神》であろうとも傍受は出来ん』
言いつつ、ライザーは巧妙な手練手管で以て、こちらの身柄を誘拐。
転移の魔法を発動し、その場から離脱した。移動先はラーヴィル国立魔法学園。見知った学び舎の光景に、二人の姿が溶け込んでいる。一人はメフィスト。もう一人は――
「アードっ……!」
我が親友、イリーナ。困惑を極めた彼女に一言、大丈夫だと言ってやりたい気持ちはあるが、ここは抑えねばならぬ。ライザーの異能によって心身を縛られているのだと、悪魔に思い込ませるのだ。計略は既に、始まっているのだから。
「――僕は君達と、対話がしてみたいのさ」
奴が視線で命じてくる。ライザーには下がれ、と。俺には座れ、と。
我々はそれに従いつつ、念話を重ね続けていた。
『奴の命令通り、我輩はこの場から消える』
『だが異能を用いての会話は、どれほど距離を離しても問題はない』
『奴に怪しまれぬよう注意しつつ、今後について意見を述べ合うことにしよう』
目前にてメフィストとイリーナの会話が続く中、俺はまず、ライザーの現状を問うた。
“お前はメフィストの手から完全に逃れている、と。そのように信じて良いのだな?”
『うむ。このときが来ることは事前に予測が出来ていた。ゆえに前もって対策し、奴の人格改変を免れたのだ』、
“……予測が出来ていた、とは?”
『かつて我輩は、其処許等を討つための切り札として奴の分身を用いた。その際、封印されていたメフィストと接触したわけだが……この時点で、何かが引っかかっていたのだ』
“……神が奴に干渉した痕跡を、感じ取ったというわけか”
『結果的にはそういうことになる。ともあれ、其処許等に敗れ、アルヴァートとの決着が付いてすぐ、我輩の意識はメフィストへ向いた。おそらくはすぐにでも襲撃を仕掛けてくるであろうと、そう直感したがゆえに』
ライザーは言う。本来なら、俺達にも自らの警戒心を伝え、対策をしておくべきであったと。だが奴の動きはあまりにも早すぎて、準備のほとんどが間に合わなかったのだと。
『不幸中の幸いか、我輩とマリアは難を逃れることに成功した。あとは其処許が無事であったなら、逆転の芽はあると考えていたのだが……ずいぶんと危うい展開であったな』
“そこについては、申し開きのしようもない”
心中にて苦笑し、それから、話を先へと進めていく。
“事情は把握した。……では、策謀の出し合いと行こうか”
まず以て、こちらが考案したそれを話す。と、ライザーは一拍の間を置いて、
『ふむ。我輩が思い描いたものと完全に一致しておるな』
“やはりお前も、同じ形へと至ったか”
合理性を突き詰めれば、必然的にそこへと辿り着く。
こちらとしては実行に躊躇いなどないが、しかし。
『……其処許は、それでよいのか?』
“らしくないなライザー。お前は俺の情など、慮ることはないと思っていたが”
『……我輩も、己が発言に当惑しておる。おそらくは其処許等とぶつかったあの一件を経て、何か心境の変化でもあったのだろう』
衝突の結果、知己の縁が結ばれたのか。
“正直に言えば。お前とそういった関係を築けるとは思っていなかった。……そんなふうに決めつけてしまう性分こそ、我が孤独の決定的な要因であったのやもしれぬな”
ライザーの変化は未来への希望にも似たものだ。
されど……この男が輪の中へ入る姿を、夢想することはない。
俺にはもう先がないのだから。
“ライザーよ。もし、お前の中にほんの少しでも、俺に対する友愛の情があるのなら。それは、残された者へと向けてくれ”
我が仲間達。そして……もう一人の俺。
彼等を頼むと、言外に含ませた内容に、ライザーは即答した。
『其処許の覚悟、決して無碍にはせぬ』
思念による対話において、虚偽は通じない。互いの情念がそのまま流れてくるからだ。
ゆえに俺は、ライザーに感謝した。奴の言葉には一切の偽りがなかったからだ。
“……では、策を詰めていこう”
『うむ。大筋としてはこのままでよかろう。だが……』
“問題は、この直後に訪れるであろう展開を、いかに乗り切るか。そこに尽きるな”
『然り。誘拐された其処許の救助、あるいは腕輪の奪還を狙い、同胞達が強襲を仕掛けて来ることは確実。これをいかにして逃がすか』
“少なくとも、メフィストから数秒の時を奪う必要がある”
『うむ。それを成すべく……まずは、シルフィー・メルヘヴンに動いてもらう』
“……あいつも正気を取り戻したのか?”
『左様。当人曰く、リディアの声が聞こえた、と』
“なるほど。であれば、信用出来るな”
ライザー曰く、シルフィーが己に掛けられた改変から脱したのは、つい先刻のことだったという。その際、あいつは感情的になり、メフィストを襲わんと息巻いていたようだが。
『直前にて我が異能を食らわせ、引き止めることに成功していなかったなら……おそらく、我々は詰みの状態となっていたであろう』
“……まったく。最後の最後まで、あいつは俺達を落ち着かせてはくれんな”
苦い笑いも、しかしどこか心地よい。シルフィーが戻ったことで特に親しい者達は皆、悪魔の呪縛を脱したことになる。それが実に喜ばしかった。
『メフィストにとって、シルフィーの造反は想定外であろう。おそらくは一撃浴びせる程度のことならば可能と見ておる』
“そこで生じた一瞬の隙を、お前が繋いでいくというわけか”
『然り。我輩の異能を用いれば、少なくとも三秒は稼ぐことが出来る』
“そしてさらに、俺が念押しを行う、と”
『うむ。そこまでやれば、撤退するには十分であろう』
しかし、と前置いてから、ライザーは言葉を重ねてきた。
『アルヴァート、オリヴィア、そしてエルザード。この三人ならば即断・即決の行動が期待出来る。だが……もう一人の其処許は、どうなのだ? ともすれば奴の行動一つで何もかもが台無しになりかねぬぞ』
この問いかけが放たれたと同時に。
メフィストと対話していたイリーナが、次の言葉を口にした。
「胸を張って断言出来るわ。あたしはアードの隣に立ってる。だからこそ、あたしはアードの理解者であり……一番の、お友達よ」
彼女の想いを受けたことで生じた温かみが、ライザーへの答えだった。
“……問題はない。奴は自己犠牲(自らのエゴ)よりも友愛を選ぶ。必ずやイリーナを優先するだろう”
『であれば、もう一人の其処許が無粋を働くことはない、か』
ここへ残り、俺と共闘し……自らを犠牲にしてメフィストを討つ。
そんなエゴは合理性と友愛によって駆逐されるだろう。
ともあれ。これにて策謀の全てが決定した。
――その帰結が、現状である。
何もかもが思い通りだった。仲間達は皆、脱出し……今、俺は宿敵と対峙している。
「外見なんて無意味なものだと、そう思ってはいるけれど。やっぱりその姿こそ、本当の君って感じだよ、ハニー」
勇魔合身の最終形態において、我が姿は前世のそれ(《魔王》・ヴァルヴァトス)へと変貌する。
これはまさに究極の切り札、ではあるのだが。
相手はメフィスト=ユー=フェゴール。我が最高戦力を以てしてもまだ、心許ない。
だが、今。この身はライザーの異能によって強化された状態にある。
「……変わったよね、君。古代では最後の最後まで、そんな選択はしなかったのに」
メフィストの言う通りだった。ライザーの異能による強化状態は、奴の支配下へ落ちることと同義。ゆえに俺は、決してそれを選ばなかった。
ライザーへの信用はある。だが、警戒心を解くことは出来ぬと、そう考えていたからだ。
けれども。
本気で衝突し、相手への理解を深めた今、俺は迷わずそれを選ぶことが出来た。
「この一件が始まった当初、貴様は言ったな。他者との友愛など無駄の極みだと。それは全てが偽物に過ぎぬと。……俺が得た戦力は、それを否定するためのものだ」
一介の村人へと転生し、足跡を刻み続けてきた。我が力の高まりは、その積み重ねを証明するもの。孤独な《魔王》では決して辿り付けなかった場所に、俺は立っているのだ。
「かつての最終決戦は、憎しみを晴らすためだけに実行したものだった。共に戦う者達への配慮や敬意など皆無。ただただ貴様を苦しめてやりたいと、それだけを思っていた。だが……此度の最終決戦は、その真逆」
黒剣を構える我が心中に、汚濁めいた情など微塵もない。
紡がれた縁への純情だけが、胸の内を満たしている。
「メフィスト=ユー=フェゴール。俺は仲間の未来を守るために、貴様を討つ」
曇りなき宣言に奴は微笑を浮かべたまま、
「初めて見せる顔だね、ハニー。それもまた素敵だけれど…………実に、不愉快だよ」
黄金色の瞳に宿った嫉妬心は、いかな所以によるものか。
しかし、たとえそれが善であろうが、悪であろうが……もはや問答するつもりはない。
「フッ……!」
鋭い呼気と共に踏み込んで、接近。
度外れた膂力が大地を抉り、膨大な土塊を天へと舞わせた。
音の壁を打ち破ったがための衝撃波が、奴の黒髪を靡かせる。
「チャンバラごっこがお望みなら、付き合ってあげよう」
手元へ純白の剣を召喚するメフィスト。
そして――衝突。振るわれた刃が噛み合うようにぶつかって、激烈な轟音を響かせた。
「はは。いいね、ハニー。この腕力は想定以上だ」
鍔迫り合いにおいて、この悪魔が余裕を崩したことはない。
だが……
「震えを見せたな、メフィスト」
ほんの一瞬だが間違いない。奴は我が力に、畏れを抱いたのだ。
行ける。確信と共に、俺は押し込んだ。
「…………っ」
口元には未だ微笑が浮かんだまま、ではあるが。
片手で構えていたメフィストが、次の瞬間、白剣を両手で握り締めた。
「……なかなかの力強さじゃないか、ハニー」
「あぁ。既に貴様など、相手にならん」
さらに押し込んで……突き飛ばす。
宙を舞い、体勢を崩したメフィストを追いすがり、そして。
「ハッッ!」
斬った。華奢な胴を真っ二つに。
……とはいえ。これで終わるような相手ではない。
霊体ごと切断したはずだが、それでも奴は生きていた。
「君に斬られたのは、これで一二八回目だけど……歴代でも一番の痛みだよ、ハニー」
断たれた肉体が瞬時に繋ぎ合わさって、元通りとなる。
前後して奴はこちらへ掌を向け――アルヴァートのそれに似た、漆黒の炎を放つ。
咄嗟に回避し、そのままの勢いで以て、奴の腹を蹴った。
「ごふっ」
苦悶と共に吹っ飛ぶ。再度宙を舞ったメフィストを追撃……しようと考えたが、直前で躊躇った。奴の全身から発露した漆黒のオーラが、こちらの足を止めたのだ。
下手に攻めれば終わる。そんな確信を抱かせるようなプレッシャーを放ちながら。
メフィストは、着地と同時に口を開いた。
「認めるよ。君は強くなった。それはさっき君が述べた通り、ヴァルヴァトスからアードへ変わったがために得られたものだろう。……でもね」
言葉を紡ぐ。微笑の中に、悪意を溶け込ませながら。
「認めるのは、力だけだ。そこに込められた想いは否定する。結ばれた絆の尊さなんて、僕は絶対に認めない。そんなものは幻想に過ぎないのだから。……今からそれを教えてあげるよ、ハニー」
宣言と同時に、出現する。
俺を取り囲む形で、彼等が。
エラルドを始めとする学友達が、現れた。
「バケモノ……」
「死ね……」
「消え失せろ……」
瞳に満ちた殺意。全身から発露する悪意。
この一件が始まった当初、俺は皆の有様に動揺し、あまつさえ膝を折りもしたが……
「いまさら、こんなものが通用するとでも?」
目前の光景に対し、今、我が心は微塵も揺らぐことはなかった。
「その余裕、どこまで保つかな?」
向かってくる。悪魔の命を受け、改変された学友達が、こちらへと向かってくる。
その先頭に立つは、エラルド・スペンサー。
彼は疾駆すると共に、魔法で以て熱エネルギーを拳に纏わせ、
「死ねや、七光りぃッ!」
打撃と共に繰り出された台詞に、俺は思わず微笑した。
「……懐かしい台詞ですね、エラルドさん」
初めて対面し、決闘した際にも、同じ事を言っていた。
きっとその記憶は、エラルドの魂に刻まれているのだろう。
だから、俺を七光りと呼んだのだ。
メフィストによって改変されてなお、心のどこかでエラルドは俺を正しく認識している。
そんな確信を抱きながら、こちらも身構えて。
「教えて差し上げましょう。本物の打撃というものを」
相手の先制を僅かな動作で躱し――叩き込む。
エラルドの頬を、俺は躊躇うことなく殴打した。
「ぐげぇッ!」
悲鳴と共に宙を舞う。後続の面々も同じ末路を辿ることとなった。
全員、容赦なくブン殴って、綺羅星の如く天上へと吹っ飛ばす。
その姿があまりにも意外だったのか、メフィストは呆然とした様子で口を開いた。
「なにしてんのさ、君」
「肉体言語によるコミュニケーションだが?」
「……友達が、大事じゃないの?」
「くだらぬ質問をするな。友の存在は我が身命をも遙かに超えて尊い。そんなことは当然であろうが」
「……その尊い存在を、君、思い切り殴ってるけど。それは何を考えての行動なのかな?」
未だ猛然と襲い来る学友達へ拳をプレゼントしつつ、俺は奴の問いに受け応えた。
「ない」
「えっ」
「考えなど、ない」
「えぇ……」
理解不能といった表情を、俺は鼻で笑った。
「ここへ至るまでの過程を監視していたのだろう? ならばわかっているはずだ。俺はもう、ごちゃごちゃ考えることをやめている、と」
殴る。殴る。殴る。
相手の顔面が変形しようが構わない。拳に愛を込めて、迷うことなくブン殴る。
「最初からこうすべきだったのだ。俺はただ、皆を信じていればよかった。皆の魂に我が存在は確と刻まれているのだと。彼等の殺意と悪意は虚飾に過ぎず、ゆえに心乱す理由にはならない。元に戻ってくれと、ことさらに声を張り上げる必要もない」
歩き出す。メフィストへ向かって。それを阻止せんとする学友達を殴り倒しながら。
「……君の考えが、わからない。理屈が通ってなさ過ぎる」
「あぁ、そうだろうな。貴様には永遠にわからぬままだろうよ」
改変されていようが、されていまいが、友は友。
俺達は表面上、争っているように見えるが……魂は繋がっている。
その確信だけを大切にすればいい。それ以外は全て捨て去り、ただ前を見て進むのだ。
そう。俺が見せている姿勢は、無二の親友、リディアのそれだった。
「……《魔王》と勇者、僕は二人を相手取ってるってわけか」
悪魔の顔から余裕が消えた。
それとまったく同じタイミングで。
「アー、ド……」
俺は見た。一つの奇跡を。
メフィストの背後にて、倒れ伏していたエラルドが立ち上がり――
「うぉおおおおおおおおおおおおおおッ!」
雄叫びを上げながら、目前の悪魔へと飛びつき、羽交い締めにする。
「やれぇッ! アードォオオオオオオオオオッ!」
エラルド。エラルド・スペンサー。
やはり彼の心には焼き付いていたのだ。俺との記憶が。俺との友情が。
ゆえに今、彼はメフィストによる呪縛を打ち破り……千載一遇の好機を与えてくれた。
「……っ!?」
悪魔の美貌に動揺が浮かぶ。生じた隙は途轍もなくデカい。これならば。
「感謝しますよ、エラルドさん……!」
実行出来る。我が策を。最後の一手を。
そのために、俺は全力で踏み込んだ。
「我が身と共に闇へと沈めッ! メフィスト=ユー=フェゴールッ!」
殺った。俺はそう確信する。
殺られた。メフィストはそう確信している。
「嘘でしょ……?」
黄金色の瞳に絶望が浮かぶ。次の瞬間には、全てが終わっているだろう。
俺と奴は共に、この世界から消滅しているだろう。
終焉を迎える直前、これまでの記憶が走馬燈のように浮かび上がってくる。
……転生してからというもの、本当に多くの事件に巻き込まれてきた。
思い返してみると、アード・メテオールとしての人生は到底、村人のそれとは呼べぬものだったな。だが……悔恨の情などこれっぽっちもない。
波乱に満ちた生涯だったからこそ、かけがえのない者達と出会うことが出来た。
彼等の未来に幸あれ、と。最後にそれだけを想い、俺は。
決然たる意志を以て、目前の宿敵を――
「――――なんつって☆」
絶望に満ち満ちていたはずの、その顔が。再び、悪魔めいた笑みに歪む。
刹那、俺は悟った。
何もかもが奴の手中にあったのだと。いいように、踊らされていたのだと。
……エラルドは元に戻ってなどいなかった。
彼は脱力し、敵方の拘束を解除。この時点で好機は砂上の楼閣のように崩れ去り……
最悪の結末が、訪れる。
「足りてないんだよ、ハニー」
気付けば、そうなっていた。
倒れ伏している。校庭の土に、身を転がしている。
勇魔合身は解除され、指一本動かせない。
……こんなことが、あってたまるか。
完璧な策だった、はずなのに。
《破邪吸奪の腕輪》。ライザーによる戦力の倍加。我が人生の全て。
あらゆるものを出し尽くして、なお。
「暴力をいくら振るったところで、君のもとに勝利が訪れることはない。だって僕はまだ、二割の力すら出していないのだから」
現実を突きつけながら、奴は膝を付き、身を屈ませ、こちらの髪を一撫ですると、
「世界の命運だとか。仲間達の未来だとか。余計な想いを捨て去って……僕だけを見てよ、ハニー。そうしたなら」
メフィストは言った。
口元に微笑を浮かべたまま。しかし……黄金色の瞳に、懇願めいた情を宿して。
「君は勝利を手にするだろう。そして同時に――この僕が、最終遊戯の勝者となる」