第一五話 元・《魔王》様、女達に困る PART1
《女王の影》への入属と、《第五格》への昇格。これらは徹底的に隠し通したはず、なのだが。
運命の悪戯か、あるいは貴族共の仕業なのか。情報が流出し、瞬く間に拡散。
そのせいで、学園における俺の扱いも相応なものになった。
まず、あからさまに悪意をぶつけてくる貴族の子供がいなくなった。
続いて、アード様ファンクラブなるものが結成され、主に平民の女子達が常に周囲を固めるように。
そして……
一日に一回、必ず女子から告白を受けるようになった。
放課後の校舎裏。大きな日陰の中、初夏の生暖かい風が頬を撫でる。
目前には同学年の女子がいて、顔を赤らめながらこちらを見つめている。もじもじと恥じらいながら、何度も口ごもるが、やがて彼女は覚悟を決めたのか、一度深呼吸をして。
「すっ、好きですっ! お付き合いしてくださいっ!」
勢いよく頭を下げて、右手を突き出してくる。
最初の頃は酷くドキドキしたものだが、慣れが生じた今は特別なんの感情も芽生えない。
俺は淡々と、いつも通りの定型文を口にした。
「申し訳ありません。今は色恋にかまけていられる立場ではありませんので、お付き合いはできません。今回はとりあえず、お友達から、ということで納得していただけませんか」
美醜問わず、今日に至るまで多くの女子が告白をしてきた。……中には男子もいたが、そんなことはどうだっていい。大事なのは、誰に対しても恋愛感情を抱けないということ。
チャラついた男であれば遊びで付き合う、ということをやるのだろうが、俺はそんな不誠実なこと絶対にできない。
「……うん、わかった。ごめんね、いきなり変なこと言って」
今回の女子も納得してくれたようだが、失恋のショックは隠しきれなかったらしく、震えながら俯いてしまった。こういう時どのように対処すればいいか、未だにわから――
「……とりあえずキープか。こっからどうやって落とすかな」
えっ。
「こいつ童貞臭ぇし、色目でも使や一発じゃね?」
ちょっ。
「とりあえず乳でも揉ませとくか。そのままの流れでヤっちまって既成事実作りゃ、こいつん家の財産はウチのもの……! ククク、どんだけ溜め込んでんのかなぁ……!」
おい。漏れ出ているぞ。お前の暗黒面がダダ漏れになっているぞ。
「じゃ、じゃあ、アード君……友達としてお願いしたいんだけど……ウチのおっぱい、揉んでくれないかな?」
「いや、揉みませんけど……」
「えっ!? なんで!?」
なぜ驚いてるんだ。むしろこっちが驚くわ。この流れで乳を揉むわけないだろうが。
「いや、でも、ホラ。アード君、疲れてそうだし」
疲労感とおっぱいになんの関係性があるというのか。乳を揉めば疲労感が消し飛ぶとでも言うのか。おっぱいにかような効果は……いや、イリーナちゃんのそれならばあるいは。
しかし、目前の女子のそれにはなんの効果もあるまい。ゆえに断じて揉まぬ。
「あの、えっと…………とりあえず揉めぇえええええええええええええ!」
とうとう実力行使である。なんなのだこの子は。正直怖い。
自らの乳を揉ませるべく、こちらの腕を掴み摂ろうとする女子。
そうはさせじと必死に逃げる俺。なんだこの状況。
「うへへへぇええええええええ! おっぱい揉めぇぇぇぇ! おっぱい揉めぇぇぇぇ!」
もはやバケモンである。これまで相手にしてきたどんな魑魅魍魎よりも恐ろしいわ。
前世ならばこういうとき、「者共ぉぉぉぉ! 出あえ出あえぇぇぇぇい!」と叫べばそれで終わったのだが、今の俺は村人であるからして、側近など何処にもいない。
いや、もう、本当に。誰か助けてくれ。
……そうした思いが天に届いたのだろうか。
次の瞬間、聞き慣れた声がバケモンの叫声を斬り裂いた。
「そこまでにしときなさいよっ!」
怒気に満ちあふれた語調。それを放ったのは……イリーナちゃんであった。
校舎の角の先で腕を組み、仁王立ちしている彼女の全身からは凄まじい鬼気が放たれており、元・《魔王》の俺ですら冷や汗を流すほど怖かった。
バケモン(女子)にはなおさらであったろう。彼女はピタリと立ち止まって脂汗を流し、
「え、えっと、その………………おっぱいおっぱいッ!」
などと意味不明なことを叫びながら逃げていった。
「た、助かりました……ありがとうございます、イリーナさん……」
彼女に近寄り、礼の言葉を口にする。過去のイリーナであれば「えへへ! あたし凄いでしょ!」とか言って満面に笑みを浮かべ、“褒めてご主人様オーラ”を出すところだが、
「ふんっ!」
と、むっつり顔でそっぽを向くと、彼女は何も言わず歩き去ってしまった。
ここ最近気付いたことだが、イリーナちゃんはかなりのやきもち焼きである。
だが俺も馬鹿ではない。こういう時、人生経験に乏しい男は「あの子、俺に気があるんだな!」とか間抜けなことを考えてしまうものだが、俺は違う。
イリーナはただ、「自分だけのお友達をとられたくない」と思っているだけだ。
決して、俺のことが好きだからとか、そういうわけではない。
気持ちはよくわかる。俺だってイリーナちゃんに近づく悪い虫は一匹残らず排除したくなるからな。なんならもう排除している。現在進行形で。
……ともあれ。ここ最近、イリーナちゃんは俺に対して不機嫌な顔ばかりを見せる。
彼女の笑顔が原動力である俺からしてみれば、これは死活問題だ。
ゆえに早急な対処が必要なのだが……いかんともしがたい。
「人間関係とは、なんとも難しいものよ……」
校舎裏の日陰の中、生温い風を浴びながら、俺は深く嘆息するのであった。
……寮の自室へと帰宅した後、いつものように夕食を済ませ、集合風呂で汗を落としてから、俺は自室のベッドに寝転がった。
「ふう……はてさて、どうしたものかな。どうにかイリーナの機嫌をとりたいが」
方法が浮かんでこない。根本的な問題である女子の告白をどうこうすべき、なのだろうが、策が見当たらなかった。
単に女子から告白されない状況を作るだけなら、真っ昼間に屋上でも行って、「私は男が好きだああああああああああああ!」とカマせば一発なのだろうが、そうすると人生が終わる。イリーナとの関係も終わる。
「う~~~~む。七文君の一人でもいれば、よい知恵を授けてくれるのだろうがなぁ~」
ゴロゴロと転がりながら、頭を悩ませている、と。
コンコン。室内にノックの音が鳴り響いた。
……もしやイリーナちゃんであろうか? 彼女の方から仲直り的なことを言いに来てくれたのだろうか? そんな希望的観測を胸に抱きながら、入室の許可を投げる。果たして、ドアを開き、入ってきたのは――
「えへへへ……。来ちゃいましたっ♪」
イリーナではなく、ジニーであった。
もう夏も近いというのに、全身を分厚いロングコートで覆っている。一体なにゆえ? と首を傾げた、その直後。
ガバッ、と。ジニーがロングコートを開いて、脱ぎ捨てた。
そして露わになった彼女の全身には……紅いヒモが巻き付いている。
いや、厳密に言えば……ヒモしか巻き付いていない。
一本の細長いヒモを股から胸、肩部に通しただけ。そんな格好である。
もはや全裸に等しい。滑らかな白い素肌。ビッグサイズの乳肉。思わず揉みし抱きたくなるような尻。ジニーが持つ凶悪兵器の数々が完全に露出している。
「どうかな? これ。お母さんは凄くイイって褒めてくれたけど……」
「ど、どうと言われましても……」
「じゃあ、質問を変えますね。……興奮、してくれてますか?」
素直に答えることはできなかった。そんなの、あまりにも恥ずかしい。
こちらの感情を読み取ったのか、ジニーは美貌に艶然とした笑みを浮かべ、
「私のこと、好きにしてもいいって言ったら、どうします?」
「えっ、いや、その……ど、どういうこと、ですか?」
問いかけに対し、ジニーは「はふぅ」と悩ましげな嘆息を一つ漏らした。
「アード君、最近特にモテてますよね? 別に、それは全然いいの。前々から言ってますけど、私はアード君ハーレム計画を推進してるから。でも……私以外の女の子に、アード君の一番を取られちゃったら嫌だなぁ、と。だから」
言葉を切ると、彼女は小首を傾げて桃色の髪を揺らし、蠱惑的な微笑を浮かべ、言った。
「これからはちょっとアグレッシブにいこうかなって♪」
ジニーがこちらに近寄ってくる。
ここは彼女を止めるなり逃げるなりしなければならぬ状況、なのだが。
体が動かなかった。これは、まさか……
「アード君も、シたいんでしょう? 目がそう言ってますよぉ?」
乳房を揺らしながら一歩、また一歩と近づくごとに……ジニーの体に変化が現れた。
側頭部からゆっくりと、ねじれた角が、尾てい骨付近から尻尾が伸びる。
それらを見て、俺は確信した。この子は今、高位のサキュバスとして覚醒したのだ。
サキュバスが有する《固有技能》、その名を魅惑という。
高位のサキュバスはこの《固有技能》をさらに発展させた、魅惑の魔眼という力を持つ。
これは三大魔眼の一つであり、この眼を持つ者は直視した相手の心を支配し、自由自在にコントロールできる。
あの角と尻尾、そして瞳に浮かぶハート型の模様が、魔眼持ちの証である。
不味い。全盛期の俺ならまだしも、今の俺が持つ肉体は古代世界の平均値に過ぎない。よって、魅了の魔眼に抗う術が……!
……気付けば、ジニーはもうすぐ傍にいて、こちらの両肩に手を置くと、
「私も初めて、だけど……大丈夫、ちゃんと気持ちよくしますからっ♡」
耳元で囁きながら、ベッドの上に押し倒してくる。
ダ、ダメだ。動けん。それに、状況を受け入れてしまっている。
ジニーと、そういうことがしたいと、心の底から思ってしまう。
なんとか肉体の生理的反応はギリギリ抑え込めている、が。
「じゃあ、まずはおっきくしないとねっ♪」
もはや時間の問題であろう。このまま俺は、大人の階段を昇ってしまうのだろうか。
そう思うと、一人の少女の顔が浮かんだ。……その時。運命のいたずらか。
「アっ、アードっ! お邪魔する、わ、よ……?」
脳内に浮かび上がった少女と同一の人物が、ドアを開けて入ってきた。
そう、イリーナちゃんである。入って早々、彼女は石像のように固まった。
全裸に等しい格好をして、俺の股間へと手を伸ばすジニー。
そんな彼女に押し倒され、真っ赤な顔をした俺。
……しつこいのはわかってる。でも、言わせほしい。
どうしてこうなったッッ!
このたび、書籍版第一巻が発売一週間を待たずして緊急重版と相成りました!
これも皆様のご愛顧の賜。まことにありがとうございます。
今後とも何卒よろしくお願いいたします!