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第一二二話 元・村人Aによる、現・村人A救出作戦


「……およそ、これ以上はない、完璧な奇襲だったな」

 ラボラトリーの一室にて、アルヴァートが苛立った様子で呟いた。

「二人の融合を見届けた後、僕は合流していない二人のことを議題に、話をしようと考えていた。……オリヴィア、君もそうだろう?」

「うむ。シルフィー・メルヘヴン、そしてライザー・ベルフェニックス。奴等に関して、どのように行動すべきか、考えていた。それは即ち……」

「あぁ。心に空白が出来ていたと認めざるを得ないね。問題が一段落したことで、やっと余裕が出来たと、そんなふうに考えてしまった」

 その隙を、見事に突かれたというわけだ。

 とはいえ相手が常人であったなら、容易に捌いていただろう。

 ライザー・ベルフェニックスでなければ、出し抜かれるようなことはありえなかった。

「ローグ。君は現状をどう見る? ……ライザーは本当に、操られていると思うか?」

「……正直なところ、判断が付かぬ」

「であれば、最悪の事態を想定して動くべき、か」

 アルヴァートの言葉に、オリヴィアは小さく頷いて。

「ライザーは敵方に回っている。そのように考えたうえで、今後の方針を決めよう」

 それから彼女はローグへと目をやり、一つ問うた。

「アード・メテオールの誘拐。その真意を、貴様はどう考える?」

「おそらく、だが……メフィストは奴を玩具にしようとしている。完全な洗脳状態へと陥れ、我々にぶつけるつもりだろう」

「なるほど。あいつらしい悪趣味な遊びだな」

 肩を竦めるアルヴァート。その隣でオリヴィアが顎に手を当てつつ、言った。

「しかし、アード・メテオールが簡単に洗脳されるとは思えん。そうなるまでには、ある程度の猶予があるだろう」

「で、でしたら。早く、お助けしませんと……!」

 ここでローグは自分達の行動方針を明瞭なものにした。

「敵地へ潜入し、アード・メテオールを奪還。それが間に合ったなら、俺の異能で以て奴を元に戻すことも可能だろう。だがもし、奴の洗脳状態が完全なものになっていた場合……アード・メテオールの確保から、腕輪の回収へと目標を変更する」

《破邪吸奪の腕輪》。対メフィスト戦における切り札の一つ。

 それは現在、アードの右手首に装着されている。

 もし彼が敵方に操られていたなら、極めて困難な戦いに身を投ずることとなろう。

(……操られていたならの、話ではあるが)

(いくつかある可能性のうち、どれが真実となるのか。まるで読めぬ)

 ともあれ。目的は定まった。

 その方策についても、ローグには用意がある。

「いいか。まずは――」

 全ての説明を終えた後。仲間達が見せた反応はおよそ、肯定的なものが大半だった。

「ひどくシンプルではあるけれど……奸計を練ったところで、通じるとも限らないか」

「うむ。敵方にはライザーも付いている。下手に複雑性を持たせれば勘付かれよう」

 エルザードとジニーは無言のまま、視線や表情で肯定の意を示していた。

 その一方で。ヴェーダはといえば。

「………………」

 床を見下ろし、一言も発することはなかった。

(動ける状態ではないな)

 そのように判断したローグは、彼女を慮りつつも、厳然とした言葉を投げる。

「ヴェーダ。お前はここへ残れ」

 戦力にならない。むしろ、足を引っ張る可能性まである。

 それは当人も自覚していたのだろう。反論することなく、ただ首肯を返すのみだった。

(立ち直らせたいところ、だが……かまけてはいられん)

 憐憫の情をねじ伏せながら、ローグは皆の顔を見回して。

「……征こう」

 飾り気のない言葉にむしろ、凄味を感じたか。

 総員、真剣な面持ちで頷き――――行動を、開始するのだった。


◇◆◇


「あんた……! アードに何をしたのッ!」

 校庭の只中に、イリーナの怒声が響き渡った。

「憐れんだり、怒ったり、と。今日は感情の振り幅が大きくて大変だねぇイリーナちゃん」

 ヘラヘラとした笑みは、完全に平常のそれ。

 先刻までの悲壮から抜け出したメフィストは、常日頃のように振る舞った。

 即ち……人と相容れぬ、悪魔として。

「過去と現在の(えにし)。それらが今、この場に集約された状態にある。そう……《魔王》と勇者、そして《邪神》。古代世界という名の物語を紡いだ三人の主役。その本人が。あるいは、その末裔が。一堂に会したこの状況で……僕は君達と、対話がしてみたいのさ」

 メフィストはライザーとアードに対し、視線で自らの意を伝える。

 ライザーには下がれ、と。アードには席へ座れ、と。

 それに従う形でライザーは姿を消し、アードは座椅子へと腰を下ろした。

 三人でテーブルを囲む。

《邪神》。《魔王》。そして、勇者の末裔が。

 けれどもそんな状況に、イリーナは感慨など見出すことなく。

「アードっ! ねぇ、どうしたのよっ!」

 青い瞳は虚空を見つめるばかりで、イリーナの存在をまったく認知していない。

 正常でないことは誰の目にも明らか。

 その元凶であるメフィストは、背もたれに体重を預けながら、己が内心を口にする。

「ハニーには一時的に洗脳状態となってもらったよ」

「洗脳、状態……!?」

「うん。この対話において、腹芸の類いなんか用いてほしくないからね。純粋な本音を引き出すには、これしかなかったのさ」

 だから、と前置いて。

 メフィストは天使の美貌に、悪魔の笑みを浮かべながら、言った。

「君も本心を語っておくれよ。さもないと――ハニーの体に悪戯しちゃうぜ?」

 これ以上はない脅し文句に、イリーナは歯噛みするしかなかった。

「理解してくれたようで嬉しいよ。……下準備も終わったことだし、お茶会を始めようか」

 紅茶を口に含み、それから、メフィストは対話の第一声を放った。

「まずはそうだな。イリーナちゃん、君はハニーの正体を知って、どう思った?」

「……最初は、驚いたわよ。でもすぐに、どうだってよくなった。アードはアードだもの。たとえ前世が《魔王》様だったからといって、今の人生には関係ない」

「ふぅ~ん。友達やめちゃおうとか、思わなかったんだ?」

「当たり前でしょ」

「自分如きが釣り合うわけないとか、そんなふうには?」

「……少し前のあたしなら、一瞬、よぎったかもしれないわね」

 過去を思い返す。学園に入学したばかりの頃。イリーナは《魔族》を中心とした組織、ラーズ・アル・グールに身柄を狙われていた。

「エルザードに誘拐されて。アードに助けられて。そのとき、二人の戦いを見て思ったわ。こんなの人間業じゃないっ、て」

 アードに畏怖の情を抱いた。それは紛れもない事実だ。

 しかし……決して、それだけではなかった。

「恐いと思う一方で。あぁ、この人はあたしと同じなんだって、そう思う自分も居た。あたしもアードも普通の人間じゃない。だからこそ、その苦しみが理解出来る」

 アードを恐ろしいと思った。けれどそれ以上に、アードを憐れに思った。

 この人の強さはきっと、何者も寄せ付けないようなものだろう。

 だから、どれだけ周りに人が集まろうと。どれだけ好意を向けられようと。

「並び立つ相手が居なければ、アードはずっと孤独なまま。そう思うと……熱いものが込み上げてきた。この人を独りにしたくない。そこから救い出したい。そんな気持ちが畏れを掻き消して……意地だけが、残った」

 なんとしてでも隣に立ってみせる。

 そんな気持ちをずっと、胸に抱き続けてきた。そのためだけに、努力を積み重ねてきた。

 そして、今。

「胸を張って断言出来るわ。あたしはアードの隣に立ってる。だからこそ、あたしはアードの理解者であり……一番の、お友達よ」

 何度も救われた。何度も守られてきた。

 だがもはや、イリーナはそれだけの存在ではない。

 時には救い、守る。

 彼女の眼前に彼の背は既になく。

 それは今や、我が身の隣に在るのだと、イリーナはそんな自負を抱いていた。

「ふぅ~~~~~~~~~ん」

 彼女の言葉に何を思ったのか。

 メフィストは目を細め、テーブルに両肘を付きながら、一言。

「……僕の方が、付き合いは長いもん」

 まるで張り合う子供のような顔。それをアードへと向けて。

「ねぇハニー。僕と君は本当に、長いこと遊び続けてきたよね」

「あぁ」

「僕と君の間には、ただならぬ因縁がある。そうだよね?」

「あぁ」

「そのうえで、聞きたいのだけど……僕とイリーナちゃん、どっちが「イリーナ」

 ……

 …………

 ………………問いかけを遮っての回答に、メフィストは全身を固まらせた。

 しかし、どうにか気を持ち直したのか。

 微笑を浮かべながら、再び、

「僕とイリーナちゃん、ど「イリーナ」

 今回はもっと、早かった。

「………………ハニーってば、照れ屋さんだなぁ」

「いや、本心でしょ。あんたが嘘吐けなくさせたんでしょ」

 というか、なんなのだ、これは。

 何を見せられているのだ。

 イリーナは困惑の最中にあった。

「あんた、本当……何考えてんのよ?」

 この問いかけに、メフィストは唇を尖らせ、

「教えてあげませぇ~ん。僕は君のことが嫌いになりましたぁ~」

 ふざけているのか、本気なのか、まったくわからない。

 何を考えて、こんな茶番に興じているのか。

「じゃあハニー、君は僕のことを」

 イリーナが見つめる先で、メフィストが新たな問いを投げんとする――その最中。


 激しい破壊の音が、唐突に鳴り響く。


「……思ったより早かったねぇ」

 肩を竦めながら、メフィストは口に出そうとしていたそれを引っ込める。

 そして席を立つと、イリーナ、アード、二人の顔を見て。

「――遊んでくるよ。もう一人のハニーと、ね」


◇◆


「……許せ、学友達よ」

 目前に倒れ伏す数多の生徒達へと、ローグは痛切な思いを口にする。

 必要なこととはいえ、彼等に暴力を振るうのはやはり忍びない。

 しかしながら……その甲斐あって、標的を釣り上げることは出来た。

「生まれた世界が違っていたとしても、君は間違いなくハニーだよ」

 校庭の一角。中央広場の只中に、美声を伴って顕現する。

 メフィスト=ユー=フェゴール。艶やかな黒髪を風になびかせながら、彼は微笑んだ。

「いやはや。まさかこうも単純明快にやって来るとはね。真正面から乗り込んで、強襲を仕掛け、一気呵成に奪還。君達の戦闘能力を思えば、それがベストなのだろうけど……決断するには勇気が必要だ。何せ僕とぶつかり合うことになるのだから」

 ローグ、エルザード、ジニー、オリヴィア、アルヴァート。

 五人がかりでメフィストを相手取り、どうにか隙を作って一名が突破。アードの身柄を確保、あるいは腕輪を奪い取って脱出。

 と、メフィストはこちらの策をそのように捉えているのだろう。

「……下手な小細工など貴様には通用しない。それならばいっそ」

「馬鹿になろうと思い立ったってわけだ」

 くすくす笑いながら、メフィストは両腕を広げ、

「それじゃ、遊ぼうか」

 宣言と同時に猛攻を仕掛けてくる。

 浮かび上がる無数の魔法陣。極彩色のそれらが次の瞬間、膨大なエネルギーを放った。

 属性攻撃の雨あられ。火が、水が、雷が、一直線に降り注ぐ、

「《メガ・ウォール》……!」

 防壁の魔法で以て、ローグは味方陣営全体を保護。

 殺到する破壊力の嵐を持ちこたえながら、呟く。

「やはり前回のようにはいかん、か」

 それはほんの少し前のこと。人格を改変されたオリヴィアを救い出すという過程において、ローグはメフィストを圧倒してみせた。

 とはいえ、アレは所詮、分身に過ぎず、本物とは比べるべくもない。

「抑え込める時間はせいぜい数秒程度。しかし、それだけあれば」

 今、己が実行している策とは別のそれ(、、、、)に対し、確信めいたものを抱く。

 即ち……我が身一つあれば、メフィストは討てるのだ、と。

 しかしその過程において今、問題が生じている。

 これを解決するためにも、ローグは背後にて控える仲間達へと指示を出した。

「メフィストの魔力は無尽蔵だ。待ったところで攻勢は()まぬ。よって個々人を防壁で護り、降り注ぐ属性の中で動作出来るようにする。その後は……各自、好きに動け」

 このメンバーに対し連携など期待するだけ無駄だ。

 個性の突出、あるいは噛み合わぬ力量差が、チームワークを許さない。

 ゆえに期待すべきはスタンドプレーの連続と、その組み合わせといったころか。

「さぁ…………征けッ!」

 事前に告知した通り、仲間達の全身を守護魔法で覆い尽くす。

 うっすらと輝く皮膜を纏うと同時に、皆、躊躇うことなく踏み込んだ。

 ローグ以外の四名が展開された防壁から抜け出し、飛来する属性攻撃の群れへと身を投じていく。守護膜によって熱、冷気、電流、ことごとくを無力化し、そして――

「疾ィッ!」

 瞬く間に距離を詰めたオリヴィアが、裂帛の気迫と共に斬撃を繰り出す。

 見事な太刀筋であった。並大抵の相手ならば剣閃を認識することさえなく斬り伏せられていただろう。だが……相手は《邪神》である。

「おぉっと危ない」

 黄金色の瞳には対手の一撃がスローモーションのように映っているのか。

 余裕綽々といった様子で、メフィストはオリヴィアの剣を回避してみせる。

 そのまま後方へと跳躍し、距離を離した――瞬間。

「死ね」

 側面より、アルヴァートが漆黒の炎を放つ。

 横合いから殴りつけるようなそれは、まさに完璧な不意打ち、だったのだが。

「ほほ~い」

 ふざけた声を出しながら、笑みさえ浮かべて、メフィストは背後へと倒れ込む。

 そうしてブリッジの体勢となりながら、黒炎を回避……し切れなかった。

(あっつ)!? お腹熱(あつ)っ!?」

 やや掠めた腹部を抑えながら、地面を転がり回る。

 道化めいた姿だが、どこまでが本気でどこまでが芝居かわからない。

 いずれにせよ。彼女(、、)は止まらなかった。

 そのとき、天空にて金色の魔法陣が展開する。

 エルザードによる追撃の一手であった、が……

「消し飛べッッ!」

「お断りしまぁあああああああああああああすッ!」

 叫び、そして、

「ちょいさぁッ!」

 両足を天へ向け、旋回。ただ足を回すという、それだけの動作が瞬間的な竜巻を生み、エルザードの一撃を掻き消してしまった。

 あまりにも出鱈目な戦闘能力。だが、それに怯むことなく、ジニーは紅槍を構え、

「こ、のぉッ!」

 真紅の稲妻を奔らせた。

 まさに神速の一撃。なれどメフィストの動作はさらに上を行く。

 速度も。そして、発想も。完全に斜め上であった。

「いただきま~す!」

 なんと口を大きく開けて、電撃を迎え入れ……

「あぼぉうっ!? しぃ~びれるぅ~!」

 紅き稲妻を文字通りに食らって、全身をビクつかせる。

 あまりにも馬鹿馬鹿しく、ふざけきった姿。

 その背中へとローグは忍び寄り、そして。

「隙だらけだ」

 手元へ召喚した剣を突き立てんとする。

 おそらくはこれも躱されるだろう。さりとて、問題ではない。

 これは討伐戦ではなく、ただの足止めに過ぎないのだから。

 メフィストがこちらに釘付けとなっているなら、その時点で勝ちも同然である。

 ローグは刃を奔らせながら思う。

(せめてあと三〇秒稼げたなら)

 闘争の最中にあって、彼の集中は散漫であった。

 ……それがいけなかったのか。あるいは、最初から何もかも失敗していたのか。

「う~ん。遊ぼうと言った手前、心苦しいのだけど」

 鋭い刀身が背後にて迫る中、メフィストはボソリと呟いた。

「やっぱコレ、つまんないね」

 一拍の間を置いて。メフィストの背に、刃が突き刺さる。

「ッ……!」

 躱すものと思っていたローグには、敵方の判断はまさに想定外。

 肉を裂き、骨を断った、その感触を手元にて味わいながら、メフィストの背中を睨む。

 その視線を受けて、彼は深々と息を吐いた。

「再現レベルは高かったけれど……それでも、騙し通せるもんじゃないよ」

 指をパチリと鳴らす。ただ、それだけのことで。

 ローグ以外の全員がその身を破裂させ、消し飛んだ。

 バラバラに四散する肉体。それが次の瞬間、煌めく粒子へと変化する。

 彼等が本物ではなく、魔法によって精巧に作られた分身であることの証であった。

「偽物相手じゃあ楽しめないよ。……まぁ、僕も文句を言えた立場じゃないんだけどね?」

 舌を出して、小さく笑う。

 まさか。と、そう思った矢先のことだった。

 ローグの予感を証明するように。

 メフィストの全身もまた光の粒子となって、消え失せた――


   ◇◆◇


 ローグが提案した策略は極めて単純な陽動であった。

 彼が単身、工夫を凝らしてメフィストを足止め。その間に皆でアードのもとへ向かい、身柄の奪還、もしくは腕輪の奪取を試みる。それが策の全貌であると、皆が信じていた(、、、、、、、)。

 だからこそ今、全員が思う。

 ――我々は失敗したのだ、と。

 隠密行動の末にアードのもとへ到着するまでは、なんの問題もなかった。

 校庭の一角にて設けられた屋外カフェテリア。そこで彼を発見すると同時に、イリーナまで見つけ出したときは、一挙両得の状況に喜びを見出してもいた。

 アードだけでなくイリーナをも救い出す。

 エルザードやアルヴァートなどは特に意気軒昂となったが……そのとき。

「もしかして僕、舐められてるのかな?」

 側面より、声が飛んできた。

 その美声は紛れもなく、メフィストの口から放たれたもので。

 事実彼は、そこに居た。

「そんなことはないと思うのだけど……でもなぁ~、これ以上の何かを用意している感じもないしなぁ~。ハニーが何を考えているのかちょっと読めないねぇ~」

 首を傾げつつも、その唇は楽しげに笑んでいる。

 そんな彼の後ろにはライザーが立ち、敵方であるこちらを静かに見据えていた。

「メフィストッ! 皆に手を出したら、容赦しないわよッ!」

 座席から立ち上がり、険しい顔で叫ぶイリーナ。

 一方でアードは依然、席に座り込んだまま、虚空を見つめ続けていた。

「イリーナちゃん。君に嫌われたら、僕はきっと心を痛めるのだろうけど……たぶん今はまだ、それほどでもないんだろうね」

 そのときが来たなら躊躇うことなく実行する。

 メフィストの表情と言葉には、そうした意図が込められていた。

「っ……! 皆、逃げて! あたしがこいつを抑えるから!」

 踏み出し、そして。

「来なさいッ! ヴァルト=ガリギュラスッ!」

 天へと掲げられた手元に、そのとき、稲光を伴って、一振りの(つるぎ)が現れた。

 三大聖剣が一、ヴァルト=ガリギュラス。白銀に輝くそれを構えながらイリーナは叫ぶ。

「何してんのよ、皆ッ! 早く逃げなさいッ!」

 鋭い叱咤を、しかし……誰も、聞き入れようとはしなかった。

 むしろ皆、心の内に勇気を滾らせ、

「逃げろだって? このボクに、よくもまぁそんなことが言えたもんだね」

「貴女を置いて逃げられるわけないでしょう……! ミス・イリーナ……!」

「うむ。囚われの教え子を前にして腰を引くなど、断じてありえん」

「皆、君のために命を擲つ覚悟でここに居る。僕も例外じゃあない」

 イリーナの想いに全員が自らの意を突き返す。

 まっぴらごめんだと。

「あ、あんた達……!」

 仲間に対する熱い感情と、そうだからこその焦燥が、イリーナの心を灼かんとする。

 メフィストはそんな彼等の姿勢に対し、パチパチと手を叩き、

「麗しの友情ってやつだねぇ。実に感動的だよ」

 嘆息。そこに込められた情は羨望と憧憬、そして……嫉妬。

 メフィストは侵入者五名を指差しながら、言った。

「ハニーが何を考えているのか。この先があるのか、ないのか。それを知りたいのなら……君達を打ちのめすのが、一番手っ取り早い」

 逃がさないよ? そんなふうに笑う悪魔を前にしてもなお、臆病風に吹かれた者は皆無。

 生きてここから脱するのだ。大切な友を連れて。

 そんな気持ちを打ち砕かんと、メフィストが一歩を踏み出した……そのとき。

 彼にとっての生き甲斐が訪れる。

 何もかも意のままに操作可能なメフィストにとっては、希に発生するそれだけが唯一の娯楽といっても過言ではなかった。


 完全無欠の想定外で悪魔の心を揺さぶらんと、彼女がやって来る。

 天空にて、落下の軌跡を描きながら。

 一振りの聖剣を握り締め。


「――だわっしゃあああああああああああああああああああッッ!」


 独特の雄叫びを上げて。

 シルフィー・メルヘヴンが、やって来る。

「うわ、マジか」

 漏れ出た声は動揺の証。メフィストは蒼穹より来たりし想定外に、動作することが出来ず――《激動》の勇者が繰り出した斬撃によって、脳天を叩き斬られた。

 刹那。

「むぅんッ!」

 ライザーが動く。手にした巨大なメイスを、闖入者たるシルフィーへ――――ではなく。

 眼前に立つ悪魔へと、叩き込んだ。

「うわっとぉ!?」

 胸部を強かに打たれ、華奢な体が派手に吹っ飛ぶ。

 その先には彼が立っていた。

 密かに《固有魔法(オリジナル)》の詠唱を終え……

 勇魔合身、最終形態へと変身を遂げた、アード・メテオールが立っていた。

「こりゃ凄いサプライズだなぁ」

 踏み込んでくるアード。その蒼き瞳でメフィストを見据え、淀みない歩調で接近する。

 ライザーの一撃を浴びたことで、メフィストは彼の異能に侵されていた。

 身動きが取れない。メイスで打った相手を支配し、操作する。その力は《邪神》の肉体さえも縛り付けたが、しかし、さすがはメフィスト=ユー=フェゴールといったところか。

「しぃ~びれぇ~るぅ~……けど、問題はないね」

 ライザーが有する反則紛いな異能でさえ、その動きを封じられたのは数秒程度。

 一撃浴びれば生殺与奪の権限を失うといった絶対的なルールに、己が意を理不尽なまでに押し付け、ライザーの異能をねじ伏せてしまった。

 されど。

「十分だ……!」

 何もかもがアードの思い描いた通りに動いていた。

 握り締めた黒剣を振るう。メフィストはこれに対応せざるを得ない。

 先に稼いだ数秒間。そして今、獲得した数秒間。

 これだけあれば……あの男が動くに、十分な時間であろう。

「……あぁ、なるほどね。そういうことか」

 どうやらこちらの思惑に気付いたらしい。だが、もう遅い。メフィストがアードの黒剣を片腕で止めつつ、そちらを見たときには既に、彼が立っていた。

 イリーナの傍に、もう一人の自分が。ディザスター・ローグが、立っていた。

「えっ」

 唐突な事態に吃驚するイリーナ。現状がまだ噛み砕けずにいる。

 ジニーもまた同様であった。めまぐるしい展開に付いていくことが出来ていない。

 だが……古代生まれの面々は状況の全てを瞬時に把握し、機敏な動作を見せた。

「合わせろ、阿呆トカゲッ!」

「わかってるよ、女男ッ!」

 稼いだ時間をさらに延長すべく、アルヴァートとエルザードが結界の魔法を発動。

 対象は、アードとメフィスト。両者を閉じ込める強固な檻が形成されたと同時に。

「……撤退するぞ、ジニー」

「あっ、えっ」

 オリヴィアがジニーの体を抱え、遁走する。

 周囲一帯には妨害の術式が展開されており、こちらは転移の魔法を使うことが出来ない。

 足での移動を強制されている以上、メフィストから逃げおおせることは不可能に近い。

 そうだからこそ、アードが作ってくれた好機を、無駄にするわけにはいかなかった。

 一足先に退いたオリヴィアを追う形で、ライザーとシルフィーが駆ける。

 続いて、アルヴァートとエルザードが追走。

 ……ローグは、出遅れていた。

 困惑するイリーナを抱きかかえたところで動きを止め、アードの姿を一瞥する。

 心に迷いがあった。

 ――これでいいのか?

 ――この決着を、受け入れていいのか?

 ――俺のような失敗者が残り、奴が消える。そんな結末で、いいのか?

 葛藤によって鈍った判断力。踏み出せぬ二の足。

 そうしたローグの心を、そのとき、アードが一喝した。

「貴様はッ! 二度も失敗を重ねるつもりかッッ!」

 ハッとなる。

 そうだ。優先すべきは世界の命運であり……命よりも大切な、親友と仲間達の人生。

 それに比べたなら、全てが些事ではないか。

 決然たる意志を得て、ローグは駆け出した。その腕の中でイリーナが目を見開く。

「……っ!? アードっ!?」

 動揺し、ローグの腕から逃れんと手足を動かす……直前、彼が発動した睡眠の魔法によって意識を失い全身を脱力させた。

「今度こそ守り抜け」

「……あぁ」

 すれ違いざま、一言交わして。

 二人のアード・メテオールは、急速にその距離を離していった――


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