第一二一話 元・《魔王》様と、次への一手
もし、彼女に逃げ場がなかったなら。その悲嘆はきっと永劫に続くものだったろう。
けれども、ヴェーダにはそれがある。仲間達という逃げ場がある。
ゆえに彼女は、立ち上がった。
「…………それで。ワタシは何をすればいいのかな」
赤く腫れた瞼を擦りながら、ヴェーダが問うてきた。
そこに明確な意志はない。ただ状況に流されているだけ。
どうにか立ち直ってもらいたいところだが、それは容易なことではあるまい。
今は協力の姿勢を見せてくれただけでも、十分といったところか。
「ヴェーダ様。貴方の知恵と異能で以て、私とこの男、ディザスター・ローグの融合は可能でしょうか?」
彼女は視線を横へずらし、ローグの姿を見る。
普段の彼女であれば、我が同一存在に対して好奇心を爆発させるところだが。
「……存在統合による、総合力の向上が狙いってことだね」
要点だけを察し、それ以外の全てを放棄している。
平常の姿からは想像も出来ぬほどの憔悴ぶりに、ジニーなどは憐憫を見せたが……自分ではどうにも出来ぬと感じたか、口を出すことはなかった。
「可能か否かと言えば。十分に可能だろうね。異なる存在同士の融合はリスクが高いけれど、同一存在なら問題もないと思う」
淡々と口にしてから、ヴェーダは施設へと歩き出した。
我々も彼女に付き従う形で後ろを行く。
その道中。俺はこれからについて、思索を巡らせた。
……やはり気になるのは、この一件を終えた後のこと。
開幕当初、俺はメフィストによる悪趣味な遊戯をクリアしたなら、全てが丸く収まると考えていた。そこに未知の真実などないと、そう思っていた。
だが実際は、上位存在による終末という、あまりにも予想外な真実が待ち受けていた。
……よしんばメフィストを討てたとして。その後、どうする?
この世界は未曾有の危機に晒されたままだ。そう遠くない未来、次の敵が現れるだろう。
おそらくはメフィストと同格か……それ以上の、悪夢めいた存在がやってくるだろう。
皆はそんな怪物と戦わねばならない。このアード・メテオールが、不在の状態(、、、、、)で。
……やはり先々のことを思えば、今からでも計画を変更すべきではないか。
そんなふうに考えた矢先のことだった。
『目先の終末を回避せねば、未来も何もないだろう』
頭の中でローグの声が響く。同一存在であるがゆえに、我が思考を明瞭に読み取ったのだろう。俺は奴に対し、思念を送り返した。
『目先の終末を回避した後、次のそれで何もかも終わってしまったなら、どうするのだ』
『……まるで、己が双肩に世界の命運が載っているような物言いだな』
『傲慢と詰りたいのなら好きにするがいい。だが貴様とて理解していよう。その言葉が事実であると』
『友の力を信じ、未来を託すという気概はないのか』
『友が大切だからこそ、その未来を守りたいとは思わんのか』
同一の存在でありながらも、俺達が歩んだ道は異なるものだ。
そのためか、意見の不一致がよく目立つ。
『そもそも貴様の懸念はそれ自体がナンセンスだ。出口が用意されていない迷路を彷徨ったところで仕様がなかろう』
痛いところを突いてすぐ、奴は追撃するように、思念を送り付けてきた。
『確かに、俺か貴様、いずれかが残るといった結末が望ましかろう。だが』
『……あぁ。俺達が融合を果たし、その力を倍加させねば、策が実行出来ぬ』
『そうだ。その時点でもはや、我々に別の選択肢などない。対案が見出せぬ以上、貴様の思考は時間の浪費でしかないということだ』
ローグの言葉には淀みがなかった。そこには固い決意の情だけが、あった。
『皆が歩む道は今、すぐ目前にて断絶された状態にある。俺達はそれを、ほんの僅かに修復し……消えるのだ。そこから先は、仲間達が自らの手で切り拓くだろう』
皆への信頼。それはこのアード・メテオールとて抱いている。だが、それでも。
『案じずにいられようか。皆の未来を。俺を孤独から救ってくれた者達の、人生を』
これ以上は感傷に過ぎぬと判断したのだろう。
『女々しいぞ、アード・メテオール』
これ以降、奴との対話は途絶えた。
……たとえ女々しかろうとも、思索を止めることは出来ない。
最善の結果をもたらす、そんな策を編み出すために。
だが結局、その糸口さえ見えぬまま、状況は進展を続けていき……
「完成したよ」
俺とローグを融合させるための魔道具が、ヴェーダの手中にて煌めきを放っていた。
それは二つの指輪。その使用法を、彼女は簡潔に説明する。
「両者がこれを嵌めて、宝玉同士を合わせ、魔力を込めれば、それで完了」
やはり淡々と語ってから。指輪を渡してくる。
ローグはそれを躊躇いなく嵌め込んだが……俺は少々、時間が掛かった。
『いい加減、観念しろ』
再びの思念。……もはや是非もなし、か。ローグの言う通り、仲間達の力を信じ抜くしかない。彼等ならばきっと、この俺が居なくなった後も安泰である、と。
俺は意を決して、己が指にそれを填め込み……
「やるぞ、ローグ」
「あぁ」
融合する。
皆の未来を。断絶された道を。ほんの僅かながらも、修復するために。
突き出した拳が奴のそれへと向かう。果たして、俺とローグが――
一体化するという、直前。
「《《空白埋めし殉職者》》」
第三者の声が。巌のような、その声が。場に響くと同時に。
攻撃の気配。唐突に訪れた事態を前にして、我が頭脳が超高速の回転を見せた。
無限のように引き延ばされた一瞬。その間に、俺は膨大な思考を積み重ね、そして。
「……見えたぞ。最善の道が」
反射的に動こうとする自らの肉体を、自己意思で以て抑え込む。
そうしながら、俺は襲撃者の姿を見た。
ライザー・ベルフェニックス。
その手に握られた巨大なメイスが、こちらへとやって来る。
完全にして完璧な不意打ちに、皆が焦燥感を発露する中。
おそらく俺だけが、奴の瞳を平常の心持ちで、見つめ続けていた。
果たして、メイスによる打撃がこの身を襲った瞬間。
我が意識は、闇へと呑まれたのだった――
閑話 いじけ虫は差し伸べられた手を握れない
「とりあえず、一段落といったところかな」
ラーヴィル国立魔法学園。その広大な敷地の一角に設けられた、屋外カフェテリアにて。
座席の背もたれに体重を預けながら、メフィストは紅茶を口に含んだ。
口元に微笑を浮かべ、悠然と振る舞う姿は、表面だけを見れば威風堂々としたものだが……イリーナには今の彼が、泣き出しそうな子供のように見えていた。
「あんたは、どうして――」
「そんなことより。仲間の心配をしなくてもいいのかな?」
彼の言う通り、皆のことは気になる。
ライザーに奇襲され、意識を失い、拉致・誘拐されたアード。
取り残され、困惑する面々。
遠望の魔法によって形成された大鏡に映るそれらは確かに、気がかりなものではある。
だが今は、それよりも。
「……あんたのことが、わからなくなった」
メフィストという存在に対して最初に抱いた印象は、邪悪の一言であった。
世の残酷を前にして手を叩き、悲惨を嗤い、混沌の中に愉悦を見出す。
その人格は悪魔めいたもので、理解など出来るはずもないと、そう思っていた。
だが……ヴェーダに対する彼の行動は、娘を思いやる父親のようで。
「あんたは本当に、世界を壊すつもりなの?」
共存不能の怪物。その大前提がイリーナの中で、覆りつつあった。
「君の優しさは実に心地が良いけれど……だからこそ、厭になるんだよ」
口元には普段の微笑を浮かべたまま。
しかし、ヴェーダとの一件で心模様が乱れたのか。
メフィストは普段のふざけた調子ではなく、どこか湿り気のある口調で、語り始めた。
「君達が《邪神》と呼ぶ存在は総じて、異世界からの来訪者だ。僕もそのうちの一人さ」
「……そういえば、そんな話をしてたわね。あんた達の世界も、神を自称する存在に滅ぼされた、って」
「うん。だから僕達は、この世界へと逃げ込んだ。多くの人々を犠牲にして、ね。……その中には、僕の友達も含まれていた」
友達。
その言葉にイリーナは目を見開いた。
「素直だなぁ、君は。……こんな僕でもね、あっちの世界じゃ何人か友達が居たんだよ」
過去を懐かしむように、メフィストは空を見上げ、言った。
「僕は好奇心を抑え込めない。だから、好意を抱けば抱くほどに、その相手を壊したくなる。その結果がワンパターンな感情の発露だったなら興味も失せるのだけど。でも実際は、壊す度にまったく違う感情が湧き出てくるものだから、飽きることがない。飽きることがないから、永遠にそれを繰り返す」
けれど、と前置いて。
メフィストは微笑んだ。その脳裏に、誰かの姿を思い浮かべながら。
「あの世界には、僕でさえ壊せないような相手が何人も居たんだ。彼等のおかげで、僕は毎日が幸せだった。全力を出しても壊れない。むしろこっちが叩きのめされてしまう。そんな日々はまさに黄金のように眩しくて…………だからこそ、今が辛くて仕方ない」
紅茶を口に含むメフィストの美貌には、強い諦観の色が宿っていた。
「ねぇ、イリーナちゃん。想像しておくれよ。仮に僕が君達の味方となって、世界の終焉に抗ったとする。その試みは見事成功し、世界は平穏を取り戻した。……さて。そうなった後、笑い合う君達の中に、僕の存在を入れ込むことが出来るかな?」
言葉に詰まった。
どのような存在も受け容れるイリーナの巨大な器でさえ、メフィスト=ユー=フェゴールという名の邪悪には拒絶反応を起こしてしまう。
「ほらね。僕とは相容れないだろう?」
「……あんたが、悪いんじゃないの」
「あぁ、そうさ。自業自得だとも。生まれ持った業に灼かれて苦しむのは、僕が背負った宿命というものさ。それは理解しているよ。でもね――」
悔しいんだよ。
寂しいんだよ。
厭になるんだよ。
この人生における、何もかもが。
だから。
「僕の動機はそれだ。今回の一件を始めたのは、全てがそのためさ。僕はもう疲れたよ。業の炎に灼かれるのも、受け入れたフリを続けるのも、全部。だから、終わらせたいのさ。僕にとって一番幸せな形で(、、、、、、、、、、、、)、ね」
メフィストの本心は、しかし、十全に伝わったわけではなかった。
何を企むのか。いかな結末をもたらさんとしているのか。
いずれも不明なままだが……一つ、理解出来たことがある。
この男は。メフィスト=ユー=フェゴールは。
(あたしじゃ、救えない)
(救いようが、ない)
絶対的な存在であるがゆえの孤独。それだけなら諦観することはない。
あのアード・メテオールが好例であろう。彼とて規格外の絶対者であり、そうだからこその孤独を抱えていたが、今や多くの仲間に囲まれている。
心の在り様一つで、人を取り巻く環境というのは変化するものだ。
……しかし。
その孤独が、歪んだ心によるものだったなら。
その歪みが、決して直せないものだったなら。
もはやイリーナは、メフィストを相手に戦うことしか出来ない。
大切なモノを守るために、立ちはだかることしか、出来はしないのだ。
(もし、こいつを救えるような人が居るとしたなら、それは)
歪みを受け入れながらも、その邪悪を寄せ付けず、むしろ叩きのめしてしまうような存在。同じ痛みを知りながらも、容赦なく、対等な立場で殴り合うような存在。
……たった一人だけ、当てはまる者が居た。
その姿を頭に浮かべると同時に。
「申しつけられた仕事、果たして参った」
厳かな声が耳に届く。
振り向いてみると、そこには二人の男が居た。
一人はライザー・ベルフェニックス。
戦闘の爪痕を全身に刻んだ老将。その隣に立つ、もう一人の男は。
「アードっ……!」
痛々しい、友の姿。
呼びかけても、応答はない。
虚ろな青い瞳で、彼は虚空を見つめ続けていた――