第一二〇話 元・《魔王》様と、学者神の慟哭 後編
我が軍の内に在って、四天王という階級は極めて特殊な立ち位置にあった。
他のそれは軍統括者、即ちこの俺によって決定が下されるものだったのだが……
四天王の座に就く者はこちらの下知ではなく、下克上による奪い合いによって決定付けられていた。そも四天王とは武官の頂点。なれば己が武威こそ最強であると証明した者にこそ、その座は相応しかろうと、当時の俺はそのように考えたのだ。
ゆえに忖度などは一切ない。こちらの都合も、まるで関係はない。
唯才。ただ才ある者だけを求む。
その精神に基づいて、四天王は幾度も代替わりを重ね続けた。
そうした過程の果てに。
最後の四天王となった者達は、オリヴィア以外の全員が曲者であった。
ライザー・ベルフェニックス。経歴の全てが謎に包まれた、怪しげな老将。
アルヴァート・エグゼクス。かつての好敵手が俺へと預けた、忘れ形見。
そして――彼女は。ヴェーダ・アル・ハザードは。
かつて我が軍を半壊にまで追い込んだ、難敵の一人だった。
そんな頃の彼女が戻ってきたかのように。今、ヴェーダは我々へと牙を剥いている。
「スケアリー・モンスター、システム:フルブラスト(極限展開)」
虚空に開いた黒穴から、そのとき無数の異形が現れた。
体色はここまで相手取ってきたそれと同様、黒一色。その姿は魚類めいており、宙を海原の如く泳ぎ回っている。サイズは人の幼児程度と小型だが……膨大な物量が群生生物の如く一塊となっており、その姿はさながら大蛇のようであった。
「バイオレント・ストライク(無尽突撃)」
号令一下。
異形の群れによって形成された巨大な蛇が、虚空を泳ぎ進むようにして迫ってくる。
「まずは様子見と行こうか」
アルヴァートが天へと右手をかざし、次の瞬間、そこから漆黒の火炎が発生。
それは葉脈のように空を走り、やがて大網の形へと変わる。こちらへと殺到した異形の大蛇は黒炎で以て形成された網に捕らわれ、崩壊……するはずだったのだが。
「ぬ、抜けて来ましたわッ!」
「相手は群体なんだからこうなって当然だろ。女男のオツムは赤ん坊以下かよ」
エルザードの言う通り、敵方は一個体ではない。小さな異形が群れを成すことで形成されたもの。ゆえに編み目の隙間から逃れ出て、こちらへとやって来る。
そのサイズを、二回りも巨大化させて(、、、、、、、、、、)。
「……様子見だと言っただろ、阿呆トカゲ」
アルヴァートは相手の情報を知ろうとしたのだろう。その結果として、わかったことは、
「どうやらアレは、ダメージを負うと同時に分裂するようですね」
「あぁ。厄介なことに、威力は関係ないらしい。僕の炎は一撃で存在を灼き尽くすものだが、しかし……それに触れて焼失すると同時に、倍の数となって再召喚された」
「……無限の軍勢、どころではないな」
「み、皆様、来ますわよッ!?」
「だったら避ければいいだろ、オマケ女」
エルザードの顔に緊張はない。敵方の動作は比較的鈍重で、容易く回避出来てしまうからだろう。事実、我々は一斉に飛び退き、事なきを得た。
「とはいえ。それも現段階の話でしょうね」
「……うむ。どうやらあの異形は、こちらが攻撃せずとも勝手に増えていくらしい」
時を経る毎に膨らんでいく漆黒の群れ。そんな敵方を睥睨しつつ、オリヴィアは呟いた。
「……まるで進化しているかのようだな」
次の瞬間、その言葉が実態を伴って襲い掛かってきた。
「GYAAAAAAAAAAAAA!」
異形の群れが一斉に吼え叫び、そして、大蛇の全身から煌めく流線が放たれた。
どうやらそれは、自爆技であったらしい。
大蛇を形成する表層部の個体が弾け飛び、熱源の塊となって、こちらへと殺到する。
「散開ッ!」
我が号令を受け、皆が飛び散る形で跳躍。どうにか光線の群れを回避出来たが……
「自爆。攻撃。増殖。全てが一纏めになっているようですね」
「……そして、数を増せば増すほどに、強くなるらしいな」
大蛇のサイズがさらに膨れ上がった。
これを受けて、今まで沈黙を保っていたローグが嘆息すると共に、
「……アルヴァート。俺と貴様で抑え込むぞ」
「……そうだね。全員で対応しても、結局のところは消耗を重ねていくばかりだ。アレは最低限の人員で対抗すべきだな」
首肯を返してから、アルヴァートはこちらを見て、
「この勝負はアード・メテオールがヴェーダの心を動かせるか否か、そこにかかってる。そのためにもまずは、邪魔なく対話が出来る環境を作る必要があるな」
「……うむ。その過程においては当然、ヴェーダ自身による妨害があるだろう」
「でしたら……私達が、道を拓きますわ」
「足引っ張んなよ、オマケ女」
言い合う仲間達を見つめながら、俺は口を開いた。
「皆さん……お頼みいたします」
短い言葉に込めた信頼を感じ取ってくれたのだろう。仲間達は皆、力強く頷いた。
「さぁ。行動を開始しようか」
「仕切ってんじゃねぇよ、女男」
「……俺とアルヴァートが大蛇の動きを抑える。その瞬間に走れ、アード・メテオール」
「わたしとジニー、そしてエルザードが道中の援護をしよう」
「ヴェーダ様を、お願いします。アード君」
一つ頷きを返す。そして――皆の連携が、始まった。
「カルミア、第六の権能を使うぞ」
「了解した」
「……いかようにでもするがいい。全てに合わせてやる」
アルヴァートが聖剣に宿りし力を発動。瞬間、虹色の煌めく刀身が一際強い光を放ち……その直後、大蛇の巨体が鎖によって縛り付けられた。
無論ただの鎖ではない。至高の聖剣、ディルガ=ゼルヴァディスの権能によって創造されたそれは、大蛇を成した群体の全てを封じ込め、身動きを停止させた……が。
「ローグ、多重封印で援護してくれ。奴等、自爆を繰り返して強度を増し続けてる」
「……聖剣の権能さえも、いずれは突破される、か」
恐ろしい怪物を睨み据えながら、ローグが要請された通りに動く。
俺もまた、二人が作ってくれた好機に乗じて走り出した。
ヴェーダのもとへ。真っ直ぐに。
「……来ないでよ、鬱陶しい」
不意を打つ形で、我が真横に黒穴が開いた。
されどこの足は一瞬たりとて止まることはなく、視線は常に前へと向け続けていた。
それは信頼の証だ。いかなる事態に見舞われようとも、仲間が俺を守ってくれる。そんな思いに対し……まず、ジニーが応えてくれた。
「アード君には、指一本、触れさせませんっ!」
紅槍の穂先から真紅の稲妻を奔らせ、穴から顔を出した異形を撃つ。
俺は安泰のまま、疾走し続けた。
残り、二〇歩。
「……来ないでって、言ってるでしょ」
唇を震わせながら、ヴェーダが次手を放った。
今度は足下に穴が開く。
極めてストレートな害意。瞬きをする間もなく、俺は黒穴へと落下――する直前。
「貸し一つだぜ、アード・メテオール」
一陣の風がこちらの背を押して、そのまま前方へと運ぶ。
エルザードの救助を受けて、さらに先へ。
残り、一〇歩。
「…………いい加減に、してよ」
肩を震わせ、拳を握りしめながら、ヴェーダはか細い声を出した。
刹那、彼女の眼前にて純白の壁が出現。俺とヴェーダとを隔てるそれを、次の瞬間――
「閉じこもったところで仕方がないだろう。ヴェーダ・アル・ハザード」
オリヴィアが疾風の如く駆け、こちらを抜き去り、そして。
切断。
切断切断切断切断切断切断切断切断切断切断切断切断……
その手に握る魔剣を以て、白き壁を微塵に斬り刻んだ。
「アード・メテオール………………いや、馬鹿弟」
すれ違いざま、オリヴィアが声をかけてきた。
学園の生徒である俺ではなく、弟分としての俺へと。
「今の貴様なら出来る」
その一言に俺は微笑を返し、
「任せてくれ」
こちらもまた、アードではなく、ヴァルヴァトスとして言葉を返す。
そう、過去の俺だったなら。《魔王》と呼ばれていた、空虚な中身しか持たぬ、俺だったなら。きっとヴェーダの心を動かすことなど、叶わなかったろう。
だが、転生し、多くの友を得たことで、俺は変わることが出来た。
もう空虚な暴力装置ではない。彼等と過ごす日々の中で、何かを感じ、何かを学び……それが、胸の内に煌めくものを創り出したのだ。
これを形作ってくれた者達の中には、ヴェーダも含まれている。
ゆえに今、俺は最後の一歩を刻み……あいつの前へと、立った。
「矛を収めよ、ヴェーダ」
アード・メテオールの仮面など被ってはいられない。
真の自分として、真の思いをぶつけねば、心を動かすことなど叶わない。
沈黙を返すヴェーダに、俺はさらなる言葉を送り付けた。
「共に在ってくれ。俺達には、お前が必要だ」
「…………戦力として利用したいってだけだろ?」
「違う。たとえお前が無力な子供であったとしても、俺は同じことを言っただろう。過去の俺にとって、お前は信の置けぬ敵に近いものだったが、今は――」
「変わらないよ。今も、昔も」
聞く耳を持たぬと言わんばかりに、発言を遮って。
そのとき、ヴェーダの背後に見上げるほど巨大な何かが、顕現する。
《魔導機兵》。魔学と科学の融合によって生み出された、絶大な兵器の一つ。
まさに鐵の城といったそれが胸部の装甲を開く。主人を、招くかのように。
「本質的には、何も変わってない。ワタシ達の関係は、あの頃からずっと――」
敵同士のままだと。瞳を揺らめかせながら、それでも断言して。
ヴェーダは後方へと跳び、《魔導機兵》の内側へ。搭乗と同時に、展開されていた胸部が閉塞。前後して、《魔導機兵》の双眸が妖しげな光を放った。
「ワタシ達の道は、もう分かたれてる。それを弁えないというのなら……君達の旅路は、ここで終わりだ」
鉄人の総身から、激烈な圧力が発露した。
そして――
「潰れろ」
冷然とした声が耳に入るのと、急接近した敵方が拳を振り下ろすのは、まったく同じタイミングだった。
落雷の如き一撃。まともに貰えば大ダメージは必至。
されど……そうであるがゆえに、俺は回避を選択しなかった。
直撃する。この身を叩き潰さんとする拳は、しかし我が額に衝突すると同時に停止し、全身を粉砕するまでには至らなかった。
さりとて。
「……あぁ、想定よりもキツいな。これは」
生来の頑強性など容易く貫通し、霊体にまでダメージが刻まれている。
貰い続けたならいずれ、この俺でさえ消滅へと至るだろう。
だが。
「どうしたヴェーダ。撃ってくるがいい」
迎え入れるように両腕を広げて見せる。この行動に、相手方は当惑の声を出した。
「何、考えてんのさ……!?」
「俺はここへ、戦いに来たわけではない」
回答を送る。腕を広げたまま、胸を張りながら。自身の本気を、見せ付けるように。
「目的はあくまでも、お前との対話だ。ゆえに、こちらは一切の手出しをしない。出すのは言葉だけだ。これに対しどのように受け返すかはお前に一任する。俺はそれを拒まない」
言葉に宿る思いを、ヴェーダは正確に認識してくれただろうか。
即ち……お前を取り戻すためならば、我が命さえ惜しくはないのだ、と。
それほどに、お前という仲間を大切に思っているのだ、と。
「…………馬鹿じゃないの」
苛立ったような声と共に、再び拳を打ち下ろしてくる。
再びの直撃。筋骨が激震し臓腑が破裂する。なれど、俺は不動を貫いたまま、
「メフィスト=ユー=フェゴールはお前にとって、父も同然なのだろう。それを大切に思う気持ちは理解出来る。だが……お前は、奴の想いを考えたことがあるのか?」
ヴェーダの返答はやはり、拳であった。
これも躱すことなく受け止めて、俺は次の言葉を放つ。
「俺にとって、奴は不愉快な存在だ。その姿を想像しただけで虫酸が走る。だが……愛する者への感情は本物であるという、その一点だけは、奴が有する美徳だと考えている」
三度目の打撃。頭蓋が割れ、額から鮮血が溢れ出る。
されど、流るる紅が目に入ってもなお、俺は相手の姿を見つめたまま、
「奴が、お前に対し、共に在ってくれと頼んだことがあったか? ……ないだろう。なぜならば、お前という存在が奴を救うことはないからだ。むしろ傍に在ることで、奴は苦しむことになる。壊したくないものを、壊してしまいたいという欲求。これに耐え続けねばならんのだからな」
ここで、ようやっと。
「……うるさい」
拳だけでなく、声が。
ヴェーダの口から、受け答えの声が、紡ぎ出された。
「わかってるんだよ、そんなことは……!」
鉄拳を落としながら言葉を放つ。まるで、血を吐くように。
「あの人の傍に立つことが、何を意味しているのか。あの人が、どう思うのか。全部わかったうえで、ワタシは……!」
拳の重みが増していく。一撃貰う毎に、意識が遠のいていく。
だが、それでも。
「理解しているというのなら。どうして奴の思いを汲まない? ……お前の存在を望み、共に歩んでいけるのは俺達だけだ、ヴェーダ・アル・ハザード。決して、あの男ではない」
拳を受け止めながら、俺は強い感情を声に乗せて、あいつに叩き付けた。
「親とは常に子のもとから離れていくものだ。その末にお前が身を置くべき場所がどこにもないというのなら、好きにすればいい。だが、そうでないのなら。親の思いを汲み、己が在るべき場所へと進まねばならない。それが奴に対する愛情の返し方というものだろう」
帰ってこい。戻ってこい。お前の居場所は、俺達の中にあるのだと。
そんな想いは確と伝わったはずだ。
ゆえに……振り下ろさんとする拳が、止まった。
「ワタシ、は……」
揺れ動いている。メフィストへの感情と、俺達への感情。
消えゆく親の傍に、最後まで共に在りたい。初めて出会えた仲間達と、輝くような未来を迎えたい。いずれも本物の願いだからこそ、ヴェーダは苦しんでいる。
そして。懊悩の末に、あいつが出した答えは。
「う、ぁ、あ…………あぁあああああああああああああッッ!」
絶叫。それは、思考を放棄した証。
最高の頭脳と評されしヴェーダ・アル・ハザードでも、この対話への結論だけは、出すことが出来なかったのだろう。
振るう鉄拳も、なんのためのものなのか。もはや当人でさえわかってはいない。
それを正すべきは――と、考えた瞬間。
「そこまでだ」
来た。
俺が、その姿を脳裏に描くと同時に。
あの男が、メフィスト=ユー=フェゴールが、来た。
「っ……!?」
《魔導機兵》の内側から、ヴェーダの吃驚が飛んでくる。
果たして、振るわれし鉄拳は我が目前にて止まり……
刹那、突き出した《魔導機兵》の腕部が、粉微塵に砕け散った。
他ならぬ、メフィストの手によって。
「師、匠……?」
当惑の声を無視して、メフィストは《魔導機兵》へと右手を向ける。
その途端、鐵の城はバラバラに分解され、内に居たヴェーダが、その姿を曝け出した。
「っ……!」
きっと奴の意図を察したのだろう。何かを言おうとするが、しかし。
それよりも先に、メフィストがヴェーダの目前へと転移し、そして。
「悩んだよ。本当の本当に、悩み抜いた」
矢継ぎ早に言葉を重ね続けていく。ヴェーダのそれを封じるかのように。
「衝動に応じて君をこの手で……というのアリだと思った。どんな結末を辿ろうとも、君を含めて全員が消え去ってしまうわけだからね。だからもう、我慢しなくてもいいんじゃないかって。そう結論づけたのだけど…………やっぱ僕は、気分屋だなぁ」
どこか諦観めいた情を微笑に宿しながら、メフィストは言った。
「殺したい相手を、どれだけの期間、殺さずにいられるか。この挑戦と実験は最後の最後まで続行する。とりあえず今は、そんな気分だよ」
そして奴は、愛弟子へ呪詛の魔法を掛けた。
額にかざす掌から、暗色の霧が漏れ出し、すぐさまヴェーダの頭部へと入り込んでいく。
奴はいったい、いかなる呪詛で愛弟子を縛ったのか。それは――
「――あっ」
叩いていた。ヴェーダが、メフィストの頬を。
しかしそれは、自ら望んだ行動ではあるまい。
「どう、して」
肩を震わせながら問う。
親も同然の相手へと。もはや敵対することしか出来ぬ、相手へと。
だが奴は答えることなく、ただ穏やかに笑って。
「さて、と。じゃあ僕は帰るよ。気が変わらないうちにね」
自らの真意を明かすことなく。常日頃のようにヘラヘラしながら。
その胸の内に、複雑な情を抱えて。
メフィストは、姿を消した。
「…………師匠」
頽れ、膝をつくヴェーダ。その瞳から、大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちていく。
「奴の気持ちを、汲んでやれ」
震える肩に手を置きながら、俺は呼びかける。
「奴の想いを無碍にするな」
メフィストは生来の異常者だ。本気で愛すれば愛するほどに、その者を壊してみたいという好奇心を抑え込むことが出来ない。
そんな狂人が初めて、壊さないという選択をした。
ヴェーダへの情が、生来の歪みに打ち克ったのだ。
「前へ進もう。仲間達と、共に」
言葉をかける。想いをかける。だが……今はきっと、何をしたところで、無駄だろう。
流れ落ちる涙を、止めることは、出来ないのだろう。
「やっぱり、あなたは卑怯だよ、師匠」
嗚咽混じりの声が、静寂の中に溶けて、消えた――