閑話 いじけ虫は弟子の気持ちがわからない
《破邪吸奪の腕輪》を回収し、姉貴分を仲間に加えたうえ――
もう一人の自分という予期せぬ存在もまた、我々の一員として行動することになった。
「…………」
メフィストの消滅後、オリヴィアが複雑げな顔をして、俺とローグを交互に見た。
言いたいことはわかる。
改変されていたとはいえ、刃を向けてしまったことに対する謝罪。
ローグという存在に対する疑念。
いずれも話し込めば長くなりすぎる。
ゆえにオリヴィアは沈黙し続けているのだろう。
そんな彼女へ、ローグが、
「……俺の事情は後ほど話す。今はここから脱するのが先決だ」
皆、首肯を返した。
この場は敵地そのものであり、気安く会話出来るところではない。
よって我々は急ぎヴェルクラットを脱し――
外部にて、ローグが簡単に己が事情を説明。
現代人であれば簡単には信じられぬような話だろうが、さすが皆、古代の出身者といったところか。
「……なるほど」
「まぁ、役に立つならなんでもいいや」
「先程の一戦で実力は確認済みだ。それ以外のことには興味ないね」
オリヴィア、エルザード、アルヴァート、三者共にアッサリと納得した。
その後、すぐ。
オリヴィアが少しばかり表情を蔭らせながら、口を開こうとするが。
「謝罪などけっこう。貴女は元に戻ってくれた。それだけで、全てが精算されています」
「……そう、か」
獣の耳を垂れさせ、尾を左右に振る。
どこか安心したような様子を見せたまま、オリヴィアは次の言葉を口にした。
「……それはそれとして。戦闘中に吐いた暴言の数々、この一件が終わったなら、まとめて精算してもらうからな。覚悟しておけ」
「………………昔から本当に理不尽ですねぇ、貴女は」
苦笑しながら嘆息する。
そうして俺は、もう一人の自分へと目をやり、
「そのときは貴様も道連れだ」
「は? 馬鹿か貴様。なにゆえ俺が、そのような」
「俺は貴様であり、貴様は俺なのだ。よって我が行いの半分は貴様が責任を持つべきだろう」
「……ここまで自分が不条理な人間だとは思っていなかったな」
肩を竦めながら、ローグが眉間に皺を寄せた。
その表情には……少しばかりの寂寞が、宿っていて。
どうやらその情念は、今後に関わるものだったらしい。
「残念だが、この一件が終わる頃には、俺は既に消滅しているだろう」
「……消滅? 消失ではなく?」
「あぁ。元の世界に戻るというわけではないからな」
ローグは淡々と、確定した未来を述べるように、言葉を紡いだ。
「俺はこの世界で消滅する。アード・メテオール、貴様と融合することで、な」
「融合? ……どういうことだ?」
「それに答えるよりも前に、まず説明しておくべきことがある」
淡々とした口調を維持したまま、ローグは語り続けた。
「異なる時間軸への移動、あるいは異なる世界への移動。いずれも当該する世界に悪影響を及ぼす。特に後者は極めて甚大だ。短時間の滞在であれば問題はないが、それが長期間となれば……俺が元いた世界とこの世界が結合し、想像もつかぬような現象が発生する」
なにゆえ、そのようなことを知り及んだのか。
胸の内に生じた疑問を、ローグは察したらしい。
「こちらの世界に移動する前に、な。神を自称する男が再び、俺の目前に現れた。そして、先程の情報を述べたうえで……奴は、こう言ったよ」
目的を成したところで、君には未来がない。それでもやるのか?
……ローグはこの言葉に、迷うことなく頷いたのだろう。
かつて自己を救わんとするために、自己を犠牲とすることを選んだ男は、今。
皆を救うために、自己を犠牲にしようとしているのだ。
自分自身であるがゆえに、その感情は理解出来る。
理解出来るからこそ、否定したいとも思う。
「……何か、手立てがあるはずだ」
俺は頭を巡らせ、
「……《外なる者達》とて、異世界からの来訪者ではないか。しかし奴等がこの世界に来たことで、何か変異があったかといえば……そのような痕跡は見当たらなかった」
「それはメフィストの異能(、、、、、、、、)によるものだ。奴がそう願ったがために、世の理がねじ曲がったのだろう」
ローグは小さく息を吐きながら、ジッと俺を見つめてきた。
視線から意思が伝わってくる。
俺のことは諦めろ、と。
「そもそも、俺の消滅はメフィスト打倒のための絶対条件だ。これを外すことは出来ん」
反論しようとした俺を制するように、ローグがその詳細を説明し始めた。
「元居た世界にて、俺は自己鍛錬と、腕輪の妨害術式の構築に明け暮れながら、メフィストの討伐について考えを巡らせていた。先程の一戦でも述べた通り、気が遠くなるような時間を過ごしたわけだが……それでもなお、確信が抱けるような策は見出せなかった」
これに対し、アルヴァートが口を開く。
「分身体とはいえ、あのメフィストを手玉に取ったんだ。君が腕輪の力を用いれば」
「あぁ。接戦に持ち込むことは可能かもしれない。だが、それでは不十分だ」
この言葉には、俺も同意するしかない。
メフィスト=ユー=フェゴールは読んで字の如くの《邪神》である。
《魔王》と《勇者》が肩を並べてもなお敵わず。
《勇者》を失った《魔王》が全てを引き換えにする覚悟を決めてもなお、倒せなかった。
「奴を暴力でねじ伏せるのは、もはや不可能と断言しても良い。だがもし、それを成すような策があるとしたなら……およそ、尋常のものではなかろう」
《破邪吸奪の腕輪》を用いた、真正面からの衝突。あるいは絡め手も用いての技巧戦。
いずれも尋常の手段に過ぎない。それでは《邪神》を殺すことなど、到底不可能。
それゆえに。
「……融合、か」
先程、ローグが述べた言葉の中にあった単語。その意味を、奴が語り始めた。
「現段階においては、机上の空論に過ぎんが……異なる世界の同一存在が統合したのなら、それが持つエネルギーは単純に倍加するという可能性が高い」
それからローグは、このように付け加えた。
「本来ならば、実証したうえで行うべきものだが……俺の世界には、それを試す方法がなかった。いや、それを実行可能な存在が、喪われていたと言うべきか」
この言葉を受けて、俺は脳裏に一人の少女を思い浮かべた。
「…………ヴェーダ、か」
「あぁ。実証には奴の異能が必要不可欠だ」
ヴェーダが有する異能は、破壊と創造。別の言い方をするならば、分解、結合、再構築。
それを用いることでしか、ローグが打ち立てた策は実行出来ぬということか。
「じゃあ次は、そのヴェーダって奴のところに行くのか」
エルザードの言葉に、ローグが首肯を返した。
……こいつの消滅云々は、とりあえず後回しにしておこう。
今はヴェーダだ。
彼女を元に戻す。
それはきっと、想像を絶するような困難を伴うのだろう。
しかし。
「……出来るさ。貴様になら」
オリヴィアが、俺の肩に手を置いて、断言した。
「そうだね。一人戻せたというのは大きい」
アルヴァートが肯定の言葉を投げる。
「そんなことより。ヴェーダって奴の居場所はどこだよ? もし遠いところだったら自分達で飛んで行けよ。お前等を長時間乗せるとか、もうやってらんないから」
エルザードが口を尖らせる。
……彼等が居れば。この仲間達が、居れば。
不可能など、どこにもありはしない。
俺は微笑を浮かべながら、ヴェーダが居るであろう東の方角へと目を向け、
「行きましょう、皆さん」
勝利へと近付くために。
皆を元へ戻すために。
我々が望む、未来のために。
俺は仲間達と共に、新たな試練へと身を投ずるのだった――
◇◆◇
古都・キングスグレイヴ。古代世界の情景を色濃く残す、旧き大都市。
その一角には、彼女の研究施設が設けられていた。
外観は彼女らしい奇抜なデザインであるが、内観は意外にも極めてシンプル。
そんな建造物の一室にて。
溶液に満たされた無数のガラス管に囲まれるような形で、二人は盤上遊戯に興じていた。
椅子の背もたれに体重を預け、腕を組み……身を乗り出して、駒を動かす。
そしてメフィスト=ユー=フェゴールは、相手の駒を取りながら一言。
「さすが、僕のハニーといったところかな」
彼の右目には、ここではない別の場所の光景が映っていた。
サフィリア合衆国首都・ヴェルクラットでの一幕。
かの元・《魔王》が特大の想定外を連発し、見事にこちらの思惑を打ち破る。そんな好ましい状況を前にして、メフィストは口元に歓喜の笑みを宿した。
「まさかまさか、別世界のハニーがやって来るだなんて。こればっかりは想定出来なかったなぁ。ふふふふふふ」
敗れて喜ぶ。そんな悪魔の様子に、対面の彼女は駒を手に取りながら、
「……さすがと言うべきなのは、ヴァル君じゃなくて、あなたの方かもよ。師匠」
無機質な声が、小さな唇から漏れ出てきた。
ヴェーダ・アル・ハザード。
二叉状に纏めた金糸の如き毛髪。ぶかぶかの白衣。幼さが目立つ可憐な容姿。
外見を構成する全てが彼女をヴェーダ本人であると証明しているが、しかし。
その愛らしい顔には、平常時のふてぶてしさがどこにもなかった。
「果たして今回の想定外は、ヴァル君の実力によるものだったのかな」
操り人形のような手つきで駒を動かす。それに応じて、メフィストも駒を取りながら、
「……彼の活躍は僕の異能が発動した結果である、と?」
「可能性は十分にあるんじゃないかな。だってあなたは今回、勝とうとしてない(、、、、、、、、)んだもの。いつも以上に、さ」
メフィスト=ユー=フェゴールが有する異能は、現実改変。
強く望んだなら、その願望が世界に反映される。
文字面だけを見れば無敵の力そのものであるが……
「あなたは自分の異能で自分の首を絞めることしかしないから。あなたの願望は常に、自らの敗北と破滅だけ。最終決戦と銘打ち、さんざん本気をアピールしながらも……いや、そうだからこそ、あなたの願望は強いものになっている。そうでしょう? 師匠」
駒を動かす彼女に、メフィストは苦笑を浮かべながら、
「否定は出来ない。でも、肯定することだって出来ない。僕は自分がわからないからね」
駒を手に取って。
それを、弄び。
一息、吐いた後。
「……ところで、愛弟子。君はいつまでお芝居(、、、)を続けるつもりかな?」
問われてすぐ、ヴェーダは深々と嘆息し……
「はぁ。やっぱバレてたか」
舌を出して、にんまりと笑う。
その瞬間、操り人形のようであった美貌に、普段の飄然とした気風が戻ってきた。
「もうちょっとイケるかと思ってたんだけど。いやぁ、やっぱ師匠はすごいね。こんなにも早く見抜かれちゃうだなんて」
ケラケラと笑う弟子の姿を、メフィストは興味深げに見つめながら、口を開いた。
「僕が見抜いたというよりも……君が見抜かせたと言った方が、適当なんじゃないかな」
自力で改変されたことに気付き、そして、自力で元に戻る。
そんなことが可能であるとは、メフィストも想定していなかった。
ゆえにヴェーダは隠し通すことが出来たのだ。自己意思を取り戻しているという真実を。
「最高のタイミングで不意を打ち、仲間の危機を救う。そんなプランをなぜ放棄したのか。まったく理解が出来ないよ」
しかし、そうだからこそ面白い。
そんな顔のメフィストに、ヴェーダは肩を竦めた。
「……ねぇ師匠、それってさ、本気で言ってるのかな?」
この問いかけに、メフィストは小首を傾げ、腕を組む。
まるで心の底からわからないと、アピールするかのように。
「はぁぁぁぁぁ……」
大きな溜息を吐きながら、ヴェーダは天井を見上げた。
「本気だとしても。そうでないとしても。タチの悪さは変わらない、か」
その口元には、普段の笑みが浮かんだまま。
しかし、その瞳は。
どこまでも、どこまでも、昏かった。
「――元々、ワタシはあなたの側だったってことだよ、師匠」