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第一一七話 元・《魔王》様と、究極の試練 後編


 忘れもしない、夏季に行われた修学旅行の初日。

 目的地である古都・キングスグレイヴへと向かう中。

 神を自称する存在の手により、俺はイリーナとジニーを伴って、古代世界へと転移した。

 世界を滅ぼす原因を排除せよと、そんな指令を受けて。

 当初、我々は《魔王》・ヴァルヴァトス、即ち、もう一人の俺が、何かしら関係しているのではないかと怪しんだ。

 事実、その一件はもう一人の俺によって起こされたものではあったのだが……

 しかしそれは、過去の(ヴァルヴァトス)ではなかった。

 今、俺とオリヴィアの傍に立つ男。

 ディザスター・ローグ(別世界の俺)の手によって、起こされたものだったのだ。

「…………ッ!」

 誰もが、驚愕を面に出していた。

 俺やオリヴィア、エルザードにアルヴァート、そしてメフィストまでもが。

 皆一様に、その男へ視線を向けている。

 身に纏うは、ボロボロになった学生服。

 顔立ちや背丈は俺とまったく変わりない。差異があるとしたなら、白髪交じりの頭髪と……顔面に刻まれし斬痕(ざんこん)。この二つか。

 そんなローグの姿を前にして、俺は無意識のうちに口を開いていた。

「なぜ、貴様がここに……!?」

 古代世界を舞台とした一件にて、俺と奴は敵対し、ぶつかり合った。

 その結果、敗北を喫したローグは、おそらくあの後、元の世界に戻ったのだろう。

 何もかもが終わってしまった、最果ての世界へと、戻ったのだろう。

 それがいったい、なにゆえ。

「……貴様に敗れた後、過去(きず)に対する向き合い方を変えたのだ」

 俺の問いに対して、ローグは自らの面貌に走る斬痕をなぞりながら、

「元居た世界へ戻ってから、すぐのことだ。夢か現か……リディアが俺のもとへ現れた。そして、奴はこう言ったのだ」

 過去を変えることは出来ない。だがそれは、現在(いま)に抗うことを諦める理由にはならない。

 ……実に、あいつらしい言葉だ。

「相まみえたとき、貴様は言ったな。俺はただ救われたいだけなのだと。そのために、リディアを利用しているだけなのだと。……真実、その通りだ。俺の救いとは自らの消失以外になかった。あいつの手で討たれ、消えることが出来たなら、と。そんな思いしか、俺の中にはなかったのだ。しかし……」

 リディアとの対話を経た今、まったく別の感情が、奴の中にはあるのだろう。

 ローグはそれを言葉へと変えて、紡ぎ出した。

「かつて、進むことが出来なかった未来を、この目で見たい。仲間達の笑顔を、もう一度、この目で。ゆえに俺は――」

 奴はまず、オリヴィアへ視線を向けて。

 それから。

 悪魔(メフィスト)を射殺すように睥睨し、宣言する。

「俺は、皆を救いに来た。それは即ち……メフィスト=ユー=フェゴール、貴様を滅ぼしに来たということだ」

 ローグの全身から闘志が発露した、そのとき。

 いつの間にか、奴がメフィストの目前へと移っていた。

 何をしたのか、まったくわからない。目視確認不能な速さで動いたのか。それとも、認識が出来ぬほど早く魔法を発動したのか。いずれにせよ――

 ローグは、あのときよりも遙かに、強くなっている。

「狂うほどの孤独を経た今、貴様さえも愛おしく感じるのではないかと、危惧していたが」

 相手(メフィスト)の言葉を待つことなく、ローグはなんらかの一撃を叩き込んだのだろう。

 悪魔が宙を舞い、放物線を描き、地面へと落下。

 石畳の上でのたうちまわるメフィストを見つめながら、ローグは一言。

「憎らしいままで、本当に良かった」

 淡々と語る姿に、俺は畏怖を覚えた。

 強い。あまりにも、強い。

 エルザードやアルヴァートもまた、同じ想いを抱いたのだろう。

 瞠目しながら、二人はローグへと問うた。

「お前……」

「本当に、アード・メテオールなのか?」

 奴は敵方を睨んだまま、

「いいや。その名はとうに捨てている」

 そして、淡々とした声音に決意の思いを宿しながら、答えた。

「今の俺は――――不撓不屈の再生者(ディザスター・ローグ)だ」

 以前、古代世界にて見えたときと同じ名であったとしても、そこにはきっと別の意味が宿っているのだろう。

 ローグの眼差しに確かな信頼を覚えた、そのとき。

「疾ィッ!」

 俺と対峙していたオリヴィアが、ローグへと向かって踏み込んだ。

 改変された彼女からすると、奴は弟分に危害を加えた、憎き敵でしかないのだろう。

 不味い。

 いくらローグが強くとも……いや、そうだからこそ。

「《破邪吸奪の腕輪》は、いい感じに働くだろうねぇ」

 笑う悪魔。

 奴の言う通りだ。

 あの腕輪は、周囲の生命体から力を奪い、我が物とする。

 よって対象がいかなる力量を持っていようとも、彼我のそれは確実に逆転するのだ。

 ローグとてそのことは知り及んでいよう。

 だが、それでも。

 奴は不動のままオリヴィアを迎え入れ――

「破ァッッ!」

 彼女の斬撃に対して、ローグは微動だにしなかった。

 そう――

 出来なかったのではなく、しなかったのだ。

 果たしてオリヴィアの刃は奴の肩へと当たり、そこで、停止した。

「ッッ!?」

 瞠目する。

 俺達皆、全員が。

 そんな我々の反応に対し、ローグは一つ息を吐いて、

「何を驚くことがある? まさかまさか、この俺が対策を怠っていたとでも?」

 言われて、ハッとなった。

 そうだ。奴は敗北の未来からやってきた、もう一人の俺なのだ。

 この展開を知ったうえで、何も手を打たぬはずがない。

 それは当然の措置、なのだろうが。

「腕輪の効果は今、俺の妨害術式によって無効化されている。もはやそれは、ただの装飾品に過ぎない」

 断言してみせるローグに、俺はある疑問を抱いた。

 どうやら、メフィストも同じだったらしい。

「……確か、腕輪の構成術式って、君にも理解出来ないよう、あえてブラックボックスにしてたんじゃなかったっけ?」

「あぁ。腕輪を造り終えた後、俺は鍛造に関する記憶を全て消去した。さまざまな可能性を考慮した結果、それが最適解だと考えたからだ」

「そこに加えて……君、腕輪に解析不能の術式を付与してたよね?」

「あぁ」

「ということは、つまり。腕輪の構成術式を一切合切、何も知らないまま、妨害術式を組み立てたってことになるよね?」

「それがどうした?」

 平然と答えるローグに、俺は目眩を覚えた。

 妨害術式とは、対象となる魔装具、ないしは魔法そのものの術式を知っていなければ、構築出来ないものだ。

 しかも対象の構成術式が複雑であればあるほどに、その構築難度は上昇する。

《破邪吸奪の腕輪》を構成する術式はおそらく、俺が知りうる物の中でも最上位の複雑性となっているだろう。

 構成術式を知っていたとしても、妨害術式の構築は困難であろうに。

 構成術式を知らぬまま、どうやって、妨害術式を構築したというのだ……?

「何も、たいしたことはしていない。時間をかけさえすれば誰でも出来ることだ」

 平然とした顔のまま、ローグは答えを提示する。

 その内容は、あまりにも馬鹿げたものだった。

「術式とはつまるところ、魔法言語の集積体だ。それは妨害術式とて変わりない。であれば――魔法言語の構築パターンを全て試していけば、いずれ答えに辿り着く」

 おかしい。

 本当に、こいつは、俺なのか?

 そんなことが、俺に可能なのか?

 呆然となりながら、俺は無意識のうちに呟いていた。

「魔法言語の構築パターンは……実質的に、無限に近いのだぞ……?」

「あぁ、そうだな」

「それを実行したとしても、どれが答えになるか、わからんではないか……」

「あぁ。だから、構築した術式を全て記憶した。そして、この世界へ来たと同時に、これと思うものを全て発動した。数はおよそ、六〇〇〇京あたりか」

 ………………無茶苦茶だ。

 もう、言葉が出なかった。

 全員、同じだった。

 メフィストさえ、口を開けて黙り込んでいた。

 ただ一人、ローグだけが泰然としたまま、

「時間だけは無駄にかかったよ。何せこちらの世界へ移動するための魔法と、自己鍛錬も必要だったからな。そこに加えて、腕輪の妨害術式の構築時間まで含めると……………………確か、六八四穣、五二六八秭()、七〇三九垓、四八九二京、九七五六兆、二五八二億、三五六九万、七七五二年、だったか」

 こいつは、本当の本当に、俺なのか?

 信じがたい言葉を、あっさりと言って。

 それから奴は、メフィストへ視線をやりながら。

「喜べ。今回こそは貴様に、絶望(そうていがい)を味わわせてやる」

 そのために。

 無間獄に等しき時間を、過ごしたのだと。

 常人がこのような気迫を受けたなら、それだけでも心臓を止めてしまうだろう。

 だが……

 むしろメフィストは、ときめく乙女のように、頬を紅く染めながら、

「素敵だ……! やっぱり君は最高だよ、ハニー……!」

 喜んでいた。

 慈しんでいた。

 楽しんでいた。

 絶大な殺意を浴びて、悪魔はそれゆえに笑う。

 そして予定変更とばかりに、全身から気力を立ち上らせ――

「こうなったなら話は別だ。ここで君と」

 全力で遊ぶ、とでも言うつもりだったのだろう。

 だが、その前に。

「貴様の願いなど、聞いてはやらん」

 冷然とした声がローグの口から放たれ、そして。

 次の瞬間、メフィストの全身に漆黒の杭が打ち込まれた。

 次いで、その鋭い先端が地面へと向かい、突き刺さることで、悪魔の体を固定する。

「――っ!」

 瞳を大きく見開いた悪魔へ、ローグは冷ややかな口調で、

「今回は、オリヴィアの奪還に集中させてもらう」

 メフィストを相手に己が意を通すというのは、不可能と言ってもよい。

 だが、ローグはそれをやって見せた。

「…………これは、想定外だなぁ」

 台詞に反して、悪魔の顔には喜悦が宿っていた。

「力が使えない。分身である僕と本体の僕を遠隔で結合させることも不可能。……ふふ、こんな無力感を味わったのは、生まれて初めてかもしれないなぁ」

 美貌に宿る明るさと、奴が置かれた危機的状況の深刻度は比例する。

 あの煌めく笑顔からして、メフィストの言葉は偽りないものだろう。

 であれば――

「後は、貴様の役目だ」

 ローグの目前にて剣を構えていたオリヴィアが、突風によって吹き飛ばされた。

 舞台を整えてくれたと、そういうことだろう。

 着地したオリヴィアは、俺と対峙する形となっていて。

 そんなこちらへと、ローグが言葉を放つ。

「見せてみろ、アード・メテオール。俺が夢想した未来を。成し得なかった結末を」

 言葉と視線から、奴の感情が伝わってくる。

 もはや自分はアード・メテオールではない。

 だから。

 かつて進むことが出来なかった場所へ行くのは、お前なのだと。

 失敗者から再生者へと変じた男の意思を受け止めながら、俺は――

「共に行こう。不可能を、乗り越えて」

 それはローグへの思いであると同時に、オリヴィアへの思いでもあった。

「フッッ!」

 鋭い呼気と共に踏み込む。

 対し、オリヴィアは白い貌を苦悶に歪めながらも、受けの構えを見せた。

 彼我の間合いはすぐさまセロとなり、我が黒剣と彼女のそれが、今一度ぶつかり合った。

 ……どうやら本当に、腕輪の効力がなくなっているようだな。

 力を吸われる感覚は全くない。こうして五分の力で鍔迫り合っていられることが、何よりの証明であろう。

 剣を挟む形で視線を交錯させながら、俺は姉貴分へと言葉を投げた。

「思い出せ、オリヴィア。俺達の関係を。俺達の絆を。かけがえのない、記憶を」

 握った柄に力を込め、彼女の得物を押していく。

 力勝負は出来ぬと判断したか、オリヴィアはあえて握りを弱め、脱力し……こちらの真横へと回り込んだ。

 技の勝負に持ち込むつもりなのだろう。

 望むところだ。

 むしろそれを待っていた。

 万の言葉を尽くすよりも、なお。

「剣による一合は、遙かに多くの意思を伝え合う」

 かつて姉貴分に教えられたことを、口にして。

 俺は刃を用いた対話へと、身を投じた――


◇◆◇


 オリヴィア・ヴェル・ヴァインは今、困惑の極みにあった。

 すべきことはわかっている。迷いを抱く理由もない。

 なのに。

「くっ……!」

 体が重かった。

 剣を執る腕が重かった。

 心が、重苦しかった。

「疾ィッ!」

 斬撃を繰り出す。

 ……その行いが、そもそもおかしいということに、オリヴィアは気付いていた。

 この戦い方は効果的ではない。

 平常の自分であったなら、剣だけが恃みだった。しかし現在、弟分の力によって、十傑の魔装具を用いることが出来るようになっている。

 ならば、そうすべきであろう。

 今は亡き家族(なかま)の力を用いて、愛すべき弟分を救う。

 そうしなければ、ならないのに。

 なぜ、出来ないのか。

 なぜ、拒んでいるのか。

 自分で自分が、わからない。

 そんな思いを抱いた瞬間。

「出来ないのではない。してはならぬと、心の奥底で理解しているからだ」

 対面にて、剣を握った敵が、こんなことを言った。

「家族も同然に愛した仲間達の力で、過ちを犯してはならない。お前の潜在意識が、そのように叫んでいる」

 踏み込んできた。

 大雑把な動作だ。捌くのは容易い。

 僅かな動作で回避し、そこから連動する形で剣を返してやれば、相手の首が飛ぶ。

 そのイメージがオリヴィアの頭にはあった。

 そうなるよう動きべきだった。

 それなのに。

「っ…………!」

 五体を躍動させようとする直前、チクリと胸が痛み、その感覚が剣を鈍らせた。

 結局、今回の一合でもまた、敵を斬ることが出来ず、

「チィッ……!」

 相手の剣を受け流し、後ろへ跳ぶ。

 まさに、逃げ腰であった。

 そんなオリヴィアを見つめながら、敵方は、

「幼い頃、お前は俺に、剣術を教えてくれたな」

 そう呟いてからすぐ、その姿が消失し、

「打ち込み稽古の際にこちらが後ろへ退いたなら、お前は俺を軟弱者と呼んで、尻を蹴飛ばしてきた。――こんなふうに」

 刹那、臀部に衝撃が走り、オリヴィアはバランスを崩した。

 やられる。

 と、そのように確信したが、しかし。

 敵はなぜだか、追撃をしなかった。

 絶好の好機を自ら逃し、ただオリヴィアを見つめ続けるのみだった。

 舐めているのか。

 平常のオリヴィアだったなら、そのように叫んでいただろう。

 だが、この相手には。この敵方には。

「っ…………!」

 一言も、返せなかった。

「ふむ。ちょうどいい機会だ。幼い頃の仕返しをしてやろう」

 小さく笑いながら、敵方が踏み込んでくる。

 オリヴィアは受けの姿勢を取ったが、前回と同様に、相手の姿が突如として消失し――

「真横への警戒が甘い」

 腰に衝撃。

 またもや蹴っ飛ばされたのだろう。

 そして姿勢を崩すが……やはり、追撃はしてこなかった。

 その後も、似たような展開が続く。

「振りかぶる動作が大きい。胴が隙だらけだ」

 鳩尾を強かに打たれ、

「上体にばかり気を向けるな。下がガラ空きだぞ」

 向こう臑を蹴られ、

「なんか気に入らん」

 顔面に拳を叩き込まれた。

「貴様ッ……!」

 ムカムカしてくる。

 怒りが、沸き上がってくる。

 だがその感情は、敵を討たんとするところには繋がらなかった。

 これは、まるで……

 小憎たらしい弟をブン殴るときの、幼稚な感情に、よく似ている。

 敵に対して、なぜ、こんな。

「腹が立ったか? しかしな、オリヴィア。当時のお前はもっと理不尽だったぞ。何かにつけて人の頭をバシバシバシバシと。いったい俺が何をしたというのだ」

 ジットリした目を向けてくる、対面の敵へ――

 そのとき、オリヴィアは。


「貴様の非常識を正そうとしただけだ、この大馬鹿者が」


 瞬間、ハッとなる。

 なんだ、今のは? 

 なぜ、言葉が出た?

 しかも、明らかに、敵に対する言い草ではなかった。

 弟を叱るときの、それだった。

「……非常識を正すにしても、もう少し、しとやかに出来なかったのか。そんなだからお前はいつまで経っても男が寄りつかんのだ。このままでは永遠に行き遅れてしまうぞ」

 カッとなった頃にはもう、足が動いていた。

「寄りつく男など、星の数ほど居たわッッ!」

 さっきみたく、なぜだか勝手に口が開いていて。

 繰り出された斬撃は、一切の迷いなき、美しいものだった。

「なぁ、オリヴィアよ。配下や傍仕えは男としてカウントしないのだぞ?」

「そんなもの、貴様の基準でしかないだろうがッ!」

 叫んでいた。

 ひょいひょいと身を躱す敵方へ、思い切り。

「十傑の面々を始め、私に求婚した男は数多存在したのだッ! 貴様を気遣って婚約しなかっただけでッッ! 私は断じて、行き遅れなどではないッッッ!」

「……あぁ、うん。わかった。俺が悪かった」

「なんだ、その哀れんだ眼差しはぁあああああああああああああッッ!」

 腹立たしかった。

 憎たらしかった。

 しかし……殺意や敵意など、微塵も感じなかった。

「そもそもッ! 貴様が色恋についてとやかく言える立場かッ! 貴様こそ一人も女が寄ってこなかったではないかッ!」

「…………は? 何人も居たが?」

 剣を、交わす度に。

「だったら名前を言ってみろッ! 名前をッ!」

「……フレイア、リステル、アテナ」

「一人目と二人目は女と呼べぬ代物だろうがッ! 三人目に至っては、貴様が人恋しさのあまり創り出した、妄想の産物――」

「違うわぁああああああああッ! アテナは現実に存在するわぁああああああああッ!」

 言葉を、交わす度に。

 変わっていく。

 自分という、存在が。

 流れ込んでくる。

 失っていた、記憶が。

 そして。

「この大馬鹿野郎がッ!」

「このわからず屋がッ!」

 互いに、頬を殴り合って。

 互いに、宙を舞って。

 敵方は仲間のもとへ。

 オリヴィアは――――

 弟分(メフィスト)のもとへと、着地した。

「ずいぶん苦戦してるね、お姉ちゃん」

 声が。

 彼の声が、頭に入った、その瞬間。

「うっ……!」

 痛い。

 頭が、割れるように、痛い。

「く、あ……!」

 薄れていく。

 消えていく。

 変化しつつあった自分が。

 流れ込んで来た記憶が。

 その果てに、オリヴィア・ヴェル・ヴァインは――――


◇◆◇


 俯いていた。

 疲れ果てたように、ぐったりと。

 そんなオリヴィアを前にして、悪魔がにんまりと笑う。

「……さすがといったところか」

 腕を組みながら、ローグが呆れたように嘆息する。

「この短時間で、拘束の一部を解除するとは」

 それで以て、奴はオリヴィアに影響を与えたのだろう。

 そしてメフィストは、いやらしい笑顔を浮かべたまま、

「さぁ、もう一踏ん張り頑張ってもらおうか」

 オリヴィアへの再改変は完了している。そんな言い草だった。

「チッ、面倒な奴だな……!」

「どうする、アード・メテオール。僕達も加勢しようか?」

 エルザードやアルヴァートにしても、まだ状況が終わっていないという認識なのだろう。

 だが――

 俺とローグだけは、まったく別の考えを抱いていた。

「じゃあ早速やっちゃってよ、お姉ちゃん」

 アルヴァートとエルザードが身構えた。

 反して、俺とローグは不動。ただ姉貴分の姿を見つめるのみだった。

 そんな我々の視線を浴びながら。

 オリヴィアは俯いたまま、口を開く。

「もう一度、わたしのことを、呼んでくれ」

 メフィストは特に疑問を抱かなかったのだろう。

「お姉ちゃ――――」

 促されるがままに、言葉を紡がんとする。

 だが、その最中。

 俯き続けていたオリヴィアが、勢いよく顔を上げて。


「――わたしの弟分は、わたしをそのようには呼ばん」


 一閃。

 背後を向くと同時に、彼女は魔剣を振るい、悪魔の首を薙いだ。

 それは場に立つ面々、全員にとっての想定外だったのだろう。

 エルザードも。アルヴァートも。

 そして今、首を両断されたメフィストも。

 ただ、俺だけは。俺達だけは。

「それでこそだ。姉上(、、)」

 微笑しながら、当然の帰結を、受け入れるのだった。

「……今日は本当に良い日だなぁ。想定外の事態が、こんなにもたくさん起きるなんて」

 地面に転がるメフィストの首から、明るい声が飛ぶ。

 敗れてなお、いや、敗れたからこそ、奴はそれが嬉しくて仕方がないのだろう。

 そんな宿敵に、俺とローグは並び立ちながら。

「我々は貴様との遊戯(ゲーム)に勝った。この結果はそう捉えてもよいのではないか?」

「改変された相手を魔法なしで元に戻す。そんな不可能を可能とするのが、絆の力である、と。俺達はそれを証明してみせた」

 そう。

 そもそもの発端は、そこだ。

「学園にて、貴様はこう言ったな? この世界には本物の生物など、どこにも存在しないと。強いて言うならば、自分と俺だけだと」

 他人は己が力で改変出来てしまう。その情報の全てを、書き換えることが出来る。

 そんな存在は、生物と呼ぶべきではない。

 周囲の誰かが無機質な物体のようにしか感じられぬがゆえに、自分は孤独であり……

 そしてそれは、俺にも当てはまると、奴は言った。

「友愛という言葉は、超越者である俺と貴様の間にしか成立しない。我々は互いを改変し合うことが出来ぬがために。思い通りに、ならぬがゆえに。友情と愛情を育むことが出来る。……メフィスト襲来時、俺はその言葉を否定することが出来なかった。

 俺達の絆は本物だと、証明したかった。

 けれども結果は惨敗。

 改変された者達を一人も元には戻せず、俺は、終末を受け入れてしまった。

 しかし、それから、エルザードに救助されて。

 アルヴァートを仲間に加え。

 今に至りて、俺は確信を抱いている。

「やはり、俺が仲間達と築いたものは、全てが本物だった」

 オリヴィアの姿がその証明であろう。

 文句の付けようがない状況を、叩き付けながら。

 俺は悪魔へと、断言する。

「我々の勝利だ。メフィスト=ユー=フェゴール」

 これを受けて、奴は。

「いやいや。たった一回だけだし。まだ偶然かもしれないじゃん?」

 すっとぼけたような調子で、こんな言葉を返してきた。

「ていうか僕、一回勝負とは言ってないんだけど。……言ってないよね? うん、言ってても記憶にございません。そういうわけで、最終決戦(ラスト・ゲーム)は続行させていただきま~す」

 ケラケラと子共のように笑うメフィスト。

 その言葉は完全に予想通りだったため、まったく気にはしなかったが――

 存在そのものは、依然として憎らしかったので。

 俺とローグは、互いに顔を見合わせると。

「そうか。ならば学園で待っていろ」

「そこへ向かう道すがら、どうせ貴様は色々と用意しているのだろうが」

「我々にはなんの問題にもならん。圧勝を続けたうえで、最後に貴様を叩き潰してやる」

 その予行演習として。

 俺とローグは足を振り上げ――

「ははっ、マゾヒストの僕にとっては、むしろ」

 言葉を最後まで聞くことなく。


 ――悪魔の首を、踏み潰すのだった。



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