第一一五話 元・《魔王》様と、究極の試練 前編
メフィストとの一戦に臨むには《破邪吸奪の腕輪》が必須となる。
これは勝利条件ではなく前提条件であり、避けては通れぬ道であった。
さりとて、この腕輪はただ用意すれば良いというものではない。
あまりにも強大な力を秘めているがために、俺は腕輪の起動に条件を設けた。
具体的には、封印機能の解除。
《破邪吸奪の腕輪》は普段、その力が封じられた状態にあり、これを解くには七つの宝玉を嵌め込む必要がある。
古代において決行されたメフィストとの最終決戦を終えた後、俺は封印解除の宝玉を世界各地へと分散する形で秘匿した。
隠し場所は主に超難度のダンジョン、だが……
一カ所のみ、他のそれとは毛色が異なっている。
かの腕輪が巨悪の手に渡ることをなんとしてでも防ぐために、俺は宝玉の一つを、自分以外の何者も到達出来ぬ場所へと封じた。
それは、別次元世界。
あるいは中間世界とも呼ぶべき空間である。
ここは異なる世界同士を繋ぐ、中間域にあたる空間であり、メフィストを始めとする《邪神》達も、ここを通過して我々の世界へとやって来たという。
この中間世界を知る者は極めて少なく、知り及んでいたとしても、出入り口を形成出来るような者はさらに少数。
そこに加えて。この場に足を踏み入れ、無事に生還出来るような者となれば、それはもう《魔王》・ヴァルヴァトスを置いて他には居まい。
とはいえ……それは宝玉の回収を確定させるような情報ではなく、むしろ俺の心に絶望を与えるようなものだった。
何せ今の俺はアード・メテオールであってヴァルヴァトスではないのだ。
村人に転生した俺では、異次元からの生還など限りなく不可能に近い。
されどその不可能を可能とせねば、メフィストを討つことはおろか、そもそもスタートラインに立つことさえ困難となる。
ゆえに俺は、エルザードとアルヴァート、二人の仲間と共に、無謀を承知で中間世界へと臨み――
今、帰還の最中にあった。
目的の宝玉は我が手にある。
あとは出入り口として生成した次元の亀裂へと戻り、飛び込むだけ、だが。
行くは地獄。帰りはさらなる地獄。
長きに渡る生涯の中でも、五指に入るほどの焦燥を抱きながら、俺は声を張り上げた。
「出入り口はもう目と鼻の先ですッ! お二人とも、死ぬ気で飛びなさいッッ!」
この異次元世界は白き無の空間となっており、天と地の概念はおろか重力や酸素といったものも存在せず、まるで宇宙空間のような環境となっている。
そのため酸素生成の魔法を常に発動し続けねばならず、移動には飛行魔法が必須。
まさしく極限の環境下、ではあるのだが。
生還の難度を上げているのは、そうした要素ではない。
高度な魔法技術を用いねば活動出来ぬという環境など、奴等の存在(、、、、、)に比べたなら、あってないようなものだった。
「あぁ、クソッ……! 屈辱にも、ほどがあるッ……!」
猛然と飛翔しながら、舌打ちを零すエルザード。
チラ、と背後を見やる彼女の瞳に映ったもの、それは――
純白の世界を埋め尽くさんとする漆黒の群れ。
名を、次元獣という。
異次元に棲まう彼等は謎多き存在であり、その生態は完全に不明。
というかそもそも、生物と呼べるかも怪しい。
一般男性とさほど変わらぬ体躯を持つ彼等の姿は実に形容しがたいもので、少なくともそこに美を感じるようなセンスの持ち主は、どこにも存在しないだろう。
昆虫と人間を混ぜ合わせたような、ひどく醜い怪物達。
彼等は高度な飛翔能力を有する反面、それ以外の全てが無力であり、性能面だけを見ればなんの脅威でもないのだが、
「この馬鹿げた物量……! いったい、どこから湧いてくるのやら……!」
苛立った様子で呟くアルヴァート。
奴の言葉通り、次元獣の強みは数の暴力だ。
さりとてそれが数十万、数百万程度であったなら、我々に通用することはない。
だが――
彼等の物量は、無限である。
一度発見されたなら、秒を刻む毎に、その数は倍加していき……
おそらく現在、彼等の総数は垓の域に達しているだろう。
しかしまだ、上限に達したわけではない。
我々が逃避する最中も、彼等は今まさに、数を増やしつつある。
「こんな糞虫ごときにッ……!」
エルザードの口から悔しさが滲み出るのは、これで何度目だろうか。プライドの塊である彼女には耐えがたいだろう。指一本で殺せるような相手から逃げ回るという状況は。
けれども彼等に立ち向かったなら、狂龍王だろうが元・《魔王》だろうが関係なく、待ち受ける結末はただ一つ。
永劫の停滞である。
次元獣の増加速度は、我々の殲滅力を遙かに超えており、どのように足掻いても殺し尽くすことは不可能。
対して、相手方もまた、攻撃能力の低さが原因で、我々を殺すには至らない。
――しかしながら。
問題なのはやはり、その物量である。
もし、あの馬鹿げた数の群れに呑まれてしまったなら、どうなるか。
例えるなら、そう。
決して破壊できぬ壁の中に、閉じ込められたような状態、といったところか。
群れの密度たるや凄まじく、あんなものに取り込まれてしまったなら、指一本動かすのも難しくなるだろう。
そこから脱するために魔法で周囲を攻撃しても、彼等の減少速度が増加速度を上回ることは決してない。
ゆえに次元獣とは、最弱にして最強の存在である。
その群れに呑まれたなら最後、指一本動かせぬまま、自死を選択するまで、その場に停滞し続けることになるのだ。
たとえこの俺が全力を出したとしても、その結末を変えることは出来ない。
次元獣に見つかったなら、もはや逃げる以外に手立てはないのだ。
そして今。
我々は、希望の光を目にした。
次元の裂け目。あそこへ飛び込めば、元の世界へと戻ることが出来る。
が――
「どうするんだアード・メテオール。このままだと僕達は」
「えぇ、由々しき事態、ですね……およそ二秒、我々には足りていない……」
次元獣の飛翔能力は、俺達と同等か、僅かに上。
そのため、ほんの僅かずつではあるが、彼我の間合いはゼロへと近づきつつある。
おそらくは亀裂に入る直前、我々は次元獣の群れに呑まれてしまうだろう。
「二秒……たった二秒、彼等の動作を、止めることが出来たなら……」
脂汗を流しながら、必死に思考を巡らせる。
そんな中。
エルザードが小さな声で、一言。
「最後の手段に出るしかない、か」
ポツリと吐き出されたそれを耳にした瞬間、俺は彼女の思惑を察するに至り、
「やめ――」
制止の言葉を出すよりも前に、エルザードは動いていた。
相手方の動作を止める手段はただ一つ。死に物狂いの全力攻勢で以て、群れ全体を覆い尽くすこと。これだけである。
けれどもその選択は、犠牲を強いるもの。
エルザードはそれを選んだのだ。
……さりとて。
あの狂龍王が、自己犠牲などという殊勝な行動を、選択するはずもなかった。
彼女が犠牲にしたのは、自らの隣を飛ぶ男。
アルヴァート・エグゼクスが、そのとき、エルザードの尾によって腹を打たれ、身動きを止めた。
「くッ……!」
目を見開くアルヴァート。こんな姿など、今まで一度も見たことがなかった。
しかし、それも無理からぬこと。
究極の不死性を有するがために、もし次元獣の群れに呑まれたなら、そのときは……
未来永劫、身動き一つ取れぬ状態で、生き続けねばならなくなる。
想像しただけでも背筋が凍るような結末。
歴戦の猛者たるアルヴァートでさえ、それは畏怖をもたらすものだったらしい。
「く、そ、がぁあああああああああああああああああッッッ!」
感情の爆裂に応じて、二つの現象が立て続けに発生する。
まず第一に、黒炎の使役。
白き異次元世界の只中に、その瞬間、漆黒の炎が出現する。
それはまるで大津波のように次元獣の群れへと向かうが……覆い尽くすには至らない。
アルヴァートとて、そのことには気付いていよう。
それゆえに。
「カルミアァアアアアアアアアアアアアアッ!」
絶叫。
そして、召喚。
アルヴァートの手元へ現れたそれは、人格を有する一振りの剣。
三大聖剣が一にして、およそ剣と名が付く概念の頂点に立つ存在。
人としての名はカルミア。
武装としての名は――――聖剣・ディルガ=ゼルヴァディス。
「魔力切れになってもいいッ! 全力で撃つぞッッ!」
『……了解した』
剣に宿りし人格、カルミアの応答を受けてから、すぐ。
「ヴァスク・ヘルゲキア・フォル・ナガン(矮小なる者共よ、我に頭を垂れよ、さもなくば)――」
超古代言語による詠唱を経て。
アルヴァートが、大技を放つ。
「ガルバ・クェイサ(無へと還るがいい)ァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!」
聖剣の刀身が繰り出したそれは、破壊力を伴う、虹色の煌めきであった。
それは次元獣の群れに迫っていた黒炎と溶け合い、より強大な超・広範囲攻撃へと進化。
垓の域に達した敵方の集団をも呑み尽くし、全てを消し去らんとする。
……さすが、元・四天王最強の男といったところか。
己が全身全霊を以て見事、二秒間を稼いで見せた。
「お役目、ご苦労さまでした、っと」
亀裂を目前にして、エルザードは背後を向くことなく、飛行速度を維持したまま突入。
反面、俺は僅かに速度を落とし――
「アルヴァート様ッ!」
引き寄せる。
奴の腰元に括り付けてあった魔法の縄を、急速に。
数秒前、エルザードが尾を伸ばそうとした瞬間、俺はその行動を予期した。即ち、アルヴァートを犠牲にするつもりだ、と。ゆえにエルザードが動くと同時に救助の手段を作っておいたのだ。
果たして、魔力を失ったアルヴァートは動作不能な状態であったが……その体に括り付けた縄を引き、こちらへと手繰り寄せることで、次元獣の脅威から離脱。
我々は無事、一人も欠けることなく、元の世界へと帰還した。
「くっ……!」
次元の裂け目へ飛び込んだ直後、肉体が重力に引っ張られ、地面へと落下。
三人、一様に土まみれとなった。
「……礼を言っておくよ、アード・メテオール」
「お気になさらず。私は当然のことをしただけですから」
言葉を交わす中、次元の裂け目はゆっくりと閉じていった。
その様子を見つめていると、不意に、アルヴァートの手中にあった聖剣・ディルガ=ゼルヴァディスが発光し……人の姿へと変化した。
漆黒のゴシックロリータを身に纏う、美しい少女。
カルミアの姿となった彼女は、白い美貌に怒りを滲ませながら、エルザードへと接近。
我々と同様に、立ち上がることもままならぬほど疲弊した彼女を見下ろしながら、
「……あなたのせいで、アルは死よりも残酷な結末を迎えるところだった」
カルミアの怒気に、エルザードは鼻を鳴らしながら一言。
「一人の犠牲で二人が生き残れたなら、万々歳だろ」
悪びれた様子など一切ない。
そんな彼女にカルミアは殺気を放つが、
「やめろ」
アルヴァートの制止を受けて、思いとどまったらしい。
振り向いた彼女へ、奴は淡々とした口調で言葉を投げた。
「その白トカゲには、まだ利用価値がある。使い終わるまで殺すな」
裏を返せば、使い終えたなら殺すということになるのだが。
まぁ、そのときは全てが解決しているだろうから、俺とイリーナが取りなせばよかろう。
「ご主人様の言葉が聞こえただろ? さっさと消えたらどうかなぁ?」
「……覚悟しておくといい。メフィストの次は、あなただから」
冷然とした殺意を残して、カルミアは姿を消した。
それから俺達は荒れた息を整え……体力、魔力、共にある程度の回復を自覚した頃。
「実に危うい挑戦ではありましたが、しかし我々は、それを乗り切った」
「……宝玉はこれで七つ目。つまり」
「破邪なんとかの封印を解除出来る。そうだろ? アード・メテオール」
エルザードの言葉に、俺は首肯を返した。
「これより腕輪の回収に参ります」
「場所は確か、サフィリア合衆国の首都、だったか」
「えぇ。此度もまた、かなりの遠出になりますので……エルザードさん」
こちらの視線を受けて、彼女は忌々しそうな顔となりながら、舌打ちを返してきた。
けれども否定の言葉を口にすることはなく――
今一度、大空の只中を進む。
竜の背中に、乗りながら。
「なんでボクがこんな使い走りみたいなことしなきゃいけないんだ……! そもそも飛行の魔法が使えるんだから自分達で飛べばいいだろ……!」
巨大な白竜の姿となったエルザードが、ぶつぶつと文句を言う。
かれこれ一時間ほど、ずっとこんな調子の彼女へ、アルヴァートが嘆息しつつ、
「飛行の魔法はそれなりに神経を使う。そうした状態でメフィストの強化を受けた難敵に襲われたら対応が難しい。だから君の背中に乗ることがもっとも合理的である、と……これまで再三、説明したよね? まだ頭に入ってないのかな? それとも、トカゲの小さな脳みそじゃあ理解しきれないのか」
エルザードは一言も返すことなく、我々を乗せた巨体を揺らしまくった。
が、魔法でしっかりと全身を固定させているため、俺もアルヴァートも振り落とされることはない。
「ノミみたいに張り付きやがって、糞虫共が……」
「あの、エルザードさん? 私まで含まれてるの、おかしくありません?」
「うっさい。ある意味じゃ君の方がよっぽど腹立たしいんだよ、このド畜生が」
なんという理不尽だろう。
事が済んだなら、全部イリーナに報告してやるからな。
……と、内心にて報復を誓う中、隣に立つアルヴァートから声が飛んできた。
「戯れるのはここまでにして、少しばかり真面目な話をしようか」
そのように前置いてから、奴は本題を切り出してきた。
「腕輪を手に入れたとして。その後はどうする?」
この話題にはエルザードも興味があったらしい。
「本音を言えば、あのメフィストとかいう奴をブチ殺しに行きたいところではあるけれど。……あいつは危険だ。破邪なんとかの腕輪があっても、それだけじゃ無理だろ」
誇り高き白竜でさえ、そのプライドを捨てざるを得ない。
メフィスト=ユー=フェゴールが持つ凄味とは、それほどのものだった。
「……そうですね。私もお二人と同様、腕輪を手に入れただけでは不十分と考えています」
「なら、どうするんだ?」
アルヴァートの視線には僅かな期待感が込められていた。
それは即ち、奴の中に具体的な策が一つもないということを意味している。
責めはすまい。
俺とて、有効的な方針などまったく思い浮かんではいないのだから。
しかし……
「ただ一つだけ、提案出来る策がございます」
きっとこれから口にする内容を聞いたなら、二人は難色を示すだろう。
下手をすると、共同戦線はここで破綻するやもしれぬ。
その覚悟を決めながら、俺は――――口を開いた、そのとき。
「ッ! エルザードさんッ!」
襲来の気配。
それを感知したのは、俺だけではなかった。
「言われなくても、わかってるよ」
腹に響くような重低音を放ってからすぐ、エルザードは防壁の魔法を展開。
その巨大な体躯を球体状の膜で覆い尽くした。
そして、次の瞬間。
――膨大な槍雨が、到来する。
数えるのが馬鹿らしくなるほどの物量。
大気を引き裂いて飛び来たる槍の群体。
その発生元は、遙か前方にある巨大都市であった。
「……合衆国に入ってからというもの、ここまで一方通行だったけれど」
「えぇ。さすがに、仕掛けてきましたね」
槍の発射地点である巨大都市は、サフィリア合衆国の首都・ヴェルクラットであった。
おそらくは住民全員がメフィストによって改変され、古代世界の戦士と同等レベルの膂力を得ているのだろう。
「この槍雨による対空迎撃……なんとも懐かしいものですね」
「あぁ。まるであの時代に帰ってきたみたいだ」
猛然と襲い来る刃の群れは、しかし、我々の心を動かすものではなかった。
「……ボクのことを舐めてるのかなぁ? こんなもの、通じるわけねぇだろうが」
エルザードの苛立ちは理解出来る。
無数の槍による迎撃は、見かけこそ大迫力のそれであるが、効果は皆無と言ってよい。
その全てが展開された防壁によって弾かれ、砕け散っては、地上へと落ちていく。
敵方も自分達の攻勢が無為であることは理解していよう。であれば、そうした行いを続行することで、何を成そうとしているのか。
「トカゲ如きとは言っても、一応そこそこ強いからね。舐めてるとは思えないな」
「……むしろお前が一番舐めてるよね? ブチ殺すぞ女男」
「はぁ。いずれにせよ、防御を固めておいて損はないかと」
相手方の狙いを推測しつつ、俺とアルヴァートはエルザードが展開した防壁を補強する形で、何十層ものそれを重ねていく。
元・《魔王》、元・四天王、そして狂龍王。
およそ現代において最上の三人による防御態勢。
たとえメフィストによる改変を受けていたとしても、これを貫通することは――
「――いや、待てよ」
刹那、我が脳裏に、ある魔装具の存在が浮上した。
どうやらアルヴァートもまったく同じ考えを抱いたらしい。
「ヴェルクラットには確か、アレが保管されていたな」
「えぇ、しかしアレは――」
ある人物の専用装備であって、誰もが扱えるものではないと話す、直前。
……どうやら俺達は、メフィストの改変力を甘く見ていたらしい。
ありえないと考え合う我々を否定するように、その瞬間。
首都・ヴェルクラットより、真紅の流線が推進する。
それが一本の紅き槍であることを認識すると同時に。
「避けなさいッ!」
俺は無意識のうちに叫んでいた。
されど、こちらの危機感をエルザードは共有していなかったのか……反応が、鈍い。
回避の意思はあれども、その動作には防壁に対する過度な信頼が見て取れた。
「阿呆トカゲが……」
溜息交じりの言葉がアルヴァートの口から吐き出され、そして。
最硬無比であったはずの防壁が、紅き槍の獰猛なる突撃によって、粉砕。
「ッッ!?」
吃驚を漏らすエルザード。
彼女はここでようやっと回避行動に全力を尽くし始めたが、時既に遅し。
真紅の槍が三対ある翼の一つを貫き――
「ッ! なん、だ、これ……!?」
落下。
大地のみならず、天空をも支配する竜族からしてみれば、それは初の経験であろう。
飛行能力を奪われ、撃墜されるなど、夢にも思わなかったのだろう。
地面へと落ち行く最中、俺とアルヴァートは目を合わせて、
「やはり、こうなりましたか」
「あぁ。どうやら想定以上に面倒なことになりそうだ」
互いに嘆息を漏らしながら、我々は大地に衝突するその瞬間を待つのだった――
◇◆◇
絶禍十傑。
かつてオリヴィア・ヴェル・ヴァインが傍仕えとしていた、一〇人の勇士達である。
そのうちの一人に《神槍》の異名を持つ男が居た。
イグニス・ウォーゲリア。
古代世界でも有数の槍使いであり、愛用した紅き魔槍・ゾル=トヴァルキは、彼の代名詞として知られている。
……エルザードの片翼を貫き、飛翔能力を喪失させたのは、まさにイグニスが用いていた魔槍・ゾル=トヴァルキによるものであった。
とはいえ。
我々が目的地とするヴェルクラットに、彼が待ち受けているのかといえば……少しばかり疑問がある。
なぜならば、絶禍十傑はイグニスを含め、全員が死亡しているからだ。
古代にて展開していた人類と《外なる者達》による大戦は、名も無き雑兵だけでなく、名だたる英雄達でさえ続々と命を失うほど激烈なものだった。
絶禍十傑と謳われし彼等もまた、例外ではなく。
その霊体は既に失われて久しい。
ゆえにどう足掻いても復活は不可能と、そのように考えていたのだが……
相手はあのメフィストだ。
ともすれば、復活不能であるはずの存在をこの世界に呼び戻すといった奇蹟を、平然と行使していてもおかしくはない。
あるいは。
ヴェルクラットに保管されていた十傑の魔装具を、誰でも扱えるよう改変したか。
サフィリア合衆国の首都として知られているかの大都市は、古代においてオリヴィアが治めし領土の首都でもると同時に……
命よりも大切な配下達と長き年月を過ごした、思い出の場所でもある。
あいつにとって十傑の面々は、家族に等しいほどの存在だった。
ゆえに彼等の死後も、その存在を身近に感じていたかったのだろう。
十傑が愛用していた魔装具をオリヴィアは誰の手にも渡すことなく、自らの手元に置いて保管していた。
つまり、ヴェルクラットには十傑が用いていた強大な専用装備が、全て揃っているということになる。
メフィストが彼等を復活させたのか。もしくは十傑の魔装具を誰もが使用出来るようにしたのか。いずれにせよ――――
「我々には、進むという選択しか用意されてはいない」
二人の仲間と肩を並べながら、俺はヴェルクラットの出入り口を睨んだ。
サフィリア合衆国は獣人族を主とした多種族国家であり、オリヴィアを崇拝対象とする黒狼教が国教となっている。
そのため彼女が建造し、後世に残した大都市・ヴェルクラットを首都、あるいは聖都として扱っており、その内観も、外観も、一切手を加えていないという。
だからか現代では珍しく、ヴェルクラットは城塞都市の様相を見せていた。
高い壁と巨大な門。
あの内側に広がっているのは、まさしく死地そのものであろう。
だが、そうであったとしても。
「さぁ、参りましょうか」
「借りは必ず返す……!」
「無駄に汗なんか流したくないけれど、そういうわけにもいかないか」
畏れを抱くような者など、ここには一人も居はしない。
我々は足並みを揃えて、目的地へと向かい――門を抜けて、侵入する。
「どうやら、隠匿の魔法は通じるようですね」
「コソコソ隠れて動くなんて、気分が悪い……真正面から皆殺しにすればいいだろ……」
「君の脳みそはシルフィーと同レベルか。荒事なんていうのは必要最低限にすべきだ」
かつて戦闘狂の変態として名が通っていたとは思えぬほど、アルヴァートの意見はまっとうであった。
「目的地までのルート、ですが。最短経路を選択しても問題ないかと」
「……僕も同意見だ。隠匿の魔法が通じるということは、少なくとも出入り口や街中での戦闘を相手も望んでないということだろうからな」
「寄り道してないでさっさと来いと、手招きしてるってわけか。……余裕ぶったことを後悔させてやる」
竜族にとって翼の恨みは何よりも強いと言う。エルザードの目は先程から据わりっぱなしだった。
ともあれ。
ヴェルクラットの大通りを、我々は堂々と歩み続けた。
「……出来ることなら平時に足を運びたかったと、そう思わせるような街並みですね」
「ここは確か、大陸内でも有数の観光名所として知られているらしいな。……冬の修学旅行は、ここにしてもいいんじゃないか?」
「貴方の方からも掛け合ってくださいよ、アルヴァート様。何せ貴方は今や、我が校の教員なのですから」
たとえ死地の只中であろうとも、心乱れることはない。俺もアルヴァートも、そこらへんは古代の戦士といったところか。
そんな我々の会話に対して、エルザードは混ざることなく、
「……チッ、緩い奴等だな。敵陣の中で駄弁ってんじゃねぇよ」
小言を漏らすその顔は、緊張感を漲らせた戦士のそれ……などではない。
たとえるなら、蚊帳の外にされて拗ねた子供といったところか。
「ご安心ください、エルザードさん。貴女を除け者にするつもりはありませんよ」
「……はぁ?」
「此度の一件が無事片付きましたら、貴女を特別編入生として、学園長に推薦させていただきます。そうすれば貴女も学園の生徒として、修学旅行を共に楽しむことが出来るかと」
「………………別に、ボクはお前等と一緒に旅行したいとか、思ってないし」
「ほほう。では、イリーナさんとの集団行動に興味はないと」
「…………………………ないに決まってるだろ、ばぁ~か」
本心がバレバレな反応であった。
そっぽを向いた彼女の顔が今、耳まで真っ赤に染まっている。
そんなエルザードの姿を横目で見やりながら、アルヴァートが一言。
「……たいした奴だよ、イリーナ・オールハイドは」
「えぇ、本当に」
俺は深く頷いた。
もしイリーナが居なかったら、この二人はこうして俺の隣を歩んではいないだろう。
誰もが彼女に救われたのだ。
それはこのアード・メテオールにしても同じこと。
我々はイリーナという少女の存在によって繋がっている。彼女を中心とした世界を取り戻すために、命を賭けて奔走しているのだ。
その熱量の高さは、およそ良きように働くだろうが……しかし、ともすれば。
それこそが不和の元になるやもしれぬ。
広場へと到着した瞬間、俺はそんな不安を抱いた。
目的地が視界に入ったから、だろうか。
「件の腕輪はあの城の中にあると、君はそう言ったな」
アルヴァートの呟きに首肯を返す。
我々の目的地は、ヴェルクラットの中心部に位置する城の内部だ。
ここは元来、オリヴィアの居城として知られていたが、今は大統領の官邸と役所を兼ねた施設として利用されているらしい。
「古代にて、メフィストとの最終決戦を終えた後。私はかの腕輪をもっとも信頼出来る相手へ預け、その秘匿を厳命しました。……当時、私が誰よりも信を置いていたのは」
「オリヴィアということになるだろうね。消去法で考えると」
そう、リディア亡き後、俺が最上の信頼を寄せたのは姉貴分であった。
というか、アルヴァートが述べた通り、消去法で彼女以外に信を置ける者が居なかったのだ。当時の我が軍は曲者揃いで、オリヴィア以外の相手に預けていたなら、確実に酷い結末をもたらしていただろう。
「城の内部は罠だらけでしょうね」
「うん。奴の性格からしてそこは間違いない」
「……トラップの類いなんか、ボク達には通じないだろ。問題があるとしたら、確実に用意されているであろう番人の存在だな」
まさかまさか、罠を潜り抜けたら終わりとなるはずもない。
腕輪を守る最後の砦が、我々の前に立ち塞がるだろう。
「……おそらくは、改変の影響を受けたゼロス大統領、でしょうね」
どこかオリヴィアと似た雰囲気と容姿を持つ、あの男。
以前、宗教国家・メガトリウムで行われた五大国会議にて、俺はゼロスとの面識を得た。
彼はオリヴィアの崇拝者であり、剣術を何よりも得意としているとか。
もっとも、それは改変前のゼロスであって、現在の彼は全く違う性質を得ているだろう。
例えば、そう。
広場の外周にて、開けた空間を取り囲むようにして建てられた、絶禍十傑の彫像。
彼等しか扱えぬはずの魔装具を、全て扱えるようになっている、とか。
即ち、エルザードを撃墜したのは彼ではないかと俺は考えている。
「なんらかの対策を、しておきたいところですが」
頭を働かせる、その最中。
広場の中央にある彫像が視界に入った。
俺とオリヴィア。義姉弟が並んで立つ姿を、彫ったもの。
その像を目にした瞬間、なぜだか不可思議な感慨が胸の内に芽生えた。
……それはきっと、予兆だったのだろう。
「ッ! 横へ跳べッ!」
アルヴァートの唐突な叫び声。
俺は意図せず、脊髄反射も同然に動いていた。
気付けば三人、別々の方向へと飛び退いて――
刹那、今し方まで我々が立っていた場所に、一振りの剣が突き立った。
それは石畳を深々と貫き、そして。
爆裂。
小規模ではあるが、凝縮された威力を秘めたそれは、直撃したなら我々でさえ危うい。
……その一撃をもたらした灼熱色の直剣には見覚えがあった。
「魔剣・グル=ヴェタニア……!」
絶禍十傑が一人、《爆焔》のカイエル。
彼の腰元に提げられていたそれが、目前に在るということは、即ち。
想定外のタイミングで、番人が襲ってきたということだ。
闖入者の気配を察知した我々は、三者一様にそちらへと目を向け――
「――――そう、来たか」
一瞬、頭の中が真っ白になった。
襲来せし番人は、二人。
片方は……メフィスト=ユー=フェゴール。
けれども、本体ではなく分身であろう。
全身から醸し出されるオーラが、どこか弱々しい。
あえて弱体化させた分身を寄越した理由は、一つ。
今回の主役はあいつ(、、、)だと、そのように定義しているからだ。
「なるほど、悪辣だな」
アルヴァートが眉根を寄せながら、感想を語る。
「……剣だけが取り柄の雑魚女(、、、、、、、、、、、)、ではなくなってるねぇ、確実に」
エルザードが瞳を鋭く細めながら、もう一人の闖入者を睨む。
果たして、我々の視線の先に立つ者は、
「オリヴィア……!」
巨大な情念がアード・メテオールの仮面に亀裂を入れ、ヴァルヴァトスとしての俺を表へと引きずり出してきた。
「友達にドッキリを仕掛けて、大成功を収めた。今、そんな気分だよ、ハニー」
にんまりと、悪戯に成功した子共のような表情を見せながら。
悪魔が、滔々と言葉を紡ぎ出した。
「こういう展開になることは十分に予期出来たはずだ。君だって馬鹿じゃないんだから。それでも、そういう顔をしているのは……想定外というわけではなく、むしろそれが当たってしまったことに対する焦燥が原因、といったところかな?」
……図星だった。
奴の言う通り、現状は想定外の事態ではない。
そもそもアルヴァートとエルザード以外、全ての仲間がメフィストの手中にあるのだ。
ゆえにそのうちの誰かが、いつ、いかなるタイミングで襲って来たとしても、それは特におかしな話ではない。
だが。
違和はなくとも、緊張はある。
何せ俺は、奴が学園に襲来してから、今に至るまで――
「誰一人として、救ってはいない。誰一人として、取り戻してはいない。ハニー、君が持ってる二枚の手駒は、運良く湧いたものでしかないんだよ」
反論の余地など、どこにもなかった。
エルザードはメフィストの脳内から外れていたがために。
アルヴァートはメフィストの分裂体という、特殊な存在であるがために。
両者はそれぞれ、偶然にも改変の影響を受けていなかっただけで……
俺が取り戻せた相手は、一人も居ない。
「今の君は負け犬だ。みっともない逃亡者のままだ。ここらへんでそろそろ、僕に格好いいところを見せておくれよ、ハニー」
奪い返してみろ、と。
学園での一幕において、成し得なかったことを成してみろ、と。
そんな期待感に目を輝かせながら。
メフィストは、隣に立つオリヴィアへと声をかけた。
「おね~ちゃ~ん! たすけてぇ~! あいつらがいじめてくるんだよぉ~!」
くねくね体を捩りながら、猫なで声を出す。
平常のオリヴィアであれば、即座に斬りかかるような状況。
だが、今の彼女は改変の影響下にある。
それゆえに。
「……弟の敵は、排除する」
あのメフィストを、愛する弟分であると、そのように信じ込まされているのだろう。
寂しさと悲しさと腹立たしさが、心を満たす。
「オリヴィア……!」
万感の思いを込めた言葉は、しかし、今の彼女には届かなかった。
「……仕留める」
か細い声が耳に入った、そのとき。
気付けば、あいつの姿が目前に在った。
その手に一振りの魔剣……かつて、俺が贈ったそれを握り締めて、
「疾ィッ!」
迷いなく、殺意に満ちた斬撃を放ってくる。
メフィストによる強化が入っているのだろう。振るわれし剣の冴えは、平常時のそれを遙かに凌駕するもので。
――しかし。
「ッッ!」
回避が、出来た。
目で捉えることが不可能な動作であるにもかかわず、俺は後方へと飛び退き、刃から逃れていた。
そのことに違和感を覚えたが……深い思考へと潜る前に。
「《ライトニング・ブラスト》ッ!」
エルザードの手元から、攻撃魔法が放たれた。
空転の直後を狙った一撃は、速度・威力・タイミング、いずれも完璧。
地味ながらも、オリヴィアに確かなダメージを与えるものと、そう思われたが――
「来い、ゼタ=オルキス」
召喚。
オリヴィアのすぐ間近に、浮遊する純白の盾が現れた。
それはまるで主を守るかのように、迫り来る雷撃の射線へと移動し――吸収。
「あれは、ソルザインの盾……!」
絶禍十傑が一人、《断罪》のソルザイン。
今のオリヴィアは、彼の魔装具をも操作出来るのか。
となれば――実に、危うい。
「お二人ともッ! 防御態勢をッ!」
「言われなくても、わかってる!」
盾の恐ろしさを知るアルヴァートは、指示する前の時点で、防壁を展開していた。
初見のエルザードもまた、野生の勘が働いたのか。既に防壁で自身を守っている。
俺だけが、指示を出した分、ほんの僅かにタイミングがズレていた。
「チィッ……!」
《メガ・ウォール》を発動し、己が身を半球状の膜で覆った、その直後。
オリヴィアの傍で浮かんでいた盾から、四方八方へと、雷撃が伸びた。
ゼタ=オルキス。この魔装具に秘められし力は、吸収と放出。
威力を有する全ての概念を吸い込み、そして……何倍にも高めたうえで、解き放つ。
果たして、吸い込まれたエルザードの雷撃は周囲に甚大な被害をもたらした。
広場に立っていた民間人は、ほとんどが全滅。我々を守っていた防壁もまた、ゼタ=オルキスの倍返しを直撃したことで破砕寸前となっている。
「皆さん、追撃に――」
備えよと、そう叫ぼうとする前に。
俺は、オリヴィアの様子に違和感を覚えた。
ある方を向いて、微動だにしない。
それはあまりにも、らしからぬ行動だった。
この局面は彼女からすると、一気呵成に攻撃を仕掛け、闘争の流れを掴む好機のはず。
なのになぜ、停止する?
「……まさか」
彼女が見つめ続けている物。それを目にしたことで、我が心に一縷の望みが生じた。
とはいえ現状、こちらの意を通すのは困難。まずは態勢を整えねばならぬ。
「退きますよッッ!」
さすがと言うべきか。アルヴァートもエルザードも、引き際を弁えている。
俺が指示した瞬間、両者は一斉に閃光の魔法を発動。この目眩ましがいかほどの効果をもたらすか、それは判然とせぬが……依然として、オリヴィアに動作の気配はない。
「行くぞ」
「癪だねぇ、まったく……!」
急速に離脱する二人を追う形で、俺もまた広場から離れていく。
背後にて立ち竦む姉貴分へ、自らの意思を、言い置きながら。
「取り戻す……! なんとしてでも……!」