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第一一四話 元・《魔王》様と、黒き死神


 かつて《魔王》と呼ばれていた頃。

 俺が率いた軍勢には、四天王という名の特別階級があった。

 通常、軍の最高位は元帥であるが、四天王の権限はそこよりもさらに上。

 その名が示す通り、彼等は我が配下であると同時に、広大な支配領域の王でもあった。

 かの役職は領土拡大や国家運営の効率化を目的として設けられたもので、その座に就いた者には強力な独断専行の権限と、大国に匹敵するほどの領地が付与される。

 ゆえにその責任は重大であり、武力は当然のこと、知性、人望、大義への忠誠など、要求される条件は数多く、適任と見なすための水準もまた尋常ではない。

 そんな四天王の座に就いた者は、歴代で一四名。

 中でも取り分け、最後の四人は史上最高の能力を有していた。

 オリヴィア・ヴェル・ヴァイン。

 ライザー・ベルフェニックス。

 ヴェーダ・アル・ハザード。

 そして――アルヴァート・エグゼクス。

 武力、人望、知性、軍才。彼等はあらゆる要素を完璧に満たし、ある分野においてはこの俺に並ぶほどの能力を有してもいた。

 しかし、その一方で……

 最後の四人となった彼等は、オリヴィア以外、全員が曲者だった。

 ライザーは身元が判然とせず、独自の野心を抱えていて。

 ヴェーダは己が享楽を何よりも重視し、こちらの命令をまるで聞かず。

 アルヴァートに至っては常々、俺の命を狙い続けていた。

 最後の四天王は歴代最高であると同時に、もっとも扱い辛い連中でもあったのだ。

 オリヴィアだけは互いに気心を知り、実に長い付き合いということもあって、その関係性は極めて良好であったが……他の三人とは、およそ未来永劫、わかり合うことはないと、そんなふうに決めつけていた。

 けれども。

 転生後、紆余曲折を経た今、俺は過去の自分を愚かしく思っている。

 わかり合えぬ者など、この世には存在しない。アード・メテオールとしての人生を送る中で、俺はそうした考えを抱くようになった。

 友にはなれぬと断じた者が友となり、理解不能と断じた者の心を理解し――

 そして、殺し合うことしか出来ぬと諦観した相手と、手を取り合った。

 アルヴァートもまた、そのうちの一人だ。

 ライザーとの共謀による大事件を経て、奴は学園の一員となった。

 それは即ち、我が生涯における、かけがえのない構成物の一つになったのだと、そのように断言することも出来る。

 当人の意思は定かでないが……

 しかし、少なくとも俺は、アルヴァートと歩む未来に対して希望を抱いていた。

 そうだからこそ。


「アード・メテオール。お前には、死んでもらう」


 今。

 眼前に立つこの男の姿が、ひどく痛ましく思えた。

 石室の只中に突如として出現した、アルヴァート・エグゼクス。

 その目は虚ろで、身に纏う空気も平常ではない。

 ……胃痛を覚えざるを得なかった。

 無意識のうちに、俺は問題から目を逸らしていたのだろう。

 メフィストの手によって改変されてしまった仲間達を、魔法ではなく、言葉と心の力で以て元に戻す。そんな不可能を可能とせねば、此度の一件は解決しない。

 そして今、大一番がやってきたのだと。

 現実はそのように伝えてくるが、しかし。

 やはり(、、、)何か、引っかかり(、、、、、)を――

「敵を前にして考え事とは、随分と余裕だね」

 凍り付くような冷気。

 気付けば体がバネのように動いていた。

 見えない力に弾き飛ばされたかの如く、真横へ跳ぶ。

 エルザードもまた、こちらと同じタイミング、同じ動作で、真逆の方向へと跳躍。

 二手に分かれる形で宙を舞う我々の間隙に、次の瞬間、再び黒炎が生じ――

 左右へブワリと伸び進んできた。

 まるで獲物を捕らえんとする触腕にも似た動作。それは鞭のように不規則な軌道で、蛇のように執念深く、こちらを追走してくる。

「チィッ!」

 苛立ちがエルザードの口から漏れた。

 彼女とアルヴァートには共謀の過去がある。おそらくは互いの力を把握していよう。

 今、我々を襲う黒き炎は、触れた概念を問答無用で灼き尽くす。

 よって防御に意味はない。

 それならば――

 と、エルザードは俺よりも遙か先に、結論を見出したらしい。

「ボクが求める世界の中に、お前は必要ない……!」

 殺意と共に、攻撃魔法を発動。

 華奢な肉体の目前に黄金色の魔法陣が発現し、間髪入れず、極太の光線が放たれた。

 桁外れのエネルギーが凝縮されたそれは、高度な防御魔法を以てしても受けきれるようなものではない。

 狂龍王が放った一撃は確実に、恐るべき力を秘めていたが、それでも。

 アルヴァートは不動を貫いた。

 些末の怯えもなく、堂々と。

 王者の気風さえ漂わせて。

 防御手段の一切を用いず。

 アルヴァートは無抵抗のまま、煌めく超高熱に呑まれて、消えた。

「なんとも、あっけな――」

「気を抜いてはなりませんッ!」

 どうやら彼女は、奴の力を十全に知り及んでいるわけではないらしい。

 今し方の一撃でアルヴァートの肉体は消滅し、一片すらも残ってはいないが……

 しかし、それだけのことをしてもなお。


「――トカゲの物差しで測ってもらいたくないな」


 背後にて飛来した声に、俺はなんの驚きも覚えはしなかった。

 アルヴァート・エグゼクスは不死身だ。

 それは比喩でもなんでもない。

 特別な手段や過程を踏まねば、奴を殺し切ることは不可能。

 それを知っていたがために、

「くッ……!」

 俺は、背中越しにやってきた一撃を回避出来た。

 しかしながら、情報を持ち得なかった彼女はその不意打ちに対し身動きが取れず、

「う、ぁ……!」

 絡め取られた。

 漆黒の炎に。

 触れただけで、存在を灼き尽くす力に。

「エルザードさんッッ!」

 血の気が引くとはこのことか。

 俺は目を見開いて、彼女の状態を視認する。

 即死……したわけではない。

 黒炎が縄のように全身を縛り、嫌な音を立てながら、ゆっくりと灼いていく。

 竜の再生能力など意味を成さない。

 筆舌に尽くしがたい激痛が絶えず襲い来るのか、エルザードは堪らず膝をついて、苦悶することしか出来なくなった。

「五分だ。残り五分で、そいつは死ぬ」

 虚ろな目をこちらに向けながら、アルヴァートは淡々と宣言した。

「仲間を救いたいなら僕を殺せ。君の異能を用いれば、不可能じゃあないはずだ」

 そう口にするや否や。

 アルヴァートの猛攻が、開幕する。

 虚無の空間にて唐突に、闇色の炎が生じた。

 それは奴の周囲を蠢くように這い回り……

 やがて一匹の大蛇を形成し、襲い来る。

 それだけなら対応は難しくない。

 奴の異能によって発生する黒き炎の厄介なところは、一切の予備動作がなく、そして。

「ぬぅッ!」

 あまりにも唐突に、出現する。

 それもこちらの目前だとか、背後、真横といった空間ではない。

 相手が立つその場所に発生するのだ。

 もしも回避出来なかった場合、対象は肉体の内部を闇色の炎によって灼かれ、一瞬にして死に至る。

「さすが、避けるのは上手だな、アード・メテオール」

 その場から微動だにすることなく、アルヴァートは跳ね回るこちらの姿を見つめ続けていた。

 我が内部を灼かんと発生する黒炎は、予備動作もなければ気配もない。まさしく究極の不意打ちだ。

 それを躱し続けることが出来ているのは、長年に渡る戦闘経験が培った直感と、運によるところが大きい。

「変わらないな、お前は。土壇場になったときの決断力が足りてない」

 冷え切った声が、俺の心にさらなる焦燥感と……違和感をもたらした。

 もしや、とも思うが、しかし。

 この推測さえも、メフィストの謀略やもしれぬ。

「迷いを抱くということは心に余裕があるという証だ。……お前はまだ、現実が見えていないようだな」

 黒炎を必死に回避し続ける最中、対面にてアルヴァートがボソリと呟き――

 その直後。

「ぐ、あ、ぁあああああああああああああああッッ!」

 エルザードが、絶叫する。

「タイムリミットを一分早めた。残り時間はこれで、三分と一九秒」

 それはおそらく、アルヴァートの抹殺に必要な最低限の時間であろう。

 守護者の存在が消えた今、この空間に展開されていた異能封じの結界もまた消失している。

 解析と支配の力が発動出来るのなら、アルヴァートを殺し切ることは可能やもしれない。

 奴の存在は冥府と直結しており、その一部領域に棲まう本体を討たぬ限り、現実世界で幾度殺害しようとも復活を繰り返す。

 ゆえにアルヴァートを仕留めるには冥府へ向かう必要がある。

 さりとて、それは正規の手段。

 俺の異能と、その究極形である《固有魔法(オリジナル)》を用いれば、不正なやり方でアルヴァートを斃すことも不可能ではなかろう。

 だが……

「この期に及んで、まだ迷うのか」

 読まれている。

 こちらの胸中を、完全に読み取られている。

「何かを守るには。何かを救うには。別の何かを犠牲にしなければならない瞬間がある。お前はそれを、《魔王》としての人生で学んだはずだ」

 二者択一。

 いかなる強者であろうとも、いずれ必ず、その局面はやってくる。

 俺は常に最良の選択をし続けてきたと、当時はそう考えていた。

 心を痛めながらも、それは王としての責任なのだと、自分に言い聞かせて。

 自己の利ではなく、守護と救済の対象たる者達のために。

 だが……

 その末に得たものは何もなく。

 むしろ俺は、二者択一の果てに全てを失った。

 ……また繰り返すのか?

 脳裏に浮かんだ自問に拒絶を返そうとするが、そのとき。

「それは逃避だ。変えがたい現実から逃げるな、アード・メテオール。さもなくば……今すぐに、全てを失うことになるぞ」

 アルヴァートの言葉が俺の心理を否定する。

 二者択一を、強引に迫ってくる。

「選ばねば、ならんのかッ……!」

 ここでアルヴァートを殺せば、エルザードを救うことが出来る。

 しかしこのまま迷い続けたなら、エルザードの命が失われるだけで得るものは何もない。

 ならば。

「殺せ。それがお前にとっての最善だ」

 ……この場は、そうする他ないのだろうか。

 無限に時間を費やして良いのなら、万の言葉を尽くし、改変された心を元に戻さんと努力もしよう。

 だが、こうした状況においては……

 と、そのように考えた瞬間。


“小賢しく考えるから、上手いこといかなくなるんだよ”


 まるで我が思考に割り込むかのように。

 リディアの声が、脳裏をよぎった。

 ……覚えがある。

 あれは、そう、《邪神》の一柱との大戦(おおいくさ)を終えた後のこと。

 肩を並べ、戦場から帰還するその最中、俺はあいつへこんな問いを投げた。

“我が軍の損耗は試算された数字とほぼ同じ”

“その一方で、お前の軍が出した犠牲は試算のそれよりも遙かに少なかった”

“……それは此度の戦だけではない”

“お前達は常に想定を上回る活躍を見せつつも、犠牲者の数は予想を大きく下回る”

“そこにはいったい、どのような絡繰りがあるのだ?”

 この言葉に対する返答が、先刻、頭の中に響いた声だった。

 小賢しく考えるな、と。

 そう述べてから、あいつは次のように語った。

“頭を使わなきゃどうにもならねぇって局面はある”

“知恵働きが最良の結果をもたらすって考えは、否定するもんじゃねぇ”

“ただな、頭働かせて成功し続けた奴ぁ、自分の頭脳に依存しすぎて、ここぞってときの嗅覚が衰えちまうんだよ”

 あいつは、俺の目を見つめながら、語り続けた。

 まるで、師が弟子へ教えを授けるように。

“ヴァル。お前は頭がいい”

“だから常に考えを巡らせる。どんなときも思考を止めねぇ”

“その結果、おおよその局面が計算通りに終わる”

“良くも悪くも、そこからはみ出ることはねぇ”

 想定を覆すような展開を作りたいと、そのように願うのなら。

 あえて馬鹿になる必要がある、と……そう言いたいのか。

 俺が出した結論に対し、リディアはこちらの頭を乱暴に撫でながら、受け応えた。

“よく出来ました”

“やっぱお前、頭良いよなぁ”

“だからそれを捨てるって発想がねぇし、今後もそれが出来るとは思えねぇ”

“けどな、そうしなきゃ前に進めねぇって展開が、いつかやって来る”

“そんときは――”

 師のように振る舞う彼女が、その瞬間、子に語りかける母のように、穏やかな顔をして。

“仲間を信じろ”

“馬鹿になれなくてもいい”

“ただ、仲間を信じるんだ”

“自分の頭脳よりも、仲間の力を信じる”

“それこそ、最後の最後まで、な”

 覚悟が要る選択だと、そう思った。

 当時の俺は常に、己が力を恃みとして、勝ち続けていたのだ。

 それをあえて捨てねばならぬという選択には抵抗を覚える。

 どうしようもない土壇場となれば、なおさらだ。

 ……結局、そうした考えは今でも根付いていて。

 だから俺はダメなのだと、今このとき、悟りを拓くに至った。

 これまで保ち続けてきた在り様を維持したまま、どうにかなる局面ではない。

 二者択一を拒絶し、三つ目の択を得るには。

「……リディア、お前に倣うとしよう」

 立ち止まる。

 それは即ち――

 回避の意思を投げ捨て、一撃必殺の攻撃をあえて受けにいく。

 まさしく、自殺行為に他ならない。

「ッ……!?」

 あまりにも想定外であったか、アルヴァートの目がそのとき、大きく見開かれた。

 前後して。

 黒き炎が殺到し、我が身を覆い尽くす。

 それはまさに一撃必殺の力。

 触れた物体、概念を、問答無用で消却し、冥府へと送る。

 無限の霊体を持つこの俺でさえ、例外ではない。

 だからこそ――

「血迷ったのか、お前は」

 漆黒の炎に灼かれ、死にゆかんとするこちらへ、アルヴァートは怪訝の目を向けてきた。

「えぇ。ある意味では、そうかもしれませんね」

 秒を刻む毎に自らの存在が薄れていく。

 長くは保たぬという確信。

 愚行を責める脳漿の声。

 しかし。

 なればこそ、俺は口元に笑みを浮かべながら、言葉を紡ぎ出した。

「貴方もご存じの通り、私は心の根底において、誰のことも信じてはいない。恃みとするは己が力のみ。そうした悪癖を今、強く実感していますよ。……つい先程エルザードさんに対し、私は馬鹿になると宣言しておきながら、依然として、賢しさを捨てられなかった」

 しかし、その愚かを自覚した今は。

「もしここにリディアが居たのなら。きっと溜息を吐いているでしょうね。出来るようになるのが遅いと、ダメ出しをしながら」

 自分に残された時間はもう僅か。

 けれども、不安や恐怖など微塵もない。

 リディアと同じ境地にようやっと立ちながら、俺は語り続けた。

「小賢しい知恵働きに恃んだところで、結局のところは花拳繍腿。此度の戦は華麗なる美技を競うものでもなければ、優れた知性を魅せ付けるようなものでもない」

 心だ。

 あの悪魔が仕掛けてきたこの一戦は、心の勝負なのだ。

 であれば、ただひたすらに。

「私は、信じます。最後の最後まで。己ではなく、仲間の力と、心を」

 その果てに、たとえ我が身が朽ちようともかまわない。

 覚悟の意思が胸の内を満たした、そのとき。

 俺の思いに応えるかの如く。

「う、お、ぁああああああああああああああああッッ!」

 エルザードが二度目の絶叫を放つ。

 だがそれは、悲鳴ではない。

 状況を打破せんとする雄叫びであった。

 そして――

 勝負の命運が、愚者(われわれ)の手に渡る。

「ッッ!?」

 アルヴァートの口から漏れ出た驚声(きょうせい)。その所以は、奴の背後に在る。

「お前……! どうやって……!?」

 喀血しながらも首を動かし、後方へと視線を移す。

 そこには、死を待つばかりであったはずのエルザードが立っていて。

 握り締めた竜骨剣の刀身で以て、アルヴァートの胴を背後から貫いていた。

「竜族の魔法技術を、舐めんじゃねぇよ……! この、三下野郎が……!」

 歯を食いしばり、手元に力を込め……刀身を上方へと引き上げる。

 胸部から頭頂にかけて、アルヴァートの体が縦一文字に両断された。

 が――

「チッ……! 殺し切れない、か……!」

 エルザードが執る竜骨剣もまた、不死殺しの力を有するものだが、しかしアルヴァートのそれを覆すには至らなかった。

 舌打ちを零すと、彼女は地面を蹴って、跳ねるようにこちらへ接近。

 それからすぐ、

「……約束、破るつもりかよ」

「いいえ。貴女が助けてくれると、信じていましたので」

 不愉快そうに眉根を寄せながらも、彼女は右掌をこちらに向けて……なんらかの魔法を発動したのだろう。

 その途端、我が身を灼き尽くさんとしていた漆黒の炎が飛散し、跡形もなく消え失せた。

「……どうなってる」

 再生を終えたアルヴァートが、ボソリと呟く。

 その美貌に宿りし当惑は嘘偽りないものだった。

「これも、お前にとっては計算通りというわけか。アード・メテオール」

「まさか。先程述べました通り、今の私は馬鹿になっておりますから。このような展開は想像さえしておりませんでした」

 エルザードと肩を並べながら、俺はアルヴァートの姿を真っ直ぐに見据えて、

「学園での一幕は、我ながら実に無様なものでした。あまりの想定外と、敵方に対する過剰な畏怖。それらが相まって、正道を見失っていた。しかし……今は違います。かつての親友と、そして」

「……なんだよ。ジロジロ見てんじゃねぇよ、気持ち悪いな」

「この新たな友が、私に歩むべき道筋を教えてくれた。賢しさを捨て、ただひたすらに信じ抜くこと。それこそが、再三に渡って投げかけられた、貴方の問いに対する答え(、、、、、、、、、、、)です」

 言い切ってから、少しの間を置いて。

 俺は、心の中で蟠っていた疑問を、口にする。

「――アルヴァート様。貴方は改変の影響を、受けておられないのでは?」

 対面にて、相手方の眉間に皺が寄った。

 それから僅かな逡巡を経て、奴は嘆息し……全身から放たれていた圧力を、消失させる。

「いつから気付いていた?」

「学園でのやり取りで、既に疑念を抱いておりました」

 その考えに至った要因は二つ。

 一つは、他の生徒達と違い、俺を未知の怪物ではなく、アード・メテオールとして認識出来ていたこと。そしてもう一つは、

「貴方の攻撃には、手心があった」

 先刻まで続いた攻防においても、アルヴァートは本気を出していなかった。

 ゆえに俺は、奴が現実を正確に認識しているのではないかと、そう考えたのだ。

「改変されたように見せかけたのは、メフィストに悟られることなく、私を逃がすためだった。違いますか?」

 返ってきた沈黙は、おそらく肯定とみなしてよかろう。

「本来なら、私は貴方の真意に気付き、すぐさま身を翻すべきだったのでしょうが」

「……あぁ。お前はパニックになった挙げ句、もう少しで殺されるところだった」

 苛立ったような視線が奴の内情を伝えてくる。

 その答え合わせをすべく、俺はさらに問い尋ねた。

「ご自身の現状を秘匿し、こうして我々を襲撃したのは……私の気概を、試すためだった」

 ゆっくりと頷きながら、アルヴァートが返答する。

「かつてメフィストを封印出来たのは、お前の力によるところが大きい。だが……あの時点において、お前が使い物になるかどうかは、わからなかった。心が折れ、足手纏いに成り下がっていたのなら……いっそのこと、僕の手で殺してやろうと思っていたよ」

 嘆息するアルヴァートに、俺は微笑を返した。

「私の答えは、貴方のお眼鏡に叶ったようですね」

「……勘違いするな。殺すところまではいかないと、そう判断しただけだ。お前の考えを認めたわけじゃない」

 鼻を鳴らすアルヴァートへ、俺は肩を竦めつつ、

「ともあれ。私達は貴方の協力を――」

「待てよ。ボクはまだそいつを信用してないんだけど?」

 アルヴァートを睨み据えながら、エルザードがこちらの言葉を遮ってきた。

「どうして君は、改変の影響がないのかなぁ? あのメフィストって奴がミスをしたとは思えないんだけど?」

「……あぁ、そうだね。メフィストは当然、僕にも改変の魔法を施したはずだ。何せ僕は放っておいたら厄介な存在だろうからね。忘れられてたお前とは違って」

 挑発的な言葉に、エルザードは怒気を放ったが……アルヴァートはそんな狂龍王の様子など歯牙にもかけず、問いに対する答えを口にした。

「僕は奴の因子から生まれた存在。いわば分身みたいなものだ。そうした出自がなんらかの影響を及ぼしたんだろう」

「ハッ! そんな不確かな情報で納得しろとでも?」

「別に、お前が納得しようがしまいが、僕には関係ないね」

 空気が、凍り付く。

 互いに冷気を纏わせ、睨み合いながら。

 エルザードとアルヴァートは、言葉をぶつけ合った。

「……道化の仮面を被ってた頃の方が、よっぽど可愛げがあったんじゃないかなぁ」

「それを言うのなら、お前こそジェシカの皮を被ったままでいるべきだったな。今のお前はトカゲ臭いし、何より存在感が希薄だ」

「……君はアードやイリーナの命を狙っていたんだろう? そんな奴がよくもまぁ、協力者のツラして出てこれたもんだね」

「はぁ。お前は知能までトカゲ並か。使い物にならないな」

「……あぁ?」

「自分の発言が自分自身に返ってくるものだと理解してない。この時点で阿呆の極みだ。アード・メテオールとイリーナ・オールハイドの命を狙ったのはお前も同じだろ。いまさら協力者ヅラ、という下りもそのまま当てはまるよね? 本当に、いまさら何をしに来たんだか。僕がイリーナを誘拐したとき、ともすればお前がアードの側に就いて暴れるやもと想定していたのだけど……結局、何もしなかった。山に逃げ帰って、ウジウジと泣きべそ掻きながら、引きこもってるだけだった。そんなお前がノコノコとしゃしゃり出てきたときは本当に驚いたよ。爬虫類というのはツラの皮が分厚いんだね。そこだけは唯一――」

 長々とした言葉攻めを斬り裂くように、次の瞬間、エルザードが光線を放った。

 それは見事にアルヴァートの全身を消し飛ばしたが、しかし。

「暴力を振るいたければ好きにするがいいさ。僕がお前を利用したうえで、ボロ雑巾のように捨ててやろうと考えたのは紛れもない事実なのだから。お前には報復の権利がある。もっとも――トカゲ如きがどれだけ力を尽くそうとも、僕に痛い目を見せることなんて不可能だけどね」

 ……かつて、この男は戦闘狂の変態という仮面を被っていた。

 その頃も十分に面倒臭い奴だったが、それを脱ぎ捨て、本性を隠さなくなった今は……

 仮面を被っていた頃の、一〇〇倍は面倒臭い奴へと、進化していた。

「ふっ、ふふっ、ふふふふふふふふふ……!」

 あまりの怒気に、エルザードはもう、笑うしかないといった様子。

 その顔面には血管がびっしりと浮き上がり、白金の髪は総毛立ち……

「おい、口が裂けてるぞ、白トカゲ。元に戻せよ、気持ち悪い」

「ふ、ふふ、ふふふふふ。初めて、だなぁ。こ、ここまで、ボクを虚仮にしやがった奴は」

 冷然と相手を見下すアルヴァート。

 今にも飛びかからんばかりのエルザード。

 そんな二人を交互に見やりながら、俺は溜息を吐いた。

「はぁ。懐かしきかな、我が胃痛……」

 古代世界での一時を思い出させるような、鋭い痛みを感じながらも。

 俺は、無理矢理に笑った。

 いかなる形であろうとも、大きな一歩を歩み出せたということには変わりないのだから。

「はい、二人とも。ガンを飛ばし合うのはもうおよしなさい。時は金なりとも言うでしょう? 早急に件のアイテムを回収しに参りますよ」

「……チッ、仕切ってんじゃねぇよ、ヘタレが」

「……ふん。そこだけは同意だな。トカゲなんかと考えが一致するのは癪だけど」

「ははははは。お二人とも、口の利き方には気を付けた方がよろしいかと。イリーナさんの貴方達に対する好感度は、私の匙加減でいくらでも増減するということをお忘れなく」

「うっ……!」

「この、卑怯者が……!」

「なんとでもおっしゃい」

 にへらと笑いかけてから。

 俺は、二人の肩に手を置いて、一言。

「頼りにしていますよ、本当に」


 ――かくして。

 元・難敵の二人を連れ添いとする、刺激的な旅が、始まりを迎えたのだった。



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